那由さんの憂鬱

 あははははははははげふごふん……ははははははははは〜〜〜!!!
 不意打ち大作戦は大成功ぅ♪
 深美さんは超SSS級火炎魔法に、ほとんど無抵抗で飲み込まれちゃったわぁ。一瞬で原子核も残さず焼き尽くされたわねぇ。
 ふっふっふ、正義の味方が卑怯な事をしてもぉ、それは策略と呼ばれるのよぉ!!
 実は、大僧正様とアーリシァさんがいなくなる間際に、こっそりとテレパシーでグッドジョブな作戦を伝えておいたのぉ。こうして那由ちゃんが戦える身体に戻れたのはぁ、皆さんそれぞれの相手を倒せたって事だからぁ、作戦はお見事1本な大成功ぉ!!
 そう、あの深美さんとの会話は、全部時間稼ぎだったのよぉ。あああ……このびゅーてほー那由ちゃんのちょーマーべラス頭脳の見事さに、我ながらクラクラ……

「――誰に説明しているのですか?」

 ……へ?
 絶対に聞こえる筈の無いその声に、はっと我に帰ったら――

 シュウシュウシュウシュウ……

 焦げ目どころか煤1つ無い深美さんが、にっこりと微笑んでいたわぁ……オワー!!
 もう、いいかげんこのパターンも飽きてきたんだけど、なんで無傷なのぉ!?

「……もう、いいかげんこの台詞も飽きてきましたが、無駄です。何故なら――」

 ちゃぽん

 深美さんの足元の水面から1本の触腕が伸びて、そのしとやかな肢体にエロチックに絡みつくのを見て、私はそのトリックを理解したわぁ……

「『水の王』の力でガードしているのね」
「……わたくしの台詞を取らないでください……ですが正解ですわ。わたくしは『水の王』の力で守られております。那由様が『水の王』を超える力を持たぬ限り、決してわたくしを傷つける事は適いませぬ……はたして、那由様にその力は御有りですか?」
「どうかしらね」

 ねぇ!!(超断言)
 いくら世界最強の美少女である那由ちゃんでも、あの『水の王』に勝てるわけ無いじゃないぃぃぃぃぃ!!!
 那由ちゃんだけじゃなくて、この地球上のどんな存在でも絶対に勝てないわぁ……あえて挙げるなら魔界大帝とかなら何とかなるでしょーけどぉ、この地球産の存在じゃないしぃ……『水の王』ってそれほどの存在なのよぉ。
 最後の希望はクルィエさんだけどぉ、未だに連絡が来ないという事は……ナンマイダブ……神様だけど成仏してねクルィエさぁん……

「そして、わたくしは『水の王』を操る事が可能です。たとえ他の同士が敗北しても、今のわたくし単身で那由様達を滅ぼせますわ。結界を取り囲む輩も同様に……そう、魔界大帝の力を借りずとも世界を蹂躙し得るのです。奥の手と称するのも御分かりでしょう」

 あうあう……このままではマジで世界をヒュドラに征服されちゃうわぁ!!でもでも、今度こそ本当に対抗手段が無いのよぉ……もう、クルィエさんの言う『地球人類』の手におえる事態じゃないのよぉ……ひーん。

「では、真の意味で御別れですわ」

 深美さんが優雅に片手を翻すと、海面に波紋が広がって……あの触腕が、那由ちゃんの周囲に何本も生えてきたわぁ。
 その一本一本が、触れるだけで私を完全に滅ぼせる力を持つ触腕がぁ――
 どこか醒めた気分でそれを一瞥して、私は無言のまま瞳を閉じた。

 ……とうとう『西野 那由』の最後の時が来たみたい……

 ……今度はどんな『私』になるのかしら……

 ……それが私の贖罪なのかも……

 ……でも、それは許されなかった……

「…………」
「――ま、まさかッ!?」

 ……それは“奇跡”と呼ぶべき現象だったのだろう……

 ……でも……

 ……私にとっては……

 ……いいえ……

 ……私達にとっては……



※※※※※※※※※※※※※※※※




 ――メインジェネレーター機能完全停止、サブジェネレーター出力25%以下に低下、なおも減少中……外部装甲消失率75%OVER……ウィング稼働率3%……神聖力不足によるメインフレームの珪化現象進行中……メインウェポン損壊――

「……もう、いい……」

 げっそりとした声を洩らして、クルィエは機体損壊状況を表示しているスクリーンを消した。
 今の機体――『ZEXL−22 トライゴン』の状態など、外観だけで想像できる。
 漆黒の機神武者は――大破寸前だった。
 シャドーメタル外部装甲はほとんど剥ぎ取られ、内部機関が剥き出しになっている。その内部機関すら大半が損傷していた。武装など1つも残っていない。
 付け根から消滅した右腕と左脚を見るまでもなく、戦うどころか動く事すら奇跡だろう。
 全身を稲妻のようなショートが絶え間無く走る。次の瞬間に大爆発しても不思議ではなかった。今のトライゴンは戦闘能力をほとんど失って、ただ深淵の海中を漂うだけだ。
 そして、対峙する“大いなる深淵の支配者”――『水の王』は、その大いなる巨体を無傷のまま見せつけていた。
 『水の王』による、トライゴンへの一方的な破壊――それが、この戦いの結果だ。

「やはり、神族の力を封印したまま戦うのは無理があったか……」

 ついに、彼は敗北を認めた。
 本来の力を1兆分の1も発揮できない状況だったが、負けは負けだ。
 それに、本来の力を発揮できないのは相手も同じだろう。戦いの世界に“理由”など1銭の価値も無い。ただあるのは“結果”だけなのだ。そこにはあらゆる言葉も思想も感情も意味を失う。それを甘受する覚悟が無ければ、軍人などやっていられない。

「やれやれ……とんだ貧乏クジを引いちまったな」

 額から垂れる血のすじを舐め取りながら――機体の破損状況はコックピットにも及んでいた――クルィエは苦笑を浮かべた。
 “神将元帥”といい、あのヘンな地球人類の女といい、どうもこのごろ美女が絡むとろくでもない事が起こる。どうやら自分は女運が悪いらしい。
 その挙句に、この自然保護区域の惑星で生涯を終える事になろうとは……

「どうやら、俺も年貢の納め時か……でもな」

 息を呑むほど壮絶な笑みに唇を歪ませて、クルィエはコンソールに指を走らせた。メインモニターに最重要警告文を意味する神族語が表示されると同時に、目の前に灰色のスクリーンが浮かび上がった。
 その文字の意味は――『自爆装置』だ。
 最新鋭ZEXLであるトライゴンには、機密保持の為に自爆装置が内蔵されている。これを作動させれば、暴走したエネルギーが大爆発を起こして、周囲のあらゆる存在を無に帰すのだ。『水の王』といえどもただでは済まないだろう。
 そして、当然ながらクルィエも――
 死ぬのは怖くない……というより、長い軍隊生活で死に対する感覚が完全に麻痺している。これは勇気とはいえないだろうが、少なくとも狼狽して、みっともない姿を晒す事はなさそうだ。単に、今まで自分が相手に与えたものを、今度は自分が受けとるだけの事なのである。
 ただ、那由との約束をこんな形でしか果たせない事が――そして、あの女に結局何もできなかった事だけが心残りだった。これはある種の未練なのかもしれない。しかし、クルィエは1人の軍人として、そして戦士として――

「敵には一発かまさなきゃ気が済まないんだよ」

 青黒い水を纏う『水の王』へ、モニター越しに中指を立てる。
 その中指が、灰色のスクリーンへ、あっけないほどスムーズに伸びて――

 その瞬間、奇跡が起きた。

 奇跡――それは『神』が齎すもの。
 この奇跡もまた、例外ではなかった。
 地上に堕ちた、もう1人の『神』の手によって――この世界は『凍結』した――

「――なに!?」

 写真のネガのように、世界のあらゆる色が白黒に反転した――と同時に、この世界の時間と空間が完全に停止したのである。立ち昇る白い泡も、暗い水の流れも、全てが凍りついたように動かない。

「この術は……ワールドフリーズか!!」

 ――『ワールドフリーズ』――悪魔族からは『世界凍結』と呼ばれるこの術は、言葉通り“世界を凍結させる”効果がある。
 凍結された世界では、あらゆる存在の時間と空間が停止して、絶対なる静止の世界が訪れる。この中で活動できるのは第1級神族クラスの超高位存在だけだろう。
 そして、仮に動ける者がいたとしても、凍結された世界では、その世界に存在する物質を紙切れ1つ破壊できなくなる――世界のあらゆる存在が完全に固定化してしまうのだ。したがって、この術のかけられた世界ではどんな破壊的な事をしても一切外部に影響が出ないため、外部に存在を知られる事が無くなる。その為、超高位存在が戦闘や隠密行動をする際に、使用する定番の術といえた。
 そして、当然ながらこの術を使えるのは、第1級神族に匹敵する超高位存在に限られており――

「……この神聖力の波動パターンは……“神将元帥”か……くそっ、偶然とはいえ、借りが増えちまったな」

 どこかイヤそうに目を伏せると――クルィエ少佐の口元に、狂的とさえ言える禍々しい笑みが浮かんだ。
 そう、この術の影響下では、どんな事をしても外部に影響は無く、また、外部に行動が知られることは無い――すなわち!!

 凍結した世界の中で、大いなる『水の王』は、何を考えているのか――それを表現する言葉は人の世には存在しない。
 ただ、あるのは眼前の敵に対する明確な滅びの意図だけだ。
 黄色く濁った狂眼が、触れただけで砕け散りそうなボロボロの機械人形に向けられる。
 終わりだ――
 歪みの鉤爪が、今、狂乱の元に大いなる一撃を――!!

 ギュルルルル……

 鉤爪は止まった。
 今の『水の王』の感情を――いや、『水の王』に人間的な感情などあるわけ無いだろうが、あえてそれを形容するならば、“困惑”が近いだろうか。
 『水の王』の両手首をぎりぎりと拘束するもの――それは、黒光りする太く強靭な2本の鎖――『水の王』の後ろに浮かぶのは、損傷1つ無い『ZEXL−22 トライゴン』――さっきまで戦っていたトライゴンと同型だが、両肩のパーツが巨大化し、両腕が黒い戦闘用チェーンに改装されている――そう、新たなる漆黒の機神――新たなる『黒』だ!!

「これからが――」

 “もう1つの”トライゴンのコックピットで、“もう1人の”クルィエがニヤリと笑った。

 両肩の高速振動機構とディメンションクロウザーを起動させる。
 触れるもの全てを素粒子レベルで分解消滅させる、滅びの力が戦闘用チェーンに注ぎ込まれて――

 ボン

 ――『水の王』の両腕は、青黒い塵と化して水の中に消えた。
 『水の王』が――なんということか――身悶えたではないか!!

「――本番だぜ」

 それだけではなかった。
 “3機目の”トライゴンのコックピットで、“3人目の”クルィエがウィンクを見せた。
 数万気圧の海水を切り裂きながら、唸りを上げる巨大な斬馬刀が『水の王』の腰部を輪切り真っ二つにしたのは、次の瞬間だった!!

 ――トリニティ・システム――

 ZEXLクラスの超高位存在質量を持つ物体のドッペルゲンガ―を、最大3体まで創造し、完全な同調戦闘を可能とするシステム――神族の超科学技術の結晶が、ついに炸裂した。
 ワールドフリーズの術が世界を凍結している状況下では、神族の力を発揮してもそれが感知される恐れは無い。
 ここでついに、第1級武争神族にして天界軍最高のエースパイロットと呼ばれる“アヴァロン・クルィエ少佐”の真の実力が開放されたのだ!!

「そして――」

 “最初の”トライゴンの――いつのまにか、機体は完全に再生されている――コックピットで、“最初の”クルィエが指を鳴らした。
 トライゴンがバスターライフルの銃口を『水の王』に向ける。

「これで――」

 “もう1つの”トライゴンのコックピットで、“もう1人の”クルィエがニヤリと笑った。
 トライゴンが戦闘用チェーンをしならせる。

「――チェックメイトだ」

“3機目の”トライゴンのコックピットで、“3人目の”クルィエがウィンクを見せた。
 トライゴンが斬馬刀を肩口に構える。

 あの大いなる『水の王』が敗北する?
 有り得ない。
 そう、奇跡でも起こらぬ限り――
 ――そして、奇跡は常に『神』が齎すものなのだ。

「あばよ」

 三位一体の攻撃に、この世界での『実体』を完全に消滅させられた『水の王』は――再び深淵の神殿へ――深い深い眠りについた――



※※※※※※※※※※※※※※※※




「――ま、まさかッ!?」

 深美さんの驚愕の叫びも、無理ないわねぇ。
 四方に広がる海原に満ちた『水の王』の魔力が、瞬時に消滅しちゃったんだから。私の周囲と深美さんの肢体に絡む触手の群れも、ボロボロの灰になっちゃったわぁ。
 これって、つまりぃ……

「まさかっ!!」
「そのまさかよ。『水の王』は消滅したのよ。この世界からね」

 つまりぃ、クルィエさんが『水の王』をノックアウトしたって事よねぇ!!
 イヤッホ〜〜〜!!!さぁすがは私のクルィエさぁん!!あなたならやってくれると思っていたわぁん♪

「ウソつけ、絶対に俺が負けると思っていたくせに」
「あら、わかる?」

 気がついたら隣に立っているクルィエさん――もう、驚かないわぁ――は、ボロボロの姿だけど元気そうだわぁ……って、心を読まないでよぉ!!

「まぁ、今回は運が良かっただけだがな」
「謙遜ね。あの『水の王』を倒すなんて、前代未聞の事よ。神様の名は伊達じゃないわね」
「そうでもないさ。あいつは触手の一本が実体化した程度の力しか発揮できていなかった。もし100%の奴なら、正直ZEXLがあっても勝てたかわからんぜ」

 そう言って、すごく億劫そうに橋桁の上に座り込むクルィエさんだったわぁ。とにかく大金星よぉ。御苦労様ぁ♪

「……というわけで、あなたの“奥の手”とやらはお終いよ。どうするの?」
「…………」

 青ざめた顔を俯かせて、深美さんは動かなかったわぁ。
 へっへ〜ん♪さっきまでの威勢はどうしたのかしらぁ〜?今日も那由ちゃん大勝利ぃ〜!!(クルィエさんのお陰だけどぉ)。

「――そっちもカタがつきそうだな」

 はにゃ?誰〜?
 硬質的な声に振り向くとぉ、隣のビルの屋上から、白い仮面の人形使い――アーリシァさんが見下ろしているわぁ。かなりボロボロな姿だけどぉ、あのリーナさんにはバッチリ勝てたのねぇ。さすがだわぁ。

「テレパシーの件、お疲れ様」
「まったくだ。人使いの荒い女だ……」
「そうじゃのぅ、年寄りを働かせ過ぎじゃ」

 反対側からの声の主は、確認する必要は無いわねぇ。

「お疲れ様」
「もっとちゃんと労いをかけてくださいよぉ……くー」
《そうだそうだぁ!!》

 夜空の一角に亀裂が走ってぇ――夢の世界の狭間から、大僧正様とシーと子法が飛び出してきたわぁ。こっちもかなりボロボロな姿だけど――シーなんて仙衣がおへそまでずり落ちてるしぃ――なんとか大丈夫みたいねぇ。
 1人も欠ける事無く、また全員揃う事ができたわぁ♪よかったよかったよかったぁ〜♪
 でも……ここでちゃんとしたハッピーエンドを迎えるにはぁ、目の前の相手を何とかしなくっちゃねぇ。

「……それで、貴方はどうするのかしら?」

 項垂れる深美さんの表情は、窺い知れなかったわぁ。
 ま、私達に完全に包囲されている状況では、どんな抵抗も無意味だけどねぇ。

「今すぐ結界を解除するなら、命までは取らないわ。あくまで抵抗するのであれば……語るまでも無いわね」
「…………」
「残るナイン・トゥースは貴方だけよ。わかるでしょ?ゲームは我々の勝ち。ヒュドラの野望は潰えたのよ」
「……仰る通りですわ」

 その瞬間――ぞくりとする冷気が私の背中を撫でた。

「わたくしの奥の手たる『水の王』は滅ぼされました。あの“死殺天人”がいるかぎり、セリナ様への別働隊も無駄骨でしょう……作戦は失敗に終わりましたわ……」

 何故なら……深美さんの声には、笑いが含まれていたから――

「……ですが」

 ――狂気の笑いが。

「ですが……このままでは終われませぬ!!貴方達だけは確実に殺しますわ!!!」

 絶叫に近い声だったわ。

 ゴゴゴゴゴゴゴ……

 深く青く広がる海原が、風も無いのにざわめき始めたぁ……な、な、何なのぉ!?

「きさま……何を企んでる?」
「皆々方、気をつけなされ!!恐ろしく強大な“魔”が、海の底から接近しておるようじゃ」
《今度は何なのぉ!?》
「……くー」

 不吉な海面のざわめきは、私達の周囲を取り囲むように広がっているぅ……それも、段々大きくなってきてぇ……

「これが、わたくしの最後の術です……もし、これを貴方達が切り抜けられるならば……」

 きっと頭を上げた深美さんは――満面の笑みを浮かべていたわ!!

「貴方達の勝ちですわ!!」

 突然、水面が爆発したぁ。
 月光に煌く水滴を振り撒きながら、深遠の海から出現したのは――

「ほぅ……これは絶景だな」

 声を洩らせたのは、クルィエさんだけだった。
 私達は驚愕の表情を浮かべながら、声も出せなかったのぉ。
 周囲を取り囲む、十数体もの『それ』はぁ――

 ――『黒い薔薇』――

 烏の濡れ羽色と呼ばれる艶やかな黒髪。
 ダークブルーのスーツに包まれた均整の取れたボディ。
 必要最小限に押さえたメイクに、シンプルだがセンスの良いアクセサリー。
 そして、その辺の小娘には絶対に真似できない、大人の魅力に溢れた美貌――

 ――そう、『それ』は“西野 那由”……つまり私だったのぉ……って、どしぇ〜〜〜!?!?

《那由ちゃんのニセモノをぉ!?》
「偽者ではありませぬ。あらゆる能力も戦闘経験も潜在能力までも再現した、完全に那由様と同一の存在たる“西野 那由”ですわ」
「ばかなっ、そこまで完璧な複製を創造するなど不可能だ!!」
「くすくすくす……驚くには当りませぬわ。全ての生物は海から生まれました。万物の母たる海ならば、新たなる那由様を生み出すなど雑作も無きこと……尤も、流石に那由様のデータを集めるには苦労しましたが。一度は殺されたりもしましたしね」
「あの時の戦いは、その為に!?」
「御名答ですわ……くすくす……さて、問題です。世界最強の魔人たる“西野 那由”様十数人を相手に、貴方達はどう戦うのでしょうか?」
「……くっ」

 唇を噛む私達を尻目に、深美さんがさっと右手を上げると、十数体の“西野 那由”が、私達に無表情な視線を向けたぁ。思わず心臓が硬直するくらいぞっとする、綺麗で恐ろしいオッドアイ……私って他人からはこう見えるのねぇ。もうちょっと愛想良くしようかしらぁ――
 ――そんなボケで現実逃避をしたいくらい、絶望的な状況よぉ!!
 相手は完全に私と同じ戦闘能力を持っているのだからぁ、一対一でやっと互角。それが十数体も……あはは……この那由ちゃんでは絶対完璧100%勝てないわぁ。
 ここは大僧正様達に、何とかしてもらわないと――その時、

「…」

 “西野 那由”の1人が、そう呟いたのをはっきりと聞いたぁ……
 いつのまにか、私達それぞれの足元に置かれていた呪符が輝いて――巨大な魔力の大爆発が、全てを飲み込んだのは一瞬後だった。

「――っ!!」

 咄嗟に展開した中和魔法で、爆風を防御するのには成功した筈なのにぃ、打ち消しきれなかった衝撃波の一部が私に叩き付けられたわ。激痛と同時に息が詰まるぅ。致命傷じゃないけど内臓を少し傷めたかしらぁ……あうあう、さ、さすがは那由ちゃん……自分ながらスゴイ威力の魔法ねぇ。こういうのも自画自賛って言うのかしらぁ?

「皆さん、大丈夫?」

 ……返事は無かったわ。
 慌てて振り返った私の目に飛び込んだ光景は、黒焦げのビルの屋上で、満身創痍のばたんきゅー状態な皆さんだったぁ……はうぅ!?

「……くっ……無念……」
「……さ、流石は那由殿じゃのぅ……」
《……なんで……そんなムチャクチャに強力な魔法を……使えるのぉ……!!》
「……もうダメですぅ……くー」

 う、う〜ん……あのメンバーを一撃で倒すなんて、さすが那由ちゃんはとっても強いわねぇ……あ、その前からナイン・トゥースとの戦いで、皆さんボロボロだったのよね。私の場合は自分の使う魔法だからぁ、防御方法がわかっていたのもあるけどぉ……
 ……こうなったら、頼みの綱はぁ!!

「クルィエさ――」
「俺は無理だ。スマンが動けねぇ」

 はぁうっ!?
 ぐったりと橋桁によりかかるクルィエさんの下腹部が、真っ赤に染まっているぅ?

「さっきの戦いでこのザマだ。神族の再生力でもまだ回復しないとは……『水の王』だったか、とんでもねぇ奴がいるものだな」

 あうあう……さっき座り込んだように見えたのは、実はダメージでへたり込んだだけだったのねぇ……

「あんたを手伝えるようになるまで、小1時間ってところか……すまねぇ」
「気にしないで」

 なぁんで肝心な時に役に立たないのよぉ〜〜〜!!!
 心の中で涙ダーな那由ちゃんの周りを、母なる海から生まれた“西野 那由”がぐるりと取り囲んだわぁ。
 トホホ……やっぱり私が戦うしかないみたいぃ〜〜。
 自分と互角の敵が十数人……戦闘パターンや思考形態も同じなら、戦力比も十数倍……単純に正面から戦っても100%勝てないわぁ。
 勝てる手段はただ1つ――数十m離れた海の上に立つ、深美さんを滅ぼす事。
 創造主たる深美さんを何とかやっつければぁ、一気に“西野 那由”も倒せるかもしれないわ。ただし、それは創造主を倒せば消滅するタイプの複製である事が前提だけどぉ……
 その可能性にかけるしかないわ。ここが正念場ねぇ。
 そうと決まったらぁ……気合を入れてぇ……

「…」

 行くわよぉ!!!

 バシュシュシュシュシュシュ!!!

 こっそりと周囲の海に漂わせていた呪符が、呪文詠唱に反応して物凄い閃光と黒煙を放出したわぁ。あっという間に、墨汁を水に溶かしたみたいに周りは何も見えなくなっちゃった。この黒煙にはあらゆる探知系魔法をジャミングする効果があるのぉ。そう、これは目眩ましよ。今のうちに深美さんの元へ――

 ドン!!

 黒煙を突き破って、姿見を見るように全く同じ姿をした“私”が目の前に出現したのは、その瞬間だったぁ。
 中指の第一関節だけを伸ばした拳が、私のこめかみ目掛けて打ち込まれる。
 間一髪のタイミングで、左手の甲で受け流せたわぁ。そのまま左手の肘を喉に突き立て――

 ぶんっ

 かわされた!?
 前傾して懐に入られている!!
 掌底が鳩尾に叩きこまれた。
 でも、同時の膝蹴りが相手の顎に食い込んだわぁ。
 どっちも衝撃に吹き飛ばされて間合いが離れる。あうあう、やっぱり中国拳法の腕も互角だわぁ。
 中央分離帯のブロック上に降り立った私は、お腹を押さえながら回復魔法を唱えようとした。私と同じ戦い方をするのならぁ、中国拳法の攻撃と同時に強力な攻撃魔法が体内に直接放たれた筈よぉ。急いで中和しないと命が無い――
 ――って、あら?痛くない?
 私の攻撃を食らった“西野 那由”はぁ、同時に放った氷結魔法で粉砕されてるのにぃ……なぜ私の方は無傷なの――

「……オン……ハラ……ソワカ……」

 あ……
 視界の隅で、地に伏した大僧正様が印を結びながら防御の呪文を詠唱してくださってるわぁ……ありがとうございます!!

 ばばばっ!!

 感謝の言葉をかける余裕もなく、新たな“西野 那由”が目の前に出現――2人も!?

「…」

 私があらかじめ取り出していた呪符から、全ての物質を消滅させる虚無の波動が放出され――

「…」

 ――されない!?
 “西野 那由”の一方が、呪符を構えて呪文を詠唱している……私の術が中和消滅されてるぅ!!
 そして、すかさずもう1人の“西野 那由”がぁ、

「…」

 同じ攻撃魔法を、私に放とうと――!!

 フッ……

 あれれ?
 相手の術は放たれなかったぁ……正確に言えば、私の目の前に浮かぶ虹色の霧が、虚無の波動を逆に消滅させちゃった!?

「……くー」

 そう、これはシーの夢の霧ね!!そしてぇ!!

 斬!!

 真紅の斬線が、2人の“西野 那由”を構成する世界を切断したわぁ。輪切り真っ二つになって海中に没する私じゃない私達……

《……ふにゅう……子法、もう今ので限界ぃ……》

 ありがとう、シーに子法ちゃん!!後で何か奢るわぁ♪
 目標の深美さんまで、あと20mよ。間を遮るものは何も無いわぁ――って、あれ?他の“西野 那由”はぁ?

「……長くは持ちこたえられない……行けっ!!」

 そして、アーリシァさんが操る人形魔神が、残る“西野 那由”達を妨害してくれていたのぉ。
 みんな瀕死の状態にありながら……本当に……本当にありがとう!!
 この思いに答えなければ、那由ちゃんの名折れよぉ!!

「…」

 高速飛行の術で一気に深美さんの元へ接近するぅ!!
 観念したのか、相手は動く気配すら見えないわぁ。
 右手の呪符が真っ赤に燃える!!
 必殺の一撃がぁ、今、炸裂する――!!

 ドン!!!

 ……必殺の一撃は炸裂したわ。
 私自身に。
 横殴りの空間振動波に吹き飛ばされた私は、レインボーブリッジを支える巨大なポールに激突。鋼鉄製のポールは半ばから圧し折れて、指一本動かせない私を宙吊りにひっかけてくれた。
 これほど強力な空間振動波の術を使えるのは、世界でもただ1人……いいえ、今はたくさんいるのね。

「咄嗟に発動中の術で相殺しましたか。流石です……ですが、“西野 那由”数人分の術を打ち消すには足りなかったようですわね」

 鈴のような声で笑う深美さんの声が、かすかに聞こえた……
 血は吐かなかった。
 だって、胴体が腹部から千切れかけているんだもの。血は全部そこから流れ出してるわぁ……
 下半身の感覚がない……痛みどころか大怪我特有の灼熱感も……もう、苦痛すら感じられない状態なのね。
 それでも、私は呪符を構えようとした。
 無理だったわ。
 両手は1ミリも動かせなかったの。右腕は関節の数が10箇所くらい増えてるし……左腕は……あ、肩から千切れてるわ……
 真っ赤に染まった視界は、普段の半分しかない……あ、片目が潰れちゃってるのね。でも、そんな事よりも、わずかに残った視界の隅で、“西野 那由”の群れと、その足元で仰向けに伏したままピクリとも動かない大僧正様、アーリシァさん、シー、子法ちゃんの姿が私の心を揺さぶったわ。
 ごめんなさい……ダメだったわぁ……

「おい!!大丈夫か!?」

 クルィエさんらしい叫び声に、私は心の中で苦笑した。
 大丈夫なわけないじゃない。あと数十秒で心臓も止まるわね。
 でも……それよりも早く……

「戦場(いくさば)における最大の敵は、己自身と称されます。この場合、少々意味が違いますが……那由様、聞いておられますか?」
「…………」

 聞いているわよ……返答できないだけでぇ……
 大勢の“西野 那由”に囲まれた深美さんはぁ、漆黒の女騎士に傅かれる美しい女王を連想させたわぁ……その上品に勝ち誇った姿に、私は何もできないのよぉ……
 ……もう……だめ…………意識………………が………………

「西野 那由――西野家の双子の妹として生を受ける。姉は世界最強のオニノメと呼ばれた“西野 摩由”……でしたわね?」

 ――ッッッ!!!
 その言葉に、消えかけていた私の意識は覚醒した。
 止まりそうな心臓を、氷の掌で無理矢理揉み扱かれるような感覚に、私の心は悲鳴を上げた。
 なぜ……そんな話を!?

「先程のお返しですわ……くすくす……」

 深美さんの微笑みは、聖母から悪魔のそれに転じていたわ。
 決して触れられたくない心の痕を、無理矢理かき回す最悪の悪魔に――

「2人が18歳の時――すでに超一流の退魔師として名を馳せていた摩由様でしたが、そのオニノメとしての力を旧IMSOに目をつけられて、研究対象として拉致されたとか。何でも、オニノメの力を増幅させるために、何千体もの魔物と交わらされていたそうな……」

 やめて!!
 やめて!!!

「その後、摩由様は実験中の事故で亡くなられたそうですわね。それも魔物の群れに嬲られながら引き裂かれたと聞きます。無惨な悲劇ですわね……しかし、ここからが凄かった」

 これ以上、私を苦しめないで!!
 私に『それ』を思い出させないで!!!

「それまでは半人前の退魔師であった那由様は、その事実を知って『覚醒』なさったのですわね。その名を聞く者全てを戦慄の渦に叩きこむ世界最強にして最悪の魔人“ファー・イースト・ウィッチ”に」

 いや!!いや!!いやぁああああああ!!!

「覚醒された那由様によって、一夜にして旧IMSOは消滅しました。しかし、それだけではなかった。那由様を止めようとした世界中の退魔師・超常能力者の皆様を、1人残らず皆殺しになさったのですから……」

 助けて……タスケテ……お姉ちゃん……

「この事件で、世界の退魔師・超常能力者の七割が失われたとか。それもほとんどが上の方から数えての実力者を……そして、犠牲者の中には、那由様の――」

 やめてぇええええええええ!!!

「くすくすくす……」

 壊された。
 私の中で、大切な何かを壊された……
 ……いいえ、それはもうとっくに壊れていたの。
 目を逸らしていた私の眼前に、その残酷な事実を突きつけられた……
 助けて……誰か……私を……

「――生まれて始めて、わたくしは人の心を踏み躙る行為に快感を見出していますわ……くすくす」

 なぜ……どうして……こんな事をするの?
 後生だから……早く私を殺してよ……何も考えられない、何も感じない世界に連れていってよ……お願いよ……
 ……さもないと、私は――

「くすくすくす……」

 悪魔の笑い声が、突然止んだわ……
 沈黙は恐ろしかった。自分への恐怖を忘れそうになるくらいに。

「……認めましょう、那由様。わたくしは貴方を妬んでいます」
「…………」
「そう、これは嫉妬ですわ。わたくしは那由様がうらやましい……わたくしが如何に望んでも決して手に入らぬものを、那由様は腕の中に抱けるのですから……わたくしはもう2度と娘達に会えぬというのに!!なぜ那由様はそれができるのですか!?わたくしと那由様のどこに違いがあるというのですか!!」

 激昂する深美さんは――笑っていた。
 泣きながら笑っていた。

「だから、わたくしは貴方を破壊しようと思います。それがわたくしの愚かな逆恨み……矮小なる復讐……」

 その言葉を聞きながら、私は――『西野 那由』は――
 ――死んだ。

「この“西野 那由”の複製自らの手で、貴方の愛する娘達を、殺して差し上げますわ……くすくす……」







































……キーワード認識……






































――人には、決して知ってはならない事実がある――






































――人には、決して語ってはならない言葉がある――






































――人には、決して存在してはならないモノがいる――











































――『THE 3rd MOON  CENTRAL SYSTEM 』――


〜〜『THE WITCH』〜〜


……FULL OPERATION STARTING……









































「――え?」

 世界は闇に閉ざされた――これは形容ではない。
 微かに瞬く星々が、洋々と広がる母なる海が、島のように頭を覗かせる半壊したビルが、そして魔人達の最後の戦場であるレインボーブリッジが……まるで溶け消える如く、瞬きの間に闇の中へ消滅してしまったのだ。
 だが、これは単純に闇の属性を持つ何かが、この場を包んだのではなかった。
 地に伏す大僧正、アーリシァ、子法、シー、クルィエ……動揺を隠さず辺りを見まわす深美と、彼女を守るように取り囲む“西野 那由”達……そして“破壊された”本物の『西野 那由』……光り1つ刺さない暗黒の中なのに、彼等の姿ははっきりと見えるのである。
 そしてもう1つ――闇の世界の天上に、その不吉な姿を映す赤紫色の満月。ただそれだけが暗黒の世界に鎮座していた。

「こ、これは……まさか、この世界そのものが!?」

 そう――つまり、世界そのものが“変わった”のだ。
 人の持つ恐怖の根源たる『闇の世界』に。
 この現象は一体?誰が、何の為に?
 それは――この場に起こったもう1つの『現象』で解明される事になった。

「……那由……様?」

 深美は見た。
 本物の『西野 那由』が、別の存在へと変貌していく光景を。
 夜の闇より黒く美しい黒髪が――ジワジワと細菌が増殖するように『白』に染まって、つまり白髪へと転じていくのを。
 白い髪――清らかな純白ではない。煌びやかな銀髪でもない。蛆がたかる白骨のような、死にかけた老婆のような、死の香りがする不吉な白だった
 そして、開ききった瞳孔が宝石のように輝くオッドアイが――真紅の色に変わっていくのを。
 赤い瞳――それは枯れかけた薔薇の赤。腐り落ちる果実の赤。串刺しにされた妊婦の子宮から滴る、どろりと濁った血だまりの赤……誰もが不気味な何かを感じて、目を背けるであろう瞳だった
 変わっていく。
 『西野 那由』が変わっていく。
 強く美しく御茶目で華麗な『西野 那由』が――別の『西野 那由』に。
 黒い薔薇の美しさが――血塗れの薔薇の美しさに。
 天球にきらめく星々の美しさが――闇に降臨する魔性の月の美しさに。

 ゆらり

「――っ!?」

 立ち上がった。
 『西野 那由』が。
 傷1つ無い姿で――
 髪と瞳の色を除けば、普段の那由と何も変わらない姿だ。
 しかし、それは那由ではなかった。

「……うぅ……?」
「………これ……は……」
《……那由ちゃん……だよね……?》
「……くー」

 この異常な状況に反応したのか、意識を取り戻した者達が那由を見て――誰もが息を飲んだ。

「……マジかよ……」

 如何なる戦場を前にしても、楽しげな笑みすら浮かべていたクルィエの顔に、はっきりと絶望の戦慄が浮かんでいるではないか。

「貴方は……何者ですか!?」

 深美の声も震えていた。
 返事はなかった。
 ただ静かに闇の中に浮かぶ那由は――美しく、おぞましく、可憐で、不気味で、優美な、グロテスクな……そう、それはかつての『西野 那由』ではなかったのだ。
 しかし――

「……く、くすくす……なにが“魔女”ですか……」

 震える声であったが、虚勢ではなかった。
 見たところ、髪と目の色が変化しただけで、他は何も変わった様子はない。感じられる魔力も戦闘力も以前のままだ。
 仮にあの那由が新たな力を得ているとしても、深美を守る“西野 那由”の複製達は、潜在的な力も含めた那由のあらゆる能力をコピーしているのである。つまり、那由が如何なる力を持とうとも、それが“西野 那由”を超える事はない。相手が那由である以上、複数の“西野 那由”が負ける要素は絶対に無いのだ。
 再び、深美の胸の内に闘志が湧き上がってくる――

『ターゲット確認。これより処理を実行する』

 その声を聞くまでは。
 これが、那由の口から発せられた声だというのか。
 誰もが息を飲んだ、その瞬間――白髪を振り乱して那由が駆けた。
 ターゲット――深美目掛けて真っ直ぐに。
 幽鬼の如く不気味な、そして野獣の如く俊敏な動きだった。
 あたかも、泣きじゃくりながら逃げる子供を追いまわす、御伽噺の鬼女のような――
 その前方に“西野 那由”の一体が立ち塞がった。
 真紅の瞳に濁った光を宿らせながら、那由の抜き手が走った。
 “西野 那由”は慌てず己の全魔力を防御結界に集中する。那由と“西野 那由”が互角の力を持つ限り、この防御結界を破る事は不可能だ――

「え?」

 ――その筈だった。
 肉が裂け骨が砕ける耳障りな音と同時に、那由の手刀は“西野 那由”の胸に深々と突き刺さっている!?
 一瞬にして肺と気管支を破壊された“西野 那由”は、ガクガクと身体を痙攣させながら、絶叫の代わりにゴボゴボと血の泡を吐いた。

『プログラム“シュレディンガー”実行。対象の戦闘力停止を確認。これより排除行動に移行する』

 それが、この“西野 那由”が最後に聞いた言葉――

 ぱん

「……那…由……?」

 風船の割れるような音だった。
 その形容に等しく、一瞬で『破裂』した“西野 那由”だった肉片と鮮血が、雨のように降り注ぐのを、アーリシァは呆然と見つめた。
 右手を突き出した体勢のまま動かない那由に、ぼたぼたと血肉のシャワーが浴びせられる。幽鬼の如き白髪が、白蝋の柔肌が、ダークブルーのスーツが、生暖かい血潮に染まり、べっとりと肉片が張り付く。
 今までは、どんな激戦であろうとも、決して相手の血を1滴も浴びる事無く戦い続けた那由。それは、あたかも美しいものを汚さぬように、血潮自らが避ける様に見えた。
 だが、今の那由は――まるで、相手の血肉を自ら啜るが如く、その身に受けたではないか。
 脳の破片と眼球を前髪に引っ掛けながら――

『対象の排除終了。次の目標に攻撃対象を移行する』

 ああ、その声――その血塗れの美しさ。
 背後から、新たな“西野 那由”が襲いかかったのも、その美しさに誘き寄せられたかのようだ。
 特SSSクラスの破壊魔法を宿した拳が、無防備な背中に炸裂――!!

 ふっ

 必殺の拳は那由に当らなかった。
 これからも、永遠に命中する事は無いだろう。
 襲いかかった“西野 那由”の拳は、右腕の付け根から暗黒の中に消滅しているのだ。

「……これ……は……」

 大僧正は絶望的な思いで理解した。
 あの右腕は消滅したのではない――始めから存在しなかったのだ。そう『設定』されてしまったのだ……と。
 絶叫が上がった。
 信じられない光景だった。いかに偽者とはいえ“西野 那由”が悲鳴をあげるなど。

 ふっ

 今度は、左腕が消えた。消しゴムで消すかのようにあっさりと。
 この奇怪な現象は、相手に凄まじい苦痛を与えるらしく、“西野 那由”は再び苦しみの叫びをあげた。

 ふっ

 続けて右足が――

 ふっ

 左足が――

 ふっ

 腰から下――

 ふっ

 右胸――

 ふっ

 ふっ

 ふっ……

《……やめ……てぇ……》

 子法が震える声を洩らす。偽りの無い言葉だった。敵も味方も関係無い。あんな残酷な殺し方だけは絶対にしちゃダメだ……人殺しの武器である自分ですら、そう思えるのだ。

 ふっ……

 最後の一片が虚空に消えて――最後まで、絶叫は止まなかった――“西野 那由”はこの闇の世界から完全に『存在を否定された』のである。

『プログラム“コリオリ”実行終了。対象の排除を確認。次の目標に攻撃対象を移行する』

 その口調――その響き。
 そして、その残酷な美しさ――
 1歩、那由が動いた。

「ひっ!!」

 恐怖の影を浮かべて、深美が2歩後退した。
 身体は瘧のように震えて、白い肌は真っ青に。全身を脂汗が覆っている。
 恐怖――
 それだけが、今の深美を支配していた。

「……はうぅ……」

 がたがたと震えるシーも、同じ思いだ。
 いや、この暗黒の空間にいる誰もが、恐怖に心臓を握り潰されているのだ。
 あの凄惨な光景に恐怖しているのではない。
 那由が怖かった。
 あの女の存在そのものが恐ろしかった。
 子供が闇に怯えるように、人間の――いや、生物としての根源的な恐怖そのものが、あの白髪赤瞳の那由なのだ。誰もがそれを生物としての本能で理解した。
 そう、あの那由は――『恐怖』の化身なのだ。
 そして、深美は理解した。
 先程、那由の過去を暴露した時、那由が心の中で半狂乱になってそれを止めようとした――それは、辛い過去の傷跡を抉られたからではない。その言葉によって、那由が『今の那由』になるのを回避しようとしたからだ……と。
 だが、もう遅い。
 『恐怖』は放たれたのだ――
 ファー・イースト・ウィッチが――西野 那由が――“魔女”が――

「――っ!!」

 恐怖に震える手を無理矢理押さえつけて、深美は“母なる海”に語りかけた。配下の“西野 那由”達の身体を、母なる海水が優しく包み込む。この水の衣が全身を包んでいる限り、外部からのあらゆる物理的、魔法的な攻撃は無効化される。
 深美は全力で那由を滅ぼそうとしていた。単純に敵だからではない。この“魔女”を倒さなければ、もっと恐ろしい災厄が世界に齎される――絶対なる真実として深美はそれを理解した。いわば――奇妙な事に――世界を救う為に、彼女は那由を滅ぼすのだ。滅ぼさなければならないのだ。
 那由が――深美目掛けて疾走した。
 残像のように鮮血と肉片を振り撒きながら。
 再び、新たな“西野 那由”が迎え撃とうと前に出る。

「…」

 あらかじめ那由の進行ルートに配置していた呪符が、“西野 那由”の呪文詠唱に反応――数億ボルトの超々高圧電流がドーム状に膨張して、白髪を振り乱す那由を一瞬で飲み込み――
 『同時』だった。
 目の前に『出現した』血塗れの魔女を、“西野 那由”は愕然と見止めた。
 野獣に襲われる美女の如く、“西野 那由”は那由に押し倒された。マウントポジションの体勢――

 ずぶっ

 那由の手刀が、“西野 那由”の喉に突き刺さった。破れた喉から血の泡が漏れて――

 ずぶっ

 心臓を那由の指がえぐる。しかし、母なる海に守られた“西野 那由”は、那由の手が抜かれた次の瞬間には再生を始めて――

 ずぶっ
 ずぶっ
 ずぶっ……!!

 ――再生するよりも早く、新たな手刀が身体をえぐった。
 肉片が飛び散った。
 鮮血が飛び散った。
 次々に――止む事無く――次々に!!
 再生速度よりも早く破壊する……不死身の相手に対する戦法としては正解だ。
 しかし、那由の行為が恐ろしく残酷に感じられるのは、何故だろうか――
 弱々しく抵抗する“西野 那由”の上半身が、ぐちゃぐちゃのミンチと化していく……
 ぐちゃぐちゃに――
 ぐちゃぐちゃに――
 ぐちゃぐちゃに――!!

『プログラム“マクスウェル”実行。対象の生命活動90%低下。排除を続行する』
「きゃあああああああああ!!!」

 深美は絶叫した。
 残る“西野 那由”達が、一斉に那由へ襲いかかる。
 全身を真っ赤に染めた那由が、立ち上がった。
 殺戮の旋風が、暗黒の世界を荒れ狂う――!!

《……ウソだよ……違うよ……那由ちゃんじゃない……あれは那由ちゃんじゃないよ!!》
「……那由さんではありません……『別の』那由さんなのですよぉ……」
「御老人……あれが……」
「そうじゃ……“ファー・イースト・ウィッチ”西野 那由……たった1人で旧IMSOを消滅させ、世界の退魔師・戦闘能力者の七割を全滅とした、世界最強最悪の魔人――いや、“魔女”の姿じゃ……」

 “西野 那由”の如何なる攻撃も通用しない。逆に血塗れの那由が片手を振るうだけで、その身体は容易く四散した。
 何が起こっているというのか――

「作り変えてやがる……」

 クルィエがぽつりと呟いた。

「世界そのものを、自分の都合の良いように『作り変えて』やがる……敵も自分も好きなように『設定』できるから、この世に不可能な事は何も無い。自分の意志が世界の法則になっている……それが、あいつの真の能力か」

 それは、戦慄に彩られた呟きだった。
 那由がこれまでの戦いで、時折見せた『敵能力の謎の無効化現象』『都合が良過ぎる偶然の数々』――その答えがこれだ。

「……那由とは、何者なのだ?」
「“魔女”じゃよ……」

 アーリシァの呟きも、大僧正の返答も、魂が消え失せたような声だった。

「この歳になると思う事があるのじゃ……我々は人に害なす『魔』を退治する聖職『退魔師』ではあるが、本来『魔』とは人の手に負えぬ、人知を超えた存在だからこそ『魔』と呼ばれるのではないかと……」
「……つまり、あの女は『魔』そのものだと?」
「そもそも、『女』という言葉は『魔』に等しい意味を内容しておる。すなわち“魔女”とは『魔なる魔』『魔を超えた魔』を意味するのじゃ。その恐るべき言葉を、那由殿は二つ名として冠しておる……」

 西野 那由――“ファー・イースト・ウィッチ”

「そうじゃ。那由殿は“魔女”――決して人の手に負えぬ魔を超えた魔……もはや人の理解の範疇を超えた存在なのじゃよ」

 ぐじゅるるる……

 握り締めた拳の間から、潰れた脳髄が滴った。
 己の写し身の脳髄が。
 全滅した『西野 那由』達の残骸を、感情の無い足取りで踏み躙りながら、

『全対象の機能停止を確認。攻撃対象を最終目標に移行する』

 鮮血と肉片を真紅のドレスの如く纏った『真なる』西野 那由が、こちらに真っ直ぐに歩み寄ってくる――恐怖と絶望に包まれた深美は、

「……あ……ああ……」

 わななき、恐怖の嗚咽を洩らすだけだった。
 あの、ナイン・トゥース“聖母”安倍 深美が。

『プログラム“ラプラス”実行。これより目標の排除を開始する』

 右手の抜き手――深美の左手が防いだ。
 左手の抜き手――深美の右手が受けた。
 それが、最後の抵抗――
 一瞬、那由の赤い唇が耳まで避けた――ように見えたのは幻覚だったか。

 ぞぶっ

 深美の喉笛に、那由の白い歯が食い込む。
 その時――深美は那由の背後の暗闇に、1つの光景を見た。

 ――暗く深い森の中、古ぼけた小屋の窓から、不吉な煙と香りが漂ってくる。窓を覗くと、怪しい呪文を唱えながら、大鍋いっぱいの薬液をかき混ぜる老婆がいる。
 漆黒のローブ、染みと皺だらけの肌、黄色く濁った瞳、いぼまみれの長鼻、耳まで避けた歯の無い口、鋭く尖った爪、曲がった腰……
 ――“魔女”――
 邪悪な笑みを浮かべながら、取り憑かれたようにかき混ぜる、大鍋いっぱいの怪しい薬――ぐつぐつと煮える紫色の薬液の材料は、コウモリの羽根、ガマガエルの爪、蛇の目玉、蜘蛛の心臓――この薬を近隣の村にばら撒けば、作物は枯れ、赤子は死に、家畜は歪んだ子を生むのだ。
 ――なぜ、そんな事をするのか。
 ――その行為に、何の意味があるのか。
 それは、“魔女”だからだ。
 “魔女”だから、悪行を成すのだ。
 “魔女”だから、邪悪なのだ。
 その存在自体が『邪悪』――
 その存在自体が『人類の敵』――
 それが――“魔女”――
 そして――“那由”――
 “魔女”の名を――人類の敵対者の名を持つ者。
 単身で人類を絶滅させる力を持ち、唯一『死殺天人(シャアティェンレン)』のみが対抗しうる、絶対なる『魔』――
 ――それが、

「……西野 那由……ファー・イースト・ウィッチ……」

 ばしゃん……首の無い深美の胴体が、海中に没する。
 血塗れの魔女のあぎとに咥えられた深美の生首が、最後にそう呟いた――



 ――勝敗は決した。
 那由の勝利。
 世界は――決して大げさではなく――救われたのだ。
 それなのに……

「…………」
「…………」
《…………》
「……くー」

 那由の背中を見つめる4人の顔には、焦燥と絶望が色濃く滲んでいた。
 軽く首を振って、深美の生首を放り捨てる那由には、人間らしい仕草など欠片もない。
 だが、確かに残酷な光景とはいえ、彼等も幾多の戦いを潜り抜けた歴戦の勇士だ。もっと凄惨で凶悪な出来事ならいくらでも目撃して、あるいは体験している。
 それなのに、那由の行為に――いや、那由の存在自体に、魂が凍りつくほどの戦慄と恐怖を覚えるのだ。
 怖い。
 恐ろしい。
 これは、生物としての本能だ。
 己の『存在』そのものが、那由を恐れているのだ。あたかも決して遭遇してはならない天敵を前にしたように。獅子に睨まれた小鹿のように。
 ――だから、

『対象の沈黙を確認。次の目標に処理対象を移行する』

 那由が血塗れのまま振り向いて、ゆらりと接近してくるのを見ても驚かなかった。ただ、絶望しただけだ。
 殺される。
 命ばかりか、“魂”まで殺される。
 そう、この世界の全てが――

「目を覚ませ!!那由!!」
「……無駄じゃ。もう、那由殿は以前の那由殿ではない……」
《暴走しちゃってるのぉ!?》
「いいえ……那由様は十分理性的ですよぉ……だから最悪なんです……自分の意思で行動してますからぁ、逆に歯止めが利かないのです……」
「気を確かにしろ!!私達がわからないのか!?」
「わかっておるよ……那由殿は全てを理解した上で、我々を始末する気なのじゃ……」
《何でそんな事するのぉ!?》

 それは、那由が『魔女』だからだ。
 魔女とは“人類の敵対者”だからだ。
 だから――

『目標を補足。これより処理を実行する』

 ――人類を滅ぼす。
 何の感慨も無く、右手を抜き手に構える那由。
 重傷を負った彼等では、身体を動かす事も難しい。いや、例え五体満足であっても『魔女』に抵抗など絶対に不可能だろう。
 抜き手の指先から、赤い血が1滴したたった。
 次の瞬間には、新たな鮮血がそこに加えられる――もう、それは決定事項だ。
 再び惨劇が始動する――もはや、誰にもそれを止められない。
 奇跡でも起こらぬ限り。

「――そこまでだぜ」

 そして――奇跡とは、常に“神”が齎すものなのだ。
 何の感慨も無く振り返った那由の眼前に、褐色の翼が舞った。
 魔女の抜き手が走る――
 クルィエの抜き手が走る――
 “神”と“魔”の交錯――

 ドッ!!

「……ギリギリで間に合ったな……」

 永遠に等しい一瞬――
 ……那由の胸の谷間に、クルィエの手刀が食い込んでいた。
 その一瞬、クルィエの『神族』としての全能力が開放される――!!
 真なる“神”の力が、那由の“魔”を浄化する。
 那由の血塗れの白髪は――幻であったかのように、元の美しい黒髪へと戻っていた。
 力尽きたように、クルィエの胸元に倒れ込む那由を、クルィエの力強い腕がそっと支える。気絶したその顔は、どこか穏やかだった。

「……大丈夫……なのか?」
「こいつなら気絶しているだけだ。“浄化”は成功した。もう心配無いぜ……すまねぇな、動けるようになるまで予想より時間がかかっちまった」

 ――だが、

「……だが、心底とんでもない女だな……俺に恐怖を覚えさせた女は、こいつで2人目だぜ……」

 がくり、と片膝をついたクルィエの胸元から、どくどくと鮮血があふれ出ている――那由の抜き手で!?

「地球人類の身で……“神”を傷つけやがった……もう、人間じゃねぇな……」

 そう――
 人間ではない――

 ――西野 那由――
 ――ファー・イースト・ウィッチ――

 ――“魔女”――











































――『THE 3rd MOON  CENTRAL SYSTEM 』――


〜〜『THE WITCH』〜〜


……SYSTEM DOWN……
















































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那由さんの憂鬱
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