闇裏外伝 |
酷く『渇いた』臭いがする。 『焼け焦げた』と言う方が正しいのかもしれない。 木や紙が焼けた臭い。ゴムやプラスチックが焼けた臭い。石や金属が焼けた臭い。 何より人間が焼けた時の特有のオゾン臭。 胸が悪くなりそうな臭いばかりである。 そのような事を考えながら、彼女はゆっくりと目をあけた。 そこはまるで高垣に囲まれた庭の様な場所で、彼女は中央に置かれたベッドの上に身を横たえている。 しだと草でしきつめられた、ふかふかと柔らかいベッドの上に。 先程までの悪臭は全くなく、逆に花々や空気の鮮やかな匂いがあたりに立ちこめている。 彼女の傍らには一人の女性が真っ白なイスに座っていた。 やや小さめの頭の後ろで束ねられた長い銀色の髪は、結んであるにもかかわらず床にまで達している。 彼女はその人にここはどこかと訪ねた。 その人はここは自分の居室であると答えた。 さらに言えば、ここはデル・エレスセリア、すなわち『賢人王の塔』であると付け加えた。 彼女は驚嘆してその人に目をやった。 西の空には宵の明星が白く美しく輝いてた。 美那須市の中心部を循環する環状線、美那須中央線の盛具(もるぐ)駅のホームに電車が滑り込んで来るのを、西野あすみはボンヤリと眺めていた。 正直に言えば、かなり飽きてきているのだ。 彼女の姉、西野かすみがエンジェルブラッシュの秘密製造所と思しきポイントへの潜入任務に当たる3日程前から、あすみはそのエンジェルブラッシュ絡みのある痴漢事件を追っていた。 美那須市の中心地にある日本はおろか、アジアでも屈指のサッカー場、美那須スタジアムに本拠地を置くサッカーチーム『ベスパス美那須』。 地元での人気が物凄く高い(しかし実力は三流以下の)このチームの試合や、スタジアム練習前後のラッシュ時を狙って必ず現れるというその痴漢は、ターゲットにした女性の胎内にカプセルに入れた液状のエンジェルブラッシュを挿入して行為に及んでいるというのだ。 現在は麻薬及び向精神薬取締法によって規制されているため表立って販売される事は全く無いこの薬だが、規制を受ける前に市販されていた頃は、粉末状で販売されていたため液状のカプセルでは販売された事はない。 つまり、表向きの販売実績が全くないその薬は、最近精製されたものである公算が高いと言えるのだ。 であれば、その痴漢を押さえる事によって麻薬の密造組織にたどり着けるのではないか。 それが警察の当初の見解だった。 しかし、捜査が進むにつれこの事件にはどうやらヒュドラの下部組織である「ブラッディ・ドラゴン」が関係している可能性が浮上してきたため、事態は大きく変わってしまったのである。 「ブラッディ・ドラゴン」は巧妙に実社会の中に入り込んでいて、実際警察組織の内部にもこの組織と係わりの深い者が大勢いると言われている。 そのため、事件を解決しようという現場と、上層部の顔色を窺うキャリア組、いわゆる一流大学を卒業したエリート達の間でいさかいが起こり、捜査は完全に暗礁に乗り上げたのである。 そんな中、心ある一部の警察のキャリア官僚がこの件を極秘に調査するように西野(株)に依頼。 それを受けて、あすみが調査を続けてきたのである。 いつもの場所でいつもの通りあすみが乗り込むと、電車はゆっくりと走り出した。 彼女のこれまでの地道な調査から、犯人は7時23分発のこの電車の先頭車両の出入り口付近で犯行に及ぶ事が多い。 そこであすみは一計を案じたのである。 名付けて、『調虎離山(ちょうこりざん)の計』。 葉子とは比べ物にならない程アカデミックな作戦名だ。 古代中国の兵法『三十六計』(元々は36も計略があったわけではないが)に第十五の計略として紹介されている策略である。 おそらく敵は大胆な犯行の手口からして痴漢と被害者、つまり犯人である自分が強者で被害者が弱者であるという構図を勝手に作り上げてしまっている。 強者であるはずの自分が弱者であるはずの被害者に捕らえられるはずがないと考えているようである。 作戦としては、弱者であるはずの被害者、つまりこの場合はあすみがその状況を打破する事によって優位に立ち、犯人を取り押さえてしまおうという事なのである。 あえて西野指定の制服を着用せず自らの私服で電車に乗り込んでいるのは、敵の油断を誘うという作戦の一環であった。 黒とオフホワイトのチェック柄のワンピースに、ユーズド感のある短めの丈のデニムジャケットというラフな着こなしのあすみの姿を見れば、彼女が調査任務にあたる退魔士である事に気がつくものはいないであろう。 その姿はまさに、美那須市の郊外にある大馬(おおま)大学に通学する女子大生である。 もっとも、彼女の場合は同大学の学生ではなく客員講師であるが。 また、そのワンピースのスカートは美しいあすみのお尻のラインを見事に際立たせている。 ひざ上15cmといった短いそのタイトなスカートから見える健康的な脚は、痴漢にとって極上の獲物と言えるだろう。 おまけに、彼女が生来持ちあわせているその美貌も見逃せない。 母親譲りの美しく整った顔立ちに、愛らしく大きな紅い瞳。 胸は最近の風潮から見れば(また姉と比べても)決して大きく無いが、その形の美しさは見事としか言い様がない。 その優美な曲線は、かの『横たわる女(ひと)』を作成した偉大なる彫刻家、ヘンリー・ムーアの作品のそれも遠くおよびはしない。 私服になるとよりいっそうそれが目立つ。いつまで見ていても飽きることは決してないだろう。 この姿ではターゲット以外の痴漢は勿論、そのつもりもない男連中も寄りついて来るのは自明の事であった。 一つ駅を越えるとそれ程混んでいなかった車両も一気にすし詰めである。 その殆どの者がベスパス美那須のチームのユニフォームに身を包んでいる。 話題は勿論今日の試合の結果予想と、花形選手についてが殆どだ。 あすみはサッカーの事などまったくわからないが、この人達のためにもチームには頑張って欲しいと密かに思っていた。 これまでの調査の結果、このあと二駅程の間に問題の痴漢が現れるのだが、これがやけに長くあすみには感じられた。 いや、おそらく移動中の殆どの人間がそう思っている事だろう。 車窓の外に目を向けて朝日の眩しさにまゆをひそめるのも、実際はギュウギュウ詰めの車内の現実から少しでも逃避したいという思いからなのかもしれない。 暫くすると、あすみの真後ろに立っていた男が突然 「勃ってきちゃったよ。」 と小声で言ってきた。その声を聞いてあすみは慄然とした。 なんと、その声の主こそ彼女がマークしていた男だったのである。 こんなに近づいて体を密着させるらまでまったく気がつかなかった。 二つ名こそ未だ無いものの、『極東魔女』の異名を取る母親にして西野(株)の社長、西野那由の後継者として名高いあすみをしてである。 驚いて体を反転させようにも人が密集しているため思うように動かせない。 そうこうしている間にも男の手があすみの腰を掴み、下半身を擦りつけてきた。 「やっ・・・・ですぅ・・・・・」 小さな声で反抗しつつ、どうにか動かせる右手で犯人の腿を抓ろうと手を後ろに持っていくと、男は何とあすみの手を掴んで自分の股間に擦りつけたのだった。 あまりの出来事にあっけにとられているあすみをよそに、犯人はさらにスカートの中に手を入れてきて後ろから秘部を下着越しに撫でてきた。 あすみは一瞬、ビクッとなって男の指に神経を集中する。 (あぁん・・・だめですぅ・・・他の人に見られちゃいますぅ・・・) あすみは周りを気にしながら周囲を見渡した。 しかし、彼女の心の動きに関係なく体の方は素直に反応してしまう。 いつしか、あすみは痴漢の手の動きに合わせて腰を動かしていた。 男はさらに強くあすみの秘部を擦って来る。 (だめですぅ・・・そこ、そんなにされたら感じちゃいますぅ・・・) 必死に声をかみ殺していても、あすみがその行為に興奮し、過敏に反応しているのは明らかだった。 痴漢はあすみの耳元で 「あんたも興奮してきたんだろう?」 と言ってきた。あすみが恥ずかしさもあり、首を横に振ると男は 「嘘つけ。パンティの上からも濡れてるのがハッキリわかるぞ。中はもうグチョグチョだろ。」 そう言うと、なんとあすみの下着の両端を手慣れた手つきで切り取り、その下着を奪って自らのポケットにしまいこんだ。 まさに一瞬の出来事であった。 「驚いたかい?俺はこの手で触れたものは大概のものは切る事ができるのさ。もっとも石みてぇな硬いもんは無理だがな。」 そういうと、痴漢はスカートの下に露になってしまったあすみの秘部に指を伸ばした。 「あんた、濡れすぎだよ。せっかくだからコイツも味わいな。」 耳元でそうささやきながら、痴漢はあすみのトロトロの膣に指を入れて、なにか小さなものを挿入した。 あすみは咄嗟に 「あん」 と小さな声を漏らしてしまった。 男の指はお構いなしにズボズボとあすみの中に出たり入ったりしながら他の指でクリトリスを刺激してくる。 (ああぁぁ・・・いぃですぅ・・・ああああぁ・・・すごい・・・こ、声が出ちゃいますぅ・・・) ゆっくりと刺激されていたあすみの秘部に灯がともったような感覚が込み上げてくる。 いくらあすみがこういった感覚に弱いとはいえ、その燃え上がり方は尋常ではない。 (やっぱりぃ・・・この人が犯人ですぅ・・・つかまぇ・・・・あぁ・・・んぅ・・・) 必死に抵抗しようとするあすみの理性を剥ぎ取るかのように、男の指は何度も執拗にあすみの中に出入りしながらクリトリスを刺激する。 「なかなかいい締まりだな。あまり使い込んでないんだろ。ためしてやるから喜びな。安心しろ。さっき薬を入れたからな。こいつは性感を高めるだけじゃなく、強力な避妊作用もあるスグレモンだぜ。おまけに、ザーメンはこいつの解毒薬にもなる。たっぷり膣に出してやるよ。」 突然、電車が減速しはじめた。停車駅が近づいて来たのだ。 男は口惜しそうに一つ舌打ちをすると、名残惜しそうにゆっくりとあすみの秘部から指を抜いた。 電車はゆっくりと右にカーブしながら阿能留(あのうる)駅の小さなホームに滑り込んで行った。 ドアが開くと降りる人と乗り込む人で人波が動く。 そんな中パンティをはぎ取られ、スカートの下には何もまとっていないあすみは、恥ずかしさで顔を上げられないまま人の波に流される他ない。 人波に押されて電車から降りてしまわないように注意をしつつも、あすみの内に灯った情念の焔はますます燃え上がっていく。 自らが分泌した甘い蜜が内股を伝って下へと流れ落ちていくのを感じながら、あすみは自ら作り出した淫らな妄想の世界へと否応なく引き込まれていった。 無意識のうちに右手で自らの胸を。左手で下腹部をさすりながらその快感に小さく体を震わせる。 電車が出発するアナウンスの声を聞きながら、あすみは自分の体を蹂躙する複数の手の感触を想像して身悶えした。 やがてドアが閉まり電車がゆっくりと動き出すと、さっきと同じように背後に男の気配を感じとった。 先程よりやや大きい男の気配にあすみは戸惑ったが、相手はそんな事はお構いなしにいきなりスカートの中に手を入れ、あすみの膣に再び指を差し込んできた。 指を出し入れし、激しく秘部をかき回しながらクリトリスを責め立てる男の指に抗う術は、もはやあすみには無かった。 あるのはどこか背徳的で淫らな快楽に身を委ね、頂点に昇りつめる事を望む一人の女の姿であった。 もし、もう少しあすみに余裕があれば、今自分を弄んでいる男の指が先程のものと比べるとやや太めで、自分の下腹部に金属が触れるような感触がある事に気がついたかもしれない。 しかし、いまの彼女は頂点に昇りつめたいという淫らな望みに思考の殆どを奪われてしまっている。 そのため、自分の体を触る手の感触のわずかな差異などまったく気付かなかったし、どうでもよかった。 あすみが一人、淫らな妄想を膨らましていると男は少しスカートを上げ、あすみの股間に熱くなった逸物を滑り込ませて来た。 男はその体勢のままあすみの腰を掴み、電車の動きに合わせて腰を動かしてくる。 あすみの秘部に男の逸物が擦れる。そのたびに彼女は声を出さないように必死で我慢した。 (ああぁぁ・・・気持ちいいぃですぅ・・・もうそのまま入れちゃって欲しいですぅ・・・) 膣に挿入された薬が効いてきたのか、あすみは股の間にある肉棒を入れられることしか考えられなくなってしまった。 周りの人間は二人に背中を向けるように立っていて、そこで行われている淫靡な行為には全く気付いている様子は無い。 あすみはなぜか安心して視線を横に向けた時、信じられないものを見る事になった。 なんと、そこには良く見知った人物の顔があったからだ。 派手で趣味の良くない黄色いTシャツ。 やや肉付きの良い、というよりは太り気味の体。 ボサボサで手入れのされている様子のない白髪交じりの頭。 そう。それは2週間前、あすみが広島を離れる際に彼女の肩に「あっぱらぱー娘」と書いたメモを貼り付けた男の姿であった。 「暫くぶりぢゃね。あすみちゃん。ちょっと待ってね。解毒したげるけん。」 笑顔を浮かべつつも、心の奥底を伺い知る事のできない光を宿した目であすみを見つめながら、聡は耳元でそう囁くと、彼女を抱きしめて体を上下に動かした。 そして次の瞬間、あすみの中に聡の逸物が入ってきたのだった。 「ああぁぁ・・・」 それは、聞こえるか聞こえないくらいの嬌声だった。 聡はそれを確かめるとゆっくりと腰を振る。 あすみは黙って聡のされるがままになっていると、彼の手は前に回り、あすみのスカートを捲り上げてクリトリスを刺激してきた。あすみは (あああぁぁ・・・聡おにいちゃん・・・気持ちいいですぅ・・・) とうとうそう思い始めた。 最初のうちは葉子に対する罪悪感が先行し、素直に悦べなかったが、繰り返し聡の逸物を受ける度にその思いは小さくなり、ついには目の前の快楽に酔いしれてしまっていたのである。 あすみの中から液が溢れ出てきて聡の逸物を更に奥まで誘導する。 (ああぁぁ・・・感じちゃうぅぅ・・・葉子お姉ちゃん・・・ごめんなさいですぅ・・・私・・・聡おにいちゃんにされてますぅ・・・) あすみの脳裏に優しげな、そしてどこか寂しげな葉子の笑顔が浮かんで消えていく。 その事に一抹の寂しさを感じつつも、あすみはどこか背徳的な快楽に酔いしれていった。 次の到着駅である居志瑠(いしる)駅に到着すると、聡はあすみとつながったまま彼女を出入り口付近から手すりの影に誘導した。 電車が駅を離れ、スピードを上げていく頃になると、あすみは自ら腰を振っていた。 後ろから突き上げられる衝撃に身を震わせながら、必死で声をかみ殺している。 「窓ガラス越しにあすみちゃんの顔がよお見えるよ・・・声出さないように我慢してる表情がかわいいねぇ。」 耳元に息を吹きかけながら聡がそう言う。 (ふぁっ!そんな事されたら・・・・あすみ変になっちゃいますぅ・・・) ふるふると腰を震わせながら聡の行為にあすみが応える。 そのあすみの腰を聡はつかみ、さらに深く押し付けてきた。 「へ・・・変になっちゃいますぅ・・・!」 小さな声で悲痛な叫びを上げるあすみのクリトリスをいじくりながら、聡はさらにアナルに指を侵入させた。 ぐちゅっという水音をたて、新たな愛蜜がつながった場所で激しいしぶきをあげる。 それとほぼ同時にあすみは無言のまま体を痙攣させて絶頂を迎えた。 そしてフラフラで意識が朦朧とする中で膣の中に熱い物が放たれるを感じるのだった。 初夏の新緑に負けないくらい美しく塗装された緑色の車体を照りつける陽光を受けて輝かせながら、電車が手結洲駅に滑り込んで行く。 どこかのお笑い芸人のネタのような口調で車掌が到着した駅の名前をアナウンスする。 それから僅かばかりの間を置いてドアが開かれ、乗客がホームへとなだれ込んでいった。 ゾロゾロと続く人並みの最後尾に聡とあすみが並んで続く。 聡は何事もなかったかのような表情を浮かべているが、あすみはやや頬を上気させたまま、聡の方を横目でチラチラと見ている。 その様子に気がついた聡があすみに視線を向けると、あすみの方は顔を赤くしながら目を逸らした。 先程の行為の余韻がまだ残っているのか、あすみの足元はややふらふらとしている。 改札口の手前で聡は立ち止まると一度大きく背伸びをし、後ろを振り返ってあすみに言った。 「いけんね。プロの退魔士があげなショボい手口の痴漢なんぞにええようにされては。」 からかう様に笑う聡に、あすみは少し頬をふくらませた。 「まあ、今回はたまたまわしがおったからええようなものの・・・・・ときに、はい。」 そう言うと、聡はあすみにボールのような物を差し出した。 大きさとしてはソフトボールの2号球程だろうか。 一般の公式戦などで使用されているものと比べると一回り小さい。 上半分が朱色に、下半分が白に塗装されたその球は、まるでモ○ス○ーボー○のようである。 「中国に昔あった殷(実際には商と呼ぶ方が正しいがの)とかいう国と周とかいう国が戦争していた頃にいたという仙人が使用していた仙器をヒントに広島県警が開発した『対魔物及び能力者捕獲装置』よね。あんたの事を触っとった痴漢はそいつで捕獲しておいた。」 目を丸くしながらその球をまじまじと見つめていたあすみは、その球の表面に小さなボタンのような物がある事に気がついた。 「これは何ですかぁ?」 「そいつを押すと中のヤツが飛び出してくる。球自体が中のヤツを記憶しているからどこに逃げてもこいつをもう一度押せばまた中に強制的に戻される。ようできとるよね。」 そう言って聡はあすみに球を手渡すと 「さっきは気持ち良かった?その気があるならまた相手をしてあげよう。ただし、葉子ちゃんにはナイショでね。バレたら宇宙の果てまですっ飛ばされる。それにしても、『調虎離山の計』のつもりならもう少し注意力が必要ぢゃね。」 そう言って、聡は改札口を通り抜けた。 あすみは複雑な表情を浮かべたままそれに続いた。 約束の時間の10分程前から、その人は駅の改札の出口付近で一人待っていた。 オレンジがかった腰のあたりまで伸びた長い栗色の髪。 均整のとれたまゆ毛、豊かなまつげに大きな、深い藍色の瞳。 美しく通った鼻筋にキュッとすぼまった唇。 ふくよかな胸ときちんとくびれたウェスト。 そして細すぎない、程よく丸みを帯びた白い足。 誰もがため息をつくような美しい女性だ。 白いブラウスと赤いジャケット、えんじ色のタイトスカートがよく似合っている。 「そろそろだと思うんだけどな・・・・・」 腕時計で時刻を確認して彼女、藤倉葉子は呟いた。 彼女はデートの約束をした蓮城聡を待っているのである。 もっとも実際は、そう言って彼を呼びだすように彼女の所属する西野怪物駆除株式会社の社長、西野那由に指示されたからではあるが。 しかし、その事は既にしっかり聡にバレている。 世の中でこれほど嘘が下手な人も珍しいだろう。 逆に言えば、これほど騙されやすいタイプもそうはいないと言う事になる。 待ち人である聡が、本当はその事をすごく心配しているという事など、本人は知るよしもなかった。 待ち合わせの時間は8時30分。 間に合うように動くのであれば先程到着した電車に乗っているはずである。 やがて、多くの降車客がゾロゾロと階段を下りてくる。 そのおびただしい数の人波の中から見知った顔を葉子は見つけることができた。 相手もこちらを見つけたようで、葉子の方に向かって歩み寄ってくる。 彼女は軽く手を上げて笑いかけた。 「しばらくぶりですね。聡さん。」 そう声をかけられた聡は返事をする事もなくじっと葉子を見つめた。 以前広島で会った時とは違う、少しあらたまった感じの服装の葉子は、彼が新幹線のホームで見送ったその姿とは少し赴きが異なる。 聡は以前会った時の、葉子より4つも年下のかすみと並んでも幼い雰囲気を持った彼女の面影と今の彼女の姿を重ねてみた。 彼女はその1月にも満たない僅かばかりの間に少し痩せてきれいになったのだ。 どこか清廉で、どこか淫靡で、美しくもかわいらしい。 暫くぶりに再会した聡の葉子に対する率直な感想だ。 彼女の体からそこはかと無く漂う香気は、以前の彼女には無かった。 可愛らしさを残しつつも妖艶な雰囲気を醸している。 周囲の男どもの視線が集まるのも無理からぬ事だろう。 「なんか、暫く見ん間に少し綺麗になったような・・・・・」 「もぅ〜。何言ってるんですかぁ〜。」 聡の意外な言葉に葉子はやや照れながら、照れ隠しに聡の肩を軽く押した。 しかし、『軽く』というのはあくまでも本人の主観であって、受けた者の主観はそれとは大きく異なる。 葉子に『軽く』押された聡は、立っている場所から思いきり後方に飛ばされ、駅に常設されているゴミ入れに激しく衝突するハメになったのである。 まさかそのような目に合わされるとは思っていない聡がそれに対して無防備だったのは言うまでもないだろう。 「きゃあっ!聡おにいちゃん!!」 葉子のそばから、彼女が予想していなかった声が聞こえた。 葉子は、聡のかたわらにあすみがいる事など全く気がついていなかったのである。 「あすみちゃん?なんでここにいるの?」 葉子のその言葉を聞いて、あすみはぶーたれた表情をうかべた。 「葉子お姉ちゃんひどいですぅ。あすみはずっと聡おにいちゃんと一緒にいたんですぅ!」 そう言うと、かわいらしくそっぽを向いてしまった。 「ごめんごめん。まさか一緒にいるって思わなかったから。」 「どうでもええが、もう少し心配するなり謝るなり片付けるなりする気にはなれんのかね?」 ややくたびれたような口調でそう言うと聡はゆっくりと立ち上がり、周囲に散乱したゴミを集め始めた。 すっかり変形したかつてゴミ入れだったものを見れば、聡がどれ程の勢いでそこに激突したかが良く分かる。 「ごめんなさい聡さん・・・・でも、なんで二人が一緒に?」 ちらかってしまったゴミを片付けながら、葉子が疑問を口にした。 そこで聡は、新幹線で自分が広島駅を出発してから、乗り換えた電車のなかで偶然あすみを見つけるまでの話を葉子とあすみに聞かせた。 途中わき道にそれながら、あすみに出会うまでの話を逐一しているので、いつまでたっても葉子の質問に対する答えの部分まで話がすすまない。 業を煮やしたあすみが横から口をはさんだ。 「あすみは、極秘任務である人物を追っていたんですぅ。」 そう言って、今度はあすみが電車に乗り込んでからの話を最初から最後まで葉子に話して聞かせた。 もっとも、聡があすみを手助けした具体的な流れに関しては巧妙に話を逸らせてはいるが。 流石は大学で客員講師として講義を行うだけあって、その部分を省いての説明にはまったく手抜かりも落ち度もない。 聡はその話をわきで聞きながら時々相づちをうったり、嘆声を漏らしたりしていた。 話をしながら歩いていると、やがて3人は駅の出口付近までやって来た。 ロータリーで客を待っているタクシーの列が3人の目に入ってくる。 その少し右手寄りにあるのはバスターミナルだ。 コンクリートタイルで敷きつめられた無機質な通路の両側は、これまたコンクリートブロックで作られた無機質な花壇がある。 花壇には、等間隔で植えられたカザニアンクイーンやサルビアがそれぞれの色を主張しあっていた。 どこにでもある、比較的新しい小規模な駅の風景である。 「わ〜い!葉子お姉ちゃんの車ですぅ〜♪」 便利な公共交通機関に一切目もくれずに、あすみは駅前に堂々と止められた一台の黒い車に走り寄った。 その車を見た聡は一瞬言葉を失ってしまった。 アングリと間抜けに開いた口を自分の手で下あごを押して閉じるというコントじみた行動を取るのが、彼の精一杯であった。 「これ・・・・・葉子ちゃんの・・・・・・?」 全長は優に5mはあるであろうその車を見ながら、聡は唖然として聞いた。 「ハイゥ」 車幅も2mに届こうかというその車を誇らしげに見ながら、当然と言った面持ちで葉子はそう答えた。 「葉子お姉ちゃんの車は大きくって、乗り心地も最高ですぅ〜♪」 ホイールベースは約2.6m。車体重量も2t近い。 「車の維持費だけで給料が消えるんと違うの?」 総排気量は5,646cc。最大出力は389psを誇るその車の黒光りする車体に気圧されながらも聡がそう口にする。 「・・・?そうでもないですけど?」 最大トルクは58.1kg-mをたたき出し、2t近い車体にも係わらず0m〜100mまでの加速はわずかに6.2秒。 (退魔士の仕事って、そんなに金がええんか・・・・・・) 確かに命がけの仕事であるため、待遇や給料がいいという事はある程度予想できていた。 しかし、葉子はあくまでも嘱託であって、正社員ではない。 おまけに、普段はただの女子大生に過ぎないのである。 しかし、以前葉子が広島にやって来た時持っていたバッグの値段は、当時聡が所属していた九条ワークスの3ヶ月分の給料であった。 その事から聡は、葉子の月々の収入をある程度予想はしていた。 よくよく考えなくとも実に下世話な事ではあるが、それにしてもいかに葉子がそういった小物と車にしか金をかけないとはいえ、これはまさに予想外以外の何者でもなかった。 その車はドイツが誇る自動車メーカー、BMWがライバル社であるメルセデス社のAMGに対抗してリリースしたLセグメントスポーツサルーンの最高峰。その名もアルピナB12であった。 (エスリンより給料ええんと違うか・・・・すげぇなぁ・・・・・) 葉子がその重厚なドアのロックを外すと、あすみは嬉しそうに後部座席に乗り込んだ。 「さあ。どうぞ。」 葉子にそう促され、聡もやや気後れしながら助手席に乗り込む。 重たいドアの締まる「バドムッ」という重厚な音は、こういった高級車を手に入れた者にのみ与えられた特権のようであった。 「先にあすみちゃんを本社に送ってからですけど、どこか行きたい所はありますか?」 そう聞いてきた葉子に対し、聡は 「おや?わしが搬送される先もそこではないのかね?」 と聞き返した。 不思議そうな表情であすみが後ろから二人のやり取りを見ている。 「・・・・・気付いてたんですか・・・・」 少し寂しそうに葉子がそう言った。 「いやいや。あんたに騙される人間なんぞおらんと思うぞ。さて。んじゃとっとと行きますかね。」 聡のその言葉を合図に、葉子がキーを回た。 巨大なエンジンが奏でるエキゾーストノートが聡の耳朶に響く。 聡の愛車の優に2倍強の排気量を誇るそのV12エンジンの威力を知るにはそれで十分だ。 2、3度アクセルを踏み込んでエンジンを煽る葉子の様子を見て、聡は少し不安になってきた。 「葉子ちゃん・・・・?できれば安全運転で・・・・・」 「分かってます♪」 そう言うや否や、葉子はシフトレバーを握りしめ、クラッチをつなぐ。 途端に凄まじいホイルスピンを起こしながら、葉子の愛車アルピナB12は疾走を開始した。 「ぎぃやぁぁ〜〜〜〜〜!!!!!」 聡の断末魔の叫び声を残して、巨大な黒いマシンは駅前の道路を凄まじい速さで走り去っていった。 駅前にたまたま居合わせた人々は唖然として、徐々に小さくなっていく車影を見送るのみであった。 |
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