同時刻――

「セリナお姉ちゃんのお節料理美味しかったですぅ♪」
「はいはい、いつまでも浮かれてんじゃないわよ」

 大半の店がシャッターを閉じているにもかかわらず、『ポンポコ通り商店街』の町並みはどこか華やかだ。お正月特有の飾り付けが通りを彩っているからだろう。

「大体、お節料理なら家でさんざん食べたでしょ?あんなにがっつくなんて、お姉ちゃん恥ずかしかったわよ……あの小さな妖精よりはマシだったけど」
「だってぇ、セリナお姉ちゃんの作るお料理ってとってもとっても美味しいんですぅ!!毎日あんなご飯が食べられたらぁ、あすみ幸せでぽえぽえになっちゃいますぅ」

 そして、そんな商店街をより一層艶やかに彩るのは、サファイヤブルーに百合の模様を散りばめた着物を纏う真紅のポニテ美女と、ピンクにチューリップ模様を散りばめた着物を纏う真紅のセミロング美女――着物姿の西野姉妹だった。
 さっきまで、腹黒氏の屋敷に御年賀参りに行ってきたのである。

「なによ、あたしの料理が気に入らないっていうの!?」

 よほど豪胆な者でも一発で縮み上がるだろう眼差しが、あすみの横顔に突き刺さった。なまじ美女なだけに、その迫力は半端では無い。
 そもそも、実家では家事を始めとした料理全般は全てかすみがやっているのだ。母である那由が家事全般まるでダメなので、やむを得ず自分の担当になってしまった感はあるが、那由と同じく家事技能が壊滅的なあすみに言われる筋合いは無いだろう。
 しかし、そんなかすみの心情を察する由も無く、あすみはあくまでほんわかぽわぽわだ。

「そんな事はないですけどぉ……セリナお姉ちゃんのお料理は特別に美味しいんですぅ。きっとみんなセリナお姉ちゃんのお料理が美味しいって言うと思うですぅ」

 あすみの発言に悪気は無い。しかし、他人がその発言をどう捉えるのかは別問題である。
 かすみの眼差しが、ますます鋭く引き絞られる。

「いい加減にしなさいよ……本当はあんな気味悪い女の料理なんて、一口でも食べるわけにはいかないんだから」
「えええ〜?なぜですかぁ?セリナお姉ちゃんは綺麗で優しくてとってもとっても良い人ですぅ。クリちゃんもアンコさんも藤一郎お兄ちゃんもジャムちゃんも、みんなみんなあすみのお友達で――」

 ばしっ!!

 あすみの言葉は渇いた音にかき消された。
 傍らの電信柱に寄り掛かりながら、真っ赤になった右頬を押さえて、信じられないという眼差しを向けるあすみ。

「…………っ!?」
「いい加減にしなさいって言ってるでしょ!!」

 その眼差しを、増悪すら込めた瞳でかすみが受け止めた。

「あんた分かってるの!?奴等は魔族、化け物なのよ!!人類の敵なのよ!!そしてあの女は、そんな化け物達と平然と付き合うような人類の裏切り者――人間のクズなのよ!!」

 火を吐くような怒声だった。ちょっと乱暴だけど本当は優しくて、頼り甲斐のある姉の本気の怒りをぶつけられて、あすみの心根は縮み上がった。

「これが任務だって分かっているの!?奴等に気を許してどうするのよ!!任務じゃなければ、誰があんな化け物達と席を同じにするっていうのよ!!」

 その通りだった――少なくとも最初の内は。
 『そう考えただけで』我々が存在する世界そのものを完全に滅ぼす事ができる超々高位魔族が、“魔界大帝”クリシュファルスを始めとして何匹もこの地球上存在している――この人類史上最大の危機に対処する為、西野 那由は娘達に1つの任務を与えた。
 かの超々高位存在とコミュニケーションを取る謎の怪人『セリナ』を通して、その人類の脅威を監視する事――
 そして、可能ならばセリナを懐柔して、奴等を排除させる事――
 魔界大帝が降臨する以前から、あすみ達がセリナと知り合いだった事から、この前代未聞の任務に選ばれる事になった。
 そう――かすみとあすみのセリナ達に対する一連の接触は、全て『任務』に過ぎなかったのだ。
 単なる任務――そこには、一欠片も愛情や信頼など存在しない。
 でも……

「でもぉ……あすみは本当にセリナお姉ちゃん達がぁ……」
「あすみっ!!!」

 小さな呟き――でも、本気の声――
 もう一度、今度は拳で妹の頬を殴り飛ばそうとして――

『そこまでだ』
「――っ!!」

 かすみの全身は硬直した。

『我が主にそれ以上危害を加えるとあらば、容赦はせん』

 緊張の視線が下に向けられる。
 佇むあすみの足元から伸びる影が、人間では無く漆黒の猫のシルエットを取っているではないか。普通の猫と違う点は、尻尾は2本ある事――そして、実際にかすみを硬直させているのは、その尻尾が鋭利な刃物の形を取り、影から三次元的に実体化して、かすみの首元に当てられている事だった。

「ましゃらちゃん、やめてぇ!!」

 あすみの叫びは悲鳴に近かった。

『…………』

 影の猫が、妙に人間臭く俯いて見えたのは気のせいか――黒い刃の尻尾はかすみの首元から離れて、たちまち影の中に解け消えた。

「ふん……化け物に守られるなんて、あすみにはお似合いかもね」

 青ざめた顔で首元を撫でながらも、かすみの皮肉には一片の偽りも無い。
 その、汚物を見るような眼差し――あすみを動かしたのは、“それ”だった。

「お姉ちゃんのバカぁ!!!」

 子供のように泣きじゃくりながら、自分の元から走り去るあすみ――かすみは動かなかった。いや、動けなかった。

「……バカはどっちよ……」

 妹の頬を打った右手の平を、商店街をかける厳冬の風が、冷たく通り抜けて行った――




※※※※※※※※※※※※※※※※




 そして、同時刻――

 ざっくざっくざっく……

 がーん がーん がーん……

 ぎしぎしぎしぎし……がこん!!

 三箇日とはいっても、全ての商売が正月休暇を取るわけでは無い。
 特にこの『年末年始恒例道路工事』など、その最たるものだろう。
 一般市民が休みを取る中、老朽化した道路のアスファルトを剥がし、新品に取り替えていく、ヘルメットに繋ぎを着た頑健な男達――彼等労働者こそが、真の意味で日本の根底を支える人物なのだ。
 誰もが黙々と、効率的に、そして力強く作業を続けていく……そんな中、即物的な意味で、ひときわ抜きん出た男の影があった。

 ――『巨人』――

 彼を見た者全てが最初に抱く印象はそれだろう。
 身長は軽く2mを超える。高さだけではなく、横も前後にも途方もなく厚い。繋ぎの作業着が次の瞬間に爆発しても不思議では無いくらいぴちぴちだった。しかし肥満の印象は無い。
 凄まじいほど膨れ上がった筋肉の塊だ。
 数千年を経た大木のような両足がアスファルトにめり込み、銃弾も跳ね返しそうな胴体が脈動する。自家用車どころかトラックをも持ち上げそうな両腕が振り上げられて、デコピン一発でヘビー級ボクサーもノックアウトできそうな手が握るスコップが、次の瞬間にはアイスクリームのようにアスファルトをすくっていく。
 なんと、この男はスコップ1本でアスファルトを掘り返しているのだ。そのスコップも大の男が10人がかりでもなければ、持ち上げるどころか支える事もできない逸品だ。
 何から何まで力強く、パワーに溢れ、巨大な男だった。

「あいかわらず凄いねぇ、あんたは……やっぱり外人さんは食うもんが違うのかい?」
「食事の内容に関しては、君とそう差異は無いと思うがね。もっとも、私は常人の10倍近いカロリーを必要とするが……そんな顔をしないでくれ。簡潔に述べれば他人より大食いなだけだよ」

 隣で削岩用ドリルを操作していた同僚に、その男が片目をつむりながら答える。
 意外な事に、その顔は体付きと縁遠い落ちついたものだった。剃刀どころか鉋で剃っても刃こぼれしそうな無償髭に、ヘルメット越しでもわかる真紅のボサボサ髪――そんな粗暴な風貌なのに、どこか静かで理知的な印象を抱かせるのだ。
 顔つきから判断すると、年齢は40代後半くらいか。中年と呼ぶか老年と呼ぶか迷いそうな年頃だ。東洋人には違いないが、肌は浅黒く、どこかバタ臭い印象がある。南アジア地方が出身国かもしれない。

「ふんっ……ふんっ……ふんっと」

 鼻歌交じりにスコップが舞う度に、数百キロはありそうな道路の塊が宙に踊る。たちまち周囲の道路はすり鉢状のクレーターへと変貌していった。

「ハハハ……あんたがいれば機械はいらないな」
「そうかね」
「なんとか納期にも間に合いそうだ。みんなあんたのおかげだよ……あんたが倍の給金を貰っているって噂も冗談じゃなさそうだな」
「正確には2.25倍だよ。遺憾ながら、大半が食費に消えてしまうがね」
「……ま、その身体を見れば納得できるよ」
「そうかね」

 苦笑する男の顔は、決して美形とは言えないが、男くさいワイルドさに溢れて、そしてどこか愛嬌があった。その意味ではなかなか魅力的と言えるかもしれない。鼻の頭に引っ掛かっている、玩具のような鼻眼鏡もユーモアさを醸し出していた。

「おーい、あと10分で今日は上がりだ。給金渡すから後で俺の所に来てくれ」

 現場主任の声に、一同から野太い歓声が上がる。

「ふむ、それではラストスパートといこうか」

 さっきの倍の速度でスコップが踊る。その動きにはまるで疲労など見えなかった。
 しかし、如何に男が力強かろうと――いや、むしろ力強過ぎて――道具がそのパワーに耐えられるとは限らない。

「あっ」

 バキッ

 金属製のスコップが中程から圧し折れて、先端がくるくる回転しながら歩道目掛けて吹っ飛んでいったのは次の瞬間だった。

「危ない!!」


「――やれやれ、なんで俺はこうもジャンケンに弱いんだ?」

 両腕一杯に缶ジュースをかかえて、ブツブツ呟きながら歩道を行くのは、警備員風の服装をした男だった。制帽を深くかぶっているので、顔立ちはよくわからないが――背中から生えた褐色の翼が、彼が人外の存在である事を示していた。
 よく見れば、肩のワッペンに『西野怪物駆除株式会社』の文字が見て取れる。あの会社の関係者なら、人間以外の者が混じっていても、あまり不思議には思わないだろうが――

「危ない!!」

 警告の声が聞こえたのと、警備員の男が左手を車道に突き出したのは同時だった。

 バシッ!!

「ほう」

 巨大な労働者が感嘆の声を洩らす。
 唸りを上げて飛来したスコップを、警備員はあっさりと片手でキャッチしたのである。

「これは失礼した。事故でね」

 慌てて歩道に駆けよって、会釈しながら零れ落ちた缶ジュースを拾う労働者に、

「気をつけろよ」

 気にした風も無く、警備員は缶ジュースを拾いながらスコップを渡した。

「金属疲労を計算に入れてなかったよ。ま、怪我が無くて何よりだ」
「……それはいいから、懐に入れた缶ジュースを俺に返しな」
「マクロ的な事を気にしていたら、トンネル効果を心配して日常を過ごす事になりかねんよ」
「そういう問題じゃねぇ」

 缶ジュースをひったくりながら睨む警備員に、労働者は肩をすくめて見せた。

「おーい、まだ給金受けとって無い奴は誰だー?」
「む、これはいかん……では、略式謝罪だが気にしない事を期待するよ」

 片手を振りながら立ち去る労働者を、警備員は呆れた眼差しで見送りながら――

「……くっ」

 僅かに顔をしかめて、外れた左肩の関節をごきりと直した。
 あのスコップを受け止めた時、衝撃で肩を外されたのである。

(この俺が今の衝撃を受けきれなかった……奴は何者だ?)

 そして、今度は戦慄を込めた眼差しで、警備員――元天界軍第1級武争神族“アヴァロン・クルィエ少佐”は男の背を見つめた――


「――ほい、お疲れさん。えーと次は……」

 次々と労働者達に給金を渡していく現場主任が、名簿を睨みながら訝しげな声を洩らした。
 目の前に立つ巨大な男は、鼻眼鏡の汚れを拭いている。

「……あんた、この名前は何て読むんだ?」
「座導童子(ザドゥリーニ)」






――ここに、役者は揃った――

――次は、舞台を用意する番だ――

――そして、『それ』は早々に準備される事になる――





































――200X年1月5日――






































 障子越しに刺し込む厳冬の光。
 しゅんしゅんと湯気を立てる達磨ストーブに置かれたヤカン。
 見ているだけで温かくなりそうな掘り炬燵と、無造作に置いてあるミカン。辺りに散乱する歌留多、福笑い、すごろく……
 謹賀新年も5日が過ぎようとしていた。
 世間では『東京都心結界封鎖事件』の影響で、何かと騒がしい事になってはいるが、腹黒邸とその周辺はおおむね平和である。むしろ、ここ数日は年明けという事もあって、正月タイムを満喫しているセリナ達だった――

「――って3日と同じなのぢゃ!!」
「あらあら、本当の反対の賛成ですね」

 三箇日もとうに過ぎた1月5日――そろそろ世間では仕事始めの時期だが、腹黒邸の面々は、お正月と全然変わらないのんびりとした――悪く言えばだらけきった日常を過ごしていた。
 もっとも、セリナやアコンカグヤはちゃんとメイドの仕事をこなしているが……後者の仕事内容はともかく。
 だが、普段から何もしない樹羅夢姫はともかく、男性陣が仕事をしないのには、別の理由があった。

「……藤一郎どのぉ……いきておるかぁ……」
「……死んでるよぉ……」

 へちゃっと掘り炬燵に屈っ伏している漆黒の美少年に、同じくうつ伏せに倒れている平凡青年がゆるゆると片手を上げる。
 どちらも精魂尽き果てた――といった様子だ。
 無理も無い。先日の『姫始め』の後で、クリシュファルスはアコンカグヤに『まだ私は姫始めをしていない』と、藤一郎は樹羅夢姫に『さっそく特訓の成果を試すのぢゃ』と、お互い半ば襲われる形で散々ヤりまくっていたのである。開放されたのはついさっきの事だ。もう空気も出ないくらい搾り取られてしまった……

「皆様、中華風お節ができましたです」
「おお!!矮小な地球人類の食べ物にしては中々美味そうなのぢゃ!!せっかくだからわらわが食べてやるのぢゃ」
「四川風お雑煮美味しい……」

 それに比べて、女性陣はお肌ツヤツヤ、すっきりサワヤカで元気なものだ。この辺は弾薬に限りのある男は不便である。
 この連中の場合、それだけが原因では無さそうだが……

「いつまでもダラダラしてるでない。チンチクリンよ、今度はこれで勝負なのぢゃ」

 30分後、中華風お節料理を綺麗に平らげた樹羅夢姫が、両腕でフラフラと『一対一でディスクを投げ合うサッカーに似た対戦ゲーム』のCD−ROMを支えながら、あーうーと呻き声を洩らすだけのクリシュファルスの頭上に飛び乗った。

「……だれが……チンチクリンかぁ……」
「なんぢゃ、いつもの吠え面も冴えないようぢゃな……情け無いのぢゃ」
「……そなたたちのげんきさがいじょうなのだ……」

 心底呆れた様子で肩を竦める宿敵に、偉大なる悪魔族の頂点は呻き声を上げることしかできなかった。

「……樹羅夢姫は元気だね……今回はいつもと攻守が逆転しちゃったけど……」

 藤一郎の声も臨終間近だ。

「これも特訓の成果なのぢゃ。わらわは優秀な生徒ぢゃからな。ほっほっほ……」
「……それってあまり自慢できる事じゃ……」
「あ、生徒さんといえば……です」

 いつもと変わらない、ニコニコと優しく微笑むセリナの言葉。
 しかし――

「クリさんもジャム姫さんも、お2人とも学生の生徒さんが学童で学徒さんなのですよね?です?」
「うむ、よはしょとうぶのろっかいせいだ」
「わらわは中等部の二回生ぢゃぞ。わらわの勝ちなのぢゃ」
「勝って無い、勝って無い……」
「あのうです……もう、お2人がこの地に御降臨せっとあっぷされてから大分たちますが、お勉強されなくて大丈夫なのでしょうか?……です」

 びしっ

 その一言で、2人は凍りついた。
 そういえば、この地球に降臨してから勉学の類は全然やって無い……

「悪魔族や龍族の修学制度は聞きかじった程度だけど……確か2人とも義務教育の最中のはずだ」

 全く表情を変えずに、激辛四川風お雑煮を啜りながらアコンカグヤが付け加える。

「ぢゃ〜〜〜!!余計な事を言うでない!!」
「う、うーむ……たしかにべんきょうのことをわすれていたのはもんだいかもしれぬ……」
「たかが1年程度勉強せずとも、問題ないのぢゃ」

 樹羅夢姫の言葉は、実は正論だ。
 悪魔族、神族、龍族、鬼族――四大種族の平均寿命は約100万年。地球人類にとっての1万年が彼等にとっての1年に該当するのである。今の事態も『学生が1日だけ学校をさぼった』程度の事だろう。
 しかし、それが地球人類の感覚で理解できるはずも無い。

「う〜ん、僕はちゃんと勉強しなくちゃダメだと思うよ。僕は中卒だけど、だからこそ勉強の大切さがよくわかるんだ」
「うーむ」
「私なんて中学校にも行ってませんです。ですが毎日ご飯も美味しくてお仕事は楽しいです。でも、やっぱりお勉強をやらないと私みたいにおバカになってしまいますですよ」
「……お主の言う事はよくわからないのぢゃ」
「シクシクです」
「だが、そこまでいうのならな……」

 地球人類の――クリシュファルス達がもっとも信頼する2人の言葉は真剣だった。だったら、それに答えなければならない……それに、短い時とはいえ勉強を全然やらないというのは学生としては問題だろう。生真面目なクリシュファルスには特にそう思えた。樹羅夢姫はしぶしぶといった感じだが。

「かといって、どうやって勉強すればいいのぢゃ?ここには教師も教科書もないのぢゃぞ」
「…………」
「…………」

 樹羅夢姫の言葉に、一同は再び固まった。

「え〜と……アンコさんはダメですか?」
「天界軍での教員資格は30万歳以上だ。それに悪魔族や龍族の、それも王族への学習方法なんて私にはわからない」
「大変申し訳ありませんです。私はおバカなのでお勉強をお願いティーチャーでブラックビッグマグナムな危ないナユ先生に教える事はできませんです」
「だから、いちいちどげざするなぁ!!」
「え〜と、僕は中卒だから――」
「お主には始めから期待して無いのぢゃ」
「シクシク」

 掘り炬燵越しに顔を付き合わせて相談する一同――少々マヌケな光景だが、当人達は至って真面目なのだ。
 そして――

「あ、ないすでくーるでぐっじょぶなアイデアを思いつきましたです♪」




※※※※※※※※※※※※※※※※




「まったく、あの子は状況をわかっているのかしら?」

 乱暴に上着を脱ぎ捨てながら、かすみは不機嫌そうにソファーへ腰を下ろした。トレードマークのポニーテールは、結い紐を解かれてストレートに変貌している。
 前髪の分け際やシャギーの跳ね具合を除けば、それは昔のあすみと同じ髪型だった。

「仕事と私情の区別もつかないなんて……いいえ、単に甘ちゃんなだけかな」

 溜息。
 それは長く続いた。
 苛立ちは隠しようもなかった。どんな軟派な男でも、今の彼女には声をかけるどころか近寄る事もできないだろう。
 ――あの時から、あすみは家に帰ってこない。
 2日程度で失踪を心配するほど子供じゃないし、会社の方には連絡を入れているらしい。だから、社会的にはあすみの身を案じる心配は無かった。
 心配しているのは、その態度だ。

 ――セリナ――

 あの女に、あすみは気を許し過ぎている。
 子供の頃から人見知りしない性格で、魔物や人外の存在にまで心を許すという、自分には到底信じられないくらいお人好しな妹だった。無知な一般市民ならともかく、退魔行を営む者としては、この甘さは致命的だろう。でも、そこは自分がフォローすればなんとかなる……今まではそれでよかった。
 だが、今回の相手は誇張抜きでこの世界を瞬き1つで滅ぼせる、超々高位存在の魔物――いくら人に害しないように見えても、刹那の油断も許されない相手だ。
 その人類最悪の危機と、ごく自然にコミュニケーションを取る謎の怪人――それが“セリナ”だった。
 元々、魔物に対して狭量なかすみである。その性質を問わずに、魔物なんて皆殺しにしてしまえばいい――かすみは本気でそう考えていた。
 だからこそ、魔物の頂点といえる存在達と平穏に暮らすセリナが理解できなかった。いや、恨んでいると言ってもいい。

「あいつと出会ったのは……いつだったかしら?」

 ミネラルウォーターの蓋を捻って、冷水を口に含む。透明なしたたりが胸元に流れて、豊かな胸元に妖艶なラインを浮かばせた。
 豊満で、形の良い乳房――あすみが羨ましがるそれを、普段は邪魔に感じながらも、実は少しだけ自慢に思っていた。
 自分よりも、更に豊満で、形が良く、見惚れてしまうほどの乳房に出会うまでは。
 どんな状況でセリナと接触したのか――あまりはっきりと覚えていない。
 でも、始めて出会った時、その人間とは思えない美貌とプロポーションに、感動を通り越して絶句してしまった事は覚えている。これほど美しい女性をかすみは見た事が無かった。強いて対抗できる者を挙げれば、自分の母親ぐらいか。
 美しいのは外見だけじゃない。その心も聖女のように清らか――というと御幣がありそうだけど、とにかく『いい人過ぎるくらいいい人』であるのは確かだった。その『おバカ』としか言い様のない性格じゃなかったら、自分も友達になれたかもしれない。
 気を許せなくなったのは、セリナが魔物に対しても聖女のように心優しく接すると知ってからだ。
 『人類の天敵』である魔物に気を許す――それは人類に対する裏切り行為と言える。これはかすみに限らず退魔の世界に身を置く者にとっての共通観念である。しかし、魔物に特に敵意を持たないのは、妹たるあすみも同様だった。つまり、それだけならここまでセリナに敵意を持つ動機は無いのだ。

「不気味なのよ……」

 誰に語る事も無い呟き――それが、かすみの本音だった。
 具体的にどうとは言えない。ただ、あの女は何かが人間と違っている……かすみにはそう感じられた。人間を構成する重要な『要素』が、あの女には欠落している。まるで、人間じゃない何かが人間のふりをしているような……

 ……いや、自分が人間だと思い込んでいるような……

 ……違う、それでもない……

 ――我々の方が、彼女は人間だと、無理矢理思わされているような――

 だからこそ、そんな不気味な奴に、妹を接触させるわけにはいかない。
 だからこそ、あの時、妹にあえて厳しく言い放ったのだ。

「あんな子だけど、大事な妹だもんね……」

 自嘲気味に呟いた。なんとなく、苦笑も漏れる。


(それは嘘でしょう)

「――嘘って……何が?」

(大事な妹という部分です。貴方は妹を憎んでいる)

「――ッ!?」

(妹を妬んでいる)

「……違う」

(妹を羨んでいる)

「違う」

(妹に嫉妬している)

「違う!!」

(貴方は日頃からこう考えている。なぜ、自分だけ魔物に襲われ、陵辱されるのか。なぜ、自分はオニノメとして産まれたのか――)

「……ち、ちが……」

(なぜ、妹は自分のように不幸にならないのか。そうだったなら、少しは憂さも晴れるのに……と)

「違うわ!!!」

(貴方は妹を増悪している。魔物やセリナに気を許しているから、あえて厳しく言ったなど、貴方自身を誤魔化す為の戯言に過ぎない。貴方は純粋に、妹を恨んでいるのだ)

「違うと言ってるでしょ!!あたしはあすみを愛しているわよ!!大事な妹だもの!!」

(そうですか?貴方は妹に悪意を持っている。それは絶対の真実だ。ただ、妹を大事に思う気持ちの方が、妹を恨む気持ちを遥かに凌駕して、被い隠しているから、それに気付かないだけ。嫌悪の感情は、確実に存在している)

「…………」

(恥じる事は無い。それが人間の心というもの……ただ見えないだけで、奥底には確実に存在する『負』の要素……貴方がセリナに無いと感じているのは、それなのだから)

「…………」

(だから、貴方は何も悪く無い。妹やセリナに嫌悪するのも、当然の事なのだから)

「……あたしは、正しいの?」

(そう、貴方が正しい。間違ってなどいない。恥じる事は無い。堂々とすればいい。それが絶対の真実。完全な世界。至高の法則)

「あたしが……正しい」

 ――その時初めて、かすみは気づいた。
 自分は、誰と――いや、何と会話しているの!?

「あなたは――誰っ!?」

(私は――)


――そして、舞台は整った――

――ついに、その時が来た――

――『世界の最後』の開幕――





































――200X年1月6日――





































「それでね、お姉ちゃんはこんな事も言ったんですぅ!!」
「…………」

 怒り心頭といった面持ちで、夜食代わりの煎餅をばりばりと食べ散らかしながら、『客人』は一方的に捲くし立てた。
 ――『西野怪物駆除株式会社・警備課・休憩室』――あまり片付いてるとは言えない四畳半畳敷きの部屋の中には、ガスストーブに直接乗せたスルメ、仮眠用万年布団のそばに積まれたビール缶、ちゃぶ台の上にばら撒かれた駄菓子、etc,etc……様々な食べ物の匂いが充満している。これらは全て、数ヶ月前にこの休憩室に住み付いた『新人警備員』が買いこんだものだった。

「いくらあすみが、拾ったお姉ちゃんのお給料でポテチ5000袋買っちゃったからって、あんなに怒ることはないですよねぇ!?」
「……いや、それは俺でも怒る」

 しかし、その溜めこんだ食料の数々は、先日いきなり尋ねてきた客人――あすみの前に、食いつくされようとしていた。

「……で、1つ聞きたいんだが」
「なんですかぁ?」

 まだ固いスルメと格闘するあすみに、

「なんでお嬢ちゃんがココにいるんだ?」

 口元を引きつらせながら、新人警備員――クルィエが尋ねた。

 ――天界軍第1機甲師団第1連隊第3独立機甲大隊隊長・第1級武争神・アヴァロン=クルィエ少佐――なぜ、天界軍きってのエースパイロットがこんな所で警備員をしているのか?
 ……魔界大帝捕縛作戦に失敗した彼は、天界に戻ること無く地上に留まった。
 帰還しても、証拠隠滅の為に消される事が分かりきっていたからだ。
 だが、最新型ZEXL“トライゴン”は彼の手の内にある。天界からの追跡は必至だった。その為、彼は東京都心の路地裏に浮浪者として身を隠した。
 そこで運悪く、地球人類同士の戦いに巻き込まれ(外伝1『那由さんの憂鬱』参照)、そこで知り合った『西野怪物駆除株式会社』代表取締役社長“西野 那由”の紹介で、そこの警備員として住み込みの仕事にありつけたのである。
 だが……

「もちろん、家出に来たんですぅ」

 ……こうして、雇い主のお嬢様とも知り合うことになってしまった。
 普段、クルィエは会社の中ではその褐色の翼を隠している。さすがに魔物の駆除会社の中で、自分が人外の存在だとアピールするわけにはいかない。
 だが、この休憩室で文字通り羽根を伸ばしていた時、うっかり部屋を間違えて飛び込んできたあすみに目撃されたのだ。
 やれやれ、ここも出て行く事になるか。と思ったクルィエだが、意外にもあすみは『羽根があるなんてスゴイですぅ』と、変に感心して、何故か彼を気に入ってしまったらしい。それ以来、ちょくちょく休憩室を尋ねて来ては、何と無しに雑談する仲になったのである。喋るのはあすみが一方的にだが。

「家出って……俺の部屋に転がり込む気かよ」

 既に、この休憩室は彼の私室になっているらしい。

「はいですぅ」
「やれやれ……俺の意志はどうなってるんだ?」

 疲れ切った溜息だった。
 あすみ程の美女が部屋を尋ねて来て、あまつさえしばらく泊めて欲しいという――男なら感涙もののシチュエーションかもしれない。
 が、クルィエにとって男と女の関係など面倒なだけだった。美女と知り合ったらわざと無粋な口説き方をして、愛想を尽かされる事が半ば趣味になっているくらいである。女の処理は風俗で済ます事にしているし、据え膳を手当たり次第口にするほど子供じゃない。そんな暇があったら、ビールを飲みながら寝る方が数百倍マシだ。
 基本的に、仕事以外はとことん怠惰な男なのである。
 ましてや、相手は(一応)雇い主のお嬢様である。つまらない事で折角手に入れた安住の地を捨てる訳にはいかなかった。
 最近、美女が絡むとロクな目に会わないので、警戒している部分もあるが。

『私は反対です。斯様な得体の知れぬ男の寝所を尋ねるなど……主よ、少しは自重してください』
「得体の知れない男で悪かったな」
『事実を述べたまでの事』

 あすみの足元に寝そべる白猫が、つまらなそうにそっぽを向いた。
 優美な純白の猫だった。短毛の毛並みは処女雪よりも白く、白亜よりも艶やかだ。好事家が見れば、億の単位で買い取ろうとしても不思議では無い。
 気だるそうにゆれる、2本の尻尾が無ければ。
 猫又と呼ばれる魔物だ。

「ましゃらちゃん、失礼な事言ったらダメですぅ」
『“まさら”です。私の名は“長曽我部 真沙羅(ちょうそかべ まさら)”……主よ、いいかげんに覚えてください』

 主人よりも遥かに威厳のある声で、真沙羅は呟いた。先程から目の前に置いてあるスルメには見向きもしない。
 この猫又は、数百年の歳月を生きた大妖猫なのだ。
 当初は人間に敵対していたが、西野姉妹に退魔されて、かすみに始末されようとした所をあすみに救われたのである。それ以来、彼はあすみの使い魔として絶対の忠誠を誓っていた。
 だが、あすみの方は真沙羅を大事な友達として見ているらしく、使い魔を道具としては決して使用しなかった。その為、普段は単なる飼い猫として、あすみの部屋でゴロゴロしていたのだが……先日、あすみが“憑きモノ”に襲われた事がきっかけで、常にあすみを警護するようになったのである。
 どうやら、クルィエも悪い虫の一種だと思っているらしい。

「まったく……部屋にいるのは勝手だが、食費だけは払ってくれよ」
「あすみは一文無しですぅ」
『我が主に金銭を要求するとは、何と無礼な』
「…………」
「どうかしたですかぁ?急に目頭を押さえて俯くなんてぇ?」
「……いや、最近の俺の人生って流されっぱなしだなぁ、と思ってな」

 ズン――!!

 衝撃は唐突だった。
 部屋全体がぐらぐらと揺れて、飲みかけの缶ビールが次々に倒れた。壁の額縁ががたんと落ちる。

「地震ですかぁ!?」

 必死にちゃぶ台の下に頭を隠そうとするあすみを尻目に、

「……いや、これは空間振動波だ。この次元振動パターンは……まさかっ!?」

 クルィエは愕然と窓を開けて――

「これは――!?」




※※※※※※※※※※※※※※※※




「ちうちうたこかいな……残金36円」

 ふむ、早くも給金が消滅しようとしている。
 やはりエンゲル係数が250%を超えているという現状は、相当に深刻だと判断せざるを得ない。
 これも、私の天才的頭脳が原因なのだろう。
 人型知的生命体の肉体を構成する臓器の中で、最もカロリーを必要とするのは、意外にも『脳』なのである。私の優秀な脳髄では、常人の10倍もの栄養分を必要とするのは必然だろう。
 ……と、強引に自分を納得させることにする。

「うーむ」

 2日前に入手した労働による正当な賃金は、その99.98%が栄養分として私の肉体構成物質へと化学変化してしまっている。だが、現在知り得る情報から判断するに、ここしばらく日雇い仕事の口は無いと断言できる。つまり、当面の現金収入及び起因する食料の調達は不可能だ。以上、証明終了――
 ……違う、これは全然証明になっていない。私としたことが空腹のあまり、判断分析能力を喪失しているようだ。
 私は無意識の内に商店街を徘徊していた。
 天球は日中にもかかわらず暗い。灰褐色の雲が空を被い尽しているからだ。それは私の心中風景を描写しているようだった。
 世俗は正月の余韻を楽しんでいるが、私は口咥を濡らすにも苦労する状態だ。
 ああ、浮浪の身のなんと悲しき事か。
 こんな日には、空腹を睡眠で誤魔化す方法が最善だろう。しかし、この季節に野宿は辛い。
 どこかに適当な廃屋でも落ちていないだろうか?私の分析では可能性はゼロに近いが――

「ありがとうございますです」
「あんたの頼みを断れるわけ無いよ。その壁で良ければ何枚でも張っておくれ」

 ――私がその軒下を見たのは、完全な偶然だった。総菜屋から流れる匂いに釣られたのもあるが。

「張〜り張り張れ張り〜ほ〜♪大きくなれよ〜♪張り〜賢者ーと神秘の赤石〜シュシュっと参上〜シュシュっと張り張れほ〜♪ですです〜♪」

 奇怪な歌を詠唱しながら、商店の店先に何らかの紙を張る人物は、近世ブリテン王室風の女性用使用人制服――世俗で言う『メイド服』を着た女性だった。

「ほう」

 む、これは珍しい現象だ。この私が無意識の内に溜息を吐くとは。
 その婦女子は女性的に美しい造形をしている。何より肥大した乳房と臀部が魅力的だ。将来、良い母体になるだろう。目尻の垂れた優しい瞳から、彼女の温和な人柄が人相学的に判断できる。
 しばらく彼女を観察してみる事にする。
 彼女は商店を一軒ずつ尋ねては、店主へ店先に張り紙を張る許可を得ているらしい。少なくとも観察中は拒否された痕跡は全く無かった。どうやら彼女は商店街の住民とは顔見知りで、その関係は極めて良好のようだ。
 しかし……『商店街の店先に張り紙を張りまくるメイドさん』……法律的に問題は無いが、観念的には中々奇妙な状況であると断言できる。
 胸中に、ぞくりとした感覚が走った。
 久しい感覚だ。
 快感だった。
 これは――そう、知的好奇心だ。
 これこそが、私のレーゾンデートル――私の存在理由。
 そして――
 ――私の『欲望』だ。

 身を屈めて、八百屋の壁に張り付いた張り紙を覗いてみる。私の身長ではその位置は適正とは言い難い。まぁ、問題は私の身長――222.2cm――が高過ぎる点にあるので、それについて異議を述べるつもりはない。
 そんな事よりも、当面の目的は張り紙の内容だ。
 ふむ、どれどれ……


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報酬等の詳細は、御相談の上で。
住み込み可。
連絡先――(腹黒邸の住所・電話番号)――
使用人 セリナ



 きゅぴ〜〜〜ん!!

 私の瞳に非科学的演出上の光が宿る。
 す、素晴らしい……まるで私の為に用意されたような仕事内容だ!!
 ……なぜ、この地で悪魔族の頂点と木龍族の姫君に勉学を学ばせる需要があるのか、相当に疑問だが……
 そんな疑念を抱きながらも、私の足は無意識下の自立運動でメイドさんの眼前に直立していた。

「あらあら、とても大きな方ですね」

 私を見上げながら、頬に片手を当てて微笑むメイドさん。その笑顔には一片の曇りも無い。
 ほう……私は彼女に感嘆の情を覚えた。
 私自身が述べるのも遺憾だが、私の体格と容姿を目の当たりにした女性は、例外無く恐怖の感情に支配されて、硬直するか悲鳴を上げて逃走するのが常だった。この件に関しては、私の容姿が人間心理的に怖過ぎる点が問題なので、それについて異議を述べるつもりはない。
 だが、目の前のメイドさんの笑顔には、私に対する恐怖の概念は欠片も存在しないようだった。立証されている訳では無いが、断言しても構わない。
 精神に何らかの欠陥が無いのなら、彼女は非常に広大な精神キャパシティを持つ人間なのだ。

「初めましてです。私はセリナ……セリナが私の名前です」

 頭頂部が路面に接触する寸前まで深く御辞儀するメイドさん――いや、セリナ君。外見にそぐわず柔軟な身体のようだ。
 おっと、私も名乗り返すのが礼儀だろう。

「私の名は座導童子(ザドゥリーニ)。ザドゥと呼んでくれたまえ。“鬼神教授”を自称している」
「佐藤さん……ですか?」

 む、間違っている。
 だが、セリナ君のキラキラ発光する瞳を見ると、不思議と何も反答できなくなった。珠には非論理的な情感に支配されるのも悪く無いだろう。

「スゴイです……私、初めて一発でお名前を覚える事ができましたです!!ああ、私はモーレツに感動してますです!!」

 ……眼球幅の涙を滝のように流しながら、天を仰いでセリナ君は大いに感動している。
 まぁ、いい。間違いを訂正するのは後でもできる。それが可能な事が、知的生命体の絶対条件だ。

「さて、本題に入らせてもらうよ。そこの張り紙を見せてもらったのだが――」
「ああ……初めて名前を覚える事ができたね。と電波が聞こえたから、今日はお名前記念日……です♪」
「その張り紙に書かれた条件に、私は答える事が可能だと判断するのだが――」
「佐藤さん……日本で一番多くて甘そうなお名前ですね♪」
「報酬は、とりあえず食料と住居の提供さえ保証して貰えれば――」
「らーららーらららーらーらー……佐藤さんに帽子をかぶせてハムにセメダインを塗ればです……♪」
「……セリナ君、話を聞いているのかね?」
「了解しましたです。それではよろしくお願いしますです」
「…………」

 聞いていたようだ。
 ふむ、私も相当な変人だと称されていたが、彼女は輪をかけた人物らしいと予想する。

「それでは、御屋敷にご案内しますです……うーん、やっぱり張り紙大作戦は効果がありますですね。大成功です」

 先導して歩き出したセリナ君。私もそれに追随する。目の前のセリナ君は、歩く度に乳房や臀部がぶるんぶるんと振動している。その立ち振る舞いはメイドさんに相応しい清楚さにも関わらず、仕草が性的魅力に溢れている。うむ、私の『欲望』が『知性』でなかったなら、彼女にとっても不幸な展開になったに違いないだろう。


 それにしても

 セリナ

 まさか、こんな地で、その名前を聞く事になるとは


 ズン――!!

 私の意識はセリナ君の名前――と、揺れる乳房と臀部――に気を取られていた。
 だから、不覚にも強烈な次元振動が世界を揺るがすまで、私は『それ』に気付かなかった。

「きゃっ……です」

 バランスを崩したセリナ君の肩をあわてて支える。うむ、肉付きの良い健康的な肩だ。
 商店街の店先から、次々と店員達が通りに飛び出してきた。なぜか鍋を頭にかぶった者もいるが、地震と勘違いしたのだろう。
 しかし、彼らが見た光景は、地震などでは到底及ばない『恐るべきもの』だったに相異あるまい。
 暗雲は消滅していた。
 代わりに天球を支配するのは、黒金の巨艦。
 目測全長200kmにも達する、神々の巨船――超々巨大次元戦艦が、我々の頭上に降臨しているのだ。
 私の知識に間違いが無ければ――いや、私の知識に間違いなどありえない――あの機影は“グレートシング級重戦闘空母”に違いないだろう。
 天界軍――神族の巨大戦艦が、なぜこんな地に?
 その疑問の答えは――不幸にも――すぐに解明される事になった。

『地球人類に告ぐ』

 威厳に満ちた老人の声だ。おそらくあの巨大戦艦の艦長かそれに相当する地位の者だろうと予想する。声は全方位から聞こえた。無差別的広域テレパシー通信だと判断する。おそらく地球上の全生命体がこの声を聞いている筈だ。

『私は第14独立艦隊提督、第1級武争神“バルバロッサ・シュタイナ”上級大将だ。我が名と誇りにかけて、地球人類に要求する。この地に存在する超高位存在『魔界大帝 クリシュファルス・クリシュバルス』『木龍大聖 樹羅夢姫』を私の元に引渡すこと』

 隣ではセリナ君が、あらあらと頬に手を当てて巨大戦艦を見上げている。
 大した度胸だと断言できるだろう。
 この私でさえ、そのあまりの内容に驚愕の感情が支配しているのだが。

『不幸にも、君達地球人類が要求に従わなかった場合は――』

 ゴゴゴゴゴゴゴ……

 振動が全身を包んだ。
 同時に、目視可能な速度で太陽が地平線に沈み、星々が夜空に輝き始める。
 この現象は、地球の自転を操作されたからに相違あるまい。神々のパフォーマンスにしては、少々地味だと判断するが、地球人類にとっては十分だろう。

「あらあら、御洗濯を仕舞わなければ……です」

 ……セリナ君には通用しないようだが。
 だが、真のパフォーマンスはこれからだったのだ。
 巨大戦艦から、細い一筋の光が伸びた。方角は東南の空だ。
 そして、次の瞬間――

「お、おい……」
「どうなってんだ!?」
「おかあさん……お星さまが……」

 商店街の住民達が、一斉に夜空を見上げて口々に騒ぎ始める。
 当然の行動パターンだろう。
 如何なる前兆も伏線も無く、夜空の星々の半分が消えてしまったのだから……

 ぽっ

 見上げる私の鼻先に、僅かな冷気が突き刺さる。
 漆黒と星々が綺麗に領域を分けた夜空から、純白の水粒子結晶――雪がはらはらと舞い落ちてきた。
 あたかも、消滅した星々が次々と地上に堕ちるかのように。

 この私にはわかる。

 この現象を説明できる。

 あの一筋の光線――

 たった1回の射撃で――

 宇宙の半分が消滅したのだ。

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