鈴にゃんの冒険 |
のどかな午後の太陽が、さんさんと大阪の街並を照らしていた。 学校帰りの子供達の笑い声は、雑居ビルの6階まで聞こえてくる。 『R&K探偵事務所』は、今日も平和である。 昨日も平和だった。一昨日も、その前日も、そのまた前日も平和だった。きっと明日も、それ以降も平和な日々のだろう。 しかし、探偵事務所が“平和”というのは、すなわち―― 「なんでなしてこないにヒマなんや!!」 朝から何をするまでも無く、ひたすらぼーっとテレビを見ていた“彼女”は、いきなり精神分裂症患者の如く叫び始めた。 透き通るような金髪を大胆にベリーショートにした、少々気の強そうな西洋人女性だった。見た目はとても若い。一歩間違えれば10代半ばに見られるかもしれない。草原を跳ねるカモシカのように脈動感のある美少女だ。ただし、胸の凹凸が皆無に近いので、たまに美少女じゃなくて美少年に間違えられる事が、本人にとっては笑えない事実でもあった。その度に勘違いした奴は半殺しにしているが。 「仕事が無いからでしょう」 対照的に落ちついた――悪く言えばぼーっとした口調で返答したのは、こちらも対照的にぼーっとした印象を受ける青年だった。 特に肥満している訳では無いのだが、どちらかと言えば小柄でがっしりとした骨太の体格の為、だぶだぶな服を着ていると少々小太りに見える。物静かで温厚そうな眼差しも、そのどこかトロンとした印象を強めていた。 「ほな、何で仕事が無いんや」 「えり好みしているからじゃないんですか?今時私立探偵の仕事なんて、浮気調査や迷子のネコ探しぐらいのものでしょう。そんな謎が謎を呼ぶ怪事件なんて、現実にはそうそうありませんよ」 「無いやったらさっさと怪事件を起こしたらええの!!」 「そんな無茶な」 相変わらず子供っぽい我侭を喚き散らす『所長』に、唯一の社員である青年は苦笑しながら溜息を吐いた。 「本業が暇なら、副業の方に精を出せばどうですか」 「副業って退魔業の事?ダメダメ、魔界大帝が来てから、ウチみたいな個人経営の退魔屋は開店休業状態や。それに――」 女はテーブルに置いてあったビンを掴み取り、無造作に蓋を開けて乱雑に錠剤を取り出した。不味そうな錠剤を不味そうに口に運び、 「それに、探偵業も副業やんか?」 水も飲まずにぼりぼりと咀嚼する。その粗暴な態度にもかかわらず、どこか愛嬌を感じさせる女性だった。 しかし、その錠剤のビンに貼られたラベルの文字―― 『血液製剤』 ――はたしてこれは何を意味するのか。 「それなら、本業の方に勤めてみますか」 男の何気ない一言に、女の瞳の色が変わった。 「……ヒュドラに動きがあったん?」 「知人から送られた情報ですがね」 投げ渡された書類を引っ掴み、文面に目を通した――その時、 ぴしっ ――空気が変質した。 部屋の空気が、硬く、重く、暗くなる。 女の背後で、黒い影がざわざわと蠢いた。 「そう……やったら、わて達の出番やね」 書類から顔を上げた彼女の姿――それは人間のものではなかった。 鮮血のそれに等しい真紅の瞳。死者と同じく青白い肌。血の気の無い唇から覗く、鋭く輝く犬歯―― 闇夜の帝王、鮮血の支配者――人類にとって最も等しく最も恐るべき暗黒の主――人は、かつてそれをこう呼んだ。 『吸血鬼』 ――と。 「――いくで、稜人君」 「はいはい、エリス所長」 不敵に笑った口元から、冷たい輝きが漏れた―― 「――闇を狩りに、ね」 『闇狩(ダークハンター)』“エリス・ルーンシール”。 『真朱(テスタロッサ)』“神崎 稜人(かんざき りょうと)” 物語を構成する最後のピースが、今ここに揃った。 そして、今より『おわり』が『はじまる』―― 「――ぎゃあっちっちち!!何よまだ真昼やない!!稜人君、はよ日焼け止めクリーム!!」 「はいはい……昼夜ぐらい確認してくださいよ。まったく、吸血鬼としての自覚が無いんだから……」 『ダーク・ロード 〜〜“暗黒侵食”〜〜』 「やって来ましたにゃ、富山県県庁所在地富山市!!」 「はぁ……綺麗な街でありんすね。でも、なんでこなに雪が積もってありんすか?」 「富山県は日本有数の豪雪地帯ですから」 「今日も降雪量が200mを超えましたぁ」 「初夏なのに……あの、みなの家屋の屋根に広げてある乾物は何だぇ?」 「あれはスルメにゃ。富山県のスルメイカは世界一ィィィィィ!!!なのにゃ。食べれば誰もが巨大化して口からビーム撃って大阪城を破壊するのにゃ」 「は、はぁ……ところで、街を歩く人々が大きな風呂敷箱を担いでいるのはなんででありんすか?」 「あの人達は、富山名物薬売りです。富山県の人口の99%は薬売りなのです」 「商店も全部薬屋ですからぁ。世界最大のドラッグシティの称号は伊達ではないんですよぉ」 「は、はぁ……富山って凄いんでありんすねぇ」 (やれやれ、完全に観光気分だな、あの嬢ちゃん達は……) きゃいきゃい騒ぐ3人娘+淫魔王の姿に、茂伸はツルツルのスキンヘッドを撫でながら苦笑を浮かべた。 3人寄れば姦しいと言うが、そうでなくても女子中学生が集まれば嬌声の絶えないお祭り騒ぎにはなるだろう。実年齢12万歳のサキュバスが平均年齢を引き上げても、それは関係なかった。むしろ彼女を肴にして騒いでいるようにも見える。 「…………」 「うおっ!?……あんたか。急に背後から声をかけねぇでくれよ」 初夏にもかかわらず、漆黒の長袖ロングスカート完全武装メイド服を着たメイドさん――サツキは、汗1つかかずに完璧な無表情で佇んでいた。 「…………」 「ん?そろそろ切符を買いに行こうって?そうだな――」 内閣特務戦闘部隊の任務は、基本的に極秘任務を旨としている。あまり目立った行動を取るのはプライベートでも望ましくなかった。 にもかかわらず、現在の同行メンバーは…… 元気印満点のスパッツネコ娘――鈴にゃんこと三池 鈴奈。 担いだ薙刀も凛々しいロリな袴少女――ひよりんこと仙洞寺 日和。 ナイスバディを僧衣に押し込んだ糸目シスター――りんちゃんこと道野 リン。 背後に控える漆黒の爆乳忍者メイド――サツキ。 そして、淫猥なる肢体を純白のメイド服に隠した絶世の美女にして、世界を滅ぼす力を持つ淫魔の王――ベルちゃんことベルクリアス・コーマ。 自分こと草刈 茂伸も、筋肉の塊のような小柄な身体にスキンヘッドという異相の持ち主である。要するに、この面子ではとにかく目立って仕方がないのだ。 「おーい、切符買いに行くからついて来い」 「「「「はーい」」」」 見事にハモった4人娘の声に、小学生の引率教師気分な茂伸は大きな溜息を吐いた―― 〜〜リニアモーターカー〜〜 車両に搭載した超電導磁石と、地上に取り付けられたコイルとの間で発生する磁力により、地上から約10cm浮上して高速移動する、車輪とレールを使わない列車の事である。 1962年に研究がスタートし、1999年4月には、5両編成の有人状態で最高時速552キロを記録。大阪〜東京間を約1時間で結ぶ速度と新幹線並みの搭載力を誇り、日本では2000年3月、国土交通省の超伝導磁気浮上式鉄道実用技術評価委員会からも「実用化に向けた目処が立った」と評価されて、202X年現在では全国に路線が展開されている。 ここまで早く全国に広がった理由の一つには、15年前の魔界大帝降臨事件・天界軍襲来の際、ポールシフトによって大気循環のルートが大幅に変更されて、飛行機等の実用性が大幅にダウンした事実もあるだろう。 富山県から高知県に向かうには、IMSOのテレポート・サービスを除けば、これが時間の面でも旅費の面でも最適に見えた。 「うわ〜!!あたしリニアモーターカーに乗るの始めてだにゃー!!カッコイイにゃ〜!!」 ホームに停車した流線型の車体をつついて、鈴にゃんは歓声を上げた。この辺のセンスに関して、鈴にゃんのそれは小学生男子と変わらない。 202X年式リニアモーター特急『桜花』――富山→京都間を1時間で結び、個室付きの1等車に食堂車も完備している、最新式のリニアモーターカーである。 これに乗って一旦京都まで行き、そこで乗り換えて高知に向かう旅程になっている。何事もなければ、3時間もかからずに目的地に辿り着くだろう。 「何事もなければ……な」 茂伸の呟きは、口の中だけで消えた。 「それでは、高知旅行の出発を祝して、乾ぱ――」 「……鈴にゃん、高知旅行もそうですが、主目的はベルさんの御学友探しですよ」 「そ、そうでしたにゃ……じゃあ、高知旅行とベルちゃんのお友達探しの旅を祝して……かんぱーい!!」 「「かんぱーい」」 「か、かんぱい……」 カシュっと缶ジュース『イカスミジュース』のプルタグを開けた4人娘は、一糸乱れぬタイミングで缶を打ち合せた。鈴にゃんは腰に手を当てて一気に、ひよりんは両手に添えて上品に、りんちゃんは舌を絡めるように、ベルクリアスは飲み方がよくわからなくてくるくる回しながら、さわやかに缶ジュースを傾けた。にこやかに笑い合う4人を見れば、誰もが釣られて微笑みそうなほがらかな空気を作り出している。 「…………」 「え?他の乗客もいるから、あまり騒がないようにしましょう?う〜にゅ、ゴメンナサイにゃ」 4人娘が座るボックス席の反対側のボックスに座るサツキが、例によって全くの無表情のまま一同を嗜めた。 向かいに座る茂伸は、小娘のノリには付き合ってられないとばかりに、淡々とビールを傾けている。 窓の外から見える景色は――残念ながら、騒音と空気抵抗を軽減する為の防風壁に隠されているので、灰色の壁面が見えるだけである。 リニアモーター特急『桜花』は、順調な運転を続けていた。 ……現時点では。 同時刻――個室付き1等車両に席を取ったエリートサラリーマンこと葉月氏(40歳)は、読みかけの新聞から急に目を離して、訝しげな表情を浮かべた。 奇妙な違和感を感じたのである。 1等車両の個室の広さは三畳間くらい。当然ながら彼以外の者はいない。 にもかかわらず―― ――誰かの視線を感じたのだ。 暗い夜道を1人で歩いている時、自分のすぐ背後から何者かの視線を感じる――誰もが一度はそんな奇妙な感覚を経験した事があるだろう。 だが、この視線の強さ、そのリアリティは『気のせい』の一言で済ませられるレベルではない。 氷の短剣で背中を突き刺すような、容赦の無い視線だった。 部屋の中にあるものは、彼の持ちこんだバックと書類を除けば、液晶TVにオーディオ機器、簡易デスクと仮眠用折りたたみベッドくらいのものだ。誰かが隠れるスペースなど存在しない。 ならば、この鋭い視線は何なのだ? 葉月氏は周囲を見回した。この個室には自分しかいないと分かってはいるが、そうせずにはいられなかった。 前、後、左、右――当然だが、誰もいない。 念のため、簡易デスクや折りたたみベッドの影も覗いてみたが、同様の結果に終わった。 気のせいか……葉月氏はそう思い込む事にした。わざとらしく咳をして、椅子に座ろうとして――硬直した。 氷の――いや、ドライアイスの手が心臓を鷲掴みにした感覚が、葉月氏を襲う。 まだ見ていない方向があったのだ。 まさか…… 瘧のように自分の身体が震えるのを実感しながら、彼は恐る恐るその『方向』を見た。 真上――天井―― ……誰もいない。 大きな安堵の溜息が漏れた。 やはり、気のせいだったのだ。 今度こそ椅子に座りなおして、何気なく『そちら』に目をやると―― いた。 葉月氏が今まで『そちら』に注目しなかったのは、いくらなんでもそんな所に誰かがいるとは想像もできなかったからだ。 窓の外から――時速500kmを超えるリニアモーター特急の外から、そいつは覗いていた。 1等車両個室の防音効果は、葉月氏の悲鳴を完全に遮断した―― 「それじゃ、いってきますにゃ〜」 「無駄遣いするんじゃねぇぞ」 元気よく手を振って隣の車両に消えていく鈴にゃん達を見送りながら、茂伸は太い手をおざなりに振って見せた。 お腹が減ってきたにゃ〜と鈴にゃん達が喚き始めたので、食堂車に行けと言って財布を放り渡したのだ。 4人の姿が扉の向こうに消えると同時に、窓の外側が黒1色となり、車内電灯が点灯した。トンネルに入ったのだ。 「やれやれ……国家公務員の給料は雀の涙だっていうのに、旅費だけじゃなく食事代まで俺持ちか」 溜息を吐きながら器用に茂伸はビールを啜った。 「…………」 「ん?女に奢るのは男の義務だって?この場合はそういう意味じゃないだろ」 苦笑を浮かべようとして、茂伸は目の前の美女――サツキのこちらを見る瞳に、微妙な輝きが浮かんでいる事に気付いた。 「…………」 「何を企んでいるか……だって?そういうアンタはどうなんだい」 「…………」 「私は『あの4人を見守れ』という主の命に従っているだけだ?まぁ、忍者ならそんな理由だけで動くのも納得いくが……そんな単純な話じゃないような気がするがな。あんたじゃなくてそのご主人様の事だが……おっと」 茂伸はおどけた調子で両手を上げた。 「そんなおっかない目で見ないでくれよ。俺が興味があるのは、あのお色気淫魔の動向だけさ。お嬢ちゃん達に危害を加える気は無いし、あんたやご主人様の企みを邪魔する気はねぇよ」 「…………」 「余計な事は考えない方がいい?そうだな、今度は息の根を止められそうだ……俺はあんたの邪魔はしないし、あんたも俺を詮索しない――OK?」 無表情のまま僅かに傾くサツキを見て、茂伸はすでに5本目のビールのプルタグを開けた。 「…………」 「え?飲み過ぎじゃないかって?冗談じゃねぇ、たかが缶ビールの5本や10本で酔ってたまるかよ」 「…………」 「仕事中?ま、今回は半分休暇みたいなもんだからな。大体、こんなわけのわからん事件、しらふじゃやってられねぇよ……あんたも飲んだらどうだい。奢るぜ」 「…………」 「忍者は酒を飲まない?そんなつれない事いうない。ほらほら」 「…………」 「なに赤くなってんだよ。え?胸に缶ビールを押しつけるな?そんなバカでかい乳ぶらさげているのが悪いんだよ。ほらほら、飲め飲め」 「…………」 「酔ってる?俺が?まさか……ヒック」 「…………」 「なにジタバタしてるんだよ……え?露骨に乳を揉むな?俺がそんな事をするはずがな――!?」 がたん!! (やべ、からかい過ぎたか) いきなり立ち上がったサツキの剣幕に、茂伸は頭をすくめようとして――その無表情に浮かぶ緊迫の影を見た。 「……どうした?」 「…………」 「外が暗い?それがどうした?さっきトンネルに入っただろ……っ!?」 茂伸の顔に緊張が走った。彼もこの異常事態に気付いたのだ。 窓の外が暗いのは、トンネルに入ったからだ――そして、トンネルに入ってから5分は経過している。 時速500kmで5分――40kmも続くトンネルがあるわけが無い!! そして、2人は気付いた。 いつのまにか、車内にいる人間が、茂伸とサツキの2人だけになっている事に。 「やべぇぞこりゃ……列車ごと結界に閉じ込められたか!?」 「…………」 「ああ、早いとこ嬢ちゃん達と合流しよう」 緊張の表情で2人は頷くと、素早く食堂車に駆け出そうとして――その車両に向かう扉が、向こうから開いた。 音も無く。 言葉も無く。 舞台が幕を開けるように―― 「……まだ、生き残りがいたか」 もし、闇が声を出すとしたら、それはこんな声だろう。 漆黒のロングコート、漆黒のスラックス、漆黒の剣、漆黒の髪、漆黒の瞳―― もし、闇が人の形を取るなら、それはこんな姿だろう。 茂伸が身構えた。 サツキが身構えた。 黒衣の男は動かない。 「何者だ、てめぇ!?」 闇が答えた。 「……『マスター・オブ・ダークネス』……“ジオ・ガーランド”だ」 健康な成人を無作為に集めてみる。 その中で、戦闘士や術使いになれる素質のある者は、100人に1人ぐらいだ。 意外に多いかもしれない。しかし、そこから『戦闘能力者』『退魔師』と呼ばれる境地にまで辿り着けるのは、更に1000人に1人もいないだろう。 極端な話、単純計算では健康的な成人男性の10万人に1人は戦闘能力者か退魔師という事になる。 だが、その中でも『最強』と称される者達――“魔人”の称号を得る者は、現時点で30人にも満たないのだ。 “魔人”と呼ばれる超人は、あらゆる人種、地域、職業に関係無く、完全にアトランダムに誕生する。それを予測することは、現在の技術では不可能とされている。 では、どうやって魔人の数を把握できるのだろうか? その秘密は、IMSOにあった……秘密というほど大げさなものでは無いが。 簡潔に言えば、魔人級の力を持つ能力者を感知する技術がIMSOにあるのだ。 魔人級の戦闘能力者が――先天性、後天性に関係無く――出現すると、直ちにIMSOの『秘密装置』に感知される。それには一切の例外はない。 その情報は、世界中の組織に――なぜかヒュドラのような犯罪組織にまで――正確に伝えられる。 そして――熱烈なスカウト合戦が始まるのである。 もし、ここで新たな魔人が、どこの組織にも所属する事を拒否すると……世界中の組織に袋叩きにあい、『処分』される事になる。 魔人ほどの力の持ち主を、指1本動かすだけで核爆弾級の破壊をもたらす事ができる存在を、世間に野放しにするほど世の中は甘く無いのだ。夢の無い話だが、いわゆる『世間に知られていない強力な戦闘能力者』というのは、現実には存在しないのである。 202X年現在、魔人の称号を持っている能力者は合計29人。 IMSOに4人。 闇高野に3人。 バチカン特務退魔機関(テンプラ―ズ)に3人。 イスラム退魔開放戦線(アズラエル・アイ)に3人。 崑崙山(仙人達の総本山)に3人(ただし、内2名は封印中)。 その他、大国の直属機関にそれぞれ1人づつ計3人。 ……そして、ヒュドラに10人。 IMSOに所属している彼女――“エル”も、そんな魔人の1人だ。 “魔女”と“天人”を除いて、世界最大最強最高の能力の持ち主――『魔人』。 数少ないその称号を持つ彼女の役目は―― ……『お茶くみ係』である。 アメリカ合衆国・ニューヨーク・IMSO総本部・地下―― どんがらがっしゃ〜〜〜ん!!! 「ぎゃあっちちちちち!!!」 「あうあう……ゴメンなさぁい!!!」 薄暗い資料室で書類を見ていた初老の黒人職員――ジェームス・ダッドリーは、いきなり背後から熱々のコーヒーをぶちまけられて、魂消るような悲鳴を上げた。 「あちちち……エルちゃんか、勘弁してくれ……」 コーヒーカップを頭に乗せながら振り向いたダッドリーの目の前には、必死にペコペコと頭を下げる若い女性の姿があった。 大きな女性だった。色々な意味で。 2mを軽く超えるだろう、ずばぬけた長身。それに合わせて、胸と尻もボリュームアップしている。サイズは1mを下らないだろう。男なら一目でよだれを垂らしそうなナイスバディだ。 肌の色は褐色。黒人ではなく、インドや中東系だろう。香ばしいコーヒーとナツメ椰子の甘い香りが漂うような艶やかな肌。 髪は漆黒。後ろ髪はふくらはぎに届くくらい長く、先端を金属製のリングで纏めてある。両サイドも長く伸ばして、縛った先端を胸の先端に引っ掛けていた。 目はやや吊り気味で、睫毛が長い。顔立ちから判断して20歳前後くらいだろうか。 服装は、大きなスリットと前掛けが特徴的な、いわゆる『古代エジプト王族風』の格好である。身体のあちこちに原色を多用したアクセサリーを身に付けていた。 全体としては、エジプト風の大柄なお色気美少女――といた風体の持ち主であった。 「申し訳ありません!!申し訳ありません!!私って、ホントにドジばっかりで!!!」 「気にする事は無いさ。それよりも、コーヒーのお代わりを頼む。粘りつくぐらい濃いやつを頼むぜ」 長身を折り曲げて必死にペコペコする彼女――エルに、ダッドリーの旦那は渋く笑って見せた。コーヒーカップを頭に乗せたまま…… このドジっ子エジプシャン美女こと、エルが“魔人”としてIMSOに発見されたのは、今から3年前の事である。 光の早さできたIMSOのスカウトに、彼女はあっさりと承諾――ここに、IMSO4人目の魔人が誕生したのである―― ――が、彼女には魔人としての重大な欠陥があった。 物理戦闘型、魔術師型、特殊能力型、複合型……魔人の能力には様々なものがあるが、エルの場合は、それがなんなのかさっぱりわからなかったのだ。 とにかく、何らかの『魔人級の力』があるのは確実なのだが、本人はもちろん、IMSOの全知識と技術を総動員しても、彼女の力は解明できなかった。人並み以上なのは、身長と美貌とお色気ぐらいのものか。 そして現在――何の役にも立たないが、せっかく見つけた魔人を世間にほっぽり出すのも勿体無いという事で、エルはIMSO本部の閉職部署の御茶くみ係として、毎日元気に(無駄に)働いているのである…… 「はいっ!!コーヒーのお代わりを持ってきました!!!」 「サンキューサー……ごくごくぶはぁ!!!」 「どどどどうされましたぁ!?!?」 「……エルちゃん、どこをどうすれば、コーヒーと墨汁を間違える事ができるんだ?マイシスター」 「あああああ!?申し訳ありません!!!」 ちなみに、魔人としては落第生であったエルは、お茶くみ係としてもブッ千切りでダメダメであった。とにかくドジな彼女は、その妖艶で迫力のある外見とは裏腹に気が弱く――ある一時期は、こうした閉職部署の職員に脅されて、性処理用の肉奴隷として生かされていた事もあったのだ。 それを助けたのが、ジェームス・ダッドリーなのである。 戦闘能力者や退魔師としての力は皆無だが、熟年の叩き上げであり、世間の荒波を知恵と経験と度胸で渡り歩いてきたこの老人は、コネや根回し、時には脅迫を駆使し、エルを虐げていた連中を根こそぎ追放&逮捕して、今後そんな事が起きないように、彼の部署――資料保管部。メンバーはジェームス・ダッドリー1人――の専属お茶くみ係に引き抜いたのである。 それ以降、ダッドリーとエルは、上司と部下というより親子のような関係を築き、この窓際部署で退屈ながらも平和な毎日を過ごしていたのだった。 そう―― この日もまた、平和な日々だった―― 「え?」 「――ん?どうしたエルちゃん」 「いえ……何でもありません!!」 「それならいいが……早くその資料を運んでくれ。スモールレディ」 「分かりまし――」 「…………」 「……おい、本当にどうしたんだ?」 「……聞こえる……」 「おい、何を呆けているんだ?おい……おい!!しっかりするんだエル!!!」 「……聞こえるの……」 「どうしたんだエル!!!」 あなたは 焼き 殺し 砕き 侵し 奪い 犯す あなたは 恢炎(かいえん)の王 「……私は……炎の……王……」 「エル!!!」 「……えっ!?」 ダッドリーに肩を強く叩かれて、突然放心状態になっていたエルは、これも突然正気に戻った。 書類ごと自分の身体を抱き締める。不安に震える腕の中で、形の良い大きな乳房が潰れた。 「……えーと……私、またぼーっとしちゃいましたかぁ!?」 「まぁな……最近多いな。大丈夫か」 「あうあう……私って私ってお茶くみ係もダメダメなんですかぁ!?」 「気にすんな。そういう気の病ってのはリラックスするのが1番の特効薬だぜ。そうだな……今度、リトルボーズでも誘ってキャンプにでも行くか。いい竿が手に入ったんだ」 ニヤリと男臭い笑みを浮かべながら、リールを巻く真似をする黒人老人に、 「は、はいっ!!!」 こっそり涙を拭いながら、エルは最高の笑顔で答えた。 心の中で手を組み、天にまします神様に祈りを捧げる。 (ああ、神様……こんな日々が永遠に続きますように……) それは、エルにとっての真摯なる願い―― 彼女の望まぬ答えを ――『王』の目覚めは近い――
・・・・・TO BE CONTINUED
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