闇の裏側にありし者
我が兄よ。虚空に消えゆく貴方の姿を見ながら。

我が兄よ。私は自分の愚かなる行為を今更ながら後悔した。

我が兄よ。私は貴方とあの人の居ない世界は耐えられないようだ。

我が兄よ。私もまた、自らを罰しこの世界を去ろう。









だだっ広い工場の通路でヘビのような大きなものの影が蠢いている。しかし、それはヘビと呼ぶにはあまりに巨大だった。
軽自動車くらいはあるであろう、大きな頭には3つの赤い目が妖しく光っている。
それに続く何者も侵しがたい漆黒の胴体はちょっとしたプレジャーボートよりも幅が広い。
そして、何より驚異なのはその全長だ。
最初にその工場の工員が“それ”を発見した時はおよそ15m位だった。
しかし、工員が警備員を呼びに行き、戻ってくる間に“それ”の全長は35mをゆうに越えていた。
“それ”はおびえて声も出せない工員と警備員を一瞬で飲み込み、廊下へ出た。
しかし、その行動が“それ”の最後であった。
たまたま廊下に居合わせたある“男”によって“それ”は引き裂かれ、警備員達は無事に引きずり出された。
二人はそのまま入院したが、その“男”はいそいそと去り、結局“それ”は何だったのか分からなかった。







カモノハシにも似た優美な曲線を称えた、日本が世界に誇る超特急「新幹線」はその美しい銀色を晩春の太陽に美しく輝かせながら疾走する。

先端の美しいラインはオートメーションではなく、職人達が手ずからハンマーを持ち、丁寧に仕上げられた至高の作品である。

このような見事としか言い様のない職人達の住まう日本は、正に「技術大国」と呼ぶにふさわしいだろう。

その新幹線、「700系ひかりRail star」のサルーンシートは、平日とはいえ空席が目立つ。

二列に並んだシートと、通路を挟んで三列に並んだシートには、ごくまばらに人が座っているのが見え程度であった。

その三列に並んだシートの車両のほぼ中央よりの一角に、その少ない客の目を引きつけずにはいられない美しい3人の美女が席を占めていた。

美しい赤い髪をした、よく似た顔立ちの二人は、おそらく血縁関係にあるのは他人から見ても明らかだ。

でなければ、そうそうこのような似通った美女が生まれてくるような事はないだろう。

もう一人の女性は、他の二人には似てはいないが、二人とは全く違ったタイプの美しさを秘めていた。

しかし、例えその美しい美女であろうと、「女が三人寄ればかしましい」という古事に例外は無いのである。


「るんるん〜♪ひ・ろ・し・ま・ですぅ〜♪」

このおっとりした性格の赤毛の美女、西野あすみは事もあろうに「カープ坊や印」のついたメガホンを持っていた。

どこで手に入れたのかは分からないが、はたから見ると重要で危険な任務を帯びて来広する凄腕の退魔師には見えず、単に広島に遊びに行く女子大生かなにかにしか見えない。

もっとも、一応職務として広島に向かっているわけなのだから、彼女の今の服装は「西野(株)」指定の制服であるのではあるが。

「あすみ。あたし達は遊びに行くんじゃないのよ。葉子さんのサポート任務で広島に行くんだから。」

その傍らに座っていた、少しキツい印象を受けるがそれ以上に、その美しい燃えるような赤毛と豊満なバストが目を引きつける美女、かすみが浮かれている妹をたしなめた。

彼女も「西野(株)」の制服を着ているが、そのデザインは妹のあすみのものとは若干異なる。

ピンクを基調にして、胸元にリボンをあしらった少しかわいらしい印象を受けるあすみのそれに対し、かすみのものはブルーを基調にした男性的なデザインになっている。

リボンではなくネクタイを締めているいるあたりが、その違いを如実に表していた。


「わかてますよ〜だ。るんるん〜♪」

相変わらず、あすみは姉の言葉を意に介さず浮かれ気分だ。

「あんた、ホントにわかってんの・・・・」

かすみはため息をついた。

「まあまあ。いいじゃない。」

横から、オレンジがかった栗色の自らの髪を撫でながら葉子が言った。

制服に身を包んでいる西野かすみ・あすみ姉妹とは異なり、彼女は目にも鮮やかな朱色とも緋色ともとれる美しいワンピースを着ていた。

その短過ぎるのではないかと思われるスカートからは白い足が、誰しもがため息をつくような美しい曲線を描きながらスラリと伸びていた。


「良くないですよっ!会社出る前の情報は葉子さんも聞いたでしょっ!」

この言葉に葉子も、そして今の今まで浮かれまくっていたあすみも沈黙した。

広島に、それまで出現してきたものとはタイプの異なる強力な魔物が突然現れ、その魔物を謎の男が消滅に至らしめたのはもう3ヶ月も前のことになる。

その3ヶ月の間、西野怪物駆除株式会社の本社と、広島市の中心部付近にある西野(株)中国支社はその労力の殆どをつぎ込んで調査に当たった。

そして、この謎の男の名前、住所、職業、経歴等を徹底的に洗い出したのだ。

そのデータの概略は下の通りだ。

名前:蓮城 聡(れんじょう さとし)
性別:男性
年齢:25歳
身長・体重:182cm・76kg
職業:イメージパース作成/グラフィックデザイン
住所:広島県野黒島市灯牟町嵯晴(ひろしまけん・のぐろじまし・とうむちょう・さはる) 876-1886

そしてこの調査の上で、調査のきっかけとなった3ヶ月前の事件をさらに上回る、驚愕の事実が判明したのだった。

この事実が明るみにならなかったら、今回の調査は会社の調査部に籍を置く社員に委ねられていただろう。

「無限蛇(ウロボロス)の幼生を駆除とはね・・・・・。これが本当で、この男が犯罪組織なんかに与する者なら・・・・その時は・・・・・・」

葉子がそうつぶやいた。最後まで言う必要はなかった。

無限蛇(ウロボロス)とはその名の通り無限なる蛇の事だ。

蛇とはいえ、その生物としての特性はこの世界に存在するいわゆる「蛇」とは見た目も生態も大きく異なる。

無限と名のつく通り、その蛇の食欲は無限で何でも貪り食う。

子供なら好き嫌いをしない良い子なのだが、この魔物は食べるたびに体が大きくなる。

その食欲にまかせて無限に食べ続け、無限に大きくなり続ける。

なんでも食べるため、自分より大きな生物や金属などもこの魔物にとっては食物の一つに過ぎない。無論人間もである。

また、移動方法は通常の蛇同様、這って移動するのだが、どれだけ大きくなっても物質としてこの世界に存在していない、いわば「非実体生命体」のため移動した跡が残らない。

出現地点から何処に移動したかを特定するのがとても難しいとされている。

そのため、一度取り逃がすと見つけるのは困難で、さらに成獣になると人間の退魔師では駆除は不可能だと言われている。

一説によると、成獣になるまでに、その出現した星やその周囲の星も食らいつくし、自分の尾を食べ始め、最後は自分自身も食い尽くすと言われている。

成獣のSRMC値は100,000を越えるものがザラで、そうなるともはや人間には打つ手はないのだ。

また、幼生体においてもSRMC値は孵化後3ヶ月で120を越えると言われている。世界のTOP10に入る退魔師が最低2人で集団退魔を行う必要があるレベルだ。

しかし、今現在においては孵化後に経過した時間が2週間を越えるものの出現例は公式には発表されていない。ごく一部の者しか知らない魔物だ。

そしてその、ごく一部のものしか知らない、世界でもTOP10の人間ですら一人ではどうしようもない魔物が、その“謎の男”蓮城聡によって駆除されたと言うのだ。

もっとも、実際問題として、世間に名の知られていないモグリの、しかし腕前は超一流の退魔師が存在するのも事実だ。

葉子が西野(株)の一員として参加する仕事において、常に葉子の前に立ちはだかる犯罪組織「ヒュドラ」や、葉子の仇敵、“朱雀”の栗林が新たに立ち上げ、近年急激にその勢力を拡大しつつある組織「六魔餡」などに所属する退魔師や戦闘能力者などもそういった「知られざる」達人達だ。

今回の蓮城という男についてもそういった、あまり知られていないフリーの戦闘能力者なのかもしれない。

そして、もし前出の「ヒュドラ」や「六魔餡」、そしてそれ以外の犯罪組織などに与するものなら・・・・・

今回の葉子の任務はこの調査対象「蓮城聡」がいかなる人間かを調査する事にある。

もし、危険な思想の持ち主や、犯罪などに手を染めているなら・・・・・その後の判断は葉子に任せるとの事だった。

これは、嘱託でありながら西野(株)においての葉子の立場を物語っている。社長の西野那由がそう提案し、異論を唱える者はいなかったのだ。

那由は出発する直前に葉子を呼んでこう言った。

「気をつけて行って来なさい。そこでおそらく、あなたの人生を変える出来事がある。そんな気がするのよ。」

葉子はこの言葉の意味をよく理解してはいなかった。

しかし、どちらにしてもなにかとても大きな「うねり」の中に自分が入って行くような気がしてならなかった。






無限に続くのではないかと思われる白い空間があった。

空気はおろか、大気と呼べるものが存在するのかさえも分からない全くの「無垢」な白い空間。

しかし、この世界に全く汚れがないものなど存在しえない。

どのようなものでも、必ず汚れ、いたみ、くすみ、衰え始めるものなのだ。

それがまさに「物質界」と呼ばれるこの世界におけるただ一つの真実。

まして、その白い空間が犯罪組織「ヒュドラ」によって作られたものならばなおさらである。


「相変わらず、殺風景なとこだな・・・・・だいたい、ここに来るとロクな事がない。」

軽薄そうだが、渇ききったその声は、その一言で“白い”空間を緊張させた。

「随分と嫌われたものだな・・・・・」

冷たい声だ。「冷徹」という言葉では表現できないが、これ程この表現が似付かわしい声はないだろう。

「それは仕方ないでしょう。ここは特別任務を与える場合にのみ使用が許される部屋。ここに呼びつけられていい顔をする者は誰もいないでしょう。」

美しく響く声ではあるが、同時に無慈悲な声だ。

「そうそう。面倒が起こると必ずここだからね〜。」

実に呑気で無邪気な声。昆虫を殺す幼い子供のように。

「あたしお風呂に入りたいんだけどな〜。」

退屈そうだ。まるで狩りを終えた獰猛な肉食獣のように。

「で、なんスか?その面倒って?」

実直そうな声だ。命令さえあれば我が子でさえも殺してしまう程に。

その空間が白一色であるにも拘わらず、何者が話をしているのか、その声の主は本当にこの場に実在しているかも伺い知る事はできない。

彼らを隠すのは闇ではなく、明らかに白い光だ。

“悪”を隠すのは“闇”ではなく“光”・・・・・・

彼ら一流の皮肉というわけだ。

そして、無機質な、単に用件を伝えるだけのような声が空間に響く。

「ご報告致します。Material 47がF-223地点で消滅したとの“鴉”よりの情報が入っております。」

白い空間にざわめきが起こった。

「マジっすか?マジで消滅したんスか!?」

「信じられんな・・・・・間違いないのか?ソレ。」

「“あちら”側からの情報ですから、正確なものと推測されます。」

「聞いての通りだよ。諸君。我々が“彼ら”と共に作った新たな切り札のひな形が消されたのだ。黙っている手はないと思うがね。」

しばらくどよめいたようなざわめき声がこの空間に響いた。

「つまり、その原因の調査と排除ってコトか?」

「場合によっては・・・・・な。」

「場合によって?どういう事?」

「うまくやればこちらに引き入れる事ができるかも知れません。」

「そうしたいの?」

「場合によってはな。何せMaterial 47は初期型の試作品とはいえ、並の退魔師風情の数人程度には手に負えるものじゃない。手傷を負わせることもできんだろう。それを一人で対処したと言うのだからな・・・・」

再び戦慄と静寂がこの白い空間を支配した。

暫くの沈黙の後、再びあの冷徹な声がこの空間に響く。

「さて、今回行ってもらう者の人選だが・・・・」

「まってくれよ。随分と情報が少ないんじゃねーか?それに、うちらが動く事を“連中”は知ってるのか?」

「話はすでにしてある。“あちら”も問題はないそうだ。我々が動き次第、“あちら”も動く。ただし手助けはしてくれないそうだ。」

「え?なんで?」

「“あちら”としては相手の正体を見極めてから行動したいとの事です。」

「つまり自分らが“連中”の尖兵になるって事スか?気に入らないな〜。」

「そうとも取れるけど、考えようによっては“連中”の出ばなをくじいて、今後こちらに有利なように話を進める事もできるってわけですか。」

「それに“西野”が既に動き出しています。遅れを取るわけには行きません。」

「そういう事だ。さて、人選に入るが都合の悪い者はいるか?」

「今まで一回もそんな事聞かれた事ないぜ?その日はデートだっていったって断らしちゃくれねーだろ?」

「今回の任務は今までと異なります。したがって、当日に都合のよくない人を無理に選ぶ必要はありません。」

「へぇ〜。つまり成功しようが失敗しようがどうでもいいってこと?」

「そうだ。今回の調査はいわば我々の“あちら”や業界に対するデモンストレーションの一環に過ぎない。こんな事で命を落としてもらっては困るんでね。」

「命を落とす可能性があるってコトっスか?随分自分らを見くびってますね。」

「“西野”が送りだしたのが、あの“藤倉”だとしても・・・・そう言えるかな?」

再び空間は沈黙で満たされた。しかし、その沈黙も長くは続かなかった。ここにいる者の中の一人が呵呵と笑いだしたのだ。

「へぇ〜。あの子が行ってるのか。こりゃ、デートはキャンセルだな。」

「ホントにデートだったんスか?なんだったら自分行きますけど。」

「イヤミなヤローだな。冗談に決まってるだろ。仮にそうでも相手があの“葉子ちゃん”なら話は別だ。」

「随分と御執心だな。では“魔剣士”。君に行ってもらおうか。それもう一人・・・・・・」

「まだ誰かいるの?彼は近接戦闘においてはうちらでもトップレベルじゃん。」

「“藤倉”はともかく・・・調査対象の男はまだ何者かもわからん。必要ないとは思うが・・・・」

「わかりました。ならば私が行きます。」

「そうか。では“影法師”。君に頼む事にしよう・・・・では、今日はこれまでだ。」

それ以降、その白い空間は再び静寂し、物音を立てることすらなかった。あるのは最初と同じ、永遠に続くと思われる白い空間があるのみだった。





昼飯時に広島駅に降り立った3人の美女は、セオリー通り自分たちの時計を1/1000秒単位で合わせた。

互いに別行動を取り、後に合流するならば正確な時間と落ち合う場所を決定しておくのが大前提で、そのためには互いが同じ時間軸で行動するのはこの業界の定石だ。

「それじゃ、あたしとあすみは中国支社へ。葉子さんはターゲットと接触後、あたし達に合流ね。」
かすみが言った。

「了解。18:30に中国支社のロビーでね。」
葉子がそう答えた。

「了解ですぅ〜。あっそうだ!葉子おねえちゃん。これあげます〜。」
そう言ってあすみは一枚のメモを差し出した。

「なに?」

「葉子お姉ちゃんは調査任務は初めてだから、あすみのノウハウをそのメモに書いておいたんです〜。」

この言葉を聞いて、かすみと葉子は冷や汗をかいた。

このメモを受け取るべきかどうか葉子は迷ったが、実際あすみは調査任務の経験は長く、葉子は初めてだ。

少なくとも1つや2つは役に立つ事もあるだろうと思い受け取ることにした。

「ありがとう。参考にさせてもらうわ。」

「それと、『ヒュドラ』が動き出したって話もあるみたいだから、気をつけてね。」

かすみはそう言うと、あすみと二人でタクシーに乗り込んだ。
二人が乗ったタクシーを見送りながら、葉子はふと考えた。

(あれって、経費で落ちるのかしら?だったらあたしもそうすれば良かったかな・・・。)

とりあえず葉子は周囲がざわついているのを気にしながらメモを見てみる事にした。

自意識過剰と思われるかもしれないが、周囲の目線が自分に集まっているようで気になるのだ。

実際、葉子は周囲の男どもの視線を一身に集めていた。

なにせ、先程まで一緒にいたかすみ&あすみにしても、まさに「男の理想」を絵に描いたような容姿をしているため無理はない。

まして、人の往来の激しい駅という場所で、特に約束があるような様子のない美女が一人たたずんでいたら目立つのは自明の事だ。

「おい。あの娘一人なんかの?」

「じゃったら声かけてみるか?」

「じゃがのぉ・・・あげな別嬪がわしらの話なんぞ聞くかの?」

「イチかバチか。声かけてみんとわかるまーが。」

こういったヒソヒソ声が周囲から聞こえてくる。が、とりあえず葉子はメモに目を通す。

「なになに・・・・・『あすみメモその1。調査任務は目立ってはだめですぅ。』か・・・・じゃ、あたしいきなりダメな気がするなぁ。」

まさにその通りで、今まさに勇気ある一人の若者が、葉子に声をかけるべく近づいて来ている。しかし!

「じゃ、姿を見せないようにしなきゃ。」

そう言うが早いか、突然葉子は姿を忽然と消した。今の今までその場にいたにも拘わらずだ。

本来ならこの後には一陣の風が残るのみ。だったのだが・・・・・・

「大変じゃ!!お姉ちゃんがいきなり消えたでっ!!!!」

「タタリじゃっ!神隠しじゃっ!!駅前の再開発に比治山の神様が怒っとるんじゃっ!!!!」

「けっ・・・けっ・・・警察!!けいさつぅ〜!!」

「鉄警でええんかっ!?」

「なんでもええっ!はよ呼んで来いっ!!!」

まさに蜂の巣をつついたかのような大騒ぎになってしまったのであった。







狭く薄暗い部屋の窓際にソファ・ベッドが置いてある。

そのソファ・ベッドに体の大きな男が寝そべっていた。

その男は寝心地悪そうに上半身をゆっくりと起こすと、近くに置いてあるテーブルに目をやった。

テーブルの上には120ml程度の小さなビンと、携帯電話が置いてある。

男はおもむろに小瓶を手に取ると、その中の白い液体を全て飲み干した。

小瓶をテーブルに置くと、携帯電話に手を伸ばし、ダイヤルボタンを不器用に押した。

暫くの静寂の後、電話の相手の「もしもし?」と言う声が彼の耳朶に響いた。

男は少し間を置いて喋った。

「もしもし、あんたが社長さんですかね・・・・・?」
1-2 かしまし娘来広す 了
闇の裏側にありし者

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