那由さんの憂鬱

 ……ひっく……ひっく……ぐすん……

 ……どうして泣いているのですか?

 ……ひっく……那由ね、また悪い事しちゃったんですぅ……ぐすん……

 そうですか……ですが、泣いているだけでは何も解決しませんよ……

 ……もういいんですぅ……那由はこのまま消えちゃうんですぅ……それしか那由には償いの方法が無いんですぅ……

 本当に、それでいいのですか……残されたあの子達はどうなるのですか?

 ……あぁ……

 まだ、世界には貴方を必要としている人がいるのです。貴方がいなくなると悲しむ人がいるのです。そんな人が1人でもいる限り、どんなに苦しい世界でも、どんなに悲しい世界でも、人は生きなければならないのですよ……

 ……それなら、那由はまだ消えなくて良いのですかぁ?

 ええ、もちろんですよ。那由……

 ……那由が魔女でもぉ……?

 ……たとえ、世界の誰もが貴方を否定しても、私は貴方を愛していますよ……

 ……大好きですぅ……那由もお姉ちゃんが大好きですぅ!!

 さぁ、そろそろ起きなさい。貴方を待っている人達がいますよ……

 うん!!……もう、那由は行きますですぅ……

 ……いってらっしゃい……

 ……また、会えますかぁ……

 きっと……いずれ……時の彼方で……事象の地平で……でも、必ず再会しましょう……

 ……また会おうね、お姉ちゃん……絶対ですぅ!!きっとですぅ!!

 ……また、会いましょうね。愛する那由……でもね……

 ……お姉ちゃん……?

 ……私はね、決して貴方を許さない――!!



※※※※※※※※※※※※※※※※




 ――私が、自分の感情をあまり表に出さなくなったのは、何時からだったかしら……
 ――きっと、あの時以来でしょうね……
 ――自分という存在に、無限の憎悪を抱いた瞬間から……

 ――だから、悪夢から目覚めた時も、私は悲鳴をあげて飛び起きなかったわ。
 
「…………うぅ……」

 最初に目に飛び込んできたのは――青空。
 綿菓子みたいな雲が、蒼穹の空間を流れていくわ……こうして仰向けに寝転がって空を見上げるなんて、何十――こほん、何年振りかしらぁ?
 顔をちょっと傾けると、綺麗さっぱり瓦礫の平野になった東京都心が、地平線の彼方まで広がっているわぁ。随分スッキリしたわねぇ。ちょっぴり不謹慎だけど、普段のゴチャゴチャした町並みよりも、こっちの方が綺麗に見えるわ。
 しばらく、こうしてのんびりしたいけどぉ……

「――覚醒したか」

 そうもしていられないみたいねぇ……
 身体を起こした私の周りを、皆さんが取り囲んでいるわぁ。
 全員が、冷たい殺気を放ちながら。
 対象は、もちろん――

「気絶している間に、始末すればよかったのに」
「…………」

 アーリシァさんは、仮面の奥で微かに頷いたように見えたわぁ。
 周りに奇怪な魔神人形を操りながら――その全てが、私に牙と爪を向けていた。

「大僧正様は――あら、子法を預かって頂けたのですね。私がいなくなったら、引き取ってもらえませんか?」

 大僧正様は、子法を青眼に構えていた。西風霧創流刀舞術をマスターした私でも、一目でかなわないとわかる見事な構えねぇ。子法も真紅のオーラ――“万物の魔王”の力を盛大に放出しているわ。殺る気満々みたい。

「シーも……ごめんなさい。ツケは払えそうに無いわ」

 あのシーでさえ、見た事も無いほど真剣な表情で――やっぱり眠そうだけどぉ――私を真っ直ぐ見据えているわ。周囲を漂う虹色の靄に触れれば、私の存在なんて、一瞬で消滅しちゃうでしょうね。

「クルィエさんもごめんなさい。約束は守れなかったわね」

 彼だけは、壊れた自動車の上で寝転がっているわ。『我関セズ』を気取っているけど、元々部外者だしねぇ。
 私は溜息を吐いた――人前で溜息を吐くのは、滅多に無い事なんだけど……
 ……でも、せめて自分が死ぬ時ぐらいは、本当の自分でいたいから……
 覚えている。
 さっきの事は、はっきりと覚えているわ。
 誤魔化したくても、血と肉片で真っ赤っ赤な那由ちゃんの姿では、説得力は無いしねぇ。あはは〜♪
 20年前と同じ……私は“魔女”になったのね。
 “魔女”に――
 人類の敵に――
 決して人の世にあってはならない存在に――
 だから、私は『この世界から』消滅しなければならないの。
 それは、私自身が誰よりも自覚しているわ。
 こう見えても、私は退魔師の端くれだもの。『魔を超えた魔』である“魔女”を滅ぼそうとするのは当然の事よ♪
 もう、私は逃げも隠れもしないわぁ。誰でもいいから、早く済ませてくれないかしら?一番痛くなさそうなのは、シーの夢に消滅させられる事かなぁ?まぁ、誰に滅ぼされるにしても、嫌いな人にされる訳じゃ無いのがせめてよねぇ♪

 …………

 …………

 …………

 ……本当は……死にたく無いですぅ……

 ……夫に……娘達に……会いたいですぅ……

 ……でも……この悲しさが……この切なさが……

 ……お姉ちゃんに対する、せめてもの償いになれば……


「――1つだけ、聞きたい」

 ……アーリシァさんが――

「――なぜ、那由殿は“魔女”の力を解放したのじゃ?」

 ……大僧正様が――

《――なぜなの?》

 ……子法が――

「――なぜ、こうして滅ぼされる事がわかっていたのに、“魔女”になったのですかぁ?」

 ……シーが――

 みんなが、私を、解放してくれる。
 その事に、私は感謝したから――

「娘を殺すと言われた……ただ、それだけが理由です」

 心の中の一番素直な部分で、私は答えた――


「……なんだ、そんな理由か」

 アーリシァさんが手を振ると、周りの人形魔神が元のマリオネット人形に戻った。
 ……え?

「それなら、仕方が無いですのぅ」
《子法は剣だからよくわからないけど、きっとそうなんだよね》

 大僧正様が笑いながら、赤いオーラが消えた子法の剣先を下ろした。
 ……え?え?

「娘さんの命を脅されたのならぁ、怒るのが当たり前ですよねぇ……くー」

 夢幻の靄が消えていくなか、やっぱりシーは眠っていた。
 ……え?え?えぇえええ!?

「……なぜ……私を滅ぼさないの?」
「滅ぼして欲しかったのか?」
「…………」
「我が子のために全てを犠牲にする――親としてあたりまえの姿じゃ。それは“魔女”ではない。“人間”じゃよ」
《人間を滅ぼしちゃダメだよね》
「……くー」

 みんな、みんな、微笑んでくれたの……
 みんな、みんな、優しい言葉だったの……

 私は瞳を閉じて、胸元に広がる暖かな思いをぎゅっと握り締めた。
 嬉しいのに涙が出そうになるなんて、本当に久しぶりだわ……
 きっと、人生の価値とは、この涙を流した回数で決まるのだろう……

「みんな……ありがとう……」

 そして――

 ごめんなさい……お姉ちゃん……


 ――ずるずる……ずる……

 そんな思いから目覚めさせたのは、その耳障りな音だったわぁ。
 その音に不吉なものを感じて、振り向くと――

 ずる……ずるずる……

 心臓が止まりそうになった。
 美しく虚ろな“聖母”安倍 深美さんの生首が、瓦礫の隙間に転がっているぅ……そして、それに向かって首の無い深美さんの胴体が這いずりながら近付いてくるの……ひえええええええええ!!!

「まだ生きていたとは……さすがナイン・トゥースか」

 いつのまにか召還されていたアーリシァさんの魔神人形が、深美さんの生首に巨大な鉤爪を向けた。

「やめて」

 なぜそう叫んだのかは、私自身にもわからなかったわ。

「……なぜ止める?」
「あの人は……私と同じなのよ。お願い、見逃してあげて。人間は殺しちゃいけないのでしょう?」
「人間だが、敵だ……それに、奴は人間じゃない。“魔人”だ。私達と同じくな」
「でも――」

 がしゃん……

 以前と同じようなアーリシァさんとの口論を止めたのは――ただのマリオネット人形に戻った魔神が、崩れ落ちる音だったわぁ……って、はぇえ!?なぜアーリシァさんの術が解けちゃったの――

 ドッ!!

 ……その解答は、私達と深美さんの生首の間に突き立った『モノ』が教えてくれたわぁ。
 ――漆黒のワイヤーロッドが!!
 戦慄と緊張が張り詰める私達の頭上――20mぐらいの空中に、

『間に合った……と言うべきでしょうか。遅すぎた……と認めるべきでしょうか』

 上半身が破壊されて、内部の美少女が剥き出しになった白銀のアームドスーツが、手首から生えた黒光りするワイヤーロッドを触手みたいにうねくらせながら浮かんでいたぁ!!
 “静寂”なるエルフィール・Dさんが――!!

「むむぅ……こやつは!?」
《まだ生き残りがいたのぉ?》
「……くー」
「それだけじゃなさそうだぜ」

 さすがにクルィエさんも身体を起こしたわ。
 ……そう、それだけじゃないのよぉ。
 うねくるワイヤーロッドの1本が、ぐったりとして動かない金髪ポニテの女剣士と、銀髪美少年の生首を引っ掛けているのぉ!!
 それにぃ、よく見ると2人とも微かに動いている……生きている!?

「キサマっ!!」
『認めましょう……我々ナイン・トゥースの完全敗北です』

 瓦礫の地面に刺さったワイヤーロッドが、深美さんの生首に絡んで持ち去っていくぅ……妨害したくても、あの“静寂”のサルマタケフィールド(誤)とかいう能力のお陰で、私は何もできないわぁ。
 ……それに、このまま深美さんを救出してくれた方が、個人的にはホッとするわね。アーリシァさんは悔しそうだけどぉ。

『セリナ様への別働隊も、作戦は失敗に終わったそうです。あの“死殺天人”の為に……』
《ふっふ〜んだ♪正義は勝つんだよ!!》
『……その通り、貴方達の勝利です……ですが、覚えておきなさい』

 ドドドドドドドドド――!!!

 強力なジェット噴射が瓦礫を巻き上げて、私達の視界を塞いじゃう――!!

『ヒュドラの――不死の邪龍の牙は、決して砕けないことを!!!』

 瓦礫が――彼等に滅ぼされた都市の残骸がひときわ大きく巻きあがって――次の瞬間には、遥か天の高みに昇る白い飛行機雲が残されているだけだった……

「……逃げられたか」
「あのぅ、よく考えてみると、結局ナイン・トゥースを誰も倒せなかったのではぁ?……くー」
「やれやれじゃのう、次はもっと恐ろしい事を企んでくるのじゃろうなぁ」
《ええ〜!?もうヤダよぉ》

 皆さんが飛行機雲を指差して、あれこれ話しているのを聞きながらぁ――

 ごくり

 思わず飲み込んだ息は、妙に冷たかったわ。
 そう――ヒュドラの毒牙は決して砕けない。
 無限に湧き続ける破滅と惨劇の使徒たち――そう、世界の恐怖はまだまだ終わらないのよ。
 遥かな蒼穹のどこかから、誰かの哄笑が聞こえたような気がした……



※※※※※※※※※※※※※※※※




「……で、なんで俺がこんな事しなきゃならないんだ?」

 魔方陣の中心にいる私に向かって、神々しく輝く神聖エネルギーの波動を注ぎ込みながら、心の底から億劫そうに、クルィエさんは私をギロリンと睨んだわぁ。
 でも無視(断言)。
 それにしてもスゴイ神聖力ねぇ。実体を持たない筈の波動が物理的な圧力になって、私の身体を翻弄するのぉ。まるでシャワーを浴びてるみたい。さすが神様〜♪これなら何とかなりそうよぉ……

「東京中の人間を生き返させるには、私の魔力ではちょっと無理なのよ。でも、神様のパワーなら楽勝ね。少しは手伝ってもバチは当らないわよ」
「そいつは盛大に条約違反なんだが――」
「今更そんな事言ってるの?」
「……だな」
「それに、文句を言うと約束を守ってあげないわよ」
「……いい性格してるな……あのな、あんたの暴走を止めようと“力”を使った所為で、俺の存在が天界(うえ)にバレちまったんだぜ。少しは申し訳無く思えよ。踏んだり蹴ったりだぜ」
「まぁ、キスもHもダメだけど、就職の世話ぐらいはしてあげるわ。あんな路地裏で寝ていたなんて、プーさんだったのでしょう?」
「……本当に、いい性格してるな」
「ブツブツ言わないで、さっさと魔力を注入して」
「……やっぱり俺は女難の相だぜ……」
「“死者蘇生”は最重大犯罪だ。本当に数百万もの民を復活させる気か?」

 もぅ!!アーリシァさんはま〜〜〜だブツブツ言ってるぅ。別にいいじゃない。誰も困らないんだしぃ。
 でも、文句を言いつつも止めようとはしないのよね。さっきも『死者蘇生の件でのIMSOへの根回しはまかせろ。VIP達へはこれ以上無いほどの借りを与えた。今更、法律違反だの文句は言わせん』って約束してくれたしぃ♪

「大僧正様とシーもよろしくね」
「まかせるのじゃ。歳は食っても術の手伝いぐらいはできるぞ」
「私はぁ、生き返った人達に『あの出来事は全部夢だった』と夢で記憶操作すればいいのですねぇ……くー」

 大僧正様のニコニコ顔に、シーのボケボケ寝顔……普段と変わらないその仕草に、私はなんとなく嬉しさを感じた。
 そう、やっぱり最後はハッピーエンドじゃなくっちゃね♪
 吸い込まれそうな青空を見上げながら、ゆっくりと深呼吸する。
 魔方陣に満ちる魔力の波が、全身を駆け抜けて、エクスタシーにも似た不思議な活力を与えてくれる。
 そう……この膨大な“魔”力こそが、私が人外のモノ――“魔女”である証明。
 でも、今はその立場が辛くないの。
 嫌いな部分も好きな部分もみんな含めて、今の私――『西野 那由』を構成する大事な要素なんだから……

「――さて、これが終わったら皆で食事にでもいきましょう。奢るわよ」

 そうそうそう〜〜〜♪
 やっと、ついに、ようやく、待ちに待った東京豪遊タイムよぉおおおおん!!!そもそも、これが目的で東京に来たんだからぁ〜〜〜ん♪
 え〜と、まずはお洋服とバックと靴と下着をガバガバ買いまくってぇ、美味しいものをたくさん食べてぇ、あそこにもそっちにも行きたいしぃ――

《……那由ちゃん、無理だよ》

 ……ほぇ?

《こ〜〜〜んな焼け野原のどこで、お食事するの?》

 ジト目で見られているような子法ちゃんの声に、はっと辺りを見回すとぉ……
 ……あはは……そうよね〜東京都心全体が〜まっさらな瓦礫の平野になっちゃったのよね〜復旧までに何年かかるのかな〜?
 ……お買い物が……お食事が……観光スポット巡りが……

「あ〜〜〜っはっはっはっはっは!!!」

 いきなりの那由ちゃん高笑いに、皆さんギョッとして私を見てるけど、気にしないわぁ!!
 もう、内心を隠すのは限界ぃ!!!

「私って世界一不幸な美少女よぉおおおおお!!!」

 絶叫と同時に、溢れんばかりの『死者蘇生』の魔力が虹色の輝きと化して、都心の全てを光で満たした。


 ……優しい魔女の光を……


《……那由ちゃん、ゆーうつ?》
「……うん、憂鬱……」








































『セリナの世界最後の平穏な日々』
外伝1








































『那由さんの憂鬱』










































Final Part






































――『魔女』――
〜〜FAR EAST WITCH〜〜













































END?











































「あら」
「あっ」

 月明かりも差さない暗闇。

「お久しぶりね」
「あの時以来ですね」

 2人以外には、誰もいない裏通り。

「東京は大変だったみたいですね」
「大変だったわ……でも、あなたのお陰でヒュドラの野望を防ぐ事ができたわ」

 男と女。

「いやぁ、たまたまですよ」
「謙遜する事は無いわよ」

 地上最強の、男と女。

「あ、そろそろ行かなくちゃ。娘達が待ってるわ」
「残念だなぁ。もう少し話したかったのに」

 男が取り出すのは、1本の大鋸。
 女が取り出すのは、1枚の呪符。

「またの機会にしましょ」
「次があったらね」

 交錯。

「相変わらずね」
「全くですよ」

 アスファルト上に落下した、付け根から切断された女の右腕。
 焼け焦げた匂いと煙を吐き出す、風穴の開いた男の心臓。

「それじゃね」
「さようなら」

 立ち去る男と女。

 残されたのは、焼ける肉の香りと、鮮血の香り――地獄の香りだけ。

 ただ、それだけ……

那由さんの憂鬱
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