チュン……チュン…… 暢気そうなスズメの囀りと、安っぽいカーテンの隙間から漏れる朝の光が、僕をのんびりと覚醒させる。 ……ううん……朝か……妙に日の光が黄色く見える…… ひどく瞼が重い。欠伸交じりに体を起こそうとして――再び身体を横たえた。 た、立てない……下半身の感覚が無いよ。もう何回ヤッたのかもわからなくなるくらいヤッたからなぁ…… でも、おかげですっかり僕の心の中の『血の欲望』は消え去ったようだ。 ありがとう。樹羅夢姫。 僕は隣で寝ている樹羅夢姫の髪を、そっと梳こうとして―― すかっ あれ? 手応えが……無い? まさか!! 僕は愕然と樹羅夢姫を見た。 人形のように小さな身体。おかっぱ頭のドラゴン娘が、スヤスヤと眠っていた…… うわぁあああああ!!!元に戻っているぅううううう!? 「……ん……ふぁあ……おはようなのぢゃ藤一郎……って、えええええええ!!!なぜにまた縮んでいるのぢゃああああ!?」 続けて目を覚ました樹羅夢姫――じゃなくてジャム姫も、自分の姿を見て悲鳴を上げた。 「どういう事なのぢゃ!?藤一郎!!」 「いやぁ、僕に言われても……え〜と、あくまでも推測だけど」 「ぢゃ?」 「ひょっとして、あの方法で龍族の姿に戻ったり、成体になれるのは、一時的な物なんじゃないかな。一定時間が過ぎると、また元に戻っちゃうとか……」 「……あぅ」 「でもほら、変身できる方法はわかったんだから、決闘には問題無いんじゃ――」 ここで、僕は気付いた。 決闘の日付って、今日じゃないか……決闘は正午だから、まだ少し時間はあるけど…… つまり……昨夜あんなにヤッたのに、今からまたヤらなくっちゃいけないわけぇ!? 背筋を冷たい汗が流れた。 僕、死ぬかも…… 「そうぢゃな。時間もあまりない事だし……さっそく始めるのぢゃ♪」 ちょっと顔を赤くしながらも、とってもにこやかにジャム姫は微笑んでくれた。うわーい。 こんな時って女性は便利だねぇ……男みたいに弾薬補充の休憩期間必要がないもの。ジャム姫が無限の再生力を持っているのもあるだろうけど…… 「あはははは……」 「どうしたのぢゃ?真っ白な灰になっておるぞ?」 「ちょ、ちょっと眩暈がして……」 本当に眩暈を感じて、僕はよろめいた。 「痛っ」 指先に激痛が走る。 そこに草刈鎌が浅く刺さっていた。 よろめく身体を支えようとして、右手を床についた時、ちょうどそこにプレイで使っていた庭師七つ道具が置いてあったんだ。う〜ん、そろそろ本格的に部屋の掃除をしなくちゃなぁ…… 「どうしたのぢゃ?」 ジャム姫が、ちょこんと僕の膝の上に飛び乗った。 「いやぁ、ちょっと指を切っちゃって……いたたたた……」 「なんぢゃその程度の傷で。さっきまでわらわにしていた行為と比べたら、傷にもならんぞ……痛がり屋ぢゃな!!」 「…………」 まったくもってその通りで、何も言い返せない…… 「ほれ、見せてみるのぢゃ」 ジャム姫は、そっと僕の指を取って、 「この程度の傷、舐めれば治るのぢゃ」 血の玉が浮かぶ指先を、そっと舐めてくれた。小さな舌が傷口をくすぐる感覚に、ちょっとぞくりとする――その時!! ぼわん 白煙が僕の視界を塞ぐ。 ……へ? 唖然としながらも、煙をかき分けると―― 「ぢゃ?」 僕の膝の上に、身長150cmのジャム姫が、呆然と乗っかっていた…… 「…………」 「…………」 何とも表現し難い空気が漂った。 これって、もしかして…… 「……もう一度、舐めてみる?」 「……ぢゃ」 血の滲む指先を、ちゅぽんとジャム姫は咥えた。 次の瞬間、まばゆい光の渦が部屋を満たして―― ずんっ ぐえっ。 案の定、光が収まると、僕の体の上に、威厳ある樹羅夢姫の巨体があった。 「…………」 『…………』 「……つまり、一々SEXしなくても、血を1滴飲めば変身できたんだね」 『……そのようじゃな』 「……って言うか、これが本来の、生命力を吸収するっていう龍族の究極奥義だったんじゃないかな?」 『……そ、そのようじゃな』 さわやかな朝日が窓から照らして、かわいいスズメの歌声が聞こえる部屋の中―― 全ての問題が一気に解決したにもかかわらず、僕と樹羅夢姫の虚ろな笑い声が、部屋をマヌケな空気で満たしていた…… 結局、こーゆーオチかぁああああ!!! ひゅおおおおお…… 10月にしては、妙に生暖かい風が吹いた。 セピア色の枯葉が空に巻き上げられて、透き通るような青空に微妙なコントラストを彩っている。 う〜ん、ちょっとお茶でも用意して、のんびりとしたい光景だ。 ……『これ』さえ無ければね。 ――決闘当日、正午直前・腹黒邸敷地、南乃丘―― 「よくぞ、にげずにここまできたな」 腕組みをしたクリシュファルス君が、射抜くような眼差しで相手を睨んだ。迫力は全然無いけど。 「それはわらわの台詞なのぢゃ。チンチクリン」 僕の頭の上で、ジャム姫がフフンと鼻を鳴らした。見えないから推測だけど。 「だぁれがちんちくりんかぁ!!」 「お主に決まっているのぢゃ!!」 早くも殺る気満々な2人――悪魔族と龍族の代表同士の戦いが、世界のあらゆる存在を凌駕する、超高位存在同士の戦いが、今、始まろうとしている!! 「こぉのちびちびりゅうぞくがぁ!!」 「チンチクリンには言われたくないのぢゃ!!にょろにょろ悪魔!!」 ……超高位存在同士の戦いのハズ、なんだけどなぁ…… 「冷静に。まだ戦いは始まっていない」 「むぅ……」 冷静沈着の極地としか言えない声に、クリ君の激情はピタリと止んだ。さすがだね。 クリ君の後ろで控えているのは、彼のセコンド役のアコンカグヤ――アンコさんだ。今日も例の軍服みたいな服を着ている。カッコイイなぁ。 で、僕はジャム姫のセコンド役なんだけど…… 「ジャム姫も、もう少し落ちついて……」 「お主は黙っておれ!!」 ……僕にセコンド役としての権限はまるで無いみたいだ。トホホ…… 「あらあら、決闘開始はまだですよ」 そんな2人のちょうど間の位置で、頬に片手を当てながら、ニコニコ微笑んでいるのが……ああっ!!我等のセリナさん!!! まるで切腹するような白装束に懐中電灯を鉢巻で頭に巻いたその衣装は、明らかに何か間違っているような気もしますが、何を着ても最高ですよ!!セリナさん!!!何を着ても胸の部分がはちきれそうですし!!! あああ……やっぱりセリナさんの爆乳は特別製だなぁ。もう、マイフェイバリット乳って感じで―― ぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!! ギャーアーアーアーアーアーアーアーアーアーアー!!! 「どこをジロジロ見ておるのぢゃ!!!」 盛大に頭髪を引き抜かれて、頭を押さえながらうずくまる僕の頭の上で、ジャム姫は不機嫌の極地といった声をあげた。 「昨夜はわらわの乳を散々弄りまわしおったのに、まだ満足できんのか!!」 「……いだだだだ……ええと……それとコレとは別問題で……」 な、なんだか以前よりも、僕がセリナさんに見惚れて、茫然自失している際へのツッコミが激しくなっているような…… 「まったく、そんなに乳が見たいのなら、あんなボケボケ女じゃなくても、わらわがいくらでも……」 「え?何か言った?」 「ななななななんでも無いのぢゃ!!それよりも、ほれ!!始まるのぢゃ!!」 「痛たたたたた!!だから、髪を引っ張らないで――!!」 ジャム姫に髪を引っ張られるように顔を上げると、セリナさんを挟んだ反対側では、 「なにをまんざいしておるのだ……ゆくぞ!!」 クリ君の小柄な身体が、黒い闇に包まれていた。 「まだ早い。このまま戦闘形態に変身すると、この世界が消滅するわ。“ワールド・フリーズ”の術を発動するまで待って」 「ぐっ……さっさとやってくれ!!」 「了解」 アンコさんの義眼に、赤い光が宿ると同時に―― 「な、なんだこりゃ!?」 ――なんと、周りの光景が白黒写真のネガみたいに、モノトーンの世界になっちゃった。いや、それだけじゃない。空を飛ぶ鳥も風に舞う落ち葉も、全ての動きが止まっているんだ。これって『ザ・○ールドッ!!時よ止まれッ!!』って奴なのかな? 「発動完了……ん?」 あれ?アンコさんが――奇跡的にも――小首を傾げながら明後日の方向を見ている。どうしたのかな? 「……どうしたのだ?」 「この神聖波動とZEXL認識パターンは……クルィエ少佐ね……」 「クルィエしょうさ?……あのくろいZEXLのしかくか!?」 「私の“ワールド・フリーズ”が発動したタイミングで、クルィエ少佐のZEXL反応があった」 「あやつめ、またなにかたくらんでおるのか!?」 「……いいえ、何か戦闘が行われているようだが、私達とは関係無いようね」 ???……何を言っているのか意味不明だけど……関係無いのなら気にしなくていいかな。 「異空間結界内部で交戦しているため、私達への影響は皆無だと判断する。無視して問題無いわ」 「うむ……それならよいが……ではあらためて、こんどこそゆくぞ!!」 闇の輪郭はどんどん人外の形に変化して、大きさもずんずん巨大化していく。あの時見せた、魔界大帝としてのクリ君の真の姿に戻っているんだね。 そして、数秒後には―― 《――さぁ、完全決着をつける時が来たぞ。木龍族が第一皇女よ!!》 途方も無く巨大な漆黒の魔獣要塞――クリ君、いや、魔界大帝クリシュファルス君の『戦闘形態』が“降臨”していた…… ただ、目の前にあるだけで、魂が消え失せそうな圧倒的な威圧感――あまりの巨体に、全体が見渡せないよ。後で聞いた話では、今のクリシュファルス君は体高500m、全長4kmという、ムチャクチャとんでもない大きさになっているんだって。ははは……もうスケールが大き過ぎて、単なる一般地球ピープルである僕には、ちょっとついていけない世界になってきたなぁ。 《余が降伏を認めるのは、今の内だけであるぞ》 とてもクリシュファルス君の声とは思えない、地球が震えそうなくらい恐ろしくて威厳のある声――でも、完全に硬直している僕の頭の上では、 「ふふん♪それはわらわの台詞なのぢゃ。チンチクリン」 《な、何ぃ!!》 あの時は、ただ僕の頭の影で震えているだけだったジャム姫は、たまらなく不敵な笑みを浮かべていたんだ!!(頭の上なので、推定だけど)。 「今度はわらわが真の姿を見せてやるのぢゃ!!ゆくぞ藤一郎!!」 「……え?……あ、はいはい」 ジャム姫の呼びかけで硬直が解けた僕は、人差し指の先に草刈鎌を当てた。 ――痛っ。 「はい、どーぞ」 血が垂れる人差し指を頭上にあてがうと、 「うむ、ご苦労なのぢゃ」 傷口に、ジャム姫の小さな舌が触れる感覚があった――瞬間!! ぼわん ずん ぬおっとっとっと!! 《むむぅ!?》 「…………?」 「あらあら?です?」 少しふらつきながらも、何とかバランスをとった僕の頭の上に、ジャム姫等身大バージョンが現れた。 「ふっふっふ。驚くのはまだ早いのぢゃ!!」 続けてジャム姫が、僕の指をちゅーちゅー吸うと……って、やばいかも――!! ビカァアアアアアアアア!!! ぐしゃ!! ぐぇえええ…… 《な、何ぃ!!》 「…………!?」 「あらあら、まぁまぁ……ミツさん大丈夫ですか?」 予想通り、あの巨体を支えきれずに潰れた僕の頭の上には、樹羅夢姫“成体”ゴージャスバージョンが出現した……と予想。いや、今の僕は潰されてるから見えないし。 《まさか……帥は龍族の力を取り戻したのか!?》 『ほっほっほ。これも藤一郎との特訓の成果なのじゃ』 《ぬぬぅ……ふん、そうでなければ張り合いが無いわ!!》 『強がりも今の内だけじゃぞ!!』 「あのう、それよりもミツさんが……です」 『じゃ?……あ、ゴメンなのじゃ』 痙攣している僕の頭の上から、やっと樹羅夢姫は退いてくれた。あ、ありがとうございますセリナさん……やっぱり、貴方は僕の女神様です!! 『さて、危ないからお主は下がっておれ』 「はいはい……でも、いくら龍族の成体になれたからって、あんなに大きなクリ君に勝てるの?」 ほとんど首を垂直に向けなければ見えない魔界大帝の巨体を仰ぎながら、僕が心配を口に出すと、 『そういえば、お主には人間に変身している姿しか見せておらぬのじゃな……では、見るがよい……』 樹羅夢姫は、あの虹色に輝く瞳を瞑って見せた。 一瞬、幻想的な沈黙が場を支配するような感覚―― 風も無いのに、あの深藍色の髪がさわさわと揺れた。髪はゆっくりと生き物のように樹羅夢姫の身体を這い、あっという間にその全身を被い尽くしちゃった。 「じゅ、樹羅夢姫?」 思わず声が出る。 それに反応するように、樹羅夢姫を包む髪が、みるみる巨大化していった。苗木から大木に成長するように、天に向かって長く長く伸びていく……そして!! 「うわっ」 《ぬぅぅ!?》 「……!?」 「あらあら……です」 どう形容したらいいのかわからないくらい凄まじい閃光が、空を被い尽くし、僕達の目を焼いた――ひぇえええ!!! ゴゴゴゴゴゴゴ…… 数秒後、やっと視力を取り戻した僕が見た“存在”それは―― 『龍』 空のほとんど全てを覆い隠すぐらい巨大な、そして身震いするくらい美しい龍が、天球に『降臨』していたんだ…… 中華風の龍を思わせるシルエット。その全身をサファイヤみたいに蒼く輝く宝石状の鱗が、外骨格のように被っている。頭部から伸びる、数千年を生きた巨木を思わせる枝角。どんな宝石よりも美しく輝く虹色の瞳。触れるもの全てを滅ぼすだろう鋭い牙と爪。その全てが、あまりにも偉大な全てが、ここに1つのメッセージを掲示していた。 “ここに、世界の全てを超越した、真実の『絶頂』がある” ……って。 あれが……本当の……樹羅夢姫!? 僕はただ、呆然とするしかなかった。冗談じゃなくって、僕はこの偉大さに打たれたまま、死ぬまで呆然としていただろう。 「……“大聖”ね」 いつのまにか僕の傍にいたアンコさんが、そう呟いてくれるまでは。 「……大聖って……あの時話してくれた、あの大聖?四大種族をたった1人で制圧できる力を持つ、全世界全次元全宇宙最大最強最高の“究極存在”だっていう、あの大聖!?」 「説明的な台詞ありがとう。水龍族の姿形、火龍族の牙と爪、土龍族の宝石状の鱗、金龍族の外骨格装甲、そして本体は木龍族……間違い無い。樹羅夢姫こそが“大聖”だったのね」 「はぁ……『あの』ジャム姫がねぇ」 「そう、『あの』樹羅夢姫が……よ」 アンコさんのポーカーフェイスにも、どこか驚愕の影が見えるような気がする。 あはは……『あの』ジャム姫がねぇ。いろんな意味で、只者じゃないって思ってはいたけど……いよいよまったくもって、一介の地球人には、ついていけない世界になってきたなぁ…… 「あらあら、ジャム姫さんも大きくなってしまいましたですね」 ……一方、ぜんぜん全くこれっぽっちも動揺せずに、普段と変わらない笑顔を見せるセリナさん……流石です。 『ほっほっほ!!これがわらわの真の姿じゃ!!恐れ入ったか!!』 《むむむぅ、よもや帥があの“大聖”であったとは……でも、なぜその事実を隠しておったのだ?》 『……えっ!?そ、それは、そのぅ……』 《……まさか、自分が大聖だと今まで気付かなかったのか?》 『う、う、五月蝿いのじゃ!!チンチクリン!!!』 《だぁれがチンチクリンかぁ!!!》 確かに、今の樹羅夢姫はクリシュファルス君にも負けない巨体(後で知ったけど、今の彼女は胴の太さだけで80m、体長はなんと80kmもあったそうだ)だけど……精神的には変化が無いみたいだね。2人とも…… 「やれやれ、姿が変わってもあの2人は変わらないね」 「…………」 「……どうしたんですか?」 アンコさんは、クリシュファルス君も樹羅夢姫も見ていなかった。 2人を通して、何か別の存在を見ているようだった。 「…………ている」 「は?」 「出来過ぎている」 「何が?」 「出来過ぎている。――のか?」 独り言のような――実際、独り言だったのだろう――アンコさんの呟き。 その台詞を聞いた時、僕の心の中に、何か不吉な影が差すのを感じた。 アンコさんの呟き、それは―― 「はいです。それでは決闘開始の時間になりましたですよ」 パンパンと手を打ち鳴らすセリナさん。あ、そういえばそれが目的だったんですよね。 《……では、死合うとするか。命乞いしても許さぬぞ》 『それはこちらの台詞じゃ』 蒼い龍が鼻先を漆黒の悪魔に向けて、黒い悪魔も闇の波動を放出して蒼い龍に答える。 単なる地球人類とやらに過ぎない僕でも、両者の間に目に見えない『凄まじい何か』が張り詰めていくのがわかるよ。 “大聖”と“大帝”――世界の頂点に位置する2つの存在が、今、ここに激突しようとしている!! う〜ん、ついに本当の怪獣プロレスが始まるんだね。燃えるなぁ。 天上をうねくる樹羅夢姫が放つ青い輝きが、光の粒子と化して雪みたいに降り注ぐ。 大地に聳え立つクリシュファルス君から、脈動するように漆黒の輝きが放たれる。 思わず、息を呑んだ。 手の平に熱い汗が滲むのがわかる。 ――次の一瞬で、全てが始まり、全てが終わる―― 張り詰めた糸が、今、この瞬間にプツリと切れて――!! 「それでは、第1回戦『あっちむいてホイ』を始めますです」 ずるどてん 樹羅夢姫は何も無いのに空中ですっ転び、クリシュファルス君の巨体もツルリとひっくり返った。2人とも器用だなぁ。 いや、僕も両足を前後に180°開脚しながらこけているんだけどね……アンコさんも直立した姿勢のまま身体が40°傾いて、傍らのクスノキに頭をぶつけている。 『《……な、なんじゃそりゃあ〜〜〜!?!?》』 見事にハモって悲鳴に近い絶叫を叫ぶ樹羅夢姫とクリシュファルス君。やっぱり息もピッタリだと思うけど…… 「『あっちむいてホイ』とはですね、2人でジャンケンをして、勝った人が指差す方向に負けた人が――」 《誰も“あっちむいてホイ”のやり方など聞いておらぬ!!》 「はいです?」 『木龍族第一皇女であり大聖であるわらわと、魔界大帝のチンチクリンとの決戦を、そんな事で決定してどうするのじゃ!!』 「あらあら、『あっちむいてホイ』はですね、とっても高度な心理的駆け引きと息迫るスピード&リズムを必要とする、ワクワクドキドキの――」 ずずいっと迫る2人の超高位存在とやらに、少しも動じる気配を見せず、頬に片手を当てる例のポーズのまま、ニコニコと解説するセリナさん……やっぱり貴方は偉大過ぎますよ。いろんな意味で。 アンコさんが軽く額を押さえながら、セリナさんの傍に近付いた。 「……セリナ」 「はいです?」 「貴方が提示した決闘とは、即物的な意味での『戦闘行為』ではなかったの?」 「ダメですよ。そんな危ない事をしては……です」 何とも言えない、マヌケな沈黙が辺りを支配するのを感じるよ…… ……そうですよね。貴方がそんな危険な事を提案する筈が無いでしたよね…… 『だからといって、そんなアホな事で決着をつけるわけにはいかないのじゃ!!今までの苦労はなんだったのじゃ!!』 樹羅夢姫、それは僕も同感だよ…… 《余も同感だ!!》 「参加しない方は、敵前逃亡で負け負けさんと判定しますですよ」 『《…………あうぅ……》』 しばらく固まっていた2人は、やがてがっくりと肩(推定)を落として、ふらふらと向き合った。 正直、僕もげっそりな気分だけど……でも、全世界全次元全宇宙最大最強最高の超高位存在同士の『あっちむいてホイ』なんて、滅多な事では見られないからなぁ。ある意味幸運な事なのかも。 「全ての問題は解決したようね」 「解決したね」 いつのまにか傍に立っていたアンコさんも、どこか疲れたようなさっぱりしたように見える。きっと、僕もそんな風に見えるんだろう。 あまりにもトホホなオチだけど……まぁ、血生臭い戦いよりは遥かにマシだよね。 きっと、セリナさんもそう考えていたんだろう……ああっ!!やっぱり貴方は女神様ですよ!!セリナさん!!! 「これからどうする?」 「そうだねぇ……一応コーチとしては見守っておく必要があるんじゃないのかなぁ……どうでもいいような気もするけど」 明らかにやる気のなさそうな超高位存在の『あっちむいてホイ』を見物しながら、僕は独り言のように呟いた。庭師さん48の殺人技の1つ『庭師は休憩場所を選ばないぜ。ハニー』を使って出したシートを落ち葉の上に敷いて、そこによっこらせと腰を下ろす。アンコさんも、僕に軽く一礼して傍に座った。 「そうね。しばらく見ていましょう。特に急務の仕事も無いから」 「そうだね」 「こんな事もあろうかと、お昼の弁当を用意しておいた。全部、私の手作りよ」 「……え゛!?」 「なにか?」 「い、い、いや、そのぉ……!!そそそその十段重ねの重箱全部、アンコさんの手作り料理ぃ!?」 「なにか問題でも?」 「べべべべべ別に何もももももも」 「妙に顔色が悪いようだが……大丈夫?体調でも悪いの?」 「め、め、目の錯覚だよ……ななななかなか美味しそうですねっ!!このマーボー豆腐!!色もキレイな紫色だし!!」 「それはオムライスよ」 「…………」 ……どうやら、命をかけた戦いをする羽目になるのは、僕の方だったらしい。ギャー。 ――数時間後―― 「それでは第43回戦『リリアン早編み競争』を始めますです」 『……じゃあ〜〜〜!!!』 《……ま、まだ終わらぬのか!?》 (……ま、まだ終わらないのか……この地獄から来た血と惨劇のジェノサイド料理は……) 「まだまだたくさんある。遠慮しないで」 「……スミマセン、遺書を書く時間は取れませんか?」 「え?」 ――さらに数時間後―― 「それでは第108回戦『夜店の型抜き』を始めますです」 『……も…もう勘弁して……じゃ……』 《……ぐすぐす……もう嫌だよぉ……》 「あらあらです……それではこの勝負、お2人とも引き分けで宜しいですか?」 『《そうしますぅ!!》』 「それでは、もう2人とも喧嘩しちゃダメですよ」 『わかったのじゃ〜〜〜』 《うんうん!!》 ……結局、この勝負はこうして2人が根を上げて、引き分けという形で幕が下りたらしい。 らしい。というのは、アンコさんの料理(という名の“恐怖”)を何とかたいらげた僕は、その直後に失神していたからだ。トホホ、情けないなぁ……でも、アンコさんの料理を全部食べた事は評価して欲しいね…… 〜〜こうして、世界の危機――悪魔族と龍族の全面戦争の危機は、1人の犠牲者も出さずに、何とか回避されたのだった〜〜 ばりんっ 煎餅を噛み砕いた姿勢のまま、僕は固まっていた。 「……今、何て言ったの……?」 「聞こえなかった?」 相変わらずの無表情のまま紅茶を一口啜って、アンコさんはさっきの台詞を繰り返す。 「龍族は好色では無い。逆に他のどんな種族よりも貞操観念が強いわ」 ――あの世界の命運をかけた大決闘から、1週間が過ぎた。 結局、決闘はジャム姫とクリ君の両者同時ギブアップによる、引き分けに終わったんだ。世界の危機は回避されて、2人はセリナさんの名の元に友達になった――という事になっている。 実際は、両者顔を会わせる度にぎゃーぎゃーぢゃーぢゃーいがみ合っているけどね…… そして、ジャム姫は完全な形で龍族に戻る方法が見つかるまで、僕の部屋に住み着く事になった。本当ならアンコさんやクリ君のいるこの屋敷に住むのが良いのだろうけど、なぜかジャム姫自身が、僕の部屋に住むことを強固に要求したんだ。無論、僕の意思は完全に無視されている……トホホ。 でも、なんで豪華な御屋敷よりも僕の小汚い部屋が良いのかなぁ?やっぱりクリ君と一緒に住むのがイヤだからかな? 後で、この事をジャム姫に直接聞いてみたんだけど、なぜがひどく怒って、顎を蹴飛ばされちゃった。なぜだろう? で、今は昼休み――アンコさんに誘われて、彼女のファンシーな部屋でお茶を御馳走になっているんだけど……取り止めの無い雑談の中で、どうやってジャム姫を一時的にとはいえ、龍族の成体に変身させる方法を見出したのか?という話題になった。 まぁ、さすがに『ジャム姫とエッチしたら偶然発見しました〜♪』とは言えないし……ジャム姫が僕を平然と受け入れてくれた事を考えて、 『龍族って、性に開放的っていうか……要するに、エッチで好色なのかな?』 ……って、かなり遠回しに伝えた。 その言葉を聞いたアンコさんは、僕を例の感情を感じさせない眼差しで見つめて……さっきの台詞を言ったんだ。 僕は硬直した。当然だろう? 「本当の本当にホント?」 「本当の本当にホントよ。特に龍族の女性は、自分が真に愛した相手としか性行為をしない。そして、その相手に身も心も完全に隷属するの。プライドの高い龍族にしては極めて希少な習性と言えるわね」 え〜と、それって、つまり、その…… ででででも、ジャム姫の僕に対する態度には、そんな素振りは全然まったくこれっぽっちも見えなかったんだけどなぁ……そ、そ、そうだよ。『あの』ジャム姫に、普通の龍族の常識が通用するとは思えないし!!彼女は大聖なんだから、きっと特別なんだね!! 「そうですよね!!」 「え?」 「……あ、いや、その……」 我ながら情けないくらいにしどろもどろな僕を、アンコさんはじっと正面から見据えた。ううう……妙に迫力を感じる…… 「貴方、まさか……」 「なななナンの事ですかぁ!?」 「……そうなのね?」 「そ、そ、そうなのねって!?」 「そうなのね」 「……ハイです」 アンコさんは微かに俯いた――ように見えた。 ううう……いくら僕が血の欲望にイッちゃってたとはいえ、やっぱり単なる一般地球ピープルが、木龍族第一皇女アーンド大聖とヤっちゃったのはまずかったかなぁ? ……考えるまでも無いか。トホホのホ…… 「ずるい」 「へ?」 「あの時、私が先に約束した筈なのに」 ……今、なんて言いました?アンコさん? 何とも言い難い奇妙な空気が流れる――その時、 「悪魔族風情が生意気なのぢゃ!!このチンチクリン!!!」 「だぁれがちんちくりんかぁ!!このぢゃーぢゃー龍族ぅ!!!」 階下でどぉんと腹に響くような振動と、あの2人の言い争いが聞こえてきた。あ〜あ、また始まった。1日1回は必ずコレだもんなぁ……アンコさんと顔を見合わせながら、なんとなく溜息を吐いた……と同時に、 「こらまてぇ!!にげるきかぁ!!!」 「ちょっと待っておれ!!――藤一郎、出番なのぢゃ!!」 「あらあら、2人とも鬼ごっこですか?」 ノックも無しにドアが開いて、ジャム姫が部屋に転がり込んだ。続けてクリ君が、一拍遅れて我等がセリナさんがやってくる。 ほんの1週間前から訪れた――退屈などしようが無い、ドタバタとした光景の中――僕は不思議に暖かい情感を抱いていた。 血に塗れた僕の人生――平穏な生活など送れる資格は無い。まともな死に方など許される筈が無い。何より、僕が許さない。 いずれ、惨めに泣き叫びながら、地獄に落ちるんだろう。 おそらくは、『彼女』の手にかかって…… ……でも…… でも、たとえほんの短い時の流れの中でも、この暖かいふれあいがある限り…… 僕は自分の人生を、堂々と振り返る事ができる。堂々と伝える事ができる。 ほら、僕はこう生きたんだよ。 こんな僕でも、生きる事ができたんだよ。 ……って。 「何を呆然としているのぢゃ!!早く変身の準備を――」 世界で一番小さくて、世界で一番偉大な女の子が、足元でぴょんぴょん跳ねている。 僕は苦笑しながら、ジャム姫を摘まんで頭の上にちょこんと乗せた。 「ぢゃ!?何をするのぢゃ!!」 「いいからいいから……」 ここが、君の指定席―― ――そして、僕の居場所なんだからね。 EPISODE END 『その通りじゃ』 闇をも震わせる重厚な声。『彼――魔界大帝』と『女――神将元帥』は、静かに振り向いた。 魔界の星光が差し込む天窓の外に、巨大なる『存在』があった。 如何な輝きよりも美しく煌く、蒼い偉大な『龍』が―― 天窓が独りでに開き、龍が部屋の中に降臨する。 『わらわが約定をたがえた事があったか?』 《“あの頃”のそなたは、約束を守る方が珍しかったがな》 彼の漆黒の巨体が、微かに脈動した。 心の中の思いを、押し隠すように。 《久しいな“木龍大聖”よ。最後に会ってから1億5千万年にもなろうか……すっかりババアになりおって》 『ジジイに言われたくは無いのじゃ。このチンチクリン』 《誰がチンチクリンか》 龍が住処としていた森の仲間達には、想像もできないだろう、ふてぶてしいまでに嫌味な声。こめかみに――彼の種族にとってこめかみに当たる場所に、太い血管が浮かぶ。 一瞬、張り詰めた空気が場を支配し――次の瞬間、両者の大笑いが部屋中に響いた。 聞く者全てが幸せになれそうな笑い声だった。 笑い声が止むと、龍が静かに彼の漆黒の異形にとぐろを巻いた。彼の闇の触手が青い鱗を優しく撫でる。 抱擁だ。 《そなたは変わっておらぬな……安心したぞ》 『それはわらわの台詞なのじゃ……ふふふ……しかし、あやつはもっと変わっておらぬようじゃな?』 龍の虹色の瞳が、傍らの翼持つ女に向けられた。 「お久しぶり、木龍大聖」 『久しいのう、神将元帥よ……強化には成功したようじゃな。もはやわらわ達に匹敵する力を得たではないか』 女は無言で蒼い鱗をゆっくりと撫でる。 それだけで、十分に思いは伝わるから。 「……でも、正直私は貴方が来るかは半信半疑だった」 《余も同感だな》 『ほぅ、なぜじゃ?』 《この計画は、いわばそなたの恋敵の為の戦いなのだぞ。そなたにとっては、益になるどころか悪い事なのでは無いか?》 龍は、優しく微笑んだ。森の仲間に見せていたのと同じ笑みだった。 『あやつの最期の言葉は『セリナを救ってくれ』じゃった。嫌と言えばよかったかの?』 「…………」 《…………》 『フフフ……そんな顔をするな。安心せい。わらわもあの女は嫌いでは無いのじゃ……それに』 龍の眼前に、1枚の写真が浮かぶ。 1人の男と、頭上に乗る小さな女が写っていた。 地球人類――木龍大聖にとっては、塵芥にも等しく取るに足らない種族――でも、 『それに……』 龍にとってその男は、心の中の最も神聖な場所を支配する、彼女の心に決して消えない楔を打ち込んだ存在だった。 その男こそが、彼女にとっての真の『居場所』なのだから。 『それに……約束……だからね……』 それだけが、彼女の2億年に及ぶ理由。 それだけが、彼女の2億年に及ぶ望み。 それだけが、彼女の2億年に及ぶ誓い。 「……約束……だからね……藤一郎……」 セリナの世界最後の平穏な日々 |
・・・・・TO BE CONTINUED |
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