鈴にゃんの冒険

『セリナの世界最後の平穏な日々』

外伝2






































 ――蒼い満月の支配する夜空――

 その夜、特に赤子の死産が多かった。
 きっと偶然だろう。

 その夜、婦女暴行事件が過去最高の件数を記録した。
 きっと偶然だろう。

 その夜、生活に疲れた夫が妻や子供をバットで殴り殺す悲鳴があちこちで聞こえた。
 きっと偶然だろう。

 その夜、国際的犯罪組織『ヒュドラ』がある魔人の再生計画を発動した。
 きっと偶然だろう。

 その夜、世界を滅ぼす力を持つ悪魔が地上に降臨した。
 きっと偶然だろう。

 その夜は、冷たく蒼い満月の夜だった。
 それが原因だったのかもしれない。

 偉大なる獣王の遺児――
 虐げられしモノの悲しみが怒りに変わり――
 その時、人という種は自分達が『万物の霊長』では無い事を、身をもって思い知る事になる――

 ケモノの咆哮が、蒼い月に轟いた。





































「うにゃ〜〜〜ん♪」





































『鈴にゃんの冒険』





































Part1

『ジュウキオウ コントンオウ マジンオウ インマオウナルワラメニアフコト』





































 私、ベルクリアス・コーマは、なぜ自分がこんな所にいるのかよく理解できませんでした。
 季節は初夏ぐらいでしょうか。日差しはまぶしいけれど、真上までは昇っていません。まだまだ暑くなりそうです。
 おかげで、全裸でもあまり寒くないのはありがたいですが。
 でも、周囲の視線がとっても痛いです。
 ここはこの世界の現地種族の集落でしょう。石や鉄で構成された街並みから、それなりの文明レベルを持つ種族だとわかります。
 自分の種族――悪魔族とは比べ物にならないですけど。
 でも、とっさに『転写変身』の術が使えてよかった。今の私は、現地種族とほとんど変わらない姿になっているはず……でも、周りの現地住民達は、みんな私を指差したりヒソヒソ小声で話したりしています。
 やっぱり、変身魔法に失敗してしまったのでしょうか。
 子供の頃から――今でも初等部の学生ですけど――あまり成績はよくなかったです。
 特に、あの御方が入学されてから、ますます悪くなったのは確実。
 休み時間はもちろん、授業中もずっとあの御方の横顔に見惚れているのですから……
 あの御方の事を考えただけで、胸の奥が熱くなります。
 黒光りする巨体、うねくる数百本の触手、脈動する暗黒の瘴気――全てが美しく、可愛らしいです。
 ……でも、殿方なのに女の私よりも可愛いのはちょっとだけズルイと思います……
 はっ……そんな事考えちゃダメです。何て恐れ多い事を!!
 あの御方は、我等が悪魔族の偉大なる支配者――“魔界大帝”様なのですから。
 でも……私の内なる思いを誤魔化す事もできません。
 少しぶっきらぼうだけど、落ちこぼれの私にも親切にして下さるあの御方。
 いじめられていた私を、身をもって助けて下さったあの御方。
 私は、悪魔族の中でも最も恋多い“淫魔族”ですけど、この思いだけは本物なのですから……

「――何だか訳有りみてぇだが、ちょっと付き合ってもらおうか」

 はっ
 また白昼夢に浸っていたみたいです。我に返ると、現地種族の男性達が私の周りを取り囲んで、1人が私の手を掴んでいました。ちょっと怖そうな人達です。

「ポリ公が来る前に、とっとと連れ込んじまおうぜ」
「裏通りの路地裏でいいか。あそこなら誰も来ねぇ」

 嫌な相談をしています。
 私も(おちこぼれですが)淫魔族です。この人達が何を考えているのかわかります。でも、それだけはダメです。“契約”もしないで異世界の人達と“淫魔接触”するのは犯罪なのです。私、悪い子になってしまいます。
 それに――こんな事を考えるから、私はおちこぼれなのですが――あの御方以外の殿方となんて……嫌です!!
 私は抵抗しようとしました。
 ですが、現地種族の人に悪魔族の力を振るう事はできません。それも犯罪なのです。私、悪い子になってしまいます。
 ああ、どうすればいいのでしょうか。
 おどおどしている内に、私は路地裏に運ばれてしまいました……
 誰か……誰か、助けてください……
 魔界大帝さまぁ……!!



※※※※※※※※※※※※※



「それでは、ひよりんの全国女子中学生薙刀選手権優勝を祝して!!」

 一斉に、缶ジュースのプルタグがプシュっと押し開けられる。

「「「かんぱーい!!」」」

 3つの缶ジュースが、初夏の青空にかかげられた。
 とある私立中学校の前にある、駄菓子屋の前――そこに、生徒らしい3人の少女が集っていた。
 どうやら、その内1人の優勝祝賀会を開いているらしいが、場所といい缶ジュースだけの祝賀内容といい、今時の中学生にしては安っぽいかもしれない。
 でも、3人の少女の笑顔には、一片の曇りも無かった。それだけで、どんなに豪華な祝賀パーティーも霞んでしまうだろう。
 それだけではない――
 ――3人は、とびきり可愛い美少女達なのである。こんな女の子が談笑しているだけで、殺風景な駄菓子屋が色取り取りの花畑に転じたようだった。

「それにしても、全国大会優勝されるなんてぇ……ひよりんさんは本当のホントにすごいですねぇ」

 感激のあまり、温和そうな糸目を大きく見開いて、少女漫画チックにキラキラさせている美少女は――少々変わった格好をしていた。
 服装自体におかしな部分は無い。でも、かなり場違いかもしれなかった。
 如何なる邪念の色にも染まらない、純粋な黒の僧衣――カトリック系のシスターの衣装を纏っているのである。場所が場所なら何かのコスプレと勘違いされそうだ。しかし、胸のロザリオの輝きが、彼女が本物のシスター(見習いだけど)である事を表していた。中学生にしては背も高く、体付きも華奢ながら出る所はしっかり自己主張している。メンバーの母親的な役割がよく似合い、実際そんな立場なのだろう。

「ふふふふふ……そんなはっきりと本当の事を言われますと照れますね」

 ちょっぴり釣り気味な切れ長の瞳をつむりながら、ひよりんと呼ばれる黒髪ショートカットの美少女が、上品な仕草で口元に掌を当てる。
 彼女も少々変わった格好をしているが、これは十分に納得がいく。凛々しく雅な上衣袴の武道着姿は、華麗な女武術家の証だ。中学の部活動なら、この衣装も違和感無いだろう。肩に持つ袋に入れた獲物の長大さと先程の会話から、彼女が薙刀使いである事は間違い無い。手首に真鍮製の無骨な鈴をブレスレットのように付けているのは、何かのアクセサリーだろうか。
 それにしても――会話の内容をそのまま信じるならば――全国大会優勝とは。
 そのスマートな体付きとは裏腹に、相当な実力の持ち主であるらしい。その実績に相応しく、凛とした上品な雰囲気の美少女だった。どこか名門貴族の血でも引いているのかもしれない。
 ……その袴姿の所々に、よく見るとほつれを直した後がビンボー臭く見え隠れしているけどね……

 そして、真打ち――

「というわけで、もう一度完敗だにゃ!!」
「……負けてどうするのですか」
「わかりにくいボケですねぇ」
「あうあうにゃ……」

 首元のチョーカーに付けられた鈴が、チリリンと鳴いた。
 一瞬、お尻の陰からぴょこんとシッポが飛び出したように見えたのは、初夏の陽気の所為だろうか。

 初夏――
 そう、初夏の透明な輝く空気――
 この輝きをネコ――もとい、人の形に集めれば、こんな少女が生まれるのかもしれない。

 いきなりボケに激しい突っ込みをされて、タジタジになっているのは最後の美少女――ショートパンツにリュックを担いだ、『元気』という単語を具現化したような健康的美少女だ。

 初夏の生んだ妖精――

 くりくりと大きな瞳がよく動き、山型にアップされた蒼い前髪が、まるでネコミミのように見える。実際、その仕草や雰囲気はどこかネコっぽかった。俗に言う『人類ネコ科』な女の子なのだろう。
 一目見れば、誰もが口元をほころばせるような少女だった。

「ふふふ……」

 朗らかで温厚な糸目のシスター。

「くすくす……」

 凛々しく高潔な釣り目の袴少女。

「そんなに笑わないでよぉ〜」

 元気でお茶目なネコ目のネコ娘。
 
 三者三様の異なる雰囲気を持ちながら、お互いが何も足さずに何も引かない。今時珍しいくらい、強く純粋な絆で結ばれた者達であった。
 『女同士の友情など存在しない』という格言があるが、この少女達を見れば誰もがそれを否定するだろう。

「そんな事無いにゃ〜みんな突っ込み厳しくてイジワルだよ〜!!」

 ジタバタ暴れる鈴奈を、2人の優しい視線がイジワルに見守っていた……

 ――さて、それはさておき……

「……そ、それはさておいてぇ!!これでひよりんも旅行に行けるんだよね!?」
「ふむ、大会が終わればしばらく部活も無いです。会社も夏季休暇が取れました。それに――」

 じゃじゃーんと芝居がかった仕草で、袴少女は胸元から『賞』と書かれた封筒を取り出した。

「優勝賞金5万円!!」
「スゴイにゃ〜!!ビルも買えるお金だにゃ!!」
「買えませんよぉ」
「ふふふふふ……当然の結果です」
「これだけあれば、1泊じゃなくて3泊ぐらいできそうだにゃ」
「近場ではなくて、観光地も回れそうですねぇ」
「ふふふふふ……って、あなた達、まさかこの賞金を旅費に使おうなどと……」

 袴少女の額にイヤな汗が浮かんだ。

「だって〜孤児院ってお小遣い少ないんだもん〜全部使っちゃったにゃ〜」
「私も教会に居候の立場ですからぁ、生活費を無断で使用するわけにはいかないのですよぉ。マザーに御迷惑をかけてしまいますぅ」

 ウルウルと涙を浮かべながら足元にしがみ付く2人に、

「あー!!わかりましたよ!!この賞金は旅行の経費に使わせてもらいます!!」

 袴少女は悲鳴に近い承認の言葉を洩らした。

(あああ……せっかく今月はお家賃を払えると思っていたのに……今夜は肉の入ったカレーを食べられると思っていたのに……)

 2人に見られないように、天を仰ぎながらシクシク涙を流すひよりんであった。
 でも――

「えへへ〜♪ありがとにゃ!!」

 でも、あのネコ少女の無邪気な笑顔を見ると、それでも良いかという気分になってしまうのが不思議だ。
 ――生まれつき人を引きつけて止まない“魅力”――
 そんな不思議な空気のようなものを、彼女は持っていた。

「いよいよ夏休みウルトラスーパーグレイトワンダフリャ旅行の発動だにゃ〜!!!」
「元気ですね、鈴にゃんは」

 袴少女――ひよりんが口元をほころばせて。

「元気元気!!私はいつでも元気だにゃ〜!!ね、りんちゃん」

 ネコ娘――鈴にゃんが笑い。

「えぇ、孤児院の頃から鈴にゃんさんは元気でしたねぇ」

 シスター見習い――りんちゃんが微笑む。

 初夏の日差しは、どこまでも透明だ――


 中学校が夏休みに突入して1週間――まだまだ宿題の心配も必要無い。今頃が一番楽しい時期だろう。

 『夏休みになったら、みんなで旅行にいこう!!』

 近頃の中学生にしては少々地味かも知れないが、仲良し3人組の間で、そんな計画が立つのもごく自然な事だ。
 でも、重大な問題が1つだけあった。
 時間の都合は大変だったけど、何とか確保する事ができた。孤児院で生まれ育った鈴にゃんは、年長組として子供達の世話で毎日汗を流しているし、シスター見習いのりんちゃんは、神に仕える日々を過ごしている。ひよりんは何と退魔師の資格を持っており、生活費を稼ぐ為に民間退魔企業でアルバイトに精を出していた。
 それぞれけっこう忙しい毎日を過ごしているのである。それだけに、今回の旅行は皆にとって何よりも楽しみであった。
 問題というのは――旅費の事だ。
 孤児院生活の鈴にゃんは言うまでも無く、まっとうなカトリック教徒であるりんちゃんの生活は質素そのものだし、ひよりんはこの歳でアルバイトをしている事からわかるように、実家はかなりのビンボーなのだ。
 旅行といっても、近場の日本海で海水浴が関の山かな……と考えていた矢先に、この優勝賞金5万円の臨時収入!!
 一気に旅行先のレパートリーが増えた事で、鈴にゃん達は旅行話に花を咲かせる事になった。
 だから――
 旅行計画に夢中になっていた3人娘が、うっかり普段の帰り道から外れてしまい、人気の少ない路地裏に踏み込んでしまった事も無理の無い偶然だったのかもしれない。

 ――それに、何らかの意志の介在が無かったら――

「にゃ!?」

 ぴょこん、と鈴にゃんのネコ耳――もとい、髪のアップが跳ね立った。背伸びしながら辺りをキョロキョロ見回しはじめる。

「なにか?」
「どうされたのですかぁ?」
「今、絹を裂くようなか弱い美女の悲鳴が聞こえたのにゃ!!」

 りんちゃんとひよりんは顔を見合わせた。そんな悲鳴なんて欠片も聞こえなかったのだ。

「……こっちにゃ!!早く!!急いで!!びーだっしゅで!!」

 とてててて〜っと路地裏の奥に駆けて行く親友の後姿を見て、

「鈴にゃんさん、どうされたのでしょうかぁ?」
「あの子の言動に振り回されるのはいつもの事です。行きましょう」

 溜息吐き吐き、2人は鈴にゃんの後を追った――



※※※※※※※※※※※※※



「きゃあああああああああ!!」
「へっ、いくら叫んでも誰も来やしねぇよ」
「そうでありんすか、じゃあ止めますぇ」
「…………」

 どんな近代的な都市にも『真空地帯』とでも言うべき、人間の意志が及ばない場所が存在する。
 古くは怪談、現代では都市伝説の発祥の地であり、人の支配する領域の中にも『魔』の存在が確実に食いこんでいる証拠と言えるだろう。
 たとえば――
 空襲で焼け落ちた筈の民家が、いまだ健在する裏通り。
 ある筈の無い病院の4号室。
 新月の夜だけ開店する、入れば2度と出られない見世物小屋。
 死んだ思い人の顔が写る、あるビルの窓ガラス。
 そして、この街の場合は――

「この裏路地はな、なぜか外から見る事ができねぇんだ。路地で爆弾が爆発しても音1つ漏れねぇ。近所の住民でもここの存在を知っている奴は少ねぇくれぇだ。誰も助けなんざ来ねぇよ」
「何やら説明的な台詞でありんすね」
「う、うるせぇ!!」

 薄暗く、湿っぽく、陰鬱な裏路地に、十数人の人影が蠢いていた。
 一目でその筋の者とわかる、凶暴そうな男達。彼等がたった1人の女性を押さえつけているのだ。
 陵辱の宴が始まる寸前の構図――だが、その女性は常人とは違った外見をしていた。
 まず、一糸纏わぬ全裸の姿――欲情にぎらついた男達の目を見れば、この格好も当然だと思えるかもしれないが、彼女は男達に捕まる前から全裸だったのである。また、彼女には全裸の自分を恥じる仕草は何も無かった。精神に異常があるか、露出狂なのか……しかし、彼女の瞳には狂気の光など存在しないように見える。
 次に、明らかに普通の人間とは違う点が1つ――艶やかな肌と髪の色が青白い。これは形容では無く、色覚的に青白いのである。
 白雲に溶ける初夏の青空を連想させる青白さだ。
 直立しても床に届くほど長い髪は肌より若干青が濃く、濡れた唇と長い爪は真青に近いという濃淡の違いはあるが、いずれにしてもこんな体色の人類がいる筈が無い。
 そして、ある意味もっとも人間とかけ離れた要素――それは『美しさ』だった。
 何と美しく、艶やかな色気に満ちた女か。
 一目見れば、餓死して果てるまで見惚れ続けるだろう美貌。
 男の欲望と女の理想が具現化したようなプロポーション。
 年齢はよくわからない。肌の柔らかさは赤子のようで、張りは十代のものだろう。だが、この妖しい艶やかさは十代二十代の小娘には絶対に出せない。それらの矛盾は身体を構成する全ての個所に言えた。
 しかし、年齢などどうでもいい。そんな些細な点など意識の端にも昇らないほどの美しさ、そして色香なのだ。
 匂い立つ色気と言うが、彼女の場合は側にいるだけで、身体中を直接弄られる錯覚に身悶えしてしまう。現に男達は見ているだけで勃起し、たまらず洩らしている者さえいた。
 今回ばかりは、強姦されようとしている彼女に同情する者はいないだろう。
 ここまで美しく、淫猥な色気に満ちた女ならば、襲わない方がどうかしている。あらゆる常識やモラルを破壊する力を、その肢体は放出していた。

「あのう、わっちは一応四大種族なんで、地球の現地住民と交流するのはできんせんのでありんすぇ。勘弁してくんなまし」
「うるせぇな、大人しく犯られろよ」
「そんな格好で説得力無いぜ」
「ああ、わっち悪い子になってしまいんすぇ」

 ――それなのに、その仕草はどこか子供っぽかった。脳が痺れるくらい色っぽい声なのに口調はどこか舌足らずで、おどおどした動作は男を誘うものでは無く、本気で嫌がっているらしい。
 皮肉にも、それが一層男達の獣欲をそそらせるのだ。

「どなたか助けてくんなましー!!」
「へっ……だから誰も助けになんか来ねぇって――」

 ああ、謎の美女絶体絶命!!
 と、その瞬間――

(にゃはははははははははははははは……)

 そーとー調子っ外れた笑い声が、路地裏に反響した。

(にゃははははははげふごふん!!)
(大丈夫ですかぁ)
(はい、水)
(ぜーぜーごくごく……ぷはっ……にゃははははははって、みんなもちゃんと笑ってよぉ〜)
(……本気だったのですか?)
(とっても恥ずかしいのですがぁ)
(いいから早く!!さんはいっ!!)
(……はは……ははははは……はぁ)
(はぁ〜はぁ〜はぁ〜はぁ〜はぁ〜はぁ〜はぁ〜)

 男達と美女の視線が、路地裏の入り口に集中する。
 笑い声の発生源は、入り口の影にいた。どうやら上手く隠れているつもりらしいが、日向から伸びる影が、思いっきり3人の姿を地面に投影している……

(にゃははははははははは……)
(……ははは……はは……ははははは)
(はぁ〜はぁ〜はぁ〜はぁ〜はぁ〜)

 自分達の居場所が思いっきりバレてるのも露知らず、3人娘の高笑いはまだ続いていた。
 しばらくあっけに取られた男達だが、

「誰だ手前ぇ!!出て来やがれ!!」

 さすがに無視するわけにもいかず、一応、怒鳴りつけてみた。このまま放っておくと、延々と笑い続けるような気もするし。

「にゃはは……ぜいぜい、やっと呼びかけてくれたにゃ……こほん……天が呼ぶ!!地が呼ぶ!!人が呼ぶ!!ネコも呼ぶ!!」
「…………」
「ほらぁ、ひよりん次の台詞!!」
「……あ、悪を倒せと私達を呼ぶ……」
「えーとぉ、誰が呼んだかぁ…………続き何でしたかぁ?」
「正義の味方!!」
「そうでしたぁ……誰が呼んだか正義の味方ぁ」
「その名も!!……よいしょ、よいしょ……ちょ、ちょっとお尻持ち上げてにゃ……」
「…………」

 どうやら塀の上に登ろうとしているらしく、ジタバタ動かす手足が塀の向こう側に見え隠れしている。

 どっし〜ん

「う゛にゃ!!……みんなちゃんと支えてよ〜!!」
「……はいはい」
「もう一度チャレンジですぅ」

 ちなみに、塀の高さは2m程度である。
 ――5分後。

「ぜぇぜぇぜぇぜぇ……正義のスーパーヒロイン1号!!通称“すずにゃん”こと、“三池 鈴奈(みいけ すずな)”!!!」

 ようやく塀の上に登れた蒼い髪のネコ娘――三池 鈴奈は、ふらつきながらも何とかビシッと決めポーズを取った。名乗りと同時に背後で爆発が起こりそうな決めポーズだ。
 続けて――

「……正義のスーパーヒロイン2号らしいです……“ひよりん”こと、“仙洞寺 日和(せんとうじ ひより)”」

 袴姿の女武道家――仙洞寺 日和は、薙刀を棒高跳びの要領で上手く使い、軽々と塀の上に飛び乗った。頬を引きつらせながら小声で名乗り、申し訳程度にポーズを取る。
 最後に――

「ええとぉ、正義のスーパーヒロイン3号ですぅ……“りんちゃん”こと、“道野 リン(みちの りん)”と申しますぅ。よろしくお願いしますぅ」

 こちらもあっさりと、糸目のシスター見習い――道野 リンは、塀の上に登った。男達を見まわして、深々と御辞儀する。

(……ん?)

 最後の見習いシスターを見た時、男の1人が違和感に包まれた。
 塀の高さは約2m――なのに、あの娘は手も使わず、階段を上るように『一跨ぎで』塀の上に登ったように見えたのである。
 目の錯覚か――?

「いたいけなお姉さんを無理矢理テゴメにするなんて、エッチゲーム業界は許しても鈴にゃん達は許さない!!大人しくお姉さんを解放してゴメンナサイって謝ってお巡りさんに自首するのにゃ!!」

 しばらく呆然と3人娘を見ていた男達も、その一言で我に返った。再び、悪鬼じみた凶相に転ずる。

「うるせぇぞクソガキ!!手前も犯してやるかァ!!」
「見られちまったら仕方ねぇ、ガキをバラすのも珠にはいいか」

 たちまち、3人の立つ塀を男達が取り囲む。懐から取り出したドスやナイフが不気味に輝いた。目撃者を黙らせるためなら、子供を殺すのも厭わない。そんな連中なのだ。

「そこの小学生どもはブチ殺すとして、シスターの姉ちゃんは美味そうだな……へへへ、俺達に“神の愛”って奴を身体で教えてもらおうか」

 下卑た笑みに男が口元を歪ませる。
 確かに、リンは中学生とは思えない長身と、見事なプロポーションの持ち主だ。高校生に間違えられる事はしょっちゅうで、時には大学生と思われる時もある。そのゆったりとした修道服でも隠しきれない胸元と臀部のふくらみは、男の獣欲をそそらせるには十分に過ぎた。
 一方、小学生と間違えられた『チビ&幼児体型&童顔』のコンビは――

「う゛に゛ゃ〜〜〜!!!」
「……許しません!!」

 ちょっぴり――いや、かなり個人的な怒りを露わにして、日和は軽やかに男達の真中へ飛び降りた!!

「餓鬼ァ!!」
「踏み殺してやらぁ!!」

 凶暴な男達が殺到する――!!

 その瞬間――鈴が鳴いた。
 新月直前の月を形取る、一陣の銀線――

「ぐえぇ!!」
「うぎゃあ!!」
「がはぁ!!」
「げはっ!!」

 中腰で薙刀を振り抜いた体勢の日和――その周囲で、苦痛の絶叫を上げながら男達が地面をのた打ち回っていた。苦しみ悶える男達は、正確に両手首と両足首が砕かれている。競技用の刃を潰した薙刀でなかったら、その四肢は鋭利な断面を見せて吹き飛んでいただろう。
 瞬きにも満たない一瞬――それだけで大の男を4人も大地に沈めたのだ……この少女が!!

「てめぇ!!」

 日和の背後から、長ドスを構えた男が突進する!!

 カッ

 振り向きもせずに、手首の動きだけで地面を擦るように回転した薙刀の柄が、男の長ドスを弾き飛ばした――

「ぐわっ!!」
「ぐえぇ……」

 悲鳴は2つ同時に聞こえた。
 間髪入れずに逆回転した薙刀の柄が、男の脳天を直撃する。同時に、弾き飛ばされた長ドスが別の男の肩に突き刺さったのだ。

「あなた方のような下司どもに、披露するのは甚だ心外ですが……」

 きっと柳眉が釣り上がった。
 肩口から下段に薙刀を構えるその姿――なんと流麗な美しさか。

「仙洞寺流薙刀術の真髄、その身で味わいなさい――!!」



 ドガッ!!

「ぐえぇ!!」

 一撃で顎を砕かれた男が、積み上げたダンボール箱を盛大に巻き込みながら吹き飛ばされた。

「“神の愛”を知りたいならばぁ、安息日に礼拝堂へいらしてくださぁい。神の愛は全ての者に平等ですぅ……でもぉ」

 右手をぷらぷら揺らしながら、リンは静かに微笑んでいる。
 別の男が、驚愕の表情を浮かべて懐から拳銃を取り出す――その距離5m。
 それなのに――

 ボグッ

「がはぁ!!」

 圧し折れた鼻筋から大量の血を撒き散らしながら、男は初めの奴と同じ運命を辿った。

「でもぉ、あなた達には“神の罰”を与える方が先ですねぇ」

 右の拳を突き出した姿勢のまま、リンは糸目をほんの少しだけ開いて見せた。
 そう、男達はリンの拳の一撃で倒されたのである。その細腕のどこにそんなパワーがあるのか、そのパンチ力はヘビー級ボクサーをも上回るだろう。
 いや、それよりも……どうやってあの距離から一撃を与えられたのか?
 その答えは――こうだ。

 バキッ

 ナイフを投げようとした男の鳩尾に拳が食いこむ。その間合いは6m以上。
 腕が伸びていた。
 リンの右腕がゴムのように伸びて、離れた男を直接殴りつけているのである。
 その異様な姿に、さすがに男達は驚愕の表情を浮かべながら後退した。なまじ相手が目を見張るような美少女なだけに、その光景は不気味に非現実的だった。
 あの女――魔物か!?

「そんな目で見ないで下さいよぉ、私ってけっこうナイーブなんですからぁ」

 ぷぅっと頬を膨らませながら、美しき神の代弁者は両腕を十数本に増殖させて、幻惑的に揺り動かして見せた――


 きっかり3分後――

「お、覚えてやがれ!!」

 お決まりの捨てセリフを残しながら、何とか動けた男は、ほうほうの体で裏路地から逃げ出した。

「あのような下司どもは、早急に忘れたいです」
「同感ですぅ」

 汗1つかかずに構えを解いた日和が、てきぱきと薙刀を袋に包む。リンの両腕も、いつのまにか普通の数と長さに戻っていた。
 かろうじて逃げ出せた幸運な男を除く、あの凶悪な男達は――全員、2人の足元に屈していた。全員生きてはいるが、数ヶ月はベットから置き上がる事もできないだろう。こういう時、女は容赦無い。
 それにしても、僅か3分程度で屈強な男達を全滅させるとは――女は見た目で判断できないというが、その範疇を超える凄まじい戦闘力だった。
 恐るべし、仙洞寺 日和――
 恐るべし、道野 リン――

 ……で、

「にゃはははは!!正義は勝つのにゃ!!」

 逃げる男の後姿に、塀の上から堂々とした高笑いを浴びせているのは、ただ見てるだけでな〜んにもしなかった鈴にゃんであった。
 恐るべし、三池 鈴奈――違う意味で。

「…………」
「…………」
「にゃはははは……あの〜、にゃんだか御二人の視線がちょっぴり痛いんですけどにゃ〜」

 冷や汗ふきふき、鈴にゃんは笑顔を引きつらせていたりする。

「御自分だけ高見の見物なんて、ズルっ子虫ですよぉ」
「ええと……こ、これには重大な理由があってにゃ!!」
「塀から降りられなかったとか?」
「うん!!」

 ひゅこぉぉぉぉぉぉぉぉ……
 初夏とは思えない、冷風が吹き抜ける。

「さて、あの女性の無事を確認しましょう」
「そうですねぇ」
「あーん!!下ろしてにゃ〜!!!」



※※※※※※※※※※※※※



「お姉ちゃん大丈夫ですかにゃ!?」

 路地裏の端でうずくまり、頭を抱えて震えている青白い美女に、鈴にゃんはあわてて声をかけた。

「こんなに真っ青になっちゃって!!すっごく怖かったのにゃね……」
「いえ、激しく違うと思いますが」

 幻惑的な青白い体色――何らかの術を施されたのか、あるいは特異体質か人外の血か……いずれにしても常人では無いだろう。退魔師であるひよりんは、その身を案じながらも油断無く身構えていた。

「もぉ、怖い男の人達はいませんんからぁ……お顔を見せてくださぁい」

 母性に溢れた優しいりんちゃんの声に、美女は恐る恐る顔を上げた。
 その瞬間――3人娘は硬直した。
 全身が上気して、下腹部の奥が熱くなる。自分の顔がみるみる赤くなるのがわかった。
 不安そうに上目使いで見上げるその美貌――同性なのに見惚れてしまい、何だかドキドキする……それほどの美しさ、妖艶さなのだ。
 まだ体験した事の無いエッチな感情に、3人の頭の中はフラフラになりそうである。

「……わっちは助かったんでありんすかぇ?」
「え……?」

 3人を正気に戻したのは、その耳慣れない言葉使いと、外見とはかけ離れた口調の幼さであった。

「……ふぇ」

 緊張が解けたのだろう。

「ふぇえええええええええん……!!」

 赤ん坊みたいに泣き出した青白い謎の美女の頭を撫でながら、

(何がどうなったのか全然わからないけど……にゃんだか、ドキドキワクワクの予感だにゃ!!)

 未知なる不安と期待を抱いて、鈴にゃんは胸を躍らせた――



※※※※※※※※※※※※※



 その空間は『白』と『黒』が支配していた。
 無限に広がる何処とも知れぬ暗黒の空間に、白い靄が狭霧の如く漂っている。アカシックレコードの崩壊した『確率の雲』とは、このような光景なのかもしれない。
 酷く朧気で、儚く、曖昧で、切ない空間だった。
 時が凍結した場所――そこに、如何なる変化も有り得ない……

「さて……」

 ……有り得ない筈のモノがいた。
 何時からここにいたのだろう。この空間が生まれる前から存在していたのかもしれない。
 紫色の詰襟と同色のズボンが似合う、小粋な男だった。髪も瞳も周囲の闇に解け込むように黒い。東洋系のすっきりとした顔立ちだ。
 如何なる理由で、男はこの空間にいるのだろうか?
 すぐにわかった。

「虚数領域時間0059836047ジャスト……さすが皆様、時間に正確ですね」

 独り言のような呟きと同時に――男を取り囲むように、五つの影が現れた。
 闇から生まれた――そうとしか思えない出現だった。
 白い靄に隠されて、その姿形ははっきりしない。
 しかし――これだけはわかる。

 “この者達は――危険だ”

 理由も根拠も無い。ただ“それ”だけは真実だと、世界のどこかで誰かが絶叫した。

「無駄言はいい、用件を言え」

 渇ききった声だった。どんな人生を送ればこんな声を出せるのだろうか。

「面白そうだね。ワクワクするよ」

 楽しげな声だった。小鳥の羽をむしる子供のような。

「……何の用だ」

 冷たい声だった。あらゆる存在を拒絶する孤独な声だ。

「こんな陰気な場所に私を呼ぶなんて……オマエ等みたいな外道連中に相応しいよ」

 華麗な声だった。毒にまみれた蝶の如き。

「つまらん話なら帰らせてもらうわ」

 退屈そうな声だった。欠伸交じりに人も殺せるだろう響きだ。

 誰もが凄まじいまでの闘気を放出し、そのくせ気配などまるで感じさせない。
 赤子にも理解できる。
 この者達は、指1本で一国の軍隊をも全滅できる、恐るべき使い手なのだと……
 しかし、彼等に囲まれた男は臆する事無く、

「申し遅れました、私は“リン・ソウ・ティン”と申します。ティンとお呼びください――」

 言葉とは裏腹に、ぶっきらぼうな口調で名乗った。
 靄が濃くなっていく。
 闇も濃くなっていく。
 何かが彼等を恐れるあまり、人目に触れぬよう覆い隠すように。

「――ヒュドラのエージェントとして、依頼をしたいのです……」

 闇が呟いた。

「“マスター・オブ・ダークネス”」
「フン……」
「“デュアル”」
「おっす」
「“ウィンドマスター”」
「…………」
「“タイムウォーカー”」
「気安く人の二つ名語るんじゃねーよ」
「“ザ・ノッカー”」
「わしの事かぁ?」

「……貴方達のような、最強の退魔師、戦闘能力者達にね」

 闇が笑った――

 ……民間退魔企業の客人、フリーランスの退魔師、流れの戦闘能力者――各々の立場は様々だが、彼等に共通する事はただ1つ。
 全員が世界でも有数の退魔師、戦闘能力者なのである。
 そんな彼等に依頼の知らせが届いたのは、1週間前の事だった。
 差出人は不明。文面は『○○時に○○○(地名)に来い』と――それだけだ。
 普段なら、こんな依頼は完全に無視するだろう。しかし、彼等がそうしなかったのは、同封されていた交通費の小切手の額面が尋常ではなかったからだ――平たく言えば、10年分の報酬に匹敵する金額だったのである。
 金で動くような者達ではなかったが、余程の事だろうと興味は沸く。誰も知らない筈の居場所を突き止められた事への、腹癒せに来た者もいるが……
 結果、こうして5人の強者達が集結したのだ。

「……で、依頼ってのは何だ?」
「ここ最近、我々の業界で注目されている噂は御存知でしょう」

 一瞬、冷たい何かが走った。

「“淫魔の王”か」
「さようです。『人類史上、最大最強最高の超高位淫魔が地球に降臨したらしい』……IMSOや三大宗教の連中にもトップクラスの重大事件ですが、さすがに御存知でしたか」
「当然じゃ。14年前の『魔界大帝降臨事件』や『東京結界封鎖事件』に匹敵するっちゅう噂らしぃんじゃ。」
「つまり、そのクソ淫魔がターゲットってわけ?」
「御名答です」

 誰かが苦笑を洩らした。
 嘲笑に近い笑いだった。

「自分の立場を理解してるの?ヒュドラみたいなクサレ犯罪組織に組する奴がいると思ってるのかい?アホか?」
「この話を聞いても、そう言えますかな?」
「なに!?」
「――ですよ」

 ティンと名乗る男の一言――それだけで、一同の間に驚愕が走った。

「なるほどな」
「それなら仕方ないね」
「…………」
「否応無しってわけかい……気に入らないね!!」
「あんたがそうせぇ言うならそうしようか」

 周囲の増悪の視線に押し潰されるように、ティンは頭を下げた――下げたまま言った。

「そうそう、今回の件に関して、テンプラーズ(バチカン特務退魔機関)から“ヴァルキュリア”が、アズラエル・アイ(イスラム退魔解放戦線)から“ウォーキングフォートレス”が、闇高野から“サイレントブレイド”が、それぞれ行動を開始したそうです。くれぐれもご注意下さい」

 返事は無い。
 数分後、頭が上がった時――ティンの周囲には誰もいなかった。
 白い闇の深淵が、どこまでも広がっていく。
 それは、“あの女”の未来を暗示させるように見えた――



※※※※※※※※※※※※※



 ……これで大丈夫なの?

 実力から言えば十二分でしょう。万が一の為に“刀舞(ダンスマカブル)”と“幸運(ウルズ)”にも声をかけています。

 それにしても、外部に頼るなんて情けないわねぇ

 仕方ありません。これ以上ヒュドラ側の被害を増やす訳にはいきませんから。“闇狩(ダークハンター)”と“真朱(テスタロッサ)”が動いたという情報もありますし。

 ねぇ、あたしも遊んでイイ?

 ……止めたい所ですが、私も命は惜しい。

 えへへ……やったぁ!!

 次期ナイン・トゥース候補の実力、存分に見せてもらいますよ……“狂気(マッドネス)”。



鈴にゃんの冒険
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