闇の裏側にありし者
弟よ。お前達が築いた永遠の虚空から私は脱したぞ。
弟よ。私はお前達を滅ぼすだけの力を手に入れたぞ。
弟よ。だが私は今、実に空虚だ。
弟よ。お前は今どこにいるのだ。



二人の人間が対峙していた。いや、片方は人間ではないだろう。
なぜなら、その者は身の丈は優に5mを超えていた。明らかに人外の者である。
対するもう一人は2mには満たないが、人間としては背の高い部類に入る。
二人は、いや一人と一体は距離を縮めた。二つの影が交錯する。
決着は一瞬だった。小さい、恐らく人であるとおぼしき者が大きい方の体を跳び蹴りで貫いた。まるで、ひと昔前の拳法アクションアニメの一幕のようである。
大きい方はそのまま地面に崩れ落ち、二度と動くことはなかった。勝者は敗者の方に向かって一言二言、言葉を発してその場を去った。彼が去った後には一陣の風が吹き抜けた。


西野怪物駆除株式会社の社内の廊下を若い女性が一人歩いていた。オレンジがかった腰のあたりまで伸びた長い栗色の髪。均整のとれたまゆ毛、豊かなまつげに大きな、深い色の瞳。美しい鼻筋にキュッとすぼまった唇。ふくよかな胸ときちんとくびれたウェスト。そして、細すぎない、程よく丸みを帯びた白く美しい足。誰もがため息をつくような美しい女性だ。白いブラウスと赤いジャケット、えんじ色のタイトスカートがよく似合っている。彼女、藤倉葉子は中央管理センター総合指令室に向かっていた。彼女は5年前に起こった恐ろしい、そして彼女自身にとって最も忌まわしい事件の数少ない生き残りだった。そして、その事件以降、それまでとは比べ物にならない位の高位的存在がちらほらこの世界に現れるようになった。
大抵のものは特に危害を加える事なく自分たちの世界に帰っていくのだが、中にはこの世界に留まり、悪事を繰り返す輩もいる。彼女はこの会社に嘱託として在籍し、こういった「高位で厄介な連中」を主に相手をしている。それは、彼女自身がある特殊な能力を持ちあわせているからなのである。

「ああっ。葉子お姉ちゃんですぅ。」

彼女の傍らから赤毛の美女、西野あすみが声をかけた。

「あすみちゃん。久しぶりね。相変わらず綺麗なおっぱいね。羨ましいわ。」

などと会話がはずむ。このような物騒な会社の中でなければいつまでも眺めていたいような、二人の美女の共演だ。こういった風景はそうそう見れるものではない。ひとしきり話した後であすみが聞いた。

「葉子お姉ちゃんがここに居るって事は、何か大変な魔物でも出たんですかぁ?」

口調でも分かる通りかなりすっとぼけた性格のようである。

「そうね。ここ最近出現した連中の中じゃ一番厄介だって聞いてるんだけど。」
「そうなんですかぁ?あすみ怖いですぅ・・・・」

今にも泣きだしそうな声であすみが言った。葉子はそんな彼女をいたわるかのように微笑んだ。

「大丈夫よ。どちらにしても行くとすれば社長か私か、それともかすみちゃんになると思うから。」

そういって彼女は司令室に入って行った。この後、かなり面倒な事が起きる事も知らずに・・・・・・


「藤倉葉子、入ります。」

葉子は一声かけて司令室に入った。NASAのスペースシャトル打ち上げシステムが子供の遊び場に見えるような数々のハイテクマシンが葉子の目に飛び込んでくる。彼女がこの司令室に来るのは約5年ぶりになる。言うまでもなく5年前に起こった忌まわしい事件、「四門会崩壊事件」の後だ。彼女がこの中央司令室に来るのはその時以来だ。かつて、彼女は民間退魔団体としては空前の規模を誇る「四門会」に所属していた。が、四門の南の守護者にして筆頭退魔師、“朱雀”の栗林雄二の反乱によって四門会は崩壊した。その後、彼女の師匠にして四門会の代表責任者、“玄武”の堀田ことハリー堀田の知りあいである西野那由の誘いで西野怪物駆除株式会社に入社したのだ。「嘱託」なのは未だ彼女が大学に籍を置く現役の女子大生である事と、四門会の崩壊という出来事を彼女が認めたくない事が理由である。

「いらっしゃい。よく来てくれたわね。」

葉子にそう声をかけたのはこの会社の社長にして、人類史上最強の退魔師、西野那由であった。彼女の傍らには先程の美乳美女、西野あすみによく似た赤毛の美女、西野かすみが立っていた。かわいらしいあすみと比べるとかすみは美人といえる。また、胸もあすみより大きいらしい。しかし、彼女の表情は冴えなかった。

「今回は何があったんですか?」

部屋の中央にある会議用のイスに腰かけながら葉子が聞いた。彼女が連絡を受けた時は「いささか厄介な魔物が出てきた。他の者では手に負えないかもしれない。」という事だけだった。

「今回は広島に行ってもらいたいの。」

那由はポーカーフェイスでそう言った。しかし葉子は、そんな那由の、その目の奥にある焦燥を見抜いた。

「できるだけ手短に用件を言ってください。社長のその様子だと事は急を要するように思えますので。」

そこで、那由は広島に現れた魔性の者の、これまでに収集した詳細なデータ・レポートを葉子に渡した。

「えーっと・・・・駆除対象名メフィスト2・・・・・・SRMC値は・・・・25っ?!これって・・・・」
「そう。そのテの対象にしては珍しいわ。というより初めてだわ。」
「だから、最初から機械の測定ミスだって言ってるでしょっ!」

横からかすみが口を挟んだ。彼女はこのデータを信じる事がどうしてもできない様子だった。無理もない。

メフィスト2。それは退魔師の間ではわりとポピュラーな(この表現が正しいかは分からないが)魔物で、前出のSRMC値、魔物の強さを値として表現したものだが、この数値が7を超える者は今まで出現した事がなかった。最も出現率の高いのは1〜3程度で、それでも一般人にとっては驚異ではあるが、かすみクラスの使い手になれば一人で十分対処できる、SF物語ではヤラレキャラに属するものだった。ちなみに、一人前として認められる退魔師のSRMC値が1として考えると間違いないだろう。
しかし、今回のものは今までとはケタが違う事は今までのいきさつで容易に推測がつくであろう。SRMC値が5前後と考えられる、西野(株)はおろか、日本国内でもトップクラスの退魔師、かすみの5倍強の力を持ったメフィスト2が現れたとレポートには記されているのだ。

「私もかすみちゃん同様、このレポートを信じることができません。間違いないんですか?」

葉子も信じられなかった。もしこの数値が本当なら確かに厄介だ。かすみの手に負えないならこの会社の内部の人間には手出しはできない。できるとすれば、社長の那由か自分しか対処できないだろうからだ。

「残念ながら、機械の故障でもなんでもないわ。」

那由が肩をすくめながら言った。このしぐさは彼女の癖なのだろう。

「とにかくそういう事だから、かすみちゃんに任せるわけにもいかないし、私もここを離れる事ができない。だからあなたに行って欲しいのよ。」

しばらくの沈黙が司令室の中を支配した。しかし、その沈黙はすぐに破られた。異常を知らせる警報音が司令室の中に鳴り響いたからだ。

「ちょっと。何が起こったの!?」

かすみが声を上げた。

「広島にあった魔物の反応が消えました!!」

オペレーターが発した信じがたい言葉に司令室内はまたも沈黙した。

「それって例のメフィスト2が消滅したって事?冗談でしょ?」
「いいえ。間違いありません。消滅したもようです。」

信じられない・・・・・そんな空気が先程のオペレーターも含め司令室にいた全員の心を包んだように感じられた。広島地域にそのクラスの魔物を消滅しえる実力を備えた戦闘能力者や退魔師がいるという話を聞いた事がなかったからである。

「詳細な消滅ポイントを特定できる?」

葉子がオペレーターに聞いた。

「はい。今ポイントを特定している所です。」

暫くしてオペレーターが再び口を開いた。

「出ました。広島市内のポイントF-248地点です。」
「F-248地点ね・・・・海沿いのあたりだわ。」
「今から残留思念をサーチして映像と音声を可能なかぎり再現します。」
「終了したらメインパネルに画面を写して。」
「了解しました。」
「ふぅ・・・・」

それにしても信じがたい出来事が立て続けに起こるものだと葉子は思い、ため息をついた。
今までに前例のないタイプの魔物の出現。そして、その突然の消滅。どう考えても不可解でしょうがない。もし、できるならその調査を自分が行いたいという思いが脳裏をかすめた。しかし、そうはおそらくならないだろう。彼女はあくまでも嘱託で退魔行が主な仕事で、調査・監視任務の経験がまったくなかった。

「一体なにが起こってるっていうの!?あり得ない魔物が出てきたと思ったらまたすぐに消滅なんてっ!!誰か分かるように説明してよっ!!」

かすみがイライラしながら怒鳴った。しかし、誰も答える事のできる者はいなかった。

「そうイライラしてたらお肌に良くないわよ。もうすぐその答えも分かるからおとなしくしてなさい。」

那由がこうたしなめなかったら怒りを爆発させたかすみによって司令室は膨大な被害を受けるところであった。相変わらずだと思って葉子は苦笑いした。

「映像が復元できました。」

オペレーターが発したその言葉を聞いて、司令室の全員の目がメインパネルに注がれた。
最初に映し出されたのは海沿いの公園をカップルが仲むつまじく歩いている風景だった。そのカップルに変わった風体の、男とも女ともつかない輩が後ろから声をかけた。

「おそらくこいつが今回のターゲットだったメフィスト2ね。」

葉子がつぶやいた。しかし、外見的には魔物には見えない。そのため、カップルもそれ程警戒している様子はない。暫くするとカップルの男性の方がふらふらと画面に向かって奥の方に歩いて行ってしまった。そして、近くのベンチに座り込んでしまった。女性の方は魅入られたかのようにメフィスト2の方を見つめている。

「これは・・・・二重誘惑(ダブル・テンプテーション)ね。二人の対象に同時に別々の幻影を見せているんだわ。」

那由がそう言った。この術を行う事ができるメフィスト2を、彼女は今まで見た事がなかった。

「おまけに、幻影結界(イリュージョン・シャットアウト)も同時に行ってますね。これをやられると外部の者には何もないように見えるだけですから。」

葉子が驚きの念をこめて言った。トップレベルの魔術師ですら難しいとされる高位魔法を二つ同時にやっているだけでも驚異だ。こういった敵と闘う事になるとは考えた事はなかった。SRMC値が表す以上に手ごわい敵だ。葉子も含め、その場にいた者は身震いを禁じえなかった。ただ一人、那由を除いては。

「あっ。あっちに、もう一人誰かがいる。」

かすみが言った通り、画面向かって左から一人の男が近づいて来た。身長は180Cmくらいの背の高い男である。ジーンズにTシャツというラフな格好のこの男が、次に起こした行動を見て司令室の人間は全員息を飲んだ。なんと、その男はメフィスト2の肩を叩いたのである。

「し・・・・・信じられない・・・・・・幻影結界の中なのよ?」
「まるで最初からいきさつを見ていたみたいね。」

その後、その男は飛び下がって体制を整えるとカップルに向かって言葉を発した。すると、カップルの二人は突然我に返り、その場を走って逃げ去った。

「う・・・・・・嘘でしょ・・・・・・なんであれで二重誘惑が解けるのよ?」

誰もその問いに答えるも者はいなかった。もはや、那由でさえも驚愕の念を隠すことはできない様子である。
突然、メフィスト2は本性を表した。身の丈は5mを超える恐ろし悪魔の姿に。メフィスト2という名はこの姿に由来する。その外見は悪魔「メフィスト」にそっくりなのである。もっとも、その力は本家メフィストの1000分の1にも満たないが。
男とメフィスト2は距離を縮めた。まさに雌雄を決する時と言わんばかりに。
そして、驚くべきことに勝利を収めたのは魔物ではなく人間であった。しかも、だだの一撃で。跳び蹴り一発でメフィスト2の体を貫いたのである。もはや司令室の中で言葉を発するものは誰もいなかった。聞こえるのは機械が動く無機質な音と、誰かがつばを飲み込んだ音だけであった。
その後、男は二度と動かないメフィスト2に向かってなにか言葉を発したあと歩き去って行った。

「こ・・・これは・・・・・・・」

さすがの那由も言うべき言葉が見つからないらしい。

「この男は何者なの?今までこんな人が広島地区に居るなんて聞いたことないよ。」

かすみは既に涙目だった。それ程までに凄まじい出来事なのだ。

「お・・・・音声の再現もあります。再生しますか?」

オペレーターのその言葉で、少なくとも那由と葉子は我に返った。

「その男の言葉だけを再生して。」

葉子にそう指示されてオペレーターは直ちに準備をした。程なくスピーカーからその男の声が再生された。

「ありゃぁ、何しよんかいの?」

太く低い声だがそれ程年をとっているようではなかった。むしろ若い男のようだ。

「あんた。なんぼカップルが羨ましいけぇ言うてもひがんじゃいけんわいね。」
「うわっ!あんた人間じゃないんかいっ!!」
「あんたら。はよぉ逃げんさい!」
「おわっちゃ〜!!!」

これで決着がついた。そして(あるイミ)誰も口をきくものは居なかった。

「こ・・・これは・・・・・・・」

先程と同じセリフを那由は口にした。しかし、先程とは明らかに意味合いが違う。完全に呆れているのだ。

「全部広島弁だったのかな・・・・・・?」
かすみが誰に聞くともなくつぶやいた。

「・・・・マダ続きがあるみたいですけど・・・・」

オペレーターのその言葉に全員が再びスピーカーから再生する声に耳を向けた。が、やはり殆どの者は呆れているようだ。

「うわっ!やってもーた!!これはなんぼ何でもやり過ぎじゃわいや。」
「まあええか。人間と違うし。ハラも減ったし眠いし。」
「じゃ、とっとと帰ってクソして寝よ〜。」

あとはその男が歩き去る足音がしだいに遠ざかって、やがて消えた。

「何なの・・・・・あの行動とは裏腹のすっとぼけた言動は・・・・」
「それに少なくとも・・・・・一度は魔物と闘った経験があるみたいですね・・・・・・」
「信じらんない・・・・・」

かすみが口にしたこの言葉はこの場にいた全員の心に去来した念を端的に表した。
高レベルな魔物が行った高位魔法を意に介さず、あまつさえ、破ってしまった男。
その魔物を素手で、しかもただの一撃で倒した男。
行動とは裏腹の、緊張感のない言葉を発していた男。
何より、魔物に対して物おじせず、むしろ慣れている感のあった男。

「これは・・・一度調査をしてみる必要があるみたいね。」

那由がそうつぶやいたのが葉子の耳にはハッキリと聞こえた。
1-1 悪魔の出現と消滅 了
闇の裏側にありし者

[ Back ]