「裏通りには、あまり雪が積もっていないですね」 「うむ」 「そこのラーメン屋さんが美味しいんですよ。『トンコツ濃度500倍食べると即死ラーメン』がオススメです」 「今度奢ってもらえる事を期待しよう」 「そこのゲームセンターはですね、レトロゲームが10円で遊べるのです。先日も全一出せましたです」 「私は景品にアメが出るゲームしか遊ばない主義だ」 「あらあら、赤煉瓦の塀に枯れ蔦が絡まっていて綺麗ですね。雪が良いコントラストです」 「うむ、ゴシックな風情を感じられる……ところでセリナ君」 「はいです?」 「……こういう会話は、全力疾走で銃弾の雨を掻い潜りながらするものではないと私は思うのだが」 「そうですか?です?」 絶対にそう思う。 形容表現の範疇を遥かに凌駕する意味での“必死”の心地で、私とセリナ君は、背後から迫り来る弾丸と砲弾、そして内閣特務戦闘部隊の魔手から逃げ回っていた。 降雪状態にある深夜の市街地というのは中々に趣のある風景なのだが、セリナ君のように情緒に浸れる余裕はない。私でなくてもそう断言できるに相異あるまい。 確実に急所を狙ってくる弾丸を身をひねり屈伸し跳躍して回避する。時折避け損ねた灼熱の弾丸が肌をかすめる度に、じゅっと皮膚が焦げる匂いがする。後方から山なりに投擲された手榴弾が目の前に落ちた刹那、慣性を無視した機動で進行方向を90度曲げて別の路地に飛び込む。次の瞬間、爆風と破砕音が荒々しく背中を撫でる……まるでアクション映画のような状況だが、主人公の座に私が就いた所で全く歓喜できないぞ。うむ。 ちなみに、こうして私が弾丸や爆風を回避しえるのは、能力を封印しているとはいえ、四大種族でも最高と称される鬼族の身体能力の賜物なのであるが…… 「あらあら、そこのスーパーで来週から新年特別セールをやるみたいですね。張り紙広告に書いてありましたです。楽しみですね」 ……なぜ、鬼族の運動能力にセリナ君は涼しい顔でついていけるのだろうか。非常に気になる所ではある。 ニコニコと頬に手を当てながら微笑むセリナ君が、どこからともなく取り出したフライパンを顔の横に構えると、ガンガンガンと派手な音を立てて弾丸が跳ね返される。無論、全力疾走しながらである。あまりにシュールレアリズムな状況設定に眩暈を実感した――瞬間、 「む、しまった」 私とセリナ君は例によって慣性を無視して急停止した。 路地の出口には、できればこういった角度で見たくない銃口が整然と陣取っている。 先回りされた&挟み撃ちの状況下に我々は置かれたのだ。 両脇はビルの壁面。窓も扉も無い。 さて、この極めてピーンチな状況下から逃れるには―― 「失礼する」 「はいです?」 私はきょとんとするセリナ君の身体をひょいと小脇に抱えた。掌がむちむちした臀部に接触しているが、これくらいは役得として認めてもらおう。うむ。 「撃て!!」 降伏勧告も無しで発射された弾丸は――しかし我々の身体をとらえる事は無かった。 「!?」 一瞬、私とセリナ君が消滅したように内閣特務戦闘部隊の者達には見えただろう。だが、すぐに兵士達は天を仰いで、 「上だ!!」 正解だ。 弾丸が命中する直前に、セリナ君を抱えて跳躍した私は、ビルの壁面を三角跳びの要領で登っているのだ。両脇のビルの高さは推定100m。私なら3回壁面を蹴れば屋上に到達できる。身を切る風の冷たさに、現在の季節を必要以上に意識させられる中、 「申し訳ありませんです……私、重いですか?」 珍しくセリナ君は、小声で呟いた。 「君の身長及びプロポーションと衣服から推測される重量の誤差範囲内に十分収まると私は推測するが」 「安心しましたです。御正月なのでお餅を食べ過ぎてしまいまして、最近体重計に乗るのが怖かったのです」 「それも計算に入れている」 「がーん!!です」 明らかに緊張感の欠落した会話を交わしながら、我々はなんとか屋上に降り立った。 幸いにも、屋上には人員を配置していなかったようだ。サビと雪にまみれた貯水タンクとアンテナ以外の物体は我々以外に存在していない。 とりあえず、当座の危機から逃れる事に成功した―― ザッザッザッザッザ…… ――と、安堵できないのが世知辛い世の中の常だ。 「あらあら、皆さんも次々と壁面を上っておいでです」 無用心に下界を覗くセリナ君のブロンドおさげを軽く引っ張った瞬間、彼女の形のよい顎先を弾丸がかすめた。やはり、この程度では逃れられないか。うーむ。 では、次に我々が選択する手段は―― 「セリナ君」 「はいです?」 「冬の遊びの定番といえば何かな?」 ――十数秒後、1番乗りで屋上に這い上がった兵士君は、初登頂の御祝いとして、 ぱかー――ん!!! 「ぐわぁ!!」 めでたく雪玉が顔面に炸裂して、ドップラー効果の悲鳴を上げながら転落した。 「次」 「はいです」 ぱかー――ん!!! セリナ君が優しくおにぎりを握るように製作した雪玉を受け取って、再び私が握り直す。私の1トンを超える握力で握り潰された雪玉は高密度の氷玉に変化して、物騒な雪合戦の砲弾となるのだ。 ぱかー――ん!!! ぱかー――ん!!! ぱかー――ん!!! 「ぐげっ!!」 「がはぁ!!」 「ぎゃあ!!」 私が(見様見真似の)トルネード投法で投げる雪玉は音速を超える。それが正確に顔面を直撃すれば、頭部を防護アーマーでガードしている完全装備の兵士でもひとたまりも無いだろう。 草野球で鳴らした私の華麗なピッチングに、屋上に上がろうとする兵士達は次々と迎撃されていく。こうした有利な迎撃個所を確保する為に、私はビルの屋上に登ったのだ。ふふふ、我ながら完璧な作戦だ。 そう自画自賛していた時だった。 しーん 「む?」 何の前触れも無く、急に兵士が姿を見せなくなったのだ。 まさか、これで全滅したのでは?……などと虫の良い意見を挙げるのは理想論的な願望だろう――その時、黒い巨体の影が屋上に踊り出た。 すかさず音速の雪玉を投擲する。狙い違わず、雪玉は影に命中して――跳ね返された!!むむむ!? ドガガガガガガ―――!!! このビルが倒壊しても疑問に思えない勢いで、屋上に乗り上げてきたのは――黒に近い灰色の特殊合金で車体を覆い尽くし、全身を重火器で飾った地上掃討用機動兵器、『0X式』魔導戦車の巨体であった。 ビルの壁面を登る――そんな無茶苦茶な芸当をこの戦車ができるのも、キャタピラの代わりに装着された半球状のパーツのおかげである。この簡易重力ベクトル制御装置があれば、流石に空を飛ぶのは無理としても、忍者の如く垂直の壁どころか天井をも走る事が可能なのだ。魔導戦車の名は伊達では無いな。うむ。 そして、通常の戦車の砲門をガトリング砲のように三門も束ねた主砲の凶悪なフォルムときたら……これが自分に向けられるような人生など絶対に送りたくないと、万人が認めるだろうと断言できる。 しかし、その悪夢的な主砲は、今現在思いっきり我々に向けられているのだ。うーむ、我々超ピーンチ!! 「あらあら、超ぴーんちです」 発言内容と著しくギャップのあるのほほんとした表情で、自分に向けられた砲身を見つめるセリナ君を掻っ攫い、跳躍すると同時に、恐怖の100ミリ三連砲が火を吹いた。 セリナ君を抱えているので耳を押さえられない状況が極めて遺憾である。背後で一撃粉砕された貯水タンクの破片と水が背中に命中する感覚にげっそりしながらも、私はなんとか砲弾の回避に成功し、更に戦車の真上を取った。 『超信地旋回』という、その場を動かずに360度好きな方向に車体の向きを変える操縦方法が戦車にはある。だが、平行方向には死角のない戦車も、垂直方向の三次元的な軌道には対応できないだろう。真上という位置は戦車にとって完全な死角なのである。うむ。 ただし、魔導戦車は例外なのだが。 グオン!! “海老反りする戦車”という前衛的過ぎる光景を目撃したい者がもし存在するのなら、今の私と立場を交換してもらいたい。眼前に聳える砲口を見ると切にそう思う。 簡易重力ベクトル制御装置と呼応される半球状の魔導装置は、その一部分でも床か壁に接する限り、まさに重力を無視してそこに貼り付く事が可能なのだ。うーむ、その事実を失念していた。 あたりまえの事実であるが、何の警告もなく砲弾は発射された。 場所は空中。回避は――不可能。 ならば―― ぽいっ 「あら?です?」 私はセリナ君を真上に放リ投げた。と、ほぼ同時に目の前にせまる3発の砲弾を見据えて―― ぱしっぱしっがぶり ――と、右手と左手で一発づつ砲弾を掴み止め、残る一発は――噛み止めた。 摩擦熱で灼熱した砲弾は実に熱いが、そんな瑣末な事を気にする余裕は無い。砲弾が炸裂する前に、すかさずそれを戦車に投げ返して―― すぐ背後で爆発する戦車の爆風を背中に受けながら、私は無事屋上に降り立ち、続いて落ちてきたセリナ君を無事にナイスキャッチした。うむ、我ながら完璧だ。 「とっても見事にハイシャオなばりゅーすべいべーですね」 「うむ」 腕の中でニコニコと意味不明な発言をするセリナ君に、私は『今のは危なかったー!!』という心境を押し隠して強引に頷いた。ここでカッコ悪い態度を見せるのは、生物学的な範疇を排除する観念上でも男として回避するのが妥当と判断できるだろう。 「でも、早く逃げた方がイイです」 「うむ?」 セリナ君の指差す方向――ほぼ背後に頭を向けると、砲塔が歪曲し、装甲の相当個所が破損しながらも、まだまだ元気そうな0X式戦車が、半分埋もれた屋上の窪みから車体を起こすという実にイヤな光景があった。 魔導戦車のもう1つの特徴――魔法で強化された装甲は極めてタフなのだ。 わき目も振らずに、私とセリナ君は隣のビルの屋上へと飛び移った。ビル同士の距離は10mはあったのだが、それを軽く飛び越えられたセリナ君の運動能力について考察する余裕は無い。半壊したような外観の魔導戦車も、勢い良くそこを飛び越えて追跡してくるのだから。ああ、ピーンチな状況はあまり改善されていないぞ…… 「商店街に行きましょうです」 「……なぜかね?」 「お巡りさんに助けてもらいましょうです」 この期に及んでボケをかましてくれるセリナ君の発言は有り難く無視するとしても、今はとにかく逃げまくるしかない。ああ、何と計画性も論理性も無い行動だろうか。嘆かわしい。嘆かわしいが、そうも言ってられないのが極めて恨めしい。 すぐに屋上の端に追い詰められた我々は、鋼の巨体に踏み潰される寸前にビルから飛び降りた。このまま落下しても大丈夫な気もするが、念の為にセリナ君を右手で抱きかかえる。しばらく自由落下に身をまかせて、地面に激突する直前に左手をビルの壁面に突き立てた。ガラスを引っ掻く音の数十倍は耳障りな音を破片と一緒に撒き散らしながら、何とか無事に着地――間を置かずその場から跳躍して離脱する。直後、そこに轟音と共に魔導戦車が派手なボディプレスを披露してくれた。すぐに我々は路地裏に飛び込むのだが、そんな事はお構いなしに戦車が突進して、建造物を粉砕しながら狭い路地裏を無理矢理突き進んでくる…… 「ご近所迷惑ですね」 「うむ、全くだ」 まったく、もう少し平穏な生活を送りたいものだ。 やがて、心中で嘆く私と相変わらずのほほんとしたセリナ君を、 《おいでませ。ポンポコ通り商店街へ》 と描かれた原色を多用した色彩の巨大なアーチが迎えてくれた。 アーチの奥のアーケードには、シャッターを下ろした様々な店舗が連なっている。奇しくも、我々はセリナ君の希望通りに商店街へと追い詰められていたのだ。 すぐ後方から魔導戦車の轟音が迫って来ている。やれやれ、どうやらこの商店街にも多大な迷惑をかける事になりそうだ……そう思いつつも再び逃走の体勢に移ろうとして――セリナ君が側にいない事実に気付いた。 「セリナ君?」 「佐藤さん、こちらです」 見ると、セリナ君は商店街入り口の小さな交番から手を振っているではないか。 まさか、本当に警官に助けを求めるのでは……そんな疑念を他所に、とにかく逃走を継続しようとセリナ君を促そうとした――のであるが、 「これは久しぶりですセリナさん。何かお困りでしょうか」 交番の中からひょこんと姿を現したのは、ショートカットの似合うやや童顔気味の可愛らしい名無しの婦警さんであった。歳はセリナ君と同年代――20台半ばくらいと推定する。真面目で活発そうな笑顔は、どんな気難しい相手にも好感を持って迎えられるだろう。巨乳なのもポイントが高いぞ。うむ。 「実はです、私がリストラ足切り首状態で途方にくれたのを佐藤さんと一緒にかすみさんととってもハードコアなまいっちんぐSMプレイを楽しんでいたら都会24時間大停電パニックな真沙羅さんとあすみさんが御一緒にけるべろすな外見の国家公務員さん達あーんどかすみさんと鬼ごっこが大変でビルの立ち入り禁止ゴメンナサイな屋上で大リーグ投法な雪合戦が戦車さんに通用しなくて悩む青春の大爆発でもあまり効果が無くてやはりここは道案内のエキスパートさんたるお巡りさんにへるぷうぃーなのです」 「なるほど、何を言ってるのか全然わかりませんが、とりあえず、あの戦車に追われているのですね」 名も無き婦警君は軽く頷くと、特に恐れた様子も無く爆走する魔導戦車を真っ直ぐに見据えた。この婦警君、状況把握力に重大な障害でもあるのだろうか? いい加減に逃走行動に移行しようと、セリナ君を再度促そうとした――のだが、 「……あによぉ……さっきから五月蝿いわねぇン……」 続けて、気だるそうな声と気だるそうな姿を交番の奥から現したのは、深紫色のキャミソールを大胆に爆乳だけで支えている、一目で水商売風のそれと推測できるギリギリ20台程度の成熟した女性であった。ウェーブのかかった染髪の奥からでも、その妖しい美貌は確認できる。少々化粧が濃い目であるが…… 「あ、名も無きホステスさん。貴方にも協力をお願いします。あの悪の戦車にセリナさんとそちらの肉体労働者さんが襲われているらしいのです」 「メンドくさぁいわねぇ……って言いたいけどぉ、セリナの頼みなら仕方ないわねぇん……あ、これでさっきの見逃してくれないぃ?」 「ダメです。小学生をトイレに連れ込もうとしていたのは事実ですから」 「ケチぃ……たまにはお姉ちゃんの頼みを聞いてくれてもイイじゃなぁい」 「公私混同を求めるなら、少しは姉らしい事をしてください」 ……姉妹だったのか。 って、そんな漫才を鑑賞している余裕は無い。 そう、余裕は無い……筈であったが、 「えーテステス……こちら警察です。そこの近所を破壊しながら向ってくる戦車の運転手は、すぐに路肩に戦車を停止させなさい。 繰り返します。すぐに――」 なんと、名も無き婦警君は、猛然と突っ込んでくる戦車の進行方向に仁王立ちし、顔色1つ変えずにハンドマイクで呼びかけ始めたのだ。その『無謀』という単語を具現したような行動から判断して、やはり彼女は状況を理解していないな……断言できる。 だが―― 「――しかたありません。実力行使させてもらいます」 ハンドマイクを投げ捨てながら、彼女が腰のホルスターから取り出した銃を見て、私は前言を撤回することにしよう。 拳銃の類ならば、それが如何に大口径のものでも、あの魔導戦車には傷1つ付けられないだろうが……今、名も無き婦警君が構えている銃は、銃身の長さだけでも2mを軽く超える、金属の箱と筒とコードを組み合わせたような形状の、青い放電を撒き散らす巨大なマスドライバー機器――リニアキャノンなのだ。 なぜ一介の婦警がそんな物騒な重火器を所有しているのだとか、どうやって腰のホルスターにリニアキャノンを収納できたのだとか、様々なツッコミが脳裏に浮かぶのを他所に、リニアキャノンの銃口に電子の輝きが宿り―― 「注意一秒怪我一生!!」 瞬間――0X式魔導戦車のシルエットの右上4分の1が円形に消滅し、一拍置いて鋼の巨体は大音響と共に遥か上空に吹っ飛んでいった…… 「あらあら、戦車の中の人は大丈夫です?」 「御安心を。コックピットは外しておきました」 ……どうやら、唖然としているのは私だけのようだ。うーむ、そろそろ平穏な日常が恋しくなってきた。 「ン〜〜〜でもぉ、名も無き婦警ちゃんも、まだまだ詰めが甘いのねン」 そこに、ふっと名も無きホステス君が前に出た――その時、上空に何かの気配が? ドォン!!! それは、先程吹っ飛ばされた0X式魔導戦車のなれの果てであった。おそらく、リニアキャノンで致命傷を受けながらも、最後に落下地点が我々の位置に重なるように簡易重力ベクトル制御装置を操作したと推測する。敵ながら中々に根性のある戦車だ。 だが、その最後の特攻攻撃が我々を粉砕する事は無かった。 「ふぅ、危なかったわぁん」 なんとあの名も無きホステス君が、ボールでも獲るように片手で受けとめたのである。その超重量を支えた衝撃でアスファルトがクレーター状に陥没してる中、如何なる技を使用したのか、ダメージのダの字も無いようだ。彼女は捻じ曲がった砲塔を片手で掴み、数十トンはある魔導戦車を、花束でも持つように掲げている。 「バイバイねン」 賽銭箱に小銭を投げるよりも軽い感じで、名も無きホステス君は“それ”を放り投げた。突風が我々の間を駆け抜ける頃には、0X式魔導戦車は、夜空の中にみるみる小さくなり――やがて、小さな輝きを残して消滅してしまった。 「はい、これでOKよぉ」 「まぁ、さすが名も無きホステスさんですね」 「御協力感謝します。名も無きホステスさん」 「じゃあ、さっきのは見逃して――」 「それとこれとは別です」 「ンもぉ〜〜〜名も無き婦警ちゃんのイジワルぅ〜〜〜」 ……この世間一般的な常識から考えて、極めて異常な事象が発生しているにもかかわらず、それがさも日常であるかのように会話を交える彼女達を見て、やはりセリナ君とその周辺の住民は只者では無いという思いを、私はより堅固なものとした。うむ。 色々ツッコミたい部分はあったが、とにかく0X式魔導戦車は排除された――だが、それでハッピーエンドとはいかないのが辛い浮世の常である……この台詞、前にも言ったような気がするが、大いなる英知を求める者は瑣末な事は気にしないものである。 いや、気にする余裕が無いと述べる方が正確かもしれない。なぜなら、市街地方面から数十人分の軍靴の重々しい音と、それに相応しい重装備を纏った内閣特務戦闘部隊が整然と接近してくるのが、目視確認できたからだ。どうやら、魔導戦車とのゴタゴタの最中、本隊に追いつかれてしまったと推測する。やれやれ、あの名無し姉妹はほっといても平気そうであるが、我々はまた逃走状態に移行するのか……だが、 「おや、追っ手が文字通り追いついてきたようですね」 「蹴散らしちゃってもイイけどぉ……ちょっとメンドぃわねぇ」 だが、事態は再び混沌の度合いを増してきそうである。 名も無きホステス君がくるりと踵を返すや、夜の帳に支配された商店街の通りに向って、 「みんな〜〜〜セリナが大ピンチよぉ〜〜〜ン!!!」 あまり緊張感が漲っているとは言えない声が響いた――瞬間、 ガラガラガラガラガラガラ――!!! 一斉に商店のシャッターが上がり、ぞろぞろと店主達が通りに出てきたのだ。 「おうおうおう、誰でい!!セリナちゃんを苛めてるって奴ぁ!?」 「お得意様に危害を加えるとは不貞な奴め!!」 「セリナさん大丈夫かい?」 名も無き八百屋に名も無き肉屋、魚屋、床屋、花屋、本屋、ファンシーショップ、居酒屋、喫茶店、etc……様々な職種の商店街の住民達が、皆セリナ君の回りに集合して、その身を案じている。改めて、セリナ君の人望を思い知らされた気分だ。うーむ、美人はやはり特という事か……この場合は適切な比喩とは言えない気もするが。 「あの『け○べろす』な感じの兵士達が、善良な一市民たるセリナさんに不当な危害を加えようとしているのです。皆さん、超法規定で退治してしまいましょう!!」 「「「「「おおお〜〜〜!!!」」」」」 そして、唖然とする私を尻目に、名も無き婦警君の号令が放たれるや、名も無き店主達は雄叫びを上げて一斉に完全武装の兵士達の中に飛び込んで行ってしまった……うーむ、世界は驚愕に満ちている。 「汚すな!!折るな!!トイレを借りるな!!!」 名も無き本屋君がハタキを振る度に、兵士達が数人まとめて吹き飛び、 「フッ……キミ達のような無骨な輩はこのボクに相応しくない……せめて人並みには見れるようにしてあげよう!!」 名も無き床屋君がハサミと櫛を華麗に操り、 「魚屋、肉屋、侍慧頭洲斗利囲武(じぇっとすとりぃむ)攻撃をかけるぞ!!」 「おう!!」 「了解した、八百屋!!」 名も無き肉屋君と魚屋君と八百屋君が縦一列に並んで、包丁とマグロと大根を片手に突っ込み、 「ああっ、ごめんなさいですぅ〜」 名も無きドジっ子ウェイトレス君が熱々のコーヒーとラーメンを兵士の頭にぶちまけて……もう状況解説はいいか。 とにかく、国内最強の戦闘部隊である筈の内閣特務戦闘部隊は、名も無き商売人達に次々と粉砕されていったのである……世間の常識と一緒に。 ああ、かくも非論理的な状況は、私のような知的フラクタルゾーンに心身を置く者としては、到底耐えられるものではない。だが、常識を事実と取り違える愚を起こすほど、私は自己を過小評価していないつもりだ。こうして、3分も経たずに内閣特務戦闘部隊を名も無き彼等が全滅させてしまったという信じがたい事実も、迷い無く受け入れるとしよう……正直、タナボタという気もするし。 だが――事態は再び急転する事になったのだ。 「皆さん、とても本当にありがとうございますです」 「土下座しないでください。市民を守るのは公僕の義務ですから」 「……その市民に思いっきり手伝わせているような気がするンだけどぉ、名も無き婦警ちゃん?」 「あのです……皆さん、お怪我はありませんですか?」 「俺達の事は心配すんな。あんな奴等にやられるほどヤワじゃねえよ」 「フッ……もちろん、マイハニーセリナの御望み通り、下賎な兵士達の命も奪ってはいないさ……」 セリナ君が名も無き命の恩人達と談笑する中――そう、まさしく“それ”はこのままハッピーエンドに終わるかに見えた時に出現したのだ。何時の世も、運命の女神は性悪女と決まっているらしい。うむ。 突然、猛烈な風が上空から我々を襲った。もう少しでセリナ君が慌てて押さえるロングスカートが完全にめくれてしまいそうな程の突風だ。名も無きドジっ子ウェイトレス君などイチゴのパンツが丸見え状態にあり、名も無き八百屋の親父のカツラも宙を舞っている。 『ふふん、思ったよりやるじゃない』 誰もが一斉に真上を見上げた。推測の域は超えないが、誰もがこの場に『それ』が出現した瞬間を目撃できず、何時からこの場にいたのか気付かなかったと断言できるだろう。 鬼族である私ですら、拡声器越しの声が響くまで、その存在に気付かなかったのだから。 それは、ヘリコプターというよりも、金属製のエイを連想させるシルエットだった。 ローターは2つ、それぞれエイの左右のヒレ部分に装着されている。 長い尻尾はサソリの尾を上下逆にしたように取り付けられ、先端のヴァリアブルキャノンの砲口を真っ直ぐ我々に向けている。そのフレキシブルな多関節構造は、ヒレの下部に装備されたミサイルやガトリング砲と共に、あらゆる方向に攻撃を可能とするだろう。 『AZE―03F“ソロ”』――200X年現在、対地上掃射能力に関しては世界最強と称される魔導戦闘ヘリコプターだ。 『それにしても、名も無き一般市民の分際でよくもやってくれたわね。これはあたしにとっても計算外だわ』 そして、この忘れたくても忘れられない勝気な声は――西野かすみ君に間違い無い。コックピットに搭乗しているのか、遠隔操作なのかは不明であるが…… 私は高揚状態になりつつある市民諸君を片手で征して、一歩前に出た。 あの戦闘ヘリを相手にしては、流石に無茶な戦闘力を持つ彼等でも、相応の被害が出るのを避けられないだろう。いや、あれが規格品の“ソロ”ならば、無駄な心配になるのだろうが……私には妙な確信があった。 それに、何よりも私が優先すべき『欲望』――知的好奇心をくすぐるものを感じたからだ。 「どうやら、君の望む展開になったようだね」 『……手飼いの部下どもを追い散らされて、あたしが満足していると思うの?』 「君が部下の身を案じるような司令官ならば」 感情を殺した私の声に、スピーカー越しのかすみ君の気配が変わったのを感じた。 ふむ、やはりそうか…… 「私や商店街の皆さんが蹴散らした内閣特務戦闘部隊達は、ほとんど全てがクローンかドッペルゲンガーではないかね?」 『ふぅん……わかるんだ』 「兵士達の行動生理学パターンに同一性が確認できた。これを偶然で片付けるのは知的判断の自殺と言えるだろう」 『……逃げ回りながら、兵士1人1人のパーソナルパターンを計算したというの?』 「うむ……それに、あの0X式魔導戦車の追跡パターンには不審点が多過ぎるよ。対人追跡戦術論としては落第点と断言せざるをえない」 『…………』 「かすみ君、君は始めから我々を――いや、セリナ君をこの場所に追い詰める目的で兵を動かしたのではないかね?そして――」 私は周囲をぐるりと見渡した。目に見えぬ殺気が四方八方から匂い立つようだ。 「この商店街の周囲に、十重二十重に内閣特務戦闘部隊の本隊が包囲網を敷いているのではないかな?我々を一気に殲滅する為に……」 『……どうやら、タダの浮浪者じゃなさそうね』 せめて、労働者と言って欲しかった。うーむ。 『御名答よ。1つを除いて大正解』 「1つを除いて?」 かすみ君の口調が再び変わった。楽しくてたまらないといった心地だ。 『あたしはあんた達を包囲殲滅する気は無いの。ただ、そこに封じ込めておきたいだけよ』 封じ込める……? いや……まさか!? 「……援軍か」 『ふふふ……8日後の1月15日未明、IMSOを始めとした世界中の戦闘組織がここに集結する事になっているの。闇高野、テンプラーズ、アズラエル・アイはもちろん、なんとヒュドラもね。何せ世界の危機ですもの。あらゆる柵を超えて全ての力が1つの目的に邁進しているわ。“セリナを捕らえてそれを材料に、魔界大帝達を天界軍に引き渡す”という目的にね』 スピーカー越しの哄笑は、実に耳障りであった。 『あんた達は、この世界全てを敵に回しているのよ』 しばらく、沈黙の帳が降りた。 これは流石に分が悪い。それらの面子が集結すれば、文字通り袋叩きにされてしまうだろう。 だが……かすみ君の話には、符に落ちない点が極めて多いぞ。 「それを我々に教えてどうするのかね?」 『これはゲームよ。セリナとその取り巻き達のね』 取り巻きとは酷い。せめてヒモと言って欲しい。 『8日後のタイムリミット以内に、あたしの包囲網から脱出できればあんた達の勝ち。魔界大帝の元に逃げられたら、流石にあたし達でも手が出せないものね。でも、脱出できなかったらあたしの勝ち。あんた達は皆殺しよ』 流石に周囲に動揺の波が走るのがわかる。 我々は、まさに絶体絶命の窮地に立たされたのだ。 まぁ、私自身に関しては、1人で逃げ出す手段はいくらでもあるのだが――今回ばかりはそれを実行するつもりは無い。 セリナ君やその友人達に対する義理や人情も確かに存在するが、個人的感傷のみで命をかける私ではない。 私が動く理由はただ1つ―― 「そう上手くいくかな?私にはこれがゲームとはとても思えないのだがね」 “鬼族”の唯一の行動原理―― 『……どういう意味かしら?』 「ゲーム性の無いゲームはゲームとは呼ばないという事だ」 “欲望”だ。 「全ては君の掌の上にあるという事か……だが覚えておきたまえ」 “ソロ”のローターの突風が、一際強く吹き付けてきた。 「自分が操り人形だと気付いた者は、もはや人形ではない」 ゆっくりと、蠍の尾を持つ猛禽が魔天の暗黒へと消えて行く。 『……名前を聞いておこうかしら……』 「佐藤さんです」 「……座導童子(ザドゥリーニ)」 それきり、捨て台詞も残す事なくかすみ君の『存在』は我々の前から姿を消した。後はただ、夜の街を駆け抜ける風の音が鳴くだけだ。 うむ……まぁ今はこの程度の成果で満足するべきか。今回得る事ができた情報は、私の仮説を裏付けるには十分と言えるだろう。 しかし――危なかった。先程のかすみ君との問答は、半分以上がハッタリだったのだからな。うむ。 「あのぅ……私はおバカなのでよくわかりませんですが、皆さんを巻き込んでしまって大変申し訳ありませんです」 深々と頭部が道路に接触する直前まで下げるセリナ君の手を、名も無き婦警君と名も無きホステス君がそっと包んだ。 「お気になさらずに。犯罪者の魔の手から市民を守るのは警官として当たり前の事ですから」 「警官は名も無き婦警ちゃんだけだと思うンだけどぉ……助けるのは当然よぉ、あたしとセリナの仲じゃなぁい」 「へっ!!特務部隊だかIMSOだか知らねぇが、セリナちゃんを苛める奴はオレ達がゆるさねぇ!!」 「目に物見せてやろうぜ!!」 えいえいおーと一斉に拳を突き上げる商店街の皆様方とセリナ君を、ビルの切れ目から眩い朝日が透明に照らした。 それが、希望の夜明けとなるか、絶望の印となるか――現時点では、英知を極めし私にとっても、それは未知なる光であった。 |
>>>NEXT |
Back 小説インデックスへ |