……むかしむかしのお話です……



 精霊界の東のはてに、おおきなおおきな森がありました。

 とても深くて、とてもあたたかくて、そして優しい森でした。

 おいしい木の実もきれいな水もたくさんあって、たくさんの精霊や聖獣たちが、いつも楽しく遊んでいました。

 いじわるな龍たちも、この森には入ってきません。

 なぜなら、この森には1人のおばあさん龍が住んでいたからです。

 とてもとてもおおきくて、とてもとてもきれいな青い龍でした。

 龍の中でもいちばんおおきくて、いちばんきれいで、そしてふしぎなことに、いちばんやさしい龍でした。

 龍といえば、いじわるで、いつもいばっていて、みんなからこわがられているのに、そのおばあさん龍は、やさしくて、いつもニコニコ笑っていて、みんなみんな大好きでした。

 おばあさん龍は、いつもやさしく笑いながら、みんなにおいしいお菓子を作ってあげたり、けがをして泣いている子にふしぎなおまじないをかけて、傷を直してくれるのです。

 みんなみんなおばあさん龍が大好きでした。

 でも、ほかの龍たちはみんなみんなおばあさん龍をこわがっていました。

 なぜならおばあさん龍は、龍の中でもいちばんのお年よりですが、ほかの龍たちをぜんぶ合わせたよりも、ずっとずっと強いからなのです。

 龍たちは、おばあさん龍を『木龍大聖』と呼んでいました。『木龍』とは青い龍のことで、『大聖』とは「せかいでいちばん強くてえらい龍」という意味です。

 いちばん強くてえらくて、そしていちばんやさしいおばあさん龍にまもられて、森のみんなはとてもたのしくくらしていました。


 そんな、ある日のことです。

 おばあさん龍は森のみんなをよんで、とてもたのしいパーティーを開きました。

 蒼月と紅月が北の空にのぼり、黄金太陽が南の空にうかんでいる、とてもとても空がきれいな日でした。

 とってもたのしいパーティーでしたが、最後におばあさん龍がとってもかなしいことをいいました。

 おばあさん龍が、この森からはなれて遠いところにいってしまうというのです。

「そんなのいやだよぅ」

「おばあさんがいなくなったらかなしいよぅ」

 精霊と聖獣たちはみんな泣いてしまいました。おばあさん龍はみんなを優しくなぐさめながら、わたしもかなしい。でも、これはずっとずっと昔からの約束だからしかたがないのだ。と、みんなにいいました。

 みんなとってもかなしかったのですが、約束ではしかたありません。せめて、おばあさん龍がきもちよく森を出られるように、みんなでおばあさん龍のからだをきれいにしてあげることにしました。

 森のみんなが集まって、枯れ麦の穂でおばあさん龍のおおきなからだをいっしょうけんめいみがきます。

 ごしごし ごしごし ごしごし ごしごし

 みんなの目からながれるなみだが、あおいうろこにこぼれおちて、きらきらきらきら光りました……


 そして、空に白銀月がのぼるころには、おばあさん龍は世界でいちばんきれいになったのです。

 おばあさん龍はとてもよろこびました。そして森のみんなにお礼の品をあげることにしました。

 おばあさん龍はとてもふしぎな道具をたくさんもっているのです。

 森のみんなはおおよろこびです。きれいな雨をふらせるつえ、写したものをふやせるかがみ……たくさんのふしぎな道具をみんなでわけあっていると、そのなかから精霊の1人がへんな絵をみつけました。

「うわぁ、神族のおとこだ!!こわいよう!!」

 その絵には神族のおとこの人がかかれていたのです。

 精霊たちはこわがりました。神族は大地をやき、空をよごし、鉄の道具をつかうから、森のみんなはだいきらいなのです。

 でも、おばあさん龍は、それは神族ではない。それは“ちきゅうじんるい”という、ずっと遠いところにいるいきものだといいました。そして、その絵はとてもたいせつな“しゃしん”だから、それだけはあげることがでないといいました。

 精霊は、その“しゃしん”をおばあさん龍にかえしました。おばあさん龍はよろこびました。

 でも、おばあさん龍はその“しゃしん”を見ると、うれしいようなかなしいような、とてもふしぎなかおをしました。

 なぜそんなかおをするのか、森のみんなはだれもわかりません……

 そして、空のいちばん高いところに蒼銀月がうかぶころ、森のみんなはおばあさん龍といっしょに眠りました。

 みんなみんなとてもかなしかったのですが、みんなみんなおばあさん龍とあそんでいたころの、とてもとてもたのしい夢を見たのでした……


 そして、つぎの日の朝、みんなが目をさますと、おばあさん龍はもういなくなっていました。


 それいらい、蒼月と紅月が北の空にのぼり、黄金太陽が南の空にうかぶと、森のみんなはおばあさん龍のことをおもいだして、ぽろぽろぽろぽろと涙を流すようになりました。

 精霊界で、蒼月と紅月が北の空にのぼり、黄金太陽が南の空にうかぶと、かならず雨がふるのはそのためなのです。



……むかしむかしのお話です……


……そう、まだ創造主さまが御健在だったころの、むかしむかしのお話です……










































……約束……だからね……






































セリナの世界最後の平穏な日々






































EPISODE 3. 『三剣 藤一郎と“木龍大聖”樹羅夢姫の場合』






































「とりゃあああああ!!!」

 勇ましくも子供っぽいかけ声が、透明な秋空に軽やかに響き渡った。

 10月――
 緑に黒ずんでいた世界が夕焼け色に変わり、旅人が赤煉瓦の上で枯葉を踏む音に耳を傾ける季節――
 腹黒氏の屋敷の敷地内も、あらゆるものがセピア色の秋の世界に染まっていた。
 名も知れぬ落葉樹から、紅の木の葉が雪のように舞い落ちる。
 誰もがふと立ち止まり、降り注ぐ紅の葉を見上げながら、静かな哀愁を湛えた笑みを浮かべるような光景であった。
 もっとも、彼の者達には、そんな余裕は無さそうだが……

「てぇぇぇぇい!!!」

 見る者全てが惜しみない賛美を送り、ついでに抱きしめたくなるような絶世のロリロリ美少年――魔界大帝クリシュファルスから、触れるもの全てを滅ぼす闇の波動が放たれる。

「浅い」

 狙い違わず迫り来る闇の怒涛を、しかし、ピンク色のメイド服を着た美女は、舞うかの如く軽やかに避けてみせた。
 美しいという以外の評価を下したら、それだけで地獄に落とされそうな美女であった。研ぎ澄まされた水晶の剣を連想させる、氷のような美貌には、人間らしい感情は欠片も浮かんでいないが、不思議と冷たい感じはしない。
 ピンクのメイド服が恐ろしくミスマッチな美女――アコンカグヤは相変わらずの無表情のまま、義手に持つ超重高速振動エストック“ヴェンデッタ”を、一部の隙もなくクリシュファルスに突きつけた。

「うう……」

 それだけで、魔界大帝と呼称される美少年は動けなくなる。針のように細い切っ先がどんどん大きく見えて、アコンカグヤの全身が隠れてしまいそうだ。
 1歩――アコンカグヤが踏みこんだ。
 クリシュファルスは――2歩後退してしまう。
 気圧されている。そう気付いた次の瞬間には、

「えええい!!!」

 クリシュファルスの暗黒のオーラが膨れ上がり、闇の波動の連弾が触手の如くうねくりつつ、恐るべきメイドさんに襲いかかった。

「………」

 無言のままアコンカグヤは得物を振った。指揮棒でも振るような軽い動きだ。

「なっ!?」

 しかしそれだけで、万物を滅ぼす闇の波動は、秋空に溶け込む様に四散してしまったのである。さらに――

「うわぁ!!」

 最後の闇の波動の一筋が、細身の刀身に絡み取られて――次の瞬間、先程の何百倍もの速度で、クリシュファルスの元に舞い戻ったのだ。たまらず身を伏せてかわすものの、慌てて身体を起こした眼前には――

「遅い」

 軽い足払い。小石も動かせないだろう。
 しかし、魔界大帝の小柄な身体は風車のように回転して――

「これで――」

 美しい繊手が顎を捉え、

「終わり」

 雷光の速度で後頭部を大地に叩きつけた。

「……むぎゅぅ」

 目の前で、星々をくるくる回転させてるクリシュファルス。
 ぐにゃぐにゃに歪んだ視界の中でも、喉元に突きつけられた“ヴェンデッタ”は確認できた。

「……ま…まいった……」

 苦渋のうめき声は、ほとんど半泣きであった。
 すっ……と喉元から離れるエストックを呆然と眺めながら、ゆっくりとクリシュファルスは上体を起こした。

「ううう……またまけてしまった……」
「攻め方が単純過ぎる」

 まだ少し刀身に纏わり付いている闇の波動を、音も無く振り落とすアコンカグヤの姿には、勝者の奢りは欠片も見当たらない。それが逆に、魔界大帝の気持ちを沈ませるのだ。

「どんなに強力な攻撃も、当たらなければ意味が無いのよ」
「……それはわかっているのだが……」

 クリシュファルスは溜息をついた。
 あの3ヶ月前のZEXL同士の戦いを眼にして以来、神将元帥の技の冴えに惚れこんだクリシュファルスは、毎日実戦さながらの手ほどきを受けているのだが……こうして触れる事もできずに、ボコボコにされる日々を過ごしているのである。ここまで一方的な敗北が続いていれば、落ち込まない方がおかしいだろう。

「“静水”をきわめし神将元帥に、かとうとおもうことが、はなからむぼうだったのかもしれぬな……」
「そんな考えでは、一生勝てないわ」

 無機的な呟きに、ほんの僅かに含まれた感情の波が、うな垂れる美少年をはっとさせた。
 目線の高さまで身を屈めたアコンカグヤは、クリシュファルスの肩にそっと手を置いた。
 やさしく、そして力強く。

「今の貴方に足りないのは経験よ。焦らずに少しづつ積み重ねていけばいいの。最上の品という物は、常に時間をかけて作られるのだから」
「………」
「“魔界大帝”たる貴方の潜在能力は、四大種族中最高のもの……精進を重ねれば、いずれ世界最強になれる。だから自信を持って」
「……うん」

 ぎこちないウィンクが、魔界大帝の瞳に飛び込んだ。

「――それに、そんな顔をしていると、セリナが心配するわよ」
「そうか……そうであるな」

 よしっ!!とクリシュファルスは下腹に気合を入れた。その顔には晴れやかな笑みが浮かんでいる。

「それならもうひとしょうぶだ!!こんどこそいっぱついれてみせるぞ!!」
「その意気」

 勝気な笑みを浮かべる魔界大帝から、美しい闇の波動が膨れ上がった。
 神将元帥はゆっくりと間合いを離して、ヴェンデッタを一部の隙も無く突きつける。
 静かな秋の涼風が、2人の戦士の間を通り抜けた――


「――ん?」

 2時間後――本日15回目の敗北を喫した後、クリシュファルスはふと西の空を見上げた。
 秋の日が落ちるのは早い。すでに太陽は半ば地平線に隠れて、世界を黄金色に染めていた。

「どうしたの?」
「うむ……ちょっとじげんのきょうしんどうをかんじたのでな」
「私のセンサーには何も反応していないが」
「いや、まちがいない。おそらくなにものかが、いせかいからこのせかいにむだんでしんにゅうしたのであろう」
「……座標を教えてくれないか?」
「ばしょはこのぎんがけいない。じかんは28.7800416びょうまえ。ざひょうは凾W0Σ0AA∴05887Ξだな」

 アコンカグヤの金属製の義耳に、僅かな電子の流れが走る。

「――確かに。異世界からの侵入者の痕跡が僅かに感じられる……しかし、こんな微かな反応をよく感知できたわね」
「まぁ、このていどならな……しかし、こうもたやすくしんにゅうしゃをみのがすとは、しぜんほごくいきのかんししゃはなにをしているのだ!?」
「そのお陰で、私達がここにいられるのだから感謝しなくてはね」
「うむぅ……」
「反応の微弱さから、おそらく侵入者はこの地球人類と同レベルの力しか持っていないと判断する。放置しておいても問題無いと、監視者は処理したのでしょうね」
「それもそうだが……なにかいやなよかんがするのだ」

 ぶつぶつ呟くクリシュファルス君を、相変わらずの無表情で眺めながら、しかしアコンカグヤは別の事を考えていた。

(私のセンサーにも感知できなかった次元振動を、人間形態でありながら感知するなんて……やはりその潜在能力は計り知れない物があるわね)

 彼女はなんとなく嬉しくなった。自分の技量全てを伝える事ができる、優秀な弟子を持った師匠の気分だろう。

(間違い無いわ。クリシュファルス君は悪魔族の頂点だけでなく、四大種族最強の超高位存在になるでしょうね)


 ――残念ながら、この予言は外れる事となった。

 歴代魔界大帝の中でも史上最強と称され、他の四大種族をも圧倒する能力を持ちながらも、“魔界大帝”クリシュファルス=クリシュバルスは、『世界最強』と呼ばれる事は無かった。

 何故ならほぼ同時期に、彼に匹敵する力を持った、もう1人の超高位存在が出現したからである。

 その名は――



※※※※※


「それでは、今日はこの辺で失礼しますね」
「お疲れ様でした……です」

 僕の目の前に、女神様がいる。

「明日は東の丘を少し整理してみようと考えてます」
「それはそれはステキですね」

 頬に片手を当てる独特のポーズが、ホントにたまらなくステキだ。

「じゃ、また明日」
「また明日……です」

 美しい金髪、美しい瞳、美しい鼻、美しい口元、美しいプロポーション、美しい爆乳……
 ……自分の表現力の貧困さに、ちょっと情けなくなってきたなぁ……
 いや、そんな事はどうでもいいんだ。とにかく頭のてっぺんから足のつま先まで、全てがあまりにもスバラシ過ぎる……
 ……くぅ〜!!最高です!!グッドジョブです!!ディ・モールト良いです!!
 セリナさん!!!

「あ、ちょっとお待ちくださいです」

 エプロンの小さなポケットから、とても中に入りそうにない巨大なタッパーを取り出すセリナさん。相変わらず謎な人だけど、ミステリアスな女性って神秘的でイイと僕は思うよ。

「あのぅ……先ほど肉ジャガを作って見たのですが……宜しければ御召し上がり下さい……です」
「ええっ!?い、い、い、いいいい良いんですかぁ!?」
「ええと……ちょっと御夕飯を作り過ぎてしまったので……です」

 あれ?さっきセリナさんが作っていた夕飯はオムライスだったような。
 もしかして……僕のためにわざわざ作ってくれたのかな!?
 うおおおおおおお!!
 ……って、落ち付け僕。妄想しすぎだよ。

「いいいいいいいただきますっすっすっす!!!」

 ほとんど奪い取るように、タッパーを受け取った瞬間――セリナさんの人類至上最も美しい(僕基準)指先が、僕の手に触れて……

(うわっ!!)

 思わず手を引っ込めてしまった。
 ええい!!なんて勿体無い……もとい、なに照れているんだ僕は!?もう三十路も間近だというのに……

 ぽろっ

「あっ!!」

 しまったぁ!!はずみでタッパーを落としちゃったぁ!!セリナさんの手料理がぁぁぁぁ!!!

 ひょいっ

 あれ?
 いつのまにか身を屈めていたセリナさんの膝の上に、すとんとタッパーが落ちて、そのままぽーんと上に跳ね上がった。頭、肩、再び膝の上と、リフティングの要領でタッパーがセリナさんの身体を移動して……

「はいです。今度は落とさないでくださいね……です」

 最後に、あの偉大な乳の上に乗ったタッパーを、僕は無言で受け取った。
 ……本当に、謎が多い人だなぁ……



「いやぁ……今日はラッキーだったなぁ」

 ちょっと危ない人みたいに、思わず独り言が洩れてしまう。アパートへ帰る足取りは、意識しなくても軽やかだった。
 セリナさんの手料理を食べられるなんて、本当に久しぶりだよ。
 いや、クリ君が来てからは、毎日お昼は手料理を御馳走になっていたんだけど、夏にアンコさんが来て以来、お昼は彼女の担当になってしまって、しばらくセリナさんの超極上料理からは遠ざかっていたからなぁ。
 ちなみに、アンコさんの料理については……ノーコメント。ただ、今日の焼きうどん(としか形容できない)はとても歯応えがあって、噛筋力を鍛えるのに使えそうだった。どう考えても人類には消化吸収できない物体も、2・3個トッピングされてたし。

「〜〜♪〜〜♪〜〜〜♪」

 自然に鼻歌が出てしまう。
 星が綺麗だった。
 10月の夜はけっこう肌冷えするんだけど、上機嫌な僕には全然気にならない。
 今の僕は……きっと幸せなんだろう。
 今年の春先までの僕は、アカシアの枝を切り落としながら、窓に写るセリナさんの影を眺めるだけの人間だった。
 単なる庭師である僕には、屋敷付けのメイドである彼女と接触できる機会は皆無だったんだ。
 ただ、腹黒氏の黒い噂を何度も聞いて、実際に何人かのメイドさんが全裸で木に吊るされている光景を目撃したりすると、セリナさんがどんな境遇で生活しているのかは容易に想像できた。
 僕も何もしなかった訳じゃない。しかし、どんなに歯痒い思いをしても、一介の使用人風情には何もできないのが現実だった。
 でも、あの男の子が来てから全てが変わった。
 人が変わったように“いい人”になった腹黒氏。同時に屋敷で働いていたメイドさんや使用人達は次々と辞めていった。まぁ、ほとんどの人達は、腹黒氏から脅迫まがいの理由で無理矢理働かされていたみたいだし、それについての多額の賠償金を受け取れば、もうここにいる必要は無いというのは理解できるけど……
 残った者は、別に無理矢理働かされていた訳ではなかった僕と――セリナさんだけだった。
 セリナさんがあの屋敷に残った理由は……今でもさっぱりわからない。
 まぁ、とにかくそれ以来、僕はセリナさんと急接近――単に身近な人になっただけだけど――できた訳なんだ。
 辞めた人の分まで、仕事をするハメになったのは大変だけど、セリナさんの側にいられるなら全然OKだ!!
 今はまだ、僕はセリナさんにとって、友達程度にしか思われていないだろうけど……いつかステディと呼ばれる関係になってみせるぜ!!

「待っていてね〜!!セリナさ〜ん!!!」
「うるせー!!今何時だと思ってんだぁ!!」
「すみませ〜ん」

 いけないいけない、すぐ浮かれるのは僕の悪い癖だよ。
 ……それに、僕がセリナさんと結ばれるなんて、絶対に有り得ない事じゃないか。
 “あれ”がある限りは……

「……なんか落ちこんできちゃったなぁ」

 どんよりとした気分を振り払うために、僕はなんとなく夜空を見上げた。

 ――もしかして、この時に空を見上げなければ、あんな事にはならなかったかもしれない――

 秋の夜空は綺麗だった。見ているだけで吸い込まれそうだ。
 あまりに美しいものを見続けていると、魂を奪われるって何処かで聞いたけど……なんとなく理解できる気がするなぁ……
 その時――青い光が、黒い空を横切った。
 流れ星だ。
 おっと、願い事を言わないと……ええと、3回言うんだっけ?

「セリナさんとラブラブになれますように」
「セリナさんとラブラブになれますように」
「セリナさんとラブラブ――」

 ん?
 変だ……流れ星って1秒ぐらいで消えちゃう筈なのに、まだ夜空に留まっているんだけど……っていうか、どんどん大きくなってくるような……

「まさか……これはお約束パターンの……」

 ゴゴゴゴゴゴ……

 青い流れ星はみるみる大きくなって……って、やっぱりこっちに落ちて来るぅ!!!

「うのわぁああ!!!」

 自分でも情けないと思う悲鳴を上げて、もはや視界いっぱいにまで巨大化した青い光から目を逸らしながら、僕は慌てて身を伏せようと――

「きゃああああああん!!」

 へ?
 絹を裂くような悲鳴に、僕は思わず顔を上げた。
 そして僕は――青い光と『目が合った』んだ。
 
「助けてぇぇぇぇぇ!!」

 流れ星の正体は――女の子だった。
 遥かな天の高みから落下して来る女の子――その光景のシュールさを感じる事も無く、猛スピードで女の子は僕に迫り来る――!!

「止めてぇぇぇぇぇ!!」

 聞くまでも無い。女の子の大ピンチだ。僕は両手を広げて女の子を受け止めようと――
 ――しないで、素早く身を伏せた。

「――え?」

 いや、危ないし。

 どごおおおおおおん!!!

 頭をかすめて落下した少女は、僕の背後で近所迷惑な大音響を轟かせた……
 恐る恐る後ろを振り返る。
 女の子は――どこにもいなかった。
 目の前に広がるのは、半壊した道路と、赤い絵の具を叩きつけたような、扇状のシミ……

「ありゃあ……」

 さすがに溜息が出る。
 あの赤いシミが、女の子のなれの果てなんだろうなぁ……迷わず成仏してくださいね。
 両手を擦り合わせて拝みながら、僕はこの異常な状況をどうしようかと考えていた。
 でも――本当に“異常”な状況が起こったのは、次の瞬間だったんだ。
 風も無いのに、赤いシミの表面が波立った。
 ぶつぶつと、沸騰するように脈動していく。
 やがて赤いシミは、意思があるかの様に中心に集まり始めた。
 ス、スライム!?
 1箇所に集合した赤いシミ――というより赤いスライムは、直立するように上に伸びて――あるシルエットを形成した。
 直立した人間だよ……この形は……
 徐々に輪郭がはっきりしていく。どういう原理なのか、ちゃんと服まで着ている。
 そして、赤い人影にテクスチャーを貼るみたいに、一瞬に色がついて――
 『彼女』は完成したんだ……
 綺麗な女の子だった。可愛いよりも綺麗と表現したくなる。年は14・5歳ぐらいかな?
 目が覚める様に鮮やかな、青く輝く髪が印象的だなぁ。肩口で斜めに切り揃えられているけど、ああいう髪型って何て言うんだろう?
 服は原色を多用した派手派手な着物。ただし和服じゃなくて、昔の中国のお姫様が着るみたいな感じだ。その辺の知識は無いから、詳しくはしらないけど……
 ちょっと時代錯誤な雰囲気だけど、全体的にはかなりの美少女だって言えるんじゃないかな?
 ただし――長くて先の尖ったエルフ耳に、青髪の間から伸びる牡鹿みたいな角……そして何よりも30cmぐらいしかない身長が、彼女が人外の存在である事を示していた……
 僕は呆然とした。当然だろ?
 何度か幽霊を見たり、下級魔族に遭遇した事はあるけど、それは僕ぐらいの年齢なら誰でも体験する事だ。でも、こんなにはっきりと『人外さん』に接触したのは生まれて始めてだよ。
 あ、クリ君やアンコさんは人外さんだった……でも、あの人達は魔物って感じが全然しないからなぁ。翼生えてるけど。
 で、くだんの女の子は、目を閉じたまま身動き1つしない。
(もしかして、実は単なる人形?)
 と、思った矢先――

「ふわわ……もうダメ……」

 ぱたん

 ちょっと色っぽい呻き声を上げて――その場に倒れちゃった。
 って、ありゃりゃ〜!!大変だ!!……今更って気もするけど。
 僕は彼女を抱きかかえた。簡単に片手の中に収まっちゃう。本当に人形みたいだ。
 外傷は見当たらないけど、完全に気絶している。

「……さて、これからどうしよう……」

 僕は天を仰いだ。
 星は無責任なまでに綺麗だった。


 ……そして、これが僕――“三剣 籐一郎(みつるぎ とういちろう)”にとっての『平凡の終わり』だったんだ……







「――さて、これからどうしよう……」

 築10年、1K、家賃月5万円……防音構造がしっかりしているだけが取柄の、我が家(アパートだけど)に帰宅した僕は、作業着も兼ねたジャンパーを床に投げ捨てて、深い溜息を吐いた。
 あの女の子は――僕の万年敷センベイ布団の上で、スヤスヤと寝息を洩らしている。
 あ〜あ、結局連れてきちゃったよ。
 だって、あのまま放っておく訳にもいかないだろう?
 ……それに、前に読んだ本に

 『異世界から来た謎の美少女とひょんな事から知り合って、そのままラブラブドタバタ同棲生活!!これぞ男のロマーン!!!』

 って書いてあったし。こんな場合は、家に連れて行くのがお約束なんだって。
 でも、僕はセリナさんにオーマイハニートレメンタリーフォーエバーだから、別に異世界の美少女とラブラブになろうとは思わないし、静かで平凡な生活を送りたいから、ドタバタ同棲生活もイヤだなぁ。男のロマーンにもあまり興味無いし。

「とにかく、明日セリナさん達に相談してみようか……」

 あそこには人外さんが2人もいるし、セリナさんに相談すると、なんとなくすぐに解決しそうな気がする。これも彼女の人徳かな?
 そんな事を考えながら、仕事道具を棚の上に片付けていると――

「……うぅん……あぁ…」

 鈴の鳴るような呻き声に、僕ははっとして万年敷センベイ布団の上に振り向いた。
 女の子は――目覚めていた。
 上体を起こした姿勢のまま、ぽーっとした表情で、部屋の中をキョロキョロ見回している。
 しかし……こうして改めて……動いている姿を見てみると……
 『かなり』どころか……超ウルトラスーパーミラクルスペシャルアンビリーバボーな美少女じゃないか……仕事場でセリナさんやアンコさんやクリ君を見てきて、美女には慣れていたつもりだけど……この子は彼女達に十分匹敵するよ……
 ……はっ!?
 気が付くと、彼女を僕のことをぼーっと見つめていた。
 僕の平々凡々な顔のどこが面白いのか、瞬きもせずに凝視している。
 ちょっと吊り目気味で、勝気そうな顔立ちなんだけど、全体的には捨てられた子猫みたいな、どこか儚げな雰囲気の子だ。
 そ、そんな瞳で見つめないでほしいなぁ……なんだか変な気持ちになっちゃうよ。僕はセリナさん一筋なのに……
 ……でも、次の瞬間には――

「な、なんぢゃ?この汚らしい部屋はぁ!?」
「……へ?」

 いきなりの暴言に、僕は唖然とするしかなかった。

「わらわを斯様な薄汚い部屋に寝かし付けるとは、無礼にも程があるのぢゃ!!」
「は、はぁ……すみません」

 今や彼女は万年敷センベイ布団に仁王立ちして、腕を組みながら僕を見上げている。身長30cm足らずの美少女の、なんだかよくわからない異様な迫力に、僕は完全に気押されていた。

「そういえば……あーっ!!お主はさっきわらわの降臨を避けたであろう!!思い出したのぢゃ!!」
「え〜と、それって君が落ちてきた時の事?そんな事もあったような無かったような……」
「ものすごく痛かったのぢゃ!!それにあそこまでバラバラになると、再生するのも大変なのぢゃぞ!!!」
「あの〜、何だかよくわからないけど、ごめんなさい……」
「身を呈して庇わんか!!」
「いや、危なかったから」
「神族ごときが、己が命を厭うなど1億年早いのぢゃ!!」
「いや僕、神族じゃないし」
「ぢゃ?神族じゃない?……馬鹿を言うでない!!その毛の無いサルみたいな姿は、神族以外に有り得ないのぢゃ!!」
「神族って……アンコさんの事だったかな?」
「ふん、己自身の事も理解できぬとは……ついに神族も鬼族並みの知能に退化したようぢゃな」

 え〜と、さっきから何を言っているのか意味不明なんだけどなぁ……
 頭の中が真っ白な僕をよそに、一方的に捲し立てると、彼女は改めて部屋を見回して、

「しかし……本当に薄汚い部屋ぢゃなぁ」

 心底呆れかえったみたいな溜息を吐かれてしまった。
 トホホ……でも、あまり否定はできないなぁ。
 床は脱いだ服やら雑誌やらで、ちょっとした地層テイストだし……最後に部屋を掃除したの何年前だっけ?

「フン、道具に頼らねば何もできない、神族らしい部屋ぢゃ」

 庭師が道具に頼るなって言われてもなぁ……

「まあよいわ、さっさとわらわを神族最高評議会へ案内するのぢゃ。そこの……ええと……」
「僕の名前は“三剣 藤一郎”だよ。知り合いからは『ミツさん』って呼ばれているんだ」
「誰が勝手に名乗れと言ったのぢゃ!!無礼者が!!」
「はぁ……で、今度は君の名前を教えてくれないかなぁ?」
「わ、わらわの名前ぢゃと……ふざけるなぁ!!!」

 うわ、いきなり怒鳴られちゃったよ。
 彼女は顔を真っ赤にして怒っている。

「たかが神族如きが、わらわの尊名を尋ねられると思うたかぁ!!無礼者がぁ!!!」
「はぁ……じゃあ、権兵衛さん……あのね、僕は――」
「ちょ、ちょっと待つのぢゃ!!」
「は?何かな、権兵衛さん……」
「その“権兵衛さん”とはなんなのぢゃ!!わらわをそんな変な名前で呼ぶでないのぢゃ!!」
「いや、昔から名前を名乗らない人は、『名無しの権兵衛』って言うらしいし……昔読んだ本に書いてあったよ」
「と、とにかくそんな名前でわらわを呼ぶのは止めるのぢゃ!!イメージに合わないのぢゃ!!」
「それなら、君の名前を教えてくれないかなぁ?」

 権兵衛さん(仮名)は、顔を真っ赤にしたり真っ青にしたりして、身体をぶるぶる振るわせている。見ていて飽きないなぁ。

「……本来ならば、お主のような下賎の者には名乗るのも屈辱なのぢゃが、今回だけは特別に教えてやるのぢゃ……平身低頭して拝聴するがよい!!!」
「はいはい」

 僕は彼女の目線の高さにしゃがみこんだ。僕が女の子ならば、人形を愛でる少女に見えたかもしれない。自分ではとても想像できないけど。
 彼女は僕を睨んだ後、大きく深呼吸して――

「森羅万象なる世界法則を司りし、悠久にして無限なる精霊界の真なる支配者……偉大なる木龍族が長“樹羅牙王”が第1皇女……尊姓は“樹羅”、尊字は“夢”!!『樹羅夢姫(じゅらむ ひめ)』と呼ぶがよい!!」

 一気に言い切って、額の汗を拭う樹羅夢ちゃん。
 よく息が続くなぁ。

「はい、水」
「あ、ありがと……ごくごく……ぶはぁ!!げほっ!!ごほっ!!」
「ほらほら、慌てて飲むからだよ……コップが大きすぎたかなぁ?」
「こほっこほっ……ちょ、ちょっと待つのぢゃ。一体何処からコップを取り出したのぢゃ?」
「庭師さん48の殺人技の1つ“疲れた時には、いつでも1杯”だよ」
「なんぢゃそれは……」

 で、話を戻して――

「あのね、僕は本当に神族じゃないんだけど」
「ぢゃ!?」
「僕はごく普通の平凡な地球人類で、樹羅夢ちゃんが言う“神族”とは全然違うんだけどなぁ……」
「そ、そんな筈はないのぢゃ……」

 樹羅夢ちゃんは着物の袖の部分から変な道具を取り出した。小さいからよくわからないけど、あれは鏡かな?
 なんだか変な言葉をぶつぶつ呟きながら、樹羅夢ちゃんは鏡をナデナデしている。
 やがて、急にその動きが止まると――

「ぢゃ〜〜〜!!!」

 ちょっと紙一重な悲鳴を上げた。

「こここここここ」
「こここここここ?」
「こここここここは自然保護区域の地球ではないかぁ!!!」
「その自然保護区域って何の事かよくわからないけど……まぁ、ここは間違いなく地球だよ」
「あ…あ……あんなに苦労してここまで来たのに……」

 ちょっと心配になるぐらいに、彼女の身体がぷるぷる震え始めた。

「大丈夫?」
「ぢゃぢゃぢゃ〜〜〜〜〜!!!!!」

 大屋さんに怒られかねない、盛大な悲鳴を上げて――

「きゅぅ〜〜〜」

 樹羅夢ちゃんは――気絶しちゃった……

「………」

 僕は無言でベランダに向かい、立て付けの悪い窓を開けた。
 身を切るような冷風と共に、星々の輝きが飛び込んでくる。
 綺麗だなぁ……
 もちろん、これは現実逃避だよ……
 いきなりこんなわけのわからない状況に投げ込まれて、他に何すればいいんだろう?



……そして、これが僕――“三剣 籐一郎”にとっての『終わりの始まり』だったんだ……

TO BE CONTINUED

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