『――おい!!西のバリケードが破られそうなんだ。暇なら今すぐ救援に向ってくれ!!』
「真に遺憾ではあるが、現在の私の状況では救援に向うのは極めて困難だと断言できるだろう。有体に言えば忙しい」

 できるだけ重々しく返答したものの、コタツの中で頬杖を突きながらゲンコツ煎餅をばりばりと噛み砕き、番茶で喉に流し込む私の姿を見て、クルィエ君はモニターの向こうで憤慨したようだ。

『ふざけんな!!おいおっさん――』
「君ならなんとかできるだろう。健闘を祈る」

 これ以上は非生産的な討論に終わるだろうと判断した私は、憤怒の表情を浮かべるクルィエ君を意識的に無視して、テレビ電話の電源を切った。
 先程も述べたが、こう見えても私は忙しい。
 今もコタツの上に置いたノートパソコンのキーボードを、地球人類には判別不可能な速度で打ち込んでいる最中なのだ。まぁ、ノートパソコンの位置がテレビ電話のカメラからずれていたので、クルィエ君には誤解を受けたようだが――あまり気にしない事にしよう。うむ。
 ここはポンポコ通り商店街、家電屋の店内である。20畳ほどの広さの店内には、テレビジョン、ビデオデッキ、エアコン、洗濯機、携帯モバイル機器、パソコン、etc……様々な電気機器が整然と陳列された状態にある。照明器具は十分な光量を維持しているが、機械に囲まれた空間独特のどこか冷たい雰囲気は、申し訳程度に置かれている観葉植物や、一昔前のアイドルポスターでもなかなかカバーできないようだ。
 そして、私が数日前からここの名も無き家電屋の店主君と引き篭もって何をしているのかといえば――

「――!!やったぞ!!ついに本部へのハッキングに成功した!!」

 ガリガリに痩せた牛乳瓶底眼鏡の店主君が、モニターを抱きかかえながら喜びの雄叫びを上げた。
 私もそれに追随したい心境だ。なぜなら、それを知る事が今回私が前線での戦闘行為に参加せずに、パソコンとにらめっこしていた理由だからである。

「これで、包囲部隊の司令官――西野かすみの居場所がわかるぞ!!」





































――200X年1月14日――






































 あの西野かすみ君との接触――かすみ君の明確な宣戦布告兼大脱出ゲームの挑戦状を受けてから、すでに1週間が経過していた。
 状況は……遺憾ながら、改善状況にあるとは言い難い。
 この『ポンポコ通り商店街』を取り囲む内閣特務戦闘部隊の包囲陣は、十重二十重どころか十億重二十億重はあるのではないかと非現実的な想像をしてしまうほど重厚なものだ。これでは包囲網を突破して、セリナ君と共に魔界大帝クリシュファルス君の元に避難するという目的は到底達成できないだろうと推測できる。タイムリミット――世界中の戦闘退魔組織が敵の援軍としてやってくるまでに、僅か1日しか時間的余裕が無いにも関わらずだ。
 厄介なのはそれだけではない。
 国内最強の戦闘部隊と称される内閣特務戦闘部隊に対して、我々の戦力は……鬼族である私に武争神族のクルィエ君、現役退魔師のあすみ君に使い魔の真沙羅君、そして婦警にホステスに八百屋、肉屋、魚屋、床屋、花屋、本屋、ファンシーショップ、居酒屋、喫茶店……こうして羅列すると冗談としか思えない面子であるが、我々の味方となってくれている商店街の人々は――原因は不明だが――皆異様な戦闘力の持ち主であり、それは内閣特務戦闘部隊の猛者達を軽く蹴散らすほどだった。私が知る限り、最強の戦闘能力を持つ地球人類は、あのクリ君の屋敷の庭師……ええと、誰だっけ?……そうだ、ミツ君こと三剣藤一郎君なのだが、彼と戦闘状態になってもなかなか良い所まで行くのでは無いだろうかと推測する。
 だが、内閣特務戦闘部隊の兵士達は倒しても倒しても、それこそ無尽蔵にその数と戦線を維持しており、いくら局地線に勝利しても状況が全く改竄されないのだ。確か内閣特務戦闘部隊の人員は数十人単位の筈なのだが、この1週間で倒した数は既に万単位に達している。この矛盾現象に関しては大まかな仮定が成り立っているのだが……今は断言は避けよう。
 そして、彼等は我々を包囲するだけで無く、断続的に商店街へと攻め込んでおり、こうして我々は一時も気の休まる時無く防衛行動に人員と貴重な時間を費やす事態に陥っているのである。
 うーむ、これは極めてまずい状況だ。篭城戦の負けパターンを思いっきり模倣しているではないか。改善された状況といえば、数日前にあすみ君及びクルィエ君と合流できた点ぐらいだろうか。
 しかし、この深く考えなくても絶体絶命の危機的状態を、一気に打開する手段がたった1つだけ存在する。
 それは――



「――西野かすみを暗殺する!?」
「お姉ちゃん暗殺しちゃダメですぅ!!」
『ほう、それは良い考えだ』

 クルィエ君とあすみ君と真沙羅君が、私の提案に対して完全に同調したタイミングで完全に異なる言葉を返してくれた。
 ようやく今回分の敵の進攻を食い止める事に成功した我々は、普段は商店会の寄り合い場として機能しているという公民館のロビーでテーブルを囲み、セリナ君と名も無きコック君の作ってくれた夕食を食べて一息吐きながら、今後の方針を相談していた。ちなみにメニューはカレーライスである。実に美味い。

「確かに司令塔を狙うのは定石だが……」

 どこか不審そうな面持ちで、クルィエ君はスプーンをクルクル回転させている。

「ふぁふぁらほろひふぁふぁめれふよほ!!」
『……主よ、せめてカレーを飲み込んでから喋ってください』
「……むぐむぐ……ごっくん。だから殺しちゃダメですよぉ!!」

 あすみ君が悲鳴にも似た叫び声を洩らすのも当然だろう。少々説明の仕方が不味かったようだ。このカレーライスくらい華麗に上手く理解させなければな。うむ。

「暗殺という言い方は訂正しよう。要はかすみ君を捕らえるなり気絶させるなりして、行動不能状態にすれば良いのだ」
「それとこの危機を打開するのに何か関係があるのでしょうか?」

 名も無き婦警君が真剣な面持ちで私の顔を見据えてくれた。こっそり自分のニンジンをあすみ君の皿に移しながら……
 私は指をパチリと鳴らした。あまり良い音が出なかったが気にしないようにしよう。

「私が知る限り、内閣特務戦闘部隊の数は100人にも満たない筈だ。にも関わらずこうして我々を包囲している人員は数千人を超えている。その理由はわかるかね?」
「クローンかドッペルゲンガーだろ」

 さり気なく呟くクルィエ君だが、ニンジンを素早く隣のあすみ君の皿に移動させるのを私はしっかりと目撃してしまった。
 クルィエ君の推測は恐らく正解だと私も判断する。内閣特務戦闘部隊のクローン及びドッペルゲンガーを大量に複製すれば、事実上無限の人員を送り込む事が可能となるのだ。兵士達の生体パターンに多数の同一性が観測できたのも、これで証明できる。
 だが、その答には1つの問題点が指摘できるのもまた事実――

「神族である君ならその解答が容易に出るだろうがね」

 何気なく周囲を見渡すと、案の定、あすみ君とテーブルにつく商店街の人間達はぽかんとしている。

「現在の地球人類の科学力及び魔学力では、これほど精密かつ大量のクローンまたはドッペルゲンガーの製造は不可能なのだよ」

 今度は、クルィエ君が口を開ける番だった。

「おい……まさか、この件に地球人類以上の高位存在が絡んでるっていうのか?」
「それを断言するのは早急と判断する。私が言えるのはただ1つ。彼等の魔導係数と精神振動パターンを観測した結果、複製体をコントロールしているのはかすみ君という事実だ。つまり――」
『馬鹿すみを仕留めれば、兵士どもの複製体も消えるという事だな』
「だからぁ、お姉ちゃん仕留めちゃダメぇ!!」

 真沙羅君とじゃれあう(?)あすみ君を横目で見ながら、

(……しかし、何時の間にかすみ嬢さんと兵士達の精神振動パターンを調べていたんだ?)

 と、クルィエ君がテレパシーで語りかけてきた。流石に神族関連の話題を堂々と地球人類の前で話す訳にはいかないか。うむ、適切な判断だと言えるだろう。

(私がただ怠惰に食っちゃ寝していたように見えていたかね?)
(どう贔屓目に見ても、そうとしか見えなかったぜ)
(……ちゃんと暗算で計算していたのだよ。思ったり複雑な計算で少々骨が折れたがね)
(少々骨が折れたって……天界軍の軍事コンピューターをフル稼動しても数ヶ月はかかる計算だぜ!?)
(伊達に“鬼神教授”を自称しとらんよ)

 『教授』とは、本来語源的には“教え授ける者”――真に英知を極めし者にのみ与えられる称号なのである。この国では大学教員などに気軽に使用されているようだが。

(まぁ、自称するなら誰でもできるしな)

 ……ツッコミ厳しいよ、クルィエ君。

「とにかく、かすみ君をどうにかすれば、この現状を電撃的に打開する事が可能となるのだ。その為に、私は名も無き家電屋君の協力を得てかすみ君の居場所を探っていたのだよ。そして――」

 カレーの最後の一さじをゆっくりと咀嚼し、

「――つい先刻、それを発見したのだ」

 私は片目をつむって見せた。

『ならば後の事は考えるまでも無かろう。敵の総大将たる馬鹿すみを狙って奇襲をかけ、その首級を取れば良い』
「だーかーらーお姉ちゃん殺しちゃダメですぅ!!」

 妙に人間臭く納得したように頭を傾ける真沙羅君に、あすみ君は芸人風のツッコミを入れた。ちなみに、その瞬間真沙羅君は残したニンジンをあすみ君の皿に除けている。

「殺しちゃうのはダメダメだけどぉ……そうと決まったらすぐにでもイかなきゃダメなんじゃないのぉ?明日には敵の援軍が来ちゃうわよン」

 珍しく真面目な表情で名も無きホステス君が我々の顔を視線で舐めた。素早く自分のニンジンをあすみ君の肉と交換する動作も真剣そのものだ。
 確かに名も無きホステス君の言う通りだろう。時は一刻を争う事態だと断言できる。できるだけ強大な戦力でもって電撃的にかすみ君をホニャララせねばならない事は相異無い。
 だが、大勢でゾロゾロと連れ添っても奇襲するのは難しいと推測する。それに商店街にも大多数の戦力を残しておかねば、商店街自体が取り囲む兵士達に蹂躙されてしまうだろう。
 以上の点をクルィエ君に提案すると、

「俺も同感だ。少数精鋭で奇襲するのがセオリーだな」

 と、あっさりと同意してくれた。
 だが、次の一言は私の英知においても予想外であった。

「メンバーは俺と……ザドゥのおっさんだな」

 私は慌てて、ちょっとまってくれと抗議したが、四大種族である私とクルィエ君が1番作戦実行能力を持っているという指摘は妥当なものだった。自然保護条約により地球人類との戦闘はできないが、元来この作戦は戦闘を目的としたものではないのだから瑣末な事だ。商店街の皆さんからも賛同の声が上がる。
 しかし、そうなると……少々困った事態になってしまう。
 うーむ、ならば……

「了解した。では、それにセリナ君を加えたメンバーで行こう」
「セリナ……あいつを!?」
「何か御用ですか?です?」

 クルィエ君の呆れたような叫び声に、セリナ君がお玉を片手に隣の炊事室の入り口からひょっこり上半身を見せた。数十段重ねになったカレー皿を例の脅威的な爆乳の上に乗せたまま、器用にお代わりのカレーを乗せている。何でもないよと手を振ると、意味不明な歌を歌いながら奥に姿を消した。相変わらず謎な女性であるな。うむ。

「あいつを連れて何の役に立つんだ?大体敵の狙いはあの女だろ。わざわざ相手の本拠地に連れていってどうすんだよ」
「私に考えがあるのでね」

 しばらくクルィエ君は、スプーンを眺めながら考え込んでいるようだったが、

「……まぁ、相手はセリナを殺さずに捕らえたいらしいからな。盾代わりに使えるか」

 実に物騒な呟きを残して、しぶしぶ同意してくれた。
 異議を唱えたのは、案の定商店街の人々だった。

「しかし、本人の同意を得なくて良いのですか?」
「おーい、セリナ君」
「はいです?」
「私にもカレーのお代わりを頼む。あと今からちょっと散歩に行かないかね」
「それはそれはステキですね。了解しましたです」
「よし、承諾は取れた」
「…………」
「ではさっそく、私とクルィエ君とセリナ君とで――」
「あすみも連れていってくださいですぅ!!」

 この台詞は予想していた。してはいたが、正面から私を見据える彼女の真摯な眼差しは、私でさえ思わず視線を逸らすほどのものだった。

「しかしあすみ君、戦闘行為は極力回避する予定とはいえ、これは相当に危険なミッションなのだが……」
「それなら、なぜセリナお姉ちゃんを連れて行くのですかぁ!?」
「…………」
「お願いしますぅ。お姉ちゃんを最後まで説得したいんですぅ」

 うーむ、あまり強く反論できないな。ここで無理に押し留めても、勝手に動く可能性も極めて高い……まてよ?
 そうか、その可能性もあったな……ならば、保険として――

「かまわんよ」
「マジかよ!?」
「わーい!!ありがとうございますですぅ」
『主よ、私は反対です』
「そう思うなら、君がしっかり主人を守ってくれたまえ」
『むぅ』

 不満たらたらな真沙羅君を、あすみ君が人形のように抱きしめた。うーむ、真沙羅君苦しそうだ。

「……そういう事になった。あんた達は兵士どもを引き付けておいてくれ。俺達がいない事に気付かれないようにな」
「お任せください!!」
「貴方達もしっかりねン」

 名も無き商店街の人々が、計ったようなタイミングで一斉に片目をつむり、親指を立ててくれた。うーむ、予め練習していたかのような行動同一性だ。
 私とクルィエ君、そしてあすみ君と真沙羅君は、互いに目配せして頷くと、こちらも計ったような同時タイミングで一斉に席をたった。
 さてさて、これからが私の腕の見せ所だ。後世の歴史家にこの諸行が美談として残りかねない可能性を若干でも上げる為に、あらゆるトラブルを避ける事に生存確率の比例を啓示する心情を一時的に撤回するとしよう。
 そして、何よりも知的好奇心――我が“欲望”を充足させる為に。

「あああ〜〜〜!?!?あすみのカレーがニンジンだらけですぅ!!一生懸命食べたのにぃ!?」

 ……とりあえず、時間が無いから早く食べてくれる事を期待する。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「――しかし、我々がここまで干渉して問題は無いのでしょうか?」

「問題無い訳無いわよ。本来なら私達はまだ歴史の表舞台に出てはいけないんだから」

「だが、これ以上超高位存在達に計画を狂わせられる訳にはいかぬ。千年後の予定だった“刈り取り手”――『瞼(まぶた)に掌を当てるもの』の降臨計画が20年後に縮められてしまった」

「『王』の誕生に至っては、15年後だぜ。まだ極東魔女や死殺天人の傷跡が癒えてねぇのに……ちと性急過ぎないか?」

「千年後の人類滅亡が20年後に短縮されても、大した違いは無いでしょう」

「我々『アカシア協会』は、30億年間活動を続けてきたのだ。この程度の計画修正なら幾度かあったが、全て問題無いレベルで押さえてきた。今回も問題あるまい」

「あたし達はこのまま御役目御免だから良いけどさぁ、15年後の――次の世代の『十傑衆』は大変よねぇ」

「それにしても……あの方々には私達の目的を感付かれたようだな」

「残念です」

「この星を手中に収めども、我々も全能ならぬ身。全てが思い通りに行くとは限るまい。真に全能たりえるのは“刈り取り手”だけだ」

「……あら、私達が全能ならぬ存在である事を示す通信が入りましたよ」

「どうした?」

「“予定”よりも早く外の連中がこの地域に入りこんで来ました。時間的距離で1番近いのはヒュドラですね。全戦力でこちらに急速接近しています」

「やれやれ、最近誤差が頻繁に起こる様になってきてねぇか?」

「とりあえず、今はこの誤差を修正しようね」

「私が行きましょうか」

「ナイン・トゥース全員を相手に1人で戦える?」

「完全殲滅なら、30秒あればなんとか」

「『十傑衆』の一員ならば、そのぐらい10秒で終わらせろ」

「そんなぁ……私、どちらかといえば戦闘苦手な方なんですよ?」

「頑張ってねン……名も無き婦警さん」

「ははは。その名前、けっこう好きですよ」



※※※※※※※※※※※※※※※※※※



(――なぁ、セリナや嬢ちゃんを連れてきた本当の理由はなんだ?)

 突然、私の脳内に以心伝心のスキル――俗にいうテレパシー通信を送ってきた相手は、確認する必要もあるまい。

(クルィエ君、君はあのポンポコ通り商店街の人達を本気で信用しているのかね?)
(全然してねぇよ)
(私も同感だ。気さくで優しく最大公約数的正義感もある、いい人達だとは思うがね。だが、彼等の人格と行動目的が同一ベクトルを持つとは限るまい)
(裏の無い地球人類なんていねぇよ。いるとしたら、あの乳女ぐらいだぜ)
(うむ……まぁ、それはともかく、私がセリナ君とあすみ君を同行させた理由は、恐らく君の考えと同じだよ)
(俺達がいない間に、人質にされちゃたまらねぇからな)
(願わくば、こういった形で彼等と会いたくはなかったがね)
(まぁな……さて、ついたぜ)

 闇夜に浮かぶ我々の眼下には、この一連の騒動の出発点ともいえる建物――西野怪物駆除株式会社のビルが、古代の城砦のように暗く聳え立っていた。
 現在我々がいる所は、かすみ君がいると推測される、西野怪物駆除株式会社の社長室上空500m地点である。敵本拠地の真上にいるという緊張感よりも、真冬の夜空を駆け抜ける北風の冷気が私の身を震わせた。うーむ、日本列島東北地域限定言語で言えば、実にしばれる。

「ずいぶんあっさりここまで辿り着けたな」

 クルィエ君の声が少々濁っているのは、私の両足にセリナ君とあすみ君がそれぞれしがみつき、更に私の巨体をクルィエ君が抱えながら空を飛んでいるからだ。武争神族として鍛え抜かれた身体能力を持つクルィエ君といえども、神族の能力を封じられた状態ではさすがに重量過多なのだろう。

『罠と考えた方がよさそうだぞ』
 
 そして、我々の周囲を影と化した真沙羅君が覆い隠す事によって、簡易的なステルス状態となって、かすみ君の居場所である敵本拠地に辿り着けたのであるが……真沙羅君の言う通り、この程度で誤魔化せるほど敵は甘くないだろう。ここまで我々に対する撃墜行動がなかったのも、明らかな誘いだと判断する。

「はくちゅん!!……さむいですぅ〜」
「お寒いのですか?それなら私に抱き付いてくださいです」
「わーい、セリナお姉ちゃんの身体って柔らかくて温かいですぅ」
「その表現は微妙に遠回しに間接的にシクシクです。やはりダイエットしなければ……です」

 緊張感の欠落した2人の意見は、全く聞く必要はないな。うむ。

「さて、これからどうする?」
『罠を承知で正面から行くのは愚策の極みなるぞ』
「裏をかいてあえて正面から行くという選択もあるがね……今は何を推測するにもデータ不足か。うむ、とりあえず慎重に――」
「あら?です?」

 時間が無いのは了解しているが、事を急いても状況は悪化するだけだろうと判断する。ここは慎重に計画を立てよう――と、思っていたのだが、

 ずるっ

「え?」
「あーれーです」
「きゃああああん!!」

 ……こうして、我々の計画はいきなり変更される事になったのである。
 急に両足にかかる重量が消失した……と感じた時はすでに遅く、セリナ君とあすみ君がオクターブの高い悲鳴を上げながら落下する光景を私は目撃した。私の足以外に支えの無い空中で抱き合えば、こうなる結果は自明の理だろう。やはり、状況把握力の欠落した行動は極力避けるべきで――

「現実逃避してんじゃねぇ!!」

 現実逃避している私を一喝して、クルィエ君は私ごと自由落下に数十倍する加速で急降下した。無論、彼女達が本社の屋上に激突する寸前に無事キャッチできたのだが――

「この行為は短慮だと意見したかったが」
「は?」

 どんがらがっしゃ〜〜〜ん!!!

 予想通り、十二分に加速された私の質量は、易々と屋上の床を突き破り、階下へと落下したのだった。あああ、結局特攻大作戦となってしまった。
 数秒後、煙幕状に雪煙が舞う中、瓦礫を押し退けて何とか身を起こすと、どこかバツの悪そうなクルィエ君と、眼球を渦巻き状に変形させて頭上に星々と惑星とヒヨコを旋回させながら奇怪な動作で踊るようによろめくセリナ君とあすみ君の姿があった。その足元にはジト目で我々を見上げる真沙羅君がいる。あの特攻で彼女達が傷1つ負ってないのは、彼のお陰だろうと推測する。うーむ、なぜいつも斯様な展開になってしまうのだろうか。
 だが、こんな素っ頓狂な状態に頭を押さえる余裕は無かった。

「……ずいぶん派手なお出ましね」

 なぜなら、我々の前方20m地点に、私の年収数十年分はありそうな高級デスクの上で足を組み、小馬鹿にした様なと形容される類の笑みを薄く口元に張り付けた彼女――かすみ君が鎮座していたのだ。
 うーむ、何の下準備も作戦も無しにいきなりボスの元に辿り着いてしまった。焦る内心をできるだけ表に出さないように注意しつつ、私はできるだけ重々しく咳払いしてかすみ君に頷いた。

「みっともない姿を見せてしまったね。これからの行動で汚名挽回といかせてもらおう」
『汚名を挽回してどうするのだ。それを言うなら汚名返上だろう』
「その認識は間違っている。“挽回”という単語には『その状況を改善する』という意味があるのだ。つまり、日本語学的には汚名返上と汚名挽回は実は同じ意味なのだよ。よく二重の意味で誤用されているがね」
『……ふん』
「くだらねぇ事喚いてる場合か」

 真沙羅君のツッコミについ反証してしまったが、クルィエ君の言う通り、確かにそんな些事に拘っている場合ではない。

「あらあら、かすみさんお今晩はです」
「お姉ちゃん!!お母さんのデスクの上に座ったら怒られてお尻ペンペンですよぉ!!」

 しかし、深々と頭を垂らすセリナ君と、一昔前の美少女セーラー服戦士のようなポーズを決めるあすみ君は、状況を理解しているのか少々不安だ。
 いや、少なくともあすみ君は理解しているらしい。すぐに彼女は真摯な視線を双子の姉に向けた。

「だからお姉ちゃん……お母さんにはナイショにするからぁ、もうこんな事やめてくださいですぅ!!」

 返答は銃声だった。
 愕然とするあすみ君の目の前で、銃弾がクルィエ君の掌に掴み取られている。火薬臭い硝煙の香りは、かすみ君がこちらに向ける銃口から漂っていた。
 実の妹に一瞬の躊躇いも無く引鉄を引くとは……どうやら、交渉する件はやはり無理なようだ。

「ギャーギャーギャーギャー、ギャーギャーギャーギャー、五月蝿いのよアンタは」
「お、お姉ちゃん……」
「あたしとあんたは敵同士なのよ。殺しあってるのよ。今更仲良くしましょうなんて、できると本気で思ってるの?バカだからわからないのかしら?」
「…………」
「あんたは昔からいつもそうだった。人間の敵ばかりか相手が魔物でも、まずは話し合って平和的に解決しようとして……その度にあたしや周囲にどれだけ迷惑かけてると思ってるのよ!!」

 かすみ君の激昂は、常軌を逸しているように見えて――

「甘ちゃんのあんたに教えてあげる。お互いの利益で戦う国家戦争じゃない限り、戦いってのは殲滅戦なのよ。ただ機械的に何も考えず敵を殺して奪って犯せばいいのよ。それが結果的に1番被害が少ないんだから。わかる?弱肉強食ってのは1番効率的な自然の摂理なのよ。そこに正義も悪も何も無いわ。もっとも――」

 ――その実、極めて冷静にも見えた。

「もっとも、世間から見れば世界の危機を救おうとするあたしの側が正義なんだろうけどね。そこの淫売雌牛をかばおうだなんて、そっちの方が人類全体にとっては邪悪な行為なのよ。ねぇ、正義の為にセリナを渡してとっとと死んでくれない?」
「……お姉ちゃん……」

 あすみ君は涙目になってよろめき、そのか細い身体をセリナ君がそっと支えた。
 セリナ君は、静かに顔を伏せている。
 私は溜息を吐いて、あすみ君の肩に手を当てた。

「……佐藤さん?」
「あのね、あすみ君……こういった状況で相手の台詞を真に受けてどうするのかね?」

 教育の場で講義を受けてるならともかく、こうした状況で相手(あえて敵と表現はしない)の言葉を素直に拝聴するのは愚劣な行為と称されても否定されないわけがないだろう。よくアニメや漫画で敵の発言に動揺したり悩んだりする者がいるが、敵の言う事を真に受けるなとツッコミを入れたい事が多々ある。まぁ、素直なのはよい事だが……

「ここは私に任せたまえ」
「あんたに話してないわよ。脇役は引っ込んでなさい」

 かすみ君の冷たい台詞にコケそうになりながらも、私はあすみ君を制して前に出た。

「君は我々が世論に反する悪の存在だと発言したが、本当にそうかな?」
「どういう意味かしら」
「君の所在地を探索する際に、君がIMSOを始めとした世界中の権力機関に工作していた事実を発見できたのだよ」
「…………」
「セリナ君を捕らえて魔界大帝達を脅迫する?そんな事をしても超高位存在の怒りを買うだけだと理解できないほど、地球人類が愚かだとは思わないがね。内閣特務戦闘部隊の兵士達を洗脳したように、権力機関の要人を洗脳でもしたのかな?」
「……ふうん、そこまでわかるんだ」
「君の本当の目的は、世界を煽動して魔界大帝へ地球人類の戦力を送り込む事ではないかね?それが如何なる意味を持つのかは、残念ながらデータ不足につき今の私には不明だが」
「やっぱり、ただの浮浪者じゃないようね」
「鬼神教授と呼びたまえ――さて」

 私はできるだけさり気ないように片目をつむった――と同時に、かすみ君の側に漆黒の翼が踊り出た。

「――!?」

 身構えるかすみ君の首元に、黒い影が手刀を叩き込み――

 バシッ

 ――弾かれた!?
 まるで透明な壁が存在するように、影の手刀は跳ね返されたのだ。

「防御障壁――だと?」

 間髪入れずに飛び退いた黒い影は、次の瞬間には真沙羅君をまとった驚愕の表情を浮かべるクルィエ君と化した。
 うーむ、やはりバリヤーの類があったか。
 眼前に我々がいるにもかかわらず、かすみ君があまりに堂々としているのを不審に思い、試しに仕掛けてみたのだ。私がかすみ君の気を逸らす為に無意味な討論をしている間に、何も言わずとも私の意図を察してくれたクルィエ君と真沙羅君が攻撃役を担ってくれたのだが――クルィエ君の攻撃を弾くとは、どうやら私の想像以上に厄介な仕掛けを用意してくれていたらしい。

「あのまま包囲攻撃を続けていてもよかったし、こうしてあんた達を待つのは無意味な罠かと思っていたけど――」

 氷のようなかすみ君の薄笑は、氷の魔女を連想させた。

「網にかかった蝶を食べるのは、蜘蛛の義務よね」

 ゴゴゴゴゴゴゴ……

「お、お、お姉ちゃん?」
「地震ですか?です?」
『これは……』
「おい……来るぜ」

 腹の底に響くような振動が、部屋の床から――訂正する、この本社ビル全体から伝わってきた。うーむ、これは極めてピーンチな状況になりつつあるのではないだろうか。
 そして――

「「!!」」

 あまり非論理的な行動はしたくないのだが、ほとんど勘だけの反応で、私はセリナ君を抱えて、同時にクルィエ君はあすみ君と真沙羅君を抱えて、その場から飛び退いたのだ。
 青い光の柱が闇夜を切り裂き、一瞬前まで我々がいた地点を焼き尽くしたのは次の瞬間だった。熱風が肌を炙り、プラズマ放電が周囲の空気を青くイオン化させる。これは局所的に超高出力電磁ビームが撃ち込まれた時に起こる現象だ。
 猛烈な突風とローター音が、上空から我々を襲った。
 『AZE―03F“ソロ”』――あの地上最強の魔導戦闘ヘリコプターが、再び我々の前に牙を向いたのだ。

《さあ、ゲームの続きをしましょうか》

 半透明のキャノピーの中から、嘲笑するようなかすみ君の声とシルエットが浮かんでいる。はっとしてデスクの方を見ると、そこにかすみ君の姿は影も形も存在していなかった。
 始めからホログラムと会話していたのか、テレポートでヘリのコックピットに転位したのか――いずれにしよ、それが意味する事は一つだ。
 これは、地球人類の技術では無い。

「あすみ君、早急にクルィエ君の血か肉を接取したまえ」
「ええぇ!?」
「いきなり何言ってんだ?」

 疑念の表情を向けるあすみ君とクルィエ君の心情は理解できるが、今は解説している時間的余裕は無い。

「急ぎたまえ!!地球人類ではあの機体の存在質量に耐えきれないのだ!!」
「は、はぁい」

 わけのわからない様子で、あすみ君はクルィエ君の腕にかぶりついた。

「いてぇ!!……もっと遠慮して噛みつけよ」
「ちゅーちゅー……お姉ちゃんとの遊びを思い出すですぅ」
「クルィエ君、神族としての力を防御面にのみ解放したまえ」
「おい、なぜそんな事しなきゃならねぇんだ?上には天界軍が――」
「能力を開放せねば勝てる相手ではないのだよ。防御限定ならば天界軍に感知されない筈だ……と思う」

 クルィエ君に促しつつも、私も鬼族としての能力を少しづつ開放している。
 上空に天界軍がいる状況下でも、本気を出さざるを得ない事態に陥りつつある事を確信したのだ。
 そう、あの機体は――

「あの機体には、神族の技術が導入されている!!」

 私の叫び声は、“ソロ”のテールキャノンから再び発射された電磁ビームの咆哮にかき消された――

《さあ、狩りの時間よ》



※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 ごろごろともつれ合うように――いや、実際にもつれ合いながら、我々は社長室の扉から廊下に転がり出た。

「み、みんな無事かね?」

 私は全身が激しく痛い。致命傷はないようだが、あの超高出力電磁ビームの熱風をまともに浴びてしまった。今の私の身体でも、これは少々きつい。もし鬼族の身体能力を一部開放していなかったと想定するなら、私は一瞬にして灰も残さず焼き尽くされていた筈だ。

「私は大丈夫です。視界がじぇっとこーすたー状態ですが」
「あ、あすみもだいじょうぶですぅ〜〜〜ぐるぐるですぅ〜〜〜」
『主よ、三半規管を回復させてください』

 セリナ君達が無事なのも、私がかばったお陰なのだから、少しは感謝してもらいたい。うむ……いてて。

「……どうせなら、俺も一緒にかばってくれよ……」

 どこからともなく取り出した戦闘用マチェットを杖代わりにして、よろめきながら身体を起こしたクルィエ君も、私とあまり差のない状態だ。
 四大種族の力を限定的に取り戻した我々に、ここまでのダメージを与えるとは……やはり、あの戦闘ヘリ“ソロ”は、地球産の物をベースに、神族の超技術で改良された機体だろう。

「こんな所で身内の兵器と銃口向け合うとはな……予想だにしなかったぜ」

 クルィエ君の意見に、私も全面的に同意する。
 本来ならば、神族の兵器がそのまま地上に存在すれば、その『存在質量』に地球ばかりか太陽系まで吹き飛んでしまうだろう。神族がZEXLを地球上で運用したり、クリ君達が本来の姿に戻る際に、わざわざ世界操作系の大規模な術を使用して世界をガードするのはその為なのだ。
 ただし、それは魔界大帝やZEXL級の超々高位存在に必要な処置であって、一般的な四大種族である私やクルィエ君レベルの高位存在なら、なんとか外部に影響を与えないように自分自身をコントロールする事が可能となる。無論、そうした能力のコントロールは非意識体である兵器には通常不可能な筈……であった。
 だが、まさか地球産の兵器に神族兵器の技術を導入してカモフラージュするとは予想外だった。我ながら不覚であるが、こうして攻撃を体験するまでそれを認識できなかったのだ。これほど高度な隠匿方法は、おそらく神族超科学の最新技術の結晶に違いあるまいと断定する。
 つまり、この兵器のバックには天界軍の――

 ――カッ!!

 ……どうやら、背後関係を考察している余裕はなさそうだ。
 真横から一瞬視界の全てを純白にするほどの閃光が生じて、身構える我々の濃いシルエットを壁面に投影した。
 廊下の窓から刺し込む強烈な光は、ローター音を聞くまでも無くあの忌々しい戦闘ヘリのサーチライトに違いあるまい。

「あらあら、もう朝でしょうか?です?」

 例によってボケるセリナ君をかっさらい、我々が駆け出すと同時に、“ソロ”の機首に装備された30mmガトリング砲が火を吹いた。

「ムチャクチャやりやがるぜあの女ァ〜〜〜!!!」
「かけっこは苦手なのにぃ〜〜〜!!!」
『やはりあやつは殺しておくべきだった〜〜〜!!!』
「私も若干同意しておく〜〜〜!!!」
「あらあら〜〜〜!!!です」

 もしここが学園内なら絶対に許されない速度で廊下を全力疾走する我々を追随するように、けたたましい破砕音と同時にガラスが粉砕されて行く。屋外からガトリング砲を平行射撃しているのだ。ああ、平穏な生活が恋しい。

「あの部屋だ!!」

 ほとんど体当たりでドアをぶち破るようにして、我々は正面の応接間に転がり入った。あまり状況はかわらないように思えるが、あのまま廊下で鴨撃ちされるよりはマシだろうと判断する。非常灯だけが陰鬱な緑光を放つ薄暗い応接間は、窓も全てシャッターで閉じられており、外部の様子は完全に窺い知れ無い。

「あすみ、とっても疲れましたぁ……喉が渇いたですぅ」
「はい、お茶です」

 床に倒れ込むあすみ君に、どこからともなく取り出したお茶を渡すセリナ君には、もうツッコミを入れる気にもなれない。
 さて、どうやってあの鋼の猛禽を撃墜すればいいのか――

 ――!?

 青白い輝きが視界を染めたのは次の瞬間だった。どうやら、思案する時間も与えてくれないようだ。
 放電する青い光の柱――超高出力ビームが、天井の隅から部屋の空間を斜めに横切るように薙ぎ払ったのだ。ビームの接触面となった床や天井は炎上を通り越して瞬時に溶解している。あれが直撃したら苦痛を感じる間も無く私の身体は蒸発してしまうだろう。だが、どうやらその攻撃は外れたようだ。やれやれ……ん?
 部屋の内部を斜めに貫通して薙ぎ払った?

「いかん!!すぐに部屋の奥に移動するのだ!!」

 私の叫び声よりも、この部屋の半分側――我々がいる個所がずるずると斜めにずり落ちつつある状況に、皆は慌てて部屋の反対側に跳躍した。

「きゃぁん!!」

 間一髪、全員が飛び移ったと同時に斜めにカットされた応接間の半分は遥か下界へと落下していったのだ。そういえば、この部屋はビルの最上階かつ隅に位置していた。あ、危なかったぞ。うむ。
 だが、真の危機はまだこれからのようだ。

「やべぇぞ!!」

 一難去ってまた一難とはこの事か。ビルの断面で夜風に身を震わせる我々の目の前に、休む間も無くローターの爆音と暴風を伴って“ソロ”の機影が踊り出たのである。

《バイバイ》

 半透明のキャノピーの向こうで、かすみ君の唇が嘲笑の形に歪むのを、私ははっきりと認識した。
 機体底部に取り付けられたミサイルポッドが火を吹いた。
 爆風と轟音と熱風が同時に我々を襲った。遠目には、本社ビルの屋上が大爆発したように見えただろう。紅蓮の火柱が雪の夜空をオレンジ色に染色した――



 ――その瞬間だった。世界が灰色に染まったのは。
 それと同時に、世界からあらゆる動きが消滅したのだ。紅蓮の爆風も、飛び散る瓦礫も、吹き飛ばされそうになるセリナ君達も、皆時間が停止したように動かない。
 この現象は一体?時間操作系の術を使用した覚えは無いのだが……
 ……いや、この現象には記憶がある。
 そうだ……思い出したぞ……
 あまりに長期間眠っていた為、深層意識レベルで忘れていたものを――

 あんまりじゃない。せっかく久しぶりに会えたのに。

 どうして出てきたのかね。君の興味を引くものは何も無い筈だが。この戦いも君にとっては退屈至極な類なのだろう?

 ご挨拶ね。私もあなたと同じ“鬼族”なのよ。鬼族が動く理由は1つだけじゃない。

 『欲望』か。

 ほら、あなたの御忠心の娘――たしかセリナだったかしら。骨までむしゃぶりたくなるぐらいイイ女よね。久しぶりに発情しちゃったわ。

 同性愛は不毛だと思うがね。とにかく、君は消えたまえ。

 そんな事言っちゃっていいの?ずいぶん苦戦しているみたいだけど。あの鬱陶しい天界軍の次元艦隊ごと、あのオモチャを消してあげようかしら?

 もう一度言う、消えたまえ。この程度の危機は私自身の力で何とかしてみせよう。

 『私自身の力』ねぇ……あなたの『私自身』には、私の『私自身』も含まれているのかしら?

 その件は討論してもかまわんが、君に理解できるとは思えないがね。

 失礼しちゃうわね。事実だけどさ……ま、今回は少しだけサービスしてあげる。これからもピンチになったら何時でも私を呼んでよね。

 そうならない事を心から祈ろう……ところで、君に1つ伝えておく事がある。

 なぁに?

 彼女は――セリナ君は、君には渡さないよ。彼女は――



 世界は再び動き出した。
 爆風と轟音と熱風が同時に我々を襲った。遠目には、本社ビルの屋上が大爆発したように見えただろう。紅蓮の火柱が雪の夜空をオレンジ色に染色した――しかし、

「いたたぁ……あれぇ?」
「おめめぐるぐるはらほろひれはれ〜〜〜です」
『ううぅ……これは?』

 瓦礫の中から這い出るセリナ君達は、皆一様に当惑しているようだ。無理も無いだろう。ミサイルの直撃を受けたにも関わらず、我々は完全に無傷で済んだのだから。
 私自身は――正直、少々複雑な気分だ。
 これが、彼女の『サービス』か。

《あの攻撃でなぜ……!?》

 “ソロ”コックピット内のかすみ君も困惑しているようだ――その刹那、

 バギィ!!

 褐色の砲弾が“ソロ”の右ローターを直撃して、それを粉砕した。漆黒のエイを連想させるシルエットが大きくよろめく。

「まずは、チェック」

 破損した右ローターの上で器用にバランスを取り、マチェットを不敵に構えるその勇姿は、我等がクルィエ君だ。
 ミサイルの爆風に紛れて奇襲をかけるとは、流石は戦闘のプロフェッショナルという所か。抜け目がないな。うむ。
 まるでロデオのようにヘリが機体を揺り動かすが、クルィエ君はびくともしない。あの位置では砲口も死角となって攻撃できないのだろう。それを知ってかクルィエ君は、見てる方が怖くなるような笑みを浮かべて、大きくマチェットを振りかぶり、

「そしてこれが――」

 コックピットキャノピー目掛けて、勢いよく振り下ろしたのだ!!

「チェックメイトだ!!」

 だが――

 バシッ

 キャノピーの表面にスクリーン状の光が覆い、マチェットの一撃をあっさりと跳ね返す光景を私は目撃した。

「くっ……また防御障壁か!!」

 私とクルィエ君は同音異口で叫んだ。私は心の中でだが。
 その時、クルィエ君の頭上に暗い影が差した。

「いけないですぅ!!」

 あすみ君が悲鳴を洩らす。
 “ソロ”の蠍の尾を連想させるテールパーツが、いつのまにかクルィエ君にヴァリアブルキャノンの先端を向けていたのだ。
 すぐに気付いたらしいクルィエ君が、機体上から離脱しようとするが――いかん、間に合わない!?
 ――と、人事ながら覚悟を決めた瞬間、クルィエ君の身体は真横に有り得ない速度で高速スライド移動した。照準を外したニードル弾の掃射が夜空のあらぬ方向に消えていく。

『手間をかけさせるな』
「礼を言うぜ」

 よく見れば、クルィエ君の腰に黒いロープ状の闇が絡んでいた。確認するまでもなく真沙羅君だ。彼が間一髪の所で引っ張ってくれたのだろう。なかなか見せ場を作る猫又だ。うむ。
 だが、助かったと言っても、それは一時的なものでしかないのは自明の理だろうと、私でなくとも判断するに違いあるまい。

《害虫の分際で、よくもやってくれたわね……いいわ、徹底的に駆除してあげる》

 実に物騒な宣言をしてくれるかすみ君の“ソロ”は、なんと破壊された右ローターがビデオの逆回し映像のように再生していく。自己修復機能まであるとは……ああ、実にげっそりとさせてくれる。

「とりあえず、ビルの中に逃げよう」

 皆を先導して半分だけとなった応接間から再び廊下に逃げ込んだが、あの怪物ヘリを相手にこれからどう戦えばいいのか、私は考え倦んでいた。
 防御障壁と機体修復能力により、こちらの攻撃は一切通用せず、向こうの攻撃は全く隙が無い。我々の戦力で正面から“ソロ”を破壊するのは不可能だと断言できるだろう。この事態を打開する策も現時点では思い付かない。まったく、だから私は荒事に巻き込まれるのは好かないのだ。

「ふえぇん……どうすればいいんですかぁ?」
『今の我等では勝ち目はないぞ』
「まいったなこりゃ……こうなったら能力を全開放するしかないか?」

 クルィエ君の発言は泣き言ではなく、打開策を正確に考察したものだろう。確かにあの戦闘ヘリを撃墜するには四大種族としての力を解放するしかない。だが、それは大気圏上空の天界軍に我々の存在が発覚されるということだ。それは当面の危機を後回しにするだけの逃避的行為に終わる可能性が極めて高いと私は判断する。しかし、現状を打開する手段がないのも事実。私も気が進まないが、『彼女』の力を借りるしかないだろうか……
 と、その時、廊下を疾走しながら悩む我々の中で、1人悩んでなさそうな彼女が、

「あのですね、皆さん少々よろしいでしょうか?です」

 控え目に、しかし抜群の存在感をもって挙手したのだ。

「すまないが、今は君のボケに付き合っている余裕は無いのだよ」
「シクシクです。私も強敵と書いて(とも)と呼ぶ……ではなくてです、本気と書いて(マジ)と呼ぶ感じで真剣に考えているのですが……です」
「わかったわかった。手短に言いたまえ」

 おざなりに手を振って話を促したのだが、セリナ君の提案は実に興味深いものであった。予想外にも。

「予想外は余計です。ぷんぷんです」



※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「次はあの部屋か!?」
「いや、その隣だ」

 『第十五資料室』と表札に書かれた扉に我々が飛び込んだ瞬間、私の頭上すれすれを青い高出力ビームが貫いた。い、今のは少々肝が冷えたぞ。

「大丈夫ですか?です」
「私の心配は無用だ。それよりも少々攻撃が右にずれてしまった。修正を要請する」
『承知』
「えーいですぅ!!」

 二次元の刃と化した真沙羅君が壁の一部を切り裂き、あすみ君の符術が部屋の一部を爆発させる。よし、この破壊具合は中々グッドだ。

「この階はこれで完了だ。下の階に移ろう」
「急げ!!」

 エレベーターは当然だがすでに動かない。階下に降りるには階段を利用するしかないのだが、そこに向うために廊下を移動する時が、屋外からかすみ君が我々を攻撃する絶好のポイントなのだ。
 全力疾走で階段に向う我々を、サーチライトの光輪が追跡する。その光の輪が触れるあらゆる物体は電磁ビームとミサイルとガトリング砲とニードル弾に爆砕されていく。あの光輪に飲み込まれた時が、我々の命運も尽きる時なのだ。ふう。

「ひゃあん!!」
「アクション映画の主人公みたいですね。です」

 かろうじて破壊のサーチライトから逃げ切る事に成功し、跳び込むというより背後の爆風に吹き飛ばされる感じで、我々は下り階段を転がり落ちた。私やクルィエ君はなんとか平気ではあるが、セリナ君やあすみ君は真沙羅君がガードしていなかったら、この階段落ちだけで大怪我していただろうと推測する。
 ほっと息を吐こうとした瞬間、我々のすぐ脇を屋外からめくら撃ちしたらしいビームが通り過ぎた。ああ、全く気が休まる時が無い。

「この階は!?」
「ちょっと待ってくれ……うむ、1番奥の部屋と通路を右に折れて2番目の部屋だ」

 再び駆け出す我々を、

《さっきからちょこまかと鬱陶しいわねぇ!!害虫は大人しく駆除されなさいって言ってるでしょ!!!》

 かすみ君の物騒な罵声と砲撃が迎えてくれる。
 だが、その声には苛立ちと高揚感の他に、僅かながら疑念の響きがあるのを私は確信した。
 彼女が我々の行動に不審を抱くのも無理は無い。この本社ビルから脱出するなら、わき目も振らずに階段を駆け下りるのが当然だろう。
 しかし、我々は階下に降りる度に様々な部屋に寄り道し、“ソロ”の猛攻を受けては逃げ出すという行為を繰り返しているのだ。また、時には自分から部屋の一部を破壊するという行動もかすみ君にとっては不可解なものだろう。
 ――やがて、こうした無意味に見える一連の行動を数十階分繰り返した我々は、ようやく地上1階に辿り着き、転がるように正面玄関を潜り抜けたのだ――が、

《ふふふ、本気で逃げられると思った?残念ね。今度はこっちがチェックメイトよ》

 地上すれすれに滞空した鋼の機影――“ソロ”が正面から待ち構えていたのだ。
 逃げる隙は――無い!!

「むむむ、これでおしまいか!!」
「もうダメですぅ〜」
《あはははは!!死ね!!死んじゃえ!!!》

 狂気すら帯びたかすみ君の叫び声と同時に、“ソロ”の全砲弾一斉射撃が我々の身体を爆殺した――

《あはははは!!!……え?》

 今の表現は訂正しよう。
 爆殺された我々は、次の瞬間、風に溶けるように消滅した。
 砲弾に穿かれ、ビーム粒子に蒸発され、ミサイルに吹き飛ばされたのは――あすみ君お得意の符術で製作された偽者なのだ。
 千切れた呪符の切れ端が、小馬鹿にしたように風に揺れた。

「――今だ!!」

 私の号令と同時に、2階の窓を突き破って地上に降り立ったのは、無論、本物の私と背中にしがみついたセリナ君、クルィエ君にあすみ君、真沙羅君だ。
 うむ、見事にひっかかってくれた。

《くっ……害虫ごときがぁ!!》

 キャノピー越しの怒りの表情は、私が言うのもなんだが鬼女の如きと称されるものだった。機体を地面に擦らせながら“ソロ”が急速旋回する。
 その砲口を正面から向かえながら、

「――さて、チャックメイトだ」

 私は嘲笑(わら)った。

 ドゴオッ!!!

《――!?!?》

 かすみ君の怒顔が斜めに崩れた。いや、彼女の駆る“ソロ”そのものが。
 巨大なビルの破片が落下して、機体の左ローター部分を直撃したのだ。

《な……なにが起こったの!?》

 大地が脈動する。
 大小様々なビルの破片が、雨のように降り注いできた。いて、私にも少し命中したぞ。

「かすみ君……狩人の快楽に酔い痴れて、我々の動きの裏に何があるのかを読まなかったのが君の敗因だ」

 更に巨大な破片が、ヘリの右ローター部分とテールパーツを押し潰した。

「ただ闇雲に逃げているのかと思ったかね?このビルの様々なポイントを、君にわざと破壊させていたのだよ。君が今いる場所、君が今いる瞬間に、このビルが倒壊するようにね」
《……ば……馬鹿なっ!?》

 かすみ君は必死になって機体を立て直そうとしているようだが、あのダメージでは自己修復装置でも容易に回復できまい。
 そして――

「そうそう、ビルが上手く倒壊する破壊ポイントを計測したのは私だが、この作戦を提案したのはセリナ君だ」
《あの女ぁー――!!!》

 爆発にも等しい破壊の奔流が荒れ狂い、この惑星の現地神話で言う所の『神の怒りに打たれた塔』の如く、西野怪物駆除株式会社本社ビルは倒壊し、瞬く間にかすみ君の呪怨と“ソロ”を飲み込んだ――



※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 夜明けの光がビルの隙間から刺し込んで、瓦礫の山と化した本社ビルと、くたくたに疲れ切った我々の勇姿を透明に照らした。天気雨ならぬ天気雪とでも言うのだろうか、先刻から粉末状の雪が降り注ぎ、朝日に結晶が輝いている。
 なかなか美しい光景だ。こう、何か一句詠みたくなるような気がする。詠んだ経験は一度も無いが……

「おい、おっさん。掘り起こすの手伝えよ!!」

 そんな清々しい空気を、つるはしを振り上げるクルィエ君の怒声がぶち壊してくれる。まったく、彼には風流を理解する心など持ち合わせていないのだろう。

「ふえ〜ん、お姉ちゃんが生き埋めですぅ」
『めでたしめでたしですな、主よ』

 必死になって瓦礫を取り除くあすみ君とは対照的に、真沙羅君はのんびりと毛繕いをしている。手伝う気は全く無いらしい。

「皆さん、お茶はいかがですか?」

 例によってセリナ君はニコニコと頬に手を当て微笑みながらお茶を入れている。そろそろ彼女の行動もワンパターン化しているような気もするな。うむ。
 しかし、確かにそろそろ一服したい心境である事も確かだ。何せ、あれから夜明けまで数時間、ひたすらかすみ君を掘り起こす為に瓦礫を取り除く作業に従事しているのだから。
 かすみ君が戦闘不能状態にする事に成功したのは間違い無いだろう。これほどの騒動を繰り広げたにも関わらず、あの内閣特務戦闘部隊の姿が全く確認できないのも、かすみ君が力を失ってクローン及びドッペルゲンガーの消失に成功したからだと推測する。かすみ君自身は……まぁ、たぶん生きてる事を期待しよう。神族技術を導入した“ソロ”の防御装置と自己修復装置なら、ビル倒壊の大質量に押し潰されてもコックピット内の搭乗員はなんとか守られる筈だ……と思う。

「それにしてもぉ……会社のビルを瓦礫の山にしちゃってぇ、お母さんにお尻ペンペンされてしまいますぅ」
『主よ、こんな会社は地上に存在せぬ方が世の中のためですぞ』
「それはお前等魔物のためだろうが……おっ?」

 クルィエ君のつるはしが、硬質的な音を立てた。どうやら掘り当てたらしい。
 発掘個所に集合してみると、紛れも無い“ソロ”のキャノピーが露出していた。自己修復装置は無事機能しているらしく、損傷は驚くほど少ないが、こうして瓦礫に埋まっていてはヘリの機体構造上何もできまい。まぁ、油断は禁物であるが。
 クルィエ君のマチェットがキャノピーの端に刺し込まれた。

「こじ開けるぜ。念のため散開してろ」

 防御機構は作動していないのか、キャノピーは思いの外あっさりと開いた。
 そして、コックピット内部には――

「お姉ちゃん!!」

 ピクリとも動かない、心神喪失状態にあるかすみ君がシートに横になっていた。

「お姉ちゃん!!大丈夫ですかぁ!?」
「あすみさん、動かさない方がいいです」

 慌てて揺り動かそうとするあすみ君を、セリナ君がそっと止めようとする。洗脳されている可能性があるとはいえ、つい先刻まで命を狙われていた相手をそこまで心配できるとは……この世知辛い世の中に、中々希少な人材といえるかもしれない。うむ。
 私は2人に少し下がるように促し、かすみ君を診察した。服を脱がそうとしてあすみ君にどつかれたので、ちょっぴり鬼族の能力を使う事にする。
 ……外傷は無い。内臓へのダメージも問題ない。脳も無事だ。精神的負傷も見受けられない。子供がうたた寝している様に穏やかな姿だといえる。
 では、なぜ心神喪失状態にあるのだ?
 私は久しく経験した事の無い感覚――『困惑』の感情に覆われていた。
 気絶している訳でも、当然睡眠状態にあるわけでもない。ならば、この状態は一体――!?
 私のような英知的活動を信条としている者にとっては、憶測で判断するのは排除すべき活動なのだが、あえてそれで推測するならば……
 まさか……“魂”を奪われているのか?

「御安心を。彼女の生命は無事ですわ」

 背後からのその声に、私の背筋は形容抜きで凍りついた。
 この声の冷たさに比べれば、真冬の夜明けの冷気も、初夏の盛りに感じるだろう。万人がそう思うと、確信を持って断言できる。
 私はゆっくりと振り返った。できれば、その姿を見たくなかった。
 雪に白く染められた瓦礫の山――そんな凄惨な光景がこれほど似合う女性を、私は今まで見た事が無い。
 天界軍女性用高級士官スーツを不吉なまでに華麗に着こなした『彼女』は、地獄の様に美しかった。
 あすみ君は毛を逆立てる真沙羅君を怯えるように抱きしめ、クルィエ君は凍りついたように直立不動の敬礼で固まっている。あのセリナ君ですら、頬に手を当てたまま動かないでいた。

「初めまして……と御挨拶するべきでしょうか。フロラレスと申します」

 古来より『ぞっとする笑み』というのは、酷く醜いか途方も無く美しいかのいずれかと決まっているが、彼女――フロラレス君は間違い無く後者だと断言できるだろう。
 褐色に近い焼けた肌も、ポニーテール状に纏めた青氷色の髪も、豊かで形のよい胸元も、全てが非の打ち所も無い美しさを誇っている……が、その凄惨過ぎる冷徹な瞳を見れば、誰もが恐怖に震えるだろう。
 永遠の知識を探求する為に、幾多の次元を旅し、無限の人々と接触してきた私の英知と経験が、全力で警告を発している。
 あの女は――危険だ。

「あら、アヴァロン・クルィエ少佐もいるのですか。生きていらしたのですわね」
「……少佐はやめてくれ。軍籍は剥奪されているんだろ?」

 ここで初めて自分が反射的に敬礼していた事に気付いたらしく、ばつが悪そうにクルィエ君は手を下ろした。

「安心なさい。今は貴方の軍規を問う気はありません。今は、ね」

 にっこりと冷たく笑うフロラレス君の脳天に、次の瞬間迅雷の速度でマチェットが叩きつけられた――が、

「無駄ですよ。今の私はそこの女に残る残留思念が半実体化した物です。本体は別の場所にいます」
「この○○○○女が……」

 クルィエ君が口惜しそうに女性に使用してはいけない類の言葉を吐く。私も思わず傾きそうになってしまった。

「クルィエ君、彼女は?」
「天界国防省副長官殿だ。天界軍のNo2さ。俺達兵士にとっては雲の上の存在ってやつだ」
「君の上司というわけか」
「ああ、最悪のな……あいつが面白半分に立てた作戦の所為で、どれだけの兵が無駄死にした事か……」

 なるほど、どこの軍隊にも存在する『恨まれる上官』というわけか。しかも、それはどうやら偏見や誤解では無いらしい。

「ふふふ、兵士に死に場所を与えるのが、上官の勤めですわ」

 そして、彼女はその評価を笑って受け入れているのだ――厄介な事に。

「君がかすみ君を操って、一連の騒動を巻き起こしたのかね」
「基本的にはその通りですわ。ですが勘違いなさらないように。私は彼女の潜在意識を少し『押した』だけです。これらの行為は彼女が心の奥で望んでいた事ですわ。私はそこに方向を指し示しただけ……」

 ……なるほど、確かに『最悪』だ。

「それにしても、如何に神族や鬼族の手助けがあったとはいえ、こうも鮮やかに私の作戦を妨害してくれるとは、実に見事ですわ。地球人類の軍勢も引き返してしまいましたし……まったく、困った事をしてくれますわね。あの地球人類の軍勢こそが、対超高位存在への本命でしたのに。予定が大幅に狂ってしまいましたわ」

 言葉とは裏腹に、フロラレス君は全く悔しそうに見えないぞ。
 だが、彼女の発言には興味深い点がある。地球人類の戦力をいくらぶつけようとも、魔界大帝達には触れる事もできない筈だが……ふむ。

「推測だが、地球人類の戦力でも魔界大帝や大聖に対応できる仕掛けがあったという事かね」
「正解ですわ。もっとも、それはもう失われてしまいましたが」

 そして、次に見せた笑顔こそが、目の前の氷の魔女が見せた最も恐ろしい笑いだった。

「仕方がありませんわ。第4の――最後の“切り札”を使わせてもらいますわ」

 その刹那――世界は凍結した。それが形容表現ならどんなに良かったか。
 視界のありとあらゆる物体が灰色に染色されたのだ。例外は我々とフロラレス君だけである。確かめるまでもなく、これは世界凍結の術だろう。だが、降り続く雪の結晶は一瞬も停滞していない。時間だけを分離した世界凍結の術だろうと推測する。

「あ、あれはぁ!?」

 あすみ君の悲鳴に近い叫び声を聞くまでも無く、我々は一斉に“それ”を確認した。そう、見てしまったのだ。
 腹黒氏の敷地がある方向に、我々のいる場所からでもはっきりと認識できる巨体を誇る、漆黒の魔獣要塞の如き魔界大帝クリシュファルス君に、青い聖龍大聖こと樹羅夢姫君、他にZEXLが一機側に寄り添っている。ホワイトスネイク型に似ているが、機体色が漆黒でディティールが一部異なっている。カスタム機だろうか。
 だが、我々を驚愕させたのは彼等ではない。その三体の超高位存在に対峙している『それ』こそが、我々を真の意味で絶句させたものなのだ。
 三つ首の西洋竜を連想させるシルエット。巨大な翼を広げて滞空している。腕は無く猛禽のように後ろ足は鋭い。色は赤と銀――そんな要素を持つ“機械”だ。
 あれは――まさか、ZEXLなのか?
 そして、我々は信じ難い光景を目撃した。
 三つ首竜のZEXLが、一瞬にして三体の超高位存在を打ち伏せ、撃墜し、叩きのめすという光景を!!
 ばかな……現在進行形で目撃しても信じ難い。これは世界の法則に対する冒涜だ。
 世界最大最強最高の超高位存在達を……あのZEXLが一瞬で倒した!?

「……冗談だろ……おい……」
『なんという光景であるか……』
「うわぁ、怪獣プロレスですぅ!!」
「あらあらあらあら……これは非常にとってもまーべらす大変ですですです!!!」

 驚愕の声を洩らす我々を見て、フロラレス君の氷の笑みは満足そうだった。私など声も出せない。
 やがて、天空の彼方から天界軍の巨大次元戦艦が地上に降下して、呆然とする我々が見上げる中、動かない三体の超高位存在を手早く格納し、再び天空の彼方へ消えていった……

「――さて、これで今回の作戦は無事完了しました」

 フロラレス君の笑顔に短いノイズが走る。どうやら、残留思念が消えかかっているらしい。

「地球の皆様には御迷惑をおかけしました。心よりお詫びしますわ。ですが、もう貴方達は超高位存在の脅威に晒される事は無いのです。御安心してくださいな」

 この発言は、我々だけではなく地球人類全体に送られたものなのだろう。そして、再び我々に向き合うと、

「これで我々は失礼しますわ。さて、アヴァロン・クルィエ少佐……貴官の事は見なかった事にします。軍の事は忘れて、自然保護区域監察官にみつからない様に、平穏な余生を送ってくださいな」

 慈愛に満ちた言葉をかけてくれたのだ。
 ――だが、

「そちらの鬼族の方も同様に、特に自然保護区域にいらっしゃる件を問うつもりはないので御安心を」

 その一言で、私は彼女の真の意図を読み取れた。
 これは……極めてまずい状況だ。ビルの内部で砲弾を掻い潜っていた時が天国に思えるぞ。正真正銘の“最悪”というやつだろう。

「お願いしますです。クリさん達を連れて行かないで下さいです」

 突然、セリナ君が瓦礫の上で土下座したが、フロラレス君はそれを冷たく見下していた。どうやら、彼女の本性はこの辺りにありそうだ。
 やがて、彼女のセリナ君を見下ろす視線に危険な冷気を感じた私は、

「ところで、かすみ君の魂を奪ったのは君かね?」

 思わず、そう口走ってしまった。あすみ君がはっとしたように私とフロラレス君の顔を交互に見る。この件は確証が持てなかったので、まだ話すつもりはなかったのだが……

「本当ですかぁ!?」
「彼女の魂は少々興味深いですね。どうやら潜在存在レベルの特殊処理が成されている様です。天界軍を引き返させる代償として、私が頂きましょう」

 あすみ君の顔色がみるみる青くなった。対照的に、フロラレス君の姿は徐々にかすれていく。もう潜在意識が消えかかっているのだろう。

「だめですぅ!!お姉ちゃんを返してぇ!!!」
「あら、彼女の犠牲のお陰でこの星は救われるのですよ。こうした行為がこの世界では『美談』として語り継がれるのではなかったですか?」

 最後に、最大級の冷酷な嘲笑を残して、フロラレス君の姿は消滅した……

「うわぁあああああああん!!!」

 宇宙が凍りついたような重苦しい空気の中、あすみ君の鳴き声だけが響き渡る。つい先程までの勝利の余韻など、もうどこにも残っていなかった。
 やれやれ、まさかこんな終わり方になるとは。事態が私の予想を超えていた事は素直に認めるとしよう。
 しかし――まだエンディングを迎えるには早いらしい。
 静かにあすみ君の背中を撫でていたセリナ君が、ふと気付くと目の前で私を見上げていたのだ。その動きが全く認識できなかった事よりも、そのタレ目の奥の輝きの美しさに私は怯んだ。
 あの氷の魔女と対峙した時も、表面上は平静を保っていた私が、思わず後退ったのである。

「お願いがありますです。クリさん達を、かすみさんの魂を、皆さんを助けたいのです。手伝って頂けないでしょうか……です」

 躊躇いも無く頭を大地に擦り付ける彼女の姿を見て、私は当惑に包まれた。
 1つの疑念が、核心になりつつあったのだ。
 これは……いや、しかし……

「姉ちゃん、諦めな。こいつはもう俺達の手におえるレベルじゃねぇよ」
『今回は我もその男に同意する。むしろこの程度の犠牲で済んだ事を喜ぶべきであろうぞ』
「そ、そんなぁ……」

 クルィエ君と真沙羅君の悲観的な意見にも、あすみ君は強く反論できないようだった。当然だろう。
 世界最強の次元艦隊『鉄神兵団』に、魔界大帝と大聖をも一撃で倒す謎のZEXL。そして天界軍国防省副長官――これらを相手にするなど、如何な誇大妄想狂でも想像すら不可能だ。私は断言する。絶対の確信を持って断言できる。
 それに、セリナ君やあすみ君は誤解しているようだが、私はそれほど善人というわけでもない。
 幾多の次元を渡り悠久の時を過ごして来た私の人生には、他者に知られれば罵声と石を投げられるような事も数多くこなしてきた。言い訳はしない。それが如何に邪悪な行為だと理解していても、己の『欲望』には絶対に逆らう事ができない――それが“鬼族”なのだから。
 唯一、私の心を常に激しい後悔で責めるのは、100億年前に試行したある『実験』だ。
 当時、天界で軍事兵器開発に勤しんでいた私は、ある素体を改造して最強の生体兵器を完成させた。
 そして、その結果――
 ああ、私は自分自身を永遠に最大の憎悪で呪い続けるだろう。
 なぜ私は、最高の素質を持っているというだけの理由で、あの可憐な少女を切り刻んでしまったのだろうか――
 そう、私は世界最高の知性の所有者であると自称していても、ことにモラルに関してはセリナ君の期待にそえる人物ではないのだ。私は断言する。絶対の確信を持って断言できる。
 だが――

「ふむ……」

 私の口から出た言葉は――

「では、セリナ君。私の家庭教師採用の件を取り繕ってくれるかね?」
「……はいです。もちろんです!!」

 ……言ってしまったのだ。この私が。

「おい……マジかよ!?」
『何を考えておるのだ?』
「佐藤さん……ステキですぅ」

 クルィエ君と真沙羅君は、私の発言に驚愕――というより、あきれ果ててしまったようだ。あすみ君だけが、キラキラした瞳で私を見上げてくれる。
 私は軽く頭を振って、冷たい空気を肺一杯に吸い込んだ。こうなったら、とことんやってしまおう。

「任せておきたまえ。私がなぜ“鬼神教授”と呼ばれているのか、実地でもって教えてあげよう」
「御協力ありがとうございますです……あ、特別さーびすで例の私とのSEXの件も成功報酬に付けちゃいますですよ」
「成功報酬という点が少々気にかかるが、楽しみにしておこう」

 セリナ君の最高の笑顔を見て、私はこの決断があながち損では無いような気がしてきた。ふっふっふっふっふ。

「…………」
『…………』
「…………」

 む、気のせいか3人の視線が周囲の大気よりも冷たくなったような……まぁ、気にしないようにしよう。うむ。
 私はできるだけ爽やかな笑みを浮かべた。クルィエ君が怪物でも見るような表情になっている気がするが、これも気にしない事にしよう。

「……と、いうわけでクルィエ君。お互い頑張ろう」
「ちょっと待て!!なぜ俺まで!?」
「考えてみたまえ、クルィエ君……」

 私は自分の考えを簡潔ながら正確に語った。
 あの女――フロラレス君が、事件の当事者である我々をこのまま放っておく可能性は極めて低い。口では都合の良い事を語っていたが、証拠隠滅の為に我々の口を封じようとするのはほぼ間違いないだろう。おそらく、この地球ごと消し去るつもりではないか――
 そう、私は何も美女の色香に惑わされただけで、無謀な決断をしたわけではないのだ。

「……そういうわけだ。我々が生き延びるには、奴等に立ち向かうしかない」
「いや、それなら俺はZEXLでとっとと別の世界へ逃げればいいだけなんだが……」
「プラス100円ですぅ」

 私とクルィエ君は、全く同時に声の主に振り向いた。
 あすみ君が、どこか小悪魔的な笑顔で人差し指を立てている。

「お姉ちゃんの救出に協力してくれるならぁ、お給料プラス100円ですぅ」

 クルィエ君は何かぶつぶつと呟きながら頭を掻き毟り、やがて足元の瓦礫を思いっきり蹴り飛ばすや、

「わーったよ!!やりゃいいんだろ、やりゃあ!!!」

 世界の全てに絶望するような響きで、そう喚き散らしてくれたのだ。

「協力に感謝するよ。クルィエ君」
「やっぱり俺に美女は鬼門だ……決めた。この件が終わったらもう二度と美女には近付かないようにしよう……」

 いや、何も泣かなくても……
 さて、残るは――

「あすみ君、真沙羅君、君達はどうするかね?」
「もちろんですぅ!!お姉ちゃんを助けて恩を売ってやるんですぅ!!」
『……正気ですか!?主よ!!』

 案の定な返答だった。

「では、決まりかな」
「おいおい、正気かよ。相手は地球人類に何とかできる相手じゃないぜ?」
「地球人類だからできるという事もあるのだよ。クルィエ君」

 私は髪に隠れた角を爪で軽く引っ掻いた。
 何も正面から戦うという訳ではない。というより、正面からでは絶対に我々が勝利する事は不可能だと言えるだろう。
 しかし、戦いは戦力だけでは決まらない。
 重要なのは勝機と作戦、そして――

「ここだ」

 頭を指でノックして、私は片目を瞑って見せた。
 だが、クルィエ君はまだ不満そうではある。

「あんたに何か考えがあるのはわかったが、最低限の戦力も無ければ何もできないぜ?いくらなんでも俺のトライゴンだけじゃ……」
「仕方ない、ここは私の船を使おう」
「船?……次元航行船でも持ってるのか?」
「2万年前、私がこの星に降りた時に乗っていた船だがね。今ここに出して見よう。クルィエ君、世界凍結の術を頼む」

 自分でやれと文句を言いながら、クルィエ君の片目が青く輝いた。口の中で呪文を詠唱しながら、指をスナップさせると――

「わぁ、またみんな灰色モノトーン1色ですぅ」
「容量が少なくて済みそうですね」

 再び、世界凍結の術が発動した。うむ、これで私の船“達”を次元の間から取り出す事ができる。
 私は『スイッチを入れた』。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 空間そのものに響くような振動が、凍結された世界全体に鳴り響いた。クルィエ君が術を維持したまま周囲を見渡し、あすみ君が心配そうに真沙羅君を胸に抱く。平然としているのはセリナ君だけだが、これは豪胆なのではなく何も考えていないからだろう。

「おい……あんた、何を出そうと――」
「出るよ」
「――!!」

 その一瞬、真紅の輝きが世界に満ちて――次の瞬間、我々の上空に私の船達が整然と並んでいた。うむ、上手くいって良かった。

「……おい、おっさん」

 クルィエ君が口をあんぐりと開けながら、器用に私に語りかけてきた。

「これが、あんたの船か?」
「うむ、どれも久しくメンテナンスもしていない年寄りだがね。無事動いて私も安心したよ」
「あのな……あれは船じゃねぇ!!次元艦隊って言うんだ!!!」

 まぁ、そうとも言う。
 そう、大空全てを覆いつくさんと降臨しているのは、数十隻の次元戦艦なのである。
 数瞬の驚きから冷めると、次に彼は激昂したようだ。

「なんでアンタが次元艦隊なんて持っているんだ!?」
「それなりに長生きすれば、まぁ、これくらいは」
「んなわけねぇだろ!!」
「まぁまぁ、冷静になりたまえ。彼女達に笑われるよ」
「うわぁースゴイですぅ!!」
「これでリアル銀英伝がすたーうぉーずでとれっくなのですね」

 セリナ君とあすみ君は馬鹿のよう――こほん、無邪気に空を仰いで喜んでいる。その姿を呆然と見て、クルィエ君は力無く項垂れた。もう、どうにでもなれといった心境らしいが、戦いの前にそれは困る。出発前に立ち直ってくれる事を期待しよう。

「では、救出作戦に向う準備をしよう。セリナ君、弁当を大量に頼むよ」

 ――正直、この次元艦隊をもってしても、あの名実共に“不敗”の名を欲しい侭にしている最強艦隊『鉄神兵団』を相手にしては勝算は極めて少ない。それ以前に、あの謎のZEXLを相手にしては鎧袖一触される事は間違い無いだろう。彼等の前では自身満々な態度ではいるが、それは半ば意識的にしているものだ。それほど有功的な策があるわけでもない。
 しかし――

「わかりましたです。満漢全席を1000人分くらい作っておきますですね。10分ほどお待ち下さいです。あすみさん手伝って頂けませんでしょうか?です」
「うん!!美味しいご飯をたくさん作りましょうですぅ〜!!」
『女よ、命が惜しければ我が主に料理は作らせない方が良い。物理的に頬が落ちるぞ。腐ってな』
「ましゃらちゃんヒドイですぅ!!」
「あらあら……です」

 しかし、彼女達の笑顔を見ると、なぜか全てが上手くいくような気がしてならない。それが私の最も唾棄すべき非論理的な予感であったとしてもだ。
 なぁに、誰にも非の打ち所が無いくらい上手くやってみせようじゃないか。
 そう、この私――“鬼神教授”の名にかけて。


 どくん!!


 犯っちまえばいいんだよ。

 ……また君か。

 そう、殺っちまえばいい。

 黙りたまえ。まだ君の出る幕では無い。
 それに、君にセリナ君を渡す気は無い。

 彼女は私の――“獲物”だ。

・・・・・TO BE CONTINUED

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