闇の裏側にありし者
我が父よ。我は貴方の意志を理解した。
我が父よ。我の力をご覧になられよ。
我が父よ。我は闇の名を冠して光を統べる。
我が名はアルハドール。『光の側に立ちし者』



「あんた以前、わしの運命を見定める事はできんと言ったと思うが。」

―――それでも、私は感じる事ができるのです。―――

「で、結局どうと言うんかいね?」

―――貴方と彼女の運命は再び交錯します。これは2度目の邂逅です。―――

「で、その後は?」

―――貴方は再び彼女と別れるようです。―――

「なして?」

―――それは分かりません。私に分かるのはそこまでです。―――

「あっそ・・・・・・・役に立たんバァさんじゃ・・・・・」

―――・・・・・・(`_´メ) ―――

「あぁ!ゴメンなさい綺麗なお姉さん!!」



「そんな事があったんですかぁ・・・・」
大小様々な、それぞれの店が赴きの異なる夜の街。西日本でも五指に入る巨大な歓楽街を抱える広島市の中心部に、そのネオンの光の全てを見下ろすかのようにそびえ立つ巨大なビルがあった。
35階建てのそのビルは地上150mの高さを誇る。ビルの10階から上は全てホテルの施設となっていた。
今、西野姉妹はそのホテルの一室で一休みしている所なのである。

通常、こういった短期出張の場合は一般企業であればビジネスホテル等の格安の部屋をあてがわれるのが普通であるが、西野(株)では慣例的にその地にある比較的高級なホテルを使用する。
常に命の危険と隣り合わせの生活なのだから、こういった所で優遇されるのがこの業界の利点と言えば利点と言えるだろう。
この高級ホテルの28階にある、スーペリアと呼ばれるグレードの高い1室から広島市内の展望を眺めながら、西野あすみは自分が気を失っていた間の出来事を姉である西野かすみから聞かされている所であった。

広島市のやや南側に位置する小広い広場のような場所で、六魔焔の構成メンバー中、社長でもあり母親でもある西野那由から要注意人物として名を上げられていた人物、如月沙織との交戦から既に1時間ほど経過していた。
あすみの放った大技『焔伍之型・小龍乱舞』によって、そのあすみ本人が気を失ってしまっていた間の出来事をかすみは今妹に話していたのだが、沙織との口づけやその前に渡された黒い宝石の事は話すのを控えた。
何故だかはかすみ本人にもよく分からなかったのだが、この事(レズチューの話はともかく)は他人には話さない方が良いような気がしたからである。

「その後は大変だったのよ。あんたいつまで経っても起きないし。」

ひっくり返って幸せな夢を見ていたあすみは、かすみが往復ビンタを食らわそうが、わき腹をくすぐろうが、なんと口と鼻を同時に塞ごうが一向に目を覚ます事はなかったのだ。

「あははぁ〜。ごめんなさいですぅ〜。」

そう言って、美しい夜景から目を逸らして振り向いた妹の笑顔にかすみは少しため息をついた。
気を失った人間を一人抱えてホテルに移動するのは大変な重労働である。
しかし、ため息をついたのは何もそのためだけではない。
あすみの両頬がほんの少し赤らんで腫れているのが目に入ったからである。
それはかすみの往復ビンタによるものであった。
あすみがあんまりにも起きないのでしつこく繰り返したのだが、それが悪かったのだろう。
本人は痛みを感じていないようで、その事にまったく気がついていないようではあるが。
かすみは少々あすみにすまないと思っていた。

「とにかく、あたしはシャワー浴びて来るから、教官から連絡があったら適当に誤魔化しといてね。」

そう言うと、かすみはバスルームに姿を消した。
一糸まとわぬ姿でバスルームの鏡の前に立ったかすみは、沙織にまさぐられた自らの左胸をそっと撫でた。

最初に触れられた時の心臓が凍りつくかのような冷たい感触。
そして、それにも係わらず感じた胸が熱くなるような思い。
さらに、いつまでも頭から離れる事のない、あの柔らかい唇の感触。
ソチラの気のない筈の自分の心をこれほどまで捉える彼女の魅力とは一体何なのだろう。

ふと、かすみは後ろから誰かに抱きしめられるような感覚を覚え、驚いて振り向いた。
しかし、人影などあるわけもなく、そこにあるのはただのホテルの部屋とバスルームを隔てる壁とドアだけであった。
かすみは一つため息とつくと、気を取り直してシャワーの栓を回した。
暖かく心地良いお湯を全身に浴びながら、かすみの耳朶の奥に沙織が残した言葉が繰り返される。

『もし、貴女の周りを光をも通さない闇が覆う時、これが貴女を照らす光になりますように。』

あれは一体何を意味しているのだろうか。
そんな事を考えているかすみの耳に、部屋に備え付けの電話が鳴っているのが聞こえた。
この電話をもしかすみが出ていたら、電話の主は少々面倒な思いをする事だったろう。



葉子の視界は、まるで無間の闇が広がっているかのように何も見えなかった。
いや、自分が目を開いているのかどうかも定かには分からない。
ひょっとすると自分の視力が失われてしまったのではないかと考え始めた時灰色の、いや銀色とも取れる光がたった一筋差してくるのがわずかに見えた。
やがてその光はだんだん大きくなり、ついには葉子の視界の全てを覆い尽くしてしまった。

ゆっくりとその銀色の光が薄らぎ再び視界が開けた時、葉子の心は絶望で満たされた。
初めて見た筈であるにも係わらず、その風景にはなぜか見覚えがある気がする。
真っ暗な夜の空に、その夜闇よりも小暗い炎がうず高く立ち上っているのが見て取れる。
そして、その炎によって周囲の建物が燃えているのが分かった。
しかし、熱を感じる事は全くない。音さえも聞こえない。
だが、目に見える映像は恐ろしい程に鮮明であった。
ふと、葉子は自分の視線が普段感じているそれよりも遥かに低い位置にある事に突然気がついた。
その低い視界がゆらゆらと揺らいで見える。おそらく炎の熱によって空気が揺らいでいるのだろう。
どうやら、とても大きな日本家屋と思われる住居の縁側にいるようで、パチパチと音を立てながら飛び散る火の粉を振り払いながら、茶色い敷板の上を歩いていると、その先に何か黒っぽいものが見える。
近づいてみると、どうやらそれは倒れている人のようであった。

『とうさま。なんでたおれてるの?』

葉子の耳朶に幼い少女の声が響く。聞き覚えが無いにも係わらず、葉子にはその声が幼き日の自分のものであることがハッキリと分かった。
葉子の視界の中には血まみれで倒れている30代半ばの男性の姿がボンヤリと浮かんでいる。
おそらく藍色の美しい色合いだと思われるその着物には、あまりにも鮮やかな流血の跡が見て取れた。
初めて見た筈のその人物が自分の実の父親である事にすぐに気がついて葉子は動揺したが、その視界は突然左に向けられてしまった。

『かあさま。なんでひとみはないてるの?』

自らの意志に係わらず左に向られた視界の中に、20代後半の女性の姿が映った。
白いかすりの着物には、やはり先程の男性と同じように血痕がある。
その傷跡はあまりにも生々しく、正視に堪えるものではなかった。

『よ・・・葉子・・・・・瞳・・・・を連れ・・・・て・・・・・』

自分のそれに酷似した声音でその女性が、間違いなく葉子の母親であるその人が、息も絶え絶えに葉子に促す。
その言葉に背中を押されるかのように、葉子の意志に関係なく視界は再び動き始めた。
襖が開いて部屋の中に入って行くと、そこには見覚えのある幼い女の子が泣いていた。
紫がかった赤い長い髪の毛を左右に結んだかわいらしい髪が小刻みに揺れている。
母親のそれとお揃いのかすりの浴衣を着たその姿はロリコンの気のない者でも思わず抱きしめたくなる程に愛らしい。
それは紛れもなく、幼き日の彼女の最愛の妹、藤倉瞳であった。

『早・・・・・く・・・・・逃げて・・・・・』

背後から母親にそう促された幼い葉子は、泣きじゃくっている妹を抱きかかえて走り出した。
辺りは先程の夜闇よりも深い闇の色に染まっている。本能でそこに触れては命は無い事を悟った葉子はその闇の無いほうへ無いほうへと走った。夢中で走り続けた。
走っている内にその視界の先に白っぽい光が見え始め、その白い光に向かって必死で走っている内に葉子の視界は再びゆっくりと塞がれていったのである。

再び視界が開けると、そこには少しお腹の出た男性が立っていた。
短く刈り込まれた髪形はその精悍な顔立ちに良く似合っている。
太い眉毛は意志の強さを如実に表すかのようで、そのすぐ下の双眸には優しさと厳しさの両方を合わせ持った光が宿っている。
あちこちすり切れた空手着のような服をまとった、背の高いその男性の姿は見間違える事の無い人物であった。
四門会の北方・玄武門の守護者であり、防御および攻撃補助の権威と業界で呼ばれた男、ハリー・堀田であった。
周囲は見慣れた修練場である。白い壁に囲まれ、小さな砂利が敷きつめられた石庭のような場所であった。

『葉子。今日はこのお兄ちゃんに相手をしてもらいなさい。』

もはや永遠に失われた筈の、どれ程渇望しようとも聞くことのできない師匠の優しい声が葉子の耳朶に響いた。
その声に目頭が熱くなるのを感じた葉子の視線は、再び葉子の意志におかまいなしに横に向けられる。
そこには師匠と同じくらいの背丈の、しかしそれより幾分スマートな体形の若い男性が立っていた。
体のラインの美しさをハッキリと示すピッタリとした真っ白いTシャツは良く似合っている。
少しすり切れて色落ちしたジーンズは彼の長年の相棒のように違和感なく見てとれた。

『このお兄ちゃんはな。ある意味俺より強いぞ。』

そう言って愉快そうに葉巻に火をつけた師匠の言葉を聞きながら、葉子はおずおずとその男性を見た。
逆光のためその表情をハッキリと見て取る事はできないが、人の良さそうな優しげな顔のようだ。

『旦那。そりゃ言い過ぎよね。』

ケタケタと笑いながら師匠の言葉を否定したその男性の声は、悪い性情を持った人のようには聞こえなかった。

『いやいや。五賢王をもってしてもお前さんを殺す事はできん。俺なんぞも当然ね。まったく、この世でお前さんを殺す事のできる人間なんぞおらんだろう。倒すと言うなら話は別だが。とにかく、後の事はよろしく頼むよ。』

そう言うと、師匠はひと足先に引き上げていった。

『しょうがなぁの。ぢゃ、えーと・・・葉子ちゃん。お手柔らかに頼むよ。』

そう言うと、男性は葉子から少し離れた場所に移動した。

一礼して構えると、葉子はその全力を持って男性に挑んだ。
最初は葉子が一方的に押していた。おそらく男性が考えていたよりも葉子が強かったのだろう。
実力の差がどうあれ、先手を取られてしまった男性は葉子の、その年齢等からは想像もつかないような凄まじい攻撃に防戦のみを強いられた。
無様に尻餅をついた男性の頭部に得意の右足での蹴りをお見舞いしようとした瞬間、葉子の背中の数ヶ所を凄まじい激痛が貫いた。
あまりの衝撃にその場に倒れ、次の瞬間には視界は深紅に染まっているのに気がつく。
その赤い水たまりの中に倒れ込み、意識が遠のくのを感じながら葉子の耳に人が近づいて来る足音と、その人の言っている言葉が聞こえてきた。

『うわ!やり過ぎたよ・・・・・』

そして、葉子の世界は再び暗転した。その周囲を深紅に染めて。
真っ暗だった視界が再び開けると、葉子の目の前には男の後頭部が見えた。
見たこともない高い位置からの風景からして、おそらく背負われているのだろう。

『おお。気がついたかい。ごめんな。』

先程の男性の声が聞こえる。しかし、葉子は黙っていた。

『まだ痛い?』

優しい声音でそう聞いてくる男性の声に、葉子は首を振った。

『そうかね。ならええが。すまんね。あんたがあんまり強いから、おいさん手加減できんかったわいね。』

そう言われながら、葉子は不思議な感覚を覚えた。
大きくて広い背中。人に背負われるという経験がなかった葉子はなんだか気恥ずかしく感じている。
しかし・・・・・妙な嬉しさを感じて葉子は男性の背中によりかかって目を閉じた。
ふと、葉子は先程の攻防を思い出し、不可解に感じた。
目の前にいた筈の、おそらく男性の攻撃がどうして真後ろから来たのだろうか。

『さっきのはどうやったの?』

葉子は男性にそう聞いたが男性は

『ん〜口で説明するのは難しいな。もっと大きくなったら教えてあげよう。』

『本当に?絶対だよ!』

幼い葉子は嬉しそうにそう言うと、男性の背中に甘えるように擦り寄り、やがて眠りについた。



未だ意識が混濁している葉子は、低い声で何かを喋っている男性の声を聞いたような気がした。
思い出す事の出来ない遠い過去が幻影となって灰色の闇の中へ去り、薄暗い道路と街灯がボンヤリと視界に浮かんでいる。

(さっきのは夢・・・・・?)

しかし、どのような夢だったのかは既に記憶から消えかかっている。
戻る事の出来ない遠い過去への回想に過ぎない夢はもはや幻に過ぎず、虚無感に満たされた現実に引き戻された葉子の耳に再び呟くような男の低い声が響いてくる。

「・・・・うん。ま、そういうワケじゃけん、わしが預かるから。」

意識がハッキリし始めた葉子は、思い出す事の出来ない夢の事を頭の隅から追いやった。
そして、改めて聞こえてきた男性の声に耳を傾ける。

「いや、君らでは無理じゃ。今やこの傷を癒す事ができるのはわしともう一人しかおらん。」

誰と話をしているのか分からない。そう、彼の視線の先にはただ闇夜に浮かぶ月しかないのだ。
葉子をおぶっているため、両手は塞がっているので携帯電話を持つこともできない筈だ。
そして、そんなものを使用している風には見えないのである。
彼は一体誰と、どうやって話をしているのだろうか。

「大丈夫よ。心配しんさんな。明日の朝、そっちに車をよこすから。じゃあね。」

相手を安心させるような口調でそう言うと、男はやれやれと言った感じで首を振った。言うまでもなく蓮城聡である。

「あの・・・・・」

「ああ。気がついたかね。気分はどうだい?」

いたわるような口調で聡が葉子に優しく聞いた。

「脚と胸が少し痛いです。他は別に・・・・・・」

葉子がそう答えると、聡はしばらく黙っていた。

「脚と胸か・・・・・やはり傷が開いたようじゃね。」

そう言うと、聡は一度立ち止まって葉子を背負い直した。

「あの・・・やはりって・・・・・?」

葉子はそう質問しながら、サマーコートらしき物が自分に掛けられている事に気がついた。
どこから持って来たのだろうか。

「うん・・・・・政道君の持っとった剣はね。神さんにも『死』を賜る事のできる剣なんよ。あの【ドゥーヘイレンの忌むべき刃】は対象が実体であれ非実体であれ切り裂く事ができる。そして、その剣で切り裂かれた傷はどのような手をもってしても癒される事はない。実際、わしはあんたを背負う前に、あんたの体についた傷は全て消した。昼間にも言ったが、わしのそれはいわゆる回復魔法ではない。わしは、それが生き物であれなんであれ、1日以内であればそれを元の状態に戻す事ができるのよ。その力を使ってあんたの体を、あんたがわしに出会う前の状態に戻したのじゃが、にも係わらずその胸と脚の忌々しい傷跡を消す事すらできんかった。恐らく今は再び傷が開いて血が出とることじゃろうて。」

再び歩き出した聡の説明を聞いて、葉子は聡の力については少しは理解できたような気がした。
確かに、胸と脚以外に関しては痛みだけではなく、その日の疲れやそれに伴うむくみなどが一切感じられない。
どちらかと言うと冷え性で疲れやすい体質の葉子にとってはそれは不思議なことであった。
しかし、聡と会う前であれば単に広島にやって来ただけという事になるからそれ程の疲れはない。
時間を戻す。その力が何を意味するかの部分をこの時葉子は考えなかった。
もし、そのセンテンスに注意していれば、葉子はこの男の見えざる力にもっと驚いた事だろう。
だが、さしあたって葉子にとってはそれよりも考えなければならない問題があった。

「傷が開いたって・・・・・・・」

「くわしい事はわしにもわからん。だが、あんたの魂に斬りつけられた傷の事が残っている限りその傷が塞がる事はない。いかに回復系の魔法や呪符の使用に長けたものであろうと、人間離れした医術を持った医者であろうと、ね・・・・・・・・なにせ、学者どもが神代とか言っている時代をさらにさかのぼった、いわゆる上代に作られた呪いなのだからな。」

身震いがするほど恐ろしい話である。
聡の言ったセリフを要約すれば、それはつまりどのような手を使っても傷を塞ぐ事ができないと言う事だ。
そして、その傷からジワジワと血が染み出し、緩慢に死に向かって行くという事である。
さらに、学者達も知らない時代の事をこの男は知っている。これは一体どういう事なのだろうか。

「大丈夫。さっき政道君と闘いよる最中にもチョロッと言ったが、あの剣はまだ本来の威力を取り戻してはおらん。【モルガイの呪われし宝玉】が発見されていなかったのは幸いじゃ。とはいえ、その傷を治療できる者は今の時代には二人しかおらん。そして、運が良い事に、その内の一人は他ならぬわしなんじゃからね。心配しんさんな。絶対に治してあげるから。ただ、あんたもそれなりの覚悟がいるよ。」

聡はそう力強く言い放った。その言葉に葉子は安心したが、そうなると疑問は次々浮かんでくる。

「あの・・・聞きたい事がいっぱいあるんですけど・・・・・」

葉子が遠慮がちにそう言うと

「答えられる範囲であれば。」

聡はそう短く答えた。そして、葉子の最初の質問に聡は驚く事になる。

「お腹大丈夫ですか?」

「ハァ?」

聡は素っ頓狂な声を上げた。無理もないだろう。
おそらく最初の質問は、彼女の師匠であるハリー・堀田と自分との関係を聞かれるであろうと聡は予測していたのだ。
予想外の質問に少々戸惑いつつも

「ああ。もう大丈夫。心配いらんよ。」

冷や汗をかきつつ聡は答えた。背中で葉子がクスクス笑っているのがわかる。

(やれやれ・・・・・イタズラ好きなのは変わってないようじゃね・・・・・)

足早に過ぎ去ろうとする春と、希望と命が萌え出す夏の入り交じった、美(うま)し薫り漂う風をその身に受けながら、葉子は改めて聡に質問した。

そのうちの幾つかは質問ではなく他愛のない会話ではあったが、その会話の中で葉子は聡の隠された矜持の一端を垣間見る事になる。
それは、葉子が放ったこの一言だった。

「本当は正義の人だったんですね。」

しかし、聡は

「正義か・・・・・・わしが世界で二番目に嫌いな言葉じゃね。そんなもん、その人の立場によっていくらでも変わるからな。ライオンがウサギを狩ろうとしているのを見て、ウサギが気の毒だと思うのと同じ事よ。ライオンはウサギを喰わんと生きていけんわけじゃから、ライオンの側からすればウサギを狩るのは正義という事になる。一方、ウサギの方は喰われたら死ぬわけじゃから、逃げるのは正義っちゅーことになる。そんな立場が変わると意味合いが変わるような曖昧な言葉はわしは信じんよ。ただ・・・・・」

「ただ?」

「ただ、多くの人の中にある、いわゆる最大公約数的な正義という奴はわしの中にも勿論ある。そして、それとは違うわしなりの正義ってものもね。」

「もし、その正義に反するものがあったら・・・・・・?」

「悪・即・斬!と言いたい所じゃが、わしはそげに強い生き物ではないからな。頭を掻いて誤魔化すさね。」

そう言って聡は愉快そうに笑った。だが、葉子の方は何か釈然としないものがる。
この時の聡の言葉を理解しかねたのだ。そして、葉子はこの事を後々になって苦々しい思いで振り返る事になるのであった。
何か心に引っ掛かるものが残ったまま、葉子は気を取り直して次の質問を聡にぶつけた。

「師匠とはお知り合いなんですか?」

聡にとっては至って予想通りの質問であった。おそらく報告書に必要そうな質問は『銀の雫』で済ませてしまったであろうし、その後のあの二人との聡の闘いっぷりを見れば、報告書をまとめるには十分な情報を得ていると葉子は感じたのであろう。
そのため、次は業務とは直接関係のない自分が知りたいと思っている事を聡から聞きだそうとしているのである。

(しかし、この後の話も報告するに値するものもあると思うがね。それによっては社長さんもやってくる事になるじゃろうて。いやはや。約20年ぶりの再会か。でも、覚えてはおらんじゃろうね。わしも黙っとこ。)

そう思いながらも聡は葉子の質問に答えてこう言った。

「ハリー・堀田の父親の名前は堀田征四郎。当代の羅扶麻王よね。」

この時の葉子の表情を聡が見る事ができたなら、おそらく『ハトが豆鉄砲を喰らったような顔』と表現した事だろう。
陳腐な表現ではあるが、これほどその時の葉子を表現するのに似付かわしい言葉はどの言語にも存在しない。
それ程にまで葉子は驚いたのだ。まさか、師匠が評議会と直接かかわり合いがあったとは聞かされていなかったのだから。

「師匠のお父さまが、『三聖』の一人・・・・」

「そう。つまり、あんたの体術は全てハリーの旦那を通して羅扶麻王から伝えられたものって事になる。あのじい様は、今回の事が安寧王からもたらされた時、しきりにあんたに会いたがってたっけ。」

葉子は感慨で胸が熱くなるのを感じた。もはや触れる事のない師匠と、こんな所で再びその運命の線が交錯する事になろうとは。
正直、それがわかっただけでも今回広島に来た価値が、少なくとも葉子には十二分にあったと言えるだろう。
興が乗った聡は、別段聞かれていない『三聖』の謎に包まれた実力を聡本人が分かる範囲で説明し始めた。

「羅扶麻王は先天的に盲目じゃが、そげな事は関係ない。わしの場合はせいぜい半径4m位じゃが、あのじい様は半径1km位の範囲なら、人が何人歩いとるか、あるいは地面に舞い落ちた木の葉の数は何枚か、さらに言えば、空中を舞い散る木の葉の数や、空に舞う小鳥の数をも数える事ができる。何人たりとも彼に気取られる事なく彼の間合いに入り込むのは不可能だ。わしの腕前では、座っているあの人に一撃を加える事もできはせんのじゃからね。」

「玉鼎王は多くの武器を扱うプロフェッショナルじゃね。チャカの類いなんかもそうじゃけど、一番はやはり長槍と大弓じゃね。競技用の普通の遠的用の弓で30km以上矢を飛ばすなんぞ人間業ぢゃないよ。おまけに、その距離で放った矢を全て五円玉の穴の中に集める事ができるんじゃから、デュー○東○も真っ青じゃろ。槍に関して言えば、あの人が持っとるのが先っぽの丸い訓練用の竹槍でも、例えば相手がわしならロンギヌスでも持ちださん限り勝負にはならん。」

「遮那王に到っては反則じゃ。わしはあれが刀を抜いた姿を見た事がない。もっとも、わしの目で見切れるようなショボい剣士ではないじゃろうが。例えわしがグラムバルド級の無双の名剣を持って、遮那王が持ってる武器が虫ピンでも、『始め!』と声がかかった瞬間わしは逃げる。走って逃げる。必死で逃げる。死に物狂いで逃げる。そういう使い手じゃ。」

そこまで話すと聡は立ち止まって天を仰いだ。

「まったく。面と向かってあの人らに闘いを挑める者がこの世にどんだけおるじゃろうか。そして、その中であの人らに勝てる人間がどれだけおるじゃろうか。わしはおらんと思う。そりゃ、彼らも人間じゃから弱点はそれぞれにあろうし、年を拾えば衰えては行くと思うが。もし、その盛時において彼らを凌駕しえるのは同じ五賢王の鷹頭王と安寧王くらいのものじゃろう。今後はわからんが今の所はね。」

再び歩き出した聡に葉子は新たな質問を投げ掛けた。

「そんなに強い『三聖』を倒せる鷹頭王と安寧王はどういう人たちなんですか?」

「どうって・・・・・説教好きのじいさんと機織りが得意のばあさん。」

「そうじゃなくって・・・・・」

「・・・・・鷹頭王の実力ならその一端をあんたも先程見とる。先程の戦闘時にわしは政道君の攻撃を殆ど受け付けんかったろ?わし程度ではあんなもんじゃが、鷹頭王のそれであれば、栗林のそれも、あんたの妹のそれも一切受けつけん。あの人に攻撃を加える事ができる者はこの世には存在せんよ。どのような魔法であれなんであれ。あんたの『アルセノア』ですらあの人には通じんよ。那由さんの魔法もね。」

「安寧王は・・・・・・あれも反則よね。あの人は他者の運命を自由に操る事ができる。織りあわすと言った方が正しいかもしれんが。まるで機を織るかのようにね。そして、あの人の言葉は投げ掛けられた対象の運命や行動を『縛る』事ができる。MZモータースの工場でヘビの化け物をわしが退治した件を憶えておるかね?逃げ出そうとしている鈴木君にわしは『逃げるな』と言ったが、あの人のそれはわしのそれとは比較にならん。あの人に『止まりなさい』と命じられて動ける者はおりはしないのだから。君とこの社長さんも、魔女モードの時ですら何もできなかったのだからね。」

もはや葉子には語るべき言葉が見つからなかった。それも無理からぬ事だろう。
葉子自身にはそういう認識は無いが、事実葉子は西野(株)において、その能力は社長である西野那由に次ぐ実力の持ち主である事は社内外の人員の知るところである。
それは、葉子が彼女こそが社内で実力No.2と考えている社長付きの秘書、宗方洋子ですらそう考えているところなのだ。
そして、その彼女に続く実力者と言えば那由の娘である西野かすみ・あすみ姉妹と言う事になるだろうが、葉子と彼女らの実力の差は現在の所、相当な開きがある。
しかし、葉子の主観では自分とかすみ・あすみらの実力の差以上に那由と自分の差は大きいものと考えてた。
そして、その差は実は彼女が考えているよりも少々大きいのだ。

つまり、葉子にとって那由の存在とは手の届かないものであり、例え『五賢王』であっても彼女を凌駕しえる者の存在など考えもしなかったのである。
生前のハリーでさえ「歴史上、彼女を凌駕する退魔師なぞ存在しないだろう」と言っていたのを葉子は思い出したが、どうやら聡の考えは違うようだ。

「もし・・・・・社長と五賢王が闘う事があったとしたら・・・・・・」

葉子が呟くようにそう言うと

「そういった事を思い煩う事自体無駄な事じゃろうと思うがね。ただ、そうおねぇ・・・・・サシでやり合うってんなら状況にもよるが、相手が『三聖』ならやはり那由さんには勝ち目が無いような気がする。那由さんの魔法の詠唱が終わる前に遮那王ならスライスにしちまうだろうし、玉鼎王ならバラバラだろうし、羅扶麻王に至ってはその余裕すら与えてはくれまいて。じゃが、それは互いが面と向き合って闘う場合であって、戦闘ってのはどういう状況で発生するかはわからんじゃろ。」

「鷹頭王には如何なる打撃も魔法も通じない。ただ、彼には那由さんに反撃するだけの力はないから、お互いに疲れて終わりなんじゃなかろうか。ああ。そういや、鷹頭王はギックリ腰がクセになってるから、闘いの場に立つ前にダメかもしれんね。ギャッハハハッ!ダッサー!!安寧王に至っては、ともすれば那由さんが最初からこの世に居なかった事にできるからなぁ・・・・・。ありゃ本気で反則じゃ。」

聡はそう言うと葉子は黙ってしまった。彼女の中で今の話しを自分なりに整理しているのだろう。

(整理しきれるんかいな・・・・・・彼女の中では師匠と那由さんこそが絶対だったんじゃろうからな。)

実際その通りで、葉子は聡の話を聞いただけで聡の話を信じる事ができるわけではない。
彼女は那由の強さを実際に見た事があるわけで、その戦闘能力の高さや魔法等の精度を考えると彼女を相手に勝利することは不可能に近い。

(それでも、覚醒後の那由さんを五賢王が保護下に置いたのは確かじゃ。と、言っても信じれんじゃろうね・・・・・・わしも最初は信じられんかったよ。あの別嬪の姉さんが『魔女』だと言う事も含めてね・・・・・・)

月しか見えない程に暗い道路を聡は自らの目的地に足を進めている。
彼に背負われている葉子の方は自らの考えに没頭していて一切喋らない。
耳が痛くなるような沈黙の中で、聡の重い足音のみが不気味に響いている。
さながら周囲のものは全て眠っているかのようで、その静寂は恐ろしいまでに静かであった。

「あっ。そう言えば・・・・・私の結界を壊した人に心当たりないですか?」

それまで黙然と自分の物思いに没頭していた葉子が突然そう切りだしたので、聡は少々驚いたが

「心当たりね・・・・・もちろんわしにはあげな芸当は無理じゃが、五賢王を含めてもこの世界でそんなマネが出来るのは5人程じゃね。その内の一人はおたくの社長さんじゃが、あの人とて魔女として覚醒している状態じゃないなら難しいじゃろうね。よほど体調がいい時でないと。」

「五賢王の中では2人じゃね。遮那王と玉鼎王。じゃが、あの人らがそんな事はせんのはわしが良く知っとる。そんな益の無い事はあの人らはやらんよ。無類の面倒臭がりじゃけぇ。そうなるとあとの2人と言う事になるね。そして、その2人はあんたの師匠と憧れの人の仇と言う事になるワケか。」

「・・・・・・どっちだと思いますか・・・・?」

「あんたとて、見当はついていると思うが。あの暴風の中で舞っていたのは死人花(しにびとばな)の花びらよ。あれは黄泉平坂(よもつひらさか)にしか咲かない花。現し世の体を持ったままあそこに行ける人間をわしは1人しか知らない。」

葉子は再び口を閉ざした。もはや言葉は必要ないのである。二人の胸中に浮かんだ名前がまったく同じである事は疑いようがなかった。如月沙織。それ以外にはあり得ない。

(そして、その人らがどれ程の力で挑もうとわしを殺す事はできんという事か・・・・)

再び訪れた沈黙の中、聡はそんな事を考えていた。

(いかなる力を持ってしても、わしを殺す事は不可能だ・・・・・)

自分の足音を聞きながら聡はさらに考える。

(誰もわしの事など知らん。誰もわしの事などわからん・・・・・)

聡は、先程闘ったヒュドラ7使徒の二人の事をふいに思い出した。

(惜しい事をしたな・・・・・・あの二人。あともう少しで・・・・・しかし、あれで良かったかもしれんな。それにしても、青い果実とは何であんなにも美味そうに思えるのかね・・・・・・)

そう考えて自嘲的に笑った聡を葉子は後ろから覗き込むように見たが、しかし、聡は再び元の何を考えているのかわからない表情に戻っている。

再び沈黙が訪れた。それは先程よりも時間的には随分長かった。
周囲の風景は街灯の多い広い道路へと変わって行く。その明るさが強いため月の淡い光は遠のき、葉子にも馴染みの深い人工の明かりが聡の行く先を照らし始めた。

「・・・・あっ!」

その深い静寂を破ったのは聡であった。何かに気がついたかのように一声あげるとそのまま立ち止まり、歩き出す気配を見せない。

「何かあったんですか?」

自らの物思いから呼び起こされたかのように、葉子は顔をあげると心配そうに聡に聞いた。

「いや・・・・・その・・・・・・ちょっとね・・・・・」

聡の答えに歯切れの悪さを感じた葉子はそのまま黙っていると、再び聡が口を開いた。

「あのね。わしは今恐ろしいものを踏みつけてしまったようなんよ。それは、こういった道路には残念な事にたくさん落ちている事がある。それをその場に残して行く人間の見識をわしは疑うよ。」

そう言うと、聡は妙に右足を気にしながら不格好な歩き方で道路の隅に寄ると、歩道の段差の所で右足の靴の底を歩道にゴシゴシと押し付けた。

「それは、わしらの間では『有機排泄物』と呼ばれているが・・・・・・」

「ウンコ踏みましたね?」

葉子が間髪入れずにそう言うと、聡は黙ってしまった。そして、その事が葉子の疑問を確信に変えた。それ以外の結論など出しようがない。

「エンガチョですね。」

そう言って、葉子はクスクスと笑った。しかし、その笑い声を耳元で聞きながら聡は黙って靴を歩道にこすりつけている。薄暗い街灯の明かりしかない周囲にゴシゴシという音が染み込んで行くかのようであった。

「・・・・・単に踏んだだけならそれでもええんじゃがね。この靴、底に穴が開いとるんよ。」

再び重い口を開いて出てきた聡の言葉に、葉子の笑い顔はそのまま凍ってしまった。

ウンコヲフンダクツニ、アナガアイテル?

それは、ある意味例えようのない悲劇なのではないだろうか。

「おまけに、わし今靴下履いてないんよね・・・・・・・」

寂しそうな声で聡はそう言った。葉子は絶句している。
歩いている時に、恐らく犬のものと思われるウンコを踏んで、さらにその靴には穴が開いていて、おまけに靴下を履いていないのであれば、それはもはや裸足でウンコを踏んだも同じである。

「エンガチョ・・・・・・・・」

力なくそう言った葉子に答えて聡は

「・・・・うん・・・・・。」

とだけ答えた。



靴の浄化を終わらせた聡は、もう一度葉子を背負い直すと再び歩きだした。
その道すがら葉子はさらにいくつかの質問を聡に投げ掛けている。そしてその質問の中で、葉子が何気なく聞いた質問に対する答えが一番彼女を驚かせる事になる。

「さっき?えーと・・・西野あすみちゃんだっけ?あんたの連れの一人は。」

先程葉子が目覚めるまでの間、聡は誰にともなく話しかけるかのような口調で何かを喋っていたのを葉子は思い出したのだ。
それは、ともすれば独り言のようにも聞こえたし、実際その様子を誰かが見ていたら頭のおかしい男が何かブツブツ言っているようにしか思わないだろう。
ただ、その口調は明らかに誰かとの会話としか思えない部分が多い。そのため、葉子の心に何がしか引っ掛かるものがあったのだ。
ただ、対象がハッキリと分からない相手に対してテレパシーを行う事の難しさは葉子も良く知っている。そのため、聡があすみに連絡を取る事が出来るとは葉子にはにわかには信じられなかった。

「どうやって・・・・・」

「公開されている電波でわしが干渉できんものはない。ラジオにしてもテレビにしても携帯電話なんぞにしてもね。あとはネットワークを経由してあの子らが泊まっとるホテルを探しだして部屋へ直接電話をするというわけじゃ。」

ネットワークをハッキングする能力者は、この電脳化が進んだ現代においても数える程しかいない。
葉子が知っている範囲で言えばIMSOに一人、イギリス国軍の退魔師部隊に二人、アメリカ、ロシア、スイスの国軍に各一人といった所である。
その人員が公開されていない宗教系や民間の団体にも数人はいるだろうが、おそらく世界の全てのそういった能力者を合わせても20人いるかどうかと言った所だろう。それだけ特殊な能力と言えるのである。

「ちょっとしたコツが必要じゃが、携帯電話を媒介に使ったら案外簡単にできるよ。」

聡のその言葉の直後、葉子はそれまで感じた事の無い感覚を覚えて背筋に悪寒が走った。
それまでのやや暖かい空気が突然冷たくなり、頬を撫でる風からも優しさは消え去っている。
刺すように冷たい月の輝きは葉子の心をも貫くかのような鋭さを増す。
葉子の額には冷や汗が滲み、体を小刻みに震わせて聡にしがみついた。

「ん?なんね?サービスがええね。」

からかうかのような聡の言葉も葉子の耳には入ってこない。何故かはわからないがたまらなく怖いのだ。

(チチは89cmか。しかもFカップじゃね。これはなかなか・・・・・・)

聡の考えをまったく知らない葉子は、まるで今にも襲撃にでも遭うのではないかといわんばかりにソワソワしはじめた。

「なんね?ションベンか?そういったプレイは趣味じゃないが・・・・・・グムッ!!」

葉子は聡の頭を押さえつけたが、やはり先程から感じる異様な気配に身震いを禁じえなかった。
そんな彼女の目の前にボンヤリとマンションのような建物が見えて来たが、その様子は葉子の心に浮かんだ恐怖の念をさらに増大させるばかりであった。

その建物のボンヤリした影の周囲は空も地も真っ暗だが、そこだけは光で照らされているかのようにで、その様はまるで黒一色で塗られたキャンパスに浮かび上がっているかのようである。
その光は緩慢な月食に病む月の光よりもおぼろで、明かりと感じるにはあまりに暗い。
まるで風にでもたなびくかのように弱く、屍の燐光のようにもろくちらちらとゆらいでいた。
建物にはどうやら窓があるのが見てとれたが、実際に光を放っているのは一つのみで、他の窓はまるで内なる虚無へ向かって開いている黒い穴のようである。

「さすがにこの異様な雰囲気に呑まれてしまったようじゃね。ここはね。そういうのが沢山おる場所なんよ。おかげで、あげな立派な新しいマンションが空っぽじゃけんね。あっこの住人は人外か幽霊の類いばっかりよね。」

この時、葉子は口にこそ出さなかったが内心は帰りたい気持ちでいっぱいであった。
実は、葉子はこの業界の人間にしては珍しく、幽霊やお化けの類いが大の苦手なのだ。
その恐れぶりは笑える程に徹底していて、遊園地のお化け屋敷ですら一人では入れないのである。
実は、その件については何度かかすみ達にからかわれているので、最近はどんなに誘われても彼女達と遊園地には出かけないのだ。
葉子のそういった事情を全く知らない聡は、背中の葉子の様子などお構いなしにその建物の方へ足を進めた。
この時聡は全然気がつかなかったが、既に葉子は涙目であった。

化粧タイルで見事に舗装された美しい敷地の中に聡が足を踏み入れると、葉子の心にふりかかった恐怖は極限に達した。

「ど・・・・どこに行くんですか・・・・・・?」

震える声で葉子は聡に訪ねた。

「この建物の中の一室にわしの使い魔がおるんよ。普段は家に帰れん時に使っとる部屋がね。そこであんたの治療をしようってわけよ。場所が場所じゃから色々と都合が良くてね。」

葉子のおびえを含んだ声音を無視して聡は颯爽と建物の中に足を踏み入れた。
入り口の自動ドアをくぐるとすぐ右にある無人の管理人室に向かって

「よう。ディドル。調子はどうだい?」

と聡は一声かけた。しかし、その暗い管理人室には人影は見当たらない。

「誰かいるんですか・・・・・?」

恐怖におののきながら、葉子は聡にそう聞くと

「あんたも『鬼眼の法』くらいは使えるじゃろ?よく見てみんさい。」

あまり見たくはなかったが、怖いもの見たさの心理が手伝って葉子はもう一度管理人室を見た。

「キャァァァァ〜!!!」

予想もしなかった金切り声を上げて思いきり聡にしがみついた。

「ウグググ・・・・・ぐるじぃ〜。く・・・・くび・・・・」

聡は見る見る意識が遠のくのを感じたが、気を失う前に葉子が首を放してくれたため、再び息を吹き返した。
しかし、やはり葉子はおびえてしまってピッタリと聡にしがみついている。
背中にあたる生乳の感触を楽しみながら

「あんた・・・・・このテのものが苦手かね?まあ、最初にこんなやつを見たら誰でもそうか。」

そう言ってため息をついた。
管理人室に鎮座していたのは一人の幽霊であった。その姿は余りにも凄惨である。
美しい緑色の上衣は比較的身分の高い貴族がかつて着ていたものだろう。さしあたっては18世紀のフランス貴族のものではないだろうか。
シワのない深い緑色のズボンは太ももから少し下の方が細くなっている。
しかし、その美しい衣服もドス黒い血痕で汚れている。そのしみは衣服の殆どに飛び散っているようで、おそらくどれ程洗おうとも落ちる事は無いだろう。
そして、葉子を一番怖がらせたのはその人物の首から上が無い事だった。

「身なりからして18世紀ごろのフランス革命かなんかでギロチンにあった貴族かなんかなんじゃろうが・・・・自分の事を話してくれんのでね。ここが気に入ってるみたいなんで『首無しディドル』って名前をつけてやって、ついでにここの管理人もやってもらっとる。そんなわけで、このマンションはほぼ全室が幽霊宿なんじゃ。では行こうか。」

そう言って聡は管理人室を後にした。
1階のロビーにもそのテの者の気配が多く感じられたが葉子は恐ろしかったのでそちらは見ないでいた。
聡もそこにいた者については葉子に話す事なくそのまま奥にあるエレベーターに乗り込んだ。

「怖かったかね?ま、人には誰しも苦手なもんがある。わしもクモやムカデの類いはだめでね。走って逃げ出すよ。」

そう言って、葉子の気持ちを和ませるかのように笑ったが、建物の空気は依然として重苦しく、冷え冷えと冷たかった。
聡は7階のボタンを押して、エレベーターの扉が閉まるのを見ていたが、突然『開』のボタンを押して葉子を驚かせた。
しかし、もっと驚いた事に建物の入り口の方からエレベーターに向かって走ってくる人影が見える。
その人影は身長にして約150cmにも満たないように見える。
ロビーが暗いためそのシルエットしか見えないが、どうやら長い髪を後ろで束ねているようだ。
大きなリボンのような影が上下に揺れているのがかわいい。
やがて息をきらせながらかわいらしい少女がエレベーターの中に入って来た。

銀灰色の美しい髪はこの世のものとは到底思えない。それはまるで、本物の銀を熱して溶かし、それを細く長く引き伸ばしたかのようである。
にもかかわらずその髪は艶やかでしなやかで、手で掬い取ればまるで水を掬ったかのように指の間から抜けていくかのようであった。
その髪を束ねている赤いリボンは見事なアクセントとなっていた。
小さめの顔には夜の闇よりも深い黒い色を讚えているが、見ようによっては美しい日の光を宿しているかのような輝きを持った双眸が。
美しく整った鼻筋はその美しい顔立ちをさらに引き立たせ、可憐に窄まった赤い小さな唇はどこか妖艶であった。
彼女がまとっている服は黒一色で、一昔前の『魔女っ子』のイメージがついて回るが、その黒い色はまさに真の黒と呼ぶふさわしい。
小振りに見える胸はこの世の物とは思えぬ美しい曲線を描いており、その弾むような動きからしなやかな弾力を秘めている事が十分に理解できた。

「こんばんわ。」

見た目の年齢からは想像も出来ないような大人びた声で彼女が聡と葉子に挨拶する。

「こんばんわ。エリスさん。今日はえらく遠出じゃったみたいですね。」

「ええ。あなたが昔行っていた国で大きな事故があったから。ニュースでも言ってると思うわ。それに、他にも夕方にあちこちで沢山の人や動物や植物が死んでいったから忙しくって。」

その幼い容姿とは裏腹の大人びた口調に葉子は違和感を覚えた。
ふと、エリスと呼ばれたその少女がじっと自分を見つめているのに葉子は気がついた。

「新しい彼女?」

エリスが聡にそう言うと、

「そうあれかしとは思ってますがね。今の所は重傷患者ってとこです。ご存知でしょ?グラムバルドの傷です。」

聡がそう答えるとエリスは気遣わしげな目を葉子に向けた。
どうやら、彼女はあの剣の事を知っているらしい。
やがてエレベーターが4階で止まると

「じゃあね。聡君。あまりエスリンちゃんを悲しませちゃダメよ。それと、瑠璃さんにあんまりいろいろ喋り過ぎるのは考えものよって、言っておいて。」

そう言ってエリスは降りて行ってしまった。

「今のは・・・・?」

葉子がようやく口を開いた。エリスがエレベーターに乗り込んでから葉子は空気がさらに冷たく暗くなったように感じていたからである。

「エリスさん?あの人は第二級宿曜神・・・・平たく言えば死神よね。この星の生き物は、人間であれ何であれ、あの世に行くにはあの人の導きがない限りこの世に残る事になる。ま、こういった場所じゃけんあの人が住むのには丁度ええわな。」

聡がそう言っている内にエレベーターは最上階である7階に到着した。

「さあ。この階は他の階と違ってあんたが怖がるもんはおらんから安心してちょうだい。」

そうおどけたように聡は言うとエレベーターから進み出た。正直、葉子はその言葉を信じる事ができなかったが、実際7階のフロアにはそのテの者の気配はなかった。
ホッとした葉子を背負ったまま聡は一番奥の部屋の前まで歩いて行った。

「さっきも言ったかもしれんが、ここは本来呑みに行ったり仕事の都合で地元に帰れん時とかに前哨地として使っとる。この建物の中におる連中をエリスさんとうちの奴以外の者を外に出さん条件でタダで借りとるんじゃ。」

そう言うと聡はカギをあけて扉を開いた。その先には・・・・・・妙な風景が広がっていた。
風格を感じさせる、立体感のあるシャープなデザインの小洒落たドアを開くと、重厚な大理石が敷きつめられた高級感溢れるエントランスが目に入る。
視線を上げると、ウッドコアを使用した風合いのある上がり框が。その上にはその一室の格調の高さを表すかのようにペルシャ絨毯調の小さなカーペットが敷いてある。
おそらくレプリカであろうが、その美しい蒼い色合いは葉子の趣味に実に良くあっていた。
右に視線を移すと、上がり框と同じようなシックな焦げ茶色のシューズボックスが見て取れる。
シンプルなデザインではあるが、実にスタイリッシュで使用者のセンスの良さが窺える。おそらく聡のチョイスではないだろう。
クラシックな雰囲気のとてもお洒落なその部屋は零細企業に勤める平社員が住んでいい部屋ではない。
先程のアレさえなかったら、きっと目にすることも生涯なかったであろうことは明々白々であった。

「おかえりなさい。ゴシュジンサマ。」

部屋の奥から奇妙な生き物が出てきて二人を出迎えた。
コロコロしたかわいらしい声ではあるが、その姿は現在地球上に生息しているどのような生物にも似てはいない。
白とも銀とも取れる美しい長い体毛にくるまれたその生き物はまるでヌイグルミか何かのようである。
人が可愛らしさを感じる二頭身の体には短い手足らしきものがついている。
頭部にある耳らしきものは、犬かなにかの耳のようにピョコンと立っていて、葉子が見ている間に何度かふよふよと動いた。
顔には目以外のものは一切見当たらず、その目はまるで宇宙人を思わせるかのように切れ長で、深く美しい暗い緑色をしていた。
その神秘的な瞳で葉子をじっと見つめるとその生き物は

「また新しい彼女ですか!まったく。毎回毎回新しい人を連れてきて!!」

短いその腕を振り回してプンプンと怒っている様は実にかわいい。葉子は自分がこういう状態でなければすぐに抱きしめてかわいがっていたであろうと思った程である。

「だいたい、ゴシュジンサマは女にだらしなさ過ぎます!私が一体どれだけ苦労しているか・・・・」

「黙れ毛玉!!」

しかし、聡は無慈悲にもそう言い放ち、その表現があまりにもマッチしているため葉子は笑いを必死でかみ殺した。

「け・・・けだま〜〜〜〜!!」

ショックを受けたその生き物は両手を上に上げたが、その手は頭頂部には届かない。
頭のてっぺんがかゆい時はどうするのだろうか。

「・・・ヒ・・・ヒドイ・・・・・ゴシュジンサマがこの姿でいろって言ったのに・・・・」

そう言いながらその目に涙を浮かべて指の無い手で床に『の』の字を書いていじけている。
どのような仕草も、どのような言動も可愛くてしかたがない。

「アホ。ワレもそのテの生き物ならこの人の負った傷がどげなもんかわかろうが!」

そう厳しい口調で聡に言われ、その生き物はやはりいじけた様子で肩越しに(どこが肩なのかはわからないが)葉子を一瞥し、大急ぎで振り返った。

「その怪我は・・・・」

気遣わしげにそう言うと、それに聡が答えた。

「グラムバルドの傷だ。すぐに治療せんにゃぁならん。元の姿に戻って、奥の部屋へ布団を敷いて湯を沸かせ。おっと。その前に捨ててもええようなボロ布を水に浸してきてくれ。ウンコ踏んでもーた。」

「え゛・・・・・その靴で・・・・・・・」

「おまけに靴下履いとらん。」

「・・・・・・・」

無言で奥のバスルームに姿を消したその生き物の後ろ姿は実に間が抜けていたかわいい。
あれは一体なんなのだろうと葉子が思案していると、そのバスルームの中からなんと一人の美しい女性が姿を表した。

艶やかな長い黒髪は夜闇にも負けない程に黒く美しい。
その白い肌はまるで水のように透き通っているかのようである。
グラマラスという言葉では追いつかない程に豊満な胸は、西野かすみのそれを上回るであろう。
ウェストなどはトップモデルも真っ青の細さとくびれを誇っている。
そこから続くヒップラインは高名な彫刻家、ヘンリー・ムーアの『よこたわる女(ひと)』の美しい曲線ですら、遥かに遠く及ばない。
美しく整った眉毛。愛らしい大きな瞳をたたえた目。長く美しい睫毛。きれいに通った鼻筋。その白い肌には浮き上がるかのように美しく小さな紅い唇。
何にも増してその体全体から香るような甘い薫り。到底この世のものとは思えない。
彼女のまとっている白を基調としてブルーをあしらったミニのワンピースはまるで彼女のためにあつらえられたかのように良く似合っていた。
退魔師の直感で葉子は彼女が淫魔族で、しかも今までこの世界で確認されている淫魔の中でも上の中くらいのレベルの者だろうと感じたが、あえてそれを口にはしなかった。

「はい。この雑巾で足を拭いてから上がってくださいね。それからその靴。もう捨てますから。」

ヌイグルミのような姿をしていた時とは少し違う、幼さの中にも凛とした響きのある声でそう言うと、女性はエントランスに濡れた雑巾をポイと投げて奥の方へ姿を消した。
聡は右足を靴から出してその雑巾にこすりつけながら

「あれがわしの使い魔の一人で、エスリンと言う。あんたは気がついたと思うが、淫魔族よね。」

聡がそう説明したが、葉子は答えなかった。彼女の頭は今や疑問と疑念で一杯だったのである。

なぜ上級と言ってもいい淫魔が彼の使い魔に甘んじているのか?
まさか、彼がこの世界に彼女を呼び出したのだろうか?
もしそうであれば、何の目的で?

様々な考えが去来する中、葉子は突然頭にゴンッ!と音が聞こえ、その部分に痛みが走る。
その突然の痛みのために思考は中断してしまったのであった。

「ごめん!」

そう言う聡の言葉を聞きながら葉子は自分の頭を撫でた。
どうやら、部屋に入る際にドアの所で頭を打ってしまったらしいのだ。
聡が一人である場合は恐らく問題ない高さなのであろうが、葉子を背負っている事を計算に入れるのを忘れたらしい。
頭にきた葉子は頬をプクーと膨らませると、聡の無駄に長い髪の毛を引っぱり上げた。

「いたたたっ!マジでごめんなさい!!痛いから離して!貴重な髪の毛が〜!!」

聡がそう懇願するので葉子は許してやる事にし、聡の髪の毛を離してやった。
葉子が部屋の中に目をやると、12畳程のフローリングの部屋の中央に布団が敷いてある。
それ以外には特に物を置いている様子のない部屋で、窓の外はバルコニーになっているようだ。
外が暗いため良くは見えないが、大小様々なプランターが幾つかと、物干し台のような物が置いてあるのがうっすらと見える。
部屋の中に入ると、葉子の身長程の大きさの大きな置き時計と、三段程の引きだしのついた桐のタンスが置いてあるのがわかった。
布団を敷いている場所の近くにある電気スタンドは何の意味があるのだろうか。

「この部屋が基本的には使ってない部屋なんでね。普段は取り込んだ洗濯物を畳んだりするくらいしか使わんらしいよ。」

そう言うと、聡はその部屋に敷かれた布団にゆっくりと葉子を下ろした。
聡が「らしい。」と言うからには、自分は普段そんな事をしないと言う事を暗に示している。
布団の上で仰向けになり、胸を両手で隠している葉子に聡は

「そのぱんちーは気に入っているやつなら脱いだ方がええ。じゃないと使い物にならなくなるじゃろうから。ま、無理にとは言わんけど。無理にとは言わんけど脱いどいた方がええ。見られてマズい所は隠せる間は両手で隠しておると良かろう。」

そう言うと聡はベランダの方へ行ってしまった。どうやらプランターに生えている植物を取ってくるつもりなのだろう。
聡にパンツを脱ぐように言われどうするべきか葉子が迷っていると、大きな鍋にお湯を入れたエスリンが入って来た。
彼女は葉子の胸と脚の傷をしげしげと眺め、こう言った。

「もしあの剣が本当の威力を取り戻していたら、ご主人様でも治療はできなかったかも知れません。それだけでも貴女は運が良かったと思います。所で、そのパンツは脱いでおいた方がいいと思いますよ。」

エスリンにまでそう言われ、葉子はそうした方がいいのだろうとは思ったが、その理由を聞かされていないのでどうも納得が行かない。
そんな葉子の様子を感じたのか、エスリンは葉子にこう説明した。

「あの傷の手当てをする時、傷を負った方は物凄い性的快感に襲われるそうです。その度合いは上級の淫魔族が行うそれと大差ないそうです。失礼ですが、貴女は男性経験がありませんね?だったらなおさらです。」

その説明を受けて葉子は合点がいった。
要はその快感のために分泌されるもののせいでそのパンツがビショビショになってしまうという事なのだろう。

「その快感は治療が終わるまで何度も繰り返されるらしいです。ですから、ひょっとするとその快感の中で貴女は狂い死にするかもしれません。でも、治療をしなければその傷から絶え間なく血が流れ出続け、最後には死に至るのです。それに・・・・・仮に治療が成功しようものなら、その治療を施した方にも呪いは降りかかります。ご主人様はその覚悟を持って貴女のために治療をしようとしているのですよ。」

そのエスリンの言葉に葉子は息を呑んだ。先程聡が「それなりの覚悟がいるよ。」と言っていたのはおそらくその事だろう。
しかし、彼は葉子には治療者である自分の身にも危険がある事は先程は言わなかった。

「いらん事言わんでええから、湯が沸いたならとっとと外へ行って見張りでもしとけ。それとお前、自分の主人の腕もわからんのか。アホみとーに噛みつきおって。」

「部屋の中に突然腕だけが出てきたら誰だって驚きますよ。それがご主人様の持ち物に手をかけたんですからなおさらです。」

エスリンはそう言うと葉子に一礼して部屋を出ていった。

「やれやれ。余計な事をペラペラと・・・・わしはおしゃべりな女は好かんとあれ程言っているというのに。」

そう悪態をついて聡は葉子の方に視線を向けると、葉子は心配そうな目で聡を見つめていた。
その深い美しい瞳にはまるで朝露のような透き通った雫が浮かんでいる。

「そげな顔しんさんな。わしは死ぬつもりはないよ。つーか、あの程度の呪いでわしは死なん。で、あんたも死なせるつもりももちろんないよ。だからパンツは脱いだ方がええ。恥ずかしいなら外で待ってるから脱いだら呼んでくれ。」

そう言うと聡は部屋から出ていった。その後ろ姿が見えなくなるのを確認して葉子は寝転がったままパンツを脱いでその、体毛が一本も生えていない秘部を両手で隠した。
実は、彼女がこれまで男性と親密にならなかったのはこの事が原因であった。
この年齢にもなってそこに毛が一本も生えていない事は葉子にとって、一つのコンプレックスとなていたのだった。
葉子が部屋の中から聡を呼ぶと、聡は両手に何かを持っていた。それは深い緑色をしている草の葉のようである。

「あの・・・・・それって・・・・・」

「ん?ああ。あんたらにとっては『よもぎ』という事になるか。わしらはこれを玉葉(ぎょくよう)と呼んでいる。あんたにとっては、いやわしと鷹頭王以外の人間にとってはただの雑草じゃろうけど、わしら二人にとってはこのテの治療に欠かす事のできん万能の霊薬よね。」

そう言うと彼は床に座り込み、葉子には理解できない言葉で何か歌を歌い始めた。
そして、彼が玉葉と呼んだ草の葉を両手に載せてそれにじっと視線を注ぎ、次にそれらを両手で揉み解すようにしてすりつぶした。
程なくして彼の両手の平から刺激性のある芳香が漂い始め、その芳しい香りは部屋中に広がっていく。
その香りはその場でただその香りをかいだだけでも気分が爽快になり、新たな力がみなぎってくるようである。

「この葉の持っている本来の効果を知る者は今や少ない。そして、その技法に通じているのは今ではわしと鷹頭王しかおらんのだ。」

聡がそう言いながらその葉をお湯の中に投げ込むと、その香りは湯気とともに立ち上って部屋中を包み込み、もしこの部屋が小さく小汚いボロアパートの狭い一室であっても、物凄く居心地のよい空間になるように思われた。
葉子はその芳しい香りをかいだだけで傷の痛みが殆ど消えかかっている事に気がついて驚いたが、実際傷自体が癒されているわけではない。
見ると、その見るも嫌な形をした恐ろしい傷は聡が予見した通り、再び悪魔の微笑のように口を開いてその口から紅い血を滴らせている。
聡はその湯の中に柔らかく清潔な布を浸して絞り、その布で葉子の傷口を優しく洗った。
その愛撫とも取れるような優しい接触ですら、葉子の傷は彼女に堪え難い苦痛を与え、葉子はうめき声を必死でかみ殺していた。
程なくして胸と脚の両方の傷を洗い終わった聡は葉子に告げた。

「今から本格的な治療に入る。と言っても、要はあんたの傷に込められた呪いをわしが吸い出すだけじゃがね。あんたの体にわしが口づけするのを許して頂きたい。それと、さっきエスリンから聞いたと思うが、その最中あんたは今まで味わった事のない快感に身を苛まれる事になる。度を越した快感は苦痛にも近いから、あんたには堪え難い事とは思うが・・・・・がんばって。」

聡はそう言うと、まず葉子の胸部に出来た傷に自らの口をつけ、その傷からまるで蛇毒でも吸い出すかのように吸い始めた。
そして、それはまさにその瞬間に、葉子の気持ちの準備が整う間もなく始まったのである。

「ああぁぁぁんっ!!」

葉子はそれまでの人生でも感じた事の無い快感に思わず声を上げた。
その感覚は、夜に一人自分を慰めていた時に感じるそれとは比べ物にならない。
外部から自分のペースで徐々に快感を得る普段のそれとは全く異なり、言うなれば内部、つまり子宮の内壁を直に触られたような感触が葉子の下腹部を突き上げてくるのである。これは経験の浅い女性には堪らない。

「うぅん!あぅん!!はぁぁぁん!!!」

聡が傷口の呪いを吸い出すべく吸い付いてから、僅かに15秒程度で葉子は絶頂に達した。

(こ・・・・・こんなのって・・・・・)

しかし、それ以上葉子には思考する余裕はなかった。一度絶頂を迎えたにも係わらず、快楽の波は巨大なうねりとなって、再び彼女を襲ったのである。

「あぅっ!んっ・・・ああん!!」

まさに怒濤という表現がこれほど似付かわしい状況に葉子は陥った事はなかった。
最初にのぼりつめてから一呼吸するかしないか程度の暇も与えられる事なく、すでに二度目の絶頂に達したのである。

聡が葉子の胸部に深々と穿たれた恐るべき傷に込められた呪いを全て吸い出すまでの約17分間。
葉子の人生において、最も長い17分が経過した後、ようやくその感覚は収まったのであった。
回数を数えておく事など出来はしない。
終わりの2分間に至っては、息を吸えば絶頂に達し、吐き出せば次のオルガニズムに襲われるといった感じで過ぎていったのだから。
その豊かな胸を上下させながら仰向けになって息をきらせている葉子は、既に恥ずかしい部分を隠す余裕など持ちあわせてはいなかった。
焦点の定まらぬ視線は天井を見上げてはいるが、その実その瞳には何も映ってはいない。
力なくだらりとなった両腕は薄く上気していて微かに紅く染まっている。
ふくよかな乳房もその例に漏れず、その淡いピンク色の乳首は固くすぼまっていた。
美しいラインを描くすべらかな白い脚は閉じられてはいるものの力は全く入らず、息をするたびに両太ももがかすかにこすれ、『ぴちゅ』と湿った淫靡な水音がしている。
殆ど思考が停止していると言っても過言ではない状態から現実に戻ったのは、視界の隅に映った聡の様子であった。

「うぐおあぁっ!!!!」

苦痛に満ちたうめき声を搾り出した聡の右腕を、まるで大蛇が這うかのような赤い光がうねるように巻き付いた。
そして、次の瞬間にはそのうねりにそって聡の肉は切り裂かれ、周囲に鮮血が飛び散った。
まるで現代ポップアートのように飛び散った赤い水玉の模様を壁に描くかのように。
切り裂かれた腕は、桂剥きにした大根のようにシュルシュルと床に落ち、削がれた肉は床に散乱し、骨が微かに見え隠れしている。

葉子はこういった状態なりにその光景を驚いて見ていたが、さらに驚くべき事に、聡はその右腕を自らの手で引きちぎってそのへんにポイと投げ出すと、無くなった右腕側に力を込め始めた。
程なくして何事もなかったかのように右腕が再生したのを見て葉子は安堵した。

「ああ痛かった。まさかこれほどとは思わなんだ。ははっ。」

まるでおかしな出来事でもあったかのようにそう言うと、聡はお湯に布を浸して絞り、それで葉子の額の汗を拭った。

「良くがんばったね。これで治療はほぼ終わったようなもんじゃ。あとは脚の方の傷もあるが、これは今さっきほどのもんじゃなかろうて。それじゃ、ちょっくら失礼して。」

そう言うと聡は、殆ど力の入らない葉子の両足をゆっくりと開いた。
彼の眼前に未だ他人に触れられた事のない葉子の秘部が浮かび上がる。
露となったその部分から立ち上る『女』の匂いが聡の鼻腔をくすぐり、思考を鈍らせた。

(アホ。今は取りあえず治療が先じゃ・・・・それにしても・・・・・)

綺麗なのである。『綺麗』という言葉では到底追いつけないくらいに。
自らが分泌したものに濡れて艶やかな美しき薄紅色の花。しっとりと露をおびたその可憐な花は今まさに蕾が開こうとしているのである。

だが、今はそれから視線を逸らし、僅かに残る恐るべき呪いを彼女の体内から追い出すための試みを続けねばならないのだ。
M字型に開いた両足を押さえるようにして広げさせ、右太ももの付け根の部分に唇を当てると、聡は再びその傷口を吸い出した。

「あはん!」

先程とは種類の違う感覚を覚え、葉子は思わず嬌声をあげてしまった。
それは、子宮の内側を愛撫される感覚は同じではあるが、強制的に絶頂に追いやる先程のそれとは異なり、むしろ優しく触れるか触れぬか程度の弱い愛撫のようである。

「う・・・・あぅ・・・・・ん・・・・」

低い喘ぎ声を出しながら葉子はその快感に堪えている。しかし、先の『治療』の時に受けた快感によって火照ってしまっている体はそう簡単には収まりはしない。

「ああっ!!」

体を弓なりにのけ反らせて葉子は今日幾度目かの絶頂を迎えた。
その気持ち良さのため思わずその両足を閉じてしまい、聡の頭部をその美しい太ももで挟み込んでしまった。

(うぷっ・・・・かなり幸せな状況じゃが、このままでは息も治療もできん・・・・・)

再び葉子の両太ももを押さえて開脚させると、聡は治療を続けた。
その間中、葉子は全身が性器になってしまったかのような感覚に捉えられ、聡に触れられている傷の部分は別として、それ以外のどの場所を触れられても快感を得てしまっていた。
そのため、両足を開いている聡の手が触れている場所も例外ではなかった。
先程までとは異なる、弱く長い快感の後、再び絶頂を迎えると思った瞬間にその感覚は突然消えてしまった。

「終わりじゃね・・・・うぐ!」

そう言った聡の左の手の甲から左肩に掛けて、とても浅いとは言えない切り傷が走った。
暫くその傷口はさらに切り開こうとうごめいていたが、やがて出血もおさまり、再びその口を閉じた。
だが、この時聡の腕に残った恐ろしい形の傷は、生涯そこから姿を消すことはなかった。

半ば絶頂を迎える直前におあずけを喰らってしまった格好の葉子の体の芯はジンジンと疼いた。
まるで欲求不満のようになっていまっている。

「ところで、まだ思い出さんのかね?わしは以前にもこうしてあんたに治療を施した事があるんじゃが、ね・・・・・」

聡のこの言葉が引き金となって、葉子の脳裏に一枚の絵が舞い降りた。
それは幼き日の自分と、その傍らで自分の右腕に手をかざしている若い男性の姿であった。
まるで活動写真のようにその中の二人の人物が動き出す。
それはまさに、昼間石段で自分の足を癒してくれた聡の行動と全く同じであった。
これを機にさまざまな思い出が一枚ずつ絵となって葉子に降りかかってきた。
どの絵にも自分と、その男性の姿が映っている。そのやや細めの長身の男性の面影は、今自分の目の前にいる聡のそれと一致する。

『なんね、またね。生傷が絶えんね。』

『花の王冠?しょうがないの。また作ってあげよう。』

『コラッ!またわしのアイス喰ったろ!!まったく・・・・名前書いてたのにこれじゃけんね・・・・』

これらの言葉の声音が全て聡の声と合致した。

「・・・・・お兄ちゃん・・・・・・?」

葉子が呟くように聡に聞くと、聡はニッコリと笑って

「この薄情な嬢ちゃんはようやく思い出したらしい。わしの方は最初からわかっとったっちゅーねん。」

この一言で葉子は全て思い出した。
蓮城聡。彼はまだ四門会が健在であった11年前、彼女の師匠であるハリー・堀田を訪ねて来た事があるのだ。
彼は3ヶ月の間そこで過ごし、まだ小学生であった葉子と仲良くなったのである。

「ホンマに薄情なんじゃけぇね。別れる時にわしの袖にしがみついて泣きじゃくっていたのは誰かね?」

葉子はそう言われて、困り顔で笑った。そうなのである。
あの時、どうしても別れたくなくて彼の服にしがみついて行かないで欲しいと泣きながら懇願したのであった。

「思い出した?そんなら、その時自分が何を言ったか思い出してみるといい。」

聡にそう言われて葉子は暫く考え込んだ。別れの間際に葉子が言った一言。それは単に別れの言葉ではなく、何かの約束だったような気がする。
随分長い事考え込んで、ようやくその少し前に自分が言った言葉が思い出された。

「もし、次に会ったら・・・・・・」

そう呟いて葉子がまた考え込んでいると

「あと少しじゃね。がんばれ。」

聡にそう言われて、葉子は一心にその時自分が言った言葉を思い出そうとした。

「う〜ん・・・・次に会った時に・・・・・・」

そう呟いた瞬間突然葉子はその言葉を思い出し、耳まで真っ赤になった。

『私、お兄ちゃんのお嫁さんになる!!』

そう、幼き日の自分がハッキリと宣言したのを思い出したのである。

「ようやく思い出したようじゃね。わしゃ、てっきりその約束を守るために来てくれたんじゃと思ったのに。」

そう言って聡はからかうように笑った。
葉子の方はまだ赤面したままうつむいている。
そう。今ハッキリと思い出したのだ。
初めて手合わせをしてもらった後、彼は暫くそこに滞在し、必要であれば葉子の稽古に付きあい、時間があれば葉子と一緒に遊んでくれたのだ。
その時間の中で葉子は彼と離れたくないと幼心に思い始め、あのセリフに至ったのである。

「あの時、わしは再会した時にお互いに相手がいなければ。と言った記憶があるのぉ。で、わしには今の所おらんのじゃけど?」

葉子はうつむいたまま答えなかった。確かにその約束は思い出したが、今自分にそういった相手がいないと言う事を彼に伝えるのはなぜか恥ずかしかったからである。
そんな葉子をいたわるようにそっと撫でると、聡は

「ま、古い話よね。わしとしては、思い出してくれただけでもありがたいよ。」

そう言って優しく微笑んだ。その優しい笑顔を見た葉子は目に涙を浮かべてじっと聡を見つめ、そして静かに目を閉じた。
そんな葉子を聡は抱き寄せてその可憐な唇に自らの唇をゆっくりと重ねた。

一度で終わるはずはなかった。どちらからともなく、二度三度とキスを繰り返す。
飽く事もなく何度もそれを繰り返す内に、当然のなりゆきで大人の『それ』となった。
さすがに最初に聡の舌が自らの口内に侵入した時は葉子は狼狽したが、しばらくすると葉子の方から積極的にそれを求めた。

「ん・・・ぅん・・・むぅ・・・・」

必死で聡の舌に自らの舌を絡めている。
聡は名残惜しくも唇を離したが、銀色に輝く美しい糸が二人の唇をつないでいた。
少し寂しそうな葉子の視線を受けながら、聡は改めて葉子の胸に目を向けた。
聡が感じていたよりも幾分細身の体に、聡が思っていたより幾分大きなバスト。

「大きいな・・・・」

聡は思わずそう口にしてしまった。間近でみると迫力すら感じるその葉子の美しい胸の膨らみに今更ながら驚いたのだ。

「私は嫌い・・・・」

自らの胸の谷間を見下ろしながら葉子はそう呟いた。
そのセリフに怪訝な表情を浮かべている聡に、葉子は今度はハッキリとした口調でこういった。

「男の人にジロジロ見られるから・・・・」

無理もないだろう。この際立つ胸なら殆どの男は羨望の、いや渇望の眼差しで見るに違いない。
本人が望もうが望むまいが目立つこと請け合いである。

「もったいない話じゃね・・・・どれ程望んでもこんないいモン手に入らん人もおるじゃろうに。」

聡がそう言うと、葉子は恥ずかしそうに顔を背けた。

聡はゆっくりと手を伸ばすと、葉子の胸をすくい取るかのように優しくまさぐった。
たぷんとした重みが聡の手のひらを刺激する。
指先に力を入れるとふわりとした柔らかさがその指をつつみ込んだ。

「すごく柔らかい・・・・」

しかし、やわらかなまろみの奥にはかすかな堅い感触がある。
聡はそれを揉み解すかのようにゆっくりと指をくねらせた。
指の間からはみ出そうな柔らかな白いふくらみを、聡は二つ同時にもみしだく。
少しずつ力を加え、刺激を強めていくと

「ふ・・・んんっ!・・・んぅ・・・・」

葉子のかわいらしい口からかすかな吐息が漏れ始める。

「この中には、あんたの女性の魅力がたっぷりと詰まっている。」

優しい口調で聡がそう囁くと、葉子ははっとしたような表情で聡を見つめた。

「まだ・・・・嫌いかね?」

「そうでも・・・・ないかも。」

そう言って葉子はイタズラっぽい笑顔を浮かべた。舌先をチョロっと出してはにかむ仕草が愛らしい。

柔らかさの中にも張りのある葉子の乳房は、触れていた手を離すと適度な弾力でまた元の美しい形に戻る。
聡はその形を再び崩すように指を這わせた。

「は・・・・・ぅ・・・・はぁ・・・・」

葉子の息はすっかり熱を持っていた。
既に葉子の乳房の頂点は堅くしこり、うっすらと色づいている。

「先が少し堅くなってきたな・・・」

その胸の先に顔を寄せ、じっと見つめる聡に

「あ、あまり見ないで・・・・恥ずかしい・・・・」

そう哀願する葉子にはおかまいなしに、聡は唇をすぼめ、その先に口づけをする。

「ひゃっ・・・・」

葉子は驚いてピクンと反応した。

すべての音が消し去られた部屋で聡と葉子は体を重ね合わせる。
乳房にむしゃぶりついている聡のぬめった唇からピチャッピチャッと漏れる音。

「あっ!うぅん!!」

葉子は悦びとも苦痛とも取れる声を漏らた。
しびれるような快感が全身にほとばしり、それが全ての細胞に広がっていくかのようだ。
聡が乳房から顔を離して、再び葉子の唇に自らの唇を重ねると、葉子は夢中で聡の唇を吸い続ける。
冷たい彼の唾液を口の中でゆっくりところがした。
まるでそれが合図であるかのように、聡の指は葉子の最も敏感な部分に延ばされる。
葉子は唇を噛む。体をよじらせ、両手で聡の毛をむしった。

「うンッ!」

葉子は体をこわばらせてうめき声を上げた。

「少し濡れてきたね。」

聡は葉子の耳元でそう囁くと耳たぶをしゃぶり、優しく噛み、なめて吸い上げた。
聡の舌が熱を呼び起こす。
暖かく湿った聡の舌先が葉子の小さな耳穴に入った時、体の中からじわりと震えが沸き起こった。

「あっ!」

葉子は声を押し殺してのけぞった。その時、体をくねらせてしまったため、聡に背を向ける格好になった。
聡は、背を向けた葉子の耳たぶから肩にかけてのラインに舌を這わせ、後ろから乳首をゆっくり包んで、そしてゆっくりと再び口に含んだ。
葉子は体をよじらせ、体を震わせた。
聡はふっと笑って

「わしに・・・・任せてくれるかな?」

震える葉子の耳元で聡は優しくささやいた。
はにかむようにうつむいたあと、葉子は意を決して力強くうなずいた。
葉子はゆらゆらと揺れる自分自身の睫毛を自覚しながら、膨張する聡の男性自身を見つめた。
聡の興奮が葉子に伝わってくる。それは自分に向けられた感情であった。
下半身が少しずつ熱くなる。予感が最高潮に高まった。いよいよこれからだ。

聡は、葉子の下半身に延ばした手をずらし、尖った芽に触れた。淡い襞の合わさる部分にある、奥ゆかしい花芽。
既に半分以上剥けているようだ。
蜜を塗付けた指先で露出した部分をゆっくりと撫でる。

「んあぁぁぅ・・・んぅ・・・」

葉子は頬を上気させ、堪え難い快楽をその悦楽の声で聡に伝えた。
聡はさらに表面をさするように、花芽を指で刺激する。

「う・・・ぁ・・・・ぁ・・・・ぁう・・・・」

やや控えめとも取れる葉子の反応を確認すると、聡は不意をついて花芽を根元から摘み出すように包皮を剥き上げた。

「あぁんっ!!」

敏感な箇所を剥きだしにされてしまった葉子は、驚いたように声を弾ませて聡の行為に応えた。
先程の治療中の時とはまったく違う次元の激しい快楽に今までにない刺激を感じたのである。

「もっと今みたいな声を聞きたいもんじゃね・・・・」

そう聡は言ったが、葉子は無言で目を伏せた。どうやら声を出すのは葉子にとっては物凄く恥ずかしい事らしい。
しかし、そうであると分かると、そうさせたいと思うのが男の救いがたい部分である。
聡は先程よりもやや強引な手つきで葉子の敏感な部分を擦る。

「・・っっ・・・ぅ・・・あぁ・・・」

下半身に走る痺れは葉子にはどうしようもない。
聡の指の動きに合わせて下腹をピクピクと動かしながら熱い息を漏らした。
やや我慢して声を漏らすまいとしている葉子の耳元で聡は

「あんたのかわいい声を、わしにもっと聞かせてくれよ・・・・・」

そう言われた葉子は、ややためらいながらもこくんと小さく頷いた。
聡は小さなビーズのような感触の花芽を指でそっと摘むと、リズミカルにしごき上げた。

「ぁぁ・・・ん・・・・はぁぁ・・・はぁ・・・・」

葉子はまるで堪え難い刺激から逃れるように腰をくねらせる。

聡は、そこが既に十分に湿っているのを確認した上で、中指を葉子の秘孔にゆっくりと押し込んだ。
ちゅぷぷぷっという感覚を指先に感じながら、徐々に肉を押し広げ、ゆっくりと挿し込んでいく。

「う・・・・っ・・・・ぅぅぅっ・・・・」

ぬめぬめと熱い粘液が聡の指先に取り付き、それを助けに少しずつ指を沈めていく。
そして、指が約1/3程入った辺りで聡は一端指を止めた。

(・・・・・膜の感触が無い・・・・?)

しかし、実は聡はその事は事前に知っていた。なぜなら、彼女の血族の女性は全てがそのような体であると言う事を、聡は伝承でも、そしてハリー・堀田からのある告白からも知りえていたからである。

(なるほど。そういう事か・・・・・・光栄な役をハリーの旦那はわしに残してくれたのだな・・)

聡はそう思い、今は無き故人の冥福を祈りつつ、彼が自分に渡した責務を果たすべく再び指を動かし始めた。
指先でくすぐるように入り口を柔らかくほぐしていく。
浅くめりこんだ指を小刻みに動かすと、にち、にち、といった湿った音がしはじめた。

「聞こえるかね?」

聡のその問いに葉子は無言でかぶりを振った。この水音が罪悪感でも催すのだろうか。
聡はその音をあえて聞こえるように指を動かした。

にちゅ、にちゅ、にちゅ・・・

先程よりも数段淫靡な響きの水音が葉子の耳に嫌でも届く。

「いや・・・・聞きたくない・・・・」

恥ずかしそうに両手で自らの顔を覆ってしまった葉子。
そんな彼女の秘孔が十分に潤っているのを確認すると、聡は指を抜いた。

葉子の下側に移動して跪いた聡は、葉子の両脚をM字型に開いた。
既に十分に潤っている秘部を、葉子は両の手でかくす。それがかえって淫靡な情景となり、聡の情欲をおおいにくすぐった。
指を一本一本持ち上げ、ようやく聡は葉子の秘部と再び対面を果たした。
十分に潤っているその部分には恥毛は一切生えておらず、その艶めかしく輝く恥丘と微かに開いている秘孔があまりにも眩しい。

「おかしいでしょ・・・・?私のここ・・・・・だって・・・」

しかし、聡はその葉子の言葉を遮るように

「おかしくはないよ・・・・・本当に綺麗だ・・・・」

そう言うと、葉子の両脚の間に顔をうずめ、その麗しい花弁に口づけした。

「きゃんっ!?」

予想もしなかった場所に口づけされて、葉子は驚いて両脚を閉じてしまった。
ふくよかで柔らかい太ももに頭を包まれた聡は、そんな事にはお構いなしに花弁を吸い続けた。

「だ、だめよ!そんなトコロ・・・・あっ!あぁん!!」

幾度も口づけし、幾度も吸い上げる。
むさぼるかのように舌を這わせ、そのため葉子の秘孔はゆっくりと花開いていった。

聡は葉子の秘部にふたたび指を這わせた。
指一本でも奥まで入り切らないきつい感触。しかし、これから入れるそれはその数倍の大きさと太さを持った肉のかたまりである。
十分に中を潤し、ほぐしておかねばならない。

にちゅ、にちゅ、にちゅ・・・

淫靡な水音をたてながら入り口付近で小刻みに指を動かし、葉子の体に受け入れる準備をさせる。

「お、お兄ちゃん・・・・・」

・・・受け入れる準備はできた。葉子の瞳はまさにそう言っている。

「それじゃ、せめてそのお兄ちゃんてのはやめてもらえんかね?わしらは兄妹ではなく、一人の男と女として交わるのだから。」

そう聡に言われ、葉子は戸惑いの表情を浮かべた。

「じゃあ、なんて呼べば・・・・」

「そぉねぇ・・・・聡でいいよ。」

そう言われ、しばらく思案顔でなにか考えていた葉子はややはにかみながら

「聡・・・さん・・・・」

と小さな声で言った。

「はい。よくできました。」

そう言って葉子の髪をそっと撫で、唇をかさねた。
聡は自分の、おそらく人並み程度のモノを葉子の谷間にあてがい、ゆっくりと蜜をぬりつけた。

「うぅ・・・」

葉子の泉から、トクトクと透明な蜜があふれ出す。
聡はその泉の中心部に自分のモノをあてがった。

「葉子ちゃん。もう少し体の力を抜いて。」

「は、はい・・・・」

葉子が力を抜いたのを確認すると、聡はグッと腰を突き上げ、葉子の花芯を貫いた。

「うっ・・・うぅっ・・・・あああぁぁぁんっ!!」

葉子の下腹部に破瓜の痛みが走る。はずであった。

(い・・・・・痛くない・・・・?)

葉子の戸惑いには頓着なく、聡は侵入を続けた。
一気に奥の方まで堅い感触が葉子の下腹部を直撃する。

「んうっ・・・・あぅぅ!」

体をのけ反らせて葉子は戸惑いと、それを打ち消すような奇妙な感覚にさいなまれた。
聡のそれは生暖かい感触に包まれ、葉子の中をいっぱいに満たしている。

「あ、あ、あ、さと・・し・・さん・・・」

弱々しい声で葉子は身を震わせる。下半身を埋め尽くす感覚が苦痛なのか快感なのか分かりかねているのだろう。
しかし、そこが敏感であることに変わりはなく、聡が僅かでも動こうものなら

「んぅっ・・・」

低く喘ぎ、無意識に腰を逃がそうとしてしまうのだ。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・」

辛そうに息を喘がせる葉子に、聡はいささか心配になった。

「まだ、動かんからそのまま息を落ち着かせるがええ。」

聡のその言葉に頷きながら、葉子は胸部を上下させながら息を整えようとしている。
聡の額にうっすらと汗が浮かんでいる。それは葉子も同じであった。

「聡さん。汗・・・・・」

「ああ。葉子ちゃんの膣(なか)、入れてるだけですごくいいから。」

聡にそう言われ、葉子は途端に耳まで真っ赤になった。

「あ、あの・・・私はもう大丈夫だから・・・・」

葉子のその言葉を合図に、聡は葉子のそのくびれた腰に手を当てると、やや慎重にくさびを引き抜いた。

「は、ああぁ・・・」

引き抜きつつ、聡は葉子の膣のざらついた感触を楽しんだ。
襞のひとつひとつをなでるかのようにじっくるとなぞり上げる。
半分程引き抜くと、再びゆっくりと葉子の中にそれを押し戻す。

「んっ・・・んんっ・・・また私の中に・・・・」

入れる時は出す時よりも数段ゆっくりと動かす。葉子がこの感覚になじむための聡なりの配慮であった。
聡が侵入と撤退を何度も繰り返すうち、葉子の体に変化が現れた。
聡がモノを膣内から引き抜こうとすると

きゅっ、きゅっ

とそれを引き止めるかのように収縮を繰り返すのである。

(少しずつ感じ始めたんかもしれんの・・・・)

そう思った聡は試しに奥までズンッと突き上げてみた。

「あ、ああぁっ!?」

その途端、葉子はせっぱ詰まった声を上げて体をのけ反らせた。
弓なりにのけぞる葉子をそっとつま弾くような感じで聡は抱きかかえ、再び奥へと突入する。
聡は葉子の腰を押さえると、奥の方をすり鉢のようにこねまわした。

「え、ぇ、あっ、あぁっ!!」

こらえきれずに声をもらす葉子を、聡は優しい視線で見つめた。
そんな聡を、葉子はトロンとした火照った瞳で見つめ返した。

「もう一度動かすよ。」

聡のその言葉に葉子は一つ頷くと、ぎゅっと目を閉じた。
聡は葉子に覆いかぶさり、結合部を深く密着させた。

「ふあぁっ!!」

結合がふかまり、葉子は高い声を上げてのけ反る。
聡は、モノの先端に子宮口があたっているのを感じ、そこを支点にして膣口を広げるように腰を回転させた。
ねじこむように子宮口と亀頭をすり合わせる。

「んっ・・・・奥・・・に・・・・」

回転するたびに当たる角度が変わるのか、葉子は毎回違った反応を示して聡を喜ばせる。
聡はさらにモノを前後に動かして摩擦を加えた。

「あっ・・・んぁ・・・もう・・・・だ・・・・め・・・・」

回転と前後の運動が一つになったとき

「ああっ!んん・・・・うあぁん!!」

葉子はひときわ甘い悲鳴を上げた。聡の方もだんだん下半身が痺れてくる。
目の前をたぷんたぷんと揺れている葉子の乳房を手のひらに包み込むと、聡は腰の動きをさらに加速させた。

「あ、ん、さ・・・聡さん・・・」

おびえるような、それでいて快楽を貪る渇望があるような声音で葉子が聡に呼びかける。限界が近いのだろう。
やがて、葉子の喘ぎ声の間隔が短くなっていくのを感じた聡は葉子が昇り詰める直前である事を悟った。

「んっ・・・わ、わたし・・・んっ、んっ、あ、あぁ〜〜〜〜〜!」

葉子が可愛らしい啼き声を響かせて果てるのとほぼ同時に聡にも限界が訪れた。
最上の快楽を分かち合いながら、聡はその哮る逸物から荒々しい情念の証を葉子の最奥に放ち、果てたのであった。

聡はシーツに顔をうずめたまま無言でいる葉子を覗き込んだ。
目を閉じている葉子の前に、漆黒の闇が広がる。まるで一人で置き去りにされたかのようである。
聡はそっと脇にあったランプのスイッチを入れた。
たちまち、漆黒の闇は夕暮れに入れ替わる。
夕暮れに滴り落ちる雫は紅色であるはずであった。
葉子は目を開けた。その視線が聡のそれとぶつかる。
聡は葉子の唇にキスしたいという衝動を抑え、葉子の柔らかな髪の毛をなでた。
そっと体を横にずらした葉子の視界に皴の寄ったシーツが飛び込んできた。
葉子はそれを見て蒼ざめた。紅色にそまっている筈のシーツはまるで最初のままの色だったからである。
起き上がって隅々まで探したが、破瓜の証はやはり見つからない。
葉子は泣きそうな顔になった。

「心配しんさんな。わしはあんたの純潔を露程も疑ってはおらん。」

そう言って聡は葉子を抱きしめた。

「くわしくは知らんが、そう言う人もおると聞いた事がある。人によっては初めての侵入でも痛くない事があるんだそうな。了見の狭い男はそれでその女性から離れると言うが・・・・・ね。」

悲しそうに見上げる葉子に、聡は優しく微笑みかけた。

「アンタの最初の男がわしだった事は光栄な事だ・・・・・」

「もう一度・・・・抱いて・・・・」

葉子は呟くかのようにそう言った。この時の心境は自分でも良く理解できなかったが、恐らく『女』になった自分の体というものを確かめたかったのだろう。

「少し休んでからの方がよかろう。」

聡の優しさが葉子の気持ちを昂ぶらせ、葉子は彼にしがみついた。

「嫌。今すぐ抱いて・・・・」

しかたないな。と言った感じで聡は微笑むと、葉子の体を抱き寄せた。
この夜、二人は幾度となく体を重ね、唇を重ねた。
回数を重ねる度に、葉子の体は不安から開放され、それが生み出す快楽に酔いしれた。
やがて、その意識は遠のき、葉子はそれまでに感じたことの無い安息感の中でこれ以上無いほど心を休ませて深い眠りについたのであった。
1-10 薫風 了
闇の裏側にありし者

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