「……ええと……です……」
 そーっと扉の隙間から中を覗いて、
「……大丈夫です。誰もいませんです」
 セリナは余に向かって手招きした。
 余は素早く柱の陰から飛び出して、セリナに続いて浴室の扉の中に滑りこむ。
 別に、魔法を使えばこんな盗賊まがいの事をしなくても済むのだが、
「えへへ……ちょっとだけドキドキして楽しいですね……」
 余も同感だ。

 ――あれから余はセリナに連れられて、屋敷の門を潜り抜けた。
 セリナが住み込みで働いているという屋敷は、外観も内装も、共に今まで余が見てきた人間の住居の中で、最大の規模と豪華さであると断言できるだろう。
 まぁ、さすがに余の居城とは比べ物にもならないがな。
 屋敷の中には、正面玄関ではなく、裏口からこっそりと入る事になった。
 セリナによると、風呂の無断使用だけでなく、主の許可の無い者を屋敷に入れる事も禁止されているらしい。
 得体の知れぬ連中を進入させない様に用心するのは当然だが、使用人の知人ぐらいは、無許可で中に入れても良いだろうに……ここの主とやらは、ずいぶん度量の小さい奴のようだな。
 その後、幸運にも誰にも見つかる事も無く、余とセリナは無事に浴室に辿り着いたのだ――

 『浴室』とは言っても、身体を洗浄できそうな物は見当たらない。周囲の環境から察するに、ここは脱衣所だな。
 奥の曇りガラスの扉が、文字通り湯煙に曇っている。あそこに入浴施設の本体があるのだろう。
「汚れた服は、この籠の中に入れてくださいです」
 そう言って、セリナは余に籠を手渡すと、スルスルと泥だらけの服を脱ぎ始めた――

 ――って、なぜ脱ぐ!?

「せせせせせセリナ!!なぜふくをぬいでいるのだぁ!?」
「???……服を着たままでは、お風呂に入れませんですよ?」
 きょとんとする下着姿のセリナは、全身が泥に濡れてて、何とも艶かしい――

 違う!!

「セリナもよといっしょにからだをあらうのかぁ!?」
「???……はいです。そのつもりですが?」
 あ、下着が泥で少し透けている――

 違う!!

「だめだだめだだめだぁぁぁ!!!」
「……私と一緒にお風呂に入るのはイヤなのでしょうか……くすん……」
「なくなぁ!!……そういうもんだいではない!!としごろのだんじょがおなじところではだかでからだをあらうのは、もんだいあるだろう!!」
「今、空いている浴室はここしかないのですよ。それに、私は全然全くこれっぽっちも気にしませんですから、問題無いです」
 セリナは胸の下着をぶるん!!と脱ぎ取った。
 うわっ!!おっぱいがすっごく大きい……なんだか服を着ていた時よりも大きいぞ!?まさか、下着で押さえ付けられていたのか?……すごい……あんなに大きいのに、ぜんぜん形が崩れていないし――

 違う!!

「よ、よ、よ、よはセリナがからだをあらいおわるまで、まっていることにする!!」
「あまりお風呂を使える時間に余裕が無いのです。大変申し訳ありませんが、諦めてくださいです」
 セリナは身を隠す布きれの最後の1枚を、何の躊躇いもなく脱いでいく。
 くらくらっ……プリプリとして瑞々しく、張りのあるお尻が丸見えだ……あ、こっちに振り向いたから、今度は正面から見える……でも、肝心な所は繁みに隠されていて、この角度では見えない――

 違う!!

「おおおおおおおおおおまえにはしゅうちしんがないのかぁっっっっ!?」
「そんな事無いですよ」
 ほどいた長髪を頭の上に束ねながら、セリナはにこやかに返答する。
 全然説得力が無いぞ!!
 余はくるりと180°後ろに向き直った。
 とても正面から見てはいられない。
 心臓は早鐘と化し、更には全身が心臓に転じたかの様だ。体温が1万度は上昇して、血液が沸騰している様な気がする。
 一糸纏わぬセリナは――泥まみれとはいえ――この世の物とは思えぬ、至上の美しさを誇っていた。
 よく『美しい物からは目を離せない』と言うが、“真の美”を目にした者は、決してそう述べぬであろう。
 『真の美とは、見てはいけない美しさだ』
 ……と。
 
「ほらほら、クリさんもです」
 静かに背後から肩を掴まれる。その指の感覚に、余はぞくりと身を震わせた。
 そして――

 すぱぁぁぁん!!

「うのわぁ!!」
 一瞬、世界が暗転して――次の瞬間、余は一糸纏わぬ全裸姿になっていた。
 余の闇の衣を持ったセリナが、ニコニコと微笑んでいる――って、ちょっと待てぇ!!どーやってそれを剥ぎ取ったのだぁ!?
「メイドさん48の殺人技の1つ『瞬間脱衣』です」
 なんだそりゃー!!
「さてさて、早くお風呂に入りましょうです」
 余は呆気に取られたまま、セリナにずるずると引き摺られながら浴室に連行されていった……
 何かキャラが違ってるぞセリナ〜!!


 
 かぽ〜〜〜ん……

「ふぅ……」
「らんらん♪らららら♪しゃわ〜しゃわ〜♪です〜♪」

 じゃぶじゃぶじゃぶ……

 浴室の中は熱い湯気が充満する広々とした空間であったお湯がたっぷりと満ちた巨大な池モドキ――後にそれが浴槽と呼ばれる物だと知った――があるそこで温まりながら身体を洗浄するという仕組みらしいなかなか効率的な仕組みだしかしそこに入る前には“しゃわー”を浴びなければならないらしいしゃわーとは壁の傍にある細かな穴だらけの奇妙な器具の事だそこから雨みたいなお湯が放出されているそれで今余は身体を洗浄しているところだ――

 だ〜〜〜!!落ちつくのだ!!余よ!!
 さっきからムチャクチャ動揺しまくっているぞ!!
 だいたい、悪魔族である余が人間の女にドキドキしてどうする!!
 ……って、今の余は人間なのだった……
 と、とにかく!!こうして壁を向いてしゃわーのお湯を浴びていれば、すぐ隣で身体を洗っているセリナが視界に入る事は無いのだ。これで時間を稼ごう……
「しゃわわしゃわしゃわ〜♪らんららら〜〜ん♪ですです〜♪……(きゅっ)……ふう、やっと泥が落ちて綺麗綺麗になりましたです」
 やっと意味不明な歌が止んだ。よし、このままセリナは浴槽に入るだろう。実は余はもうとっくに身体の洗浄が終了しているのだ。セリナが浴槽に入っている間に、余は浴室から脱出して――
「あ、お背中流しますです」
 ――あれ?
 セリナは静かに、そして素早く余の背後にしゃがみこんだ。
 い、いや、そんな事しなくていいから――
「それでは失礼しますです……」

 にゅちゃり!!

「うはぁうん!!」
 背中に泡だらけの布が当てられた感触に、余は思わずヘンな声を上げてしまった。

 …にゅるにゅる…ごしごし…にゅるごしにゅるごし…

 そのまま背中を微妙な力加減で万遍なく擦られる……
 ……ううう……何だかこそば痒くて……気持ちいい……頭がポーっとしてきた……
 ――しばらくして、布の動きが止まった。
「……はい、次は前ですね。こっちを向いてくださいです」
「………うん……」
 頭の中に霞がかったまま、余は言われるままに腰掛けごとセリナの方に向き直って……

 どど〜〜〜ん!!!

 !!!……うのわぁ!!め、目の前に巨大なおっぱい――もとい、セリナの裸身がぁ!?
 余は慌てて目を逸らした。
 あの美しすぎる裸体を直視すると、本当に余はどうにかなってしまう気がする……

 どきどきどきどきどきどき……!!

 えええいっ!!いっその事停止してしまえ!!余の心臓!!
「せっせっせっせっせ……」
「せっせっせ〜のよいよいよい♪……ですか?」
「ちがう!!せっ、せっ、セリナよ!!あらってくれるのはせなかだけでよい!!」
「ご遠慮なさらなくても……あら?……あらら?です?」
 セリナの怪訝な声に、余は思わず前に向き直ってしまった。
 全身に水滴を纏った裸身の美しさに、慌ててそっぽを向く――向こうとして、セリナの少し困ったような視線に気付いた。
 視線の先は――余の股間か……ん?
 なんだこりゃ?
 世の股間にある奇妙な形状の器官が、つい先程までと比べて、異様に固く大きな形に変化していたのだ。
 この器官は……もしかして性器なのか?
 何だか妙に頼りないな……本来の悪魔族の姿なら、何十本もの触手状の形なのだが……
 しかし、なぜ固くなっているのだ?優に三回りは巨大化しているし。
 頭の中が『?』だらけの余に、
「あのぅ……お苦しいでしょうか?……です」
 セリナが小声で尋ねてきた。例の頬に片手を当てたポーズで、なぜかモジモジしている様に見える。
「くるしい?……“これ”のことか?」
 性器を指差すと、セリナはこくりと頷いた。
 うーむ……言われてみれば、確かに苦しい様な切ない様な気がする……びくびくと脈動していて、少なくとも尋常な感じでは無いし。
「……くるしい……とおもうぞ……」
「……あのぅ……大変失礼な質問ですが、クリさんはお幾つでしょうか?……です」
「よのねんれいか?……とうねんとって、じゅうにまんさいになる」
「まぁ、お若く見えますねぇ……です」
「……うむ、よくいわれるぞ……」
 それを気にしているのだが……
「……でも、12万歳なら年齢的には問題無いですね♪」
「……は?」
「……あのぅ……私で宜しければ、それをお鎮めしましょうか?……です」
 鎮める???……ああ、この性器を元の状態に戻すという事か。確かに、このままでは邪魔でしょうがないしな。
「うむ、よろしくたのむ」
「はいです♪承知いたしましたです♪」
 セリナはにっこりと微笑んだ。普段と変わらぬ明るく優しい笑顔――の筈なのだが、何かがいつもと違う様な気がする……
「それでは、失礼しますです……」

 パクッ。
「はうっ!?」
 セリナは突然、余の硬くなった性器を、小さな口で咥え込んだ。

 ぐちゅっ、ぐちょっ、じゅるっ…

「んっ、んっ、んっ♪……んん〜っ♪」
 幸せそうな顔をして、セリナは余の性器を…しゃぶっている。口の端から垂れる唾液を啜る音が、何ともいやらしく聞こえる。
「あっ!……セリナ…なにを……して……いるのだ?」
 性器に与えられる奇妙な感覚に耐えながら、行為を続けるセリナに尋ねてみる。
「ズルルッ…んぱっ!……ふぁい?…ふぃふぉひふぉふふぁひふぁふぇんふぁ?」
「うっ……くわえたまま…はなさないでくれるか?」
「……ふぁい……ジュルルッ!……気持ちよく…ないですか?」
 セリナはそれまでと打って変わって、とても悲しそうな顔で余を見つめている。
 気持ちよくない?…いや、この感覚は初めてだが…気持ち良いのだろう……それに……余は何故か、セリナに悲しい表情をして欲しくなかった。
「い、いや……きもちいいぞ……」
 顔が赤くなるのを感じつつ、顔をそらしてセリナに言う。正直、余がこんな気持ちになるのは初めてだ。
 そう言った瞬間、セリナの表情が、ぱあっ、と明るくなる。太陽の様な、こんな表現がぴったりくる笑顔だ…と思う。
「じゃあ、もっときもちよくしてあげますです♪」
 どうするつもりだ?と聞く前に、余の性器は『ぱふっ』と、柔らかいもの……セリナのあの非常識な胸……に包まれた。その柔らかさ、暖かさは、セリナそのもののように感じられた。
「なっ…なにを…あうっ!」

 むにゅっ、くちゅっ、むにっ。

 予告無しに、セリナが上半身を上下し始めた。石鹸の泡と、セリナの唾液がヌルヌルと潤滑し、余の性器がセリナの大きな胸から見え隠れする。
「んっ……よいしょ……いかがですか?」
「ん?……ああ……きもちいいぞ……うあっ!」
 ……というか、気持ちよすぎる……
「くすっ……では、もっときもちよくしてあげますです♪」
「え?なにを……あっ!?」
 今度は、胸で余の性器を刺激しながら、時おり顔を出す柔らかい部分に舌を絡ませる。そして、先端の割れ目から滲み出している、粘つく透明な液体を舌先で舐め採る。
「うんっ……ペロッ……ふぅ……チュッ♪」
 
 ぐちゅっ、ぴちゃっ、ぬちゅっ。

 今まで以上の快感が余を襲う。そして、不意に、性器から何かが噴き出すような感覚が、全身を包んでいく。
「あっ……セリナ……ちょっとまて……なにかがでそうだ……」
「ピチュッ……チュパッ♪……いいですよ……そのまま出してくださいです♪」
「……そんな……ああぁっ!!」
 頭の中が真白になり……余の性器から何かが勢い良く噴き出す。
「ングッ……ンンッ?!……ああんっ!」
 余が吐き出した、何やら白い液体がセリナの口に飛び込み、顔を塗りつぶす。
 顔からたれる液体を、セリナは幸せそうに舌で受け止め、口に入れる。セリナの頬が少し動いている。口の中で、ゆっくりと舌が動いているようだ……余が出したのもを味わっているように見える。

 こくっ、こくっ、こくっ。

 セリナの喉が動き、白い液体を飲みこんでいく。
「んっ……ごくっ……おいしいです…♪」
 熱く火照った顔で、セリナが呟く。本当に美味しいのだろうか…という疑問が頭をよぎるが、セリナの幸せそうな顔を見ると、そんな心配も消えていく。
 そんな事をぼんやりと考えている間に、セリナは再び余の性器に舌を這わせる。
「せ…セリナ……わわわっ?!」
 性器に付いている液体はもとより、中に残っているものを吸い出して綺麗にしている。そんなセリナを見ていると、さっきよりも余の性器が大きく、硬くなっていくような気がする。
 十分綺麗になった事を確認すると、セリナは、余の肩に優しく手を置き、ゆっくりと余を浴室の床に横にさせる。
「…??……なにをするきなのだ?」
 少し不安になり、セリナに尋ねる。
「……もっと気持ちのいいことです♪」
 優しく、でもどこか淫魔のような微笑を浮かべて、セリナは余に跨ってきた。
 硬くなり、上を向いてそそり立っている余の性器を、セリナの右手が優しくつかみ、ゆっくりとセリナの股間へと導いていく。
 セリナのそこは、余のとは違い、何も生えていない。そこには、ピンク色の割れ目…そして、そこからはきらきらと輝く液体が太股を伝っている。
「いきますね……んっ…んっ♪……うぅん!」

 くちゅ、くちゅ、ずちゅっ!

 数回、浅く腰を上下させ、余の性器の先端と、セリナの割れ目の表面が触れ合う。まるで、セリナにそこをキスされているような感覚。その感触を楽しむまもなく、セリナは一気に余の腰の上に、腰を下ろしてきた。
 余の性器が熱く、柔らかいものに包まれる。それは、余を優しく包み込み、しかし、強い快感が与えてくる。
「あぁっ!クリさんの……熱くて……硬いです♪」
 うっとりとして、でもどこか幸せそうにセリナが言う。ゆっくりとセリナは腰を揺らす。その度に余の性器が刺激され、さっきとは比べ物にならない快感が余を襲う。
「うわっ!……セリナっ……すごい……」
 思わず、情けない声を上げてしまう。しかし、セリナは余を笑う事はせず、むしろ、幸せそうな表情で、さらに腰を動かす。

 ぐちゅっ、ずちゅっ、ぐぷっ。
「あっ!……ふぁぁっ!……あんっ!」

 バスルームに、何ともいえなくいやらしい粘液質の音と、セリナの喘ぎ声が響く。
 セリナの吐息、いや、全身から甘い香りが漂ってくるような、そんな気がするほど、セリナは熱い吐息を吐き、全身を桜色に染めている。
 その時、余はセリナの身体が微妙な変化をしている事に気が付いた。
 セリナの全身に、薄く、しかし徐々にくっきりと文様が浮かび上がっている。それは、まるでセリナの全身を蔦が愛撫して絡まっているようだ。しかし、それが呪術的な意味を持っていることはすぐにわかった。所々には、魔術文字のようなものも見られる。
 どこかで見た事があるような……しかし、余はそれ以上は考える事が出来なかった。
 セリナが、絶えずあげ続ける艶やかな声、淫らにくねる腰、それにあわせて踊る豊かな胸、セリナと余の繋がっている所から聞こえる、グチュグチュという音。全てが余の頭の中を白くさせていく。
「うんっ!……あんっ!……ああんっ♪」
 セリナは余の胸に両手をつき、夢中で腰を上下させる。
「うあっ!……セリナっ……よはもう……あっ!」
「はい♪……いっぱい……出してくださいです♪」
 余は限界だった。何も考えることなく、ただセリナに合わせて腰を動かす事しか出来ない。そして、再び頭の中が白くなり……
「ううっ!!!」
「あああぁぁぁぁっ!!!!」
 セリナは余の上に倒れこみ、全てを余に預ける。まだ、やや硬さの残る余の性器がセリナの中で優しく包まれ、快感の余韻が2人を包んでいた。



 ぶくぶくぶくぶく……

 口から下をお湯の中に沈めながら、余は深い深い溜息を吐いた。
 今、余はセリナに背後から抱きかかえられながら、浴槽の中でゆったりとお湯に浸かっている。ちょうどセリナを背もたれ椅子にしている形だ。後頭部にあの無節操なおっぱいが当たって、枕代わりになって心地良い。
 ついさっきまでは想像もできなかった状況だが、あそこまでエロエロ……もとい、イロイロな事をされてしまうと、もう羞恥心など消え失せてしまう。
 ……しかし……まさか人間に貞操を奪われる事になるとは……はぁ……
「クリさん……」
「……ん?」
 ……まぁ、でも相手がセリナなら……
「温かくて気持ちいいですね……」
「……うん」
 ……これで良かったと思う……

 ――木の上での触れ合いと同じ様に、セリナはただ純粋な好意と慈愛だけで、余に接してくれているのだから――

「ふふふ♪です♪」
 セリナの楽しそうな笑声が頭上から浴室に響き、余を抱える腕に力が込められる。

 むにゅん。

 うぐっ、余の頭がおっぱいの間に挟まってしまった。相変わらずスゴイおっぱいだ。
 ……でも、やっぱり落ちつくなぁ……セリナに抱かれていると……
 余はお湯の温かさとセリナのぬくもりに包まれながら、ゆっくりと瞳を閉じて、暫しの間まどろみに身を委ねた……


 ……ん。
 余はゆっくりと瞳を開いた。
 まどろみの中にいた時間は、ほんの数秒ぐらいだったか。
 ……さて、落ちついた所で、これからの事を考えなくてはな。
 セリナのおかげで、余は魔界大帝として生きる事に躊躇いは無くなった。余がいなくなった事で、今ごろ魔界は大混乱に陥っているだろうから、できる限り早急に帰還するのが道理だろう。
 しかし、余は自力で魔界に戻る事ができないのだ。
 通常の転移魔法なら余も使えるが……残念ながら『世界転移』は高等部で習う魔法だ。初等部を卒業したばかりの余が知っている訳が無い。この世界に来れたのは、意図的とはいえ魔力の暴走による事故が原因だし……大人しく魔界からの救助隊を待つのが正解か。
 そうすると、今度は救助隊を待つ間、どうやって生活するかを考えなくては……
 野宿は……絶対にイヤだ。
 魔界大帝としてのプライドが許さんし、セリナに出会うまでのごたごたで、余が1人で人間の集落の中で生活するのは非常に危険だという事が、必要以上によくわかった。
 ここは、自分だけの『結界』が――生活環境が整っている住居が必要だろう。
 う〜む……やはり、余としては……
「……セリナよ……」
「はいです?」

 ――余はセリナに、今の自分の考えを伝えた。いつもと変わらぬ優しい笑みを浮かべるセリナは、相変わらず何を考えているのかよくわからないが、こちらの意図は何とか理解してくれた……と思う。
 
「――というわけで、セリナよ……」
「はいです」
 この屋敷に、しばらく居候させてもらえないだろうか?
「……このあたりに、よがくらせるようなところはないだろうか?」
「う〜〜〜ん……です……」
 余の角の上に、静かに水滴が落ちてきた。きっと片手を頬に当てているのだろう。
「……このお屋敷が、アパートかマンションならよかったのですが……残念です……」
 本当に悲しそうなセリナの声に、
「きにするな。てきとうなせいかつかんきょうさえあればよい。よはひとりでもだいじょうぶだ」
 余は勤めて冷静に答えた。

 うそだ。

 正直に告白する。
 余はセリナと一時も離れたくない。
 どうやら、本気でセリナに惚れ込んでしまったようだ。
 世界中の誰よりも、余はセリナが大好きだ。

 本当は、セリナと一緒に暮らしたい。
 救助隊が来るのに、そう時間はかかるまい。その僅かな時間をできるだけセリナと居有したいのだ……
 ……しかし、現実は常に非情だ。
 使用人であるセリナに、勝手に部外者を居候させる権利など有る筈が無いし、余と四六時中付き合う訳にもいかないだろう。

 いや……それ以前の問題かもしれない……
 余がセリナを思うように、セリナが余を思ってくれているという保証など、何も無いのだから……
 ……きっとセリナは、他の誰に対しても、優しいに違いないのだから……

「……どうしましたか?……です」
「……ん?」
「……クリさん、少し悲しそうに見えますです……」
 ……いかん、顔に出ていたようだ……
「なんでもない、きのせいだ」
「そうでしたか……私はおバカなので、勘違いしてしまいましたです」
 余がセリナを心配させてどうする。しっかりするのだ。
「……あのぅ……明日、私のお友達に相談してみようと思いますです。かすみさんとあすみさんって言いますです。とっても親切な方ですので、クリさんもすぐにお友達になれると思いますです。よろしいでしょうか?……です」
 うーん……できれば自然保護区での現地生物との接触は、必要最低限にしたいのだが……
 ……って、今更遅いか。
「うむ、よろしくたのむ」
「承知しましたです……あのぅ……よろしければ、今日は私の部屋にお泊まりしませんか?……です」
「え?……いいのか?」
 無論、余が断る筈が無い。
「もちろんです。クリさんとお泊まりできるなんて、私はとっても嬉しいです♪」
「でもいいのか?よをかってにしゅくはくさせて……」
「えへへ……ちょっとだけ悪い子になりますです」
「すまぬな。セリナにはせわになりっぱなしだ」
「そんな事無いですよ。私はクリさんの事が大好きなんですから……です♪」
 頭上から余を覗き込むセリナは、満面の笑みを浮かべていた。
 幸せという言葉を具現した様な笑みだ。見ているだけで余も幸せな気持ちになる。
 そうだな……先の事は後で考えよう。今はセリナとの貴重な時間を楽しむとするか……
 余もセリナに微笑んだ。
 温かい浴室に、もっと暖かい雰囲気が漂い始める……その時。

『セリナ!!』

 野太い男の声が、浴室に轟いた。
 一瞬にして、余とセリナの身体が硬直する。

『客人が来た。今日の“宴”の担当はお前だったな……』

 声は壁面の角にある奇妙な機械――後に、それがインターホンと呼ばれる物だと知った――から聞こえていた。

『5分以内にいつもの場所に来い』

 ぶつんっ!!という耳障りな音と共に、男の声は止んだ。
「…………」
 セリナは無言だった。
「……しごとか?」
「……はい…です……」
 心なしか、声に張りが無いように聞こえる。
「クリさん、大変申し訳ありませんが、これから仕事に行きますので、先に私の部屋でお待ち頂けますか?……です」
 ……まぁ、仕事なら仕方が無いな。
 余はセリナから部屋の場所の説明を受けた。別段わかり難い場所でもないのに、妙にセリナは丁寧に教えてくれた。
「……うむ、わかった……よはもうすこしあたたまってから、へやにいこうとおもう……しごとがんばってな……」
「それではお先に失礼しますです……」
 余を抱き締めたまま、セリナは深々と頭を下げた。見上げる余とセリナの顔が急接近して、今更ながらドキドキしてしまう……
 しばらくの間、セリナは余を抱き締めていたが、やがて浴槽から立ち上がると、お湯を滴らせながら脱衣所へと歩んで行った。
「セリナ!!」
 余はとっさにセリナに呼びかけていた。なぜか、今セリナの顔を見ておかなければ、絶対に後悔するような気がしたのである。
「はいです?」
 でも、セリナは――
 ――振り向く事はなかった……
「……いや、きをつけてな」
「はいです……」
 脱衣所の扉の陰に、セリナが消えていく。
 その身体には、紋様など欠片も浮かんでいなかった……
--続--        

Back
小説インデックスへ