The Nameless Magician |
『無名術師(The Nameless Magician)』 これは、俺が人生最大の危機に直面した時の話である…… 「この辺りなんだがなぁ……」 胸ポケットから取り出した、一見前世紀末頃に実在した携帯ゲーム機のような機械の液晶画面を覗き込み、俺は途方に暮れたような声でそうつぶやいた。 結界と連動して侵入者の位置を表示しているのだが、元にしているのが広域結界なので、どうしてもその分精度が落ちる。結果として、大雑把な位置しか把握出来ないという重大な欠点を抱えてしまっているのだ。 「トラップにでも引っかかってくれりゃ一発なんだが……」 この施設全体に、一ヶ月近い時間をかけて設置した罠の数は大小合わせれば百近い。その一つ一つも発動、又は解除されれば液晶上に表示される仕組みになってる。 手間と……そして金がかかってるんだよ、このお仕事には。 周囲と液晶を交互に睨みながら、完全に憶え込んでしまった通路を歩きまわる。と、心待ちにしていたトラップ発動の表示が画面に映し出された。 「場所は…… なにぃ、この上だとぉ?」 慌てて通路の天井を見上げた俺の目は、ぽっかりと空いた丸い穴と、そこから落ちてくる謎の物体を捉えた。 俺の真上での出来事だ。落ちてくる物体はどうやら女のようだ……とか思いながら、薄情にも俺は横へ一歩避けた。まあこれが普通の反応だと思うが。 「きゃん」 小さく丸まった状態で落ちてきて背中を床に叩きつけた落下物が、妙に可愛い悲鳴をあげる。俺はそれを無視してもう一度上を見上げた。 天井に空いた穴が閉じていくのがちょうど見える。そしてその穴を上のフロアから覗き込む人影を、一瞬だったが確認した。 がしかし…… その人影がにやりと笑ったように感じたのは、おそらく気のせいだろう。顔が見えてたってワケじゃないし。それでも俺は暫くの間、今では元通りになっているただの天井を見ていた。 そんな俺の足元でした、 『どさっ』 という音は、恐らく落下物が横倒しになった音だろう。 だが、 「しくしく」 という声は、きっと幻聴だ。 発動したトラップはシュート…… ただの『抜ける床』である。 落とし穴というのとは違って、下に閉じ込めるとかダメージを与えるとかは期待していない。単純に下のフロアに落とし、時間を稼ぐ為に仕掛けたトラップだ。 これも何層にも渡って同じ場所に設置し、それを連動させれば結構強烈な意地悪になるのだが、ここのシュートは一階層落とすだけ。実は余ったから設置しておいた冗談同然の罠だった。 「引っかかる馬鹿がいるとはなぁ」 「しくしく」 思わず声に出してそう言ったら、また足元からなにやら聞こえた。 ……いいかげん無視するのも面倒になってきたぞ。 仕方なく下へと目線を落としていく。すると目に入ったのは足元に転がる女の、真っ白な背中だった。 大胆を通り越し、もうちょっとでお尻まで見えそうなほど背中の空いた黒いドレス……というのがその謎の落下物の格好である。 「大丈夫か?」 とその背中に投げかける声が全然心配そうでなかったのは、別に俺が性的不能者だからとか男色家だからとかでは無い。断じてそんな事は無い。こう見えてもかなりの女好きだ。 こほん…… いや、そんな事はどうでもいい。 「すみません……このくらい平気なので、ご心配は無用です」 ダルそうにのそっと立ち上がった女が、俺を見下ろしながらそう言って微笑む。 だから心配なんてしてね〜っつうの。しかもデカいぞあんた。なんで俺より背が高いんだよ! と内心では叫びながら、俺はそれでも愛想笑いを浮かべてこう答えた。 「本当に大丈夫ですか? 最近この辺りは物騒なので……」 だぁ〜っ! 俺は何を言ってるんだ。習性というのは本当に恐ろしい。 「ええ、本当に。このような場所と分かっていれば、もう少し注意していたのですけど」 「でもそのおかげであなたのような美人とこうして知り合えたのですから、私は神に感謝したい気分ですよ」 間抜けだ……。トコトン間抜けな会話だ。 と、頭では分かってる。だけどこの忌々しい口が勝手にペラペラと喋ってしまうのだ。うんそうだ。きっとそういう事なのに違いない。 確かに目の前の存在は美人である。 ほんの少しタレ目なのも、その美貌の中にあってはなんの欠点でもない。 胸と尻がやけに薄いのだって、その間を繋ぐ腰が折れそうなくらい細いとあっては、俺的にはなんの問題もない。 肌の色が人間離れした白さだろうが、耳の先がちょっと尖っていようが、言葉を紡ぐその可愛らしい唇の奥に時折痛そうな牙が見えようが、そんな事は些細な事に思える。 って全然些細な事じゃね〜よ!! こいつは悪魔なんだよ。RDなんだっつ〜んだよ。どこからどう見たって人間じゃないんだよ。 これがもうちょっと違う事なら『誰だって欠点の一つくらいあるさ』……とかって言うトコだけど、こればっかりはそれで済む問題じゃない。 でも……美人なんだよなぁ。 これで悪魔でさえなかったら……というかなり根本的な所で間違いをおこしている考えを蹴り飛ばして、俺はなんとか緩んでいた顔を引き締めた。 「おや? どうされましたか? 急に怖い顔をなさって……」 「お互いボケるのはそろそろ止めておこうぜ。こんな所でうろついていて通行人Aです……じゃないだろ」 悪魔の態度は変わらなかった。いや、その両の紅い瞳が更に楽しげなものへと変わったかもしれない。 「ここの守護を引き受けた付与魔術師(エンチャンター)。あなたがそうですよね?」 悪魔は、俺が身につけている幾つかの魔導器を見ていた。 奴等の存在を道具に封じ込め、その力を『魔法』として引き出せるようにするのが付与魔術師と呼ばれる人間だ。 どうやらそのやり方がお気に召さないらしく、降霊術師(ネクロマンサー)並みに悪魔達から嫌われている悪魔術師…… 悪魔が訊いてきた通り、俺もその付与魔術師の一人である。 「そうだ。で、あんたがここを襲撃に来た攻撃者の尖兵ってワケだな」 今、この建物の中の――俺以外の――人間は、完全に退去済み。 それでも尚ここにいるってのは、真っ当な存在じゃないと自分から言い切っているのに等しかった。だから最初からこの悪魔を警戒していた……ってワケだ。 途中の間抜けな会話は、まあご愛敬って事にしておこう。 いつでも動けるようにしながら、相手の様子を窺う。あんなトラップに引っかかるってあたり、かなりドジな悪魔のようだが……油断は出来ない。 と、張り詰めたテンションを維持しながら心の中で複雑な葛藤と戦う俺を横目に、悪魔はどこからか怪しげなモノを取り出して頭に被った。 「うぃっちぃずはっと……だとぉ?」 思わず声に出してしまった通り、女悪魔が頭にのせたのは黒いとんがり帽子……俺が呼んだ名前が示すように、よく大昔の文献で魔女と呼ばれる存在が頭に被っていたモノである。 その間抜けなんだけどよく似合う帽子をのせた頭を少し傾け、悪魔はにっこりと笑った。 「敵ではありませんよ。私のマスターを雇ったのも、ここを管理している企業の人間です」 「ぬわにぃ〜〜〜〜っ!」 俺は一瞬、自分の耳を疑った。 『オリハルコニウム=γ』 そんな人を馬鹿にしたような名前を付けられた物質が、今の世界の根底を支えていた。 環境に対する影響なしに膨大なエネルギーを取り出す事が出来る……とだけ聞くと、確実に枯渇への道を歩む化石燃料や、問題の多発がいつまでも解消されない核に取って代わる理想的なエネルギー素材である。 これを、自己増殖する性質を利用して産出しているのが、増殖炉――やたらと長い正式名称は忘れた――と呼ばれる巨大な機械だ。 その増殖炉の一つが、俺が警護を引き受けたモノの正体である。 発端はこの世界で三番目に古い――と言っても築二十年といったトコだが――増殖炉の増殖サイクルと内部の見取り図が外部に漏れた事だった。 どうやらその情報が、『折角だから増殖炉を暴走させてその辺り一帯を陸地ごと地図から消しちゃえ』なんて小粋な発想をする連中に流れてしまったらしい。 で、ここの管理責任を負うある企業の保安部門の人間に俺が雇われたって寸法だ。 他の奴を雇ったって話は聞いてない。でもだからと言って、女悪魔の台詞が嘘だ……とも決めつけられなかった。 そもそも、その性質上それほどディフェンスに向いてると思えない付与魔術師に守備を依頼するってのも変な話で、報酬がほとんど出鱈目って金額だったから受けてしまったが、もちろんその異常さは感じていた。 それももう一人、召喚師(サマナー)を雇っていたっていうのなら頷ける。 だけど事前に何の説明も無かったってのは腑に落ちない。今からでは依頼人に確認する事も出来ないし…… などと、いろいろ考えたが、 「最初に依頼した人とは違う人が警備に就きましたからね」 と言われて、とりあえず信用する気になった。その事を知っているのは、ほんの一握りの人間のはずだからだ。 なんでその男ではなく俺がここにいるのかってゆーと、そいつがこの仕事より、墓の中で安眠する事を選んでしまったからだ。 「まああんたは味方、って事でいいとしてだな…… 確かあんたら召喚されたRDって、召喚者の体力を削ってこっちに存在してるって話だろ? その召喚者とはぐれちまっても平気なのか?」 あまり良く知っているワケじゃないから、まるで見当違いなのかも知れないけど。 そう思ったが、悪魔は小さく首を振って肩を竦めてみせた。 「もちろん平気ではありませんよ。こうしている間も私の体力はどんどん落ちていってます。でもまあ……それだけで力尽きるには、まだまだ時間がかかりますけれども」 「暫くは平気……って事か」 「もしそうなっても、コンピューター内に戻る……ってだけなんですけれどね」 そう言ってにっこりと笑う。 うっ…… やっぱりイイ女――悪魔だが――だ。 「よ…… 呼び戻せないのか、だったら…… えと、召喚用コンピューターで」 余計な事を考えてしまった所為で、舌が少しもつれた。かっこ悪ぃ。 「出来ますよ、簡単に。でも……私のマスターは、そうゆう事をまぁったく期待出来ない人なので」 「は?」 「ですから…… 『まあ、そのうち帰って来るだろう』ぐらいにしか考えてくださらない人なんですよ」 ちょっと想像してみた。 ……あまり恵まれた環境には思えないな。 「難儀だな」 「難儀です」 やっぱり召喚師なんかやってる人間にまともな奴はいないんだな……と、付与魔術師である自分の事は棚に上げてそう思った。 女悪魔は「リャナン・シー」と名乗ったが、俺は自分の名前を言わなかった。言う必要を感じなかったし、向こうも無理に訊こうとはしなかったし、これはこれでいいのだろう。 で、さっきから通路をウロウロしていた。 まったくアテが無い状態なので、本当にうろついているだけ。 それでもまあ、通路全体が伝えてくるかすかな振動が、俺の仕事が順調に遂行されているって事を実感させてくれていた。 この、施設内のどこででも感じる事の出来る微振動は、増殖炉の鳴動によるものなのである。 今の所何も問題なし、となるとやっぱり出来るのは見回りと称してウロウロするだけ。あんまりにも暇だったので、俺は隣のシー(こう呼ぶように哀願された)を観察していた。 頭に乗せた帽子も気になるが、やっぱり注目してしまうのはタイトで身体のラインがモロに出ているドレスの中身…… じゃなくって、左手に装着しているシールドのようなモノだった。 手の甲から肘までをすっぽりと覆う紅い涙滴型のそれは、ドレスはもちろん、帽子からさえ感じられる悪魔の気配をまったく匂わせていない。 とゆ〜事は、それが純粋に物理的な何かであるってワケで…… RDがそんなモノを身につけているって話はあまり聞かない。だから気になっていたのだ。 俺の視線には気がついているハズなのに、ニコニコ笑顔を崩さないシーに訊いたって…… 無駄だよな、やっぱり。 って事で俺は、ただただシーをじっと観察し続けた。 「で、この近くに侵入者がいるはずなんだが…… 何か分かるか?」 まるっきり玩具にしか見えないだろうと思われる機械の液晶画面に、数分前から俺自身を意味するマーカーと、侵入者を意味するマーカーがほぼ同位置に表示されていた。 声をかけられて立ち止まったシーが、顔だけをこっちに向け、疲れの色を混ぜたようなジト目で俺を見る。ちょっと待て、なんでそんな目で俺を……と焦ったが、どうやら俺を責めようってつもりでは無かったらしい。 「それは、あの方に訊かれるのが一番だと思いますよ」 そう言ってシーが指差したのは、前方10数メートル先のT字路に突然現れた人影だった。 突然……とは言っても別に転移してきたワケではなく、単に右か左の通路から姿を現したのだろうけど。 「答えて……くれるかな?」 軽口を叩きながら立ち止まって両手を腰に。 シーも数歩先で停止し、僅かに腰を落として身構える。 それを見てから再び人影の方を確認し、俺は頭が痛くなった。 女…… 今度こそ人間の女。 ただ勿体無い事に、その格好が俺の趣味の範疇から少し外れていた。 パフスリーブのワンピース。肘までを覆う手袋。頭に乗った帽子。 そのぜぇ〜んぶが、パステルピンクだった。 更に何を思ったのか、同色の日傘を――もちろん開いて――頭上に差している。 こんな状況でさえなかったなら、『偶にはこんなのもいい』ぐらいには思ったかもしれないが…… 敵であれ味方であれ、こんなのはイヤだ。 最初に『これ』を見つけたシーが疲れた顔をしたのも頷けるってもんだ。 思わず回れ右をして逃げ出したい衝動に必死で堪え、シーの少し前まで前進する。それだけでかなり神経が衰弱したというのに、凶悪な追い討ちが俺の脳髄を灼き払った。 「にょほほほほほほほほぉ〜〜〜〜っ」 パステルピンクの物体が突然あげた奇声である。 俺は今度こそ振り向いた。 「後は頼んだ!」 そして捨て台詞を残して逃げようとした瞬間、シーに後ろから抱きつかれる。背中に胸の当たる感触は……ちょっとしかなかった。 「逃げないでぇ〜〜くださいぃ〜〜〜〜」 悪魔のものとは思えない情けない声。その間も謎の奇声は止まない。 何もかもがイヤになる……というのは、こんな心境を言うのだろうと悟ってしまった。 仕方なく、背中にシーをぶら下げたまま元の方向に向き直る。 「あんた敵だよな! いや敵に違いない!! もう絶対敵だって決めたぞ!!!」 奇声に負けまいと大声で怒鳴る。そーでもしないと、下がった気力が戻らない。 それに反応したのか、始まりと同じく突然ぴたり……と奇声が止んだ。 「もちろん敵であるぞよ。わらわの前に立ち塞がる悪辣非道で鬼畜な輩め、怒りの鉄柱を味わうがよいぞ!」 「おい、無茶苦茶言ってるぞあんた…… しかも日本語がなんか変だぞ」 「わんちゃん。らんちゃん。やぁ〜っておしまいっ!」 聞いちゃいなかった。俺の台詞なんて少しも聞いちゃいなかった。 それに『わんちゃん』と『らんちゃん』ってのは一体なんだ? 答え、悪魔。 別に俺の疑問に答えようって事ではないのだろうが、通路の左右からそいつらが現れたのだ。 片方は魚と人間を適当に混ぜてみたような存在。上半身はほとんど魚なんだが、一応首らしき部分が存在していて『頭』の存在が認識できるし、人のそれとあまり変わらないがびっしりと鱗の生えた腕が二本、バランス的には無難な所から突き出している。下半身は人そのもの……かと思えば、何故か逆関節な脚でしかも指は三本、しっかりと水掻きを装備していた。 そのディテールの歪み方は、召喚された純粋な悪魔には見えない。 どうやら『深きものども(ディープ・ワンズ)』という悪魔を降霊させられた人間のようだ。 さてもう片方は……っと、頭を謎の奇声女を挟んだ反対側へと向ける。 そこにあったのは、カボチャだった。 中をくりぬいたカボチャに目と口に相当する切れ込みを入れ、下にマントくくりつけたような姿――って、そのまんまだな――が、ぷかぷかと空を飛んでいる。 間違いない。こいつは『ジャック・ランタン』っていう悪魔だ。 でも、以前に見た奴と比べると、何かが足りないような気がする。 そう思いながら、いつの間にか隣にきていた女悪魔を見た。正確にはその頭の上を。 「やい、シー。ここで会ったが百年目だほ。おまえを倒してそれを奪い返すんだほ〜」 俺が『それ』を見るのを待っていたかのようなタイミングで、カボチャがゆらゆらと空中で揺れながら叫ぶ。 この場の全員がシーの頭に乗ったとんがり帽子を見た。 「あなた!」 その視線の中、シーがぴしっと魚人を指差しながら突然大声をあげる。 訂正。本人(シー)は――当然――頭上なんて見てなかった。しかもカボチャの存在を完全に無視していた。 シーにつられて、今度は皆が魚人を見る。突然呼びかけられた魚人も、自分の顔を指差して――多分だが――困惑の表情を浮かべた。 「そう、あなたっ! 半魚人と人間の掛け合わせ…… 即ち、四分の一魚人ねっ!」 指摘された『四分の一魚人(仮)』が、ショックの色を――多分だぞ――顔に浮かべる。 俺と奇声女は、何も言えずに固まっていた。ツッこむにはあまりにも寒いぞ。 そして急に、叫んだ瞬間の勢いはどこへやら、その白磁のような顔を紅く染めてシーがあさっての方を向く。 「と、マスターなら叫んでますわね。おほほ……」 消え入りそうな声だった。『やらなきゃ良かった』と後悔しているに違いない。 そこへと、思わぬ救いの手が差し伸べられた。 「おい、俺っちを無視するんじゃないんだほ。相手にしてほしいんだほぉっ」 「そそそそ……そうね、あっ……相手になってあげますの事ですわよ」 あまりにも人間臭い慌て方をするシーの細い肩を軽く叩いて、俺は囁く。 「落ち着け」 暫く嫌な感じの沈黙が続いてからやっと、戦いの幕が切って落とされた。 まず動いたのは魚人だった。右側面をこちらへと向けるようにしながら、一歩踏み出す。同時にカボチャも、ふわり……と天井近くまで浮き上がりまがら、軽く前傾してみせた。 それに合わせるかのように、シーも椅子にでも腰掛けているかのような姿勢ですっと宙に浮く。 「ん?」 そのシーを見て、何か違和感を覚えた。 だけど今はそんな事を悠長に考えている場合では無い。間の抜けた会話中から準備していた魔導器を、魚人に向かって投げつけた。 投げたのは、一見ただの缶コーヒーだ。いや、実際にただの――念の為に言っておくが、買う時に金は払った――缶コーヒーの空缶である。 ただしその中には、俺の胃の中へと消えたコーヒーの代わりに…… コツンと何かに当たった音がした瞬間、真っ赤な炎がその場で生まれ一瞬で空缶を焼き尽くし、その周囲を高熱にさらす。 これなら水の属性を持つ――ハズだ――魚人はただじゃ済むまい……という俺の計算はサクっと裏切られる。魚人はまったくの無傷だった。 間に飛び込んだカボチャが、あっさりとその炎を防いだのだ。 「彼は炎系の悪魔。あまり効果はありませんね」 「ちぃっ、いい判断してやがる」 くすっと小さく笑ってから、シーは空中を滑るように移動して一気に敵との距離をつめた。そして体を捻りながら左手をカボチャめがけて振り下ろす。 華奢な体。細い腕。だが、その一撃が恐るべき破壊力を秘めている事を、この瞬間俺は感じ取った。しかしその凶悪な攻撃は、ギリギリで回避されてしまう。躱した際の勢いのままくるくると回転しながら、カボチャは魚人の後ろへと回り込んだ。 それを追うように、今度は右手が振り下ろされる。が、普通の人間ならそれだけでタダの肉塊へと変わりそうな強撃を、間に挟まれる格好になった魚人があっさりと受け止めた。 そこで双方の動きが止まる。これ、チャンスはチャンスなのだが、俺の位置からはシーの存在が邪魔で攻撃のしようがない。 まずい…… あっちの方はコンビネーションがいい感じで機能しているのに、こっちは駄目駄目だ。即席タッグの脆さが、早くも露見してしまった。 やむを得ない。そう判断すると俺は、腰のベルトから外した魔導器を再び投擲した。 シーの背中に向けて。 「お〜い、避けろぉ」 で、それから叫ぶ。うむ、完璧だ。 「え? ええぇ〜〜〜〜っ?」 くるりと振り返ったシーが、飛来する缶コーヒーを視界に捉え、慌てて頭を抱えながらしゃがみ込んだ。 流石とこれには相手も反応が遅れる。シーの頭上を通って魚人を直撃した缶コーヒーは、先程と同様の熱波をその周囲に叩きつけた。 数秒後。 「うぎょほへぇ〜」 とワケのわからない悲鳴をあげながらバッタリと倒れていく魚人を背に、シーが――わざわざ地面に降りて――つかつかとこっちへ歩いてくる。その表情は、まさに『鬼女』といったところだ。 「当たったらぁ〜〜 ど〜するつもりだったのですかぁ〜〜〜〜っ!」 「いや、最愛の君が無事で本当に良かった。君にもしもの事があったら僕も運命を共にし、この身を地獄の業火で焼き尽くす覚悟だったよ」 至近距離にまで近づいて叫んだシーを、突然がばっと抱きしめる。そして我ながら恥ずかしいと思う台詞を、真顔で囁いた。 その瞬間、場が凍りつく。俺以外の全員が一瞬正気を失った。 「とゆ〜ワケで、ぽい、ぽいっと」 そんな隙を突いて、更に缶コーヒーを投げる。見事な作戦だ。 「甘いんだほ」 が、我に返ったカボチャがギリギリのタイミングで魚人との間に割込んだ。炎がそのカボチャの表面を撫でるが、やっぱりダメージは無さそうだった。 「さて、そうかな?」 しかし俺は余裕たっぷりでそう切り返す。その刹那、カボチャの顔面に『ごすっ』と音を立てて缶コーヒーがめり込んだ。 口でもそう言ったように、俺は缶を二つ投げていたのだ。単純な手にひっかかりやがって。 しかも最後に投げたのは今までの熱波弾ではない。 「うげ……だほぉ」 という台詞を残して、めり込んだ缶コーヒーごとカボチャは氷に包まれた。 氷結弾だったりしたワケである。 凍りついたまま、カボチャは『ぽとり』と魚人の足元へ落下した。 「にょほほほほほほぉ〜 流石はわらわの終生のライバル、見事な攻撃よのぉ」 「いっきなり笑うなぁっ! それにいつから俺達は『終生のライバル』なんぞになったぁ?」 「しぃ〜っかし、本番はこれからなのじゃ〜!!」 パステルピンクの物体は、やっぱり俺の台詞なんて聞いちゃいなかった。 しかも虚空に向かって叫ぶ。 「もぉぐぅたぁ〜〜〜〜んっ、ごぉっ!」 「ちょ……ちょっと待て、その『もぐたん』ってのは何だ?」 「問答無用、待った無し! 泣け、叫ぶがよいにょほほぉ〜」 会話と呼べない空しい対話を交わす俺の腕の中には、何故か大人しく収まったままうっとりとした視線を俺に向ける女悪魔。 ちょっと待て…… さっきの台詞は作戦だぞ? ちゃんと分かっているのか? 頭痛がしてきた。 その上ここに、『もぐたん』とかってゆーのが現れるんだろ? 今度こそ大マジで逃げたい気分だった。 目が点。それがその『もぐたん』という物体を見た俺の、率直な感想だ。 まず出現方法がふざけていて、下のフロアから天井(と、このフロアの床)を突き破ってきやがった。 で、その姿…… それはモグラだった。 ただし、全長が2メートルくらい、前脚の先端に当たると痛そうなドリル、後脚の代わりにキャタピラが付いた、硬質的な表皮を持つ化け物もモグラと呼んでよければ……の話だが。 しかもこの化け物はRDだ。間違えようのない悪魔の気配をプンプン匂わせている。 これでやっと、女の正体も分かった。 この女…… ただの馬鹿に見えるが――そして多分、実際に馬鹿だが――錬金術師(アルケミスト)だ。 悪魔の素体情報に、こっち側の有機物・無機物を容赦無くぶち込んで機械生命体とでも言うべき悪魔を産み出す、最悪としか思えない趣向を持った悪魔術師……それが錬金術師である。女の趣味の悪さにも納得が出来た。 「にょほほ〜 恐ろしさに声も出まい〜」 違う、呆れてモノが言えないだけだ。 「しかぁ〜し! 本当の恐怖はこれからぞよ〜っ!」 まだ何かする気なのか? 止めろ……と叫ぶのが一瞬遅れた。 「おいでませませ、悪魔工場!」 そう言って、いつのまにか畳んでいた傘を振り上げる。するとそれは強烈な光を放つ光球と化し、そして高さ30センチ程の白いピラミッド状の物体へと変化した。 少し考え、それから改めて『止めろ』と叫ぼうとしたが…… 手遅れだったらしい。 「にょほほほほ〜っ!! 合体せよ! ナイトメアもぐた〜んっ!」 女が叫んだ。そして再び放たれた強烈な光に、目が眩んでしまった。 反射的に瞼を閉じて数秒、目を開けた俺が見たのは、まさに悪夢としか言いようのないモノだ。 大きく口を開けた『もぐたん』の頭部。その口の中で笑うかぼちゃ頭。それはまるで、ヘルメットを被っているかのように見える。 金属的な質感の円筒形の胴体。そこから生える太さだけ倍増した半魚人の手足。何故かドリルは膝に、キャタピラはふくらはぎに装着されていた。 そして何よりも恐ろしいのは、その股間から伸びてるシロモノだった。 長さ1メートル程の、まるで洗濯機の排水パイプのような蛇腹状の管がグネグネと蠢き…… 「最悪だな」 「最悪ですね」 「そんなに褒めるでないにょほほ」 褒めてねぇ〜よっ! あぅぅ…… 頭イテぇ。 パイプの先端に付いていたのは、木製のアレだった。 この国でよくご神体なんぞと呼ばれて祭られてたりする奴の一種に瓜二つな外見を持つ、しかも長さ太さ共に平均男性の倍はあろうかって極悪サイズなモノ。しかもその先端の亀裂の辺りから、白く濁った謎の廃液をちょろちょろと垂れ流している。 「俺…… アレと戦うの、イヤだ」 腕の中のシーへ、素直にそう告白した。恥ずかしいなんて思わなかった。 木目鮮やかな男根が、鎌首を持ち上げるようにしてこっちを見ている。 あんなのと戦いたいって方が、男として何か間違っていると…… 俺はそう確信した。 そんな俺の表情を、じぃ〜っと真剣な目で見つめていたシーが、 「任せて下さい。私、あなたの為に戦います」 と決意を濃く滲ませた面持ちで宣言して、俺から離れる。 台詞の内容の真意が分からず、呆気に取られて間抜けな顔を晒している俺。その目の前でシーは敵の方向へと体を沈ませながら反転し、肘を突き出した姿勢での高速跳躍を決行する。 が、鈍重そうな見た目を裏切る軽やかなステップで横へと避け、自身がそれまでいた場所に着地したシーへと膝蹴り(ドリル付き)を繰り出した。 俺には避けようのない攻撃に思えたその一撃を、シーは身を捻りながら回避。その勢いのまま裏拳のようなモーションで、シーの――瞬間的に伸ばされた――爪が宙を薙ぐ。 「うげぇ〜っ!」 直後に思わず叫んだのは……俺だ。 想像以上に奴の胴体は硬かったらしい。シーの爪はその表面を引っ掻いただけで終わり、その際にあの、黒板を…… いやとにかく、想像するのも嫌な例の音を鳴り響かせたのだ。 しかもその怪音の余韻が消えないうちに繰り出された奴の攻撃は、更に嫌な気分を増長させる木製男根の連続攻撃だった。 凄いスピードで突撃してくる凶器を、シーは硬い壁面を背にギリギリで回避し続ける。 「ひぇぇ〜っ、当たるぅ…… 当たりますぅ〜 私でも安らかに死ねますかぁ〜?」 間延びして間の抜けた緊張感の乏しい声だけを聞いていると余裕があるのか無いのか不明だが、かなりのピンチなのには違いあるまい。 でもなんてゆーか……これじゃ手を出し難い。とかなんとか思っていたら、やっと状況が変化した。 目に見えて動きが悪くなりだしたシーの腰の辺りを掠めた一撃が、勢い余って壁に突き刺さったのだ。 えっと…… あの壁、異様に硬かったよなぁ。シーも、見事に破壊された壁をじぃ〜っと凝視したまま引きつった笑みを浮かべていた。 もう駄目だ。 これ以上、あの怪物の勇姿を直視するのは――いろいろな意味で――我慢が出来ない。 こーなったら、とっとと俺が殺ってやる。 そう決意した今の俺の胸の内は、泣きそうな気分で一杯……そう表現するしか無い。 それでも俺はそれに耐え、ベルトから一本の短剣を引き抜いた。 「こいつを使ってしまったら……」 で、思わず呟いてしまう。 使ってしまったら…… 今回の儲けがほとんど無くなる。 それくらい金の掛かっている秘密兵器が、この何の変哲も無い短剣なのだった。 「離れろ、シー」 そう叫んでから、短剣を頭上に掲げる。俺の意志に反応して、それは魔導器としての力を発動し始めた。 持っていて怖くなるくらいの激しい電撃を刃が放ち、壁や天井へと無数の稲妻を走らせる。使用者に対する防御機構が誤動作すれば真っ先に俺自身が黒コゲになるという事実に脅えながら、その力が臨界へと達するのを我慢して待った。 攻撃目標を――ぴょんぴょんぴょんとバックダッシュで――後退するシーから俺へと変更した『悪夢』が、体の向きを変え、そして移動を開始する。 「もー遅いっ!! サンダぁぁぁぁっ、ブレーーーーク!」 お約束に従って必殺技の名前を叫びながら、俺は向かってくる敵へと短剣を投げつけた。 直撃させる必要なんて無いので割といい加減に投げたのだが、見事胴体中央へとクリーンヒット。バチバチという怖い音と目の眩むような激しい火花が、そこを中心にした周囲の空間で炸裂する。 「ぎしぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」 それはまさしく、断末魔の悲鳴だった。 数秒間の放電終了と同時に、バタリと後ろに倒れる悪魔。その側へと近寄ったシーが、止めを刺そうと右手を大きく振りかぶる。 俺は自分達の勝利を確信した。 視界がピンク一色で塗り潰されたのは、その直後の事だった。 「はややぁ?」 体から急に力が抜ける。それも一気に、完全に。 攻撃を中断、慌てて駆けつけようとしたらしいシーも、何故かつんのめるような格好で地面へと墜落する。そのシーの――細くて白くて理性が永眠しそうな――足首には、死んだハズの怪物の排水パイプがぐるりと巻きついていた。 俺の視界をピンクに染めたのは、女が投擲した薬瓶一杯に詰められていた謎の粉末。で、それを吸い込んだ結果として俺の体は完全に麻痺している。情けなく地面に這いつくばった格好で、まともに動くのは首から上だけって状態だった。 シーの方はシーの方で、どうにか顔面から落ちるのは回避したようだったが、倒れたまま起き上がる気配が無い。 「そろそろ限界なんだっほ〜っ。マスターとはぐれたRDは長生き出来ないんだほぉ〜。召喚中に棄てられたオイラなんて、那薙迦(ななか)様に拾われなかったら海の藻屑となってたんだほっ!!」 まるで地獄から響いてくるかのような声は、どうやらあの『らんちゃん』とやらのモノらしかった。 アレはアレで、複雑な人生を辿っているらしい…… 別に同情はしないけど。 んで実は、シーが無事なのかどーなのかで頭が一杯。死んでもマスターの元に戻るだけって事を、俺はすっかり忘れていた。 「おい、シー! 大丈夫なのかぁ〜っ?」 「え、あ……はい。何とか生きてますぅ」 即座に返ってきた返事に、少し安堵……って、何故に俺はこんなにも彼女の心配を!? とりあえず自分を、『彼女がこの状況を打破する為のもっとも有効な手段だから』と納得させる。 納得……してるよな、俺。 「だけどそろそろ、駄目……です〜っ」 「ちょ〜っと待てっ。今、自分を納得させてる最中だから、もう少し生き延びてくれ」 「はぁ〜っ?」 俺の意味不明な台詞に、なんとも気の抜けた声を返すシー。そうやって返事が出来る間は大丈夫なのだろーと勝手に解釈して、内部での葛藤を再開……しようと思ったら、邪魔された。 「にょっほほほほほほほほぉ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」 と、女――どーやら『那薙迦』って名前らしい――がまた大声で笑いやがったのだ。 「ハァ……ハァ……ハァ……」 息が切れるまで笑うなっつーの!! 「ほっほっほっほっほぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」 しかもまだ笑うかっ? ドっと疲れを感じ、もー好きにしてくれって投げ遣りな気持ちになる。そんな俺へと女は、鋭い一撃を投げつけてきた。 「そこの鬼女(おにおんな)に、目一杯誑かされている様子だのぉ〜」 うっ…… 何故それをっ!? 「その目、覚まさせてやらねばなるまいて。そゆぅ訳なので、もぐたん……」 名前を呼びながら怪物の方を見た女の瞳がキラリ。 「わかっているんだほっ、那薙迦様」 足元に倒れているシーを見下ろす――いつの間にか立ち上がっていた――怪物の口元がニヤリ。 「では…… やぁ〜〜〜〜っておしまいっ!」 そして女の口から、さっきも聞いたような台詞が飛び出した。 「うわ、ヤメろぉ〜」 と半ば反射的に叫んだ俺も、それからのもぐたんの行動を見て、前回とはその『やる』の意味が違ってるって事に気がついた。 もぐたんが何をしたのかって言うと…… 手を伸ばし――突き出す、という意味では無い――てシーの右手首を掴み、自分の頭上に掲げたのだ。 浮かぶ気力も尽きたのか、されるがまま”だらり”と吊るされるシーを見て、”かぁ〜っ”と頭に血が昇る。が、次の瞬間にその血液は、一気に別の場所へと引っ越していった。 もぐたんがその手をシーの服へとかけ、結果を待たずに俺の股間は反応してしまったのである。 期待が裏切られるような事は無く、毟り取られたシーの黒いドレスが宙に舞う。帽子と謎のシールドとショートブーツという、何か中途半端な格好を晒す事になったシーが、「きゃあ」と小さく悲鳴を上げた。 「わざとらしい悲鳴だほぉ〜」 そう言ったもぐたんの舌が、突然にょろにょろにょろにょろと伸び始める。2メートルを優に越えたそれは、項垂れたままのシーの耳元から首筋、喉元までもを舐め上げていく。 ”べろり”ではない。 ”べろぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ”である。 しかも一度ではなく、何度も何度も行って帰ってを繰り返すのだ。 その見た目には気持ち悪そうな刺激に、シーの体が少しずつ反応し始める。 「くっそぉーっ!!」 俺は思わず叫んだ。 もちろん羨ましかったからだ。 「次!」 それが聞えたのか、女が――珍しく簡潔に――指示を出す。 「りょぉかいだほぉぅをぉ〜」 そう答えたもぐたんが狙った『次』は、シーの胸だった。 基本とも言うべき『片乳に巻きついてキュっ♪』を実演しようとして…… しようとして…… 結果だけ言うと、失敗に終わった。 何故駄目だったのかは――シーが可哀想なので――言わない事にしよう。 「那薙迦様ぁ…… 胸が薄過ぎてやっぱり出来ないだほぉ〜」 ……って、言っちまいやがんの。 まあなんだ、そーゆー事だ。 「にょほほほほ…… 勝ったぞよ♪」 そう言いながら背中を反らして突き出した女の胸は、確かに結構デカい感じだが…… シーと競って勝っても自慢にはならないと思うぞ。 「しくしくしくしく」 今更なんだから、シーも泣くなっての。 「折角だから、一気に堕とすのじゃ〜」 「あいあいさぁ」 何が”折角”なのかは不明だが、どうやら事態は最悪の方向に加速しつつあるらしい。 数分経過。 それは苦痛に満ちた一時だった。 「あぁ…… そこぉ……いやぁ……」 そしてそれはまだ続いている。 「ぅん、駄目ぇ…… 駄目ですってばぁ……」 聞えてくるのはもちろんシーの嬌声で、俺の体は相変わらず固まったまま。 ……血の涙が出そうだ。 それでもシーを見てしまうのは、男の悲しい性(さが)って奴である。 なにしろ、”片手を掴まれて吊るされたその全身を長く伸びた舌に舐め回される美女の図”なのだから。 そんな俺を見て、手で口元を隠した女が――だから目だけで――”にたぁ〜っ”と笑う。 「助けたいとゆーよりも、犯りたいって顔だぞよ」 「悪かったなっ!!」 マズっ……思わず素直に認めてしまった。 と、これまで項垂れてその表情を隠していたシーが、”がこん”と顔を上げる。 ……ジト目だった。 「あ〜っ…… だから、ええっと……」 「はぅん♪」 慌てて言い訳をしようとする俺の視界の中で、シーが表情を崩し、気持ち良さげな――それも結構な大音量――声を上げる。 今度は俺がジト目。 「えと…… これはその……あぁ〜ん♪」 言い訳する間もなく、再び甘い声が響いた。 まあ仕方ないって言えば、仕方ない。何故かってーと、うねる長い舌が今責め立てているのは、シーの長い長い脚の付け根のトコだったから。 腿の途中から這い上がった舌の先端が、大事な場所の――柔らかな――一次装甲を強引に捲り上げ、その内側を激しく犯しているのだ。 シーの媚態。シーの嬌声。 そーならないように願っていたのだが、もう既にズボンの前がかなり痛い。 体が麻痺してるってのに、なんでソコだけ平常通りなんだよっ!! なんとなく、那薙迦って女の底知れぬ悪意を感じたような気がした。 「クソぉっ! 意地が悪いぞ、テメぇ」 思わず叫んだ俺の台詞から”それ”を察したのか、女がまた”にたぁっ”と笑う。 「………………かなりキテるな。それではそろそろ仕上げといくぞよぉ」 「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」 嬉々とした調子で吼えたもぐたんの、股間の物騒なモノがゆらりと鎌首をもたげた。 「しぃ〜〜〜〜っ!! 何とか振り切れないのかぁっ!?」 「無ぅ理ぃでぇすぅ。もーまったく動けません〜」 何か無性に許せない物を感じて叫んだが、シーは大人しくぶら下げられたままそう答える。そーこーしている間に、白濁とした何かを垂れ流す不気味な木製男根がシーの下半身へと接近していった。 慌ててキツく膝を閉じるシー。その閉じられた太腿の間へと木製男根の先端が押し当てられた瞬間、甲高い悲鳴が上がった。 「きゃぁーーーーっ! 熱いぃ…… 何、それぇ……」 動けなかったハズのシーが、身を捩ってソレを避けている。何か、強烈なショックを受けたらしい。 「にょほほほほ…… それぞ正真正銘、本物のご神体様の威力ぞよぉ」 「強力な破邪の力が掛っているんだほ♪ 相容れぬ属性にぼわぼわと灼かれるから、おまえのお得意の吸い取りもこいつには効かないんだほぉ〜」 なーんてこった。本物だなんて、マジでいつかバチが当たるぞ…… 「うぅっ…… それに、これも……熱いぃ」 シーが呻き、身体を震わせる。多分、その腿の上に擦りつけられた謎の白濁液が原因だ。 「ちょっと訊くが…… そのご神体様って奴から垂れているのは……何なんだ?」 「内蔵動力炉の使用済み強制冷却液の一部だほ」 「………………熱いんだな」 「熱いんだほ」 「ぅん…… 熱い、です……」 最後の台詞を吐いたシーの顔、完全に上気してた。 うぉぉっ…… ズボンが……股間が……限界だぁっ。 「嬉しそうな声出しやがって…… こいつ、こーゆーのが好きなんだほ」 「にょほほ…… 分かったかや? こやつがどんな女なのかが」 分かった。分かったからもう止めてくれ。 何故か……そう言えなかった。 そんな俺の無言をどう解釈したのか、女がもぐたんに合図を送る。 「イヤぁ…… 来ないでぇ」 再び近づいてきた凶器を脅えた表情で見つめながら、シーが悲鳴を上げた。 「嫌とかいいながら、本当は欲しいんだほ? コレに身体を灼かれて、のたうち回りたいんだほ?」 ぷるぷると頭を振ってシーはそれを否定するが、同時に閉じていた膝が緩む。にょほほ女は、それを見逃さなかった。 「身体は正直ぞよ…… 欲しければ素直に股を開き、腰を突き出すがいいぞよ。ほら……ほら……ほら……ほら……」 女の「ほら」が聞える度にシーの膝が少しづつ離れ、そして腰から下が前方向へと持ち上がっていく。 ちょうどこっちが正面になるようにシーの体の向きが調節された所為で、彼女の――見た目は普通の女の子と何も変わらない――秘部の様子が俺の視界のど真ん中に位置された。 もちろん、俺へのサービスなんてお優しい話ではなく…… 「あぁぁぁぁっ…… はぁ〜〜〜〜っっ!!」 シーが、喉が裂けるんじゃないかって心配してしまう程の絶叫を上げる。 その直前の、もぐたんのアレが彼女の――もう完全に綻んでいる――秘裂の真中に突き刺さるシーンを、ハッキリと俺はこの目で捉えてしまっていた。 うぁぁっ…… ”俺の”シーがぁ…… と、勝手に彼女を自分の物にしてしまって心の中で嘆きながらも、見開いた目でソコを凝視してしまう。これもやっぱり、男の性って奴だ。 大人しく――つーか、進んで――受け入れはしたがやっぱりキツかったらしく、だらりと下がったままだったシーの左手が、自分の胎内(なか)へズルズルと侵入してくる排水パイプを引っ掴んだ。 「ああっ…… 止まらない、止まらない、止まらない…… あぅん♪」 それだけじゃなく、アソコを絞めてそれ以上の侵入を阻止しようとしているよーだった……が、その勢いは全然止まらない。狭められた膣口を無理矢理こじ開け、掴む左手のパワーに逆らい、そして遂にはシーの手が自らの陰部にぶち当たるに至った。 で、やっと止まる。左手の小指で自分の穴の縁を抉った状態のまま、シーは下を向いて”ぜえはあ”と喘いだ。 シーの身体にもうほとんど力が残っていないのは、『悪魔術師の端くれ』ぐらいに位置している俺にも良く分かる。存在維持の為の、マスターからの体力の補給を受けられない状態…… ここまで保った方が不思議なくらいなのだろう。 「シーっ!! 自己ダメージか何かで、リターン出来ないのかっ?」 これは要するに……自殺行為とかでコンプに戻れないのか、って質問である。 「まだ……大丈夫ですよぉ…… もう少し、ですからぁ」 答えから察するに、その方法はあるらしい。それでもまだ、ボロボロの身体で粘るつもりのようだった。 ……出来ればこれ以上、シーのこんな姿を見たくないんだが。 「見なければよいのじゃ」 心の中を見透かしたような、鋭い指摘が胸にグサっ。 だから見ちまうんだってば……本能的に。 「どうやら続きを見たいらしいのぉ」 「よぉし…… 積年の恨みの数百分の一、今日こそ晴らすんだほぉ〜」 ……そーとーな恨みがあるらしい。 「じゃなくって…… やぁーめぇーろぉーっ!」 もちろん俺が叫んだって、止めてくれるハズなんて全然無い。 伸縮、屈曲、自由自在な感じに見えていた排水パイプが、その先端部をシーの胎内に差し込んだまま――まるで中に棒でも通されたかのように――固く真っ直ぐな形状へと変化する。根元付近だけが軽くカーブしてそれは、ちょうど真上を向いた一本の串と化した。 「さぁ〜て、シーの串刺しショーの始まりだほぉ」 そう宣言するともぐたんは、シーの身体の落下を食い止めていた彼女の左手の手首を掴んで、それが握っているパイプから引き剥がした。 「きゃぁぁぁぁっ」 支えを失ったシーの身体が十センチ以上一気に沈み、右手が伸び切った所でやっと止まる。その身を貫くパイプを軸に、落ちた分だけ肉壁を抉られながらの落下……だ。 すぐに左手は解放されたが、それが再度パイプを掴むよりも早く、シーの身体は上へと引き上げられていた。 「んっぅ〜〜〜〜っ、ぅああぁ〜〜〜〜っ」 そしてまた落とす。パイプの蛇腹が上へと下へと、シーの胎内を掻き回した。 本人の意志とはまったく無関係に、激しく揺れ動く白い肢体。その跳ねるような動きのスピード上昇に伴い、シーが絶え間なく洩らし続ける媚声も高まっていく。 「イクぅっ…… もう駄目、本当に駄目…… すっごい奥まで……刺さってるんだからああぁっ」 狂ったようなシーの痴態に、頭がクラクラする。こっちももうかなり駄目だ…… 「よし逝け、これでトドメだほぉっ!」 そう言うともぐたんは、シーを吊り下げていた手をぱっと放した。 すとん……と落ちるシーの身体。 「あぁぁぁぁっ…… くぅーーーーーーーーっ!!」 一瞬遅れてシーは、全身を弓なりに反らし、悩ましい絶叫を迸らせて激しい絶頂を訴えた。 暫くの痙攣の後、膣奥のどこか一点で全体重を支えていたシーの身体が”ぐらり”と前に傾いだ。それを見てもぐたんは、舌を彼女の喉に巻きつける。 首吊状態で静止するシー。完全に脱力しだらりと垂れる四肢。とーとー力尽きたのかと思った。 そんな俺の考えを、 「やっぱりしぶといんだほぉ」 とゆー、呆れたような口調のもぐたんの台詞があっさりと否定する。 「これで…… 満足です……かぁ?」 弱々しい今にも消え去りそうな声でだが、シーも喋った。 ま、よく考えたらそうだ。RDなんだから、実体化している以上は生きているのだ。 「全然まだまだだほぉ〜 もっと犯るんだほぉ」 もぐたんの両腕がシーを抱き締め、その固く冷たいボディに彼女の背中を密着させる。そして身動き出来なくなったシーの胎内の凶器を、激しく動かし始めた。 「んくぅっ…… あぁっ、そんな……凄い……」 首振りと旋回と伸縮を同時に行う排水パイプに秘肉を抉られ、シーが再び淫らな声を噴き零す。 悪夢、再開……である。意識が完全に、シーへと集中してた。 「助けはいらんかや?」 なので至近距離からそう声をかけられ、一瞬心臓が止まる。いつの間にかにょほほ女が、俺の真横に立っていた。 「お……驚かすなってーの……」 「……つれない奴ぞよ」 ジト目で俺を見る女。 「ま、よい」 が、女の表情はすぐに元の――にまぁーっとした――笑顔に戻った。 そして、動けない俺の背後に回り込み、抱き起こした俺の背中にその身体を密着させてくる。女の片手が胸を這い、そしてもう片方の手がズボンの上から股間をまさぐってきた。 「にょほ…… 苦しそうではないか。今から楽にしてやるぞよぉ」 吐息混じりの囁きが耳元を撫で、その刺激で更に血が一部に集結。 「はやくしてくれぇ〜」 ズボンのチャックを下ろし、その中のモノをゆっくりと取り出す女に、俺は思わず哀願してしまった。 「そんなに……苦しかったか? まあそんなに立派な状態では仕方無いのぉ〜」 そそり立つ俺の一物を肩越しにじっと見ながら、女が揶揄するような口調でそうつぶやく。しかし開放感に浸る俺は、その口調に腹も立たなかった。 こんなやり取りの間もシーへの責めは続いていて、その悶える痴態が目に入り、絶え間無い嬌声が耳に届く。 もうほとんど拷問だった。 窮屈さからの開放感も束の間、今度はそれをどーにかしたいという欲求で気が狂いそうだ。 そんな状態の所へ背後から、 「どうだ? 触って欲しいかや?」 と訊かれ、俺は一も二もなくがくがくと頷く。 この状況から救ってくれるなら、もー後はどうなってもいい。それ以外、考えられなかった。 「では、いくぞよ〜」 そんな宣言を同時に、パステルピンクの手袋で覆われた女の右手が俺のナニを軽く握る。それだけでもう、爆発寸前だった。 いや…… その手の上下運動の開始が後ほんの少しでも早かったら、多分アウトだった。 とにかく、ギリギリの所で第一波は躱したワケだが、即座に迫る第二波、第三波。それを必死で堪えるのは、あっさりと終わってしまって”次”が無かったら痛過ぎるからだ。 「にょほほ…… 思ったより耐えるのぉ」 そう囁くと女は、一旦俺のナニから手を離し、左手の手袋を外した。 そして今度は両手で握る。すると、素手のひんやりとした感触と、手袋の心地よい肌ざわりが同時に脳に響く。ここまで耐えに耐えてきた俺にとっては、一気にレッドゾーンな刺激だった。 それが絶妙な力加減で動き始めた日にはもぉ、 「い、いかん…… もう出る……」 我慢の限界ってヤツだ。 「にょ、ほ♪」 嬉しそうな声をBGMに、女の手の中でぐわりとナニが膨らみ、それから数回に分けてハデに白いモノを吐き出す。そこへ追い打ちをかけるように女は、手袋をしたままの方の手で尿道口を塞ぐようにして亀頭全体を包んだ。 「うぉぉっ」 我ながら情けない声だ。が、分かちゃいても出てしまう時には出てしまう。 「ほれほれ、全部出すのじゃ」 とか言いながら女は、握った先端部分をそのまま軽くしごく。ぞくりとした快感が背筋を突き抜け、俺は残りの精液をドクドクと女の手の中に吐き出した。 だけど何故か、それくらいじゃ収まらない。それどころか、更に欲求が高まってしまっていた。 何かおかしいぞ、俺の体。 一瞬そんな事を考えたが、それは本当に一瞬だけの事だった。 「頼むぅ、やらせてくれぇ」 恥も外聞もかなぐり捨てる。男としてのプライドも、だ。 しかし、女の返事は絶望的なモノだった。 「いやじゃぉ〜 華の乙女の大事な純潔、ライバルの為とは言えどもそればかりは捨てらないぞよ」 絶句。 そして俺の精神は崩壊寸前の危機に陥った。 「嘘つけぇ〜っ! 絶対にヤッてるはずだぁ〜 俺にもやらせろぉ〜〜っ!!」 「だ、め」 ワザとなのか、それが素なのか、妙に艶っぽい声音で俺の耳元に囁くにょほほ女。俺の頭の中で、何かがごっそりとブチ切れた。 「あははははははは……殺してくれ。是非是非今すぐ殺してくれ」 かなりマジでそう言ったのだが、誰も俺を殺してはくれなかった。 しかし…… その瞬間、どこかで何かが死んだのである。 「な、那薙迦さまぁ〜?」 「にょほ? 何事じゃ、これは?」 もぐたんと女が驚きの声をあげるが、俺は考えるのを止めようとしていた。 考えたくなかった。 止む事の無かった通路の振動が、”ぴたり”と治まった原因についてなんて…… 本当は考えるまでもなく答えは出てた。にょほほ女達だって、それが分かっているから即座に驚きの声を漏らしたんだろーし。 でも誰も口に出せない。 それは、ここにいる俺達全員の任務失敗を意味しているのだから。 よーするに…… 「これは止まりましたわねぇ…… 炉が」 そーゆー事である。 ……ってシー? 何のんきな声を出してるんだ。おまえ――正確には”おまえのマスター”――だって任務失敗のクチだろーが。 「炉が……止まった? それでは暴走させる事が出来ないぞよぉ〜」 「そぉゆぅ事に……」 抱きしめるもぐたんの両腕を、あっさりと振り解くシー。そして自由になった腕を閃かせ、自分ともぐたんを一つに繋ぐパイプをスッパリと切断した。 「なりますよねぇ」 着地でちょっとよろけたが、すぐに回復。パイプの切り口を掴んで胎内からそれを引き摺り出し、ぶんぶん振り回してからポイと投げ棄てる。 それから、もぐたんへと駆け寄るにょほほ女と入れ替わりでこっちに近づいてくると、俺の頭に軽く触れた。 あ……体が動く。 立ち上がりながら俺は、感謝の言葉ではなく率直な疑問をシーに投げかけた。 「し…… シィっ!! おまえ、弱ったフリしてたのかぁ?」 「いいぇ〜 結構もう駄目駄目な感じですよぉ」 確かにまぁ、ヘタっているよーにも見えるが…… でも、さっきまでの死にかけた様子とは全然違うぞ。 しかも指を”パチン”と鳴らした瞬間、元通りのドレスを着た姿に戻る。無残に引き裂かれた服をこうも簡単に再生するなんて…… やっぱ余力があるじゃねぇーか。 「うぎゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」 と突然、今頃になってもぐたんが絶叫。 思うに”恐竜並み”と呼ばれる程の鈍さである…… てゆーか、あんな構造でも神経通っていたのか。 そんなもぐたんを横目に、シーがぽつり。 「なんか私、毎回同じパターンで”えっちしーん”を終わらせているような……」 「は?」 「あ…… あはは、気にしないでくださいぃ」 かなり気になるんだが…… ……じゃ無いっ!! 今問題なのは、別の事だ。 「おい、シー。炉が止まったって本当か?」 自分でも分かっていながら、それでもやっぱり訊いてしまう。出来れば誰かに否定して貰いたかったのだ。 だけどシーは”こくこく”と頷く。 そりゃそうだ…… 「止まってるもんな。どこをどー考えたって止まってるもんな」 「とゆぅ事はぁ……」 まだまだ茫然自失な表情の那薙迦が、平坦な声音でぼそり。 「とゆ事は?」 「任務遂行は不可能とゆぅ事でぇ……」 「とゆ事で?」 「それならばわらわはぁ……」 「妾は?」 言っておくが、妙な合いの手を入れているのはシーだ。 「………………逃げるぞよぉっ!!」 女が叫んだ後のもぐたんの動きは、異様に早かった。にょほほ女を抱え上げると、T字路を曲がった先の長い直線通路を凄まじいスピードで逃げ始めたのだ。 呆気に取られて見送ってしまった分、一気に距離が開く。 こーなるともー、どー考えたって追いつく速度じゃない。攻撃手段も無い。 で、呆然と見送る俺の隣でシーが、逃げる敵に向かって半身で立ち、人差し指を伸ばした左手を前へと突き出した。 何をするのかと見つめると、左手に装着されていたあの謎の物体が”がしゃんがしゃん”と音を立てて変形を開始する。割れたり伸びたり裏返ったりした結果、それはシーの左手にがっしと握られるデカい弓へと姿を変えていた。 一旦腕を斜め下へと向けてから右手で矢を番えるシー。そこで、その動きがぴたりと静止する。 「おい、逃げられるぞ……」 「………………」 次の角まで残り半分ってゆー敵の位置を確認し、俺は焦った声でそう訊くが……答えは無い。 二秒くらい待ってから、よく見ると指先がプルプルと震え、顔を真っ赤にして唇の端をひくひくさせているシーへと、もう一度声をかける。 「逃がしていいのか?」 「よく……ないです……よねぇ…… うわぁん、もうヤケぇっ!!」 絶叫の余韻の消失と同時に、きりりと表情を引き締めるシー。 こーいった顔をするとやっぱり絶世の美女だ……との、個人的な見解を再認識する不埒な俺の心理状況は、この際全く無関係だ。 「ごぉぉぉぉっどぉ」 異様な程低い声でそう言いながら弓を引き絞り、ゆっくりと左腕を上げていく。 どーやら、『必殺技は名前を叫ぶ』が恥ずかしくて躊躇っていたようだ。妙な所で可愛い性格をした悪魔である。 「ごぉぉぉぉがんっ!!」 そして遂に、矢が放たれた。 どんな原理でか加速しながら突き進む矢。その後を少し遅れて、衝撃波か何かで壁面全てが壊滅的な被害を被っていく。 直撃、それから大爆発。ここまで届いた爆風が、俺の髪を撫でていった。 「やった……か?」 つぶやいた俺へと、シーは暫くしてから首を横に振った。 「逃げられましたぁ。もぐたんさんを盾にしたみたいですねぇ〜」 その答えを聞いて、俺は全身から力が失せていくのをハッキリと感じた。 とっ捕まえたあいつらに炉停止の責任を押しつけて、少しでも難を逃れようと画策してたのに…… 終わった。何もかもが。 にしても何で、増殖炉は止まったんだ? 俺はここにいた。連中もここにいた。 では誰が…… それを考えていた俺の真横で、ため息を一つついたシーがふわりと宙に浮かぶ。 「!!」 突然閃いた。シーが最初に浮かんだ時の違和感の正体が。 「シー! おまえ、何で浮いてやがる!?」 「え? だって私、飛行能力持ってますから……」 「だったら…… だったら何でシュートに引っかかるんだよっ!!」 しまった、って表情になるシー。俺はそのシーの服の襟元を掴んで、強引に引き寄せた。 「炉を止めたのは、おまえのマスターだな? 敵じゃないなんて可愛い顔して大嘘吐きやがってぇ〜〜〜〜っ!!」 いや、顔は関係無い気もするが。 「え〜っとですねぇ。嘘は吐いて無いですよ……私ぃ」 「どぉー考えたって嘘…… って、おい抱きつくなぁっ」 ふわふわと浮いた状態のまま――凶悪なパワーを秘めたか細い両腕で――抱き締められ、思わず悲鳴。俺の背骨程度の耐久度では、本来の数百分の一の出力でもポッキリと折れるに違いない。 「うふ…… そう言えばマスターに口止めはされていませんですし、とぉっても素敵なあなたになら喋ってもいいですよねぇ〜」 素敵、の一言に恐怖も状況も一瞬忘れ、頬が緩む俺の顔。慌ててすぐに引き締めるが、どーにももう格好がつかない。 「最初に言ったように、私もマスターもあなたの敵ではありませんし、雇い主が企業の人間ってのも本当です」 それがどーしても信じられない。 「よーするにですね、炉を止めたかったのですよ……企業側は。実はですね、炉の老朽化に伴う形で根本的な設計ミスが発覚しましてねぇ…… それはもう大慌て。大惨事でも起きた日には、責任の取りよーのない状況に追い込まれますからぁ」 「ぬわにぃ!? だったら素直に止めりゃいーじゃないか。何もこんな事しなくても、自分のトコの施設なんだから」 「そこはそれ、面子ってモノがありますからね。で、仕方無いから情報を過激派辺りにリークして、そことの攻防戦の最中、ドサクサに紛れて止めてしまえ……って」 「ってコトは何だ…… この俺はスケープゴートってか?」 すっと俺から離れ、満面の笑顔でこくこく頷くシー。俺の方も、もう涙も出ないって心境で…… 気がついたら、”えへらえへら”と笑ってたりした。 この――悪魔術師の――世界には、絶対に関り合っちゃいけないって言われてる危険な女が二人いる。 その一人が、『クレイジー・ビースト・メーカー』と呼ばれる那薙迦・ヴィルヌーブ…… 今の気の違ったような”にょほほ”女。 そしてもう一人が、『ダークネス・サマナー』と呼ばれる…… 「なあ、シー。おまえの召喚者って……」 そこまで言った瞬間、背中に爆発的な衝撃が走った。より具体的に表現すると、後ろからいきなり蹴り飛ばされたような……そんな感じだ。いや多分、実際にそうなのだろう。 ずべしっ! と倒れて、硬い床に熱烈なキスをする。顔全体が強烈な痛みを訴えた。 更に……だ。 後頭部に圧力がかかる。これも想像で補完して表現を修正すると、力一杯頭を踏まれている……という事になる。 最初から説明し直せば、突然現れた何者かに背後から蹴り倒され、その上起き上がれないように頭を踏みつけられている……というのが、今の俺の状況だ。 横でも向いているならともかく、見事に顔面を床に押しつけられた今の状態では、抗議の声をあげる事も出来ない。それどころか呼吸すらマトモには出来ず、許された僅かな隙間からひゅうひゅうと情けない音を立てて最低限の酸素を確保していた。 この状態が続けば、確実に俺は死ぬ。そんな悲しい予感が脳裏を過ぎっていく。 「マスター、その……なんていうか……苦しそうにしてますよ」 これは……シーの声だ。って事は、今俺を踏みつけているのがシーを召喚したサマナーなのだろう。 そいつが何故、俺の頭を踏む? すごく理不尽な気がした。その怒りをバネに、頭を上げようと全身に力を込めた。 が……ぴくりとも動かない。まるで人外の力で固定されているかのようだった。 いや、後頭部にかかる重圧は、推定で100Kg以上。 本当に人間が俺を踏んでいるのか? 人間…… 人間のハズだ。人間であって欲しい。 でもそうしたらこの重さは何だ? とにかく俺は暴れた。暴れるだけ暴れた。 しかし、俺を押さえつける力は少しも緩まない。 そして…… 暴れる俺の頭上で、俺の存在を完全に無視したつぶやきが発せられた。 「私の出番って……これだけ?」 予想通り、女の声だった。 結局、俺を踏み躙ったサマナーは、あの一言しか口にしなかった。 次の瞬間、それまで以上の圧力――恐らくその存在の全重量――が後頭部を襲い、そしてすぐその痛みから解放される。顔を押さえながら慌てて立ち上がり周囲を見渡したが、もう誰もいなかった。 一人その場に残された俺は、ただただ敗北感に苛まれながら立ち尽す。 これからどうしようか……と頭を悩ませるのは、もう少し落ち着いてからの事である。 で、落ち着いてから俺は頭を悩ます事となった。 仕事は失敗……なのだが、きっちりと報酬は手に入れた。それも多少だが増額して。 これは別に、俺が雇い主を脅したってワケじゃない。向こうから言い出した事…… 要は口止め料だ。 金は入ったが失敗は失敗。貴重な増殖炉のガードに失敗したって噂は、それこそ一瞬でこっちの世界を流れた。 目につく現実だけを鵜呑みにするほどこの世界の連中は素直じゃないが、だからってケチのついた付与魔術師をわざわざ雇うほど人手不足ってワケでもない。 俺にマトモな仕事が回ってくる可能性は、その時点で小数点以下にまで下がっていた。 それが、たった数日で一転する。 この一件の裏に、あるサマナーが絡んでいたという情報が流れたのだ。 その途端に、もう無いと思っていた仕事の依頼が山のように舞い込み始めた。 あの女の介入を受けてこの程度で済んだ……って事で、俺の能力とはまったく関係なく、俺自身に価値が生まれたって事だ。 そう……絶対に俺を『魔除け』扱いにしてやがる。 こうして俺はこの世界に残った。 それが運のいい事だったのか悪い事だったのか…… まだ答えは出ていない。 |
The Nameless Magician |