鈴にゃんの冒険


 1943年10月28日――第2次世界大戦が日々激化する最中、アメリカ合衆国はペンシルバ二ア州フィラデルフィア海上で、ある秘密兵器の作動実験が行われた。
 実験内容は、アインシュタインの『統一場理論』を応用して、強力な磁場を浴びせた戦艦を不可視化するというものである。実験対象には駆逐艦『エルドリッジ号』が選ばれた。
 予想外の事件が起こったのは、その時だった。
 大量の磁場を浴びたエルドリッジ号は、不可視どころか完全に姿を消してしまい、2500km以上も離れたノーフォーク沖までテレポートしたのである。
 数分後、エルドリッジ号は再びフィラデルフィアに戻ってきたが、乗組員は全員発狂し、身体が急速に老化する者や、体が突然燃え上がったり、甲板に体が一体化した者までいたという。
 しかし――後にこの実験は、単なる磁場反応性の機雷に対応する為のステルス化実験だった事が判明した。
 あの怪事件は、噂に尾鰭のついた典型的な都市伝説に過ぎなかったのだ。
 実際のエルドリッジ号は何事も無く戦火を生き延びて、退役後、ギリシャ海軍に払い下げられている。まさか兵士が一体化した船など買い取る酔狂者もいないだろう。事実、フィラデルフィアの怪実験が実行されたという物的証拠は何も無い。
 だが――ここに奇妙な事実がある。
 当時、エルドリッジ号の乗員であった者達に関する記録が、どこにも残っていないのだ。船の乗員だったと主張していた者も、実験の際は別任務に就いていた事が判明している。ステルス化の為の軍事実験であったとはいえ、通常の乗員全てを排除する必要などあったのだろうか?
 また、ギリシャに払い下げられた駆逐艦も、当時のエルドリッジ号に似ているものの、退役艦とは思えない――あまりに『綺麗過ぎる』船であったという。
 フィラデルフィアの怪実験が実行されたという物的証拠は何も無い。
 しかし、フィラデルフィアの怪実験が実行されなかったという物的証拠も何も無いのだ。
 そう――
 フィラデルフィアの悪夢(フィラデルフィア・クラックダウン)は、まだ覚めていない――





































『鈴にゃんの冒険』





































Part8

『死神は2度ドアを叩く ―(2) ≪銀の鍵≫』





































 21世紀初頭と比べ、岐阜駅前の光景は大きく様変わりしている。増加した人口に合わせて交通量も増え、道路も拡張、大型化された。
 特に金華橋通りから長良川を抜けた先に、飛騨山脈方面に向う大型高速道路が開通され、市民の重要な足となっている。
 そんな駅前の歩行者通りを全力疾走しては、通行人を驚かせている3人娘の姿があった。
 3人が周囲の注目を集めているのは、誰もが可愛らしい美少女、または妖艶な美女である事もあるが、何よりその格好の奇抜さゆえだろう。

「早く“ザ・ロッカー”のひでぇじゃんとやらを捕まえるのにゃ〜!!」

 炎の如く赤いチャイナドレスを着たネコ耳少女――三池 鈴奈……いや、今は正義のスーパーヒロインみらくる☆べるにゃ。

「“ザ・ノッカー”の秀隆さんですよぉ」

 上半身はシスター名物修道服、下半身はおへそ丸見えパレオのようにテーブルクロスを巻いているという、珍妙な格好の糸目シスター見習い――道野 リン。

「まことにこちにいるのでありんしょうかぇ?」

 頭のホワイトプリムから足元のパンプスまで、純白のメイド服でコーディネートされた、美しき蒼肌のサキュバス――ベルクリアス・コーマ。
 駅前喫茶店の戦い――リンVS秀隆の激闘は、日和とサツキ及び茂伸を捕らえた秀隆の撤退という結末に終わった。
 しかし、仲間をさらわれて黙っている鈴奈達では無いし、秀隆も肝心のターゲットたるベルクリアスを逃したままでは引き下がれまい。
 戦いは――魔戦はこれからが本番だ。

「私の細胞片を秀隆さんに付着させていますからぁ、居場所はちゃんと特定できますねぇ。あちらも移動してますがぁ、もうすぐ追いつけますよぉ」

 人間の限界に近い速度で走りながらも、リンは糸目を垂らしてのほほんとしている。スーパーヒロインに変身したべるにゃや元から人外のベルクリアスならともかく、長時間全力疾走しても全然息切れする気配も見えないのは、やはり彼女が『合いの子』――魔物と人間のハーフだからだろう。

「……あっ、あれ、見てくんなまし!!」

 珍しく大声を出したベルクリアスの指先には、路肩に停車したタクシーに乗り込むレイバンの男――“ザ・ノッカー”朝日奈 秀隆の姿があった。

「あー!!待つのにゃ〜!!」

 べるにゃの叫び声を鼻で笑い、秀隆はタクシーの中に消えた。
 タイヤが煙を吹くほどの急発進で車道に飛び込んだタクシーは、金華橋方面――駅とは逆に向って風のように走り去っていく。今の時間は交通量も少ない。流石の3人娘も、車には追いつけないだろう。

「あららぁ、行ってしまいましたねぇ」

 小春日和の風体でのほほんと呟くリンだが、本人は本人なりに物凄く慌てているらしい。
 その台詞が終わるより先に、3人の脇にピタリとタクシーが止まった。

「さあ、早くみんな乗るのにゃ!!」

 タクシーを呼び止める為に片手を挙げたままのべるにゃが、どこか行動パターンが鈍い2人をタクシーの中に押し込む。べるにゃは助手席に乗り込んだ。

「いらっしゃ……どうしたんですかいその格好は?あ、いや、行き先はどこへ?」

 3人の姿に目を丸くした中年タクシー運転手は、慌てて仕事上の営業スマイルを浮かべる。

「あのタクシーに追いついてくださぁい」
「いや、そういう事は職務上……」
「チップは弾むにゃ!!払うのは茂伸さんだし!!」
「ですから、その……」
「お願いしんす。恩人の命がかかってありんすぇ。 わっちにできる事なら何でもしんすがら」
「わかりやした!!!マッハで追いついて見せます!!!」

 うるうる瞳を潤ませるベルクリアスの哀願に、運転手は満面の笑みで頷いた。

「……何か釈然としないにゃ〜」
「……ズルイですよねぇ」
「あ、あの……わっち、なにか妙な事言いんしたかぇ?」

 2人に糸目とジト目で睨まれて、ベルクリアスはわけもわからず顔前で両手を振った。
 交通法規を無視した速度と運転で、秀隆のタクシーは車の間を抜けて行く。どうやら運転手が脅されているか、『エンリル要塞』の力で操っているのだろう。べるにゃ側のタクシーも負けじと交通法規上等な運転で追いかけてはいるが、引き離されないでいるのが精一杯といった感じだ。
 ……もし、ここに日和か茂伸、またはサツキがいたなら、あの秀隆ともあろう使い手が、わざわざタクシーで逃走するという行為の不自然さに気付いたかもしれない。
 だが、今ここには何も考えていない――もとい、そういった『戦場における疑り深さ』といった要素が欠落したメンバーしかいなかった。それが今後どれだけ致命的な事になるのか――今のべるにゃ達にはわからない。
 激走する2台のタクシーは市民会館の脇を抜けて、飛び越えるように金華橋を渡った。

「どうやら、向こうは高速道路に入るみたいですぜ。どうしやす?」
「もちろん追ってにゃ!!チップはガンガン弾むからにゃ!!どうせ出すのは茂伸さん――」

 軽い、しかし確かな振動が車体を揺らした。
 屋根がべこべこと耳障りな音を立てる。
 不審な面持ちで、べるにゃは窓から上半身を突き出して、屋根を見上げた。
 そこには――

「……にゃにぃ!?」

 くすんだ銀髪、濁った金瞳――冷笑的な美女が、ゆうに時速70kmは出ているタクシーの屋根の上で、仁王立ちしていた。

「だ、誰にゃ!?」
「“タイムウォーカー”スタルディット・クラウディア――オマエ達の死神さ」

 嘲笑うクラウディア。その右手に拳銃が握られている事に気付き、慌ててべるにゃは車内に身体を引っ込めた――瞬間、

「にゃわっ!!」
「あらぁ」
「きゃあぁ!?」
「ぐわっ!!」

 立て続けの銃声と同時に、屋根を貫通した弾丸が雨霰と降り注ぎ、べるにゃ達の身体をかすめて……一発が運転手の肩に命中した!!
 猛烈な勢いでスピンしながら、タクシーが車道を横滑りする。

「危な――!!」

 タクシーは高速道路入り口のインターチェンジに激突し、轟音と共に大爆発した。
 ――が、

「へぇ……あいつが例の『化け物』かい」

 観光バスの上で腕組みするクラウディア。それに並走するトラックの荷台上に、玉虫色に輝く奇怪な塊があった。塊はモーフィング状に姿を変えて、たちまち3人娘――べるにゃ、リン、ベルクリアスと、気絶した不運なタクシー運転手の姿となった。
 タクシーが激突する直前、魔物形態に姿を変えたリンが皆を抱えて、間一髪脱出に成功したのである。
 先行する秀隆のタクシーに続いて、クラウディアの観光バスとべるにゃ達のトラックがインターチェンジを抜けて高速道路に入る。ぐんと車両のスピードが増した。
 戦いは高速戦闘に移行しようとしていた。

「ベルちゃんさん、運転手さんをお願いしますねぇ」
「は、はい」

 自分の細胞片で肩の銃創を応急処置したリンは、ベルクリアスに運転手を預けた。
 その間、既にべるにゃとクラウディアは対峙している。

「よくも無関係な運転手さんを攻撃したにゃね!!あたし独自の判断でとりあえず悪人と断定するにゃよ!!ちゃんとゴメンナサイするのにゃ!!」
「そんなくだらねぇ野郎の1人や10人や100人や1000人くらい、殺した所で世の中何も変わりゃしないよ。オマエは蚊や蟻を潰す度に罪悪感を覚えるのかい?見た目通りのお子様だねぇ」

 クラウディアの言葉に挑発の意は無かった。本気でそう考えているのだ。

「それに比べて、あの綺麗な淫魔王さえブチ殺せば、誇張抜きで世界は救われるんだよ。そんな魔物をかばうなんて、悪人はどっちなんだか……」
「……やっぱり、“パートタイマー”苦労ベア熊ハンセンのお姉さんは、ヒュドラの刺客だったのにゃね!!」
「“タイムウォーカー”クラウディアだ!!勝手に改名すんな!!」
「こっちは変身シーンを省略するくらい急いでいるのにゃ!!パパッと片付けさせてもらうにゃよ!!」

 びしっとポーズを決めた真紅のチャイナドレスネコ娘の言葉に、クラウディアは金色の瞳を細めた。

「この私を瞬殺するだって?……へぇ面――」
「――るだって?……へぇ、面白い」

 その台詞が“前後”から聞こえた瞬間――クラウディアの姿は観光バスの屋根から消失していた。目を丸くするべるにゃの後方から声の続きが聞こえる事に気付き、慌てて振り返ると、

「鈍い、とろい、遅い……その程度のスピードじゃ、私に触れるのも無理ね」

 べるにゃ達のいるトラックを挟んだ、先程まで彼女がいた観光バスの反対側――乗用車の屋根の上に、嘲笑うクラウディアの姿があった。

「あにゃにゃ!?てれぽーと?」
「違うね」

 驚愕に目を白黒させるべるにゃの前で、マントの内側からクラウディアが取り出した物――それは、小さな缶コーヒーの空き缶だった。

「え、くれるのかにゃ?残念賞?」
「違うッ!!……いや、くれてやるよ」

 アンダースローで“ゆっくりと”、クラウディアは缶コーヒーを投げた。

 カッ!!

 『同時』だった。
 クラウディアの手から缶コーヒーが放たれるのと、べるにゃの足元に缶コーヒーが突き刺さるのは同時だった。そして、トラックの荷台が衝撃で爆発するのも同時だった。

「うにゃっ!!」
「あらぁ」
「きゃぁん!!」

 べるにゃはキャット空中3回転でなんとか隣の乗用車の屋根に着地した。時速100km近いスピードによる風圧に、べるにゃは危うく吹き飛ばされそうになる。もし変身していなかったなら、容易く転げ落ちて命も落としていただろう。べるにゃの顔が今更青くなった。
 リンはよろめきながらも別の乗用車に着地する。荷台が破壊されたトラックは防風壁を擦りながら停車し、ベルクリアスと気絶した運転手を残したまま、遥か後方へと流れていった。

「ちっ」

 思いもよらずターゲットが離脱してしまい、クラウディアは舌打ちしてベルクリアスの元へ行こうとしたが、

「鈴にゃんさん気をつけてくださぁい。あの人、時間制御能力者ですよぉ」

 リンの発言に一瞬強張り、

「ふん……見破ったのね」

 その笑いの種類を変えた。
 嘲笑から――歓喜へと。

「そう、私は触れた物体や自分自身の“時間軸”を現実からずらす事ができる。地を這う蛞蝓を風よりも早く駆けさせる事ができるし、空を舞う蝶が羽根を一往復させる間に百億年の時を刻ませる事もできるのさ。これが私の能力『フィラデルフィア・クラックダウン』よ――」

 かつて、フィラデルフィア海上で謎の実験が行われた際、エルドリッジ号の乗員が急激に歳を取ったように、彼女は自分と触れた物体の『時の流れる速度』を自在に操る事ができるのだ。
 時の流れを加速させれば、普通に投げた石ころでも、超光速で目標に到達し、無限大に近く増大した質量で万物を破壊する恐るべき兵器と化す。逆に時の流れを減速させれば、銃弾すら避ける強化人間も、瞬きひとつするのに数時間必要とする超スローモーション人間になる。こうなればどんなに優れた使い手も無力化するだろう。
 クラウディア自身も、戦闘時には常に自分を加速状態に置いている。これが戦いで如何に有利となるかは解説するまでもない。
 時の流れを自在に操る女、スタルディット・クラウディア――彼女はまさに、他の連中とは“次元が違う”のである。
 しかし、クラウディアのような『特殊能力者』タイプの戦闘能力者は、自分の能力を他者から隠すのが普通だ。能力が知られるというのは、相手に弱点を教えるのに等しい。なぜ、彼女は自分の不利になるような事をするのか……
 その疑問は、すぐに解明した。

「私の能力を知られちゃったら仕方ないね。口封じの為に殺さざるをえないじゃないか。あーあ、実に残念だよ」

 クラウディアの能力『フィラデルフィア・クラックダウン』の実像を知る者は、自分以外に存在しない。
 なぜなら、それを知った者は確実な死が訪れるから。
 嬉しくてたまらない様子のクラウディア。その狂気にも似た姿にべるにゃとリンは息を呑み、そして理解した。
 彼女とは――そして彼女と組んだ秀隆も――決して和解できない……永遠に心を通わせる事はできないだろうと。光と闇が共存できないように、世の中には、絶対に合い入れない存在があるという事を。
 本当は違うのかもしれない。心を開いてじっくりと語り合い、お互いを受け入れようとすれば、どんな相手とも仲良くなれるのかもしれない。
 だが、ここは戦場――『死合い』の世界。お互いを否定しあう世界なのだ。

「……にゃああああああ――」

 べるにゃは表情を消したまま、右足を突き出しつつ腰を落とした。身体を右半身に捻り、静かに気合を溜める。
 あの“マスター・オブ・ダークネス”を倒した必殺技、『べるにゃんネコキック』の体勢だ。
 笑いがクラウディアの顔から消えた。
 リンの瞳が魔性の光を洩らす。
 もはや、平和的解決は不可能。ならば、互いに信じるものを賭けて、ぶつかりあうしかない。

「にゃっ!!」

 真紅のチャイナドレスが跳んだ。跳躍の頂点でピタリと停止し、飛び蹴りの体勢に転じる。

「ひっさぁつ!!べるにゃんネコキッ――」

 びしっ!!

「――っにゃあ!?」
「!?」
「鈴にゃんさぁん!?」

 驚愕を顔中に貼り付けながら、べるにゃはネコキックの体勢で固まっていた。文字通り、空中で固定化して動かないのである。

「わしの存在を忘れとったようじゃのぉ」

 死神の――もう1人の死神の声が吹き荒ぶ風の中に生じた。
 “ザ・ノッカー”朝日奈 秀隆――いつのまにか彼の乗るタクシーが接近して、その上に仁王立ちしているのだ。
 べるにゃはもがく事もできない。『エンリル要塞』によって、べるにゃを構成する空間を完全に支配されていた。
 クラウディアの拳銃がゆっくりと標準を定めた。単なる拳銃弾も、彼女の手にかかれば光速を超える。地球すら容易く破壊できるだろう。
 慌ててリンの両腕が触手の束に変化して、助けようとするが――間に合うわけがない。この世界で“タイムウォーカー”よりも速く動ける者は存在しないのだ。

「ああっ!!」

 炎の高速道路を、一発の銃声が駆け抜けた。




                      ※※※※※※※※※※※※※




「――お客さん、どうも高速で事故があったみたいですね。当分動きませんや、これは……」
「そうか」

 灼熱した鋼の如き、あまりに男臭い声に、タクシー運転手は反射的にバックミラーで後部座席に腰を下ろす乗客を見た。
 仕事柄、外国人の客を乗せる事は珍しくないが、岐阜駅で拾った今回の客は格別だった。身長は軽く2m、体重は150kgを超えるだろう並外れた巨体。タクシーの車体が後ろに沈んでいるのは気のせいではないだろう。姿格好も珍しい――というより珍妙だ。頭はアラビア風のターバンで覆い、顔はサングラスで隠している。筋肉の塊のような身体を無理矢理軍用ジャケットに押し込んで、その上に遊牧民が着るようなボロボロのマントを羽織っているのである。

「どうします? ちと遠回りになりますが、高速を迂回すれば――」
「いや、ここで降りよう」

 高速道路に向う道は、どのルートも相当な渋滞にあるようだ。このタクシーも車の間で立ち往生している。

「すみませんね、お客さん」
「いや、構わねぇよ。思ったよりも、相手は近くにいるようだ」
「は?」

 訝しがる運転手に運賃を渡して、巨体の大男は窮屈なタクシーからようやく開放された。

「日本人は変わっているな。自分が悪くなくても頭を下げるとは」

 自分にもその血が混じっている事を忘れて、アズラエル・アイ最強の戦闘退魔師――“ウォーキングフォートレス”ケネス・クガヤマ大尉はサングラスの奥に凄惨な光を宿らせた。




※※※※※※※※※※※※※




「ぐうっ!?」

 銃創の刻まれた肩口を押さえて、秀隆は憎悪の悲鳴を洩らした。指の間から本物の血が幾筋もの流れを作る。

「にゃ!?」

 はずみで『エンリル要塞』の能力も途切れたのか、自由を取り戻したべるにゃは空中でジタバタしつつも、なんとか乗用車の上に着地した。

「勝手に人の獲物横取りすんじゃないよ!!オマエは手筈通りに合いの子の相手をしてりゃいいのさ」
「てめぇ……」

 小馬鹿にしたように銃口へ息を吹きかけるクラウディアに、秀隆は本気の殺意を向けたが――すぐに唖然としているリンの方へ向き直った。この辺の切替えの早さは、秀隆の状況判断力の高さを示すものだ。

「さて、化け物お嬢ちゃん。第2ラウンドといこか」

 秀隆が指先を天に向けるように手招きする。と同時に、彼のタクシーとリンの乗る乗用車が急加速して、遥か前方へと消えていった。すでに、リンの周囲も『エンリル要塞』に支配されていたのだ。

「りんちゃん!!」
「オマエの相手は私だろ?」

 クラウディアの笑いが再び嘲笑と転じた。べるにゃを逃す気は毛頭無い。

 べるにゃVSクラウディア
 リンVS秀隆
 スーパーヒロインVS時間制御能力者
 合いの子VS空間制御能力者

 魔戦の勝者たりえるのは、はたしてどちらか――




「喫茶店じゃぁ不覚を取ったが、屈辱は今ここで晴らさせてもらうぞ」

 時速100km以上の速度で高速道路を駆け抜ける車両の群れ――その只中に、対峙する2人の影があった。
 美しきシスター見習いにして、魔性の『合いの子』――道野 リン。
 最強の限定空間制御能力者にして、ヒュドラの刺客――朝日奈 秀隆。
 両者を乗せる車の進行は、まるで停止する気配を見せない。この異常事態に停車する車両が1台も無いのは、既に秀隆の『エンリル要塞』によって、操られているなり何らかの処置を施されているのだろう。

「何度やっても同じですよぉ。貴方の力は私には効きませぇん」

 おっとりとした口調とは裏腹に、魔性の瞳を見開いたリンの美貌は、まさに人外の妖しさを誇っている。
 だが、リンはもう状況の危険さに気付いていた。
 今までの戦いからもわかるように、リンの得意技は不死身に等しい自分の身体でひたすら敵の攻撃を耐えて、その間に密かに分身を周囲に展開し、機を見計らって一気に包囲殲滅する……というものだ。戦闘タイプとしては、ひたすら力押しするパワー型に見えて、実はトラップ設置型に近い。
 しかし、こうして見晴らしのいい場所を常に移動している状況では、そうしたリンの得意な戦い方『包囲殲滅』『トラップ設置』が、一切使えないのだ。

「それはどうかな?今のわしにゃぁ、こがぁな武器もある」

 短く鋭い口笛が響くと、秀隆の周囲に握り拳大の青く発光する球体が出現した。彼の周りを惑星のように周回するその数は十数個。これが、秀隆の言う対リン用の武器なのか。

「……ところで、さっきもそうじゃったが、そがぁな格好で戦ってええんか?わしゃぁ嬉しいが」

 やや笑いを含んだ秀隆の視線に気付き、はっとしたリンが自分の身体を見てみると……例によって激戦の中テーブルクロスが外れてしまったらしく、成人指定な下半身が丸見え状態になっていた。
 リンの頬に淡く朱が差す。

「あらぁ……恥ずかしいからあまり見ないでくだ――」

 言葉は最後まで続けられなかった。
 豊かな胸の間に拳大の穴が開き、背中側の風景を覗かせている。そこには、あの青い球体が浮かんでいた。

「……あぁ……また服がぁ……」
「どうだ?われの肉体再生速度より早かろう」

 慇懃無礼に両手を掲げる秀隆の周囲に、十数個の球体が唸りを上げて旋回乱舞する。

「あの女の力を借りるなぁ癪じゃが、こりゃぁ時間を加速させた水の塊じゃ。亜光速で動き回る水分子の激突に耐えられる物質は存在せん。われの身体も触れた瞬間に蒸発するんさ」

 液体は、常にそれ自身を構成する水分子が激しく動き回っている状態にある。この運動が停止した状態が『固体』であり、運動が激し過ぎて分子がばらばらに飛び散った状態が『気体』となる。物体が水に溶けるという現象は、こうした運動する水分子が物体に激突して、それを構成する分子をばらばらにする事を差すのだ。時間さえかければ、水はあらゆる物質を溶け込ませる……つまり、破壊する事ができるという。事実、海水には王水でしか溶けないはずの純金が含まれている。
 もし、水分子の運動速度が亜光速――質量無限大の状態となったら?
 それは、あらゆる物体を瞬時に蒸発破壊する、恐怖の超兵器となるだろう。しかも、秀隆の『エンリル要塞』なら、それを自在に増幅、制御できるのだ。

「試してみよう。われの身体がどれだけ削り取られりゃぁ、生命活動が停止するんかをな」

 魔の水弾が身構えるリンに殺到した。

「――っ!?」

 乱舞する水弾がリンの身体を蹂躙し、削り取っていく。触手の1本が秀隆に伸ばされたが、間髪入れずに水弾が防御、消滅させた。完璧な攻防一体の布陣だ。

「消え失せろ、化け物!!」

 美しかったシスターの輪郭は、徐々に小さくなっていく。もはや彼女は悲鳴を上げる事もできなかった。
 リン、絶体絶命か――




※※※※※※※※※※※※※




「うにゃっ!!」

 背後からど突かれたべるにゃは前につんのめり、危うく車上から落下しそうになった。ギリギリ踏み止まったものの、間髪入れずに四方八方から衝撃が走り、その度にべるにゃは転げ落ちそうになる。

「ほらほら、どうしたネコ娘?私に触れる事もできないのかい?」

 嘲笑はあらゆる方向から聞こえた。『フィラデルフィア・クラックダウン』で時間をずらしたクラウディアが、超加速状態で攻撃を加えているのだ。その影を捕らえる事もできない超光速攻撃に、べるにゃは完全に翻弄されていた。一撃一撃はなぜか小さな打撃だが、その度に車から落ちそうになるのだからたまらない。いわゆる嬲り殺しの構図だ。

「あうう……敵が早過ぎて全然見えにゃい……これじゃ戦えないにゃ〜!!」

 思わず、半泣きの悲鳴が漏れた。
 べるにゃには、ジオ・ガーランド戦で見せた『相手がどんな事をしても必ず命中するネコぱんち』という、やたら長い名前の技がある筈だが、正義の味方一年生の悲しさか、敵の影すら捕らえられないという状況では、どう攻撃を繰り出せばいいのかよくわからなかった。戦闘経験不足が最悪の形で露呈したのである。このままではやられるのも時間の問題だろう。べるにゃもリンに負けず劣らずの絶体絶命状態にあった。

(ちっ……これはどういう事だい?)

 しかし、クラウディアの方も困惑していた。
 先程から繰り出している攻撃は、全て超光速の打撃――つまり質量無限大の超破壊攻撃だ。この攻撃に耐えられる物体などこの宇宙には存在しないだろう。
 だが、あのチャイナドレスコスプレネコ娘には、そうした規格外の攻撃を加えても少々よろけるだけなのである。それならばと、べるにゃの時間を遅くして行動を停止させようとしても、これも無効化されるのだ。原因はわからない。彼女にとっても初めての事態だった。
 こうなったら、彼女にとっての禁断の術――対象の時間を断絶させる事によって、その場にいながら現世から追放するという、一歩間違えれば歴史の流れを破壊する恐れがあるため、最重大犯罪に指定されている術を使うしかない……
 クラウディアの嘲笑が濃くなった。禁忌(タブー)を破るという行為は、彼女にとって常に最上の悦楽をもたらすものなのだ。
 連激が止んだ。

「はぁ……はぁ……」

 その場にひざまつきながら、息を荒げるべるにゃの眼前に、見下すようにクラウディアが姿を現した。

「これで終わりよお嬢ちゃん。この世界から消してあげる」

 死神が鎌を振り上げるように、右手を掲げるクラウディア。その手が振り下ろされた瞬間、べるにゃという存在がこの世界から消滅するのだ。
 そう、消えてしまう。
 べるにゃが消えてしまう。
 ……消える?
 この、あたしが?
 あたしが消えてしまう!?
 だめ。
 まだ、だめ。
 死ぬのはもちろん怖い。それもある。
 でも、それ以上に駄目な事がある。
 今、ここであたしが負けちゃったら、次にりんちゃんが襲われてしまう。
 ひよりんが助からない。サツキさんも、茂伸さんも助からない。
 そして、ベルちゃんが――!!
 だめ。
 だめだ。
 諦めてはだめ。
 考える。
 考えよう。
 勝つ方法を考えよう。
 相手はとても速く動く。だからあたしの攻撃が当たらない。
 では、どうすれば当てられる?あのスピードに付いていける?

 簡単よ

 簡単?

 簡単よ あたしがもっと速く動けばいい

 そんな事、できるわけがない。

 できるわよ あたしは相手より速く動けない
 “だから相手より速く動く事ができる”

 ……え?

 それが あたしの力 それこそあたしの存在証明

 それが……あたしの力。

 さあ あの脆弱な人間に見せてあげなさい 存在の『格』の違いを
 自分達が万物の霊長だと勘違いしている種族に 本当の力というものを

 力を……見せる。

 そして 教えてあげなさい あたしこそが ――の王である事を!!


 蒼い月の光が、世界に満ちた。


「――!?こ、これは!?」

 クラウディアは驚愕しつつその場を離脱した。たっぷり5mは離れた乗用車に着地して、その光景を見据えた。
 水の柱――
 べるにゃのいた場所に青い水の渦が立ち昇り、その身体を包み込んでいるのだ。その内部にべるにゃのシルエットが淡く浮かんでいる。
 水柱は一瞬、凄まじい勢いで膨張し、次の瞬間には収縮に転じた。全裸のべるにゃの身体に張り付くように姿を変えて、そして――平らな胸に貼られた『2―1 みらくる☆べるにゃ』の組章もまぶしい、スクール水着を着てビート板を持った、キュートなネコ娘が誕生した!!

「青の戦士こと、みらくる☆べるにゃ“どらごん☆ふぉーむ”ここに見参にゃ!!」

 びしっとポーズを決めるべるにゃ、いや、みらくる☆べるにゃ“どらごん☆ふぉーむ”……そのあまりにアレな姿格好に、クラウディアは顎が外れんばかりにぽかんと口を開けた。

「これで苦労ベア熊ハンセンのお姉さんもオシマイにゃ!!ゴメンナサイするなら今のうちにゃよ!!」
「クラウディアだ!!」

 不敵でステキなポーズを決めたべるにゃに、クラウディアは半ば意識的に怒りを込めて、超光速拳を撃ち出した。質量無限大の超絶破壊攻撃が、べるにゃに襲いかかる!!

「あわわわわ……にゃあん!!」

 目の前に迫るクラウディアの拳に、べるにゃは慌てて身を伏せようとして――その姿に、クラウディアは驚愕した。

(私の超加速攻撃が……見えてる!?)

 ばしっ

 驚きのあまり拳筋が乱れたのか。クラウディアの拳は、べるにゃの掲げるビート板に受け止められていた。

「馬鹿なっ」

 超加速状態で身を翻し、車上から離脱するクラウディアの表情には、紛れも無い動揺が浮かんでいる。
 私の超光速攻撃が……見切られた!?
 そんな筈は無い。そんな事は如何なる超人的な能力の持ち主でも不可能だ。
 では、なぜ――!?

「!?」
「逃がさないにゃよ!!」

 信じられないものが目の前にあった。
 青いスクール水着を着たネコ少女。
 べるにゃがクラウディアの超加速機動に、追い付いてきているのだ。

「馬鹿な馬鹿なっ!!」

 更に急加速するクラウディア。しかし、べるにゃはぴったりとついていく。

「馬鹿な馬鹿な馬鹿な……」
「鬼ごっこは得意にゃんだから!!」

 高速道路を進む車両の上を、次々と飛び跳ねる光の影――クラウディアが加速する。べるにゃも加速する。もはや2人の速度は、光速の数万倍にも達しようとしていた。

(まさか……こいつは!?)

 そして、クラウディアは気付いた。
 あの小娘は、自分と同じように時間をずらして加速しているのではない。
 私が加速しているから、あいつも加速しているのだ。
 私が速くなればなるほど、自動的にあいつも速くなるのだ。
 『常に相手よりも速く動ける』――それが、あのみらくる☆べるにゃ“どらごん☆ふぉーむ”の能力かっ!!

「馬鹿なッ!!!」

 驚愕と絶望に心臓を握り潰されようとしているクラウディアの懐で、青い光が輝き始めた。

「にゃああああああ……!!」

 べるにゃが腰溜めに構えるビート板。そこに青い光の粒子が収束していく。
 それは蒼い月の光――
 魔性の月の輝き――

「ひっさぁつ!!スプラッシュビートドラゴン!!」

 蒼く輝くビート板が、如何なる光よりも速い速度で、クラウディアの顔面に叩きつけられた!!

 どがぁ!!

 何の変哲も無いビート板の一撃を、クラウディアは避けられなかった。
 そして、そのミラクルパワーに吹き飛ばされながら、『それ』を見た。
 蒼き月の輝きの中に――地上を埋め尽す死者の只中で、狂ったダンスを踊る道化師の姿を。
 道化師が、あの時自分がべるにゃに言った時と同じ表情で、より恐ろしき言葉を話すのを。

『あーあ、実に残念だね。お姉さんは悪人だから、殺さなくちゃいけないんだよ』

 ああ、その笑い。
 その偉大。
 その狂気。
 本物の死神は、ここにいたのだ。

 どっか〜〜〜ん!!!

 ジオ・ガーランドとの戦いと同じように、クラウディアは謎の大爆発を起こした。
 近くの乗用車にキャット空中三回転で着地したべるにゃは、青い爆風を見上げてびしっと2本の指を突き出した。

「勝利のちょき〜♪」

 ――と、そこに、1本の触手が伸びてきて、べるにゃの腰に絡みついてきたのだ。

「にゃ?」




※※※※※※※※※※※※※




 ついに、リンは片膝をついた。

「はぁ……はぁ……」

 その姿にかつての美しいシスターの面影は無い。
 身体のあちこちに穴が開き、四肢を削り取られ、人間の原型をほとんど留めていなかった。体重は従来の半分にも満たないだろう。

「攻略法さえわかりゃぁ、意外にあっけなかったの。嬢ちゃん」

 トラックの荷台で仁王立ちする秀隆は、たっぷりの余裕を持ってリンを見下ろしている。その周囲を旋回する水弾によって、リンは徹底的に嬲られたのだ。

「化け物たぁ言えいい女じゃったが、さすがにその姿じゃ抱く気になれん。そろそろとどめを差すとしよう」
「……それは……残念…です…ねぇ……」

 よろめきながらもリンは触手を支えに身を起こそうとして……再び崩れ落ちた。間髪入れずに水弾が触手を削り取ったのだ。
 もはや、誰の目にも勝敗は明らかである。
 しかし――?

「……では……そろそろ…貴方に……とどめを…差しますねぇ……」

 リンは、何を言っているのだろうか。

「……何ぃ!?」
「……貴方は……あの…お姉さん……と……仲が…悪そうでした……ねぇ……それが…貴方達……の…敗因……ですよぉ……それに…比べてぇ……私と…鈴にゃんさんはぁ…仲良しさん……ですか…らぁ……」
「敗因!?敗因だと!!」

 リンの発言が理解できず、秀隆は訝しげながら激昂した。天地がひっくり返っても、秀隆の勝利は揺るがないだろう。あの女は何を言ってるのだ?すでに狂ったか?

「……始めから…貴方と…あの…お姉さんが……一緒に…連携して……戦って…いればぁ……たぶん…あっさり…私達は……負けていたと……思いますぅ……でも…貴方達…は…仲が……悪かった……だから…負けるの…ですよぉ……」
「世迷い言を!!」

 魔の水弾がリンの頭部――と思われる場所に叩きつけられた。
 ――が、その瞬間、触手が水弾を包み込んで……握り潰したのだ!!

「なっ!?」
「……そろそろ…慣れてきました……からぁ……」

 だが、それで力尽きたのか、触手はぐったりと崩れ落ちた。

「ふん……もういい、本当にとどめを差しちゃる」

 水弾が秀隆の頭上に集結していく。数秒後、そこには巨大な万物を蒸発溶解させる魔の水弾が出現していた。
 もはや、秀隆を止める手段は何も無い。
 たとえ、リンの崇める神にも――
 ……神にも?
 リンの神にも助けられない?
 ならば――
 別の神ならば?
 矮小なる人間の信仰する神ではなく、この大宇宙そのものを支配する、真なる邪神の力ならば――!?

「くたばれ、化け物!!」

 秀隆は水弾を叩きつけようと――

『待て!!!』

(――!?)

 その声が、秀隆の動きを停止させた。そうせざるをえない、死に物狂いの声だった。

『お前は、何をしようとしているのか理解しているのか!?』

(この声は……まさか……)

『それ以上、“あれ”を追い詰めるんじゃない。“あれ”が覚醒したならば、この宇宙が滅ぼされても不思議では無いのだぞ!!』

(わしの……声?)

『考えてみろ、その女はお前の『エンリル要塞』を無効化して、さっきは『フィラデルフィア・クラックダウン』をも打ち消した。最高の空間制御術と時間制御術を握り潰したのだぞ。そんな事ができるの存在は、この宇宙でただ1つだけだ……』

 声の正体は、秀隆自身だった。時空系能力の達人としての潜在意識が、全力で自分自身に警告を発しているのだ。

(まさか……それは……まさか……!!)

『そうだ、それこそが大宇宙の真なる邪神。全ての時間と空間を支配するもの。空間の門と時間の鍵を持つもの……そう、“門にして鍵”――!!』

 宇宙は絶叫した。
 ……我々が存在するこの宇宙には、人間など塵芥にも足らない恐るべき『存在』がいる。
 人類が知る超高位存在といえば、お馴染みの四大種族――いわゆる、神族・悪魔族・龍族・鬼族がまず挙げられるだろう。しかし、それらはこの世界とは違う次元、異世界の種族であり、いわば他所の住民である。
 だが、我々の存在するこの世界――無限に広がる大宇宙にも、四大種族に匹敵、あるいは上回る恐るべき種族が存在しているのだ。
 この“邪神”達が、人間が周囲に浮かぶ埃を無視して生きるように、通常は人間など気にも止めないレベルの超々高位存在である事は、我々にとっても幸運なのかもしれない。彼等にとっては、ちっぽけな惑星にへばりついて生きる人類という種族など、蚤を潰すよリ楽に滅ぼせるのだから。
 はるか古代より、宇宙中の種族はこうした“邪神”と交流を試み、ほとんどは無視され、時には至上の力を、時には無限の破滅を与えられている。それは地球人類も例外ではなかった。高名な魔術師や優秀な能力者は――大半が破滅と引き換えに――邪神達との接触に成功し、それが様々な宗教や民間伝承で語られる――地球土着の種族を除いた――神々や悪魔、精霊や魔物の原型となったのだ。
 “邪神”は、各々の宗教や伝説で独自の設定が設けられ、名称や分類法が異なっていたが、数十年前、IMSOによって国際共通の名称が与えられた。その際、20世紀アメリカのある怪奇小説作家の作品群が使用されたのは――そして、その作品に記述されたキャラクターの性質や特徴が、不気味なほど現実の“邪神”と一致していたのは、単なる偶然では無いのかもしれない。
 ……そして、それら“邪神”の中でも、最も高位に位置する存在の1つ――
 全ての時間と空間を支配するもの――
 銀の門にして鍵――
 その名は――

「……Yog=Sothoth……まさか、貴方様の父上は――!?」

 秀隆と呼ばれる存在は、時空が停止したように固まっていた。
 汗もかかない。震えも起きない。瞬き一つしない。
 真の恐怖が訪れた時、人間はそうなるらしかった。

「――では、そろそろ行きますねぇ」

 秀隆が、その恐怖をもたらしていた当人の声で正気に戻ったのは、皮肉としか言い様がないだろう。
 どれほどの時間放心していたのか……おそらくは数秒間に過ぎなかっただろうが、リンの身体は大部分が元通りに再生されかけていた。

「くぅあぁあぁあ……消えろォ!!!」

 絶対の恐怖と戦士としての本能、そして“邪神”の狂気が秀隆を混乱させていた。半ばやけっぱちの心境で、秀隆は巨大水弾をリンに叩きつけようとして――“それ”に気付いた。
 リンの右手が触手に変化して、はるか後方へと伸ばされている事に。

「きさま、何をしている!!」
「愛と友情の合体攻撃ですよぉ」

 勢いよく触手が引き戻された。その先端を何かボール状に触手が包んでいる。
 急速に接近する触手の先端。
 巨大水弾が発射された!!

 ドン――!!

 引き戻された触手の塊が、巨大水弾に激突する。
 触手は一瞬で蒸発溶解して……その中から、飛び蹴りの体勢で突っ込む真紅のチャイナドレスネコ娘――みらくる☆べるにゃを生み出した!!

「何ぃ!?」
「べるにゃんネコキック!!!」

 みらくる☆べるにゃの必殺技が炸裂した。
 胴体をくの字に曲げながら秀隆は吹っ飛び――そして、例によって爆発する直前、蒼い光の中に『彼女』を見た。
 蒼い月の下で、踊り狂う道化師の姿を。真なる死神の――そう、“2度目の死神”の姿を!!

 どっか〜〜〜ん!!!

「友情パワーの勝利にゃ!!」
「鈴にゃんさん、やりましたねぇ♪」
「勝利のちょき〜♪」




※※※※※※※※※※※※※




「『高速機動形態“どらごん☆ふぉーむ”……使用時間は3分間、一度の変身につき1回のみ使用可能……』うーにゅ、だからあの時は苦労ベアのお姉さんを倒した後で、普通のべるにゃに戻ってしまったのにゃね〜」
「何を説明的な独り言を言っているのですか?」

 紅い夕日の残滓が、殺風景な風景を赤黒く染色している。

「新しい変身ができたから、『ネコでもわかる正義の味方教室』を読み返しているのにゃ。ちゃんと書いてあったのにゃね」
「そういう大事な物は、ちゃんと前もって読んでおくべきだと思いますが」

 脳天気に安っぽい小冊子を振る鈴奈に、日和は呆れた視線を向けた。2人の姿も夕陽に紅く染まっている。
 ここは、激闘が繰り広げられた高速道路の近くにある採石所跡である。秀隆とクラウディアを倒し、捕らえられていた3人を救出した後、やっと追い付いて来たベルクリアスと合流した鈴奈達は、警察などが絡むとややこしくなると判断して、とりあえず人気の無い場所まで移動したのだ。

「あのタクシー運転手さんは大丈夫でしたかぁ?戦いに巻きこんでしまってぇ、とても御気の毒でしたがぁ」
「大丈夫みたいでありんす。わっちが抱きかかえながら介抱したら、物凄く喜んでこれで悔いは無いと言っていんしたから」
「……彼の者に神の御加護がありますようにぃ」

 リンのボロボロになった修道服は、とりあえずベルクリアスの着るエプロンドレスで代用している。下着姿となったベルクリアスだが、元々裸がユニフォームの淫魔族なので、今の姿に全く抵抗は無いらしい。

「しかし、この俺がこうもあっさりと捕まっちまったとはな……一生に三度目くらいの不覚だぜ」
「…………」

 忌々しそうに茂伸は足元の石を蹴り上げた。決して望んだわけでは無いが、これでは保護者役失格だ。
 サツキは無言でボロボロになったリンの修道服を縫い直しているが、どうやらかなりの自己嫌悪に陥っているらしい。

「とにかく、今回のMVPは鈴にゃんとりんちゃんの2人です。本当にお疲れ様でした」
「2人とも、えらいかっこよかったでありんす」
「えへへ……これで少しは正義のスーパーヒロインらしくなったかにゃ?」
「そうですねぇ」

 無邪気に喜ぶ鈴奈の姿を見て、日和とベルクリアスは微笑み、茂伸とサツキも僅かに仏頂面をほころばせた。そして、リンも静かに、しかし心の底から喜んだ。
 魔物と人間のハーフ――『合いの子』として呪われた生をうけ、自分の人生に絶望していた事もある。いや、ひょっとしたら今も絶望しているのかもしれない。
 でも、今回はその呪われた力で、大切な人達を守る事ができたのだ。
 生まれて初めて、リンは自分の身体に感謝していた。
 心の中に暖かな思いを込めて、リンは静かに祈りを捧げる。
 ……天にまします我等が神よ。願わくば、私の愛する者達に平和と愛が授かりますように……
 ……そして、私の力がその手助けになりますように……


「――しかし、あいつらはあれで本当に良かったのか?」

 数分後、縫い直された修道服をリンは着直して、それを露骨に見ていて日和に蹴飛ばされた茂伸は、場の空気を誤魔化すように先程からの不満を口にした。その声には、僅かながら非難の因子が含まれている。

「大丈夫!!世界はらぶあんどぴーすにゃ!!」

 今回ばかりは、鈴奈の判断は脳天気過ぎるかもしれない。少なくとも茂伸にはそう思えた。
 ジオ・ガーランドとの戦いの後と同じように、今回も鈴奈は気絶した秀隆とクラウディアを介抱して、もうベルちゃんを襲わないと約束させてから開放したのである。2人はなぜ敵対していた相手にそんな事ができるのか理解できないらしく、唖然としながら去っていった。
 だが、今回の2人はジオの様に達観した無頼派には見えない。良くも悪くもプロフェッショナルであり、体勢を整えたら再び襲ってくる可能性は高いだろう。茂伸やサツキは当然として、日和やリンにすらそう思えた。
 だからといって、鈴奈の行為を止めようとしない所が、このメンバーのある意味救いがたい特徴でもあった。今回はいいように扱われた者達が、復讐戦をしたいという気もあるし、また来たならもう一度撃退するだけの事だ。そんな無謀な判断を良しとする空気が、ここにはあった。
 シビアな思想の持ち主なら、甘ちゃんだと一蹴されそうだが……
 ……しかし、最も大局的な意味で、鈴奈達は正しかったのである。

「もう暗くなってきましたねぇ」

 夕陽は地平線の彼方に溶け消えようとしていた。見つめるリンの糸目よりも細くなっている。

「…………」
「え?もう警察もいなくなったのではないかって?そうだな、足を手に入れる為にも町に戻るか」
「わーい、ゴハンの時間にゃ〜♪」
「え、本当ですか!?」
「お前等なぁ」

 そんな平穏な空気は、夜の帳と共に終局を迎えた。

 どさっ

 何の前兆も無かった。あまりに唐突だった。鈴奈達の側に、それが落ちてきたのは。

「……え?」

 糸が切れた人形のように動かない、血塗れの人影――それは、全身をズタズタに切り刻まれた秀隆だった。

「――ッ!?」

 どさっ

 驚愕する一同の背後に、また新たな人影が落下する。
 同じく意識の無い、満身創痍のクラウディアだった。

「え、え、えええ〜〜〜!?!?なぜなぜ何で〜〜〜???」

 あまりに唐突な事態に、鈴奈はパニック状態に陥りかけている。

「早く応急手当をぉ」
「気をつけろ!!何かやべぇぞ!!」
「また敵ですか!?」
「…………」

 緊張の鋼糸が瞬時に張り巡らされる。かつてない危機が訪れようとしている事が、本能的に察知できた。
 そして、鈴奈達はそれを聞いた。
 そして、鈴奈達はそれを見た。
 闇――
 闇の中――
 闇の中から、低い朗々とした詩が響いてくる。
 経文の詠唱……読経だった。
 誰が為の読経なのか。今、死に逝く者への祈りなのか。
 それとも、これから死に逝く者への祈りなのか。
 夕陽の残滓を背負って、その影は滲み出た。
 闇から生まれた――鈴奈にはそう見えた。
 逆光にもかかわらず、その姿ははっきりと見える。
 漆黒の袈裟。銀の錫杖。研ぎ澄ました刀のような、精悍な顔立ち。
 あまりに凄まじ過ぎて、逆に透明に見える殺気の渦。

「……だれぇ?」

 やっと、鈴奈はその言葉を搾り出せた。
 誰もが戦慄のあまり声1つ漏らせずにいる。
 理解できた。生物としての本能で。
 今、自分達は、今までの戦いが春のそよ風に思えるような、かつてない危機に直面しているのだと。
 読経が止んだ。

「……『闇高野』……ディアス・G・バーン……」

 闇の声に相応しい、錆びた鋼の如き声。
 闇高野――御仏の名の元に、己自身を闇と化し、闇を駆逐しながら、決して表舞台に出る事無く、闇から闇へ、闇の魔性を滅ぼす仏法の使徒――

「淫魔王を狩りに参上した……こうなりたくなかっら、引き渡してもらおうか……」

 地に伏す秀隆とクラウディアを錫杖で指し示す。
 まさか――この男はたった1人で、わずか数分であの2人を倒したというのか。
 最後の陽光が、今、地平線の彼方に消えた。
 闇が世界を支配する。
 闇高野最強の戦闘退魔師、“サイレントブレイド”ディアス・G・バーン――
 “闇を狩る闇”が――今、発動する。




※※※※※※※※※※※※※




 血が香った。

「あれ?この匂いは……」

 光の粒子1つ無き、真の闇――

「何か見つけたのですか、所長」
「……どうも、お仲間が襲われてんみたいや。行くで」
「はぁ、また厄介事に首を突っ込むのですか」

 闇の中で――血が香った。

 爛々と輝く血瞳、死者色の肌。
 人外の豪腕、鋭い乱食歯。

 血が香った。

 もう1つの、闇を狩る闇が――今、動く。

・・・・・TO BE CONTINUED

鈴にゃんの冒険
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