〜〜逃スポ(逃走スポーツ新聞)〜〜
西暦200X年 10月○日
号外

『首都消失!!』
『東京首都圏完全閉鎖の実態』
『15年前の悲劇の再現か!?』

 ……国会議事堂を中心とした半径30kmの地域が、謎の『SSSクラス外的干渉排除型結界』によって完全に閉鎖された事に対して、京都の臨時政府は特S級非常緊急事態宣言を発令。IMSOを中心とした魔導先進各国に協力を依頼したもよう。尚、特S級非常緊急事態によって首都が閉鎖されたのは、15年前の『死天事件』以来の事であり、今回の被害もそれに匹敵するものと推測され……



 ……やれやれ、東京の方はとんでもない事になってるみたいだなぁ……でも、超常現象や魔法関係の事件じゃあ、ボランティアのしようもないし……義援金でも送ろうか?
 駅前で配られていた号外に目を通しながら、僕は仕事先に足を運んでいた。
 透明な朝日が僕の顔を照らしている。風は弱めで空気の湿り気も丁度いい。今日も絶好の仕事日和だね。
 でも、今回は仕事だけじゃ済まないだろうなぁ……

「はぁ……」
「何を辛気臭い溜息をついているのぢゃ」

 僕の頭の上で女あぐらをかいてるのは、身長30cmの中華的龍娘――樹羅夢姫だ。
 トホホ……物理的な意味で尻に敷かれちゃったよ……
 でも、なんとなく……僕は安堵していた。
 昨夜の出来事もあったから、ちょっと彼女の事が心配だったんだけど、朝になったらもう普段の樹羅夢姫に戻っていた。取り越し苦労だったかな?
 朝からキャットフードを――例のポーズで――5缶も食べて、とっとと亡命の相談に行くのぢゃ、と、僕を蹴飛ばす樹羅夢姫……昨夜、彼女の扱いに悩んだ自分がバカみたいに思えるよ……

「そういえば、おぬしの仕事は何なのぢゃ?」
「庭師だよ」
「にわし?なんぢゃそれは?」
「ええと……雑草や余分な木の枝を駆除したり、花壇や植木の手入れをしたり……まぁ、色々だよ」

 考えてみれば、庭師の具体的な仕事の定義って、無いような気も……

「そんな事をして、何の意味があるのぢゃ?」
「う〜〜〜ん……ある意味、実用性よりも雇い主の趣味趣向の問題だからなぁ、この仕事内容は……あまり深い意味は無いんじゃないかな?」

 全国の同業者さん、無茶苦茶な説明でごめんなさい。

「いいかげんなのぢゃ……やはり愚かで矮小な地球人類の仕事ぢゃな!!」
「はいはい」

 いい加減、彼女の悪口にも慣れてきたよ。パターンも同じだし――

 ぐいっ!!

 ぐわっ!!いきなり髪の毛を引っ張られた!!

「い、痛いよ樹羅夢姫――」
「あれは何なのぢゃ?」
「……あのねぇ、人を呼ぶならちゃんと声で呼んでよ――あれはジュースの自動販売機だよ」
「じゅうすのじどうはんばいき?……それって美味しいのか?ぢゃ?」
「……中身は結構おいしいよ」
「おお、それはよい!!さっそく用意するがいいのぢゃ!!」
「お金が無いからダメ。今は給料日前でキツいんだから。節約しなきゃ……」
「ぢゃ?なぜ『じゅうすのじどうはんばいき』を用意するのにお金が必要なのぢゃ?」
「だって、僕の所有物じゃないんだから、購入するにはお金を払わなきゃ」
「おぬしの身体の一部ではないのだから、おぬしの物ではないのは当たり前なのぢゃ……ぢゃが、それと『じゅうすのじどうはんばいき』を用意できない事に、何の関係があるのぢゃ?」
「いや、だから――」

 あれこれ話を聞いてみたところ、どうやら彼女の、いや龍族の社会には『個人の所有物』とか『所有権』という概念が存在しないそうだ。ただ、これは『みんなで分け合いましょう』という考えじゃなくって、『お前の物は俺の物。俺の物も俺の物』というジャイアニズムを皆が実行しているだけらしい。聞いた以上にとんでもない種族だなぁ……
 でも、そう考えると樹羅夢姫のわがままも、少しは納得ができるかも――

 ぐいいっ!!

 ぐわわっ!!

「あれは何なのぢゃ?」
「だ〜か〜ら〜!!髪の毛を引っ張らないで――!!」



※※※※※



「ここが僕の仕事場である、腹黒氏のお屋敷だよ。大きなお屋敷だろう?」
「チンケなボロ小屋ぢゃな」
「…………」

 数十分後、一日の毛髪再生量の軽く3倍の髪の毛を抜かれた僕は、ようやく頭の樹羅夢姫と共に仕事先に到着した。あれこれ質問されまくったおかげで、倍以上の時間がかかっちゃったよ……

「ここに亡命の仲介をする神族がおるのぢゃな?」
「うん……でも、まずは腹黒さんに挨拶に行かないと」

 といっても、最近は仕事で忙しいみたいだから、代理のセリナさんに挨拶に行くんだけどね。
 ……そう!!
 今日もまたセリナさんに会えるッ!!!
 ああっ!!セリナさん!!あなたの事を思うだけで、僕の心臓は爆発して即死なんです!!!

「……あ、ミツさんおはようございます……です」
「んむぅ?……誰ぢゃ?この女は」

 あなたの美しすぎるタレ目に見つめられるだけで、僕の心臓は爆発して即死なんです!!!

「今日もお勤めご苦労様です」
「神族の“めいど”みたいな格好ぢゃな……こやつが仲介人なのか?」

 あなたの艶やかすぎるブロンドお下げがなびくだけで、僕の心臓は爆発して即死なんです!!!

「あら?ミツさんの頭の上のお方は……どちら様でしょうか?です?」
「無礼者め!!下等な地球人類の分際で、この龍族第一皇女に尊名を尋ねるとは何事ぢゃ!!」
「申し訳ありませんです。権兵衛様……です」
「そうぢゃ!!そうやって地に頭を擦り付けるがよい――って、わらわは権兵衛じゃないのぢゃあ!!!」

 あなたのオットリとした美声が耳をくすぐるだけで、僕の心臓は爆発して即死なんです!!!

「ええと……私はおバカなのでよくわかりませんが、名前のわからない方は『名無しの権兵衛さん』って言うと記憶しております……です」
「きさまもそのぱたーんかぁ!!わらわは権兵衛じゃないのぢゃ!!!」
「私はセリナ……セリナが私の名前です。宜しければ、お名前を拝聴させて貰えませんか?です?」
「ふん……よろしい。特別大さーびすで、わらわの尊名を教えてやるのぢゃ。心して聞くがよい……藤一郎よ。このトロそうな地球人類に教えてやるのぢゃ」

 あなたの豊満すぎるムネが揺れるだけで、僕の心臓は爆発して即死なんです!!!

「……ぢゃ?どうしたのぢゃ藤一郎!!何をぼ〜っとしておる!!」
「あのぅ……ミツさん?です?」

 あなたの――

 ぶちぶちぃ!!!

 うぐわあああああ!!!

「い、い、痛すぎるよ樹羅夢姫!!いきなり何をするんだい!?」
「何を呆けておるのぢゃ!!さっさとその女にわらわの尊名を教えてやるのぢゃ!!」
「急にわけのわからない事を言われても……って!!せせせせせせせ――」
「せっせっせ〜の♪です?」
「よいよいよい……じゃなくってぇ!!せせせセリナさん何時の間にぃ!?」
「先程から、ずっとここにいましたが……です」

 セリナさんは、頬に片手を当てる例のポーズで、にっこりと微笑んでくれた。
 ぽやや〜〜〜ん……
 ううう……やっぱり最高です!!セリナさん!!!
 ……じゃなくて……僕はまた白昼夢に浸っていたわけか……ううう、今後は妄想は控えよう。

「え、ええと……樹羅夢姫の名前ですね?……コホン、紹介します。僕の頭の上にいるのは――」
「……もう、言っておるぞ」
「あ……と、とにかく!!彼女の名前は“樹羅夢姫”です」
「じ、じゃ、じゅ、じょ?……です?」
「彼女の名前は樹羅夢姫です」
「じゅ?寿?じゅん?……宝焼酎?ですです??」
「彼女の名前は樹羅夢姫です」
「じゅ?じゃん?焼肉のタレ……しゅらしゅしゅしゅ???」
「彼女の名前は樹羅夢姫です」
「じゅ?じゃ?じゃぎ?……俺の名前を言ってみろ〜〜です???」

 ああ……ボケ続けるセリナさんも可愛いなぁ……

 ぶぢぶぢぶぢぶぢっ!!!

 あんぎゃああああああああ!!!

「いつまでボケておるのぢゃ!!!」
「うぐおおおおお……な、なぜ僕の髪を……」
「ミツさん……大丈夫ですか?」

 頭を押さえてうずくまる僕に、心配そうな声をかけてくれるセリナさん……あ、ありがとうございます。
 ……でも、そろそろボケは止めてもらえないでしょうか?このままでは三十路前にして、ザビエルハゲになってしまうので……

「あのう……大変申し訳ありませんが、私はおバカなので、あまり難しい名前は覚えきれないのです」
「どこが難しい名前なのぢゃ!!」
「ここは一つ、“ジャム姫”という事にしては頂けないでしょうか?……です」
「いいですよ」
「ぢゃ!?」
「ありがとうございますです!!……甘くてフルーティで、とっても美味しそうな名前だと思いますです♪」
「なんぢゃそのヘンチクリンな名前はぁ!!勝手にわらわの名前を変えるとは何事ぢゃ――」
「何を言うんだ樹羅夢――じゃなくてジャム姫!!!」

 僕は自分の頭に拳を叩きつけた。
 ジャム姫の身体が、びくん!!と飛び上がる。

「……ミツさん、本当に大丈夫ですか?」
「うぐおおおおお……」

 再び頭を押さえてうずくまる僕に、心配そうな声をかけてくれるセリナさん……ほ、ホントにありがとうございます。

「と、とにかく……セリナさんに愛のニックネームを授けられるのは、究極無敵銀河最強に名誉でハッピーラッキー明日に届〜け!!な事なんだよ!!」
「まぁ、そうだったのですか」
「“ジャム姫”なんて渾名を付けられる事に、どこに名誉があるのぢゃ!!」
「だいたい、『樹羅夢姫』って一々書くのはけっこう大変なんだよ」
「辞書登録すればイイと思います……です」
「あ、そうか」
「何を意味不明な事を言っておる!!とにかく“ジャム姫”なんてヘンチクリンな渾名は却下なのぢゃ!!」

 う〜ん、困ったなぁ……ジャム姫の気持ちもわかるけど、セリナさんは『樹羅夢姫』なんて複雑な名前を覚えられないだろうし……あ、そうだ。

「いや、木龍族の第一皇女なんて恐れ多い方の尊名を、僕やセリナさんみたいな地球人類ごときが口にできないよ。だから、ジャム姫で勘弁してくれないかな?」

 ジャム姫が、頭の上で固まっているのがなんとなくわかる気がする。

「……まぁ、確かにお主の言う通りなのじゃ。よろしい、その渾名でわらわを呼ぶ事を許してつかわす」

 ほっ……単純な人――もとい、龍でよかった。

「それにしても、何なのじゃ?あのデカ乳女は。乳の分だけ脳に栄養が回ってないようぢゃな」

 乳に関しては、君も人のことは言えないと思うよ……

「彼女の名前はセリナさんだよ。このお屋敷で働いてるメイドさんなんだ」
「よろしくお願いします。ジャム姫さん……です」
「……フン」

 うむむ……なぜかジャム姫が不機嫌みたいだなぁ……どうしたんだろう?
 まぁ、とりあえず用件をさっさと済ませちゃおうか。

「ええと、昨日話した件なのですが……」
「はいです。承っておりますです。こちらへどうぞ……です」

 僕とジャム姫はセリナさんに案内されて、屋敷の奥に向かった。
 どれくらいの価値があるのかもわからない、とにかく高価そうな調度品が並ぶ廊下を進んでいく。屋敷の中心部分らしく、日の光もあまり届かない。薄暗くてどこか神秘的な雰囲気だ。この辺は、長年働いている僕も、ほとんど足を踏み入れたことが無いよ……確か、腹黒氏が商談などに使う部屋があるそうだけど……
 高そうな黒檀の扉の前で、セリナさんは立ち止まった。

「この中で、クリさんとアンコさんがお待ちしてますです」
「どうもありがとうございます」
「私は、お茶の準備をしますね。それでは失礼しますです」

 頭が床に届くくらい深々とお辞儀をして、セリナさんはニコニコと台所に行ってしまった。
 はぁ……もっと2人っきりの時間を過ごしたかったなぁ……

 ぐいいいい!!!

 んぐわっ!!

「何をデレデレしておるのじゃ!!」
「……へ?」
「まったく……頬が緩んでおるぞ。あんなウシ乳女の色香に惑わされおって……情けないのぢゃ!!」
「もしかして、ジャム姫……妬いてるのかな?」
「それはないのぢゃ」

 トホホ……いくら冗談だからって、そこまできっぱりと断言はしなくても……

「そんな事よりも、さっさと部屋の中に入るのぢゃ」
「はいはい」

 扉を軽くノックして、僕が来た事を伝えると、

「どうぞ」

 無機的なアンコさんの声と同時に、黒檀の扉は重々しく開かれた……

 ――今にして思えば、この扉が開かれなければ、あんな事にはならなかったのかもしれない――

 部屋はこざっぱりとした洋室だった。樫の円卓が中央にあって、ちょっとした会議室といった雰囲気だ。ふかふかの絨毯を足裏に感じながら、中に踏み入ると、

「よくぞまいられた」

 円卓の向かい側で、クリ君が迎えてくれた。傍にはアンコさんが佇んでいる。
 クリ君は、豪奢な飾りのついた真っ黒なローブを着ていた。普段の活動的でお姉さん感涙な半ズボンじゃない……アンコさんも、ピンクなメイド服じゃなくて、無骨な軍服みたいなスーツを着ている。どちらも重々しくて威圧感を感じさせる格好だ。
 ……後で聞いた話によると、このクリ君の衣装は、悪魔族の王様としての最高のもてなしを意味する儀礼服(のレプリカ。セリナさんが作ったらしい。器用な人だなぁ……)なんだって。アンコさんのも、(元)軍人としての正装らしい。2人とも、きちんとした儀礼でジャム姫を迎えようとしてくれたんだね。
 なんとなく、部屋の空気が重い気がする……どこか荘厳な雰囲気もするけど……
 クリ君は椅子から降りると、腕を胸の前で交差させて、両肩の前で手を広げるという奇妙なポーズを取った。なにか儀礼的な意味があるのかな?

「――森羅なる数多の光魂を把ね、黎明と悠久を渉る回天なる命の超越者……無限なる刻を渡り、絶対なる法を超え、真清水の如き涌き出る生命の支配者たる、偉大なる龍族が麗一、木龍族が王、樹羅牙王が一子にして第一位王位継承者、樹羅夢姫と拝するが……如何に?」

 普段のロリショタな声とはかけ離れた、すごく壮麗で真面目な口調で、クリ君は朗々と意味不明な台詞を述べた。後で聞いてみたら『チミはとってもエライ龍族の樹羅夢姫だと思うけど、そうなの?』って意味らしい。思った通り、儀礼的な呼びかけだそうだ。
 頭の上で、ジャム姫が何やら動く気配がした。

「――深淵なる闇を参じ、絶対なる天命を御せし裁定者……永遠の欲望を排し、崩落と開闢の断絶を繋ぎ、如何な虚空にも在りし則法の支配者たる、偉大なる悪魔族が雄一、魔界大帝が275307の皇子、クリシュファルス=クリシュバルスと拝するが……如何か?」

 ジャム姫も、身が引き締まるぐらい真剣な口調で口上を述べる。これも『アンタ、すっごくリッパな悪魔族のクリシュファルスだと思うけど、合ってる?』という意味だって。

「然り」
「是なり」

 数秒間の沈黙が流れた後、アンコさんが、

「ここに宣誓する。如何な情も儀も算も無く、両者の責を妨げる事象を許さず」

 淡々と述べ終わると、クリ君がふぅっと肩の力を抜いて、頭の上でも溜息が聞こえた。
 同時に、部屋の中の空気が急に軽くなった気がする。重苦しい儀礼的な事は終わったみたいだ。

「さて、小難しい儀礼事はこれくらいにして、話を進めるのぢゃ……こら、藤一郎よ、わらわをそこに降ろすのぢゃ」
「はいはい」

 円卓の上にジャム姫を乗せると、トコトコとクリ君の前に近づいて、

「お主が噂の魔界大帝か……ずいぶんとチンチクリンぢゃな」

 あわわわ……初対面の相手に、いきなり何てこと言うんだい……
 案の定、一瞬呆然として、

「……そちにひとのことがいえるか」

 こめかみをヒクヒクさせているクリ君……なんだか、早くも険悪な空気なんですけど。

「お主が今回の“裁定役”じゃな。ボケっとしてないで、さっさと亡命仲介役の神族に会わせるのぢゃ」
(……ぴくぴく……)

 今度はさっきと違う意味で、場の空気が重くなってきたような……

「……ちゅうかいやくの神族なら、もうめのまえにおるぞ」
「ぢゃ!?」
「神族は私です。樹羅夢姫」

 アンコさんは、相変わらずのポーカーフェイスだ。

「……お、お主が餡子神楽とかいう神族なのか?」
「アコンカグヤです」
「わ、わかっておるのぢゃ」
「……さっき、『降合の儀』のちゅうかいをしていたではないか。神族だときづかなかったのか?」
「ううう五月蝿いのぢゃ!!このチンチクリン!!!」
「だれがちんちくりんかぁ!!!」

 すっ……

 今にも噛み付かんばかりに顔を突き合わせる2人の間に、アンコさんのサイバーな手が差し伸ばされた。それだけで、ぴしりと空気が張詰める。

「…………」
「…………」

 たちまち2人は大人しくなった。う〜ん、さすがはアンコさん。迫力が違うなぁ……

「今後の話は私が承ります。クリシュファルス君は仲介役に徹して」
「り、りょうかいした」
「わ、わかったのぢゃ」

 ほっ……アンコさんがいれば、なんとかこの場は収まるみたいだね。
 それじゃあ……

「それじゃあ、僕は仕事に行くよ。話が終わったら呼んでね」
「御苦労様」
「しょうちした」
「ふん……せいぜい頑張るのぢゃ」

 なんとなく、部外者がいちゃいけないような雰囲気なので、僕はさっさとあの場から退散した。
 考えてみれば、四大種族(だったっけ?)の王様とお姫様の国際的?な会談なんだよね。僕が考える以上に、世界にとって重要な意味を持つ話し合いなのかもしれないなぁ……
 玄関先で作業靴を履きながら、僕はそんな事を考えていた。
 ……でも、一般的なごく普通の地球人類とかいう存在である僕にとっては、なんの関係も無い話なんだろうなぁ……別にデカイ事をしたいわけじゃないけど、なんだか少し仲間外れになったような気分だよ……
 自分が何の取り柄も無い、単なる一市民である事を思い知らされながら、僕は庭園に向かった……
 ……あ、セリナさんのお茶を飲み損ねちゃった!!!


 1時間後……


 チョッキンチョッキンチョッキンナ〜♪
 くらえ!!庭師さん48の殺人技の一つ!!『○斗百烈枝切り鋏!!!』
 あ〜〜〜たたたたたたたたたた……ほあたぁ!!!
 ふっ……また刈ってしまった。
 首に巻いたタオルで汗を拭きながら、僕は仕事の成果を見渡した。
 50本以上ある松の枝葉は、みんな綺麗に切り揃えられている。自分でもなかなか満足のいく出来だね。労働の汗も心地よく感じられるよ。
 さてさて、ちょうど10時だから、小休止するかな。さっきセリナさんがお茶とお菓子を用意してくれたんだよね〜♪
 ああっ!!セリナさん!!どうもありがとうございます!!!この芋羊羹とほうじ茶と爪楊枝と湯呑み茶碗まで手作りなんて、貴方は何者ですか?って気もしますが、とにかく問答無用で最高ですセリナさん!!!
 右手(めて)にはほうじ茶、左手(ゆんで)には芋羊羹を装備して……それではそれでは!!いっただっきま〜〜す♪

 大爆発

 …
 ……
 ………
 ……な、何が起こったんだ……
 瓦礫と土砂の中から這い出しながら、僕は呆然と辺りを見渡した。
 うわー!!松の木が全部消滅してるー!!今日の仕事が全部パ〜だぁぁぁ!!!セリナさんの手作りお茶菓子も消し飛んじゃったー!!!
 庭園も半分以上が灰燼に帰してるし……トホホ、またアンコさんが掃除か料理か洗濯に失敗したのかなぁ……アンコさんやクリ君の魔法で元に戻るとはいえ、正直、かなり傍迷惑だよねぇ……
 ……おや?
 半壊した屋敷の中から、黒い触手が何本も見え隠れしている……ひょっとして、魔物か何かの襲撃なのかな?
 まぁ、アンコさんやクリ君がいれば大丈夫だろうけど……何だか嫌な予感がするなぁ……あ!!セリナさんとジャム姫は無事だったのかな!?
 考えるよりも先に、僕は屋敷に向かって駆け出していた。


「偉大なる木龍族が樹羅夢姫に対して、その態度はなんぢゃ!!平伏して謝罪するがよいのぢゃ!!」
『それが偉大なる悪魔族が魔界大帝に対する言動か!!余に対する発言を撤回せよ!!』

「……いったい、何がどうなったわけ?」
「藤一郎さん……無事でよかったわ」

 半壊した屋敷の内部では――体高8mを超える巨大な黒い怪物が、何十本もの触手をウネウネ振り回して、アニメで超能力者が出すみたいなオーラを放出していた。
 昔読んだ本に書いてあった、バージェスなんとかっていう古代生物と深海の気味悪い生き物と、さらにバイオなんとかのG最終形態とエイ○アン2のなんとかクイーンとガ○ラ2のマザーレギなんとかをかけ合わせたみたいな、とにかく不気味で怖い怪物だなぁ……

「……なに、アレ?」
「クリシュファルス君よ」
「本気と書いてマジ!?」
「マジ……ね」
「さすが人外さん……でも、変われば変わるものだね」
「……貴方、あの姿を見ても平気なの?」
「いやぁ、情けないけど、夜思い出したら、1人ではトイレに行けなくなりそうなくらい怖いよ」
「……それだけ?体調や精神の異常は無いの?」
「特に何も無いけど?」
「そう……」

 怪物化したクリ君から少し離れた場所で、様子を見守っているらしいアンコさんを見つけた僕は、そそくさと傍に張り付いた。ちょっと僕の手には負えない事態みたいだし、ここは同じ人外さんに任せた方がイイよね。
 しかし、あの怪物がロリショタの理想の体現みたいなクリ君だなんて……キャラが変わり過ぎだよ……
 で、その怪物の顔(?)前で、歯を剥き出しにして睨み付けているのが……我らがジャム姫だ。

「愚かで鈍直で頭の風通しの悪い悪魔族の分際で、偉大なる木龍族第一皇女たるわらわに意見するとは、10兆年速いのぢゃ!!!」
『我侭で高慢ちきで思い上がりな龍族の分際で、偉大なる魔界大帝たる余に無礼を働くとは、不遜にもほどがある!!!』

「で、どうしてこうなったわけ?」
「クリシュファルス君が怒って、真の姿に戻った。その衝撃の余波で屋敷と敷地が破壊されたの」
「いやぁ、それは僕もなんとなくわかるけど……クリ君が怒った理由は何なのかな?」

「ぢゃ〜〜〜!!わらわの種に対してその言いぐさは何ぢゃ!!ゴキブリとナメクジの合いの子みたいな悪魔族の分際でぇ!!!」
『この勇壮かつ機能的な悪魔族の姿にケチを付けるとは無礼な!!下等な虫ケラみたいに変態して成長するくせにぃ!!!』

「あ、天界への亡命の件はダメだったんだよね。その事でジャム姫が気を悪くして、クリ君に喧嘩を売ったとか?」
「いいえ。逆に落ち込んでいた樹羅夢姫を、クリシュファルス君は慰めていた」
「大穴な展開だね……」

「まだオシメも取れてなさそうなお子ちゃまが、おねーさんであるわらわにそんな口を聞くとは何事ぢゃ!!目上に対する話し方も知らんのか!?ちゃんと学校行ってないぢゃろ!!!」
『たった2万歳しか離れてないだろうがぁ!!それに余はちゃんと学校にも行っている!!成績も先学期は“たいへんよくできました”を5つも貰ったぞ!!!』

「じゃあ、2人が喧嘩しているホントの理由は?」
「セリナの手作り芋羊羹」
「は?」
「樹羅夢姫が、クリシュファルス君のお茶請けの芋羊羹を、無断で食べたのよ」
「…………」

「このヘチャムクレのオタンチン!!!」
『このオッペケペーのドテカボチャ!!!』

「……だんだん、低レベルな争いになってきたね」
「同感ね」

 はぁ……ほっといて仕事に戻ろうかな……あ、アンコさんに庭園を戻してもらわなきゃ。
 あくび交じりに背伸びをして、踵を返そうとした――その時だった。

『おのれおのれおのれぇぇぇ!!!』

 クリ君のあまり夜道で出会いたくない身体から、先程までのオーラとは明らかに異質の『なにか』が浮き出してきた?
 なにか、薄墨を水に溶かしたような……黒い霧みたいな……

 ぐいっ!!

 うわっ!!
 いきなり襟首を引っ張られた僕は、何事?って振り向いた瞬間――

「――ん……」
「!?!?」

 アンコさんの熱いディープキスが、僕を迎えてくれた……って、えええっ!?
 突然の事に、僕は完全にパニクっていた。
 襟首を掴んだアンコさんが、覆い被さるように僕に唇を合わせている……男女の立場が逆だよ。
 差し込まれた舌が生き物みたいに僕の舌に絡み付く……唾液の甘い香りに、頭の中がぼうっとなる……そして、咥内に広がる熱い鉄の味……
 ……ん?鉄の味ぃ!?それに、舌先に感じる、この柔らかい異物は……?

 ちゅぱ……

 ゆっくりとアンコさんの唇が離れる。僕とアンコさんの唇に、唾液の橋がかかった。昔読んだ(あまり大声では言えない内容の)本に書いてあったのと、同じ状況だね……
 でも、その本と違うのは、橋の色が銀色じゃなくて、真っ赤っ赤だってことだ。

「そのまま飲み込んで」
「……へ?」
「第1級神族の血と肉を服用すれば、地球人類の貴方でも、魔界大帝の瘴気に耐えられるようになる……たぶん」
「それじゃあ、僕の口の中にあるのは……」
「私の舌と血」
「そ、そうなんですか……」

 さすがにちょっと引きながらも、僕はなんとかそれを飲み込んだ。良薬を口にする気分だね……

「……でも、こんな方法を取らなくても……」
「咄嗟にはこの方法しか思いつかなかった……ごめんなさい」
「いやぁ、僕は嬉しかったけどね」
「……そう」
 
 唇の端から血を滴らせるアンコさんは、いつもの無表情だった。
 ……けど、なんで僕に目を合わせようとしないのかな?

「そんな事はどうでもいいわ。見て……」

 軽い咳払いと共に、差し伸ばされた指先の方を見てみると――

《見せてくれようぞ!!余の真の姿を、魔界大帝クリシュファルス=クリシュバルスの真の力を!!!》

 クリ君の巨体が、さらにぐんぐん巨大化する。外見もますます凶悪化していく。もう身の丈は50mを超えるだろう。完全に怪獣になっちゃったよ……

「魔界大帝“戦闘形態”ね」
「戦闘形態?……という事は、まさか……」

 地響きが起こるぐらいの大音響で、

《ならば、余と帥のどちらが優れておるか、実力行使で決めようではないか!!かかってくるがよい!!!》

 クリ君は――いや、魔界大帝さんは世界の隅々まで、自分の巨体を轟かせた……としか表現できない超大迫力!!
 ひょえ〜〜〜とんでもない事になっちゃったなぁ……
 これから魔界大帝サマと木龍族第一皇女サマという、超ウルトラスーパーワンダフリャ級な高位存在同士の大バトルが始まろうとしている……らしい。ちょっと不謹慎だけど、見物かもしれないなぁ。リアル怪獣プロレスが見れるのかな。
 ……って、あれ?ジャム姫は?
 さっきまでジャム姫がいた場所には、ジャム姫の輪郭が点滅しているだけだった。
 キョロキョロ辺りを探していると、

「貴方の後頭部にいる」
「――え?」

 アンコさんの声に、後ろ頭に手を伸ばすと、

「ぢゃ〜〜〜!!どこを触っているのぢゃ!!!」

 あ、ホントにいた。
 長い事ジャム姫に髪を引っ張られまくったおかげで、頭の感覚が麻痺していたみたいだ。
 まぁ、それはそれとして――

《何処に消えたか!!木龍族が娘よ!!》
「ほら、クリ君が呼んでるみたいだよ」
「そそそそそそんな事知らんのぢゃ……」

 あれ?後頭部にいるからよくわからないけど……ひょっとして、ジャム姫……震えてる?

《帥も真の姿に戻るがよい!!余は逃げも隠れもせぬわ!!正々堂々とかかってこい!!》
「……ああ言ってるけど」
「…………ぢゃ……」

 どうしたのかな?……確かに怖い事は怖いけど、アンコさんの話では、龍族は悪魔族と互角の力を持ってるそうだし、ジャム姫も龍の姿になれば戦えるんじゃないのかな?あの絶対ナントカ能力とかいう不死身の力もあるんだし。

「ぢゃぢゃぢゃ……い、今はちょっと気分が乗らないのぢゃ……」
「ふ〜〜ん……あ、クリ君、そうジャム姫は言ってるよ」
「ぢゃ!?」
《其処におるのだな!!木竜王が娘よ!!!》
「あ、しまった」

 ぐいいいいいいいいいっぶぢっ!!!

 うぐわあああああああ!!!

「この大馬鹿者〜〜〜!!わらわの居場所がバレてしまったのぢゃ!!」
「……うぐおおお……」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫ですアンコさん……」

 僕の毛髪は大ピンチですけど。

《早く余の前に姿を見せよ!!よもや、三剣殿を盾にしているのか?卑怯者が!!!》

 クリ君が怒声を上げるたびに、ぶわっと凄い風圧が僕の身体をよろめかせる。ちょっと気を緩めるだけで、意識が遠くなるぐらいの威圧感だ。
 で、ジャム姫は――

「………ぢゃぢゃ……」

 後頭部の震えは、はっきりわかるぐらい大きくなっていた。どうやら、本気で怯えているらしい。
 小刻みに震える体温の温かさと、鼻腔をくすぐる香木を思わせる匂いに、僕はちょっとドキリとした。
 う〜〜ん、さすがに可哀想になってきたなぁ。なんだかんだぢゃ〜ぢゃ〜言っても、女の子なんだし。

「アンコさん、クリ君を止められないかなぁ?あとで僕が謝っておくから」
「無理ね」
「へ?」
「今の私は、魔界大帝の魔力と瘴気を外部に漏らさないための結界を維持するのに精一杯なの」
「はぁ……」

 何を言っているのかよくわからないけど、彼女は嘘をついたり誤魔化したりする人じゃないから、きっとホントに動けないんだろう。
 でも、完全にプッツン(死後)しているクリ君を止めるなんて、とても僕にはできそうに無いし……アンコさんに頼るしかないんだけどなぁ。

「……それに、ああなったクリ君は、私でも止められない」
「ガビソ!!」

 じじじじゃあ、どーすればいいのでしょーかぁ!?

《もう待てぬ!!覚悟するがいい木龍族が娘よ!!!》

 ウネウネ蠢く巨大な触手が、一斉に僕に先端を向けた。普通の人間の僕でも、そこに膨大な魔力が集中していくのがわかる。
 ……って、え?え!?えええええ!?
 ひょっとして僕まで巻き添えにぃ!?
 僕は正真正銘の一般ピープルで、ジャム姫みたいに生き返られないんですけどぉ!!第一、どう考えても無関係だしぃ!!!

《三剣殿、後にちゃんと復活させるので心配しないでくれ》

 なんだ。それなら安心安心……できるかぁ!!!

「アンコさん!!助け――」

 隣に立っている筈のアンコさん――今はそこに、彼女の輪郭が点滅しているだけだった。うわ〜い。
 周囲の瓦礫が宙に浮き、ぐるぐる周りを旋回する。ゴゴゴゴゴ……って擬音は幻聴じゃないだろうなぁ……蒼空はこの屋敷の周りだけ、渦巻く暗雲になっているし……ひえ〜〜〜!!!

《食らえ!!これが魔界大帝の審判だ!!!》

 食らいたくないぃぃぃぃぃ!!!
 大霊界を垣間見るのは、『あの時』だけで十分だぁぁぁぁ!!!
 短い悲鳴を上げて、ジャム姫が僕の髪にしがみついた――
 ――その時、

「セリナビームです」

 ぴー
 どっか〜〜〜ん

《うぐわぁぁぁぁ!!!》

 救いの女神が現れたんだ。
 大地震みたいな地響きをたてて、ゆっくりとクリ君の怪獣ボディが大地に突っ伏すのを、僕は確かにこの目で目撃しているよ……

「ほらほら、お茶菓子のお代わりを持ってきましたから、そんなに興奮しなくても大丈夫ですよ」
「……せ、セリナさん?」
「はいです?」

 いつの間にこの場にいたのやら、芋羊羹を乗せたトレイを片手に、もう片方の手を頬に当ててるセリナさん……

「い、今のは一体?」
「あれはですね、メイドさん48の殺人技の1つ――」
「も、もういいです。なんとなく聞かない方が良いような気がしました」
「そうですか……残念です」

 ちょっとしょんぼりとするセリナさん……ああ、アンニュイなセリナさんも可愛いなぁ……って、そうじゃないよ。

「でも、どうやってセリナさんはこの場に?」
「私が連れてきた。あのクリシュファルス君を止められるのは彼女だけ」

 背後の無感情な声は、アンコさんに間違い無いだろう。逃げた訳じゃなかったんだね。
 セリナさんは、今始めて気づいたみたいに、半壊した屋敷の跡を見回した。

「あのぅ、私はおバカなのでよくわかりませんが、何がどうしてどうなったのでしょうか?……です?」


 数分後――

「と、いうわけです」
「そうだったのですか……です」

 これまでの経緯を説明されたセリナさんは、ちょっと考え事をしているみたいだった。

「私がもっとたくさんお茶菓子を用意しておけば良かったのですね」
「それは違うと思いますが……」
「そうだ!!これはもはや、たんなるけんかではすまぬ。わが悪魔族と龍族とのほこりをかけたもんだいなのだ!!」
「そうなのぢゃ!!」

 クリ君は、あれからセリナさんに諭されて、すぐに元の姿に――あ、あの怪獣が本当の姿だったっけ――戻った。ジャム姫は、クリ君がロリショタな姿に戻るやいなや、すぐに普段のタカビーで根拠の無い自信に満ちた態度を取り戻している。現金だなぁ……

「このこうまんちきなおんなに、わが悪魔族のいだいさをしょうめいせねばならぬ!!」
「わらわの龍族と小僧の悪魔族、どちらが優れているか白黒つけねば、示しがつかぬのぢゃ!!」
「だれがこぞうかぁ!!」
「お主に決まっておるのぢゃ!!チンチクリン!!」

 また歯を剥き出しにして、顔を付き合わせるクリ君とジャム姫……はぁ……

「はぁ……なんでこんなに仲が悪いんだろう?」
「同族嫌悪だと私は推測する」
「なるほど。そう言われるとなんとなく似ているね」
「「誰が似ているかぁ!!」」

 見事にハモって怒鳴られちゃった。でも、息もピッタリじゃないか……

「ふかー!!」
「ふー!!」

 互いに掴みかかろうとせんばかりのお2人……ああ、また収拾がつかなくなりそうな予感が――

「ここは決闘です」
「は?」
「え?」
「にゃ?」
「ぢゃ?」

 突然のセリナさんの言葉に、僕達は顔を見合わせた。

「……決闘って、あの決闘ですか?」
「はいです。血統でも結党でも血糖でもケット・シーでもゼットンでもありません。決闘です」

 あの、ガ○ジーもマザー○レサもシャッポを脱ぐくらいの平和主義者なセリナさんが、決闘を提案!?
 僕としては、あなたのそのホンワカパワーで、2人の怒りを静めてくれるのを期待していたのですが……
 隣のアンコさんも、奇跡的にもちょっと瞳を見開いている。

「古のとっても古い古来より、互いを認め合いながら決して合い入れぬ2人は拳を言葉に代えて語り合うのです。そして2人は強敵と書いて『とも』と呼びあう、とっても燃え萌えな汗の似合う好敵手(ライバル)となるのです!!」

 ぐぐっと拳を突き上げるセリナさんの演説を、僕達はぼーぜんと聞いていた。
 忘れてた……ああ見えて、セリナさんって……“勝負師”だったんだ……

「この勝負は私が預かりますです。宜しいでしょうか?です?」

 ニッコリと微笑みかけるセリナさん。でも、そのいつもと変わり無いように見える笑顔に、いつもとは違うなにかを感じたらしく、

「う、う、うん……」
「ぢゃぢゃわかったのぢゃ……」

 2人は慌ててコクコクと頷いていた……う〜ん、意外な展開になってきたなぁ……

「それでは……決戦の刻は10日後の正午。場所はこの場所です。決戦の日までは、戦いに備える鍛錬と準備の期間としますです」

 ごーっとバックに炎の透過光を輝かせるセリナさん……また、あすみちゃんに変なマンガでも借りたんですか?

「決戦の刻までは、妨害工作以外のあらゆる行動を制限しませんです。鍛錬の際にコーチや師匠の協力を得るのも構いませんです。全ては一対一の勝負で決着をつけて、何者もその結果に異議を唱える事を許さずです……この条件で宜しいでしょうか?です?」
「う、うむ……」
「し、承知したのぢゃ……」
「決戦の刻までは、私は中立に徹しますです。えこ贔屓はしませんですよ……それでは、失礼しますです」

 ばっとメイド服を翻して、悠然と立ち去るセリナさんを、僕達は唖然として見送っていた。今回は例の頭頂部地面スレスレお辞儀はしなかったし。本気なんですね、セリナさん……

「――で、これからどうするの?」

 数分後、僕が呼びかけるまで、皆は固まっていた。アンコさんも微動だにしなかったんだから、その衝撃は相当の物だろうね。

「き、きまっておろう!!わが悪魔族のれきしじょう、いどまれしたたかいからせをむけたことはいちどもない!!」
「当然ぢゃ!!斯様な侮辱を受けて引き下がるほど、わらわの龍族は甘くはないのぢゃ!!」

 はっとしたように、ガンを飛ばし合う2人の間には、線香花火みたいな火花がバチバチ光っていた。やれやれ……

「はいはい、そこまでそこまで」

 今にも元のあくあみになりそうな2人の間に、僕は割って入った。同時に、アンコさんもクリ君の前に立つ。ちょっとだけ怖い顔を作って、ジャム姫の目をじっと見つめた。

「決闘は10日後なんだから、勝負はその時にすればいいだろう?今は戦いに備えるべきだと思うけど」
「……そ、そなたのいうとおりであるな」
「ふ、ふん……今回は見逃してやるのぢゃ」

 たじたじと後退る2人を見る限りでは、ホントに子供なんだと思えるんだけどなぁ。
 まぁ、とりあえず今回の所は収まる事になったみたいだ。問題を先送りにしただけのような気もするけど……
 クリ君の前に立つアンコさんは、普段通りのポーカーフェイスだ。でも、僕にはそれがちょっと考え事をしているように見える。なんとなく、それがわかる気がした。
 ……あれ?
 なんで、僕にそれがわかるんだろう……?
 でも、僕の疑問を尻目に、

「――クリシュファルス君、これから戦いに供えて特訓をするわよ」

 事態は、予想外の方向に転がろうとしていたんだ。

「へ?」

 な、なにを言ってるんですかアンコさん!?そんな煽り立てるような事を言ってぇ〜〜〜

「なんぢゃと!?あのチンチクリンの肩を持つというのかお主は!!」
「私は以前からクリシュファルス君の武道の師を勤めている」
「神族が魔界大帝の師匠ぢゃとぉ!?……お主、悪魔族としてのぷらいどは無いのか?」
「う、うるさいわぁ!!しのあてもないやつよりは、はるかにましであるぞ!!」

 ムチャクチャなクリ君の言い訳も、ジャム姫のプライドを突っ突くには十分だったみたいだ。
 釣り目はますます釣り上がり、エルフ耳がぴーんと伸びる。鹿角は意思を持つみたいにぷるぷる震えていた。これは、相当怒っている証拠だね。

「うるさぁい!!わらわにも武道の師として使ってやってる者はいるのぢゃ!!!」
「神族のもとにぼうめいしようとするおぬしに、ししょうなどいるわけなかろうが」
「いると言ったらいるのぢゃ!!」
「ふぅん、どこにおるのだ?そのししょうとやらは」
「…………ええと……ぢゃぢゃ……」

 ジャム姫はキョロキョロと辺りを見回していたけど、やがて僕をじろっと睨みつけるや、

「この男がわらわの師匠なのぢゃ!!」

 ふぅん……
 って……
 ……えええ〜〜〜!?



※※※※※



「――で、どういう話なのかな?」

 ポップな小動物のイラストが描かれた壁紙に寄りかかりながら、僕は先刻からの疑問を口にした。自分でも、ちょっと不自然な声だったかもしれない。

「ごめんなさい。急な話で」

 ティーカップにコーヒーを注ぐアンコさんの手つきは、案の定、かなり危なっかしかった。

「いやぁ、女の子の部屋に招待されるなんて、僕にとっては大歓迎だけどね」
「そう……」

 アンコさんの部屋は、僕の想像とだいぶ違っていた。
 壁は全て可愛い動物の壁紙に覆われているし、アニメか何かのファンシーな人形が所狭しと置いてある。なんて言うか……とってもピンクピンクした部屋だなぁ。

「アンコさんって、こういうのが好きなんですね」

 ふわふわもこもこのパンダのぬいぐるみを膝に抱きながら聞くと、なぜかアンコさんはコーヒーをこぼしかけたりする。

「セリナが全部そろえてくれた。個人的見解を述べれば、相当恥ずかしい」
「じゃあ、このベットの下にある謎の漫画とアルバムは――」

 ジャキン!!
 
 僕は話を続けられなかった。
 突きつけられた細身の剣(エストックと言うらしい)の冷たい感触が、僕の喉元を撫で回してる……って、ひょえ〜〜〜!!!

「“ベットの下には何もなかった”……いいわね?」

 ガクガクと首を振る僕を見つめるアンコさんは、普段と変わらない無表情だ。あの〜〜〜逆に怖いんですけど〜〜〜

「ででで、話というのは何なのでしょうかぁ?」

 剣が離れた喉元を撫でながら、冷や汗混じりに僕は尋ねた。
 あの2人の決闘が決まって、なぜか僕がジャム姫のコーチを勤める事になってしまった後、僕はアンコさんに『相談したい事がある』って誘われて、こうして彼女の部屋にいるんだけど……あ、ちなみにジャム姫はセリナさんに預けているよ。ご飯をご馳走になるらしいけど、すっごく羨ましいなぁ……

「あの2人の件よ」

 コーヒーが満々と注がれたティーカップを僕に差し出しながら、アンコさんは溜息を吐いた――ように見えた。

「ジャム姫とクリ君の事かぁ……確かに困ったよね。もう少し仲良くできないのかなぁ」

 お、茶柱が立ってる。ラッキー♪

「あの2人は四大種族でも支配階級に相当する王家の出よ。誇りの高さは我々の想像を遥かに超える」
「そう言えばそうだったんだよね。クリ君なんてすっごく気さくだから、時々忘れちゃうけど」

 ……って、なんでコーヒーに茶柱が?

「樹羅夢姫もそうだ。あんな物分りの良い龍族は見た事がないわ」
「マジと読んで本当!?」
「本当……ね。少なくとも私が知る限り、あれほど気さくで、大人しく、控えめで、慎み深く、温厚で、気弱な龍族のデータは存在しない」
「あ、あれでぇ!?……龍族って、ホントにとんでもない種族なんですね……」

 う〜ん、このコーヒー飲んでも大丈夫なのかなぁ?よく洗ってないわけじゃないみたいだけど、だから逆に飲み難いというか……

「でも、それなら余計に2人が戦うのって悲しいなぁ……なんとなく息も合うように見えるんだし、仲良くすればいいのに」
「無理ね。悪魔族と龍族の『己の誇り』に対する考えは、地球人類や神族のモラルとは全く異質のものよ。あの状態で喧嘩をやめろと言うのは、彼等にとって心臓を止めろと言われるのに等しいわ」
「はぁ……やっぱり人外さんなんだね」
「それだけじゃないわ。魔界大帝と木龍族の第一皇女が戦う事が周囲に発覚すれば、四大種族間の国際関係も大きなダメージを受ける事になる」
「……あの、これって子供の喧嘩じゃなかったんじゃ……?」
「子供でも、魔界大帝と木龍族第一皇女の喧嘩よ。2人の行動はそのまま己の種族全体の代弁に等しいの」
「そ、それじゃあ2人が決闘するのってマズイんじゃないの!?」
「冷酷な判断だが、一対一の決闘ならば、被害は最小限で済む。本来ならば悪魔族と龍族の全面戦争になっても不思議じゃない状況なのよ」
「もしかして、これって一歩間違えれば、世界の危機!?」
「最悪の場合は」
「……スケールが大き過ぎてピンとこないけど、大変な事だというのはよくわかります……あ、だからセリナさんは、被害を最小限にするために、一対一の決闘を提案したのかな?さすがセリナさん!!!」
「セリナは先日、あすみさんに大量の格闘マンガを借りていた」
「…………」

 う〜〜〜ん、勇気を出して飲んでみるか。

「あ、それじゃあアンコさんがクリ君のコーチを勤めるのって……」
「そう。こちらがクリ君の指導役にまわれば、ある程度戦い方をコントロールできるわ。少なくとも全面戦争に陥らないようにしなくては……ね」
「なるほどね、煽り立てていたんじゃないんだ……って事は、ジャム姫のコントロールは僕が?」
「健闘を期待する」
「責任重大だね」

 ずずず……

「ごほっごほっ!!!」
「大丈夫?」
「げほげほ……な、な、なにかお茶請け無いかな!?」

 辛すっぱいコーヒーなんて、初めて飲んだよ……材料が何なのかは、怖いから考えない事にしよう……

「しかし、1つ問題がある」
「え?」
「クリシュファルス君と樹羅夢姫の戦力差が問題なの」
「戦力差……?」
「クリシュファルス君は“魔界大帝”……それも、過去においても比較対象が無いレベルの、史上最強の能力を持つ超高位存在だ。しかし樹羅夢姫は、見たところ龍族の“成体”にもなっていない」
「龍族の成体?」

 アンコさんから受け取ったお茶請けは、真っ黒なゲンコツセンベイだった(後に、これは手作りシュークリームだと知った)。
 ……話によると、どうやら龍族は人間みたいに赤ん坊から少しずつ成長するんじゃなくて、いきなりある程度成長した姿で“出現”するんだって。その形態を“幼生体”と言うらしい。それから一定期間が過ぎると、今度は完全な大人の姿――いわゆる“成体”にいきなり変身するそうだ。“成体”になってからは、普通に年を取るみたいだけど……なんだか、昆虫みたいな成長の仕方だね。
 で、今のジャム姫はまだ“幼生体”らしい。四大種族に数えられるぐらいムチャクチャ強い龍族も、この幼生体では比べ物にならないくらい弱々なんだそうだ。

「しかし、樹羅夢姫の年齢は14万歳……本来なら、とうの昔に成体にメタモルフォーゼしていないとおかしい年齢なの」
「はぁ、彼女は実はロリロリキャラだったんだね」
「そして、現状では魔界大帝であるクリシュファルス君と、まだ幼生体である樹羅夢姫との間には、比較するのも馬鹿らしいぐらいの戦力差が存在するわ……私達のフォローでもカバーしきれないくらいのね」
「それは……困ったなぁ」
「この決闘は勝利者が存在してはならない。引き分けか――最悪でも相打ちが望ましいの。さもなくば、将来の悪魔族と龍族との関係に、大きな溝を作る事になるわ」

 がりっ!!
 ……アンコさん。このゲンコツセンベイ(注:シュークリーム)は、石炭の間違いでは?

「……もっとも、たとえ樹羅夢姫が成体になったとしても、歴代最強の戦闘力を持つ“魔界大帝”クリシュファルス君相手では、誰でも勝ち目は無いでしょうけど」
「ええっ!?それじゃ、絶対にジャム姫は勝てないって事?」
「現状を冷徹に分析すれば、そう結論せざるを得ない」

 ううう、歯が少し欠けちゃったよ……
 まぁ、すぐに再生するからいいけど。

「けっきょく、魔界大帝には誰にも勝てないわけなんだね」
「何の装備も戦略レベルの作戦も無く、生身のまま一対一で戦うという状況では、そうなるわね……」
「はぁ……」

 僕は溜息を吐いた――

「1つの例外を除いて」

 ――吐きかけて、それをごくりと飲み込んだ。

「例外?なにそれ?」
「――“大聖”――よ」

 アンコさんの機械の瞳が、微かに赤い光を放った。
 窓から差し込む夕日の輝きに、なにか冷たいものを感じたのは、気のせいかな……
 まるで、決して語ってはいけない“言葉”をアンコさんが語って、決して知ってはいけない“言葉”を僕が知ってしまったような……

「“大聖”……?」
「四大種族の歴史上、神族、悪魔族、龍族、鬼族は、全体としては互角の勢力を持ち、均衡を保っていた……しかし、過去に2度、龍族が他の三大種族を征服していた時期があったの。そして、その時期は、龍族に“大聖”と呼ばれる存在が出現していた期間と正確に一致している」
「はぁ……」

 気の抜けたような相槌は、内心の緊張を誤魔化すためのものだった。なぜか、今すぐこの部屋から逃げ出したかった。
 ……それって、その“大聖”の力で、他の三種族を征服しちゃったって事……!?
 
「龍族に極々稀に出現する、超々高位突然変異体――それが“大聖”よ。その力は、四大種族も含めた、あらゆる存在を凌駕するという。元来、龍族は生命体としては究極まで進化した存在だとされているが、その上の『究極を超えた“絶対存在”』――それが“大聖”だと言われているわ」
「……つまり、簡単に言えば『龍族の間に稀に生まれる、世界で一番強いヤツ』って事?」
「簡潔に定義すれば」
「クリ君――魔界大帝よりも強いの?」
「単身で四大種族を制圧できる能力を持つ存在よ。魔界大帝と言えども敵ではないわね。もっとも、クリシュファルス君の潜在能力は、これも突然変異的に凄まじいものだから、このまま成長すれば、“大聖”に匹敵――あるいは超える力を持つかもしれないが」

 夕焼けの光が逆光になって、アンコさんの顔はよく見えなかった。
 でも、僕にはその表情がわかるような気がする。
 『荒唐無稽』の一言で片付けられそうな内容――でも、それが今の僕達を完全に支配していた。
 そう、『究極なる存在』に対する『究極ならざる者』の反応は、1つしかないのだから……

「つまり、ジャム姫がその“大聖”ならば、クリ君にも勝てるって事だね!?」
「そうよ……でも、無理ね」
「へ?」
「先程言ったように、四大種族の無限に等しく長大な歴史上“大聖”が出現したのは、僅か2回だけ……半ば御伽噺になりかけている、非現実的な話なのよ。」
「……それじゃあ、ジャム姫が“大聖”である可能性は……」
「限りなくゼロに等しいわね」

 ずるっ
 僕はマンガみたいに転びかけた。

「じゃあ、今までの話はなんだったの?」
「何の意味も無いわね……変ね、なぜこんな話になったのかしら?」

 全然疑問に思ってない感じで、アンコさんが首を傾げた。とほほ……しっかりしてくださいよ〜僕が言えた義理じゃないけど。

「はぁ……それじゃ、結局は僕達の方でなんとか2人をフォローしつつ押さえるようにしなくちゃならない訳なんですね」
「そうなるわね……これからは定期的に相談して、今後の対策を検討しましょう」
「はぁ……」
「気が重そうね」
「気も重くなりますよ……なんで僕が世界の命運をかけた戦いに巻き込まれなきゃならないのかなぁ?」
「巻き込まれるというのは、自分の意思とは無関係に干渉されるという事だ。運命と思って諦めるべき状況もあるわ」
「できれば、僕は自分の舵は自分で操りたいんだけど」
「それは、世界で一番贅沢な願い事ね」
「でしょうねぇ……」

 石炭ゲンコツセンベイ(注:シュークリーム。中身はカスタード)を一気に噛み砕き、辛酸コーヒーで流し込む――口の中が大爆発しているけど、なんとか飲み込むのには成功したよ……明日の朝日が拝めるかなぁ……

「それじゃ、また明日――」
「話は終わっていない」

 ……………………
 ……ノブを握った僕の手を止めたのは、アンコさんの声じゃなかった。
 背中――心臓の位置にぴったりと押し当てられる感触は、あのエストックの切っ先に間違い無いだろうね。

「次の話は三剣 藤一郎さん……貴方の事よ」

 氷の剣を連想させる、冷たく、鋭く、そして危険な声。
 それだけで命を奪えそうな、あらゆる感情を失った声。
 殺気はまるで感じられない……だから、恐ろしかった。

「……何の事かな?」

 僕自身でも意外なくらい、普通の声が出せた。

「私は軍人としての己を捨てて、『剣』としての己を捨てて、今の立場についた時、1つの誓いを立てた」
「……はぁ」
「――“セリナ……クリシュファルス君……かけがえの無い仲間達……絶対に皆を守ってみせる”――それが私の誓いよ。そして、その誓いを守る為なら、私は全てを犠牲にできる。自分自身も……そして――」
「…………」
「自分以外も」

 部屋の中が薄暗くなった。
 夕陽はついに、大地に沈んだみたいだ。

「私は軍人として、様々な世界を渡り、様々な人々を見てきた。その中には、貴方と同じ匂いを持つ者もいた。だから、私にはわかるの」
「…………」
「貴方が、どんな人間なのか……あなたの本性が……」

 きりきり きりきり

 きりきり きりきり

 彼女の義手が、無機に軋んだ。

 ぐっ

 僕は、少しだけ背中を剣に預けた。
 一瞬の灼熱感。じんわりと、痛みが背中に広がっていく。

「!?」

 僅かに手が震えただけで、アンコさんは剣を引こうとはしなかった。さすがだね。

「それは、まぁ、過去の僕を知る人なら、わかりきった事だと思うけど……」

 剣先が背中に刺さったまま、僕はゆっくりとアンコさんへ振り返った。
 ずぶずぶと、剣先が僕の身体を抉っていく。剣先がちょうど心臓の位置に達した時、僕の目の前にアンコさんが――アコンカグヤがいた。

「それなら、なぜ僕を始末しないのかな?」

 一歩前に出る。
 僕が知っているアコンカグヤなら、絶対に剣を引いたりしないだろう。
 剣は引かれた。僕の前進に合わせて。

「あなたが僕の本性を知っているのなら、僕もあなたの本性を知っているよ」

 右手を振る。
 アコンカグヤのメイド服が引き裂かれた。ほとんど平坦な――でも、なめらかで美しい乳房が露わとなる。桜の花弁みたいな乳首がとっても綺麗だ。千切り取った服の切れ端を投げ捨てて、僕はそこに指を食い込ませた。

 からん

 エストックが床に落ちて、乾いた音を立てる。

「ああ……」

 ふうん。アコンカグヤもこんな声を上げるんだ。震える身体に相応しい声だね。
 ……いや、僕はこの事を知っていた。

「……あなたは……まだ……ころせない……ああ……」

 指先が乳房を突き破って、ずぶずぶと肉にめり込んでいく。肋骨は小枝よりも容易く砕けた。

「僕を殺してはくれないのかな?“あの人”みたいに……」

 がくがくと震えながら、アコンカグヤは僕にしがみついた。荒い息の中に苦痛以外の存在を確かに感じる。ちょろちょろという音と共にピンク色のスカートに染みが広がって、独特の臭気が鼻腔をくすぐった。

「うくぅ……あなたは……まだ……たえられる……から……あはぁっ!!」

 どくどくと脈動する熱い塊が、僕の掌にある。
 心臓だ。
 ちょっと力をこめるだけで、それは簡単に握り潰せるだろう。

「そうだね。まだ僕は大丈夫だと思うよ……でも、その時が来たら――」
「……あああ……あぁ……」
「お願いするよ。アンコさん」
「……承知した」

 冷たい機械の手が、僕の腕を掴んでいた。
 ゆっくりと、胸の中から抜き取られる。

「願わくば、その時が永久に来ない事を祈っているわ」
「そうだね」

 白い掌が胸元を撫でるだけで、傷口は元通りに再生した。
 アコンカグヤも、普段どおりのアンコさんに戻ったみたいだね。

「……でも、どうしても我慢できなくなったら、まずは私の所に来てほしい。樹羅夢姫まではいかないまでも、私も不死身に近い肉体の持ち主だ。貴方を受け止める事ができるかもしれない」
「それは……ははは、嬉しいよ……って、言っていいのかなぁ?」
「言ってくれなければ、私が傷つく」
「……それって、僕を誘っているわけ?」
「もう少し、直接的に説明すべきかしら?」
「ははは……はぁ」

 さっきとは違う意味で、僕の理性が持ちそうに無かった。
 挨拶もそこそこに、僕は逃げるように部屋を飛び出した。トホホ……我ながら情けないなぁ……

「そうそう、貴方が破ったメイド服は、給金から弁償させてもらう」

 ……ぎゃふん。



※※※※※



「ぢゃ〜〜〜!!!困ったのぢゃ〜〜〜!!!」

 ジャム姫の帰宅してからの第一声は、これだった。
 脱ぎ散らかした服やら読みかけの本やらが散乱している畳の上で、周りのゴミを気にする風でもなく、手足をバタバタさせるジャム姫……これって、本気で困ってるみたいだね。
 帰り道は僕の頭の上で、妙に大人しかったけど……彼女も相当悩んでいたんだろう。

「魔界大帝になんて、勝てるわけが無いのぢゃ〜〜〜!!!」

 で、勝つ方法は思いつかないらしい。

「でも、仕方が無いよ。相手が悪過ぎるし、ジャム姫はまだ幼生体なんだから」
「ぢゃ!?なぜその事を知っておるのぢゃ!!」

 がばっと起き上がるジャム姫は、鹿角をぴくぴくさせながら僕を指差した。

「いやぁ、アンコさんから聞いたんだけど――」

 アンコさんの部屋で聞いた事を、僕はそのまま繰り返した。あ、さすがにアンコさんとのアンな事やコンな事の話はしなかったけどね。
 僕の話を聞き終えると、ジャム姫は『ずー――ん』という擬音が聞こえそうな様子で俯いた。普段の高飛車でぢゃーぢゃーな態度は見る影も無いよ……う〜ん、さすがにちょっと気の毒だなぁ。僕だって、いきなり『一週間以内に東京大学とハーバード大学とマサチューセッツ大学とバカ田大学の入学テストを100点満点で合格しなさい。できなかったら即死』なんて決められちゃったら、彼女と同じくらい困り果てるだろうし……ちょっと違う気もするけど。

「……せめて、勝てないまでも引き分けぐらいに持ち込めば、龍族の面目も保てるんじゃないのかな?」
「無理なのぢゃ〜〜〜引き分けだって不可能なのぢゃ〜〜〜」
「いや、それがそうでもないんだよね」

 アンコさんと打ち合わせして誘導すれば、その辺はなんとかなると思うよ。根拠は無いけど。

「だから、ジャム姫は戦いの真似事だけをすれば――」
「そういう問題ぢゃないのぢゃ……わらわは戦いそのものができないのぢゃ……」
「へ?」
「こうなったら、包み隠さず話してやるのぢゃ……」

 窓ガラスに、ぼつりぽつりと水滴が当たる――
 いつに無く弱気な調子で、ジャム姫はぽつりぽつりと語り始めた――

 ――わらわは、木龍族第一皇女として生まれたが、実は王位継承権が無いのぢゃ……
 わらわは生まれた時から極端に体が弱くて、魔力も精霊力も皆無に近かったのぢゃ……
 ほとんど、お主のような地球人類と変わらない力しか持ってないのぢゃ……
 斯様に無力な龍族は、我等の悠久の歴史の中でもぜろに等しいという……
 父者も母者も、わらわの存在を認めようとはしなかったのぢゃ……
 わらわが“樹羅”の姓を名乗れるのも、反王族派の嫌がらせの結果に過ぎないのぢゃ……
 本来ならば、わらわは誕生した時点で滅ぼされていた筈なのぢゃぞ……
 わらわはずっと一人ぼっちぢゃった……
 いや、孤独と言う意味では違うな……
 親兄弟から下賎の使用人に至るまで、誰からも徹底的に蔑まれ、苛め抜かれてきたから……
 あたしは、ずっとずっと我慢してきた……
 でも、もう限界だったの……
 あの地獄から、あたしは逃げる事にした……
 あたしは、少しずつ少しずつ、微かな魔力を溜めて、やっと2回だけ魔法を使う事ができたの……
 外見を神族そっくりにする魔法と、神族のいる天界に次元転移する魔法を……
 神族ならば、あたしを外交の道具として利用するために、亡命を受け入れてくれるだろうと思って……
 でも、やっぱりあたしはできそこないだった……
 こんな小さな身体にしか変身できなかったし、天界への次元転移も失敗しちゃったの……
 あなたに会ったのは、ちょうどその時だったの――

「――あたしには何の力も無いの……もう、龍族の姿に戻る事もできないから、魔界大帝と戦うなんて……」

 安っぽいトタン屋根に落ちる雨の音が、妙に遠くに聞こえる。
 昼間はあんなに晴れていたのに……湿っぽくてどんよりとした空気は、今の僕達には相応しいかもしれない。

「……また、少しずつ魔力を溜めてみれば?」
「無理よぅ……変身魔法を使えるまで魔力を溜めるのに、2万年もかかったんだから……」

 しょんぼりと膝を抱えるジャム姫は、今までで一番小さくて、そよ風にも吹き飛ぶくらい儚く見えた。
 ……でも、僕はなんとなく……

「でも、僕はなんとなく……嬉しいよ」
「……ぢゃ?」
「やっと、ジャム姫が本音で話してくれたからね」
「…………」
「よし!!特訓だ!!!」
「ぢゃ!?」

 僕はジャム姫の手を取って――もとい、身体を取って、目の前に掲げた。

「と、特訓って……」
「君が言ったんだよ。僕がジャム姫の決闘の師匠になるって」
「……そうだったのぢゃ……でも、今さら特訓なんかしたって……」
「大丈夫!!成せば成る!!成さねば成らぬ何事も。成さぬは人の成さぬなりけり!!!」
「な、なんぢゃそれは?」
「昔読んだ本に書いてあった言葉だけどね、『一生懸命頑張れば、できない事なんて無い。もしできなかったとしたら、それは努力が足りなかっただけだ』って意味なんだよ」
「…………」
「大丈夫!!魔界大帝が何だって言うんだ!?偉大なる木龍族第一皇女であるジャム姫が一生懸命に頑張れば、不可能なんて無いよ。悪魔族のボーヤなんてふっ飛ばしちゃえ!!!」

 ジャム姫は、僕の顔をじっと見つめていた。見つめられている僕の方が、ドキリとしてしまう……そんな綺麗な瞳だった。
 やがて、なにか納得したように頷くと、

「そうなのぢゃ!!偉大なるわらわが、あんなチンチクリンを恐れる訳が無いのぢゃ!!目に物見せてくれるのぢゃ!!」

 普段の不敵で高慢でタカビーな笑みを浮かべて、指定席――僕の頭の上に飛び乗ってくれたんだ。
 よかった。立ち直りが早いというのは、君の確かな美点だよ。
 水平線に沈む夕日の輝きが、僕達を赤く染めていた。

「さあ、あの夕陽に僕らの勝利を誓うんだ!!」
「おお〜!!……って、ここは街中で今は真夜中で雨も降っていたはずぢゃぞ!?」

 細かい事を気にしちゃダメだよ!!物事を動かすのはノリと勢いなんだから!!

 ――こうして、僕とジャム姫の特訓が始まったんだ――



「♪私はめーいど♪あなたのめーいど♪掃除洗濯お料理セック……」
「ダメダメ、ちゃんと目の前の蝋燭を揺らさないように歌わなきゃ」
「うう……難しいのぢゃ〜〜」

「ぢゃ〜〜〜重くて動けないのぢゃ〜〜〜」
「がんばれ!!このドラ○ンアンクルを外した時、君のパンチ力は10倍になるはずだ!!」
「さいずが大き過ぎるのぢゃ〜〜〜これでは石抱きの拷問なのぢゃ〜〜〜」

(ぐしゃ)
「はい、これで700球目。千本ノック達成まであと300球!!潰れてないで頑張ろう!!」
(再生しながら)……少しはわらわの身も案じるのぢゃ!!大体、わらわの胴体よりも大きなぼーるをどうやって取るのぢゃ!!」

「ええと……スーソウ!!」
「残念、これはスーピンだよ。盲牌ができないと、積み込みなんて夢のまた夢だよ」
「全身で盲牌するのは大変なのぢゃ〜〜〜胸が擦れるのぢゃ〜〜〜」

(ぎりぎり)「動けないのぢゃ〜〜〜」
「この大リーグボール養成ギブスを着けていれば、飯を食ってる間にも筋力アップできるそうだよ」
「ばねが肉に挟まって、気持ち……痛いのぢゃ〜〜〜」

「この布団は何なのぢゃ?」
「これに包まって、石段を転げ落ちるんだ!!」
「殺す気か〜〜〜!!死なないけど〜〜〜」

(ざっくざっくざっく……)「ぜいぜい……や、やっと1mの穴が掘れたのぢゃ……」
「じゃあ、次はそれを埋めてね。それを何度も繰り返すんだよ」
「それはただの拷問なのぢゃ〜〜〜」


 ……いや、この特訓に意味があるとは思ってないけどね。
 要は、ジャム姫に自信をつける事が目的なんだ。
 アンコさんとの相談の結果、ジャム姫を龍の姿に戻す事は、アンコさんの力でなんとかなる……らしい。もちろん一時逃れの誤魔化しに過ぎないけど、あとはクリ君の戦いをアンコさんがうまく誘導すれば……何だかアンコさんに頼りっぱなしだなぁ。

 ――特訓の日々は一週間続いた。
 そして、ついに決闘前日――
 そう、よりによって決闘前日に、それは起こったんだ……



※※※※※



「……今、なんて言ったの?」

 コーヒー(推定)を吹き出さなかったのは、僕自身にも僥倖に近かった。

「クリシュファルス君に、私達の企みが見抜かれた」

 さっきと同じ台詞を繰り返すアンコさんのポーカーフェイスが、今はちょっぴり憎らしく思えるよ……
 
「バレちゃったのぉ!?なんで!!」
「クリシュファルス君の魔界大帝としての潜在能力が、私の想像を遥かに超えていたの。戦闘シミュレーションの読み合いの際、私の思考を媒体に『運命予測』が発動してしまうぐらいに」
「……あのぅ、言ってる意味がよくわからないんだけど……」
「私の訓練を受けた結果、クリシュファルス君自身に如何なる運命が訪れるかを『読まれて』しまったの」
「……もう少し、わかりやすく……」
「これ以上簡潔に解説するのは、地球人類の思考形態では困難だ」
「はぁ……」

 何が何だかよくわからなかったけど、要するに僕達の計画がクリ君にバレてしまったんだね……
 喉をごくりと鳴らす音が、妙に大きく聞こえた気がする。

「……で、クリ君はどうコメントしているの?」
「“如何な小手先を講じようとも、全力で叩き潰す。余と悪魔族の名誉にかけて、決して遠慮はしない”そうよ……」
「やる気満々ってわけね……」

 僕は天を仰いだ。
 天井にも貼られている壁紙の動物が、僕に舌を出しているように見えるよ……

「正面からの戦闘は回避したかったのだけれど……私はこの決闘におけるクリシュファルス君への指導を禁止されて、今後の決闘の展開は、全てセリナに一任する事になったわ。もう、私達は成り行きを見守る事しかできない」
「じゃあ、ジャム姫を龍の姿に戻す事も……」
「実質上の不可能ね。樹羅夢姫に関与すれば、試合の公平さが失われてしまう。『裁定者』たる悪魔族の指導者“魔界大帝”は、それを決して許しはしない」
「最後の希望も消えちゃったわけだね……」

 僕達の計画は、水の泡にして火の煙になっちゃったわけだ……
 特訓の結果わかった事だけど……ジャム姫って、本当に何をやらせても全然ダメなんだよね。体の小ささを考慮しても、勉強も運動も何一つ満足にできなかったし。落ちこぼれって言われていたのも、無理は無いかもしれないよ。
 でも、運動や勉強ができるからエライわけじゃないんだし、人間(あ、龍か)の価値がそんな事で決まる訳がない。
 たとえばセリナさんみたいに性格が良ければ――
 ――え、え〜と、ジャム姫の性格も良い所がある……と思うよ。うん。からかうと面白いとか……
 他にも、セリナさんみたいに美しすぎて犯罪なくらい美しければ――
 ――あ、ジャム姫は綺麗とかカワイイとか外見を誉めると怒って泣き出しちゃうんだった……龍族の基準では、彼女は二目と見られぬなんとやらなのかなぁ……僕から見るとムチャクチャカワイイのに。
 とにかく、彼女の力では魔界大帝クリ君に勝つ事は絶対に不可能だって事がわかったんだ。
 つまり……このままではクリ君の一方的な勝負で終わる事が確実なんだね。
 で、龍族と悪魔族の間に確執が生まれて、下手をすれば世界最終戦争が勃発……
 どひゃ〜〜〜!!

「もう、運を天に任せて神頼みするしかないのかな?」
「一応、私は第一級武争神族だ」
「……神頼みも無理なんですね」
「面目無い……わ」

 もう、僕にできる事は何も無いみたいだ……悲しいなぁ。

「ところで、この件でクリ君は怒らなかったのかな?」
「怒っていたわ。お陰で昨夜はかなり苛められた」
「は?昨夜?」
「何でも無いわ」
「は、はぁ……それじゃ、僕も怒られるのかな?」
「貴方は地球人類だから、クリシュファルス君は手が出せないわ。文句ぐらいは言われる可能性があるが」
「はぁ、後でアイスでも奢ろうっと……で、昨夜苛められたって何の事?」
「だから、何でも無いと――」



※※※※※



「はぁ……」

 というわけで、決戦前日の仕事場で、僕は溜息を吐きっぱなしなわけなんだ。
 秋の青空は、無責任に綺麗だ。女心となんとやらって言うけど、雨天中止って事はないだろうなぁ……はぁ、ジャム姫に何て説明しよう?
『今までの特訓は全部ムダでした〜♪』
 なんて言えないし。
 ジャム姫、一生懸命だったしねぇ……気がムチャクチャ重いよ……

 みしみし

 !?……おっとっと、考え事しながら枝葉を切っていたら、無意識の内に枝の先の方に動いていたみたいだ。危ないから戻らなきゃ――

「〜〜♪〜〜♪ですです〜〜♪」

 ん?
 セリナさんの声にのみ反応する僕のスーパーイヤーは、その声を聞き逃さなかった。
 隣の枝の先にある窓の方から、聞こえて来るみたいだけど……そういえば、あの窓の部屋は――

「ろーん♪リーチのみで裏ドラ乗って♪ドラ13で数えやくま〜ん♪ですです〜♪」

 そうだ、あの謎な歌は間違い無い!!あの部屋は、魅惑の桃源郷にして約束の地にして僕の人生のファイナルターゲットこと、セリナさんの部屋だぁあああああ!!!
 枝の太さを瞬時に計算する。あの太さとコナラの木の強度から計算して、あまり先端部分に移動しなければ、僕の体重でも十分に支える事が可能――はっ!?

 ずりずり

 いけないいけない。何を考えているんだ僕は!!

 ずりずり

 セリナさんの部屋を覗くなんて、とっても失礼じゃないか!!

 ずりずり

 大体、覗きというのは外国語で言うところのピーピング・トムで、いわゆる犯罪なんだから!!

 ずりずり

 覗きをする奴なんて、人間として最低でクズでゴミでカスでオッペケペーなんだよ!!

 ずりずり

 よしよし。この位置なら部屋の中が丸見えで、僕の姿は枝葉に隠れる事ができるぞ……って、なにぃいいいいい!?
 無意識の内に、覗きのベストポジションに移動しているぅううううう!!
 あああ……僕って失礼で犯罪で最低でクズでゴミでカスでオッペケペーだったんだね……
 申し訳ありません。セリナさん!!すぐに引き返して教会で懺悔してお寺で座禅を組んで神社で滝に打たれますから、許してください!!!
 慌てて戻ろうと、身体を動かした瞬間――僕の視界に部屋の中の光景が、一瞬飛び込んだ瞬間――僕の目は、それに釘付けとなった。

「ふっ…くぅんっ……あっ………っ♪」

 セセセ、セリナさんがあの全宇宙を包んでしまいそうなほど、包容力のありそうな胸を両手でこね回してるうぅぅー!!?
 あっ!マシュマロの様に柔らかそうな胸が、白魚のような踊る指で優しく揉みしだいて……指の間に桃色の、ちょっと硬くなり始めている乳首を挟み込んで…

「んっ……あっ……ふぁ…」

 メイド服をたくし上げて、フロントホックのブラを外して…セリナさんは僕の目の前でひとりで自分を慰めていた。
 …でもセリナさんの胸って…あんなに指がめり込んで、柔らかそうで…乳首も小さくて、ピンク色で、ピンと立ってて…

―――――(0.5秒)

 …って僕はいったい何をっ!覗きをするのは、人間として最低でクズでゴミでカスでオッペケペーで………

「ふぁぁぁんっ!」
「―――!!!―――」

 僕が自分の頭をポカポカ殴って目を離しているうちに、どうやら何かあったらしい。もう一度セリナさんの部屋に目を移してみると…

「んっ…あっ……はぅっ……」

 い…いつのまにスカートとパンティを脱いだんだろう…ベッドの脇にきちんとたたんで置いてある……ということは…

「う…ん…っ!」

 あああっ!!セリナさんが今度はうつぶせになって、胸だけじゃなくてアアア、アソコもっ!?
 セリナさんの細い指が、自分のスリットをなぞる様に優しく愛撫している。セリナさんのそこは綺麗なピンク色で、少し濃い目だけど、面積の狭い金髪が綺麗に整えられている。
 薄い唇から、甘い喘ぎ声がかすかに洩れて、自分を優しく愛撫するその姿はまるで伝説の女神を連想させるようだった。

「…っ…はぁっ……うんっ…」

 セリナさんの指は、そこから溢れ出す透明な液体でキラキラと光り、僕の耳には聞こえないはずのその小さな水音さえも、聞こえているような錯覚に囚われていた。

「…あっ……くふっ……」

 セリナさんは、顔を枕にうずめる様にして四つん這いになって、丁度僕にお尻を突き出すような感じで1人Hをしている。
 胸と、アソコに回された手が優しく、そしていやらしく動き回っている。

「んっ……ふはっ…」

 真っ白な、そして形の良いお尻と太股が快感で小さく震える。

「はぁっ………ちゅぷっ…」

 あ…セリナさんの左手が口元に移動して…
 ピンク色の薄い唇が開くと、小さな舌が人差し指と中指を舐め始める。みるまにセリナさんの指はキラキラと光を反射し始める。

「ぴちゅっ……くちゅ……んちゅっ……」

 セリナさんの唾液で濡れた指が自分の唇を弄び、舌と遊ぶ。
 その指の動きに合わせるように、右手がスリットを優しくなぞって、セリナさんの……あ、あれは…小さくぴょこんって出てるのは…
 ク…クリ○リス……?

「う…んっ!……あは……」

 小さくぴょこん、と頭を出しているそれを、ゆっくりと優しく人差し指で転がしている。そして、余った中指を……

「くぅ……んっ!」

 スリットの中に、ゆっくりと差し込んでいく。そして、ゆっくりと出し入れしてる。その指の動きに合わせて、口の中で舌と戯れている指も、ゆっくりと出入りしている。

「ちゅぷ…っ…ぷぁ…」

 あ、左手もお尻の方に……背中の方から手を回して……っ?!!!
 そ…そっちは、お……お尻の………!!!

―ツプ…ッ―

「ん……っ…ん゛〜っ!」

 左手の中指と、人差し指が、セリナさんの後ろの窄みに、根元まで飲み込まれる。そして、スリットに飲み込まれている指と、交互に動き出した。

「……〜っっ!!」

 セリナさんは枕に顔を埋めで、くぐもった喘ぎ声を洩らさないようにしている。
 何時の間にか、セリナさんのスリットに差し込まれている指が2本に増えて、合計4本の指が、セリナさんの2つの穴を責めている。

「んっ…んっんっんっ……!」

 その指の動きは徐々に速さを増して、セリナさんの身体の動きも激しくなっている。少しずつ、セリナさんの身体が細かく震えてきて……

「!!!………っ〜〜〜!!!!」

 全身を桜色に染めながら、綺麗な白いお尻を僕のほうに突き出す。そして、セリナさんはネコのように柔らかい身体を反らせ……

 ばきばき!!

 へ?
 ぐらり、と視界が傾いた。
 ……って、足場の枝が折れかけているぅ!?
 しまったぁ!!もっとよく見ようと無意識の内に枝の先に動いていたのかぁ!!やっぱり僕は後先考えないオッペケペーだぁああああ!!!

 ばきばきばきっ!!!

 枝はあっさりとへし折れちゃった。
 一瞬の浮遊感。
 この直後、僕は落ち葉の敷き詰められた大地に叩きつけられて、全治一ヶ月の大怪我を被うんだろうなぁ……何もしなければね。
 首に巻いていたタオルを掴み、鞭のように振るう。狙い通りに、タオルは屋根の雨樋に引っかかった。
 よし、庭師さん48の殺人技の1つ『猿は木から落ちても庭師は落ちない』は成功だ。
 ……でも、僕はやっぱり後先考えてなかったんだ。
 空中で前方の雨樋にタオルを引っ掛けるとどうなるか?
 答えは、空中ブランコ状態だね。
 え〜と、振り子の法則を発見したのって誰だっけ?確か昔読んだ本に書いてあったような――

 ガッシャァアアアアアン!!!

 幸か不幸か、僕は壁に叩きつけられなかった。もっとも、窓ガラスを突き破って部屋の中に転がり込んだという状況は、もっと不幸かもしれないけど。あああ、こういう窓って高いんだろうなぁ。

「まぁ、ミツさんこんにちは……です」

 上下が逆さになったセリナさんが、ベッドの上で深々とお辞儀をしてくれた。上下が逆なのは、僕が壁際ででんぐり返っているからなんだけどね……
 くそぅ、普通こういう場合は、飛び込んだはずみでセリナさんの偉大なる乳の上に抱きついてしまって、いや〜んまいっちんぐ♪状態になるのがお約束なのに!!……今更って気もするけど。

「入り口を間違えてしまったのですね。ドアは反対側ですよ」
「いやぁ、ちょっと道に迷ってしまって」

 こんな状況なのに、全然動じる様子を見せないのは、さすがセリナさんです……
 どくどくと身体中から血を流しながら、僕は何とか立ち上がった。夕食は鉄分が多い物を食べようかな。

「大変です!!ミツさんお怪我していてふぇいたりてぃーです!!少々お待ちくださいです!!」

 ちょっと慌てた様子で、どこからともなく救急箱を取り出すセリナさん。今の格好でどこから取り出せたんですか?

「だ、大丈夫ですよセリナさん」
「ちょっとだけ動かないでくださいね……です」

 ガラス片を抜いた傷口に、優しく赤チンを塗ってくれるセリナさんの手際は、看護婦さんも全裸で逃げ出すぐらいの完璧さだ。あれ?裸足だったかな?

「…………」
「…………」

 ううう……なんだか妙な雰囲気だぞ……そんな全裸同然の格好で、こんなに密着されたら……さっきから興奮しまくっているのに……僕は……僕は……

「あ、あ、あのう!!」
「はいです?」
「なななな何をしていたんですか?」

 うわぁあああああ!!!
 僕は何を言ってるんだぁあああああ!!!
 平静を保とうとしているつもりだったけど、やっぱり僕はパニくっているぅううううう!!!

「ええとですね、最近クリさんとアンコさんが決闘の訓練で毎日毎日毎日御忙しいらしくて、私の相手をして貰えないのです」

 しれっとセリナさんは答えてくれた。

「はぁ」
「ですから、少々寂しくて退屈なのです」
「大変ですねぇ」
「大変です……そうです。もしミツさんが宜しければ、私と……その……いかがでしょうか?です?」

 時が止まった。
 頭の中が真っ白になる。
 まさか、セリナさんの方から誘ってくれるなんて。それも、お茶でも誘うぐらいにあっさりと。
 僕の夢の1つが、ついに適う時が来たんだ。
 もちろん、僕の返答は決まっている。

「すみません。まだ仕事が終わっていないんですよ」
「あらあら、とっても残念です……はい、終わりましたです」
「どうもありがとうございます。あ、窓ガラス代と赤チン代は給料から引いといてください」
「お給料がマイナスになってしまいますですが?」
「……つ、ツケといてください」
「承知しました……です」
「それじゃ、失礼しますね」
「お疲れ様です」
「あ、そうだ……アンコさんは今何処にいますか?」
「今はちょっとブラジルまで本場のトマトを買いに行ってますです。明日の朝には戻られるそうです」
「そうですか。それではお邪魔しました」
「御大事に……です」

 ばたん

 部屋から出て扉を閉めた姿勢のまま、僕はしばらく固まっていた。

「まいったなぁ……」

 独り言をこぼしながら、僕はぼりぼりと頭を掻いた。

 ぼりぼり ぼりぼり

 ぼりぼり ぼりぼり

 ぼりぼり ぼりぐしゅ!!

 したたる鮮血が、僕の視界を真っ赤に染める。
 開いた傷口をいくら掻き毟っても、一度点いた火は止まらなかった。
 心の奥底にある、
 暗い、
 暗い、
 陰鬱なる炎が。
 僕は、ふらふらと屋敷の外に出た。あの場に――セリナさんの傍にいるわけにはいかなかった。
 まいったなぁ……とうとう『目覚めた』みたいだね。
 アンコさんを『壊せば』直ると思っていたんだけど、どうしてこんな狙ったようなタイミングで……ははは。笑うしかないよ。
 また僕は、鮮血に染まった両腕を眺めながら、普段と変わらない笑みを浮かべるんだろうか。

 ああ

 那由さん

 あなたがこの場にいてくれさえすれば――
TO BE CONTINUED

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