闇の裏側にありし者
愛しい人よ。何故我が心に応えぬ。
愛しい人よ。私に何が足りないと言うのだ。
愛しい人よ。あくまで私を拒むなら。
愛しい人よ。貴方の愛する全てを奪い去るまでだ




『彼女』の姿を目にする者は誰もいない。
なぜなら、『彼女』の姿こそが死の象徴であり、積屍気の使者だから。
今宵、『彼女』は西へと向かう。
冷たく輝く一陣の風と共に。



「・・・以上が今回の計画の概略です。」

若い、すこし甲高い声が事務室のなかに軽やかに響く。

「なるほど。了解した。しかし鈴木君。あんたそのナリは中国人みたいじゃね。」

太く低い声で男はそう言った。

「それを言わんでくださいよ。気にしてるんですから。」

そう言って、笑った。

国道から少し南に下がった位置にあまり趣味のいいとは言えない、紫色をした背の低いビルが辺りの木々の中に埋没するかのように建っている。
西向きの窓から明るい午後の日差しが差し込む一階の事務室には二人の男が打ち合わせをしている最中だった。
テ−ブルを挟んで向き合って座っている二人の男のうち、一人は細身で背が低い。群青色の作業着が少し大きく見える。
胸には「MZモータース」の社印がオレンジ色の糸で刺繍されていた。
もう一人は濃紺の背広を来ていて、体格の良い彼にしてはその背広は少々大きいようだ。

「蓮城さん。少し痩せたんじゃないですか?」

作業着の男、鈴木が背広の男、聡に問い掛けた。

「ほほぉ。分かるかね?これでも5キロ程落としたのだ。わしだって必死じゃ。」

そう言って聡は愉快そうに笑った。

「しかし、あれじゃね。チェックも含めて8日以内か・・・・・・色つきで出せるかどうかは微妙じゃね。」

聡は苦笑いを浮かべならがそう言った。

「すいません。もし無理だったら色はいいっすよ。」

鈴木は申し訳なさそうに言った。

「そうは言っても圧延機自体はそんなに複雑な格好をしているわけでもないし、まわりの背景は写真のはめこみじゃしね。ま、がんばるよ。」

そう言って聡はテーブルの上に置かれた資料をかき集めた。

「じゃ、これらは借りて行くよ。それと、圧延機の設置場所をデジカメで撮って帰りたいんじゃが。」

「ご案内しますよ。工場はここから近いですし。」

こうして凸凹コンビは工場へ向かって歩き出した。移動の間中、二人は鈴木がアルバイトを辞めて以降の会社の動向等のとりとめのない、ただし生臭さが多少ある話題で盛り上がっている。
先にたって廊下を歩いている鈴木は突然、聡の予想に反して出入り口を通り過ぎ、建物の二階につながる階段を昇り始めた。

「ありゃ?工場に案内してくれるのではなかったのかね?わしとしては小学校の社会見学以来で楽しみにしとったんじゃがね。」

聡が疑問を口にした。

「ああ。工場とは言っても最初に機械を置くのは生産工場ではなくって実験工場なんですよ。この建物の二階部分がそうなんです。」

鈴木の説明に納得した聡は彼に続いて階段を昇った。

「なるほどね。試す前の機械をいきなり工場には置けんのか。ってコトはまだ現場に出てはいないものの、最新鋭の設備が置いてあるってわけじゃね。」

目を輝かせる聡に鈴木は笑って答えて言った。

「そうですよ。10〜200程度の部品ならここで作る方が早いくらいですよ。」

二階に上がって来た二人は奇妙な違和感を覚えて立ち止まった。

「おかしいな。だいたいここには守衛さんが居て、所属と目的を書類に書かないと通してもらえないんですよ。変だな・・・・・・誰かいませんか!?」

受付窓口から顔をつっこんで鈴木が中に呼びかけたが返事が無い。奥の守衛室にも人の気配が全く感じられなかった。
窓から顔を戻した鈴木が向き直るってみると、聡は床にしゃがみこんでいた。
車が2台並んで通れそうな、広い緑色のタイルが敷きつめてある廊下の上を手でさすったり、床につくほど顔を近づけて何かを探しているようだった。

「何してるんです?蓮城さん。」

鈴木が聞くと聡は立ち上がった。その表情は鈴木がかつて見たこともない程厳しい表情をしている。

「鈴木君。おそらく守衛さんは二人じゃろ?その人らは、今工場の中におるなんかにやられたんかもしれん。生きとるかどうかはわからんが、わしはできるだけの事をやってみようと思う。」

聡の、普段とは違う語気の強さに鈴木は押されるかのように後ろに下がった。

「出てくるで。ドアんところを見よりんさい。」

聡がそう言った途端、鈴木の目には信じられないものが写った。
厚さ100ミリの鋼鉄でできた実験工場のドアが凄まじい轟音を立てながら、まるで折り紙のように折れ曲がって飛んでいった。
そして、その後になんとも形容できない『生き物』が工場から飛び出してきたのである。

鈴木は最初、アクションアニメのワンシーンを見ているのではないかと思った。
工場のドアを破って出てきたものは大きさにして全長約3m程であった。その姿はまるで、MZモータースが世界に誇る軽自動車「カーロック」が飛び出したかのように見えたからだ。
しかし、軽自動車のようなもののすぐ後ろには長く太い何かが続いているため、それが自動車でない事がすぐにわかった。
その『生き物』の正体を見定めようとして鈴木は絶句した。その『生き物』はまるで蛇のようである。
ただ、蛇と呼ぶにはあまりにも巨大だ。なぜなら、鈴木が最初に車だと思った部分は、その『生き物』の頭部に過ぎなかったからである。
あまりの出来事に身動きどころか、息すらもできないでいる鈴木を、その『生き物』は赤い目で睨みつけた。
恐怖の余りその場を逃げ出そうとした鈴木に聡は

「逃げるな!!」

と強い口調で言った。その言葉の余りの強さに、鈴木だけではなく巨大な蛇の化け物も動きを止め、こちらの様子を窺っている。
立ち止まった鈴木は、理由もなく安堵感が全身に広がって行くのを感じた。
聡の言葉を聞いた瞬間に、それが何故だかはわからないが、目の前にいる巨大な蛇の何を恐れる必要があるのかと思えてきたからである。

聡の言葉に一度はその動きを止めた大蛇だったが、再び二人の方に向き直ると、弾丸のような早さで二人に襲いかかった。
聡は大蛇が向かって来るのと同時に大蛇に向かって突進した。
鈴木の目には巨大な影と、それと対決するにはあまりにも小さな影が一瞬の間に交錯したように見えた。
そして、次の瞬間に目の前に広がっていたのは、約2m間隔でバラバラに切り裂かれた大蛇が散乱した実験工場前の廊下の風景であった。
ドラムカンのように見えるのは大蛇の切り刻まれた胴体で、聡の近くに転がっている一際大きな塊は頭部のようだ。

「ああ。やっぱり食われとったわ。でも、消化してはなかったみたいじゃね。」

そういって聡が指さした方に鈴木が目をやると、転がっている胴体の一部から人間のものと思われる足が二つ見える。
まるで黒いドラムカンに頭から突っ込まれているようなその姿は、この異常な状況でなければ笑いだしてしまうことだろう。

「警察に連絡して、化け物が出た事を言ったらええ。羽場狩って刑事なら話がわかるはずじゃ。その人が来たらバケモンはわしが始末したと言いんさい。」

この出来事をまるでちょっとした交通事故のような些細な出来事のように言い放った聡はそのまま勝手に実験工場の中に入り、数点の画像をデジタルカメラに撮影してさっさと帰っていった。
しばらくの間はぼう然としていた鈴木だったが、命を救われた事に感謝の言葉を述べたあとその場を離れた。



「・・・・・とまあ、だいたいこれがその出来事の顛末じゃね。写真は殆ど使い物にならんかった。なんせ、やっこさんが這い回った跡が工場のあちこちについてたからな。あれがあんたの言うやつじゃったらそげな事にはならんかったはずじゃ。」

事も無げにそう言い放った聡を葉子は唖然として見つめた。
仮に先に聡が述べた通り、その怪物が無限蛇(ウロボロス)に似せて作られただけのものだったとしても、そういったものを作った連中が正しい事にそれを利用しようとしていたとは考えられない。
であれば、退魔士や能力者等との戦闘に備えてある程度の戦闘能力を有していたと考えるのが普通である。
巨体とはいえ、厚さ100ミリの鋼鉄でできた扉を一撃で破壊しえる身体能力をもった怪物を一瞬にして倒したという出来事を、まるでその辺のチンピラと喧嘩して勝ったかのような言い方で語る聡の口調には、彼自身がそれ以前にもそのクラスの、あるいはそれ以上の力を持った怪物と闘った経験があるという事が如実に表れていた。

「それは一体どうやって?」

「ん?ああ。方法ね。なんちゅーことは無いよ。双蛇天衝で切り裂いてやっただけよね。」

聡はその時自分が大蛇に対して放った技の名前を口にした。だが、もちろん葉子にはその技の名前も、それがどのような技なのかも想像がつかない。

「あの・・・そーじゃ・・・・?」

「双蛇天衝(そうじゃてんしょう)。蛇拳じゃけん!」

ピシリとそう言い放った聡を葉子はぼう然と見つめた。オヤジギャグと言うにしてもあまりにも粗末だったからだ。

「笑いんさいや・・・・これを言いたいがために必死で蛇拳を習得したと言うのに。」

「はぁ・・・・・それでその後の事は聞いてないんですか?」

冷や汗をかきつつ葉子が聞いた。

「うん。なんでもIMSOの役人が来てその蛇の核を持って帰ったんじゃと。詳しくは知らんが、あの蛇の3つの目の内、トカゲなんかの顱頂眼(ろちょうがん)にあたる場所にあった赤い目が核だったらしいよ。」

聡は至極当たり前のように言いはなったが、葉子にはチンプンカンプンだった。ただ、聡の語調からして3つあった赤い目の内、額にあった目が核だったらしい。もっとも、その部分を額と呼ぶならの話だが。

「それで?あんたがその気の毒な蛇の飼い主なんかな?」

聡のその言葉とほぼ同時に、葉子が座っていたイスが真っ二つに切り落とされた。
しかし、それよりも早く葉子はテーブルの上を側転して聡の横に移動している。あまりの素早さに聡も、攻撃をしかけた「男」も唖然とした。

「へぇ。良くかわしたな。以前より数段早い。」

軽薄そうであるが、言葉そのものに殺気がこもっていると言っても過言ではない口調でその「男」が言い放った。
葉子が向き直ると、先程自分が座っていた位置から二歩程離れた場所に攻撃を仕掛けて来た「男」が立っている。
やや暗めの茶色い髪の毛は無造作に伸びている。だが、全く手入れをしているとは思えない聡とは違い、女性が羨む程艶やかだ。
左右の目はそれぞれ瞳の色に違いがある。右の白銀の瞳の奥には渇いた、そして静かな殺気が。左の赤い瞳には狂気と動乱の光が宿っている。
黒い革製のジャケットとパンツはヘヴィ・メタルなんかの信奉者のようなファッションだ。
腰のベルトにつり下げられている銀とも白銀ともつかない美しい剣の柄には流麗な古代文字が掘り込まれている。
聡はその柄の模様を黙って眺めていたが、その言葉の意味を理解したのか男の顔をしげしげと見つめた。

「久しぶりのわりには随分なご挨拶じゃないかしら?“魔剣士”さん。」

酷く冷たい口調で葉子が言い放った。

「えらく冷てぇ言い草だな。あんたとは8年もの付きあいじゃねぇか。いいかげん名前で呼んでもらいたいもんだな。」

「鵜飼 政道(うかい まさみち)。『メギド王の反逆』の後、アスターテから逃れた古代魔人族の末裔か。」

聡のその言葉に驚いた葉子と政道は、イスに座ったまま事のいきさつを見守っていた彼にほぼ同時に向き直った。

「その剣の由来はご存知かな?もしご存知ならば後学のためにどこでそれを手に入れたか教えてもらいたいもんじゃね。それと葉子ちゃん。ピンクのフリルつきってのは、あんまりにも少女シュミ・・・・・ぶべらっ!!」

聡の左顎に葉子の右ストレートがクリーンヒットし、言わんとした事の途中で床に崩れ落ちた。

「どこ見てんのよっ!!!」
床に突っ伏した聡に向かって葉子が怒鳴った。しかし政道は

「へえ。たいしたもんだな・・・・・」

冷静にそう言った。

「あんたもアホな所で感心してんじゃないわよ!」

葉子のするどいツッコミを無視して政道は言葉を続けた。

「あんたら女にゃ、それ程関係ない話かもしれないが、タイトなミニスカートってのは案外中が見えねぇもんだ。おまけに、さっきのあんたの動きは恥ずかしながら俺は目で追うのがやっとだった。にもかかわらず、そいつはピンポイントでほとんど見えねぇあんたのスカートのすき間からパンツの色だけでなく、形まで見抜きやがった。」

そう言われて葉子は少し驚いた。しかし、それなら何もそのことわざわざを公表しなくてもいいじゃないかと新たな怒りがわきたって来た。

「おまけに、俺やこの剣の素性に明るいらしい。これはどうやらじっくり話をしてみる必要がありそうだな。」

政道はそう言って凄絶な笑みを浮かべた。

「あら。彼は私が最初に見つけたのよ。順番は守って欲しいわね。」

そう言いながら葉子は両の手の平を合わせ、小さく印を結んだ。

「悪いが、今回は遠慮してもらいたいね。」

政道は腰間の剣に手をかけた。

「イッチチチ・・・・おわっ!お二人さん。店の中での戦闘行為は・・・・」

聡は一触即発状態の二人をいさめようとしたが時は既に遅かった。

轟音と共に赤々とした焔が「銀の雫」の天井を吹き飛ばして夜闇に暗い藍色に染め抜かれた空に昇っていった。
その火柱は上空30mにも達した。その形はまさに空翔る龍のようであった。
葉子の『焔参之型“小龍”(ほむらさんのかた・しょうりゅう)』である。

辺りには木片や建材に使用されていたゴムなどの焼けた、すえた臭いが充満している。窓ガラスが砕け散って床に散乱し、そこかしこに炎がくすぶっていた。
焔が放たれる瞬間にテーブルの影に身を隠した政道は

「ここじゃ狭いな。場所を移すぜ!」

そう言うと、店の外に飛びだして行った。

「待ちなさい!今度こそ決着をつけてやるわ!!」

葉子はそう怒鳴って、夜の闇の中に消えた仇敵を追って飛び出して行った。

店内は焼け落ちた天井が灰となってパラパラと落ちた。
散乱したテーブルやイスの下敷きになっていた聡が、ようやくそのみじめな状態から脱したのは葉子と政道が店を飛び出してから2、3分後の事だった。

「あいたたた・・・・・今日はロクな目に合わんな。とっとと家に帰って寝る予定じゃったのに・・・・今日が週末で良かったよ。これで明日が仕事だったら目もあてられん・・・・・・ん?」

服についた汚れや灰を払いながら立ち上がろうとした聡の視界の片隅にある物が写った。
チラッと目に映っただけのそれは一瞬見落としそうになる程小さい。
しかし、その形は聡の記憶の中にありありと残っている。が、その記憶の中にある形と今視界の隅に写るそれの形は良く似てはいるが違っている。
聡の脳裏に嫌な予感がよぎった。

「このところ、だいたい嫌な予感ってのは最悪の形で的中している。おそらく今回もそうなんじゃろうね・・・・・」

半ば諦めたような口調で誰に言うともなくそう呟くと、聡は無残な姿に変わり果てた、愛用の“それ”に近づき、跪いて手にとった。

「ああ・・・・・長年愛用していた(つっても3年位だけど)わしのツダのスリーピークスが・・・・・せっかくアケミちゃんがわしの誕生日にくれたのに・・・・・」

今聡が手にしているのは先程まで楽しんでいた愛用のパイプの変わり果てた姿であった。葉子の『焔』の技によって、葉を摘めるボウルも、口にくわえるステムも見事に真っ二つに割れてしまっている。

「これじゃ修復もできんじゃろうて・・・・・・折角ええカンジでカーボンがついとったのに・・・・・ハッ!」

変わり果てた姿になってしまった愛用のパイプを手に悲しみにくれている聡の背中を恐るべき殺気が貫いた。
幾度となく成り行きで怪物や戦闘能力者と闘った経験のある聡であったが、これほどの凄まじい殺気を一身に受けたのは初めてである。
途端に息もできなくなり、冷や汗をかいた。その冷や汗が脂汗に変わるのにそれ程時間はかからなかった。
殺気を放っている本人が聡のすぐ後ろに近づいて来たからである。
聡は自分の心臓の音が外に漏れているのではないかと考えた。それ程今の自分の動悸が激しいのがわかる。
殺気の持ち主はゆっくりとした歩調で聡の背後に迫った。自分の存在を隠そうともせず無造作に歩いて来たのである。この出来事は聡の心胆を寒からしめるには十分であった。

「聡く〜ん?これは一体どういう事なのかしら?」

その恐るべき殺気とは裏腹の妙に優しい口調がその緊迫の度合いを増すエッセンスとなる。
聡はあまりの恐ろしさに後ろを振り返る事ができないでいた。

「いや・・・・・これはね。美咲ちゃん・・・・・・」

聡がありったけの勇気を振り絞って言葉を発した瞬間、殺気は怒気に転じた。

「どうしてくれるのよ!毎回毎回来るたんびに店の物壊したり、他のお客さんと喧嘩したり!!揚げ句の果てには店の天井吹っ飛ばして!!!しばらく営業できないじゃないの!!!!」

畳みかけるように美咲が怒鳴った。その剣幕はたとえ地獄の閻魔大王ですらもたじろがせるには十分であったろう。
言葉に困っている聡を美咲はまだ睨んでいる。だが、先程のそれとは多少様子が違っているように聡は感じた。

「・・・・・聡くん。」

それまでの、あからさまに怒気が混じった口調とは違った、やや冷静な言い回しで美咲が聡に問い掛けた。

「ハ・・・・ハイ。」

極力美咲を刺激しないように聡は答えた。

「アケミちゃんってどこの女よ?」

「ハァ?」

突然の予想もしなかったこの質問に虚をつかれた聡は間抜けな嬌声をあげてしまった。
しかし、美咲の方は先程と変わらない厳しい目線で聡を睨みつけている。
聡はニッと笑うと

「なんね。結局そっちが気になっとったんね。心配せんでもええよ。アケミちゃんってのは浩ちゃんとよく呑みに行く店の女の子よね。なんもやましい事はしとらんって。」

そういって美咲の肩を抱き寄せると頬に口づけした。

「さて。わしは今からおいたをした二人を追っかけるとしようか。店の修理代とか、休業時の保証なんかは葉子ちゃんの会社の社長さんと話してみるよ。それから、今日のチョコパの代金はつけといて。こんな状況で金払ってもどうにもならんじゃろ。」

そう言って聡は美咲に背を向けると、近くにある壁に開いた大穴から店の外に出た。

「待って!!」

走り出そうとしていた聡を突然美咲が呼び止めた。聡が振り返って見ると、店の中から美咲が心配そうに聡を見つめている。

「気をつけて・・・・それから・・・・・また来てね。」

今にも泣き出しそうな美咲を安心させるように聡は微笑むと

「もちろん。今度はこんな事が起こらんようにゆっくりとね。」

そう言って手を振ると聡は急ぐ事なくその場を歩いて去っていった。
美咲はだんだん遠ざかって、やがては小さくなっていく聡の背中を、夜の闇が遮ってしまうまで見送った。



「ちょっと!さっき通った場所に出たじゃないの!!」

街灯の少ない、狭い道路に足音を響かせながらかすみは後ろの妹に怒鳴った。

「だって、機械がこっちだって言ってるんですぅ。」

姉の怒声に答えて、あすみが言った。

夕闇に染まった広島市の中心部から郊外へ南に向かっている筈の二人だったが、実際にはほとんど道ははかどっていない。
西野怪物駆除株式会社の中国支社から持ち出したエニシング・ディテクターは、その中国支社のあるビルから南東に約1.5km程の場所で反応していた。
媒体には葉子のバッグを使った。新幹線から降りる際、葉子が置き忘れていたものをあすみが(間違って)持って降りたものだ。
3.5インチの小さなTFT画面の殆ど外れの方に点滅する白い点を目指して二人が移動を開始してから、かれこれ1時間が経過している。

「だいたい、どうなってんのよ。横の道に曲がったのに、いくらも進まない内に元の道に戻るなんて。誰がこんな道作ったのよ。」

かすみがぶつくさと文句を言った。が、ここは彼女の意見が正しいと言えるだろう。
多くの川から土が運ばれてできた堆積地と言っても過言ではない広島市では、縦横の道路を整然と並べる都市計画は立てづらい。
さらに、二次大戦中のあの忌むべき災いによって一度焦土と化した町に多くの小さな家が乱立し、それを縫うようにして道路が通っていたのだからこれは仕方のない事だろう。
近年は新たに区画が整理され、郊外も整然として来てはいるが、中心部まではそうはいかないらしく、あたりには何の意味があってそこにあるのかわからない道路が数多く存在する。
これが広島市の直面している現実である。
とはいえ、そんな事にいちいち構ってはいられない。二人としては、一刻も早く葉子と合流するべく最善を尽くす他なかった。

理由は二つある。
一つは、会社の人間の全てが考えていたよりも、蓮城聡という男が危険な存在であるという事が分かったという事。
もう一つは、中国支社の支社長であり、かつて二人に退魔のイロハを教えていた松井との約束であった。

「私は一度、20:00に君たちの泊まっているホテルに連絡するからね。もし、その時君たちがホテルにいなかったら明日はお仕置きから入る事になる。」

松井の“お仕置き”の言葉に二人は身震いした。彼の“お仕置き”とは、実は業界でも広く知れ渡っているのだ。
その名も「お尻ペンペン」である。松井は、相手が誰であれ、罰を与える必要があると感じた時は必ずこれをやる。しかも、公開で。
多くの同僚達の目の前でお尻を叩かれる姿をさらけ出すハメになるのである。これはいいトシをしている者にとっては物凄く恥ずかしい。
おまけに、松井と言えばその身体の屈強さは業界でも屈指である。そのありあまる膂力と分厚い手のひらで尻を叩かれるのは本当に痛い。
以前、かすみもあすみも何度もその目にあったわけだが、最低でも3日の間はイスに座る事すらできず、痛みが完全に引くには1ヶ月以上はかかるのだ。

「あれだけは、されたくないですぅ〜。」

のんびりした口調であすみが悲痛な叫びをあげた。かすみもこの意見には激しく同意した。
そのためには、一刻も早く葉子を見つけ合流し、必ず20:00までにホテルに帰る必要がある。

「あっ!お姉ちゃん。この広い道はまっすぐ南に向かってますぅ〜。」

「おまけに、都合のいいあたりで東に向かってるわね。あすみ。急ぐわよ!」

「は〜い!!」

あすみの元気のいい返事を後に、かすみはスピードを速めた。道に不案内とはいえ、少し時間を費やし過ぎた事をかんがみての事である。
片側3車線の広い道路は、しかしそれすらも狭いと言わんばかりに込み合っていた。
大きさも形もさまざまなテールランプが二人の眼前の風景をネオンサインのように彩っては過ぎ去って行く。
優に3mはある広い歩道にも、仕事帰りのサラリーマンや、出勤途中の夜の仕事の人などバラエティ豊かだ。
その歩道を目に見える風の如く疾駆する二人は、やがて徐々に西よりに伸びている大通りに別れを告げ、左の細い路地裏に足を進めた。
小さな商店街の裏を縫うようにして走っている狭い路地は、おおよそ二人の目的地であろう東寄りに伸びていた。
かすみが蹴り倒したポリバケツをあすみが立て直しながらしばらく進むと、突然二人は不自然に広い場所に出くわした。
周囲の風景はそれまでのせせこましい雰囲気はなくなり、やや大きめのビルが見える。
ビルの切れ目から満月にはまだほど遠い月が、まるで真っ暗な海に浮かぶかのようにボンヤリと白い光を放っている。

刺すような冷たい光を放つ月にちらりと目をやったかすみは、その光の中にケシ粒程の小さな黒い点があるのを認めた。
本来であればそんな事を気にせずに先を急ぐところだが、妙に気になって足を止めてしばらく見ていると、やがてその点は誰の目にもはっきりと写るほどの大きさになった。
不意に、どこからともなく泣き声とも叫び声とも付かない声が風に乗って聞こえてきた。周囲の建物に反響しながらその広場のような場所に響き渡っている。
何か、酷く兇悪で禍々しいその声は高くなり低くなり、最後はつんざくような悲鳴となって消えた。

まるで、氷のように冷たい手で心臓を直に触れられたかのような感覚に耐えながら、かすみが後ろを振り返ると、あすみは立ち止まった姿勢のままガタガタと震えていた。
先程までの無邪気な笑みはなりを潜め、恐怖と苦悶がその顔に浮かんでいる。二人ともかつて、これほど恐怖心をかきたてられた事はない。

互いにかける言葉もないまま言い様のない(そして謂れのない)恐怖心と必死に戦っていると、不意に前方から足音が聞こえてきた。
一定のリズムで刻まれるその靴音は、確実に二人に近づいて来た。二人は先程の叫び声のようなものを発したものが近づいているのではと考え、一度月に目を向けた。
先程見えた黒い点は既になく、月はまた先程と同じようにある種の冷たさを含んだ白い光を放っている。まるで暗闇の海に浮かぶ一槽の小舟のようである。

どうにか平静に戻る事のできた二人は改めて足音のする方に目を向けた。考えてもみれば妙な話である。
都市計画の関係で、狭い道から突然広場に出るというならそれはそれでよい。
だが、小さな居酒屋等が数多くあるこのあたりにしては余りにも人通りが少ないのではないか?
裏路地に入ってからこのかた、人には一人も出会っていない。大通りにはあれだけ人があふれていたにも係わらずである。
きっとその答えは今自分たちに近づいて来ている人物にかかわり合いがあると確信した二人は、目を合わせると軽くうなずきあい、かすみは自らの愛刀に、あすみは手持ちの呪符に手をかけて身構えた。

コツコツコツ・・・・・
やや軽めの音が周囲に響いている。おそらくは女性か、子供だろう。
コツコツコツ・・・・・
足運びからして重い武器を携えてはいないようだ。
コツコツコツ・・・・・
あと数歩で建物から姿を現すだろう。かすみは愛刀を鞘から音もなく抜き放ち、足音の主がいる通路の左側に移動し、あすみは呪符をあらわにして通路の正面に立った。
やがて暗い通路から一人の女性が姿を現した。

ほっそりとした肢体は優美の一言である。
やや小さめの頭の後ろで束ねられた長い藤色の髪は、結んであるにもかかわらず踝のあたりまで達している。
ルビーを埋め込んだかのような美しい双眸にはまるで今輝き始めた星の光が宿っているかのように美しい。
紡いだばかりの絹糸のようなすべらかな肌はまるでかすかに白い光を放っているかのようである。
初夏にはよく似合う、その肌の色にも匹敵するような美しい純白のワンピースの胸の部分には、夜の闇をその中に凝縮したような闇色に輝く黒い瑪瑙のブローチがつけられている。

「こんばんわ。」

優しい笑顔を浮かべて、まるで親しい友人のように女性が声をかけて来たので二人は面食らってしまった。
その姿といい、声質といい、先程の恐ろしいような叫び声の主とは到底思えない。
しかし、かすみが最初に月の中の黒い点をみとめた時と同様、形容しがたい異様な『何か』は消え去ったわけではない。

「西野かすみさんとあすみさんね。どちらがかすみさんで、どちらがあすみさんなのかしら?」

至極ゆっくりとした言葉で女性が言葉を続けた。
しかし、彼女の質問には答えずにかすみは刀の切っ先を向けた。

「あんたは誰?さっきの叫び声は何なのよ!?」

その赤い美しい目で射殺すかのような鋭い視線で女性を睨みつけながらかすみが言い放った。あすみはごく小さな声で呪文を詠唱している。

「あの声は私のものではないわ。私が呼び出した者の声よ。あなた達を見つけたら私に知らせるように命じていたから。怖がらせてしまったのならごめんなさいね。」

女性はかすみの視線に動じる事なくそう言うと、ニッコリと優しく微笑んだ。

(何者なのよ。この女・・・・・・)

酷く冷たいものが背筋と伝って行くのをかすみは感じ取った。

「貴女達はこれから葉子さんの所に行くつもりなんでしょう?でも、こちらにはこちらの事情があるから、悪いけどここで足止めさせてもらうわね。」

二人にゆっくりと視線をうつしながら女性はそう言った。
それ以上の言葉はなかった。音もなく抜き身の愛刀を震ったかすみは女性のその細い体を一閃した。はずだった。

ガキーン!!

冷たい金属音がした瞬間、愛刀はかすみの手を離れて中空に舞った。
ヒュンヒュンという空を切る音が聞こえるのは刀が恐ろしい速度で回転しているためである。
空高く舞い上がった刀はかすみが立っている所から十数メートル程離れたところに突き刺さった。
アスファルトで舗装された道路に深々と突き刺さった事からその刀の切れ味と、かすみが普段から油断怠りなく丹念に手入れをしていた事が窺える。

「いつつつっ・・・・・・」

利き手に鈍い痺れを感じたかすみはその手を押さえながら膝をついた。
その重い痺れと微かに残る鈍痛は、単に刀を払われたにも係わらず相手の攻撃の威力が尋常でなかった事を雄弁に語っている。

「ごめんなさい!大丈夫?」

心底心配そうな声で女性がかすみに声をかける。しかし、かすみは彼女を鋭い眼差しで睨みつけ、次の瞬間にはがく然とした。
女性の右手にはおそらくかすみの、なみいる剣豪達が舌を巻くような鋭い斬撃を防ぐのに使用したと思われる小さな金属器が握られている。
銀色に輝くその武器はその光からして、『まことの銀』と呼ばれる希少金属『ミスリル』で作られたナイフだとかすみは考えた。
しかし、その輝きはかつて一度だけ目にした事のある『ミスリル』とは比べ物にならない。どこにでもあるつまらない金属(例えば鋼)などが持っているそれとなんら変わりないものだった。

「ごめんなさいね。これより小さな刃物は持っていないの。」

そういって女性が月光の元にあらわにしたその金属器は、何とパンにバターを塗るバターナイフであった。

(そ・・・・そんな・・・・・・そんなものであたしの攻撃を防いだって言うの・・・・・・・)

あまりの出来事にかすみは言葉もなく女性の手の中にあるバターナイフをじっと見ていた。すると

「お姉ちゃん伏せてぇ〜!!」

後方から妹の、彼女にしては緊迫した叫びが耳に入り、かすみはその場に伏せた。
その伏せようとしているかすみの頭上わずか数センチの所を、かすみの頭の約2倍程の大きさの火球が3つ通り過ぎた。
ごく初歩の火炎魔法ではあるが、超一流の魔術師に引け劣らぬ術者であるあすみが放ったものである。
その威力は第二次大戦中に陸戦においてその勇名をはせたドイツが誇る最強の戦車『キングタイガー』クラスの装甲をも簡単に破るほどの威力である。
しかし、女性は左の手のひらで、まるで自分に向かってきたハエを払いのけるかのようにこの火球を弾き飛ばした。
女性の後方に逸れていった火球は地面に激突するや、凄まじい轟音をあげで爆発した。

「すごいわね。あれだけの間に、あんな威力の火炎魔法を放つなんて。」

女性が驚きの念を込めてそう口にしたが、それを放ったあすみの方は呆然としている。当然だろう。
彼女としては、それで相手にダメージを負わせる事ができなくても、最低限足を止める事はできると考えていたのだから。

「それで?次は何を見せてくれるのかしら?」

いつしか、女性の蒼い美しい瞳は妖しい紫色に染まっていた。



街灯の少ない、古い暗いくねくねした坂道を聡は考え事をしながら下っていた。
両わきには既に使われていない古びた電柱が朽ち果てた姿を無残にさらしている。
はきつぶした古いスニーカーには所々穴が開いている。そろそろ、というよりも随分前に買い替え時を過ぎているようだ。
所々ひび割れたアスファルトを踏みしめながらゆっくりと歩いている聡はふと足を止めた。

「ああ。やはりあの人の家系だな。カンが鋭い。」

そう言って一息ついた。

「この後起こる事を少なからず予見しているようじゃ。それで、あんたはそれにどれ程の役割を果たすのかな?」

そう言って聡は振り返ったが、そこには誰もいない。人はおろか、生き物のいる気配すら感じられなかった。
しかし、聡は確信を持って、自分から少し離れた所に立っている電柱の影に視線を向けた。

「誰かと違って見事な穏行じゃが、悪いが鵜飼君が店に入って来た時にあんたが一緒に居たのは知っとったよ。ついでに言えば、あんたら二人が店に入って来る前からあんたらの存在は感じていたよ。」

聡が電柱の影に向かってそう語りかける姿を他人が見たならば、急いで119番に連絡した事だろう。そして、次に腰を抜かす程驚くべき事態を目の当たりにする事となるだろう。
なんと、聡の言葉が終わるのとほぼ同時に電柱の黒い影が盛り上がり始めたのである。
上昇する気流が目に見えているかのようにじわじわと体積を増やして行く影はやがて人の形をとり始めた。
暗い闇色に染まっていたはずの影は、その形が徐々に人間の姿に近づくにつれて鮮やかな色をなして行く。
やがて一人のやや細身の女性のシルエットが電柱のそばに浮かんだ。

海の深い闇が色をなしたかのような黒と深い碧を混ぜたような美しい髪は彼女の肩ほどの長さで切りそろえられている。
その髪の色と良く似た美しい色の瞳には、その美しさとは程遠い邪悪な光に満ちあふれている。
繊細な精神の持ち主であればその目で見つめられただけで気を失ってしまうだろう。
小さめの唇はその肌の白さのために異様に目立つ。どこか妖しく、どこか陰うつな、そして危険な色香を放っている。
夜闇に紛れる程の漆黒のスーツの胸元には、それでは隠しきらない程豊かな胸がきつそうに納められている。
タイトなスカートはその魅力的なヒップラインをより際立たせているかのようだ。

「ご存知でしたか。さすがですわね。」

美しくも、酷く無慈悲な声で彼女がそう言った。

「彼の事をご存じでしたら私の事も見知っておいていただきたいですわ。」

「知らんわけぢゃないが、確信がないな。できれば名乗って頂けんかね?」

緊迫感の全く無い声で聡がそう促した。

「カルマ・カルキリア。ヒュドラ・7使徒の一人ですわ。」

冷たい風が聡の周囲を吹き抜けた。その風にゆれた草の葉擦れの音が聡の耳に届く。
いや、ひょっとするとその音は風のせいではなく、彼女の名を聞いて草花が震えた音なのかもしれない。

「なるほど。あんたが2年前の騒動の折りに、世界最強と言われたインド国軍の退魔士部隊『アガスティヤ師団』を壊滅させた『闇なす影』か。お会いできて光栄なことじゃね。」

「瓦解させたのは確かですが、全滅まではできませんでしたわ。少々尾ひれが大きいようですわね。でも、ご存知で頂いてこちらこそ光栄ですわ。」

カルマの言葉とともに、周囲の暗さがいや増したように聡は感じた。

「で、わしに何の用かな?わしは今から知りあいの店でおいたをしでかしたあんたのツレに2、3文句を言ってやらねばならんのじゃがね。」

「残念ですが、それはできないでしょう。ほら。」

そう言ってカルマが自分の足下を指さすので聡が見ると、なんと自分の体が足首のあたりまで地面に埋まっているではないか。
既に埋まっている部分は痛覚も触覚もいっさいない。抜け出そうと体を動かしてみるが、足は抜けるどころか、まるで底なし沼にでもはまったかのように少しずつ地面に沈んで行く。

「いかがですか?自らの影の中に没している気分は?」

相変わらず無慈悲な声でカルマが聡に言葉をかけた。その間にも聡の体は影の中に沈み、今や地上にあるのはわずかに首から上だけとなってしまった。

「あ・・・・あんま気分のええモンじゃないな。ところで、あんたらはわしになんか話があったのではないかね?これは話をするには適切な状態とは思えんのじゃけど。」

聡が困り顔に微笑を浮かべながらそう言った。

「私はそのつもりはありませんわ。私が貴方に望むのは私の質問に答える事のみ。」

その美しい顔に凄絶な笑みを浮かべてそう言った。瞳の奥に眠っていた相手を抹殺したいという渇望が妖しい光となって宿っている。

「私の質問はただ一つ。私たちの仲間となるか否か。それだけですわ。」

無慈悲で、それでいて強圧的なその声はまともな精神の持ち主であれば無条件で従うところである。だが、この無神経な男は

「や〜です♪」

完全に相手をバカにした口調でそう言い放ったのである。

「・・・・・貴方のその豪胆さに免じて、最後の言葉を聞いてあげましょう。」

それまでの冷たい高圧的な口調とはやや違う、ある種のやさしさと恐ろしさを秘めた言葉をカルマは口にした。

「そんじゃ言わせてもらおう。白いパンティがかわいいね。」

この期に及んでも聡は命ごいらしい言葉を発しなかった。カルマは密かに感心したが、聡が口にした話題は彼女にとっては不快だった。
カルマは聡の頭を踏みつけて

「残念ですが、私と貴方の時間はこれで終わりのようですわ。」

そうカルマが言い終わると聡の首から上は勢い良く影の中に吸い込まれた。
消え際に聡が「あーれー」と言っていたのが微かに彼女の耳に届いた。

「一体どれ程の使い手かと思えば・・・・・この程度の男にMaterial 47が消されたなんて、信じられないですわ。」

地面に残った聡の影が、まるで砂に吸い取られるかのようにジワジワと消えて行くさまを眺めながらカルマがポツリと呟いた。

「任務完了。対象は消去。後は彼があの娘を始末するのみですわね。」

そう言って踵を返すと、カルマは聡が行くつもりであった坂の下の方へ一人立ち去っていった。
古いアスファルトに彼女の足音が響き渡たり、その足音は少しずつ遠ざかって行って、やがて消えた。
彼女が立ち去った場所には小さな暗いシミのようなものが一つ残っているだけであった。
1-7 Enemy approach 了
闇の裏側にありし者

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