那由さんの憂鬱

《――死天事件――》

 199X年(本編より15年前)――
 10月○日――
 17:32――
 快晴――
 東京――
 奥多摩――
 とある集合住宅地――

 全ては、1本の電話から始まった。
 警察への110番通報――内容は、少女の生首を持った血塗れの少年が、商店街を闊歩しているという異常なものだった。
 少年はすぐに逮捕され、少年留置所へ移送された。
 少年は、地元の学校に通う14歳の中学生だった。
 虚ろに呟くだけの少年は、取調べにもまともに応じず、明らかな精神異常者と判断されて、専門の医師が派遣された。
 少年は言った。
 ――あいつはどこ?
 あいつ……生首の少女の事だろう。後に、その少女は彼の妹だと判明した。
 医者は答えた。
 ――大事に埋葬したよ。
 精神医としては、不適切な答えだったかもしれない。
 少なくとも、少年にとっては。
 次の瞬間――医者の生首が4階の窓ガラスを突き破って、中庭のアスファルト上で柿のように潰れた。
 たちまち警察官達が少年を拘束しようとした。
 最初の時のようにはいかなかった。
 きっかり10秒後……血臭立ちこめる少年留置所の中で動く人間は、少年だけとなった。
 機動隊が集結したのは30分後だ。
 警察官と同じ運命をたどった。
 1人の少年に300人以上の警察官、機動隊員が虐殺された――政府の官僚達は、この報告を悪質なジョークだと思った。
 テレビで臨時ニュースのテロップを見るまでは。
 炎に包まれた東京都心。逃げ惑う人々。そして片手を振るうだけで、ダース単位の首を空中に飛ばす、血塗れの少年……

 自衛隊と内閣直属の特殊部隊が収集された。
 目標は、あの少年。確認次第抹殺せよ――
 ただの人間としては、健闘した方かもしれない。
 派遣隊員2581人中、死者2581人、負傷者は無し――その報告が届くまでに、5分もかかったのだから。
 もはや、事態は常人の領域からかけ離れようとしていた。
 数時間後、少年のいる場所に戦術ミサイルが叩き込まれた。もう、少年から半径数km以内のあらゆる生命が、あの少年に皆殺しにされたと確認されたからできた暴挙だ。
 エネルギーの嵐の中から、無傷の少年が出現した時、総理大臣はIMSOと世界中の戦闘・退魔組織、そして民間の戦闘能力者への連絡を指示した。
 人間の領域はここまで――
 これからは、“人”にして“魔”の力を操る者――『魔人』の出番だ。
 地球上のあらゆる戦闘力が、少年1人に集結した。
 結果――
 少年は、もはや存在概念が『人間』とは異なる『何か』である事を立証した。
 魔人――それは、人の領域を超えた者に送られる敬称。
 ならば、その魔人達を一夜にして全滅させた少年には、如何な敬称を与えれば良いのか?
 それは――

 阻止できる者がいなくなった少年の虐殺は、1ヶ月を過ぎても止まらなかった。
 東京は壊滅した。
 死者総数、数100万人超――被害総額は測定もできない。
 そして、更なる獲物を求めた少年が、東京から別の地域に移動しつつあると判明した時――IMSOは、ある人物へ連絡を取った。
 5年前に起こした事件の為に、世間に出ないよう監視されている存在へと。
 現在は、2児の母として平穏な主婦の生活を送っている彼女――まさか、彼女が世界最強の戦闘能力者であるとは、誰も信じられ無かっただろう。
 彼女が東京に足を踏み入れると同時に、東京は『SSSクラス外的干渉排除型結界』に閉ざされた。
 内部で何が起こったのかは、当人しか知る由がない。
 ただ、人知を超えた戦いが繰り広げられた事は確かだった。
 あらゆる干渉を無効化する結界すら突き破ったエネルギーの奔流によって、日本近辺の地図が描きかえられるほどの被害がもたらされた。
 もし、結界が無かったら――この地球そのものが砕け散っていたかもしれない。
 半年後――結界は消え去った。
 廃墟と化した大地に立つのは、一対の男女――
 ゆっくりと、男が――少年が大地に沈んだ。
 女が――あの彼女の身が崩れたのも同時だった。しかし、片膝をついた姿勢で彼女は持ち直した。
 少年は敗北し――女が勝ったのだ。

 再び拘束された少年は、なにも抵抗せずに取調べを受けた。
 まだ少年とはいえ、しかし、少年が起こした被害は、情状酌量の範疇を大きく超えている。
 少年は存在そのものを完全に滅ぼされる事となった。
 だが――
 如何なる方法を持ってしても、少年を殺す事も消滅させる事もできなかったのだ。
 あらゆる物理的、魔法的な干渉を無効化し、封印も宇宙への投擲も異世界への追放も不可能だった。冥王星中心の大重力牢に閉じ込めた次の日に、刑務所のロビーでお茶を飲んでいる始末だ。
 もう、誰も少年を滅ぼす事ができないと理解し――
 そして、少年は超法規定処理で釈放された。
 少年を倒した『彼女』に厳重に監視させて、再び少年が暴走したら、これを撃退するという条件で。
 余談だが、この条件と引き換えに『彼女』は監視生活から自由を取り戻し、今はとある民間退魔会社の代表取締役社長として、辣腕を奮っているという。
 ほぼ無条件の開放――少年がもたらした被害を考えれば、奇跡ともいえる軽い処置だ。
 少年の人成りが、とてもあの虐殺を起こしたとは思えないほど穏やかで平和的であり、再び事件を起こすとは想像し難い事も理由の一つだろう。
 だが――
 真に“彼”の責が問われなかった理由――
 それは、誰もが“彼”を恐れたからだ――
 みんな、“彼”を恐れた――
 人類最強の力を持つ、その存在を恐れた――
 だから――
 “彼”には、あの二つ名が冠される事となった――

 その名は……



※※※※※※※※※※※※※※※※




「……1週間か」
「そろそろですわね」
「……予想よりも“外”の展開が遅い」
「まだ誤差の範囲内ですわ。作戦に支障は無いでしょう」
「……奴等はどうしている?」
「那由様は“魔獣”と交戦中です。何やら奇妙な仲間を連れているそうですが……大僧正様とアーリシァ様は“鬼道”と交戦後に行方不明です。そちらも見知らぬ人物が紛れこんでいたとか。邪魔になることはなさそうですが、まだ予断を許さぬ状況ですわね」
「……特に西野家の女は、“道化”すらも倒しえた相手……面白い」
「くすくす……リーナ様の御気になさる相手は、かの人形遣いではありませんでしたか?」
「……奴も私が仕留める。私の刃から逃れたのはあいつが初めて」
「戦士の血が騒ぎますか?はては別の血が疼きますか?」
「……茶化すな」
「くすくす……」
『御楽しみ中失礼します』
「!?」
「……“静寂”か。相変わらず唐突な通信だ。用件は?」
『“外”の連中が揃ったそうです。我々の任務は終了しましたよ」
「……そう」
「奥の手を用意する必要は無かったようですわね」
「……あんな物騒なものを簡単に使われてたまるか」
「同感です……さて、これからどうしますか?』
「……決まっている」
「当然ですわね」
『止めても無駄でしょうね……わかりました。好きなようにしてください』
「貴方はどうするのですか?」
『“魔獣”と“鬼道”を回収します。後は……あなた達と同じでしょうね』
「……そう。それが我等を示す証」
「所詮は我等も血に飢えた牙ですか……」
『では、早速始めましょう……』


 さあ 狩りの時間だ



※※※※※※※※※※※※※※※※




 地上最強の戦闘力を秘めし、2人の恐るべき美女――“無限”のリーナと“聖母”安倍 深美が、廃墟と化した高級ホテルで肌を合わせていた頃と同時刻。“闇高野”大僧正に“人形遣い”アーリシァ大佐、“化血刀”子法と“翠蝶麗君”シー・リャンナンは……
 ……いや、同時刻と表現するのは正確では無いかもしれない。
 なぜなら、彼等は『この世界』とは別の世界にいるのだから……
 薄桃色の霧が世界を満たしていた。自分の手もぼやけて見えるぐらい濃い霧なのに、かなり遠くの風景も見通す事ができるという、不可思議なる空間だ。
 霧に隠れた世界は――あえて語るなら、中国奥地の桂林地方を連想させる山地に似ていた。だが、峨々たる山々の上空に延々なる大洋が逆さに広がり、永久凍土の氷河の上に鬱蒼と竹林が広がっている。紅葉と桜の花弁が同時に舞い落ち、一面の銀世界を煌く天の川が見下ろしている……幻想と夢幻の入り混じった非現実的な――しかし、奇妙に美しい世界であった。
 そんな夢幻空間の中心に位置する、中華風な白亜の屋敷の中――

「右腕の調子は如何かな?」

 1滴が同量の黄金に匹敵しそうな高級中国茶を、アーリシァ大佐は器用に仮面越しに啜った。

「ふむ、中々よい感じですじゃのう」

 精巧な木彫りの右手を握ったり閉じたりしながら、大僧正は頷いた。鬼に食い千切られた右腕の代用として、アーリシァの人形パーツを使ったのだ。

《スゴイよね。子法の身体は直せないのかな?》
「その刀身の歪みは、お前の本体であるあの女にしか直せない。しばらく我慢しろ」
《ひーん》

 真紅の豪刀――子法の刀身は、鞘に収まらぬ程に歪んでいた。

《子法はこのままでもおっけーだけど、おじいちゃんの腕は大丈夫なの?》
「そのままでも日常行動には支障は無い。気になるなら闇高野総本山で再生されるがよかろう。今の装備ではこれが限界だ」
「無事に戻れたら……ですがのう」

 老人の口元から溜息が漏れる。
 “魔獣”と“鬼道”――2人のナイン・トゥースの襲撃を受けてから、1週間が経過していた。
 間一髪の所で逃れた『シーの夢』の世界は、この薄桃色の霧に覆われた奇妙な世界だった。この光景に面食らいながらも、シーの案内で中華風の豪華絢爛な屋敷に招かれた一同は、こうして骨休めも兼ねたダメージの回復に努めていたのだが……

「恐るべきは“鬼道”……身体を動かせるに至るまで、1週間もの時を必要とするとはのう」
「このタイムロスは致命的かもしれない……奴等に相当な時間を与えてしまった」

 鬼によって与えられた傷は、通常の手段では絶対に癒す事ができない。世界最高クラスの術師である彼等ですら、鬼に食われた身体をここまで回復させるのに、1週間もの時間を必要としたのだ。敵の目的であるVIPはこちらの手にあるとはいえ、相手が何か画策するなら十分過ぎるほどの時間が経過している。一同の不安も当然といえた。

「夜来香〜♪『糖醋鯉魚(鯉の甘酢掛け)』と『火腿海参(海鼠と金華ハムの煮物)』をお持ちしましたぁ」

 ……もっとも、フラフラと料理を運ぶ美しき金髪女仙――やっぱり仙衣がずり落ちて、平坦な乳が露出している――シー・リャンナンには、深刻さなど欠片も感じられないが……

「……あのな、もう少し真剣になれんか?」
「えええ、お口に合いませんでしたか?けっこう自信作だったのですがぁ」
「…………」

 言いたい事は山ほどあるが、アーリシァはその言葉を仮面の奥で飲み込んだ。なにせ、この避難した世界そのものが“シーの夢”なのである。機嫌を損ねたからといって追い出される事は無さそうだが、恩人に対する礼は忘れないつもりだ。彼女のほえほえとした言動を見ていると挫けそうになるが……

《……でも、子法は那由ちゃんの事が心配だよ》
「そうじゃな。最悪、ナイン・トゥース全員に襲われているやもしれんからのう」
「大丈夫ですよぉ。だって那由さんなんですから」

 シーは自信たっぷりに言い切った。

「……だな」
「……じゃのう」
《……だよね》

 3人と一振りの魔人達は顔を見合わせて……なぜか一斉に溜息を吐いたのだった――



※※※※※※※※※※※※※※※※




「はくしゅん」
「……風邪か?」

 あら、誰かステキで美形な殿方と美少年が、那由ちゃんの事を『那由ちゃんサイコー!!那由ちゃんカワイー!!那由ちゃんビューテホー!!』って噂してるのかしら?ホホホのホ♪

「敵があんたを仕留める方法でも考えているんじゃないのか?」

 うぐぅ……いきなり萎えるよーなこと言わないでよクルィエ少佐さぁん。なぜか心読まれてるしぃ〜。
 でもぉ、皮肉の1つでも言いたくなるわよねぇ。この状況じゃあ……

「もう少し、過ごし易い環境にできないかしら?テレビにエアコンにワインサーバーにソフトチェアーも用意してとは言わないから」
「無茶を言うな。この『簡易型ディメンションフィールド発生装置』を作動するだけで、天界(うえ)の連中にばれないか冷や冷やものなんだぜ」

 そう、直径3mぐらいのガラスみたいな球体――クルィエさんの神様秘密道具で作られた結界の中に、私達はいるのよぉ〜〜〜!!
 結界の中には那由ちゃんとクルィエさんの2人だけ……あーんなワイルド&ビューティーでせくしせーくしなオトコノヒトと、こーんな密着状態だなんてぇ……ドキドキワクワクポワポワ物なシチュエーションよねぇ!!じゅるり。
 でもでもぉ……

「でも、こんな状況じゃ贅沢は言えないわね」
「まったくだ」

 そう、この結界を『無限肉腫』が飲み込んで、私達を押し潰そうとグチャグチャな肉の渦が360°あらゆる方向で蠢いているのだからぁ――
 ――地下シェルターで“魔獣”魎子さんに襲われた私達は、『肉の洪水』に飲み込まれる寸前、まさにギリギリ間一髪タッチの差で、クルィエさんが展開した『結界』の中に逃れる事ができたのぉ。
 さっすが神様♪クルィエさんの結界は、あのグチョグチョミンチ攻撃を完全に防いでくれたわぁ。
 でもぉ……この状況って、逆に閉じ込められたって事なのよねぇ?
 “無限肉腫”……悪魔族の武器である『瘴気兵器』の一種……悪魔族の最強兵器の1つだけあって、どーんな攻撃も魔法もぜーんぜん通用しないのよぉ!!攻撃や防御が効かないというよりも、攻撃や防御が相手の身体の一部に作り変えられちゃうって言えばいいかな?
 テレポート系や時空間操作系の術も全然使えないしぃ……魎子さんの攻撃は全然止まないしぃ……で、こうして完全な膠着状態になっているわけぇ〜〜〜。
 ででで、こうしてクルィエさんとツーショット状態になって――でも、外には敵の目があるから何もできないのぉ!!ちぇっ!!――もう1週間も経過しているのよぉぉぉぉぉ!!!
 まぁ、那由ちゃんクラスの高レベル美少女魔術師になればぁ、1週間ぐらいなら水も食料もおトイレも必要無しで大丈夫なんだけどねぇ〜♪クルィエさんは元々神様だから(たぶん)平気だろうしぃ。
 でもでもぉ、1週間ものタイムロスはとっても痛い!!腰痛と生理痛が一緒に来たぐらい痛いわぁ!!
 魎子さんはイイとしてぇ、他のナイン・トゥースの連中がその間に何をしているのか……ほとんど好き放題されちゃっているとしか考えられないんだけどぉ〜〜〜!!あああ、大僧正サマとアーリシァ大佐と子法ちゃんと……え〜と、誰だっけ……あ、シーは大丈夫かしらぁ?

「俺達に心配されちゃ世話無いぜ」
「そうね」

 ……だから、心を読まないでよクルィエさぁん。
 言ってる事は大正解だけどねぇ……絶体絶命これでお終いよ大ピンチ状態が現在進行形なのは私達だしぃ。
 はぁ……この状況を突破できるクールでナイスでグッジョブな方法は無いかしらぁ?

「あるぜ」

 ……だ〜か〜ら〜勝手に心を――
 ――って、へ?
 ああああああああのねぇぇぇぇぇぇ!!!

「方法があるの?」
「……なんだ、もう少し驚くと思っていたんだがな」

 欠伸を洩らすクルィエさんを、ちょっと蹴飛ばしたくなったわ(怒)。
 どーしてそれを早く言ってくれないのよぉぉぉぉぉ!!!

「本来の『無限肉腫』なら、このレベルのディメンションフィールドは一瞬で吸収同化されちまう筈だ。だが、今も俺達は肉団子にされずにいる」
「……つまり、これは完全な『無限肉腫』じゃ無いのね」
「御名答。そもそも、人間の魔法技術レベルで完璧な瘴気兵器を再現できるわけないわな……いや、むしろここまで再現できた事を誉めるべきか。ナイン・トゥースとか言ったな。地球人類にもとんでもない連中がいる」
「完璧じゃないなら、付け入る隙があるって事ね」
「そうだ。この無限肉腫の再現魔法技術レベルから判断するに、おそらく次元振動に身体情報を送信するメカニズムがある筈だ。それを叩けば、あの姉ちゃんを倒す事ができるぜ」
「問題は、それをどうやって見つけるかね」
「いや、それならさっき見つけたんだが」

 ……へ?
 今までグースカ寝っ転がっていただけだったのに……いつの間にぃ!?

「ただ寝ていただけだと思ったか?今まで探知魔法で探っていたんだよ……しかし、神族の力を使えないのは辛いな。1週間も時間がかかっちまった」

 冗談めいた仕草で肩を揉むクルィエさんだけど……私は戦慄に近い感慨に打たれているわ。
 アヴァロン・クルィエ少佐――第1級武争神族を名乗る、本物の『神』――その事実を実力で実感させられた感じ……

「それで、そのメカニズムは何処にあるのかしら?」

 クルィエさんの力強い指先が、真っ直ぐに私を指した――んじゃなくってぇ、私の背後を指差したわ。

「その方向にきっかり10mの地点に、直径5cmの球体がある。それが無限肉腫を制御するメカニズム――コアと呼ぶか――だな」
「結構近いのね」

 仰け反りながら背後を見てみたけどぉ、やっぱりウネウネグチョグチョな肉の奔流しか見えないわぁ。人間に感知するのは不可能よぉ、やっぱり。

「……薄いな。あいつよりはマシだが」
「え?」
「い、いや、何でもないぜ」

 なぜか咳払いを1つして、クルィエさんは話を続けたわぁ。

「だがな、ここで1つ問題がある」
「何かしら?」
「このディメンションフィールドは次元的に座標固定されているから、このままではコアに向けて移動ができないんだ」

 がちょーん。

「それって、つまり……」
「そうだ。このディメンションフィールドを解除する必要があるんだよ」

 なななな何よそれぇ!?!?
 そんな事をしたら肉の海に飲み込まれてグチャグチャミンチにされて一瞬でゲームオーバーじゃない!!!
 却下却下却下よぉぉぉぉ!!!

「やりましょう」
「……あっさり言うな」
「現状を打破する手段がそれしかないでしょ?」
「いや、もう少し決意なり腹を据える所を見せてくれないとな……散歩にいくような調子で言われても、こっちが萎えるだけだぜ……」
「気にしない事ね」

 ふえ〜〜〜ん!!やだよ〜〜〜行きたくないよ〜〜〜心の中で涙ダー状態よぉ……トホホ〜ン。
 そんな私の内心を知らずに、クルィエさんは不敵でセクシーな笑みを浮かべたわぁ。一瞬、旦那様の事を忘却しそうな笑みよン♪……って、そんな浮かれている状況じゃないのよぉ〜〜〜。

「たいしたタマだ。じゃあ、行くぜ」

 猛禽類を思わせる翼が、ばさりと広げられたわ。カッコイイけど狭いからやめてぇ〜〜〜。

「ディメンションフィールドが消えてから、俺達が飲みこまれるまで3秒って所かな……どうする?」
「私がコアまでの道を作るわ。飲まれる前にコアに行って破壊してもらえるかしら」
「イエス。サー」

 ハンドバックから『念動破波』の呪符を取り出すと同時に、クルィエさんが私の前に立つ。
 ごくり、と喉が鳴ったわぁ。
 緊張で喉が渇くのに、冷たい嫌な汗が額を流れるのが実感できる……
 チャンスは1回。コンテニューは無いのよ……

「いくぜ」

 硬い硬い鋼を思わせる号令と同時にぃ、私達をやさしく堅固に守ってくれた結界はぁ、始めから存在しなかったみたいに消え去った――
 ――スタート!!

 障害の無くなった肉の洪水が私達に殺到する私の呪符が超高速圧縮詠唱に反応して力場を前方に開放する同時にクルィエさんの翼が羽ばたいて――1秒経過――力場に押しのけられた肉の海の先に赤い塊が見えたクルィエさんが一瞬で加速して飛び出す肉の触手が私とクルィエさんに殺到する――2秒経過――肉腫が私の身体に絡みつく予想よりも早い!?クルィエさんにも触手が絡みつくけどそれを振り切って力強い腕が伸ばされるその先には“魔獣”の唯一の弱点であるコアがあるついに指先がコアに触れて――!!
 ――3秒経過――

「――っ!?」
「なにッ!?」
「……甘…い……」

 クルィエさんの指先がコアに触れた――それと同時に、コアはずぶりと肉の壁と同化して、クルィエさんの腕に絡みついた触手が、その腕を引き戻したの……

「……誘い…に……乗った……な……」

 クルィエさんの眼前に、魎子さんの上半身がレリーフみたいに浮かび上がってきたぁ……このおぞましくってスプラッタな肉の塊の本体とは思えないくらい、とってもとっても綺麗な……怖いくらいに美しい姿……一瞬、私は自分を飲み込もうとする肉の感触を忘れちゃったわ……

「近くにあり過ぎると思ったが……やはり罠だったか」

 クルィエさんの身体も、ほとんどが肉腫に被われてしまったわ……だけど、その表情には焦りは全然浮かんでないのぉ。
 だって神様だものねぇ〜〜〜その気になれば自分だけは脱出できるのでしょーよ。
 でもぉ、那由ちゃんはぁ……

 ビリビリビリ――!!

 いや〜ん、まいっちんぐ♪
 ……なんて言ってる場合じゃないわぁ!!
 服がビリビリに引き裂かれてセミヌード状態にされちゃったわ。ハンドバックも肉腫に飲み込まれちゃったぁ……あのバック高かったのにぃ!!

「くそっ、見えねぇぞ……おい、身体の向きを変えてくれ――いてて!!」

 ……クルィエさんの悲鳴は無視よ。
 でもでもぉ、この那由ちゃんの服を脱がすって事はぁ……やっぱり……

「……お前なら……私…を……殺せ……る…と……思った……が………もう……いい…食……う……」

 やっぱりぃぃぃ!!!
 ジタバタジタバタジタバタぁ!!!

「……じた…ばた……するな……黙っ…て……食われ……ろ……」

 じょーだんじゃ無いわよぉぉぉぉぉ!!!
 もー形振り構わない絶叫を発動しようとした――その瞬間んんん!!

 ぴたり

 ――え?

「……な…なぜ……」

 私達を飲み込もうとする肉の洪水――“魔獣”魎子さんの動きが……止まった?

「……なぜ……きさ…ま……が……」

 あれれ?急に全身の圧迫感が弱まってきたような……あれれのれ!?周りを囲む無限肉腫が――半透明な感じに薄くなって……

「……な…ぜ……きさまが……ここに……いる…!?」

 魎子さんの絶叫。

 ふっ……

 れれれのれ〜?あの肉の洪水――魎子さんが、空気に溶けるみたいに完全に消滅しちゃったぁ……という事はぁ?
 浮遊感。
 あれ〜れ〜!!
 支える物が何も無くなった那由ちゃんのビューティフルバディはぁ、自然法則にしたがってシェルターの底目掛けてまっ逆さま〜〜〜!?底までは目測100m以上!!即死間違い無しの高さから自由落下中の私ぃぃぃぃぃ。
 でもでおもぉ、那由ちゃんはどんな時でも慌てないのぉ。浮遊魔法ぐらい、呪符無しでも簡単に――

「…」

 しーん

 え!?
 確かに浮遊魔法を唱えた筈なのにぃ、那由ちゃんは今も落下中?
 ……魔法が発動しないぃぃぃ!?
 キャーアーアーアーアーアーアー!!!
 おーたーすーけーてー!!!

 どすん!!

「よっと……なんだ、思ったよりも重いな」
「失礼ね」

 褐色の翼が私を支えてくれた。
 床に叩きつけられるギリギリの所で、クルィエさんがナイスキャッチしてくれたわぁ。
 でもホント失礼ね!!重いとは何よぉ!!擬音も『どすん』だなんて、とってもぷんぷんだわぁ!!!

「そんな事より、見ろよ」
「え?」

 クルィエさんに促された先を見るとぉ……真っ赤なフレアドレスを纏った綺麗な女性――魎子さんが、呆然とした表情で佇んでいるわぁ。
 あの『無限肉腫』は、もうどこにも存在しない……なぜ消えちゃったのかしら?
 その解答は、すぐに……
 そう。文字通りの意味で『降り立った』の……

『予想よりも時間がかかりましたね』

 白銀の装甲に身を包んだ機械騎士――ナイン・トゥース『“静寂”なるエルフィール・D』さんが、背中のブースターユニットから青白いジェットを噴き出しながら、ゆっくりと私達の前――魎子さんの傍に着地したぁ……
 ひょえ〜〜〜!!!一難去ってまた一難んんんんん!!!

『御苦労様です。貴方達が“魔獣”の気を引いてくれたお陰で、こうして気付かれる事無く不意を付く事ができました』

 慇懃無礼なくらいに丁寧にお辞儀するエルフィール・Dさん……むか。むしろこういう仕草って嫌味よねぇ。

「そうね。でも、どうせならもう少し早く登場して欲しかったわ。もう少しで殺られる所だったのよ」
『御謙遜を』
「……な…ぜ……わたし……の……邪魔…を……し…た……」

 憎悪に満ちた虚ろな視線がぁ、白銀の外骨格に向けられたわ。

『おやおや、これは心外ですね。私は貴方を助けたのですよ?』

 どーやってあの外骨格装甲でやれるのかはわからないけどぉ、エルフィール・Dさんは器用に肩を竦めて見せた。

「……な…に……!?」
『ご自分のコアを見てみなさい』

 魎子さんの手が胸元にずぶりとめり込むとぉ、血塗れの赤い球体が取り出されたのぉ。
 那由ちゃんの攻撃用呪符が貼り付いた赤いコアが――

「……ッッッ!!」
『貴方が那由様のバックを飲み込んだ際、バックの中にあった呪符が“偶然に”コアに貼り付いたのですよ。あと0.1秒遅かったら、貴方は滅ぼされていましたよ』

 あーん、バレちゃったわぁ。
 エルフィール・Dさんの『超常力&魔法無効化能力』のお陰で、魎子さんの無限肉腫は消えてくれたんだけどぉ、同時に那由ちゃんの攻撃用呪符もタダの紙切れになっちゃったのよねぇ。残念!!

「……だめ……わた…し……は……ま…だ……」
『いい加減にしてください。許可の無い出撃は重大な規律違反なのですよ。ナイン・トゥース唯一の『裁定者』として、貴方と“鬼道”様の行為は許す訳にはいきません』

 呆然と呟く魎子さんから、コアをひったくると、

『しばらくリタイアしていてください』

 ぐしゃって、あっけなくエルフィール・Dさんは握り潰した……

「……だ…め……わたし……は……まだ……死……ん……で…い……な…い……の……」

 あの、私達を絶体絶命に追い詰めた恐るべき強敵――“魔獣”魎子さんはぁ、砂像が崩壊するみたいに崩れ去っちゃった……あまりにもあっけなく……

「ところで、貴方の言ったルートを進んでみたけど、仲間に会えなかったのだけど」

 ど、ど、ど、動揺が顔に出てないかしらぁあああああ!?!?今すぐ逃げ出したい心境の極地チックの限界が爆発寸前よぉ!!!

『おや、敵の話を鵜呑みにするとは貴方様らしくもないですね』

 ……あう。
 って、今確かに『敵』って言ったわよねぇ……イヤ〜な予感……

「これ以上、あなた達に振り回されるのは御免だわ。この場から消えるか、無理矢理消されるか……好きな方を選びなさい」
『おやおや、もう少し利用したかったのですが……ま、いいでしょう。いずれにせよ貴方様はこの魔都で生涯を終える予定なのですから』

 がびょーん!!
 イヤな予感が大的中のピッタシかんかん〜〜〜!!!
 もー逃げる!!絶対に逃げる!!形振り構わず逃げちゃうわぁぁぁぁ!!!

「それじゃ、戦闘開始ね」
『……流石は“ファー・イースト・ウィッチ”……あたしの能力を知りながら、そこまで堂々とされるのは貴方が初めてです』

 ……って簡単に逃げられたら苦労しないわよぉ〜〜〜!!
 連続バトルはイヤ〜〜〜!!
 しかも相性最悪の敵って感じぃ〜〜〜!!

『3分待ちます。戦いの準備をどうぞ』
「ありがとう……とは言わないわよ」

 はうぅ……でもぉ、どーやって戦えばイイのかしらぁ?
 魔法も特殊能力も絶対に使えないんじゃあ、生身の身体でガチンコ勝負するしかないわぁ。でも、那由ちゃん武器を持ってないしぃ……まさか、あのカタそうなアームドスーツ相手に素手で戦えって言うのぉ!?ムチャよぉぉぉぉ!!!

「使えよ」
「え?……っと!!」

 いきなり背中越しに投げ渡された『モノ』を、那由ちゃんは慌てて受け止めたわぁ。

「なにこれ?」
「天界軍個人携帯装備品だ。人間用に出力を極限までレベルダウンしているから安心しろ」

 先端が丸い長めのナタみたいな剣とぉ、ゴツゴツした指輪とぉ、変な模様のシール……これが神様の装備品!?

「反次元高周波マチェット“トリスタン”、凡そあらゆる防御システムを無視してどんな存在でもぶった斬れる獲物だ。指輪はEフィールド発生装置、光学系波動系の攻撃を全て無効化できる。最後のシールは思念式空間相位流動ジェネレーター、簡単に言えば思い通りに空中を飛べるようになるシステムと考えればいいだろう」
「これで戦えって言うの?」
「さっきも言ったが、俺は地球人類と戦えないんだよ。それがあんたに俺ができる精一杯の援助だ」

 ふぇええええええん!!!
 クルィエさんも戦ってちょーだいよぉおおおおお!!!
 こんな美少女1人を戦わせるなんてぇ、とってもとってもヒドイわぁあああああ!!!

「ありがと。じゃ、行くわね」
「……簡単に言いやがったな」
「気にしないことね……あ、それとナイン・トゥースのお嬢さん――」
『――?なにか?』
「ちょっとあなたの能力を消してもらえないかしら?こんな格好じゃギャラリーに失礼だわ」

 今の私はぁ、魎子さんとのバトルで服がボロボロ……いや〜ん♪まいっちんぐないけないナユ先生状態なのよぉ。
 エルフィール・Dさんは、軽く首を振るとぉ、

『承知しました。早く着替え――』
「…」

 その瞬間、五色の光柱が大地と天球を繋いだわぁ。
 エルフィール・Dさんの足元に置いてある呪符からぁ、火・水・木・金・土の五大オリエンタルエレメントの魔力が爆発して、たちまち彼女の身体を飲み込んだの。五大エレメントの融合した『太極』のエネルギーの前ではぁ、この世界のあらゆる存在が混沌に帰しちゃうのよぉ。これならどんな相手もイチコロで――

『……あたしが能力を解除すると同時に魔法を発動させるとは……流石は那由様。やることが実に汚い……と、言うべきでしょうか』

 ……イチコロになる筈だったのにぃ。
 エルフィール・Dさんの外骨格装甲には、傷1つ付いていなかったわぁ……

『ですが、あたしの“サイレンスフィールド”は、無意識下でも常にあたしの周囲数ミリの空間に展開されているのです。そんな奇襲は通用しませんよ』
「どんな状況でも、あなたの身体はガードされてるってわけね」
『油断も隙もありませんね……今、この周囲数キロの範囲に“サイレンスフィールド”を広げました。といっても、貴方様には感知できないでしょうが』
「……その能力ってどこまで拡大できるの?」
『最大出力なら太陽系全体です』

 その銀色の外骨格の表面に、青白い電子の輝きが走ったぁ……
 ……魔法が始めから『使えない』のなら、まだ理解できる能力なのよ。でも、彼女の力は完全に具現化した魔法までも、その『領域』に踏み込んだ瞬間に打ち消されてしまうなんて……今の手応えでは、たとえば能力の効果範囲外から魔法を使って、隕石等を落下させても――それが純粋な自由落下だろうと、その発端が魔法や超常能力の類である限り――『領域』に触れれば問答無用で消滅しちゃうでしょうね……
 ――どんな強力な能力者であろうとも、何の力も無い平凡な人間にしてしまう――
 背中を絶対零度の悪寒が撫でているのを感じるぅ……
 “静寂”なるエルフィール・D――なんて怪物なの!!

『……この呪符は、いつの間に設置しておいたのですか?』

 足元の呪符――今はタダの紙切れ――を、ひょいって鋼のマニュピレーターが摘まんだわぁ。

「たまたまそこに落ちてたのよ」
『“偶然置いてあった”のですか……なるほど、先程のバックの呪符が魎子様のコアに“偶然”貼り付いていた件といい、貴方様の力が少し理解できたような気がします』

 じりっ

 マニキュアパンプスが瓦礫を軋ませて、

『まさに“魔人”と呼ぶべき恐ろしい御方ですね』

 ギュイイイイイン……

 アームドスーツのブースターパックが、不気味な作動音を響かせる。

「あなたが、ね」

 クルィエさんから借りたマチェット『トリスタン』を逆手に構えて、

『覚悟は終わりましたか?』

 長大なレーザーライフルが私に向けられる。

「いつでもいいわよ」

 カラン……

 瓦礫の欠片が一片、2人の間を堕ちた――

 ダッ!!

 私は身を屈めて駆けた。
 遅い!?
 そっかぁ。剣技やそれに対応する体術の類も、全部彼女の能力で消滅しちゃうのよねぇ。普段なら『縮地』とかの類の瞬間加速ダッシュで瞬時に間合いを詰められるのにぃ。
 当然ながら『普通の人間のスピード』ではぁ、あのレーザーライフルの照準から逃げられる筈が無かったわ。
 死の銃口から、青白いエネルギーの奔流が那由ちゃんに発射される。視認可能な低速粒子ビームで攻撃するなんて余裕じゃない。まぁ、現に避けられなかったんだから何も言えないけどねぇ。ふえーん。
 一撃でビルも蒸発する(推定)高出力ビームはぁ、見事に那由ちゃんに直撃――

『!?』

 ――直撃する直前で、ふっと消滅しちゃったわぁ。
 私の指には、例の指輪が輝いている。もっと那由ちゃんに相応しい可憐でゴージャスなデザインならよかったなぁ。ビームを打ち消してくれたから文句は言わないけどぉ(言ってる)。
 すかさず目標の懐に接近する那由ちゃん!!

『まさかっ!?』

 カチャッ

 外骨格装甲の肩口にある、明らかにAC10ぐらいは発射しそうなキャノン砲からぁ、ぽしゅぽしゅって黒い球体が発射されたぁ。
 案の定、黒い球体は目の前で大爆発!!!
 でもぉ、衝撃波は全部神様バリヤーでガードしてくれたわぁ。クルィエさんサンキュー♪爆風に隠れた影に、那由ちゃんの必殺の一撃が――!!

 すかっ

 はにゃ?
 手応えが……無いぃ?

「上だ」

 え?
 クルィエさんの声に思わず私は上を見上げ――

 ドガガッ!!!

 ――見上げようとはしないでぇ、柔道選手も顔負けの前回り受身で身をかわした。一瞬前まで私がいた場所の大地を、2本の『何か』が深く深く抉っているぅ。ひえ〜!!
 今度こそ、私は上を見上げた。

『勘の良さは大したものです。それは私の能力でも消せませんしね』

 両腕をこちらに向けた姿勢のまま、凶悪なアームドスーツはシェルターの中空に浮かんでいた。そっかー、空も飛べるのよね。あの相手はぁ。
 私を攻撃した『何か』――それはぁ、エルフィール・Dさんの両手首のパーツから伸びる、ガクガクした触手みたいな太いワイヤーだったぁ。『直角にしか曲がらない、グ○のヒート○ッド』みたいなものかなぁ。
 あの大型レーザーライフルは地面に捨てられていたわ。重火器類は那由ちゃんに通用しないってバレたのね。『いい判断だ』ってクルィエさんの呟き声が聞こえたきもするぅ。

「気をつけな。それはEフィールド発生装置でも防げないみたいだぜ」
「もっとマシな防御装置は無かったの?」
「悪かったな」
「悪いと思うなら、ちゃんとした援護をしてちょうだい」
「……思ったよりも我侭な女だ」
「男は女の我侭を全て引き受ける義務があるのよ。知らなかった?」
「おいおい……」
「それなら、我侭を聞いて――」

 クルィエさんと軽口を交えている最中も、あの極太ワイヤーは息吐く間も無い連続攻撃で那由ちゃんを攻撃してるのぉ!!横っ飛びで逃げ回っても、ガクガクって曲がるワイヤーが間髪入れずに迫り来る!!ひょえ〜〜〜!!!触手みたいなモノに襲われるのは、かすみちゃんの役目よぉおおおおお!!!

『なんて身軽なのでしょう。そういえば、西風霧創流刀舞術と中国拳法を極めた剣術・体術の達人だというデータもありましたね……しかし』

 どんっ

 荒い息を吐く――どんなに運動しても息切れしない特殊な呼吸法も、この状況では使えないのよね――私の背中に当たる感触は、シェルターの内壁に間違い無いわねぇ……
 がが〜〜〜ん!!
 追い詰められちゃったぁああああん!!!

『しかし、如何な達人であろうとも、この単分子ワイヤーロッドの動きを避けきる事は不可能……それが人間の限界です』

 次の瞬間、鎌首を擡げる単分子ワイヤーロッドが、那由ちゃんの胸を貫いた――!!

『なっ!?』

 エルフィール・Dさんの驚愕の声が聞こえたのを、那由ちゃんグレートイアーは聞き逃さなかったわ。
 ワイヤーロッドには、内壁を抉った感触しかなかったでしょうね。
 そう、貫かれたのは私のボロボロなスーツだけだったのぉ。
 で、肝心の那由ちゃん本体はぁ、内壁に刺さった2本のワイヤーロッドの上を駆け登るぅ!!

『空を!?』

 迎撃しようと折れ曲がるワイヤーロッドを、マチェットでスパスパスパー!!って細切れ両断!!今の那由ちゃん絶好調ぉ〜!!!

『まさか、単分子構造体を切断するなど――』

 セリフを最後まで言わせる慈悲は無いわぁ。
 白銀のアームドスーツの目の前に踊り出た私はぁ、その場で独楽みたいに回転しながら逆手持ちのマチェットで外骨格装甲ごとエルフィール・Dさんを斬り裂いたぁ!!!

 ドッ!!!

 手応えあり!!
 外骨格装甲服の上半身が爆発したぁ!!

 ぞわっ

 殺気!?
 咄嗟に身を伏せた私の上半身があった空間を、唸りをあげてワイヤーロッドが薙ぎ払う!!
 まだ倒せてないぃ!?

 ババッ!!

 間合いを離した私の前方10m先の空中に、

『まさか機械的な空中移動装置があるとは……この時代の技術レベルでは不可能なはず』

 胸部と頭部のパーツが吹き飛んだ、アームドスーツの姿があったぁ。
 破壊された装甲服の下には、エルフィール・Dさんの素顔があったんだけどぉ……
 ……案の定、知的な印象のハイティーン美少女だったわ。なんでナイン・トゥースってこんなに若い娘ばっかりなのぉ?同年代は深美さんと魎子さんしかいないじゃなぁい!!むきー。
 しかもぉ、ぴちぴちと張りのあるお椀型の胸も丸見え状態なの!!これって私に対する当てつけぇ?乳頭も陥没気味だけど綺麗なピンク色だしぃ。フンだ。今の那由ちゃんは、せくしせーくしな下着姿でとっても色っぽいんだからぁ!!青紫のハーフビスチェとガーターで悩殺よぉ♪
 ……で、でもタイトスカートは破れなくてよかったわぁ……まさかこんな事態になるとは思わなかったからぁ、ぱんつは愛用のおばパンなのよぉ……ラインが出にくいから便利だしぃ。
 そんな私の感想を知るよしもなくぅ、

『核の直撃にも耐えられる、あたしのアームドスーツを一撃で斬り裂くとは、唯のマチェットではありませんね』

 剥き出しのおっぱいも全然気にしないで、冷静沈着な眼差しで私を見つめるエルフィール・Dさんだったのぉ。むむむ、やるわね。

「言葉通りの『神の武器』よ」
『ならば、あたしも本気で御相手しましょう』
「そうしなければ、あなたが死ぬだけね」

 ふぇ〜〜〜ん。お願いだから本気にならないでぃ〜〜〜。えぐえぐ。

 きゅいぃぃぃぃぃぃぃん……

 うぐぅ、あの触手みたいなワイヤーロッドがぁ、凄いスピードでドリルみたいに高速回転始めたわぁ。唯でさえ触手みたいでアブナイのにぃ……なんだか違う意味で戦いたくなくなってきたわ――って、『攻撃しま〜す』の掛け声も無く、いきなりワイヤーロッドが襲いかかってきたわぁ!!
 でもぉ、那由ちゃんのスーパーな剣術の腕前と、何でも切れちゃう神様マチェットならぁ、この攻撃も簡単に迎撃でき――

 ぎぃん!!

 ――ッ!?


 ……昔、まだ私が半人前の退魔師だった頃……妖刀に魅入られた剣士を相手に戦った事があった。
 物理防御も魔法防御も、どんな存在も真っ二つにしてしまう妖刀を相手に苦戦していた時、姉さんが教えてくれた。
 『あらゆる物質を切断できる刃物を相手にした場合、その攻撃を物理的に防御する方法は?』
 姉さんは、3つの答えを提示してくれた。
 1つ――『ゲル状の物質で“包む込む”』
 2つ――『接着剤などで“粘着させる”』
 そして、3つ目は――


 ぎぃん!!

 どんな物質でも切断できるって保証付きの、反次元高周波マチェットが……弾かれたぁ!?

 3つ――『高速回転運動で“弾く”』

『もらいました』

 がら空きになった胴体に、もう一本の高速回転ワイヤーロッドが突き刺さろうと――!!

 ズザァ!!

 激痛!!
 ばばばばって、鮮血が私の顔に飛び散る。
 ギュルギュルと高速回転する死のワイヤーの先端はぁ、私の目の前で停止していた。
 ワイヤーを掴み止めたもの――それは、私の左手だったぁ。攻撃が直線的だって見抜いたからぁ、間一髪で握り締められたのよぉ。
 でも、その代償は大きかったのぉ。

『咄嗟の回避としては見事です。しかし……』

 ギュルルルルルルル!!!

「くぅッ!!」

 あまりの痛みに頭の中が真っ白にぃ!!
 回転するワイヤーに、那由ちゃんの左腕は文字通り『巻き取られて』いくのぉ!!瞬時に左腕はズタズタになってぇ、続けて身体も、糸巻きみたいに引き摺りこまれて――!!

 斬!!

 私は左腕を切り落とした。
 巻き取られた左腕が、瞬時にグチャグチャのバラバラにされちゃう。痛みを忘れるくらいひょえ〜〜〜!!な光景だわぁ。
 鋭利な刃物で切断された傷だから、出血は少ないけど……何かのはずみで噴き出したらぁ、失血性ショックで即死間違い無しよ……ううううう……いきなり超大ダメージの大ピンチぃ!!!

『太さ1インチと言え、高速回転するワイヤーロッドに触れればそうなります』

 エルフィール・Dさんの言葉は半分も聞こえない。激痛のあまりにねぇ……普段は気功法や魔法で傷の痛みを打ち消しているからぁ……あうあう、私はマゾじゃないから痛いのは痛いからイヤなのぉ〜〜〜!!

「とても痛いわね」
『……そういう台詞は、眉一筋動かさないで言うものではありませんよ』

 痛いのをガマンしながら、逆手持ちのマチェットを背中に隠すように構えるとぉ、反応するように2本のワイヤーロッドが、彼女の頭上に擡げられるぅ。まるで獲物を狙う蟷螂の鎌みたい……あうあう、蝶々にならないように、気合を入れて戦うしかないわねぇ。
 ちらっと地上を見ると、クルィエさんが腕組しながら私達を見上げているぅ。そのワイルド美貌に、ちょっと心配そうな表情を認めて、私はちょっぴり痛みを忘れたぁ。
 さぁて、本気でいくわよぉ。
 ……今までも本気だったけどぉ。
 私は左腕を失って、エルフィール・Dさんは上半身のアームドスーツを失っているぅ。ダメージは圧倒的に那由ちゃんが大きいけど、装甲の無い部分にマチェットを叩きこめば、一撃で倒す事も不可能じゃないわぁ。
 少しずつだけど、ぼたぼた止めど無く流れ落ちる左腕の出血の量から判断してぇ、那由ちゃんが全開で動けるのは……良くて3分かしらぁ?長期戦はダメダメよ。速攻で仕留めるしか無いわね。
 それじゃあ……いくわよぉ!!

『それでは、いきますよ』

 上段からの打ち下ろしと、右下段からの切り上げが、同時に那由ちゃんを襲った……と、思うわ。
 目で捕らえられる速さじゃないの。勘と経験だけの反応よ。
 瞬間的に加速しながら前に出る。
 2方向からの攻撃が空を切る。
 ぞわっ
 背後の悪寒。
 回転しながら身を屈める。
 同時にワイヤーロッドの突きが背中をかすめる。
 体勢を低くしても突進速度は変わらない。
 前進。
 あと5m。
 ……あ。
 もう1本のワイヤーロッドは?
 瞬間停止。
 真下から突き登るワイヤーロッドが前髪を散らす。
 円の動きでマチェットを振り上げる。
 真上から叩きつけられたワイヤーロッドを弾き返す。
 右。
 弾く。
 左上。
 屈む。
 正面。
 仰け反る。
 弾く。
 避ける。
 受ける。
 流す。
 逸らす。
 …………
 ………
 ……
 …
 ダメだわぁ!!
 防御だけで精一杯ぃ。このままじゃジリ貧よぉ!!
 どうすれば、あのワイヤーロッドの動きを止める事が――

 がきん!!

 はいっ!?
 右下からの攻撃を受けた瞬間――マチェットが私の手を離れて、はるかシェルターの天井目掛けて飛んでいっちゃった……ずげげっ!!今の那由ちゃん丸腰ぃ!?

『終わりですね』

 エルフィール・Dさんが勝利の笑みを浮かべた――わずかにワイヤーロッドの動きが鈍った瞬間!!
 私は今までの数十倍の速度で突進したぁ!!

『――っ!?』

 迎撃しようとしたワイヤーロッドが背後で交錯するぅ。このためにわざとゆっくりと前進していたのよぉ。

「破っ!!」

 突進しながら真っ直ぐ突き出した肘が、綺麗な乳房の間に炸裂ぅ!!

『ぐっ!!』

 エルフィール・Dさんは苦悶を浮かべながら3mも吹き飛んで――

『……やりますね』

 ――それだけだったわ。
 やっぱり空中では震脚もできないからぁ、拳法の威力もダメのダメダメねぇ……左腕をかばいながらの動きだしぃ。
 でもぉ……

『普段の那由様なら、もっと深刻なダメージを受けていたかもしれません。しかし――』
「さて、問題よ」
『え?』
「今、私のマチェットはどこにあるのでしょうか?」
『……はっ!?』
 
 ドッ!!

 アームドスーツの左肩に、マチェットが深々と突き刺さったわぁ。
 ぐらりと上体が崩れたのを見逃さずに、渾身の前蹴りが水月にヒットぉ!!そのまま水月を踏み台にして肩に駆け上ってぇ、マチェットを引き抜きながら身体を捻ってぇ――

 斬!!

 真っ赤な血が那由ちゃんの顔を濡らしたぁ。
 数瞬後、遥か下方の床の上に重々しい何かが落ちた音が微かに聞こえたわ。
 上段からの兜割りは、見事にエルフィール・Dさんの左腕を装甲服ごと切断したのぉ。いえ〜い!!ホントはサイダル面を真っ二つにしたかったんだけどぉ、流石にそれは避けられちゃったわぁ。

『くッ……マチェットはわざと手放したのですか……そして、タイミングよく落下地点にあたしを追い込んでいたとは……見事です』
「動かないで」

 喉元にマチェットを突き付けられても、エルフィール・Dさんは僅かに苦痛の表情を浮かべるだけだったぁ。
 まさに形成逆転よぉ。今日も那由ちゃん大勝利ねぇ♪
 さぁて、本格的に勝利のダンスを心の中で踊る前にぃ……

「あなたの能力を解除して」
『否と言えばどうなりますか?』
「さようなら」
『わかりました』

 エルフィール・Dさんが血塗れの笑みを浮かべると同時に、ふっと自分の身体に魔力が漲るのがわかるわぁ。すかさず回復魔法を唱えてぇ、左腕を再生させて……っと。ふえ〜ん、痛かったわぁ〜〜〜!!あ、服も直さなきゃ。サービスシーンは終了よぉ。
 エルフィール・Dさんは羨ましそうに見ているけどぉ、今の那由ちゃんはイジワルモードだから無視無視ぃ。

『さて……これからあたしをどうするつもりですか?』
「質問に答えてもらうわ」
『否と言えばどうなりますか?』

 ぐいってマチェットを首に押し付けるぅ。細い首元からうっすらと血が滲んできたわぁ。

『わかりました』
「今回の大騒ぎには、腑に落ちない事が多過ぎるのよ。あなた達ヒュドラの目的は、VIP達が知る魔界大帝の所在地の情報だって“聖母”さんから聞いたけれど。とてもそうとは思えないわ」
『…………』
「おかしいじゃない。VIPを襲うなら、わざわざ警備の厳重な国際会議中じゃなくて、プライベートな時を狙った方が確実よ。今、この時期にVIP達を狙う理由も見つからないし……それ以前に、あのヒュドラが今頃になっても魔界大帝の居場所を知らないなんてナンセンスよ」

 エルフィール・Dさんは、口元から血を一筋滴らせながらも、値踏みするような笑みを浮かべているわぁ。ううう、相手のペースに乗っちゃダメよぉ。

「そもそも、本気でVIPの記憶を狙っているのなら、1週間もの時間を与えられて、未だに入手できないなんて信じられないわね。それに、東京都心を完全に結界で閉ざすなんて大それた事をしちゃって……こういった任務は隠密行動が基本でしょ?なぜ世界中の注目を集めるような事をしているのかしら。まるで、囮となって時間稼ぎを――」

 ズンッ……

 言葉が止まった。
 自分の瞳孔が開いていくのがわかる。
 口の中に広がった鉄の味が、唇からどくどくと流れ落ちて、スーツを真っ赤に染めていく。
 自分の意思と関係無く、手足がガクガクと痙攣する……激痛と灼熱感のあまりに。
 真っ白になりそうな意識を総動員して、視線を自分のお腹に向ける。
 おへその位置から、黒いギュルギュル回転する触手が生えていた……

『時間稼ぎを――で、なんですか?続きをどうぞ』

 もう1ミリも動かせないマチェットから、嫌味なくらいゆっくりと離れるエルフィール・Dさんを、私はただ見守るしかなかった……

 ぽろり

 マチェットが手から離れて、数十m下の床に突き刺さる。そのすぐ側には、切断されたアームドスーツの左腕パーツが――そして、そこから伸びるワイヤーロッドが、正確に私の背中から胴体を貫いていた。

『先程、言いませんでしたか?あたしの“サイレンスフィールド”は、無意識下でも常にあたしの周囲数ミリの空間に展開されていると。那由様がマチェットを押し付けていた時、それを伝ってサイレンスフィールドが那由様を包んで、その全魔法能力を無効化していたのです。ですから、那由様は今の遠隔攻撃を感知できなかったのですよ……そして、今――』

 がっくりとうなだれる串刺し状態の私を見ながら、彼女は片目を瞑ったぁ。

『――今、サイレンスフィールドを周囲数キロに広げました。もう那由様に抵抗の術はありません。あたしの勝ちです』
「………うぅ……」
『答える気力もありませんか。その傷は致命傷ですからね……さて、先程の話の続きですが、質問にお答え致しましょう。冥土の土産というものですね』

 不思議な事に、彼女の口調には敗者を弄ぼうとする意思は欠片も無くて、本気で私に対する哀れみの感情しか感じられなかった。

『那由様の推理は正解です。先程も言いましたよね?敵の話を鵜呑みにするなど、貴方様らしくもないと……“聖母”様の話は全てブラフです。那由様に大僧正様、アーリシァ大佐様達はまんまと策に乗ってくれました。そして、外の連中も……』
「……外…?……やっぱ…り……この……騒ぎ…は……囮……?」
『御名答です。我々ヒュドラは既に魔界大帝の所在と周囲の状況を完全に把握しています。VIPの記憶など必要無いのですよ。今回の作戦の目的は、世界の目を魔界大帝から逸らす事です』

 ……なるほどね……実際に世界を動かすVIPが危機に陥って、東京の住民が人質にされては、たとえ罠だとわかっても、そこに戦力を集中せざるを得ないわね……そして、その隙に魔界大帝にちょっかいを出すって作戦だったのね……でも……

「……でも……いくら…あな…た…達……でも……まかい…たいてい…を……支配……する…こと……は……不可…能……」
『魔界大帝ではありませんよ。我々のターゲットは腹黒氏に仕える使用人“セリナ”様です』
「……!!…」
『魔界大帝があの女性に身も心も陶酔しているのは調査済みです。彼女を支配すれば、それは魔界大帝を支配するのに等しいのですよ』

 ……それと同じ事を、私は娘達に指示しているのよね……まさか、ヒュドラが同じ事を考えていたなんて……

『今はもう、ナイン・トゥース『“邪淫”王リムリス』と『“破神”冥(めい)』がセリナ様を支配する為に動いているでしょう。魔界大帝を監視している連中が消えるのに、少々時間がかかった為に、こうして1週間以上も時間稼ぎをする羽目になりましたが……我々も、けっこう焦って――』

 エルフィール・Dさんの台詞は中断された。

「……ふふ…ふ……」

 私の笑い声に。

『何がおかしいのです?』
「…ふ…ふふ……さっき……あなた…は……まかい…たいてい……の……周…囲の……状況……を……完…全に……把握……して…いる……って…言った…わ……ね?……それ…は……大…間違いよ……」
『何です?』
「……魔界大帝……の…住む……屋…敷に……『あの男』……が…いる事…を……し…らな……かった……のね……?」
『…………?』
「“死殺天人(シャアティェンレン)”――『御剣 刀一郎』が、あの屋敷にいるのよ」
『――ッッッ!!!』

 みるみる顔が青ざめていくのは、見物だったわぁ。
 ま、無理はないけどねぇ……那由ちゃんも心臓が握り締められる思いで言ってるんだしぃ。

『ま、まさか……それが本当なら、作戦が根底から覆ってしまいます!!』
「でしょうね」
『思考脳波反応はグリーン。嘘ではないようですね……くっ、この事実を早く伝えなければ!!』

 身を翻してこの場から離れようとするエルフィール・Dさん。
 私を無視するなんて余裕じゃない。もちろん、この隙を逃すような那由ちゃんじゃないわよぉ。

「弥ッ!!」

 ずるりってワイヤーロッドが身体から抜ける感触にぞっとしながらも、私は彼女の右手首を逆手に掴んだ。そのまま左膝に蹴りを叩きこみながら、腋の下を潜るように回り込んで、両腕を捻るぅ!!

『なっ!?』

 自分から転ぶみたいにひっくり返ったエルフィール・Dさんの喉元に、

「破ッ!!」

 中段踵直蹴りがクリーンヒットぉ!!『円』から『直』への動きを滑らかにチェンジするのが、中国拳法の真髄の1つなのよぉ。

『ぐゥ!!』

 糸みたいに血を吐きながらぁ、5mも吹っ飛んじゃったエルフィール・Dさんは、空中で体勢を立て直すとぉ、

『……くっ……そのダメージでそこまで動けるとは……本当に人間ですか?』
「さて、ね」
『流石はファー・イースト・ウィッチ……やはり、殺さずにはいられませんか』

 今度こそ、本当の殺意を込めた視線で私を睨んだ……ひーん。

 カシャカシャカシャ!!

 アームドスーツのメカ部分が、音を立てて変形していく。あまり外見に変化はないんだけど、すっごく嫌な予感がぁ……
 そして、その予感は思いっきり的中しちゃったのぉ。

 ぴた

 一瞬だけ、鋼に身を包んだ少女の動きが静止する――

『ワイヤーアーツ、モード008301“黒蜘蛛牢獄”』

 ジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキン――!!!

 ――!?!?
 なななななななになになにぃ!?
 今までとは比べ物にならないスピードで、ワイヤーロッドが那由ちゃんの周囲をガクガク飛びまわっていくぅ!?直接攻撃する訳じゃないけど、この機動は……まさか!!

『……OVER』

 シュルルルルルル……

 精魂尽きたように瞳を閉じて顔を上げるエルフィール・Dさんだけど、その隙だらけの姿に、私は何もできなかった。
 私を中心に半径10mの空間を、ジャングルジムみたいに組み編んだワイヤーロッドが高速回転しながら、完全に取り囲んでいたぁ……一体、何百mあるのかしらぁ?……触れただけでズタズタのズタにされちゃうワイヤーロッドの檻に、閉じ込められちゃったぁ!!
 複雑に絡み合うワイヤーロッドには、人の潜れる隙間は全然ないわ……攻撃する事はもちろん、逃げる事も出来ない……ずげげっ!!これはホントの本気で超ドレッドノート級大ピンチぃ!!!
 今までの大ピンチは、那由ちゃんの華麗な魔法とお頭に電球ピカッなひらめきトリックでなんとか突破できたんだけどぉ、今回はあらゆる能力を完全に封じられているから、本気と書いてマジに何も出来ないわぁ!!
 シクシク……今度こそ那由ちゃんハッピー死後ライフを満喫確定?
 がが〜〜〜ん!!!

「困ったわね」
『……とてもそうには見えませんが……さて、本来ならこの後に重火器で攻撃するか、ワイヤーロッドの『牢獄』を縮めるなどして止めを刺すのですが、大型多目的レーザーライフルは放置してますし、ワイヤーロッドの伸縮機構が那由様の攻撃で故障中なのです。ですから――』

 ぐん!!

 ひょえっ!?
 いきなりワイヤーロッドの檻が右に向かって高速移動したぁ!?慌てて神様秘密道具のシールに思念を送って、同じ方向に動いて――

 ぐん!!

 はうぅ!!
 今度は真上に移動!?
 同じく真上に動いて――

 バシッ!!

 痛ッ!!
 一瞬だけ動くのが遅れたから、靴先にワイヤーロッドが触れてパンプスが吹き飛んじゃったぁ。足の指先も少し引き千切られたかしら?あうあうぅ!!

 ぐん!!

 今度は真下ぁ!?

 ぐんっ!!

 今度は斜め後ろぉ!?

『――ですから、こうして止めを刺させていただきます』

 完全にランダムな方向に動き回るワイヤーロッドの『牢獄』に、那由ちゃんは翻弄されているぅ!!同時に身体も少しノづつ真っ赤に染まっていくのぉ。慣性を無視した機動で動き回るから、どうしても追随がワンテンポ遅れて、ワイヤーロッドが身体に触れるのを止められない!!ミキサーの中に閉じ込められた状態かしら?言葉通りの嬲り殺し状態よぉぉぉぉ!!!

『しかし、驚きを通り越して、呆れるほどの反応速度ですね』

 シェルターの天井にギリギリ触れる位置で動きを止めたワイヤーロッドの中で、ズタズタボロボロのズタボロ状態の私……ううう……そろそろ肉体的にも精神的にも限界ね……いよいよ、お迎えが来るかしら……
 ……いいえ……
 ……その前に……『あれ』になるかも……

『ですが、終わりにしましょう』

 ギュン!!

 今までとは比べ物にならない速度で、床を目指してワイヤーロッドが落下した。髪の先端が削り取られるのを実感しながら、私も同じ速度で追随する――追随させられる。そのスピードは音速を超えるわね。
 このまま床に叩き付けられれば即死確実。
 でも、そうせざるを得ない。
 これが――

『これが、とどめです!!』

 瓦礫がばら撒かれた床が迫る――
 思わず、目をぎゅっと閉じた――
 でも――
 私の瞳は――
 瞼の裏の瞳の色は、どんな色なのだろか――

 爆弾が落ちたような轟音――現に破壊力はそれに匹敵するわね。
 ワイヤーロッドに粉砕された床板が粉微塵と化して、宙に浮かぶエルフィール・Dの足元までもうもうと立ち込める。この粉塵の下には、グチャグチャになった私がいるのだろう。
 しゅるしゅるとワイヤーロッドがアームドスーツに収納される。
 ぱらぱらと落ちる瓦礫の音が止んで、やがてシェルターは“静寂”に支配された……
 エルフィール・Dは、ひどく疲れた調子で溜息を吐いたわ。そこには勝者の奢りは欠片もなかった。

『こんな事を言っても説得力はありませんが……那由様、あたしは貴方を殺したくはなかったです。できれば、違う立場でお会いしたかった。貴方の事は、決して忘れませ――』
(忘れて欲しいわね)
『!?』
 
 驚愕の表情を浮かべて、彼女は下界を見回した。

『まさか……あの速度で落下して生きている筈が!!』
(普通の人間なら、ね)

 でも、吹雪のように巻き上がる粉塵の為に、私の姿は完全に隠されている。

『……それこそが“魔女”の証ですか』
(どうでもいいわ、そんな事……それよりも、いい事を教えてあげる)

 エルフィール・Dさんが身構える。再び、死のワイヤーロッドが鎌首を擡げる。

(あなたの能力――『あらゆる魔法、超常能力を消滅させる』だそうだけど、1つだけ例外があるわ)
『例外?あたしの“サイレンスフィールド”に、例外など有り得ません』
(あるわ……それは、『エルフィール・Dの能力』よ)
『……それは、まぁ……そうですが』
(あなたの能力、それはその“サルマタケフィールド”と――)
『“サイレンスフィールド”です。サしか合ってませんよ』
(……さ、サイレンスフィールドと、その超科学兵器があなたの能力よ。たとえば――)

 粉塵が薄まっていく。
 舞台の幕が引かれるように、その中身が露出する。
 登場したのは、クレーター状に崩壊した床の中心に腰を下ろす、満身創痍の私と――

「たとえば、コレとか。ね」

 まっすぐエルフィール・Dさんに向けられた、大型多目的レーザーライフルが!!

『――ッ!!』
「これが、本当のとどめよ」

 引き金は重かったわ。
 凄まじいエネルギーの奔流が彼女の腹部を貫通して、天井までも貫いた。
 一瞬だけ、時が止まったように全ての動きが停止して――
 
『……有り得ません……ライフル…は……そんな所……に…置いて……いなかっ……た……それに……今…の……落下で……なぜ……無事…なの……です…?』

 胴体に大きな風穴が開いているのに、思ったよりしっかりとした声でエルフィール・Dさんが呟いたわ。
 でも、そのワイヤーロッドは力なく垂れ下がって、もう彼女の戦闘力が失われている事を示していた。

『……な…ぜ……』
「俺の事を忘れていたみたいだな」

 瓦礫の影から姿を現した褐翼の神様――クルィエさんが、私の肩を支えてくれた。

「さっき、一時的にあんたは能力を解除しただろ?その時にこの女からテレパシーで指示が届いた。『相手が武器を手放したら、それを指定する場所に移動しておいてほしい』『その場所に私が落とされたら受け止めて欲しい』……ってな」
『……まさか……あれから……戦い…を……全…て……コントロール……されて…いた……と……!?』
「そんなわけないじゃない」

 私は微笑んだ。
 そう、ただ微笑んだ。

「全て偶然よ。そう、偶然……ね」

 瓦礫が小雨みたいにぱらぱら降ってきたわ。地響きと震動がシェルター全体から伝わってくる。
 ただでさえ、このシェルターは魎子さんに崩壊寸前までボロボロにされていたから、今のレーザーの一撃が止めになったみたいねぇ。

『……前言…を……撤回……します……』

 私の身体よりも大きな瓦礫が、すぐ傍に落ちてきた。あらら、どうやら完全に崩壊するみたい。急いで逃げないとヤバイわぁ。

『……貴方……は……魔人じゃ……ない……』

 舌打ちしたクルィエさんが、私を抱えて翼を羽ばたかせた。ごめんねぇ、もう動けないのよ。
 “静寂”なるエルフィール・Dさんは動かない。もう、動く気力も残っていないのか。それとも――
 人々を守る責を負った筈のシェルターは完全に崩壊して……崩れ落ちる瓦礫が、魔戦の痕跡を全て覆い隠していった……

『貴方は“魔女”だ――』
NEXT >>

那由さんの憂鬱
Back
小説インデックスへ