B:そして、クリシュファルス達は……


 薄墨を浸した和紙の如き雲が、天球を覆い隠していた。
 絶え間無く舞い落ちる雪も、空の切片のような灰色だ。
 冷たい陽光は全て暗雲に遮られているのだろう。外出するには灯りが必要なくらい辺りは薄暗い。どんな陽気な者でも、見上げれば陰鬱な溜息を漏らしそうな空だった。

『嫌な陽気だの』
《言うな、ますます気分が暗くなる》

 そんな空気が伝染したのか、どんよりとした面持ちでクリシュファルスと樹羅夢姫は灰色の空を見上げていた――
 ――いや……体高500m、全長4kmもの畏怖なる暗黒の魔獣要塞――魔界大帝クリシュファルスと……体高80m、体長80kmもの聖なる蒼光の巨龍――木龍大聖樹羅夢姫が、2つの『真なる絶頂の存在』が、遥か天球の最果(いやはて)を見据えていた。






































――200X年1月7日――






































 決戦当日の朝――世界は言葉通りの意味で白と黒のニ元的色彩で統一されていた。
 これはこの地域が一面の銀世界に覆われている為だけではない。戦闘開始時間のきっかり30分前――午前8:30から、神族達が発動した世界操作系の術『世界凍結』によって、世界は白黒のモノトーン世界に完全に凍結されているのだ。
 『世界凍結』――超高位存在同士が周囲に影響を与えない為に使用する、もはや御馴染みの術だが、しかし、今回は今まで地球圏で魔界大帝等が使用した『世界凍結』の術とは一部異なる点があった。
 全てが凍結した世界の中――灰色の空の切片のような雪は、絶え間無く降り注いでいる。季節外れの渡り鳥がゆっくりと羽ばたきながら空を横切り、こんな事態でも通勤せざるをえない会社員の運転する乗用車が、雪道に悪戦苦闘しながら裏通りを通り抜けて行くのが見えた。
 今回の『世界凍結』の術は、時間の流れのみを凍結から解除したものなのである。通常の凍結された世界では、時間の流れも完全に停止してしまうのだが、今回はなぜか神族側が『午前9時から午後5時まで』という戦闘時間の制限を要求した為、このようにシュールな光景の中で闘う事になったのだ。
 それにしても――

《それにしても、なぜ神族どもは戦いの時間を制限したのだろうな?》
『年寄り連中ばかりじゃからな。きっと体が持たないのじゃ』
《そんな単純な事では無いと思うが……彼奴等はかの“鉄神兵団”であるぞ?》
『お主は難しく考え過ぎなのじゃ。チンチクリン』
《だぁれがチンチクリンかぁ!!》

 30分前から、こうして広大な庭の敷地で待ち構えている2人の超高位存在が、そろそろ待ちくたびれてきた頃――そう、まさにその“緊張が切れた”瞬間だった。

 ――AM9:00――

 “光の使徒”が降臨した。

《ぬぅ?》
『じゃ?』

 辺りをキョロキョロ見渡す2人の周囲に、スポットライトのような輝ける光の柱が出現したのだ。その数は8つ。
 雲の切れ目から陽光が刺し込む、俗に“エンジェルラダー”と呼ばれる気象現象――地球に共通する神話によれば、“神”はこの中を通って地上に降臨するという。
 そして、まさに“神”は降臨した。

 kinkinkinkinkin……
 riririririririri……

 オルゴールを思わせるジェネレーター稼働音を、福音の如く鳴り響かせながら……世界最強の人型機動兵器――8機のZEXLが、ウィングを展開させながらゆっくりと2人の周囲に降り立った。


 現存兵力――

 魔界大帝 クリシュファルス・クリシュバルス『戦闘形態』 ×1

 木龍大聖 樹羅夢姫『完全体』 ×1


 敵兵力――

 パウダー級『ZEXL−20“プラスアルファ”』7番装備(対要塞戦装備) ×3

 パウダー級『ZEXL−15“ベルサーズデモンホーク”』5番装備(打撃型近接装備) ×2

 パウダー級『ZEXL−17“アルティメットタイガ”』10番装備(高機動型近接装備) ×2

 アラバスター級『ZEXL−10“サラマンダ”』2番装備(指揮機装備) ×1


《……覚悟はよいか?》

 魔界大帝の周囲に暗黒の瘴気が渦を巻く。

『余計な心配なのじゃ』

 蒼い燐光を放ちながら、木龍大聖は周りの巨神をねめつける。

 2つの超高位存在を中心に、真円を描くように降り立った8機のZEXLは、一寸の無駄もなくウィングを展開し、凶悪そうなメインウェポンを構える。

 ――時が止まったかのような静寂が、一瞬、世界に満ちて――

《ゆくぞ!!これが魔界大帝の審判だ!!》
『大聖の尊名の意味を、その身で思い知るがよい!!』

 神々の黄昏が始まった。




※※※※※※※※※※※※※※※※





「始まりましたね」

 グレートシング級重戦闘空母4番艦“アウターリミッツ”――ブリッジ内部は、外部とは違う意味で戦場と化していた。
 あらゆるモニターには戦況データが洪水のように流れ、オペレーターや計器観測員の叫び声が飛び交っている。行き交うデータディスクや書類――こういったアナログなデータの方が信頼性が高いので、戦場では多用される傾向がある――など、物理的に空中を飛んでいた。全人員が老人とはとても思えない、水を得た魚のような活気ぶりだ。

「予定通り、ZEXL2個小隊は目標の周囲を散開、回避重視のヒットアンドアウェーによる近接攻撃を展開しております」

 そんな戦場の熱気の中、福々とした老婦人ことレミエラ少将は、シュタイナ上級大将の脇に静かに控えて、相変わらず優しい笑みを浮かべながらのんびりと紅茶の湯気を顎に当てていた。その姿は宇宙艦隊の指揮中枢に位置する者とはとても思えない。

「30万年ぶりだが、相変わらず正確な戦況分析処理だ」
「恐れ入ります」

 いや、よく見れば彼女のこめかみから数本の配線が長く伸びていて、温厚そうな糸目の隙間から電子の輝きが漏れる度に、ブリッジのあらゆるモニターが凄まじいスピードでデータを表示していた。
 もし、今この場に神族のコンピューター技術者がいたなら、このブリッジのコンピューターが通常の数十倍の処理速度を誇っている事に驚愕しただろう。そして、それがあののんびりとした老女の『暗算』で処理されている事実を知れば、ますます目を丸くするに違いない。
 ドニエプル・レミエラ少将――シュタイナ上級大将付きの副官である彼女は、世界最高の技術力を誇る神族のコンピューターをも凌駕する情報処理能力を持つ、超高性能生体コンピューターとでもいうべき存在なのだ。

「レミエラ少将、例の――」
「地球圏の粒子観測データならば、AO486ファイルに置いてあります」
「うむ……では――」
「天界軍本部への定時連絡用原稿なら、1番上の引出しの中です」
「そうか、ゼ――」
「ZEXLの起動演習データなら、もう技術部に送信してあります」
「…………」
「はい、コーヒーのお代わりです。3杯目ですから、少しミルクを入れておきますね」
「……相変わらずだな、少将」
「恐れ入ります」

 この優しい老女こそ、シュタイナ上級大将の右腕であり、無敵艦隊『鉄神兵団』の片翼とさえ称された傑物なのである。
 ――そして、もう1人の『片翼』といえば……

「なぁにやってやがんだこのイ○ポ野郎!!第4駆逐艦のメインブースターの出力は0.005871%減だって聞いてなかったのかっ!!マスのカキ過ぎで頭ん中のクソにウジでも沸いたかホモ野郎!!」
「うるせーんだよ○ッチ将官殿!!とっくに修正したから早くクサレ指示を出せってんだ!!」
「テメェらこれから次元テレポート座標の合わせを始めやがるぞ!!0.0000001度でも座標が狂ったらケツの穴に審判砲ブチこんでやるから気合入れろよボケ老人ども!!」
「ドブに湧いたボウフラレベルのクサレ将官殿に言われたくないぜ!!老衰でイきながら腐ったギョロ目でよく見てろクソッタレー!!」

 ……頭が痛くなるような罵詈雑言をインコムに怒鳴りつけながら、唾を飛ばして艦隊の操艦訓練指揮を取る醜顔の老人――ゴリアテ少将の姿があった。

「……訓練の調子はどうだ?」
「うるせーな、まだ途中だから口出しすんじゃねーよ……ま、訓練するまでもないと思うがな。今のところ皆完璧な操艦だ。30万年のブランクは無さそうだぜ」

 暗闇で見たら大人でも卒倒しそうな笑みを浮かべながら、ぞっとする調子で笑い声を洩らす『片翼』を見て、じゃあさっきの怒鳴り散らしはなんなんだ……とシュタイナ大将は溜息を吐いた。
 あのあまり親戚にいて欲しくない類の老人は、見た目は捻くれているものの――中身も捻くれているが――この14独立艦隊旗艦“アウターリミッツ”の艦長であり、同時に艦隊の直接的な運用を担当している。作戦行動の指揮を取るのはシュタイナ大将だが、実際に艦隊を動かす指示を出すのはゴリアテ少将なのだ。その神族の間ですら『神技』と呼ばれた操艦技術は天界軍最高の腕前と称され、シュタイナ上級大将の数ミリ単位、数ミリ秒もの精度を要求する操艦の指示を完璧にこなしてきたのも、この老人のお陰なのである。事実、旗艦の周囲に浮かぶ次元艦隊は、ゴリアテ少将の指揮通りに、まるで意思を持つ群体のように一糸乱れぬ見事な操艦を見せていた。老人が最強艦隊の『片翼』と呼ばれるのもむべなるかな。

「おらおら、さっさとエネルギー消耗度データを送れってんだファッ○野郎!!」

 ……まぁ、才能と人格は関係無いという例は、神様の間でも同じらしい。
 無論、これらの傑物に率いられる兵士達も、一兵卒に至るまで長年の経験と才能に彩られた兵(つわもの)である事はいうまでも無い。
 そして、『両翼』を支える胴体にして、天界軍最強の次元艦隊の中心たる男――“天将元帥”の二つ名を持つ最強の武争神族――

「――でもよ、このままZEXLの波状攻撃を続けても目標を沈黙させる事ができるとは思えねぇぜ。相手はあの“魔界大帝”に“大聖”なんだぜ?どうするんだ?」
「確かに、奴等は強い。文句無しで世界最強の存在だ――だが、そこに突破口がある」
「え?」

 指揮デスクの中で王者の如き風格を纏い、獅子を思わせる顎鬚を撫でながら――

「奴等は“強過ぎる”――それが最大の弱点だ」
「……また、何かロクでも無い策があるらしいな」
「そのようですわね」
「ロクでも無い、は余計だ……では、第2作戦に移行する」
「了解だぜ」
「了解ですわ」

 バルバロッサ・シュタイナ上級大将は重々しく頷いた。




※※※※※※※※※※※※※※※※





『ええい!!鬱陶しいのじゃ!!』

 絶え間無く全身を打ち据えるレーザーの雨を払いのけながら、蒼い巨龍――樹羅夢姫は咆哮した。一撃で宇宙を数億回消滅させる威力を持つ鉤爪をかいくぐり、正確に急所にミサイルを叩きこむZEXLも、木龍大聖の巨体の前では羽虫が纏わりつくようにしか見えない。

《この、この、このぉ!!》

 漆黒の巨大要塞の如き大悪魔――魔界大帝クリシュファルス戦闘形態も、数万本もの闇の触手を繰り出すが、その悉くを人外の機動で回避して、黒鉄の装甲に電子の輝きを走らせながら、ZEXLがブレードウィングの斬撃を食らわせる。
 全世界最大最強最高の超高位存在であるクリシュファルスと樹羅夢姫は、たった2個小隊――8機のZEXLに翻弄されていた。
 無限にして無敵の肉体を持つ魔界大帝と木龍大聖にとっては、一撃で銀河系を粉々にできるZEXLの攻撃も、人間が針に刺された程度にしか感じないだろう。
 しかし、ちっぽけな針も目や脈などを貫けば致命傷に成り得る。そして、ZEXL達の攻撃は正確にそこに該当する急所を狙ってくるのだ。
 圧倒的な破壊力を持つ超高位存在の攻撃も、機動力に勝るZEXLに振り回されるだけだった。クリシュファルスと樹羅夢姫にとっては、こちらの必死の攻撃は空回りするだけで、相手の絶え間無い攻撃はひたすら鬱陶しい上に無視できないという、非常ストレスの溜まる状態が何時間も続いているのである。
 案の定、ついに樹羅夢姫が切れた。

『おのれおのれちょこまかとぉ!!!』

 蒼い龍が吼えた。
 サファイヤを思わせる外骨格構造の鱗から、まばゆい聖光の怒涛が溢れ出し、モノトーンの世界を青く染める。
 世界最大最強最高の超高位存在――大聖の力が世界を満たす。
 そして――

「……!?」

 順調に目標へ攻撃を加えていたZEXLのパイロットが、次の瞬間コックピットの中で驚愕の声を洩らした。
 金属的な光沢を放つ両手のコントロールコンソールの表面から、パキパキと音を立てて木の芽が――いや蔓の芽が見る見る伸びて、パイロットの両腕に絡みついたのだ。
 それだけではない。眼前のメインモニターの表面にざわざわと茶色い剛毛が生え、計器のパネルを内側から昆虫の足が突き破る。姿勢安定用ベルトは蛸か烏賊と思われる触腕に変じ、パイロットスーツの表面はまぎれも無い魚類の鱗と変移していた。
 謎の変貌はコックピットだけではなく、機体内部機関から外部装甲も同様に襲っていた。肩に構えていた大型エネルギーライフルなど巨大な樫の木になっている。

 ――単なる物質が“生命”へと――
 ――存在そのものが作り変えられていく――

 全てのZEXLはたちまち動きを鈍らせた。まだ動けるだけでも僥倖だろう。
 それだけではない。周囲の建造物から石ころに至るまで、あらゆる無機物が未知なる生命へと変わっていく。更に巨大な視点で世界を見れば、この瞬間から宇宙中の全ての存在が同じ変貌を遂げていく事実が観測できるだろう。
 驚くべきは、木龍大聖の力よ――

《――って、待て待て待てぇ!!!》

 魔界大帝の暗黒の触手が、慌てた調子で木龍大聖の後頭部(に該当する個所)にツッコミを入れた。

『あうっ……な、何をするのじゃ!?』
《周りをよく考えろ!!そんな力を使ったら、この世界を滅ぼしかねんぞ!!》

 はっとして辺りを見回す樹羅夢姫の瞳に、モノトーンの世界のあちこちが異形の生命体へと変わっていく光景が飛びこんだ。
 『世界凍結』の術が文字通り世界を凍結している間は、どんなに強力な能力を振るっても、周囲の環境には一切影響を与えない――筈であった。
 しかし、あまりにも強力過ぎる木龍大聖の力は、絶対の世界法則をも凌駕するのだ。
 慌てて樹羅夢姫は力の放出を『取り消した』。ビデオの逆回しの如く、一瞬にして世界は全てが元通りのモノトーンな光景に戻っていく。
 そして、それは敵のZEXLにとっても同じだった。何事も無かったかのように、再び機械の神々が攻撃を開始する。

《あまり派手な力を使うでないぞ。世界を巻き添えにしてしまうからな》
『それでは、どうやって戦えばいいのじゃ?ただ殴りかかるだけでは何時までたっても当たらんぞよ!?』
《ううむ……どうしよう?》
『じゃ〜〜〜!!!』

 クリシュファルスの泣き言と樹羅夢姫の悲鳴は本物だった。
 そう、魔界大帝と木龍大聖――かの偉大なる超存在は、強過ぎるが故に実力を発揮できない。更に中身はお子様である2人は実戦経験に乏しく、こんな時にどう戦えば良いのかわからない!!

 ――強過ぎる……それが弱点だ――

 これが、“天将元帥”と呼ばれた生ける軍神の策か――
 ――いや、まだまだ策は終わらない。

 フッ……

 突然、何の前触れも無くZEXLの波状攻撃が止んだ。それがあまりにも唐突であったため、一瞬、2人の気が削がれてしまう。

『……じゃ?』
《気をつけるのだ。きっと何か――》

 魔界大帝の言葉は途中で無理矢理遮られた。
 二筋の巨大なエネルギーの奔流が、魔界大帝の背後から襲いかかり、その漆黒の巨体を貫いたのだ。その威力はZEXLによる今までの攻撃の比ではない。

『クリシュファルス!!』
《……い…いた……い……》

 よろめく魔界大帝の背後の空間に、奇妙なゆらぎが発生した――そして、何も無い空中に“波飛沫”が吹き上がって、次の瞬間、全長数百mにも及ぶ巨大な次元戦艦が出現したのである。

 敵追加兵力――ディメンションダイバー級次元潜宙艦『グロウスクイード』×1

『おのれぇ!!』

 咆哮した木龍大聖が、傷付いた魔界大帝を庇う様に次元潜宙艦の前に踊り出た。その宝石のような瞳は、怒りのあまり真紅に輝いている。そのまま回避行動を取ろうとする潜宙艦に食らいつこうとした瞬間――

《うわぁ!!》
『くぅううう!?』

 天空より数十本の『赤い線』が降り注ぎ、木龍大聖の身体をズタズタに切り裂いたのだ。
 たまらず、樹羅夢姫はその巨体を大地に打ち据えた。

《ま、まだ敵がいたのか!?》

 空の彼方を見据える魔界大帝の視線の彼方――上空10万m地点。
 全ての砲門を神の精度で目標に向けた、数機の巨大戦艦の偉影がそこにあった。

 敵追加兵力――キーンベイオット級駆逐艦『グワンゲ』以下同型艦×9

 天界軍最強、常勝不敗、無敵の次元艦隊“鉄神兵団”――ついに、かの魔神が破壊の剣を引き抜いたのだ。

《わああああ!!》
『きゃあああ!!』

 周囲を舞い踊るZEXLの斬撃と、至近距離から反粒子ビームを撃ち込む次元潜宙艦と、天の高みから時空切断レーザーを降り注ぐ次元駆逐艦の波状攻撃の怒涛が、たちまち魔界大帝と木龍大聖を飲み込んだ――!!





※※※※※※※※※※※※※※※※





 シュタイナ上級大将の作戦は、ほぼ完璧な成果を上げていた。
 ZEXLの攻撃による挑発により、逆に魔界大帝と木龍大聖の実力を封じ込め、密かに潜行させていた打撃部隊による連続攻撃を与える――シンプルだが、それ故に精密さを必要とする作戦だった。
 それにしても、敵味方が入り乱れている状況で、衛星軌道上からピンポイント攻撃を仕掛けるとは――余程部隊の練度が高くなければ、こんな一歩間違えれば自殺行為になりかねない作戦など取れないだろう。
 恐るべきは、鉄神兵団よ――
 ――しかし、

「小揺るぎもしませんね」

 茶飲み話のようなレミエラ少将の呟きに、

「あれだけ砲弾ブチこんで、身体中八つ裂きにしても実質的なダメージはゼロかよ……気が遠くなるな」

 モニターに表示される戦況データを睨みながら、ゴリアテ少将は溜息で受けた。
 次元戦艦とZEXLによる猛攻は、確実に2体の超高位存在を粉砕している。が、高エネルギー砲が漆黒の身体を蒸発させた次の瞬間には、何事も無かったかのようにその身体は復活しているのだ。肉体が一片でも残っていれば、いや、たとえ素粒子1つ残さず身体が消滅しようとも、瞬く間に復元してしまう――恐るべき再生能力であった。木龍大聖に至っては、“負傷”や“死”という概念すら存在していない。かの存在が世界最大最強最高の超高位存在と呼ばれるのも当然と言えた。

「このままじゃ、何兆年攻撃してもラチが開かないぜ……どーすんだ?」
「続けろ」

 やや非難の混じった意見にも、シュタイナ上級大将は相変わらず落ちついた面持ちのままだ。その重厚な姿は、味方に絶対の信頼を、敵に果てしない絶望を与えるものだった。かつて天界軍内部での模擬戦で、敵の提督とモニター越しに会談しただけで相手が降伏した事もある。天将元帥の二つ名を持つ伝説の名将は、その勇姿だけでも強力無比な兵器なのだ。

「また何かロクでもない事を考えているみてぇだな」
「さて、な」

 独り言のように呟きながら、ごつい手がコーヒーカップを口元に運ぶ――その瞬間!!

 ズズズン――!!!

 琥珀色の液体が、コーヒーカップの縁から勢いよく飛び散った。
 凄まじい振動がアウターリミッツを襲ったのだ。甲高い警報音と緊急信号の騒音が広いブリッジに充満する。

「何事か!?」
「近距離からの高エネルギー弾による砲撃です!!」
「砲撃?それも近距離から!?索敵手は何やってやがった!!」
「常時索敵してますよ!!……どうやら、規格外のステルス能力を持っていると推測されます。砲撃地点から目標を割り出してみます」
「急げ!!」

 オペレーターの声は動揺に満ちていた。それでも操作に支障が無いのは流石だが。
 まさか、魔界大帝等が何らかの手段で攻撃を?――いや、その可能性は無い。地上派遣部隊は順調に攻撃を続けている。こちらに手を出す余裕は無い筈だ……ならば、何者か!?

「我が艦隊のものでは無い認識信号を確認!!位置は2時方向+15度、距離18000……この認識パターンは……ZEXLです!!」

 今度のオペレーターの声は、驚愕に満ち溢れていた。

「ZEXLだとぉ!?」
「前回の作戦で、アヴァロン・クルィエ少佐が出撃した“トライゴン”でしょうか?」
「俺等を追っ手と思いこんだのか?なら、わざわざこんな姿を見せるような真似をするとは思えねぇが――」

 興奮しながらも、冷静に意見を交わす2人の少将に、

「違うな」

 一欠片の動揺も見せずに、シュタイナ上級大将は簡潔に呟いた。思わず2人は顔を見合わせる。あの上官が誰とも無く呟く時、その言葉の内容が間違った事は一度も無かったのだ。それも大抵の場合は悪い意味で。

「機体認識パターンを確認……これは……」

 オペレーターの顔が凍りついた――

 きりきり きりきり
 きりきり きりきり

 何かが軋む音が、誰の耳にも、はっきりと、聞こえた――

「アラバスター級『ZEXL−08“ホワイトスネイク”』15番装備――アコンカグヤ・ガルアード大佐専用カスタム“ヴァージニティー”です!!!」

 メインモニターに映されしは、星空の虚空に浮かぶ白蛇の女神――純白の外部装甲とスクリーン状のウィングに時折走る蒼いプラズマの美しさよ――左肩のパーツに描かれた、『全身を鎖で拘束された全裸の少女』という美しくも退廃的な紋章――そう、ここに『最強の神』は降臨した。

「やはり生きていたか……“神将元帥”よ」

 天将元帥と呼ばれた男の声は、渇いていた。その声が消えるよりも早く、ヴァージニティーが動いた。

「目標急速接近――速い!!」

 白き流星と化したヴァージニティーは、一直線にこの艦の艦橋に接近してくる。その意図はただ1つだ。

「迎撃しろ!!多少艦が損傷してもかまわねぇ、撃ち落せ!!」

 ゴリアテ少将の叫びと同時に、アウターリミッツの対空砲台が火を放つ。その弾幕の密度は宇宙空間を漂う水素原子すら蒸発するのでは無いか。
 白い蛇が踊った。
 一撃で破壊どころか蒸発するだろう高出力のエネルギー弾のこと如くを、舞姫を思わせる軌道で回避する白きZEXL――その美しさこそ恐るべし。死の砲弾はその美しさを汚さぬよう、自ら避けていくのではないかだろうか。
 艦橋までの距離、2500――そこに2機の巨神が踊り出た。
 パウダー級『ZEXL−19“アールナイン”』9番装備(護衛機装備)――巨大な専用シールドが特徴的な、ずんぐりとした形態のZEXLである。防御力の高さには定評のある機体であり、主に警備や護衛に使われ――
 白い閃光が、その間を通りぬけた。
 成す術も無くたたずむ2機のZEXLの四肢と頭部が、ばらばらに分解したのは次の瞬間だった。振り向きもせずに飛翔するヴァージニティーのブレードウィングが、後方からの爆光を受けて鈍く輝く。

「――強い!!」

 ゴリアテ少将の額に浮かんだ汗は、本物の脂汗だ。こちら目掛けて一直線に急速接近する純白のZEXLを迎撃しようと、無数の砲台が火を放ち、護衛用ZEXLがハッチから出撃していくのだが――そのこと如くが避けられ、迎撃されていくのだ。その間もヴァージニティーの進攻速度は変わらないどころか加速までしていた。
 恐るべき、神将元帥――アコンカグヤよ。

「そうか、魔界大帝等の力を借りて、姿を隠していたのか……どうやら、策にはめられたのは此方らしいな」

 周囲の緊張とは裏腹に、シュタイナ上級大将の声は、今も尚落ちついていた。

「魔界大帝と大聖――本来守るべきものを囮に使い、直接本陣を叩きに来るとは……士官学校の答案なら零点だが、長く実戦から遠ざかって頭が凝り固まった老人には、意表をついた有効な作戦だったようだ」

 髭面の老軍神は苦笑した。恐ろしいほど似合っていない。

「アコンカグヤ・ガルアード大佐――“神将元帥”か。どうやら真の元帥位は、若い世代に譲るべきか」
「仕方ありませんわ。ガルアード大佐とは前回の作戦で戦死したという情報でしたから……今回は情報部のミスでしょう」

 レミエラ少将が紅茶を傾ける仕草も、周りの状況が見えないかのように落ちついたものだ。
 迫り来る絶対の危機を目の前にして、この老人達は何を達観しているのか――傍目には諦めたように見える。
 しかし――

「で、どうするんだ大将」

 ゴリアテ少将が、濁った片目でウィンクを見せた。

「あんたの事だ、どーせまた策を考えてあるんだろ?」

 そうだ――かつての戦場で如何なる危機が訪れても、あの上官から生み出された大胆にして巧妙な策略のお陰で切り抜ける事ができたのだ。天将元帥と称される名将への部下の信頼は、絶対と言えた。
 そして、英雄はその信頼に答えてきた。今も――

「そうだな……少し予定よりも早いが――」

 ――!?

 時が止まった。
 この瞬間、宇宙は静寂に包まれた――“それ”の出現によって。
 ヴァージニティーの動きが止まった。最終目標であるブリッジを目の前にして――“それ”がブリッジのすぐ脇にいたからだ。
 何時、何処から、どうやって出現したのか――事実を前に、それを問う意味は無い。

 ――ロック・ミュージックが静かに流れた。

 幻聴では無い。
 ZEXLのジェネレーターが起動している時は、オルゴールか琴を思わせる起動音が流れるのだが――“このZEXL”の場合は、ベースギターの音色が聞こえるのだ。
 銀色の鋭角的なシルエットを持つ機体だった。特殊な装甲でも使っているのか、胸部装甲と四肢の所々が青く透き通っている。メインウェポンは、右手に持つ巨大なリング状の刃物――俗に『圏』や『チャクラム』と呼ばれる武器の巨大な物だろう。ウィングは見あたらない。時空間ポケットにでも隠しているのか。
 そして、左肩のパーツに描かれた紋章……牙を向く毒蛇――蝮(バイパー)の紋章!!

「お、おい!!なんだあのZEXLは!?」

 口をあんぐりと開けたゴリアテ少将が、レミエラ少将の肩を小突いた。彼女はこの艦隊の事なら、各艦の台所にある角砂糖の数まで記憶しているのだ。

「……わかりません。当艦隊の所属では無い事は確かです。アラバスター級のZEXL−11“ロードブリティッシュ”である事は判別できますが」
「“ロードブリティッシュ”……“蝮の紋章”……まさか!?」

 ……対峙する2機のZEXL――その間合いは50、共に一撃必殺の間合い。
 ヴァージニティーのブレードウィングが冷たい輝きを放った。
 銀のZEXLがリングスライサーを水平に突き出した。
 巨大な月にシルエットを浮かべる次元艦隊が戦いの舞台――静かなロック・ミュージックが戦いのBGM。
 役者が揃い、天の機が、運命の時が――誰かが呟いた。

 始めよ

 純白の蛇神と毒蛇の王は、白と銀の流星と化して――交錯した!!

 ぱりん!!

 どこかで、そんな音が聞こえた――誰もがその音を聞いた。
 交錯した体勢のまま、互いに背を向けて2機のZEXLは佇んでいる。時が止まったかのように動かない――やがて、

 ビシッ!!

 白いZEXLの胸部装甲に、醜い亀裂が走った――亀裂は機体全体に広がって、隙間からショートの火花と小爆発が起こる。
 “ヴァージニティー”――永遠の処女は、ついにここに汚されたのだ――あの神将元帥ことアコンカグヤが!?

「……機体認識コード、判明しました……」

 オペレーターの声は、震えていた。

「アラバスター級『ZEXL−11“ロードブリティッシュ”』……“戦将元帥”デュークス・レナモンド大佐専用カスタム“バイパー”です!!」

 ゆっくりと、銀色の毒蛇――“バイパー”が旋回する。

 …………

 いない。
 その時には、既にヴァージニティーは白い流れ星の如く地球へと消え去っていたのだ……
 “戦将元帥”デュークス・レナモンド大佐と“バイパー”――神族最強の戦士を敗走させたこの存在は、何者なのか!?


「何とか助かったみてぇだな」

 ゴリアテ少将の声は重かった。
 いや、この男だけでは無い。ブリッジ内の全ての兵士が、どこか腑に落ちない表情を浮かべていた。
 全員の視線は、メインモニターに映し出された銀色のZEXLに向けられている。フープ状の刃物――リングスライサーは後光のように背中に装着し、何事の無かったかのようにブリッジの脇に控えるその姿は、王城を守護する近衛兵士のようだ。

「しかし、何者でしょうか?まさか本物を連れて来たわけでも――」
「本物ですよ」

 絶対零度の声が、テレポート・ドアから発せられた。発言者は説明するまでも無い。薄氷を張り付けたような唇を嘲笑の形に歪ませた、氷の魔女――フロラレス総参謀長官だ。
 しゃなりしゃなりとモンローウォークでブリッジに入る姿に、遠慮無しの憎悪の視線が向けられる。

「本物だぁ!?」
「あのZEXLは本物の『ZEXL−11 ロードブリティッシュ“バイパー”』です。パイロットは当然“戦将元帥”デュークス・レナモンド大佐本人ですよ」

 冷たい視線を受けてもフロラレスはまるで怯まない。
 彼女の視線は、もっと冷たいからだ。

「そんな訳があるか!!“戦将元帥”といえば2千万年前の人物だぞ!!」
「“リザレクション”か」

 激昂する部下を沈黙させたのは、上官の冷静な声だった。声の質では無く、発言の内容で。

「リザレクション処理……死者を蘇生させたというのですか……最大級の重犯罪ですよ?」
「今更何を……」

 くすくすと鈴のような嘲笑が漏れた。

「そもそもあなた方が追い詰められなければ、私もこんなに早く『奥の手の1枚』を使う事にはならなかったのですよ。最強の次元艦隊の名も、地に落ちたものですわね……あまり失望させないでくださいな」

 氷の沈黙がブリッジを支配した。
 舌打ちしながらゴリアテ少将が唾を床に吐き、レミエラ少将が静かにティーカップをデスクに置く。表情1つ変えないのはシュタイナ上級大将だけだ。
 殺気すら含まれた冷たい空気をまるで無視して、フロラレス総参謀長官はメインモニターに映るZEXLを、なまめかしく指先で撫でた。

「神族史上最強と称された伝説のZEXL乗り“デュークス・レナモンド大佐”……素晴らしい素材ですわ。あまりに活躍しすぎて、残る3枚の切り札が無駄にならなければ良いけど……ふふふ」

 冷たく透明な哄笑が、沈黙の宇宙空間に、長く長く轟いた――





※※※※※※※※※※※※※※※※





 ――そして、

 ぴたり

 始まりと同じように、唐突にZEXLと次元戦艦の攻撃が止んだ。

《……うぅ……?》
『……じ、じゃ?』

 よろよろと満身創痍の魔界大帝と木龍大聖が起き上がった時には――十数本の飛行機雲のようなブースターエネルギーの残滓が、遥か天の高みに伸びている光景があるだけだった。
 圧倒的な攻勢を維持していながら、みすみす敵は撤退していったのである。

『……なぜ、彼奴等は消えたのじゃ?』
《あれを見るのだ》

 魔界大帝の伸ばした触手の先には、灰色の夕陽が西の丘に沈みかけていた。

《ちょうど午後5時だ》
『約定の時間が来たから帰ったというのか……ということは、助かったのじゃな!!』

 ほっと息を吐く聖なる龍の安堵を、

《……今回は、な》

 再び陰鬱にしたのは、悪魔の王の一言だった。

《戦いは今日終わった訳では無いのだ。全てが終わらぬ限り、明日も、明後日も、その次も、永久にこの戦いが続く――》

 灰の夕陽が大地に沈み、モノトーンの世界が真の闇に閉ざされていく。
 天球の彼方から、冷たい哄笑が聞こえたのは幻聴だろうか。
 世界の頂点たる2体の超高位存在は、ひどくちっぽけに見えた――
TO BE CONTINUED

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