――200X年10月27日――
(本編の約2ヶ月前)






































 早春の光が輝く花畑を、天使達が舞っていた。
 BGMは、子供達の楽しそうな笑い声。
 神族の特徴でもある多種多様な色彩の羽根が翻るたびに、翼の生えた子供達の笑顔に柔らかい羽毛が降り注ぐ。
 嬉しくてたまらない笑顔。
 楽しくてたまらない笑顔。
 幸せでたまらない笑顔――
 天界第08930015270階層・天界軍第68970025基地緑化地区――地球人類が空想した『天国』と呼ばれる概念に、1番近い光景がそこにあった。
 テラスからそれを眺める男の口元にも、普段は絶対に浮かべないであろう種の笑みがこぼれる。
 『軍人』という単語が具現化したような、いかつい青年将校だった。肩の階級章から、かなり高位の士官である事がわかる。黒檀の椅子に腰を降ろし、樫のテーブルに置かれたコーヒーカップを口元に運ぶ動作も、定規で測ったように機械的だ。青いドレスユニフォームにも全く隙が無い。
 テーブルの向かいに座り、データホログラムに目を通す女は、そんな青年将校の好対照といえるだろう。
 美しい女性だった。
 最上のブルークリスタルを紡いだような長髪は、邪魔にならないようにポニーテール状に束ねられている。ラフな白いウールセーターの下から、豊満な胸が自己主張していた。青いデニムジーンズは少々サイズが小さいらしく、ムチムチとした脚とヒップのラインがもろに浮かんでいる。蒼くペディキュアが輝くサンダル履きの素足。やや吊り気味の目尻も知性の煌きが溢れそうだ。

「――ふむ、では確認しましたわ。滞りないよう手配をお願いします」

 夏の涼風のようなさわやかな声に、青年将校ははっとした。いつのまにか、その美貌に見惚れていた事に気付いたのだ。

「は、はい確かに!!……ですが、なぜ今回の作戦に斯様な物が必要なのですか?」

 誤魔化すように、青年将校は生来からの疑問を口にした。そして、口にしてからその発言に慌てた。
 確かに今回の作戦は、天界軍の歴史上においても前代未聞と言えるほど奇妙なものである。兵士や指揮官が全て退役した軍人というのも異様だが、それだけではなく、もし発覚すれば糾弾は免れぬだろう行為――“四つの封印存在”を極秘に使用するというのだ。この暴挙に異議を唱えぬ軍人がいるなら、それは命令に忠実な者というより自意識を持たない無能と称されるだろう。しかし、この青年将校にはそれを口にする事は許されなかった。たとえ、作戦の立案者がテーブルの向かいでコーヒーを啜っていても。
 なぜなら、目の前の美女は――あんな格好をしているにもかかわらず――彼にとっては異議など思考すら許されないほどの、雲の上にも等しい上司なのだから。

「知りたいの?」

 生徒に講義する教師のような口調で、女が呟いた。

「い、いえ……失言でした」
「疑問を解決しようとする姿勢は、間違いではありませんわ。それは知的生命体を構成する思考の発露ゆえ」
「……な、なるほど……」
「もっとも、それなりの代価は必要となるでしょうが」

 背筋に冷たいものが走り、青年将校はにこやかに微笑む美女から慌てて目をそらした。相変わらず楽しそうに遊ぶ子供達を見て、

「それにしても、元気で明るい良い子供達ですね」

 その場を誤魔化すように、青年将校は声を搾り出す事に成功した。気にする風も無く、美女も満面の笑みで答える。
 この美女は――天界軍最高幹部の1人でありながら、こうして軍の敷地内に広大な土地を買い、そこに戦災被害者の子供を集めて、孤児院を運営しているのだ。それだけでも十分に美談になるだろうが、何と彼女は激務の合間をぬって、たった1人で孤児達の世話をしているのである。この話は無味乾燥な神族社会における数少ない『感動できるお話』として、時折マスコミに格好の話題を与える事になった。
 しかし、彼女はそんな俗物的な名誉欲で、子供たちの保護をしているわけでは無い。
 それは――

「ええ、本当に――」

 太陽のような笑顔で彼女は答えた。

「本当に――良い実験材料ですわ」

 青年将校の動きが凍りついた。常春の空気が一気に氷点下へと転じたような感覚に、彼の全身は総毛立った。

「……い、今何と……?」
「良い実験材料なのですよ。あの子達は」

 女の口調は変わらない。春の日差しのような笑顔――

「最近の私の研究テーマは、幼児期の子供に対する保護者の行動が及ぼす心理的影響です。第1期の子供達には、苦痛だけを与えました。子供達は全て発狂しました。第2期の子供達には、悲しみだけを与えました。子供達は全て自殺しました。あの子達は第3期の実験体ですわ」

 大学で教鞭を振るう女教授のような台詞に、青年将校はある噂を思い出した。思い出して、臓腑が凍結したような恐怖に襲われた。
 すなわち――この孤児院は入る子供達は数多いが、出る子供は1人もいないという噂を――
 さらに――目の前の女が、天界軍で最も危険な存在と称されている噂を――
 そして――彼女が“あれ”の血を引いているという噂を――

「――で、では……あの子供達には……どんな教育を――」
「ママせんせー!! 一緒に遊ぼうよ!!」
「はいはい、今行きますよー」

 女は立ち上がった。それだけの動作に、青年将校は小さな悲鳴を洩らした。

「実験体達が呼んでますので、ちょっと中座しますわ。くれぐれも封印存在の手配を忘れぬように――」

 絶対零度の微笑みを残して、女が可愛らしい天使達の元へ――実験体の元へ向う。その美しい後姿を、魂の底から震えながら、青年将校は見つめていた。
 天界国防省(天界軍)副長官――フロラレス総参謀長官の姿を――

A:セリナ、座導童子、あすみ、真沙羅 Side B:クリシュファルス、アコンカグヤ、樹羅夢姫、藤一郎 Side
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