――『グレートシング級重戦闘空母』――

 天界軍の誇る主力軍備『次元戦艦』の中でも、最も古く建造されたタイプの艦である。
 全長200km、乾燥重量5兆トン、存在質量係数99800000……ZEXLが開発される以前の、大砲巨艦思想が色濃く残るこの戦艦は、途方も無い巨体、超々々重装甲、無限大に近い搭載能力を誇り、もはや次元戦艦よりも移動要塞のカテゴリーに位置するかもしれない。
 しかし、高機動を誇る次元戦闘機やZEXLを中心とした現在の天界軍の編成においては、このタイプの戦艦は時代遅れとなり、30万年前に、その全てが廃艦となった。
 今では、博物館の中でしか、その途方も無い巨体を拝む事はできない。

 ……そう、少なくとも、この瞬間まではそうだった――






































――200X年1月5日――






































――天界軍第14独立艦隊旗艦――

――グレートシング級重戦闘空母4番艦“アウターリミッツ”――

――第一艦橋、ブリッジ――


「示威目的としては、少々派手過ぎるような気もしますが……」

 透かしの入った流麗なティーカップを傾けながら、女性用士官服の上にストールを纏った老女が、その上品な笑みをほんの少しだけ曇らせた。
 “美しさ”を印象づかせる老人など、そういないだろう。
 きちんと結い上げられたロマンスグレーの髪が、温和そうな糸目に良く似合っている。目尻のしわも少し弛んだ頬も、経てきた歳月の重みを彩るアクセサリーのようだ。こんな老人になれるのなら、歳を取るのも悪く無いかもしれない。

「別にいいじゃねぇか。あのチンケな自然保護区域には傷1つ付けねぇんだからよ」

 前述のティーカップを鷲掴みにしながら、士官服をボタンも留めずに羽織っただけの老人が、その神経質そうに歪んだ顔を、ますます神経質に歪ませた。
 染みと皺に覆われた肌、目を背けたくなる醜顔、世の中全てに敵対するような捻くれた眼差し……赤子が人類の希望なら、老人は絶望だ――と語った小説家が地球人類にいたが、この老人はその極北だと言えるだろう。こんな老人になるくらいなら、誰もが若い内に自殺する方を選びかねない。
 温和な老女と捻くれた老人。
 2人とも軍服を着ながらも、どこか軍人には似つかわしく無く――そして、軍人以外の何者でも無い、不可思議な雰囲気を纏っていた。

「そうですわねぇ、作戦終了後に消滅した宇宙を再生させれば問題ありませんか」
「ケッ……相変わらずの甘ちゃんだな。そんな事でよく今回の作戦に参加する気になれたもんだ」
「全くですわ。優しい息子夫婦と大勢の孫達に囲まれて、幸せな老後を送っておりましたのに、再び斯様な戦場に担ぎ込まれるとは……ああ、我が身の何と不憫な事か……よよよ……」
「ほざいてろ……俺の方は先日老人ホームを叩き出されたばかりだ。これで216回目だぜ。見舞いに来たクソガキなんざ、寝ている俺の顔に濡れタオルをかぶせようとしやがったからな」

 わざとらしく目にハンカチを当てる老女に、老人は白い目で――瞳が濁っているので、物理的に白い――毒付いた。

「お互いに物好きな事ですわねぇ」
「フン……ま、物好きなのはこいつ等全員だけどよ」

 心底呆れた眼差しを――しかし、口元だけは苦笑いを浮かべている――ブリッジ全体に向ける。
 ゆっくりと――しかし手際良く仕事をこなしている計器観測員、オペレーター、情報技師、etc……この司令室にいる兵員は、全員が非の打ち所も無い勤労ぶりだったが……それはどこか奇妙な光景だった。
 搭乗員達の顔には深い皺が刻まれている。背筋は前屈みに曲がり、頭髪は白髪か極端に薄いかどちらかだ。
 ――老人――
 そう、なんと全員が80を超える老人達なのだ。
 それだけではない。この超巨大戦艦の乗員全てが――ZEXLパイロットからコックに至るまで、全てがとうに還暦を越えた老人なのだった。
 果たして、この人員編成の意味は?

「ですが、今更、元『鉄神兵団』の退役軍人を集めて、何をしようというのですかしらねぇ」
「さぁな……どうせロクでも無い事に決まっているけどよ」
「正解だ」

 その声に、全員が振り向いた。
 テレポート・ドアの扉が音も無く開く――青白い光の粒子を振り撒きながら、扉はこの場における『主役』を生み出した。
 “研ぎ澄まされた鋼の剣”――それが人の形を取ったら、こんな姿になるのかもしれない。
 上級士官のみ纏う事が許された黄金のマントは、この男の為にデザインされたかのようだ。深慮なる英知と勇猛なる意志が皺となって刻まれた髭面は、獅子の王を連想させた。老人とは思えぬ頑健な体格――

「その『ロクでも無い』作戦については、今から説明する」

 “威厳”という単語が具現したような声だった。万人が平伏す、選ばれし王者の風格。

「よう、大将。相変わらずのヘタクソな演説ごくろうさん」
「まぁ、上官に対してそんな事を言ってはいけませんよ。いくら本当の事とはいえねぇ」
「…………」

 ……何事にも例外はあるようだが。
 さっきまで、搭乗員達に激励の演説を艦内放送していた天界軍第14独立艦隊提督――バルバロッサ・シュタイナ上級大将は、額に青筋を浮かべながら、どかっと指揮デスクの提督席に腰を下ろした。デスクの上で指を組み、その上に顎を乗せる。
 長年、この老人と付き合っている者ならわかるが、この仕草は相当に不機嫌な証拠だ。

「……その前に、1つ言いたい事がある」
「はぁ」
「何だよ」
「もう、50万年前から何千万回言ったかわからんが――」

 じろり、と目の前の2人を睨みつける。

「ドニエプル・レミエラ少将」
「何事でしょうか?」

 上品な貴婦人が小首を傾げて、

「トラファルガー・ゴリアテ少将」
「何だ大将?」

 下品な老人が藪睨みでねめつける。

 だんっ

 力強い拳がデスクに叩きつけられた。

「提督用デスクの上で、茶を飲むのはやめろ!!!」

 そう、2人の老軍神――レミエラ少将とゴリアテ少将は、提督用指揮デスクの上にピクニックシートを敷いて、その上に堂々と腰を下ろしてお茶を楽しんでいるのである。
 ブリッジ全体を揺るがすような怒声に、2人はきょとんと顔を見合わせた。

「非常識な事を言う大将だな。作戦中のブリッジの床でお茶を飲むわけにはいかねぇだろ」
「そうですよ。働いてなさる皆さんに迷惑をかけられませんからねぇ」
「大体、ここしか茶ぁ飲めるスペースがねぇんだから仕方無いだろ」
「無駄に広いデスクですからねぇ、私達が有効活用するのがデスクにとっても幸せでしょう」
「お前等な……」

 肩をぷるぷる震わせるシュタイナ上級大将を横目で見ながら、オペレーター達がくすくす笑いを洩らす。

「あ、申し訳ありませんでした。提督にお茶を出していませんでしたわね」
「なんだ、そんな事でピリピリしてたのか。相変わらずしみったれた大将だぜ」
「そうじゃないッ!!」

 額に青筋浮かべながら怒鳴り散らそうとして――しかし、ふっと髭面の老人は苦笑を浮かべた。

「やれやれ……30万年前から少しも変わっていないな。お前達は……」
「俺達だけじゃないぜ」

 ゴリアテ少将が、ブリッジにいる搭乗員全員に指を走らせた。この老人には珍しい、晴れやかな笑みを浮かべて。

「こいつ等もあの当時そのままの気勢だぜ。寿命でくたばったり病気や怪我でここに来れない連中を除けば、第14独立艦隊――『鉄神兵団』の全メンバーがここに集結してるんだ。全く、どいつもこいつも物好きなバカヤロウどもだぜ」
「全く同感だ」
「ふふふ……それでは――」

 2人の少将がデスクからゆっくりと降りて――曲がっていた背筋をしっかりと伸ばした。直立不動の姿勢のまま、右手で敬礼を取る。その表情に、さっきまでのお茶らけた雰囲気など欠片も無い。
 本物の『軍人』の顔だ。
 2人だけでなく、ブリッジの搭乗員全員がシュタイナ上級大将――絶対なる上官に不動の敬礼を送る。

「30万年振りです。バルバロッサ・シュタイナ上級大将殿……第14独立艦隊、再びここに集結しました。どうか、御命令を……」

 清廉な空気に支配されたブリッジ――そこには、長年生死と苦楽を共にした者同士の、深く力強い信頼と結束があった。
 誇り高き戦いの神々の聖域――天界軍最大最高最強の次元艦隊部隊“第14独立艦隊”――『鉄神兵団』が、今、ここに復活した。

「…………」

 一瞬、何か感慨にふけるように瞳を閉じた老人が、

「……それでは、今回の作戦について――」

 部下達が絶対の信頼を置く、不敗の武人の声で語り始めた――
 ――その時。

「その説明は、わたくしが引き継ぎましょう」

 ブリッジが凍りついた。
 吹くはずの無い氷風が、一同の間を駆け抜けた。
 音も無くテレポート・ドアに光の筋が走り、それが直方体の輝きになると、光の粒子を振り撒きながら『彼女』が出現した。
 絶対零度の冷気を振り撒きながら。
 場の全員の視線が来訪者に集中する。
 己が何もしなくても、ただ存在するだけで場を支配する――それが『主役』の条件ならば、この女性用高級士官スーツを華麗に着こなした美女こそが、真の主役と言えた。
 ――ただし、最悪の主人公が。

「――誰だ?アンタは……」

 ゴリアテ少将の声も震えていた。
 怯えているのではない。
 寒いのだ。
 あの女の持つ雰囲気が、物理的な冷気と感じられるのだ。

「自己紹介が必要ですわね」

 女は微笑んだ。冷たくも美しい笑みだった。
 そう、美しい――氷のように青いポニーテールも、はちきれそうに豊かな胸元も、やや気の強そうな顔立ちも、全てが完璧なる天の配剤によって、史上の美を完成させている。
 だが――この美しさは危険だ。
 絶対零度の氷の如き美しさ――美のタイプで言えば、それはアコンカグヤにもどこか似ている。
 しかし、アコンカグヤの冷たい美しさは、例えるなら『凍結した銀の彫像』――『鋭利なる絶対零度の刃』――生物的なのものとは異質な、無機的な芸術品の如き美だった。
 だが、この美女の冷たさは――全てを凍てつかせる吹雪の冷たさだ。死後硬直が始まった死体の冷たさだ。死と破滅を振り撒く、悪意ある美しさだ。
 誰もが同じ思いを抱いていた――武争神族として生まれたが故の、戦士のカンがこう告げている。

 ――『この女は危険だ』――

 ……と。
 戦慄を帯びた沈黙の中――そして、女は名乗った。

「天界国防省副長官――第1級情報神族“フロラレス総参謀長官”です。これ以上の自己紹介は無用でしょう」

 温度の無い声だった。
 オペレーターの老人の1人が、うっと呻いて胸を押さえて、床に倒れ込む。慌てて隣の同僚が、衛生兵にコールを送る。
 暖かな信頼と清廉なる闘志が宿っていたブリッジは、この氷の美女――フロラレス総参謀長官の出現によって、瞬時に支配されたのである。

「天界国防省副長官ですか……天界軍最高幹部の1人が、なぜ斯様な所へ?」

 普段の温厚さとはかけ離れた響きで、レミエラ少将が尋ねる。

「それほど、今回の作戦が重要という事ですわ」

 返答は簡潔だった。

「では、作戦内容を説明します」
「…………」
「貴方方に与えられた任務は――『怪獣退治』です」
「……なに?」
「自然保護区域『地球』に“魔界大帝”クリシュファルス・クリシュバルスと“木龍大聖”樹羅夢姫がいます。彼らを拿捕するのが今回の作戦内容です」

 沈黙するしかなかった。
 魔界大帝と大聖を拿捕?
 世界最大最強最高の超々高位存在を、たった一個艦隊で捕らえろと言うのか?
 無茶を通り越してジョークにしか聞こえない注文だ。一個艦隊で魔界大帝と大聖を相手にするなんて、生まれたての赤子に獅子の王を倒せと注文する方がまだ可能性がある。それに、自然保護区域に侵入して悪魔族と龍族それぞれの最重要VIPを拿捕するなど、100万回死刑にされても文句も言えない超重大犯罪だ。

「……つまり、俺達に犯罪者になったあげくに死ねと言っているのかよ」
「そんな事はありませんわ」

 氷点下の笑みがフロラレスの口元に浮かぶ。

「かつて天界軍最強と呼ばれた“天将元帥”率いる天界軍第14独立艦隊こと『鉄神兵団』の皆様なら、不可能も可能にできると確信しています」
「買いかぶりの域を超えてるぜ……」

 ゴリアテ少将は本気の増悪を込めて、眼前の優雅に佇む美女を睨んだ。上官といえども、彼の態度には遠慮は無い。
 気にした風も無く、フロラレスの笑みが濃くなった。

「それに、必ずしも不可能というわけではありませんわ。事実、今回の前にすでに2度、わずか1機のZEXLによる魔界大帝拿捕作戦が執行されました。まぁ、結局は失敗に終わりましたし、その時は大聖がいませんでしたが……」

 フロラレスの指輪に僅かな輝きが宿る。艦長席前方の巨大モニターに、今回のターゲットである漆黒の悪魔と青い聖龍が浮かび上がった。すぐ脇に超圧縮神聖言語で記載されたデータが羅列されていく。

「ごらんの通り、魔界大帝と大聖は成人していない子供です。実戦の経験もありません。この条件ならば、パワーバランスは逆転するのではありませんか?」
「言葉の上ではな……だが、理論だけで動かないのが実戦だぜ。お偉方の総参謀長官殿にはわからねぇかもしれねぇがな」
「そこまでにしろ」

 今にも食ってかかりそうだった部下を、シュタイナ上級大将の鋼の声が止めた。

「我々軍人に拒否権など無い。特に我等『鉄神兵団』にはな。今までもそうだっただろう」
「ですが、我々はもう退役した軍人です。こんな名誉も信義も無い、捨て駒も同然な扱いをされるなど――」
「捨て駒で結構じゃありませんか」

 フロラレスの笑みが更に濃くなる。唇が耳まで裂けて見えるのは幻覚だろうか。

「退役した軍人など、世の中では無用の存在だと相場が決まっています。戦いをやめた貴方達など、ゴミも同然なのです。こうして少しでも役に立つ機会を与えられた事に感謝しなさいな」

 凄まじい毒舌だった。少なくとも、部下にかける言葉では無い。
 しかし、誰も何も反論できなかった。
 戦いを忘れた戦士などただのゴミ――戦いの神々『武争神族』にとって、それは絶対の真実なのだから。
 そして、この一言で一同のフロラレス総参謀長官に対する感情は決定的となった。
 あらゆる者達から向けられる増悪の眼差しを、冷たい美貌が受けとめる。この状況が馴染みでもあるかのように、フロラレスは平然としていた。
 ゴリアテ少将がシュタイナ上級大将の肩を小突いた。

「おい、大将……まさか、この女が――」
「そうだ。今回の作戦の指揮権は、全てフロラレス総参謀長官殿が預かることになっている」

 絶望がブリッジを覆った。それは魔界大帝と木龍大聖を相手にしろと言われた時よりも濃い絶望だった。
 その空気を楽しむかのように、にこやかに微笑んでいるフロラレス――氷の魔女よ。
 ああ、その美しさ。
 その冷たさ。
 そして、その邪悪――

「ご安心を。実戦での指揮は全てシュタイナ上級大将に一任しますから。貴方達はただ私の要求を満たせばいいだけです」
「……了解した」
「それに、私個人も独自に動いていますから。たとえ貴方達が全滅しても、魔界大帝と大聖の拿捕は確実に成功させますから御安心を」
「てめぇ……」
「あら?たとえ命を賭しても任務を達成するのが、軍人としての本懐なのではありませんか?」

 不敵な捨て台詞を残して、周囲の増悪を一身に受けながら、冷気の残り香を花のように残して、悠然とフロラレス総参謀長官はテレポート・ドアに消えた……

「…………」
「…………」
「……なるほど、確かに『ロクでも無い』作戦だな大将」
「同感ですわね」
「そうだな……だが、我々は――」

 シュタイナ上級大将の右手には、いつのまにか2本の短剣が握られていた。

「真に成すべき事を――」

 右手が一瞬ゆれると――そこに短剣は影も形も無い。

「ただ、成すだけだ」

 大画面モニターに写る2人の超々高位存在――それぞれの急所に神の精度で短剣が突き刺さっていた――






――そう、これで世界は一変する――

――美しく無味乾燥な神々の科学秩序が、全てを支配する時がきた――

――もう、悪魔の王も聖なる龍も世界からいなくなる――

――お伽噺の時代は終わった――

――作戦名『童話の消えた森』――


――始動――






































――200X年1月6日――






































 うーむ、実に広大な面積と豊かな緑地を持った敷地だ。
 草木もよく手入れされている。さぞかしスキルの高い庭師が担当しているのだろう。春先には相当にリフレッシュ効果のある光景が展開するに違いあるまい。
 だが、一面を舞い落ちる雪に埋め尽された状況では、味気ないモノクロームな光景が広がっているだけだ。
 あの天界軍巨大戦艦の来襲――神族の降臨から僅か数十分で、この街は一面の銀世界へと移行してしまったのだ。
 元来、この地方は気象学的に厳冬でもあまり雪の振る事例は少ない。にもかかわらず、この大雪地方をも凌駕する降雪量――恐らく、あの急速なポールシフト(地軸の移動)が大気組成に重大な影響を与えたと推測する。
 この惑星の住民にとっては伝説の存在でしか無い『神族』の降臨――地球人類の歴史上、最大の事件に間違いあるまい。

「はいです、ここが旦那様――腹黒様の御屋敷です。そして、私と佐藤さんの仕事場になるのではないかと予想する次第である今日この頃はちょっと体重が気になるのでシクシクなセリナ??歳の冬の出来事でありました……です」

 ……しかし、この乳房が巨大で女性的に美しい造形をしている女性使用人――セリナ君には特に感嘆の情を与えなかったらしく、何事も無かったように私を住み込み家庭教師の仕事場へと案内してくれた。意味不明な解説付きで。
 そして、この必要以上に広大な敷地内に進入してからたっぷり10分48秒歩いた頃――これでも、屋敷までの最短距離だったらしい――この私でもここ数十年は資料でしか拝見していないほど豪奢な屋敷が、眼前に聳え立っているのだ。
 ……ここに今日のねぐらにも苦労する者がいるのに、一方ではこれほどまでに豪華絢爛な屋敷で生活できる者がいるのか。世の中民主主義構造欠陥的に不公平だと思う。
 だが、この私が家庭教師に採用されれば、住み込み食事付きでこの屋敷に居住する事が可能なのだ。採用されるように最善を尽くそう。

「クリさんもジャム姫さんも、皆さんみんな良い人達ですから、きっと佐藤さんもすぐに仲良しさんになれると思いますです」

 だから、私の名前は“佐藤”じゃなくて“座導童子(ザドゥリーニ)”通称ザドゥだと何度も言っているのだが……しかし、セリナ君の頬に手を当てた独特の笑顔を向けられると、その辺の修正行為など些細な事に思えてしまう。美人は得だという事例は、いつの時空でも共通観念のようだ。
 もう、値段を想像するだけで鬱になるくらい高級そうな玄関の大扉を、慣れた調子でセリナ君は開けようとして――

「セリナ!!どこへいっていたのだ!!」
「セリナ、困った事になった」
「セリナさん、どうやら非常にマズイ状況になったみたいですよ。よくわからないけど」
「セリナ、腹が減ったから早よう夕餉を作るのぢゃ」

 扉は内側から開放されて、3人の男女が慌てた調子で飛び出してきた。いや、青年の頭上に少女がいるから4人が正確か。
 1人は、幼児的に美しい外見をした10歳くらいの少女――いや、少年か。この季節にも負けずに半ズボンを着て、上半身が漆黒のローブという多大な違和感の存在する衣装がミスマッチだ。ただし、頭部に存在する6本の角と背面部から覗く黒鳥を連想させる翼が、彼が人外の存在である事をアピールしている。
 2人目は、セリナ君とは異なる意味で女性的に美しい外見の女性使用人だった。その無表情な美しさと桃色のメイド服がこれまたミスマッチだと言えるだろう。そして、機械化された体の一部と翼から、彼女もまた人間の範疇に納まらない存在であると確信できる。
 3人目は、頑健な体付きをした青年だ。彼もここの使用人だろうか?彼自身に特に変わった特徴は無い。
 特徴的なのは、むしろ彼の頭上に位置する中華龍娘的に美しい容貌の中華的龍娘だ。身長は30cm前後か。ふむ、人外の存在である事があからさま過ぎて、違う意味で興味深いところではあるが――

「あ、皆さん丁度よかったらっきーです。今度からクリさんとジャム姫さんの家庭教師になる可能性もあるかもしれない佐藤さんです。ご紹介しますです」

 ……もう少し採用の可能性を上げて欲しかった。これからの自分自身に期待する。

「で、こちらがクリさんとアンコさんとミツさんとジャム姫さんです。後は旦那様もいらっしゃるのですが――」
「ふむ」

 ニコニコと微笑しながら紹介するセリナ君の影から、ひょっこりと顔を出した瞬間――

「セリナっ!!」
「はれれ?です?」

 クリ君と呼ばれた美少年の叫びと同時に、その漆黒のローブから噴出した暗黒の波動が、セリナ君の身体を包み込んで、私の側から引き離した。

「――!!」

 同時に、目にも止まらぬスピードで飛び出したアンコ君が、次の瞬間には私の懐に出現していた。テレポートと錯覚しかねない身のこなしだ。うむ、しかし『目にも止まらぬ』という形容は正確では無いな。一応は視認できたのだから。だが身体が反応できないのなら、結果論としては同一現象と断言でき――

 だんっ

 ――現実逃避している間に、私は仰向けに押し倒されていた。後頭部の衝撃で視界が鳴動している。

「動くな」

 そして、私の腰の上にアンコ君が圧し掛かっていた。俗な表現をすれば騎乗位――こほん、マウントポジションというやつだ。別のシチュエーションなら大歓迎な状況だが、こうして喉元に機械製エストックを突き付けられては、指1本動かす事も実質的に不可能だ。
 それにしても、あの細い身体で私の巨体を易々とひっくり返すとは。身体の半分を機械化しているだけではこうはいかない。柔術の類だと推測するが、余程の武道の心得が無ければ不可能だろう。
 その見かけによらず、恐ろしいほどの使い手だ。

「なぜ純正な“鬼族”がここにいる」

 あらゆる感情が喪失した声が、アンコ君から発せられた。
 久しぶりに――実に久方ぶりの情感が、私の記憶中枢を刺激する――

 ――『鬼族』――

 それは具現化した破壊と欲望の形容詞だ。
 鬼族と呼ばれる存在は2種類いる。
 1つは地球に土着化した鬼族――俗世間で言う『鬼』とはこちらの存在だろう。その容姿と性質は御伽噺等で語られるものと大きな差異は無い。生命体としての『格』も、状況によっては地球人類に退魔される場合もあるくらいだ。
 だが、もう1種類の鬼族はそうはいかない――真なる破壊と欲望の化身――それが冥界を支配する“四大種族の鬼族”である。
 全世界全次元全宇宙最大最強最高の超々高位存在である“四大種族”の一柱である鬼族は、別名『鬼神族』と呼ばれる事もあるように、生物学的には神族に近いカテゴリーに位置する。外見も神族との大きな差は無い。
 しかし、その性質は理性的で打算的な神族とは程遠いものだ。
 鬼族には『抑制』や『我慢』『節制』といった概念が存在しない。己の『欲望』こそが唯一にして絶対の行動原理なのだ。自分が自分である事に逆らわず、自分が思うが侭に生きる。その結果など考えない。いや、己の欲望以外のことは考えていない。
 究極の自由主義者、快楽主義者にしてエゴイスト――それが鬼族なのである。
 そして、もう1つの神族との相違点――神族は、その四大種族の頂点に位置する驚異的な文明レベルとは反比例して、身体的な戦闘能力は四大種族中最低だ。しかし、鬼族はその全くの逆――文明レベルは最低であるが、戦闘能力は四大種族中最強なのである。己の身体のみで戦う条件ならば、たとえ他の三大種族が束でかかってきても敵では無いだろう。まぁ、魔界大帝や大聖のような超々々々高位存在は例外として。
 『己の欲望のみに従って生きる』――『世俗の倫理観が通用しない』――『最強の戦闘力を持つ超高位存在』――そんな種族が目の前にいる、もしくは大事な存在の側にいたらどうするか?
 様々な解答が考察できるが、その1つが今の私の状況というわけだ。

 そう――私は鬼族――
 己の『欲望』に支配された、永遠の囚われ人――

 それにしても、よく私が鬼族だと見破ったものだ。身体能力は全て地球人類レベルに落としているし、鬼族の特徴の1つである『角』も完全にカモフラージュしている。“鬼気”も全く放出していない。私が鬼族であるという明確な証拠は無い筈なのだが……
 いや、1つだけ可能性があった。

「――なぜ、神族や悪魔族、龍族までがこの地に存在しているのかね?」

 ぐぎっ

 ぐえっ……喉元のエストックが凄まじい重量で私の喉を押し潰した。し、質量変換機構が内蔵されていると推測する……

「なぜ純正な“鬼族”がここにいる」

 先程と全く変わらない口調で、アンコ君が質問を繰り返した。淡々とした無表情が逆に怖い。

「そ、それも只の四大種族じゃない……第1級武争神族ばかりか、魔界大帝や大聖までいるじゃないか……う、うむ……きょう…み…ぶか……い……」

 ぐえぇ!!
 更に圧迫感が強くなってきた。疑問文を疑問文で返すな、という事か。
 しかし――鬼族である私は、たとえこのまま殺される事になっても、自分の欲望に逆らう事ができない。
 私の絶対なる欲望――『知的好奇心』に。

「アンコさん……いきなり初対面の人にそんな乱暴な――」

 心配そうな声をかけてくれたミツ君という青年を、

「その男に近寄るでない!!」

 彼の頭上のジャム姫君の一喝が止めた。

「な、なぜ?」
「そ奴は“鬼族”ぢゃ!!矮小な地球人類でどうにかなる相手では無いぞ!!奴がその気になれば、瞬きの間にこの宇宙のあらゆる生き物が皆殺しにされても不思議では無いのぢゃぞ!!無論、お主や乳女もぢゃ!!」

 やれやれ、酷い言われ様だ。まぁ、世間の鬼族に対する一般的な見地ならば、そう思われても致し方ないだろう。更に、その見方が間違っていないのだから……
 ……でも、私はそんな破壊衝動は無いのだよ……信じろと言う方が無理かもしれないが……信じてくれる事を激しく期待したい。
 ぐっと更にエストックの押し付けが強くなる。アンコ君の無表情に、危険な気配が宿り始めた。

「魔界大帝や大聖の事を知っている……刺客か」

 ふむ、そう推測するのが普通だろう。
 でも私は違う!!魔界大帝達の存在を知ったのも、家庭教師の紹介をされたからだ!!!

「そ奴が誰でもどうでもよい!!早く始末するのぢゃ!!」

 なんといいかげんで非論理的な意見か。私のように理性に満ち満ちた知性派には、到底納得できるものでは無い……って私ピーンチ!!どうなる私!?
 圧し掛かるアンコ君を押し返そうにも、如何なる武道の技か完全に押さえ込まれている。そもそも私のように知性的な頭脳労働者は荒事が苦手なのだ……たーすーけーてー!!!
 風前の灯を通り越して、タイフーン上陸前のロウソクの火にも等しい私の命運は――

「ああん、そんな事をしてはダメですよ」

 その緊張感の無いオットリとした声に助けられたのだ。
 嘘のように、喉の圧迫感が消えていく。しかし、その凶悪な剣先は私の眼前に突きつけられたままだ。予断はまだまだ許されないと言えるだろう。

「佐藤さんは、クリさんとジャム姫さんの家庭教師さんの面接に来られたのです」

 アンコ君の頭部にその巨大な乳を乗せる形で、セリナ君はアンコ君の背中にぺったりと貼りついていた。両手はエストックを握る手に添えられて、その動きを優しく封じている。

「セリナ、重い」
「止めてくれないと、もっと重くしちゃいますですよ♪」

 うーむ、羨ましい……じゃない。何時の間にセリナ君はこの位置に接近していたのだろう?

「こ、こらセリナ!!その鬼族にちかづくでない!!」

 クリ君が動揺した様子で喚いている。闇の波動で拘束したセリナ君の位置には、メイド服を着た丸太が存在するだけだ。変わり身の術の一種だと推測するが……セリナ君、彼女は何者だろうか?

「佐藤さんはとってもいい人ですから、そんなに心配する事は無いですよ」
「鬼族にその意見は通用しない。今は大人しくても数秒後に牙が向けられる可能性もある。『その時の気分』で最愛の恋人や家族をも皆殺しにできる……それが鬼族よ」

 極論だが、反論はできないな。
 ふむ、しかし困った……仕方ない、それならば――

「それならば、この条件はどうだろう」

 冷たい義眼の眼差しを、私は(かろうじて)正面から受け止める事に成功した。

「私がセリナ君をはじめとした君達とその関係者に危害を加えようとしたら、是非に関係無く私を抹殺しても構わない。その行為に対する異議は、それを無効とする……これでどうかね?」
「私達に、あなたの行為を止められる保証は?」
「魔界大帝や大聖と称される存在に、それができないと言うのかね?現に、今の私の生殺与奪の権利は君に握られているのだが……この状況が明確な証拠にならないかね?」
「…………」

 アンコ君が横目でセリナ君を見た。
 セリナ君はニコニコしている。
 無言のまま、アンコ君はセリナ君を背負ったまま立ち上がった。重くないじゃないか。
 ふぅ、どうやら何とか辛うじて、私の命運は保たれたようだ。

「――という事になったわ」
「しんようできるか!!」
「信用できないのぢゃ!!」
「信用できると思うけどなぁ」

 ああ、私の境遇と状況を冷静に判断できるのは、セリナ君を除けば……ええと……そう、ミツ君という名称の好青年だけだ。残りの子供達は私にあからさまな不信の眼差しを送っている。やはり、適切な状況判断能力を身につけるには、ある程度年齢相応の経験則が必須なのだろう。

「君達の鬼族に対する心象は理解しているつもりだよ。しかし、偏見に囚われずに事実を認識する事も大切だ。取り越し苦労という言葉があるが、今の君達の行為に該当すると私は断言するが」

 背中全体に付着した土埃を払い落としながら、私はよれよれと立ち上がった。いてて、腰を打ったらしい……

「そうですよ、せっかく家庭教師さん募集に来て頂けたのですから、皆さん仲良し子良しにしましょうです」

 頬に手を当てる独特な体勢で、セリナ君は子供達をやんわりと諭してくれた。
 すると、嘘のように――

「……まぁ、セリナがそこまでいうのならな……」
「……フン、今回はお主の顔を立ててやるのぢゃ。感謝するがよい」

 2人の激昂はぴたりと停止した。まだ私に不信の眼差しを送りながらではあるが。
 ふむ、先程のアンコ君の件といい、どうやらセリナ君は彼等の心情に多大な影響を与える存在であると推測する。別に支配したり従属させている訳ではないだろうが。

「えーと、僕には何の事なのかよくわからないけど……それなら、なぜそんな危険な鬼族さんがこの街にいるのかな?」

 ぼりぼりと頭を掻くミツ君の疑問はもっともだろう。
 そう、冥界にしか存在しない純粋な鬼族が、なぜこの自然保護地区に存在しているのか?
 それには、常人には想像もできないだろう、非常に重大な理由があるのだ。

「わかるかね?」
「えーと、お金に困ったから仕事を探しに来たとか?」
「正解だ」

 ひゅうううう……

 む、何だろうこの冷たい空気は。季節が冬である事には関係なさそうだが。

「そんなアホなりゆうがあるかぁ!!」
「いや、事実なのだが」

 鬼族は地球人類と外見上の類似点が多いので、地球社会に溶け込むのが容易なのだ――というのが、私がこの惑星にいる唯一の理由だ。ホントに。

「自己紹介がまだだったね。私の名前は座導童子(ザドゥリーニ)、気軽にザドゥと読んでくれたまえ。“鬼神教授”を自称している」
「おにがみきょうじゅ?」
「こう見えても私は歴史学者なのだよ。鬼族院アカデミーで教鞭を持っていた事もある」
「それがどうしたのぢゃ!!今はお主がここにいる理由を聞いているのぢゃ!!」
「私は考古学を専行している。ある歴史的事件の研究の為に、あらゆる世界、あらゆる次元、あらゆる宇宙を巡って調査しているのだよ。私がこの地にいて君達に遭遇したのは、完全な偶発的現象に過ぎない」
「だからといって、しぜんほごちくにむだんしんにゅうするなど――!!」
「その件に関しては、君達に私を非難する権利はないと思うのだがね」
「う……」
「安心したまえ、私に君達がここに存在する理由を問い詰める気は無いよ」

 本当は、魔界大帝や大聖がこの場に存在する理由には大いに興味があるのだが……しかし、先程まで私を支配していた知的好奇心の対象は、別の人物へと移行していた。この気まぐれさも鬼族の特徴の1つだ。
 私の知的好奇心を刺激させる人物は、頬に手を当ててニコニコしながら、私達のやり取りを見守っている。
 私は彼女の眼前に足を運んだ。周囲の眼差しが少々厳しいものに変貌するが、それだけだ。信用とまではいかないが、どうやら私に対する警戒の念は弱まったようだ。
 まぁいい。私は私の『欲望』を優先しよう。

「セリナ君」
「はいです?」
「私とSEXしてくれないかね」

 どかばきぃ!!!

 ぶべらっ!!アンコ君の踵落としとクリ君のドロップキックとジャム姫君の後回し蹴りとミツ君の正中線四連蹴りが私にクリーンヒット!!
 再び、私は大地に身を沈める結果となった。

「なーにーをーかーんーがーえーてーいーるーのーだー!!!」
「やっぱり始末しよう」
「いや、ちょっと待ってくれ。私とのSEXに問題があるなら、セリナ君は恋人や配偶者とSEXしても構わない。私にそれを観察する機会を与えてくれれば――」

 どげしぃ!!

「この変態鬼族がぁ!!」
「……僕、やっとアンコさん達の言いたい事がわかったよ」

 ああ、ミツ君までジト目で私を見ている。

「あらあら、大胆なアプローチですね。どうしましょうか……です」

 両手を頬に当てて小首を傾けながら顔を赤らめてクネクネしているセリナ君以外のメンバーは、全員本気の殺意を向けてじりじりと接近してくる。うむ、状況から判断して、私の生命は先刻以上に風前の灯火状態のようだ。私再びピーンチ!!

「あらあら?新しいお客様がいらっしゃったみたいです」

 そして、今回も私の命運を救ってくれたのは、セリナ君のオットリとした発音の声だった。

「え?」

 皆、一斉にセリナ君に振り向いて、その指差す方向に目を向ける。
 正確に1/2サイズとなった夜空の彼方から、巨大な未確認飛行物体が急速接近してくるのが確認できた。状況から判断して、あれはまさしく神族の――

「後は手筈通りにお願い」

 ――と、突然、一声残してアンコ君の姿が消滅した。ステルス機構で隠れたのか、テレポートでこの場から離脱したのか?
 しかし、この状況では年長者たるアンコ君がいなくなるというのは、あまりに無責任では無いだろうか。
 なぜなら、今まさに我々の上空に、天界軍所属の超々々々巨大次元戦艦が浮かんでいるのだから……

「う、いかん……このおとこにきをとられて、天界軍のれんちゅうのことをわすれていた……」
「そんな重要な事を忘れてどうするのぢゃチンチクリン」
「だぁれがちんちくりんかぁ!!そういうそなたはおぼえていたのか?」
「うっ……う、五月蝿いのぢゃあ!!」
「ほらほら、2人とも漫才やってないで……」

 状況を理解していないのか、何か策があるのか、単なる現実逃避なのか――眼前の巨大戦艦の事を喪失したようにぎゃいぎゃいいがみ始めた子供達を、あまり説得力の無さそうな発音でミツ君が諌めた。

「あらあら、駐車場に着陸できますでしょうか?です?」

 ……小首を傾げるセリナ君は完全に状況をわかっていないな。断言できる。
 あの天界軍の連中が自然保護条約を破ってまでここに降臨した理由は――考察するまでも無い。魔界大帝に大聖まで揃っているという状況自体が、連中がここに来た理由そのものだろう。
 捕獲なら良い方だ。抹殺か消滅か――いずれにせよ、物騒な事態になる事は間違いないと断定できる。
 さて、私はどうするか……このまま場に留まれば、完全な部外者にもかかわらず私が巻き込まれる事は間違いない。
 家庭教師の仕事を失うのは大いに痛手だが、この場は退散するのが最良のようだ。確かに、この状況が知的好奇心をくすぐらないと言えば嘘になるが……
 場の全員が上空の巨大戦艦に気を取られている内に、私は四つん這いでコソコソと退散しようと――

 どん

 む、何かに衝突した。
 顔の向きを上方修正する。
 軍服らしい整然とした服を着た老人が、目の前に直立していた。軍人的に険しい造形をした老人だ。しかし、私を見下ろす視線の凄まじい事よ!!別に怒っている訳では無さそうだが、思わず回れ右して駆け出したくなる衝動にかられるくらい迫力のある顔だ。

「どうしたのかね?」

 むう、声も怖い。しかし、私に直接的な敵意は持っていないようだ。

「いや、ちょっと10円を落としてね。私の事は気にしないでくれたまえ」

 さり気なく小銭を探す振りをして老人の前から離脱する私を、老人は訝しげな目つきで見ていたが、やがて踵を返すとクリ君たちの元へと向かった。
 それにしても、あの老人が纏う軍服とマント――私の記憶に寄れば、あれは天界軍高級士官、それも上級大将クラスの軍人のみが着る事を許された軍服だ。
 やはり、あの老人は――

「御主人に取り次いでもらいたい」

 しかし、意外にも老軍人が向かったのは、緊張しきった2人の超高位存在では無く、2人の地球人類の元だった。ふむ、予想外の行動だ。あの少年と妖精がターゲットである事は、とうに見抜かれている筈なのだが。

「えーと、残念ですが、今ボスは仕事で留守にしているんスよ」
「御用件は私が取り次ぎますです」

 普段と全く変化無い態度で、セリナ君とミツ君は至極丁寧に応対した。
 ふむ、あの軍人的に怖過ぎる外見的特徴を持つ武争神族を前にして、怯える様子などまるで無い。無知ゆえの蛮勇だけでは、存在としての『格』だけで気押されてしまうだろう。
 あの2人の地球人類――セリナ君とミツ君は、規格外の精神耐久度を持つ存在なのだろうと推測する。

(……客人として扱われているのか。現地住民を従属させていないとは……意外だな)

 誰に聞かせるわけでも無い呟きだったのだろうが、私の知的好奇心満足イアーは確実に老軍人の声を捕らえているぞ。うむ。
 2人の地球人類に軽く一礼した老軍人は、そこで初めて2人の超高位存在に向き直った。黄金のマントを脱ぎ、両手を胸の前で交差させるように反対側の肩に置き、雪上に両膝をつく。
 ふむ、この動作は神族に伝わる、高位存在に対する敬意を意味する古礼に基いたものだと記憶しているが。中々に礼儀正しい方だ。
 ぽつり、と鼻の頭に冷気を感知する。
 しばらく小休止していた降雪が、再び始まったらしい。

「略式儀礼で失礼する。小官はバルバロッサ・シュタイナ上級大将。“天界軍第14独立艦隊”を預かる身だ」

 舞い落ちる雪が老軍人――シュタイナ上級大将の黒い軍服に付着して、まるで星空を見ているかのようだ。
 もっとも、そんな呑気な感想を抱いているのは――あの個性的に過ぎる地球人類を除いて――私だけのようだが。

「て、て、て、天界軍第14独立艦隊ぢゃと!?」
「て、て、て、“鉄神兵団”が……まさかさいけっせいされたというのか!?」

 驚愕に身を震わせる魔界大帝と木龍大聖――うむ、極めて希少価値の高い光景だ。しかし、それも無理は無いだろうと判断する。
 “天界軍第14独立艦隊”こと、通称“鉄神兵団”――悪魔族と龍族の王族なら、その名を知らない筈が無い。国際関係には興味の無い、典型的な鬼族である私でさえ、その凄まじ過ぎる戦歴を記憶しているのだからな。
 『敵前逃亡が恥にならない』――誇り高く勇猛果敢な魔界軍からでさえ、そう称された宇宙艦隊が出現したのは、今から50万年以上の過去の事だ。
 超大型空母を一種の移動要塞として活用し、強襲揚陸艦とZEXLを中心とした電撃戦を得意としたこの艦隊は、悪魔族との戦いにおいて連戦連勝――悪魔族にとっては最大最悪の天敵とも呼べる、議論の余地も無く天界最強の軍隊と形容できる存在だ。実に魔界軍の5%がこの艦隊によって消滅したとの記録もある。もし、この艦隊が効果的に運用されたと仮定するなら、あるいは悪魔族は絶滅していたのかもしれない……というのは、私のような知的階級の者には過ぎた想像か。
 だが、優れた存在は敵よりもむしろ味方に恐れられるというのは、如何なる種族でも共通の観念のようだ。
 そのあまりに高過ぎる実績と戦闘力に、天界軍上層部が危惧を抱いたのだ。その理由は、嫉妬か疑心暗鬼か――過去の事例を参照したあらゆる可能性が考えられるだろう。
 結果、第14独立艦隊はその活躍の場を天界本土防衛に移されて、活躍の機会も無く30万年前に解散――当時の兵士や将官達も退役して、今は伝説や記録としてその名が残っているだけである……という筈だ。
 しかし、今、眼前12.08m先で魔界大帝アーンド木龍大聖と向き合っているのは、その第14独立艦隊司令官であるバルバロッサ・シュタイナ上級大将ではないか!!うーむ、実は結構歴史的瞬間を目撃しているのかもしれないと推測する。

「て、て、て、て、天界軍のいぬが、なんのようなのだ!!」

 胸を逸らして言い放つクリシュファルス君だが、身体が小刻みに震えていては、その迫力に欠ける事この上ない。無理もないだろうが……

「魔界大帝クリシュファルス・クリシュバルス陛下、及び木龍族第一皇女樹羅夢姫――御ニ方の保護に参上仕った」

 老人とは思えない明朗な発声で、シュタイナ上級大将は言い放った。うむむ、そう来たか。興味深い展開だ。

「保護ぢゃと!?」
「御ニ方とも偶発的な事故で、この自然保護区域に流れついたと思われるが――ここは私に任せてもらえないだろうか」
「じげんかんたいをてんかいしておいて、われらをほごするだと!?ざれごともたいがいにせい!!」

 ま、そりゃそうだろう。どう考察しても保護を名目に拉致するに決まっている。自然保護区域に次元艦隊を送り込むなど、条約違反にも程があるが、魔界大帝と大聖を手に入れられるなら、リスクを補って余りある。過去に解散された艦隊を使うのも、その作戦のイリーガルさ故だろう。

「神族のいぬがかかわることではないわ!!魔界大帝のいかりにふれぬうちに、このせかいからえいきゅうにきえうせるがよい!!」
「消え失せるのぢゃ!!この――え〜と……ヒゲジジイ!!」
「ジャム姫、お年寄りに女の子がそんな事を言っちゃダメだよ」
「お主は黙っておれ!!」

 先程までの恐怖の念は何処へやら、激昂の情感に支配されているらしい2人――だが、

「やはり、こうなったか――」

 ぞくり、と背筋が冷たくなった。そんな声があの両膝をつく老人から発せられた。
 鬼族の私ですらそんな感覚に襲われたのだ。それほど戦慄的な声だった。案の定、2人の超高位存在は身体を硬直させている。

「では、力尽くで保護させて頂く」

 そう言い放って、シュタイナ上級大将は立ち上がった。それだけで、思わず回れ右して逃走したくなる感情に支配されるようだ。うむ、引退して久しいとはいえ、伝説の軍神の『格』が、これほどの物とは……興味深い。

「現地時間で9:00より17:00まで作戦を遂行する。『ワールドフリーズ』は我々の方で展開する。時間のみ凍結排除したタイプだ……尚、保護を受ける用意はできている。何時でも考え直して構わん」

 時間を凍結解除したワールドフリーズ――世界凍結の術?つまり、午前9時から午後5時まではいくら激しい戦いをしても周囲に影響は出ないのか。はて、次元艦隊と魔界大帝達の戦いに周囲を巻き込まない為に、世界凍結の術を使用するのは当然として、この作戦執行時間の制限の意味は何なのだろうか?うむ、気になってきたぞ。
 そんな私の疑念を完全に無視して(あたりまえだが)、天界軍第14独立艦隊司令官、バルバロッサ・シュタイナ上級大将は踵を返して立ち去っていく。ばっと黄金のマントがはためいて、雪の粉末が魔界大帝と木龍大聖に降り注ぐ、その威厳に満ち満ちた後姿よ――無防備なその姿に何もしなかったのも、その所為かと少々非論理的な推測をしてしまう。

「…………」
「…………」

 降り注ぐ雪の中に黒いシルエットが消えるまで、クリシュファルス君とジャム姫君は動かなかった。いや、動けなかったと称するべきか。
 数秒後、腹に響くような振動を空間に立てながら、上空の次元戦艦は大気圏の彼方へ高速移動していった……
 後は、先程までの光景が広がっているだけだ。いや、事実を正確に称するならば、あの2人が顔面蒼白になっている点が相異するか。

 ふっ

 先刻と同様に、音も無くアンコ君が出現する。その無表情からは、何の感情も読み取れない。うむ、私の人相学もまだまだだな。

「最悪の事態ね」

 全然最悪に聞こえないのは、彼女が全くの無表情で淡々と話すからだろう。

「“天将元帥”の二つ名を持つ伝説の名将、バルバロッサ・シュタイナ上級大将――1番敵に回したくなかった御方が来たわ」

 しかし、その無表情が逆に事態の深刻さを物語っているように見えた。うむ。

「で、伝説の名将であろうと、その話は30万年以上も昔の事であろう?それに、たかが一個艦隊程度など、大聖たるわらわなら一息で追い散らしてやるのぢゃ!!」

 多大に存在感のある胸を張りながら、気勢を上げるジャム姫君は、どうやら開き直ったらしい。だが、その意見も一理あると判断する。
 かつて、単身で四大種族を完全支配した“大聖”の力をもってすれば、次元艦隊どころか天界軍全軍を相手にしても圧倒的優位で闘えるだろうと推測する。ましてや魔界大帝までいるとなれば、この戦力を敵に回す愚は蛮勇の範疇にも収まるとは到底考えられまい。
 だが――

「私は1機のZEXLでクリシュファルス君を拿捕しようとした。それが可能だと判断したから、天界上層部はその計画を発動させたの」
「……う」
「そ、それがどうしたと言うのぢゃ!?」

 アンコ君の義眼に、赤い光点が灯った。演出の一種か?

「“勝算の無い戦いは絶対にしない”それが天界軍のやり方よ。正面からの戦いだけでは無く、裏で何か手を回しているのは確実ね。『魔界大帝と大聖を確実に拿捕する作戦』が立てられたのは間違い無い。そして、あの“天将元帥”には、それができる実力と実績があるわ」

 視界が白い。
 降雪量が増加しているようだ。
 しかし、この場に流れる沈黙は、雪の消音作用とは関係無いのだろう。

「ならば、どうすればいいのだ!?」

 少々涙声でクリ君が叫んだ。暗中模索の絶望的状況というのは、魔界大帝と言えども子供の精神キャパティシーでは耐え難いものがあるだろう。うむ。

「……今は、こちらも予定通りに作戦を進めるしかないわ。相手の動きに応じて臨機応変に対応するしか無い」
「そんないい加減な方法しか無いのかや?なんだか先行きが不安なのぢゃ……」
「敵の作戦が分からない以上、今はそうするしかないの」

 ひゅううううう……

 ああ、加速度的に空気が重くなっていくのが実感できる。
 それを察知したのか、ミツ君が勤めて明るい調子で、クリ君の肩を叩いた。

「――まぁまぁ、やるだけやってみないと先の事なんてわからないよ。今からそんな調子じゃ勝てる相手にも勝てないんじゃないかなぁ」
「そうか……そうであったな」

 俯くクリ君の顔が、きっと真上を向いた。その視線の先には、あの巨大次元戦艦が我々を睥睨しているのだろう。

「よし!!ではわれわれもさくせんをかいしするぞ!!いだいなる魔界大帝にほこをむけたぐこう、そのみでおもいしらせてくれよう!!」
「そうなのぢゃ!!たかが天界軍の犬など指先1つでダウンさせてやるのぢゃ!!」
「その意気、その意気」

 えいえいおー、と気合を入れる子供達を前に、アンコ君は微かに笑ったように見えた。しかし、次の瞬間にはまた冷徹の仮面を被って――

「クリシュファルス君――わかるわね?」
「……うむ」

 アンコ君の呼びかけに、クリ君の表情が僅かに曇ったのを私の知的好奇心満足アイは見逃さなかったぞ。うむ。

「――あらあら、お客様はお帰りになられたみたいですね」

 その時、玄関の扉が開いて、お茶をトレーに乗せたセリナ君が現れた。今までセリフが無いと思ったら、どうやらお茶の用意をしていたらしい……何時の間に……
 クリ君は、無言でセリナ君の前に歩み寄った。その顔は妙に無感情だ。

「セリナ」
「はいです?」
「いますぐ、このやしきからでていくのだ」

 がーん!!!

 な、なんだ今の効果音は!?
 突然、辺りが暗くなった。絞られたスポットライトの中で、セリナ君がよよよと崩れ落ちる。い、今の現象はなんなのだ?う〜むむむ、違う意味で興味深い……

「がーん!!です……ひょっとして私、御役目御免がクビで解雇のリストラですか!?」

 目の幅一杯に涙をだーっと流しながら、セリナ君は呆然としているクリ君の足にしがみ付いた。

「シクシクです……私はこうして捨てられてダンボールの中で雨に打たれて増水した川に流されて太平洋ひとりぼっちになってしまうのですね……」
「……ちょっとまてセリナよ、よは『あぶないからたたかいがおわるまでどこかにひなんしていろ』といっているのだが」
「こうして私は流浪の民に……です……る〜ららら〜るろ〜るろ〜です〜」
「……え〜と、せいかつひは腹黒殿からあずかっているくれじっとかーどがあるからもんだいないな……すべてがおわったられんらくするから、それまでどこかのやどでくらしているがよい――って、きいておるのか?」

 額に謎の巨大な涙滴状物質を出現させて、説明するクリ君だが……当のセリナ君にそれを聞いている様子は無く、スポットライトの中で謎の歌を熱唱している。うむむ……あまりに非論理的な情景に、頭が痛くなってきた。
 やがて、セリナ君はどこからともなく巨大な唐草模様の風呂敷包みを取り出して――この現象も謎だ――数百キロはありそうなそれを軽々と担ぐと、

「シクシク……皆様、長い間御世話になりましたです……後で御手紙を毎日10兆枚くらい出しますですね……」

 深々と頭を垂れると、ずーんと暗い背景を背負ったまま、雪の彼方へ消えていった……意外なくらいあっさりと。
 後は、呆然とする我々が残されているだけだ。

「……ぜったいになにかかんちがいしておるな……」
「そうね」
「えーと、じゃあ僕とセリナさんの疎開場所が決まったら、すぐ連絡を入れるから。それじゃーね……って痛たたたたた!!!」

 妙に寒々とした空気が流れる中、妙に晴々としたミツ君が、しゅたっと片手を上げてセリナ君の後を追随しようとするのを、ジャム姫君の頭髪引っこ抜きが中止させた。うむ、あれは20本は抜けたな。

「どこに行こうというのぢゃ!!」
「あ、あのー、僕はか弱い地球人類の一員であって、神様の戦いになんて巻き込まれたら、一瞬でプチッなんじゃないかなーって思うんだけど……」
「今更お主が普通の地球人類だとは、誰も思って無いわ!!それに、お主がいなくてはわらわが大聖になれないのだから仕方ないのぢゃ!!」
「トホホ……わかった、わかったよ」

 この世の終わりのように俯くミツ君の頭上で、

(大体、お主とあのウシ乳女を2人きりにさせるわけにはいかないのぢゃ……)

 そう、小さくジャム姫君が呟くのを、私の知的好奇心満足イヤーは聞き逃さなかった。うむ。どうやら完全な異種族間にある彼等の間にも、微妙な男女関係は存在しているようだ。
 ――さて、私はこれからどうするか。
 色々興味深い事象が連続しているが……今は1番重要だと想定する事を最優先するべきだろう。
 私はどこか暗い表情のクリ君の前方1m地点に移動した。集団社会行動学的に分析して、彼が最年少ながら最も重要なポジションに存在していると考えられるからだ。
 咳払いをして、できるだけ真摯な表情を作る。現在の状況から判断して、最も最優先すべき重要な疑問点を解決する必要があるからだ。うむ。

「クリ君」
「……なんだ?」
「私の就職の件はどうなったのかね」
「「「「とっとと消え失せろ!!!」」」」

 どかべきぃ!!!

 形容表現では無く、文字通り私は遥か彼方へ蹴り飛ばされた――

A:そして、セリナは…… B:そして、クリシュファルス達は……
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