鈴にゃんの冒険


 ――ヒュドラ総本部・地下危険物封印所・対人封印ルーム・監視室――

「何が起こったのです!!早く状況を説明しなさい!!」

 紫のスーツに身を固めた、ヒュドラの専属エージェント――リン・ソウ・ティンは、普段の小粋な雰囲気をかなぐり捨てて、通信用コンソールに怒鳴り散らした。
 施設全体に配置された監視モニターは、全て灰色の砂嵐が映るだけだった。これは、全ての監視カメラが破壊された事を意味している。状況を確認しようと現場に向かった職員達は、重武装警備員が多数同行したのにも関わらず、あっというまに音信不通となった。
 そして、今は明確な破壊の爆音と絶叫が立て続けに起こり、それもどんどん地上に接近しているのだ。
 これが意味する事は……最悪の想像がティンの脳裏に浮かび、彼は再び額の汗をぬぐった。
 ――地下危険物封印所・対人封印ルーム――
 ここには、類い稀なる戦闘能力を持つが、その人格があまりに危険な者、もしくは能力が制御不能で暴走の危険性がある者が大勢封印されている。世界には様々な戦闘能力者や退魔師が存在しているが、彼等が皆正常な人格を持っているとは限らないのだ。
 ヒュドラはそんな危険人物を捕縛し、専用の施設に収容していた。無論、保護ではなく実験材料やいざという時の使い捨て兵器として使う為だが、本音はそういった制御不能な危険人物達を野放しにしていれば、ヒュドラにとっても不安材料の種になるからだろう。
 その最たる例が、あの『死天事件』である。
 そして、今、そういった危険人物を封印保管していた施設が、何らかの原因で大混乱に陥っているのだ。
 もし、封印されていた危険人物達が外に溢れ出たら――ティンの身体は震えた。ヒュドラの一員として、あらゆる破壊と混沌の世界を体験してきた彼ですら、恐怖に震えるような事態が起こるのだ。

『原因が判明……何者かが、対人封印ルームの封印を解除したようです……』

 現場からようやく届いた通信の内容に、ティンの背筋は凍りついた。

「馬鹿な!!あそこの封印は本部の最高評議会が承諾がなければ、絶対に解除される筈が――」

 ティンの身体が硬直した。
 まさか……ヒュドラ最高評議会が!?

『封印されていた者達は、封印解除後に互いに殺し合ったようです。現在、死体を確認していますが……おそらく全滅したと思われます』
「なら、今ここに接近している破壊の音は何なのですか!?」

 数分後、ティンの疑問は解消された。
 最悪の返答で。

『死体の確認が終わりました……2名の死体が確認されていません!!』
「誰が見つからないのですか!?」
『1人は“刀舞(ダンスマカブル)”黒瀬 礼一(くろせ れいいち)』
「あの殺人鬼ですか……もう1人は?」
『…………』
「どうしました!!もう1人は!?」
『……“幸運(ウルズ)”……幸運のケイです!!!』

 今までで最大級の絶望が、ティンを覆い尽くした。よろめいてデスクに片手をつく。
 最悪の想像が、現実の物になろうとしていた。

「……幸運のケイ……あの『魔人』か!!」

 あの『化け物』が外に開放されたら……想像を絶する破滅が世界を襲うだろう。ヒュドラ上層部は何を考えているのだ!?
 あまりの事態に茫然自失としていたティンは、だから、破壊と悲鳴の音がすぐ近くに迫っている事に気付かなかった。
 監視室のドアに幾筋もの光の線が走り――次の瞬間、ドアは細切れに分解する。
 その向こうに、その男がいた。
 ダークグレーのスーツを着た長身の男だった。それなりに美形といえるが、全体としてはごく普通のサラリーマンに見える。
 その、右手にある出刃包丁が無ければ――
 そして……全身にうがかれた銃創、炭化した皮膚、骨まで覗く斬傷が無ければ――この男は、その全身を数百箇所の致命傷で飾っているのだ。
 この男――不死身か。

「おやまだ獲物が残っていましたかそれじゃあ私が頂いちゃおうっと」

 狂ってる――そうとしか表現できない声だった。
 ここで始めて、ティンは侵入者の存在に気付いた。ケイという巨大な危機に気を取られて、身近に迫るもう1つの危機に気付かなかったのだ。

「黒瀬……そうか、貴方なら死にませんからね」

 顔面蒼白のまま、ティンは後退りした。
 対人封印ルームの危険人物、“刀舞”こと黒瀬 礼一――彼は猟奇殺人鬼だ。
 この男が狂気に走る理由はわからない。殺人鬼の道理など混沌以外の何物でもなく、狂気の理由を説明する事など不可能だから。
 時折、世間に出没するタイプの狂人である彼は、しかし、平凡な猟奇殺人鬼として警察に捕まる事は無かった。
 身体能力は人間並み、魔法も使えない――しかし、彼にはある特殊能力があった。
 不死身なのである。
 黒瀬はいかなる手段を用いても絶対に死ぬ事がない。どんな傷を負っても数分で再生してしまう。殺人鬼にとっては実に都合のいい能力だろう。
 しかし、あまりに暴れ過ぎた彼は、やがてヒュドラに捕縛されることになった。その狂気ゆえ戦闘要員として使う事も不可能と判断された黒瀬は、こうして封印される事になったのである。
 しかし、その封印も今解かれたのだ。
 スキップしながら近づく黒瀬に、ティンは成す術も無く壁際に追い詰められた。彼はエージェントとしては極めて優秀だが、戦闘能力は皆無に近かった。

「ヒャハー」

 狂気の叫びと共に、血塗れの包丁が振り上げられた――その時、

「そこまでー!!」

 凛とした、よく通る、そして、無邪気な女の子の声だった――






































『鈴にゃんの冒険』





































Part6

『ダーク・ロード 〜〜“魔王覚醒”〜〜』






































「……“マスター・オブ・ダークネス”……ジオ・ガーランドだ」

 黒尽くめの男――ガーランドは、湿度の感じられない声で名乗った。

「ジオ・ガーランド……世界最高位の『闇使い』かよっ!!」

 身構える茂伸のスキンヘッドに、本物の脂汗が浮かぶ。
 疾走するリニアモーターカーの外の景色は、完全なる闇に閉ざされていた。
 暗黒の道程(ダークロード)を突き進むリニアモーターカーとその乗員達は、未知なる危機に対面していたのだ。

「噂には聞いていたが、本人に出会うのは始めてだぜ……アンタほどの使い手が、何の用だ!?」
「淫魔王はどこにいる?」

 返答は早かった。

「そういう事かい……」
「答えろ。知らぬならどけ」

 ガーランドは無造作に一歩進んだ。それだけで、茂伸は思わず二歩後退してしまう――茂伸ほどの豪の者が!?
 ――“マスター・オブ・ダークネス”こと、ジオ・ガーランド――世界最強の『闇使い』として、文字通り、闇の世界でその二つ名を知らない者はいない。
 魔人の称号こそ持ってはいないが、それに匹敵する実力を持つ、恐るべき大魔術師にして強大なる戦士なのだ。
 特に『闇』を属性とする能力に関しては、世界でも彼の右に出るものはいないと言われている。茂伸がここまで戦慄するのも当然と言えるほどの実力者だ。

「もう一度言う。淫魔王は何処にいる?知らぬならそこをどけ」

 ガーランドはさらに一歩踏みこんだ。
 茂伸は――今度は、こちらも一歩踏みこんだ。

「答える気も、どく気もねぇぜ」

 実に不敵な笑みが茂伸の口元に浮かぶ。腹を据えたこの男に、怖いものなど何も無い。

「なら消えろ」

 返答は、今回も簡潔だった。
 漆黒の斬撃が、茂伸の脳天に叩きつけられた。いつ剣を抜いたのか――茂伸には何も見えなかった。それでも反応できたのは戦士としての勘だ。
 咄嗟に右手で受けたが、茂伸の鍛えぬかれた豪腕でも、暗黒の剣の前では紙切れも同然――!?

 びしっ

「!?」

 漆黒の剣は急停止した。茂伸の腕に切っ先が触れた瞬間、剣はその場で時間が止まったように動かなくなったのである。
 接触した物体の時間と空間を固定化する――茂伸の特殊能力『金剛』が炸裂した。
 すぐに剣を手離そうとするガーランドだが、その隙を見逃す茂伸ではない。

「オラァ!!」

 浮遊する車体が一瞬傾くほどの震脚!!砲弾のような踏み込みは、日和やサツキと戦っていた時の10倍は速く、100倍は力強い。あの戦いでは、彼は本気を出していなかったのである。

 がっ!!

 中国拳法の崩拳に似た突き技が、ガーランドに叩き込まれた。黒い身体が一瞬、宙に浮く。

「ぐふっ!!」
「まだまだまだぁ!!」

 息も吐かせぬ連続打撃が、ガーランドの全身を打ち据える。並の相手でなくとも、このまま決着が付くだろうと思われ――

「……図に乗るな」

 闇色のロングコートの内側から、巨大な爆炎が茂伸を襲った。ナパーム弾のような炎を伴った爆発だが、色が漆黒で意志があるように絡みつく炎など、自然には有り得ないだろう。吹っ飛んだ茂伸は粘りつく闇の炎に全身を焼かれて、声もなくのたうち回った。
 止めを刺そうと、ガーランドが黒剣を振りかざしながら一歩踏みこんだ――瞬間、

「…………」

 ガーランドの背後の『背景』が、ぱらりとめくれた。
 にゅっと空中から生えたのは、黒い右腕と肉切り包丁――
 一閃!!

「くっ!?」

 端正な頬に赤い筋を走らせながら、愕然と振り向いたガーランドの眼前には、漆黒のメイドさん――サツキの無表情があった。
 なんとサツキは、この車内と同じ絵が描かれた布を広げて身を隠し、背後から襲ったのである。
 対するガーランドが素早く片手を振ると、空中に闇の爪痕が残り、黒い矢と化してサツキに踊りかかり――その美しき肢体を貫いた!!
 ――かに見えた。
 黒矢が貫いたサツキは、メイド服を着た丸太に変じていた。

「おのれっ!!」

 黒い刃がひるがえり、丸太を一刀両断する。
 その向こうにサツキがいた。
 間髪入れず、舞うようにサツキが跳ねて――振り下ろされた黒い刃の上に降り立った。

 ぴたり

 動けぬガーランドの首元に、鈍く輝く包丁が突き付けられた。
 同時に、

「そこまでだぜ。スカした兄ちゃん」

 ガーランドの背中――背骨の真上に、ごつい拳が押し当てられる。言葉通り、全身を黒焦げにした茂伸が背後に悠然と立っていた。闇の炎は硬気功で防御したのだろう。

「俺の寸剄は戦車の前面装甲もぶち抜くぜ。胴体に風穴開けられたくなければ降参しな」
「…………」
「ほれ、サツキも『あなたがどんなリアクションを取ろうとも、その瞬間に包丁が喉笛を切り裂きます』って言ってるぜ」
「……やるな」

 勝敗は決した――ように見える。

「下手な事考えるなよ。1対1ならともかく、2人がかりならあんたに勝ち目はないからな」
「1対2……?」

 絶体絶命の状態にもかかわらず、漆黒の男は微かに笑った。
 その笑みに不気味なものを感じたのか、サツキの包丁が僅かに揺れる。

「違うな……314対2だ」
「!?」

 ガシャァン!!

 その瞬間――車内の窓ガラスが一斉に砕け散った。
 暗黒の空間を走るリニアモーターカーの車外から、一斉に何十本もの腕が突き出されたのである。血まみれの腕は何かを求めるかのように、不気味に蠢いた。
 そして、次々に窓枠を乗り越えて、驚愕する茂伸とサツキの周囲に集まって来たのは――このリニアモーター特急の乗客達だ。
 だが、乗客の瞳には意志の光は無く、眼窩や口元からは黒い液状の『闇』が溢れている。
 操られているのだ。
 たちまち狭い車内はゾンビのような人波に覆い尽くされた。それだけではない。操られる乗客達は緩慢な動作で――しかし人間の限界に近い凄まじい強力でサツキと茂伸に掴みかかってきた。

「て、てめぇ!!きたねぇぞ!!」

 人の波に飲み込まれながら、茂伸は憎々しげに叫んだ。1人2人を蹴散らすのは容易だが、操られているとはいえ無辜の一般人をぶん殴る訳にはいかないし、たとえ本当にやっても、この数ではきりがない。サツキは天井に貼り付いて避難しているが、スカートを引っ張られたり棒で胸を突つかれたりして、戦いどころではなさそうだ。

「殺されないだけありがたいと思え」

 その一言でもはや興味は無いとばかり、ガーランドは茂伸とサツキに背を向けた。黒い手袋に包まれた手を顎に置き、僅かに目を細める。
 ――このリニアモーターカーを結界に閉じ込めた術『ダークプリズン』は、対象を無限の暗黒空間に閉じ込めると同時に、結界内の存在を完全に洗脳する事ができる。それに抵抗できるのは、使用者に匹敵するか上回る力を持った存在――この場合は“淫魔王”だけの筈だったが……

「……食堂車と一般車両の両方に非洗脳者の反応があったが、こういう事か。私と“奴等”以外にも動いている能力者がいるとはな」

 すなわち、ターゲット“淫魔王”は、食堂車に……
 それきり、この恐るべき刺客は食堂車へと向かう扉へ悠然と消えていった――




※※※※※※※※※※※※※




 一方、迫り来る危機に対して鈴にゃん達は――

「――う〜ん、どうすればいいのかにゃ〜?」
「何を読んでいるのです?」

 ひよりんのどこか湿っぽい視線に気づく事無く、食堂車のテーブルに上半身をくてーっと突っ伏している鈴にゃんは、B5サイズの小冊子を小難しそうにパラパラとめくった。

「サツキさんが持ってきてくれたんだけどにゃ〜」

 その小冊子の表紙には、『ネコでもわかる正義の味方教室』というタイトルが、地味なゴシック体で印刷されている。紙質もあまり良くなく、弱小サークルがムリヤリ作った同人誌といった感じだ。

「マニュアル本……ですかぁ?」

 冷たいお冷やで唇を湿らせながら、りんちゃんは糸目の奥にきょとんとした光を宿らせた。

「うん、正義の味方はどんな事をすればイイのか書いてあるらしいんだけどにゃ〜」

 鈴にゃんの表情は声以上にブルーだった……
 ……昨日の戦いの時、『正義の味方変身ふりかけ』で正義のスーパーヒロインに変身した鈴にゃんであったが、変身と言っても単にネコ耳とネコ尻尾が生えただけという、普段の鈴にゃんとほとんど変わらない姿になっただけで、あげくに波にさらわれて戦闘離脱→気がついたら全てが終わっていた……というダメダメなコンボを決めてしまったのだ。
 こんな事ではとても正義のスーパーヒロインなど名乗れないにゃ〜!!と嘆いている所に、サツキさんから、この正義のスーパーヒロイン手引書を受け取ったのだが――

「何を悩んでいるのかよくわかりませんが……それを読めば問題無いのではありませんか?」
「あたし、字〜ばっかりの本読むと0.012秒で寝ちゃうのにゃ」
「……鈴にゃん、あなた人生舐めてるでしょう」
「うんにゃ、真剣に悩んでいるんだよ〜」

 ひよりんは盛大な溜息を吐いた。鈴奈という親友には多くの美点もあるが、こういった人類ネコ科な性質は、時々付いていけなくなる事も多々ある……とりあえず、ひよりんは目の前のネコ娘の事は気にしない事にした。
 そう、今まさに彼女の人生においても極めて貴重な超ウルトラミラクルワンダフリャゴージャスなイベントが始まろうとしているのだ!!

(ああ……『奢り』に『食べ放題』!!なんという甘美な言葉なのでしょう!!)

 顔には出さないが、彼女はイっちゃいそうなくらいの恍惚感に浸りきっていた。十数分前、目を丸くするウェイトレスにメニューの上から下までかたっぱしから注文したばかりなのだ。動物性タンパク質を補給するなんて何週間ぶりだろう……イヤッホー!!

「ご飯楽しみですねぇ。私も普段の食事はマザーと御一緒に、黒パンとワインだけですからぁ」

 りんちゃんもニコニコ恵比須顔だ。発言に少々女子中学生には相応しくない単語が混ざっていたかもしれないが。

「皆さん、たくさん食べるのでありんすね」

 心底感心したようなベルクリアスの発言に、ひよりんとりんちゃんの笑顔が一瞬固まった。

「た、た、たまにはたくさん食べるのもいいものです」
「そ、そ、そうですよぉ。普段あまり食べていませんからぁ、少しくらい食べ過ぎてもぉ」
「も、も、問題ありません!!」
「はぁ……」

 目の前でひきつった笑顔を交わす2人に、ベルクリアスはなんとなく気押されるものを感じて口篭もった。

「そうだよねぇ〜2人とも少しくらい体のラインが崩れても、見せる相手がいるわけでもないからにゃ〜♪」

 ニマーっとマニュアル本の向こうから悪戯っ子の視線を向ける鈴にゃんに、ひよりんの肘鉄とりんちゃんの踵落としが炸裂した。

「う゛にゃ!?いった〜い!!何するのにゃ!!」
「婦女子に言って良い事と悪い事があるのを自覚しなさい!!あなたも婦女子でしょ!!一応は!!」
「一応は余計にゃ!!それに見せる相手がいないのはホントの事じゃにゃい〜」
「彼氏がいないのはぁ、鈴にゃんさんも同じ穴のタヌキさんじゃないですかぁ」
「それを言うならムジナです」
「一緒にしないで欲しいのにゃ〜昨日はお隣のマー君と裏のツヨシ君にラブレターもらっちゃったもんね♪一昨日なんて隣町のサトル君にプロポーズされちゃった♪うーにゃ♪モテル女は辛いのにゃ〜♪」
「マー君にツヨシ君って……小学生でしょう!!あまつさえサトル君なんて幼稚園児ですし……」
「そ、それは言わない約束にゃ」
「あの……皆さん喧嘩はやめてくんなまし……」

 キャーキャーいがみ始めた3人娘に、ベルクリアスはオロオロするばかりだった。異世界の住民の悲しさか、その低レベル過ぎる口論にも本気で心配してしまうのは、彼女の美点なのか。はたまた損な性格なのだろうか。
 それはともかく――

「あーん、さっきのツッコミでコップのお冷やがこぼれちゃったじゃにゃい〜謝罪と弁償を要求するのにゃ!!」
「水は無料です!!……ウェイトレスさーん、ドジなネコ娘がコップをひっくり返してしまったので、お冷やのお代わりと何か拭くものをお願いします」
「誰がドジ娘にゃ!!」

 両手をポカポカ振り回す鈴にゃんを片手であしらいながら、ひよりんは厨房の奥に呼びかけた――が、

 しーん

「……?ウェイトレスさーん」
「返事がありませんねぇ」
「そういえば、いつまでたっても食事が運ばれてこないのにゃ。お腹ペコペコなのにぃ」
「あのぅ!!ウェイトレスさーん!!」

 反応は……無言。

「……何か様子が変です」

 ひよりんは音も無く席を立った。その表情に、先程までのふざけた様子は欠片も無い。素早く薙刀を袋から取りだし、肩に担ぐように構える。

「そういえばぁ……さっきから何も音がしませんしぃ、私達以外の誰の姿も見かけませんねぇ……」

 りんちゃんも糸目の奥に警戒の光を宿した。

「何か起こったのでしょうかぇ?」

 ベルクリアスが怯えるように身を縮める。

「お腹空いたにゃ〜」

 鈴にゃんは――何も言うまい……
 初夏の大気に、無言の冷気が宿った。
 車内の空気に闇の因子が混じったような感覚……
 全員の(1人除く)間に緊張が走る――その時だった。

 フッ

 光が1つ消えた。
 鈴奈達が座る席は、細長い食堂車の端にあるテーブルだが、その反対側の席の真上にある電灯が、音も無く消灯したのだ。
 そして――

 フッ フッ

 無機質な光を放つ電灯が、奥から次々と消えていく。それはあたかも光が闇に飲み込まれていくようだった。

「な、何が起こっているのにゃ!?」
「鈴にゃん、ベルさんと隠れてください」

 慌てて鈴奈はベルクリアスの手を引いて、厨房のカウンター裏に飛び込んだ。

 フッ フッ フッ

 身構える日和とリン。消える電灯は――闇の侵食は着実に接近してくる。そして――

 フッ……

 頭上の電灯が消滅した――その瞬間、

「淫魔王はここか」

 闇が喋った――そうとしか形容できない声が響いた。
 背後から。
 驚愕しつつ振り返った日和の喉を、黒手袋が力強く掴んだ。呻き声を洩らす日和を片手で持ち上げながら、

「淫魔王はここだな」

 もう一度、暗黒の化身――ジオ・ガーランドは確認した。

「ひよりんさん!!」

 リンの悲鳴を背中に受けつつ、

「……な…なにもの……です…か……」

 日和が潰れた喉の奥からくぐもった声を洩らす。

「ジオ・ガーランドだ。淫魔王はどこだ?」

 少女の苦悶を前にして、ガーランドは顔色1つ変えなかった。日和を奮い立たせたのは、“それ”なのかもしれない。

 チリン!!

 手首の鈴が、凛とした音を放った。

「くっ!?」

 日和の超常能力が炸裂し、ガーランドは顔を押さえてよろめいた。喉を掴む黒手袋が緩む。

「はぁ!!」

 気合一閃!!跳ね上がる薙刀の柄がガーランドの腕を下から打ちすえた。衝撃で喉が圧迫から開放される。そのまま日和の身体が床に着地するより早く――

「はぁあああっ!!」

 ががががが!!!

 日和の胴体を軸に旋回する薙刀が、ガーランドの身体を乱打した。狭い車内で、しかも相手まで10cmにも満たない至近距離で長大な薙刀をここまで操るとは――仙洞寺流薙刀術後継者の称は伊達では無い。
 声も無く吹っ飛んだガーランドは車両間のドアに背中から叩きつけられた。そのままずるずると腰を下ろす黒い男に、

「終わりです!!」

 薙刀をビリヤードのキューを思わせる構えで突き付ける日和の勇姿は、絵になるように美しい。
 『薙刀や槍のような長物は、狭く障害物が多い場所では不利』――という意見は、実は俗説である。日和ぐらいの使い手になれば、そんな環境でも長物を自在に使いこなす術はいくらでも知っている。長物が武器の王者と呼ばれるのは伊達では無いのだ。

「あなたもベルさんを狙う刺客ですか!?」

 つい、と薙刀の刃が前に出る。先程のお返しとばかりに、切っ先が喉に僅かに食い込んだ。この男が指先1つでも動かせば、容赦なく薙刀がガーランドの意識を喪失させるだろう。
 そして、ガーランドは指先1つ動かさなかった。
 だが――

「小娘と侮ったか。やるな……しかし」

 ――だが、ガーランドの口元には、不敵な笑みがあったのだ。

 ガシャアン!!

 食堂車の窓ガラスが一斉に砕け散った。
 窓枠を乗り越えて次々と車内に転がり込むのは、ガーランドの秘術『ダークプリズン』で洗脳された乗客達だ。驚愕する間もなく、一同は取り囲まれた。
 戦況は逆転したのである。

「うにゃ〜ん!!リアルばいおはざーど!?」

 眼窩と口、鼻、耳から黒い闇の瘴気を滴らせながら、虚ろな表情で掴みかかってくる乗客の不気味さに、鈴にゃんは全身の毛を逆立てた。日和もこの数では対処しきれないだろう。
 一瞬にして絶体絶命のピンチに陥った中、

「ここはぁ、私の出番ですねぇ」

 しかし、リンだけは相変わらずのほほんと微笑んでいた。その糸目は僅かに開かれて、普段の彼女からはとてもイメージできないだろう妖艶な眼差しを覗かせている。
 道野 リン――魔物と人のハーフ『合いの子』よ――

「ちょっとだけですよぉ♪」

 どこか妖しい口調で呟くと、踊るように指先で修道服のロングスカートの裾を摘まみ、ぴらっとめくり上げた。色っぽいおみ足が見えると思いきや、そこから飛び出したのは――
 ――数百本の力強く蠢く触手の群れだった。

 バシュシュシュシュシュシュ――!!!

 うねくる触手は目にも止まらぬ速度で車内に広がり、一瞬にして洗脳された乗客達に絡みついて動きを封じたのである。流石のガーランドもこの光景には唖然とした。唖然とするしかないだろう。
 再び、戦いは逆転した。
 ――が、

「さあ、これで終わりです」

 一寸の隙も見せずに薙刀を突きつける日和に、無表情な一瞥を向けて、

「そうだな……そろそろ終りにしよう」

 黒衣の男は――口元に壮絶な笑みを浮かべた。

「!?」

 その笑みに敵意以上の不気味な影を意識した日和は、容赦無く首筋に薙刀を叩きつけようとして――その瞬間、女子中学生平均身長に全然足りない身長が、30cmにも満たない高さに縮んだ!?

「きゃあっ!?」

 必死になって『床にしがみつく』日和の胸から下は、円形の闇の中に消えていた。薙刀は目の前に――悠然と立つガーランドの足元に投げだされている。
 影だ。日和の足元の影が黒い穴となって、日和は自分の影に開いた穴の中に落ちかけているのだ。

「ひよりんさん!!」

 瞬く間に無力化された日和に向って、素早くリンの触手が伸ばされた――が、

「甘いな」

 ガーランドの指がパチンと鳴ると、迫る触手の前方に黒い霧の塊が出現した。触手は何の抵抗も無く霧を貫く――が、黒い霧の反対側から触手は出てこなかった。

「え?……くぅっ!?」

 同時に、いつの間にかリンの真後ろに浮かんでいた黒い霧から触手が伸びて――リンの首に絡みついた!!

「遊びは終わりだ」

 そして、漆黒の剣を無造作にガーランドが振ると、リニアモーター列車を覆う闇が窓から車内に侵入し、手にする剣と同じ形を取った。黒い刃の切っ先が、苦しむリンに向けられて――

 斬!!

「きゃあん!!」

 リンの四肢を、修道服ごと付け根から切断した。
 すかさず、今度は槍と化した闇の波動がリンの巨乳の間を貫き、壁にその美しく無惨な身体を縫い付けたのである。

「「「りんちゃん!!」」」

 3人の悲鳴が車内に轟いた――が、

「痛いですよぉ〜〜〜」

 半泣きの表情でリンは悲鳴を上げた――でも、それだけだ。出血も無く、切断された触手も元気に乗員達を拘束している。

「物理攻撃は無効か……だが、もう動けまい」

 リンを貫く闇の槍は、如何なる術かリンの身体を完全に麻痺させていた。日和も暗黒の穴から抜け出せない。闇が身体を押さえつけているのだ。

「私の術に心を支配されなかっただけの事はあるな。小娘にしては上出来な戦いぶりだったぞ」

 言葉とは裏腹の、冷たい一瞥があった。敗者は彼にとって常に軽蔑するものだった。
 これが世界最強の闇使い――ジオ・ガーランドの実力か。

「あああ……」

 ベルクリアスは思わず鈴奈の腕にしがみついた。ガーランドが自分たちが隠れている場所――厨房のカウンターの裏に大股で近付いて来るのだ。

「そこにいるな、淫魔王……今、始末してやる」

 闇の発する声――欠片の慈悲も無い声――冷たい、冷たい声――
 鈴奈は両耳を押さえてしゃがみこんだ。
 『本当の』危機が、今そこに迫りつつある。
 こわい。
 こわい。
 こわい!!
 でも、自分達を助けてくれる人は誰もいない。
 ひよりんは戦えない。
 りんちゃんも戦えない。
 サツキさんも、茂伸のおじさんも――頼れる人は誰もいないのだ。
 このまま意識を失えば、どんなに楽だろう。
 このまま逃げ出せたら、どんなに嬉しいだろう。
 でも……
 ……でも、鈴奈は逃げなかった。
 鈴奈は逃げない。
 震える友達の体温を、その細い腕に感じるから。
 そして……
 ……そして、あたしは――

「正義の味方なんだから!!!」

 鈴奈は勢い良く立ちあがった!!!
 恐怖なんてどこにも無い。その不敵でステキな笑顔にあるのは、ありったけの勇気と熱い正義の心意気!!
 その勇姿を目撃したガーランドは、日和は、リンは、ベルクリアスは――しかし、

(……はぁ?)

 一斉に、訝しげな表情を浮かべた。
 胸を張ってカウンターの上に仁王立ちする鈴奈の両手には、例の『正義の味方変身ふりかけ』と、どんぶりに山盛りのほかほかご飯があったのである――



 ……時間は数分前に遡る。
 日和とリンが、ガーランドと激闘を繰り広げている最中、鈴奈は必死になって小冊子――『ネコでもわかる正義の味方教室』のページをめくっていた。
 あの明らかに自分達とは世界観が違うっぽい、強くてシリアスそうなお兄さんを相手にしては、女子中学生としては理不尽な強さを誇る2人でも勝てるかどうかわからないだろう。ならば自分も加勢しなければならないし、何よりこのまま見ているだけでは、(自称)正義のスーパーヒロインとしての名折れ!!

(『第十五章:ビデオの予約録画の方法』これじゃない……『第三十二章:美味しい柴漬けを作るコツ』これでもない……『第五十八章:2週目4面の敵配置』……あ〜ん、正義の味方の戦い方の解説っぽいページはどこにあるのにゃ〜?)

 もう、半泣き状態になりながらページをめくりまくる鈴奈だったが、ついに――

(『第三百十二章:正しい変身の仕方』……これにゃ!!)

 ついに鈴奈は正義のスーパーヒロインに関係してるっぽい項目を発見したのだ。あまり難しい漢字を使っていない事を祈りつつ、眼を皿にして読み耽る鈴奈。

『正義のスーパーヒロインに変身するには、例の“正義の味方変身ふりかけ”を使用します』

(それはわかってるにゃ。でも、耳と尻尾が生えただけで全然変身できなかったじゃにゃい〜!!)

『まぁ、まさかとは思いますが、正義の味方変身ふりかけを自分の身体に直接ふりかけたりはしていませんよね?』

(ぎくっ)

『HAHAHA、そんな事をしてもまともに変身できる訳ないじゃないですか。そんな事をするのはただのおバカです。やーいバーカバーカ』

(むきー!!ただのマニュアル本の癖にムカツクのにゃ!!さっさと正しい変身の仕方を説明しないと焚書してやるのにゃ!!)

『わ、わかりました……この変身アイテムは“ふりかけ”なのですから――』



「変身!!とおっ!!」

 ――唖然とする一同を前に、鈴奈はふりかけとどんぶりご飯を持った手を交錯させると、勢い良くジャンプした。

 ごん

 ……勢い良く頭を天井にぶつけた鈴奈は、しばらくカウンターの上で頭を押さえてうめいていたが、やがて咳払いをしながら立ち上がり、

「い、今のは無しにゃ……変身!!とおっ!!」

 今度はジャンプせずに両腕を交錯させて、くるっと見事なターンを決めた。そして――

「いただきま〜す」

 その場で正座して両手を合わせてから、ふりかけをパラパラとどんぶりご飯にふりかけて、がつがつと貪り始めた……

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 ……そのあまりにアレな光景に、唖然を通り越して呆然としていた一同だったが、やがて、

「何だかよくわからんが……子供の遊びに付き合ってられんな」

 気を取り直したガーランドが、闇の瘴気を叩きつけようとした――が、

「ごちそうさまでしたにゃ」

 どんぶりご飯withふりかけを食べ終えた鈴奈が、空のどんぶりをカウンターに置いた――瞬間!!

 ピカァアアアアアアアア!!!

 子供が直視したら発作を起こしそうな極彩色の光が、鈴奈の身体から溢れ出た!!

「なにっ!?」

 光が闇を駆逐する。
 まばゆい光の渦の中で、全裸の鈴奈のシルエットが浮かんでいた。
 光の一部が色を変えて、鈴奈の腰の周りに収束し――ぐるぐる怪しい風車のついた謎のベルトとなって鈴奈の腰に装着される。
 鈴奈の全身がいきなり炎に包まれた。やがて炎は鈴奈の身体に張りつくように形を変えて、スリットもまぶしい真紅のチャイナドレスと化した。
 ぽんぽんぽんとネコ耳とネコ尻尾が鈴奈の頭とお尻に出現する。
 最後に光が両手と両足に集まって、肉球たっぷりのネコグローブとネコシューズとなった。
 全員の視線を一身に集めて、ガーランドに背を向けたまま、

「いたいけな女の子をいじめる悪い人は、時代劇の越後屋が許してもこのあたしが許さない!!誰が呼んだか正義のミラクルスーパーヒロイン!!その名も――」
 びしっとポーズを取って振り向いたのは、真紅のチャイナドレスを身にまとい、ネコグローブとネコシューズと謎のベルトを装備した、ネコ耳&ネコ尻尾の鈴奈――いや、

「“みらくる☆べるにゃ”ここに登場!!今日もべるにゃはイイ天気♪」

 正義のスーパーヒロイン、みらくる☆べるにゃ!!!

「鈴にゃん?」
「鈴にゃんさん?」
「鈴奈さんでありんすかぇ?」

 ついに登場した正義のスーパーヒロインを前にして、残る3人娘は当惑しきった声を上げた。
 浜辺での戦いとは違って、今度はどうもそれっぽいのに変身したみたい……でも、中身はあの鈴にゃんだし、あんな強い敵が相手なら、たとえスーパーヒロインでも……

「ノンノンノン、今のあたしはキュートな鈴にゃんではなくて、正義のスーパーヒロインみらくる☆べるにゃなのにゃ」

 ウインクしながら指を振るべるにゃを前にして、しかしガーランドは3人娘とは違う感想を抱いていた。
 なぜ、あんな小娘が『ダークプリズン』で支配できなかったのか疑問だったが、こんな仕掛けがあったとは……しかし……
 ガーランドは困惑した。
 読めない。
 あの小娘の実力が読めないのだ。
 とうに小娘の戦闘能力は、術で探りを入れている。結果、少々身体能力は向上しているものの、それでも単なる小娘の範疇だ。武術も魔法も使えないだろう。ガーランドなら瞬き1つで引き裂く事ができる。
 にもかかわらず、得体の知れない『何かの力』を感じるのだ。幾多の次元を渡り歩き、様々な戦いを経験していたガーランドは、こんな相手がある意味1番厄介である事を知っていた。
 ガーランドは静かに瞳を閉じた。黒い手袋が複雑な印を組み、呟きのような詠唱を洩らす。
 呪文完成――同時に本州全土を蒸発させるエネルギーを込めた暗黒の塊が、ガーランドの眼前に出現した。

「消えろ」

 闇の塊がべるにゃに放たれた。慌ててべるにゃは避けようとするが、闇は意志があるように軌道を変えて――

「うにゃあ!!」

 べるにゃに炸裂。漆黒の光がドーム状に広がり、のけぞるべるにゃを飲み込んだ!!

「「「「鈴にゃん(さん)!!!」」」

 3人の叫びを尻目に、終わったとばかりにガーランドは踵をかえし――

「……ビックリしたにゃ〜」

 愕然と振り向いた。
 無傷のべるにゃがそこにいた。真紅のチャイナドレスも傷1つ付いていない。

「ばかなっ!?」

 普段のクールさをかなぐり捨てて、ガーランドは驚愕の叫び声を上げた。
 今の術はガーランドの暗黒魔法の中でも最大級の破壊力を持つものだ。無効化するなど不可能に近いし、仮に無効化しようにも、あのネコ娘は何の防御手段も持っていない事は確実に判明している。
 どうやって、べるにゃはガーランドの術を無効化したのか!?

「よくもやってくれたにゃ〜!!今度はあたしの番にゃ!!」

 べるにゃは力を溜めるようにぐるぐると右手を振り回した。ぷにぷにのネコグローブに、何だか得体の知れないオーラが宿る。

「食らえぇ!!べるにゃんネコパンチ!!!」

 え〜い!!と右手を突き出しながら、べるにゃは黒衣の男目掛けて駆け出した。

「…………」

 幼稚園児でも避けられるだろうヘロヘロぱんちを、ガーランドはあっさりと避けた。たとえ命中しても、あのプニプニ肉球テイストたっぷりのネコグローブなら、蚊を仕留める事もできないだろうが、念の為に避けてみる事に――

 ぽふっ

「……え?」

 避けた。
 そう、確実にあのパンチは避けた。
 それなのに……なぜ、べるにゃのネコグローブが腹に押し当てているのだ!?
 ――そして!!

「ぐはぁ!!!」

 黒ずくめの身体をくの字に折り曲げながら、ガーランドは吹っ飛んだ。食堂車の座席をぶちぬいて、壁に激突して深くめり込んだ。ひび割れが蜘蛛の巣の如く広がっていく。

「……えぇ!?」
「うそぉ……」
「はぁ……鈴にゃんさんえらい強いんでありんすねぇ、ぬし」

 先程とは違う意味で呆然とした声が、3人の口から漏れた。
 あのガーランドが……あんなヘロへロパンチの一撃で吹っ飛ばされた!?

「ば……馬鹿なッ!?」

 黒い血を滝のように滴らせながら、ガーランドはよろよろと立ち上がった。致命傷に近い深刻なダメージが身体を蝕んでいる。今の攻撃は彼にとっても久しく体験した事のない衝撃だった。肉体は元より、精神的にも――
 なぜ、あんな攻撃を避けられない?
 なぜ、あんな攻撃でダメージを受ける?

「……くっ」

 震える右手を突き上げると、音も無く天井に丸い穴が開いた。日和を落とした暗黒の穴と同じ物だろう。漆黒の身体が躍り上がり、瞬く間に天井の穴に消えていく。

「逃がさないにゃよ!!」

 べるにゃも勢いよくジャンプして、穴のふちに捕まった。わたわたと落っこちそうになりながらも、なんとか這い上がる。
 暗黒の車外に消えてしまった2人を見て、

「鈴にゃん……なのですよね?」
「行ってしまいましたねぇ」
「大丈夫でありんしょうか」

 当惑と動揺と困惑、そして期待と不安の入り混じった呟きは、はたしてべるにゃに届いただろうか――

 

 ――無限に広がる暗黒空間――
 それは世界の黎明の姿か、それとも世界が終焉を迎えた光景なのだろうか。
 絶対の静寂と永遠の停滞――そこには『無』という概念しか存在しない……筈であった。
 闇の中を駆ける存在がある。
 202X年式リニアモーターカー『桜花』――無限の闇の中を時速500kmで突き進むこの存在の上で、1つの戦いが終焉を迎えようとしていた――

「よいしょ、よいしょ……さぁ、もう逃げられにゃいよ!!」

 なんとかリニアモーターカーの屋根に這い上がったべるにゃは、しかし、今の自分の発言が間違っている事に気付いた。
 暗黒の男――ジオ・ガーランドはほとんど周囲の闇に同化しながらも、堂々と仁王立ちしてべるにゃを待ち構えていたのだ。
 べるにゃとガーランドは、それぞれ食堂車の端で向かい合っている。その間合いは――約15m。

「……この宇宙を構成する物質の内、95%は我々が感知できない暗黒の存在――いわゆるダークマターであるという」

 口元から黒い血を滴らせながらも、ガーランドの冷たい視線には殺気と闘志が漲っている。

「すなわち、闇を支配するというのは、この世界を支配するに等しい」

 べるにゃも腰を落とすように身構えた。相手が『本気』である事に気付いたのだ。

「“世界”そのものの力――きさまに教えてやろう」
「何を言っているのかよくわからにゃいけど……望む所にゃ!!」

 ガーランドはゆっくりと右手を上げた。そこに周囲の闇よりも更に濃い暗黒が収束していくのが、べるにゃにもはっきりと見える。やがて闇の波動は直径数mにも及ぶ巨大な球体と化した。『黒い太陽』をべるにゃは連想した。

「にゃああああああああ……」

 べるにゃは息を深く吐きながら、右足を突き出し、腰を屈めて、上体を右に反らしながら傾けた。片足を前に出して上半身を右半身にしたクラウチングスタートに似た体勢――べるにゃも本気だ。
 その時――無限の暗黒空間に光が生まれた。
 べるにゃの全身を、青い光のオーラが覆っていく。
 蒼い光――そう、これは月の光――闇夜を照らす蒼い満月の光――

「ゆくぞ!!」
「いっくぞ〜!!」

 ガーランドが右手を前に突き出し――暗黒の太陽が放たれた!!
 同時に、べるにゃも真上に跳んだ!!
 くるくると身体を捻りながら上昇し、その頂点で停止。飛び蹴りの姿勢で物理法則を無視した斜め45度の角度で、ガーランド目掛けて突っ込んだ!!

「!!」

 闇の球弾が空中のべるにゃを捕らえ――そして、瞬く間に飲み込んだ!!

「今度こそ、本当に終わりだ……」

 暗黒の空中に停滞する闇の太陽――これに飲み込まれれば、如何なる存在も概念レベルで消滅――!?

 ぴしっ

 闇の太陽に――1本のひび割れが走った。

 ぴしぴしぴし……

 ひび割れは闇夜を切り裂く稲妻のように広がり、その間から蒼い光が漏れ、

 ぴしぴしぴしぴし……ぱりぃん!!!

 そして闇は砕け散り、正義のスーパーヒロイン“みらくる☆べるにゃ”を生み出した!!

「なにぃ!?」
「ひっさぁつ!!べるにゃん――」

 闇の空間を青く切り裂きながら、空中のべるにゃは驚愕のガーランド目掛けて突き進んだ。べるにゃの身体を包む青い光が輝きを最大限に増す。

「べるにゃんネコキック!!!」

 みらくる☆べるにゃの必殺技が、ついに炸裂した!!!

 どがぁ!!!

「ぐふっ!!!」

 確かに避けた筈の飛び蹴りをまともに食らったガーランドは、何の殺傷力も無いネコキックの威力に吹き飛ばされた――吹き飛ばされつつ、『それ』を見た。
 ――真紅のチャイナドレスを着たネコ娘の全身を包む蒼い光――その中に、その姿を見止めた。
 黒く焼けただれた大地――
 赤黒くよどんだ空――
 地平線の彼方まで大地を覆う、あらゆる生物の死骸――
 それを冷たく照らす、蒼い月――
 そして――死骸の山の頂上で、狂ったように踊る1人の影――
 原色ばかりの布をだぶだぶに繋げて、おかしな格好で身にまとい、先の折れたとんがり帽子に白塗りの肌。涙のタトゥー。
 それは……『道化師』の影。
 この地獄を満たす暗黒の支配者(ダーク・ロード)の姿を――

「……“道化”師……まさか……きさまは……ナイン・トゥースの……!!」

 どっか〜〜〜ん!!!

 ガーランドの身体は原因不明の巨大な大爆発を起こし、紅蓮の爆炎が暗黒の世界を赤く照らした――
 ちょっとバランスを崩しながらも、何とか屋根に着地したべるにゃは、爆炎の光を浴びながら、びしっとVサインを決める!!

「勝利のちょき〜♪」




※※※※※※※※※※※※※





『――当列車は、“富山駅―岐阜駅”間において緊急停車しております。御客様方には大変御迷惑をお掛けしておりますが、速やかに乗務員の指示に従って……』

 202X年式最新型リニアモーターカー『桜花』の乗客達は、狐に包まれた表情で、次々と避難口から独特の形状をしたリニアモーターカー専用の線路上に降りていく。
 誰もが自分の置かれた状況を理解できずにいた。
 富山駅を出発して数分後、急に意識が遠くなって、気付いたら停車している列車の中で、それも全然違う車両の中で目を覚ましたのだ。怪我人や行方不明者は誰もいなかったが、1つの一般車両と食堂車が派手に壊されているのを見て、誰もが被害者が出なかった事は奇跡に近かったのだと理解した。何が起こったのか理解した者はいなかったが。
 乗務員に案内されて、乗客達は臨時バスに次々と乗り込んでは消えていく。現在、『桜花』に残っている乗員は、謎の事故原因解明の為の捜査官と職員しかいない。
 ――ある結界の張られた1等個室の乗員達を除いて。

「――まさか、アンタを雇った組織があのヒュドラだっていうのか!?」

 驚愕の声を隠しきれない茂伸に、黒尽くめの男――ガーランドは煤けた顔を無表情に傾けた――
 ――べるにゃの必殺技『べるにゃんネコキック』を食らってガーランドは大爆発を起こし、敗北した。
 それと同時に、『ダークプリズン』の術は消滅して、洗脳された人々は正気を取り戻し、リニアモーターカーも通常空間に復帰。“富山駅―岐阜駅”間で緊急停止している。
 その後、鈴奈達は茂伸&サツキと合流して、気絶しているガーランドを1等個室に連れ込んで尋問を始めようとしたのである。なぜベルクリアスを襲ったのか……具体的な背後関係等も調べる為だが、相手が相手なので、これは口を割らせるには苦労するかなと茂伸は覚悟したのだが、意外にもガーランドはあっさりとそれを口にした。彼曰く『勝者は敗者に全てを要求できる権利がある』との事だ。
 拍子抜けした一同だが、とりあえずガーランドの背後にある黒幕を聞いたところ、意外な返答が返ってきたのである。

「そうだ。ヒュドラは私のようなフリーの戦闘能力者を雇って、その淫魔王――ベルクリアスという悪魔族だったか――を抹殺するように指示を出した。私は依頼主の意図に従って行動したに過ぎん……フッ、この体たらくだがな」

 ほんの僅かに苦笑して、ガーランドは血の滲む口元を撫でた。あれだけの大爆発を起こしたにもかかわらず、彼の身体は意外なほど表立った負傷は少ない。もっとも、内面を得体の知れないミラクルパワーでダメージを受けているらしく、戦闘能力は完全に失われて歩くのがやっとの状態だったが。

「ヒュドラって……あの世界最大の犯罪組織って噂の!?」
「ああ……それで、アンタの他に雇われた戦闘能力者って誰だ?」
「俺が知る限りでは――『“デュアル”神代 シン(かみよ しん)』、『“ウィンドマスター”白羽 速人(しらはね はやと)』、『“タイムウォーカー”スタルディット・クラウディア』、『“ザ・ノッカー”朝日奈 秀隆(あさひな ひでたか)』――以上の4人だ。あくまで俺の知る限りだが」
「なんてこった……どいつもこいつも世界最高レベルの戦闘能力者じゃねぇか!!」
「私も名前くらいは知っています……すごいメンバーですね」

 日和は眩暈を起こしかけた。誰もがその名を世界中に轟かせている超一流の使い手ばかりだ。あの怪物達を相手にするとしたら――命が何万個くらい必要だろう?

「……しかし、妙な話だな。こう言ってはお嬢ちゃんが気を悪くするかもしれないが、俺達退魔組織にとって『淫魔王』の名は世界最大級の脅威と見なされているんだぜ――いや、それは誤解なんだから泣かないでくれよ――捕まえて利用するならともかく、なぜ抹殺しようとするんだ?」
「それではぁ、悪の組織じゃなくて正義の味方みたいですねぇ」

 リンも小首を傾げている。だが、その答えは――

「私も初めはヒュドラに荷担する気は無かった……それを聞くまではな」
「……“それ”?」
「ヒュドラのエージェントはこう言った――『IMSOの予言機構が、数十年ぶりにある予言をした――“202X年七月、『王』が地上に降臨する”』――とな」

 がたん!!!

 それまで、何となく話を聞いていただけの鈴奈は、いきなり立ち上がった茂伸と日和の剣幕に吃驚仰天して飛び上がった。

「び、ビックリしたにゃ〜!!いったいどうしたのにゃ――」

 文句を口にしかけた鈴奈は息を呑んだ。
 日和と茂伸が、信じられない事に、驚愕と――恐怖の表情を浮かべているではないか。
 たっぷり1分以上は硬直してから、ようやく2人は声を絞り出せた。

「……ま……まさか……ほ、ほ、本当に『王』が……」
「お、お、『王』が……本当に現れるというのか!?」
「そ……そんにゃ……『王』が……『王』が!!……『王』って誰?」
「さぁ?近所のラーメン屋の王(ワン)さんでしょうかぁ?」

 鈴奈とリンのボケに、日和と茂伸は床の上で非音楽的な音を立てた。

「あ……あなたたちねぇ……」
「『王』も知らねぇのか!!……一般市民が知ってるわけ無いか」

 茂伸は大きく息を吐いた。あの脳天気ネコ娘とほわほわシスターのボケのお陰で、少し恐怖の情は薄れたようだ。戦慄の感覚は少しも衰えていないが……
 まるで自分が再確認するように、ゆっくりと茂伸は語り始めた――

 ――『王』――
 それは、過去の地球に幾度か出現する、邪悪な超高位存在の魔物の事である。
 地上に存在するあらゆる魔物を遥かに凌駕する力を持ち、多くの場合は知能を持つ種の魔物の支配者階級となる。『王』という名も『魔物の王』から付けられたものだ。
 地球の歴史上、恐竜の絶滅のような生態系の大絶滅現象が起こる場合が時折あるが、その大半が『王』による虐殺が原因だと考古学界は推測している。
 人類が遭遇した『王』は3体……
 約1万2千年前、2つの超古代帝国を大陸ごと消滅させた、人類の歴史上最強の魔物と称される魔竜『大蛇王』“ピュナ・バミューダ”――
 約5千年前、古代四大文明と仙界を滅ぼした、史上最強最悪の大邪仙を寄り代としたアンデットの帝王『壊天王』“懺那教主(ざんなきょうしゅ)”――
 約150年前、幕末の京都と倫敦(ロンドン)を始め、世界中の魔導都市を壊滅させた、最強にして最後の“純血の吸血鬼”『恐怖王』“ラナ・カミーラ”――
 いずれの『王』も出現する度に人類の歴史は終焉を迎えかけた。その被害はあの『旧IMSO消滅事件』や『死天事件』の比ではない。『壊天王』に全ての文明を消滅された人類はその歴史を5万年以上も逆行させたというし、『恐怖王』がある2人を除いた全人類を吸血鬼化させたというのは紛れも無い事実である。『大蛇王』に至っては人類の99.999%以上を滅ぼしたのだ。

「――まぁ、一言で表せば『世界を滅ぼす最強の魔物』って奴だ」

 凍りついた空気が、一同の間を流れた。咳払いを1つして、搾り出すように茂伸が続ける。

「『王』って名前がピンと来ないなら、『魔王』って言えばニュアンスが通じるかもな」
「……なぜ、『王』はそんな悪い事をするんですかぁ?」

 リンの糸目は僅かに震えていた。
 茂伸がおどけた調子で肩を竦める。無論、余裕ではなく、やけくそになっているのだ。

「さあな。魔物の考える事なんて人間にわかるわけねぇよ……だが、『魔王』といったら、昔から世界を滅ぼすもんだと決まっているだろう。違うか?」

 あまりにも荒唐無稽な話――しかし、誰もが沈黙の中で恐怖を噛み締めていた。
 なぜなら……それは過去に人類が体験した『事実』なのだから!!

「……ヒュドラの話は事実なのですか?あなた達を騙そうとしたとか――」
「私も術で探ってみたが、奴の提出した『王』降臨を示す証拠は本物だった。私1人ならともかく、あの場の全員を騙すなど、たとえ“魔女”でも不可能だろう。まず真実だと判断していい」
「……そんな……」

 沈黙が場を支配していた。絶望と恐怖に浸された沈黙だった。誰もが一言も洩らせない……

「にゃっふっふっふっふ」

 ……ただ1人を除いて。

「にゃっふっふっふっふ……ついにあたしの出番にゃね!!」

 不敵でステキな笑い声を上げるのは――我等が正義のスーパーヒロイン!!

「……なぜ、そんなに嬉しそうなのですか?」
「悪い魔王が悪い事するのなら、それを阻止するのが正義の味方にゃ!!……実は、正義のスーパーヒロインになれたのはイイけど、敵役がいなくて困っていたところなのにゃ〜相手が悪の大魔王なら悪役として申し分無いにゃ!!」

 えっへんと(薄い)胸を張る鈴奈の何も考えていない姿に、日和は、リンは、茂伸は、サツキやガーランドに至るまで苦笑を浮かべた。苦笑ではあるがマイナスの笑みでは無い。鈴奈の脳天気は皆の心の暗雲を吹き散らしたのだ。

「……でも、その『王』さんとわっちに何の関係があるのでありんしょうかぇ?」

 おずおずと片手を上げるベルクリアスに、

「現時点で『王』を名乗れる程の実力を持つ魔物は、通称『淫魔王』ことお前しかいない。少なくともヒュドラはそう考えているようだ。もっとも、資料によれば『王』はまだ真の力を取り戻していないらしい。だからこそ私のような一介の戦闘能力者を刺客にできたのだが……つまり、他の何者かが『王』なのかもしれぬ」

 ガーランドは諭すような口調で答えた。
 『王』はあくまで魔物であって人間では無い。人間ならば、IMSOの能力者捜索装置によって、その強さや所在地を完璧に把握できるのだが、相手が魔物では特定は格段に難しくなる。となれば、現時点で最強の実力を持つと推測される魔物を『王』と仮定するのは妥当と言えるだろう。
 ……あのベルクリアスが、破壊と邪悪の化身『王』になる可能性はゼロだろうが。

「もう1つ疑問があります。なぜ斯様な緊急事態に、IMSOや三大宗教組織が動かないのでしょうか?世界中が団結して立ち向わなければならない事件でしょう?」
「そいつは……今、俺の同僚が調べている所だぜ」

 日和の疑問を茂伸が煮え切らない口調で誤魔化した。
 この世界の危機に対して、IMSOや三大宗教組織、その他大手の退魔組織が動かない理由――それは、ダッドリーの旦那の報告で少しわかっている。
 『あの女』が、なぜか動かないようにと圧力をかけているからだ。ヒュドラが最終兵器と言うべき『ナイン・トゥース』を使わずに、外部の者に依頼しているのも、それに関係しているのかもしれない。
 あの女――いや、『あの女達』と言うべきか……
 1人は引退した伝説の魔女――『極東魔女(ファー・イースト・ウィッチ)』西野 那由――
 そして、もう1人の魔女――母から魔女の名を継いだ、世界最強の大魔術師――『微笑みの魔女(ラフィング・ウィッチ)』西野 あすみ――
 震える身体を押さえるのに、茂伸は苦労した。
 しばらく、各人が各々の思考にふける沈黙があった。思考していなさそうな者が約一名いそうだが……

「……俺が知っている情報はそれだけだ。後は好きにするがいい」

 数分後、沈黙を破ったのは、ガーランドの他人事のような口調だった。
 皆、思わず顔を見合わせる。
 いわゆる『捕虜のジレンマ』というやつだろうか、ガーランドをこれからどう扱えばいいか皆よくわからなかった。もはや敵意は無いらしいが、さっきまでは殺されそうな目にあわされて――いや、よく考えてみれば致命的な攻撃は少なかったかな?思ったよりも良い人なのかもしれない……でも、放っておくのも危険そうだし……

(しかるべき所に突き出しましょうか?)
(天にまします我等が神に、懺悔させましょうねぇ)
(ぶちのめして病院送りにするか?)
(…………)

 少々物騒な意見を交わす中、とことことガーランドの眼前に歩み寄ったのは、彼を敗北させたネコ娘だった。
 訝しげに顔を上げるガーランドは、彼女の瞳を見た。
 その、あまりに純粋無垢な、美しく透き通った瞳を。
 ガーランドは怯んだ。それは彼にとっても初めての体験だった。幾多の戦いを渡り歩き、自分の運命すら冷酷に見つめるこの戦士が、その瞳の美しさに怯んだのだ。

「約束してにゃ、もうベルちゃんをイジメたりしないって」
「……わかった」
「はい、右手を掲げてちゃんと声に出してにゃ」
「……もう、ベルちゃんを苛めたりしない事を約束する」
「うん♪なら許してあげるにゃ!!」

 鈴奈は笑った。
 初夏の妖精の笑み――
 奇跡を起こしたのは、それなのかもしれない。
 あの恐るべき冷徹な黒衣の男が――ぎこちなく微笑んだのだ。

「ああ、約束しよう」

 ガーランドは立ち上がった。ダメージなど欠片も感じさせない動きだった。

「私はこの戦いから離脱(リタイア)だ。しばらくこの世界を離れて傷を癒す事にする」

 足元の影が踊り、その身体を包む。

「こんな事を言える立場では無いが、お前達の無事を祈っている……良い旅を」

 最後に、もう一度だけぎこちなく笑って見せて、マスター・オブ・ダークネス――ジオ・ガーランドは姿を消した。

「ばいば〜い!!また会おうにゃね〜!!」

 虚空に向ってぶんぶん手を振る鈴にゃんの明るい笑顔に、皆は温かい視線を向ける。
 ついさっきまで死闘を繰り広げた相手を、あっさりと見逃すとは――このお人好しさは、これからの戦いにおいてはマイナスにしかならないかもしれない。
 でも――この優しさが、この明るさが、そして、この正義の心こそが、鈴奈が鈴にゃんたる証なのだから……

「さぁ、今度こそ高知目掛けてしゅっぱ〜〜〜つにゃ!!!」

 鈴奈の正義のガッツポーズが、窓から刺し込む太陽を掴み取る。
 そして、みらくる☆べるにゃの本当の旅が、今、ここに始まったのだ!!!






































刈り取りの時が来ました


「……あれぇ?ひよりんさん何か言いましたかぁ?」
「?何も言ってませんが……りんちゃん、どうかしたのですか?」
「変ですねぇ……何か聞こえたようなぁ……」


――『王』の目覚めは近い――




※※※※※※※※※※※※※





「そこまでー!!」

 凛とした、よく通る、そして、無邪気な女の子の声が、崩壊しかけた監視室に甲高く響いた。
 不死身の殺人鬼――黒瀬が、壁際に追い詰められたエージェント――ティンが、その声に導かれるように振り向く。
 ばらばらに分解されたドアの入り口に、天使が佇んでいた。
 日本のとある名門女子中学校のブレザーを着た、光を放つような美少女だった。きちんと三つ編みにした黒髪と品の良い眼鏡が、どこか知的で清楚な印象を与えている。惜しむらくは、少々プロポーションが女子中学生にしては貧弱な為、小学生にしか見えない事ぐらいか。

「終夜(ついや)さん!!」

 ティンは安堵の声を上げた。その顔は声以上に安堵している。
 なんとか間に合ったのだ。

「おやこれはなかなか可愛らしいお嬢さんですね私がいただいちゃおうかな」

 黒瀬が脅すように包丁に舌を這わせる。その姿を見れば、誰もがその狂気に恐怖するだろう――が、

「もう!!いきなり呼び出すから何かな〜?って思ったら、何よこのゴチャゴチャした現場は?何か変なオジさんもいるしー」
「そう言わずに助けてくださいよ……後で例の店でストロベリー・ミルフィーユでも奢りますから」
「2個ね!!あとバナナシェイクも付けないと片手ぐらいは無くなっちゃうかもね〜?」
「何でも言う通りにしますよ……とほほ」
「それじゃ、契約成立ね〜♪」

 この少女は――完全に黒瀬を無視しているではないか。
 黒瀬の瞳に凄烈な光が宿った。

「ヒャハハー」

 少女――終夜目掛けて獣のように飛びかける黒瀬。その血まみれの包丁が真紅に輝く。
 迫り来る危機を横目で見ながら、終夜は胸元から“それ”を取り出した。
 死神の鎌を30cmぐらいの大きさに縮めて、可愛らしくディフォルメしたようなデザインの……まるで、子供向け玩具の魔法のステッキのような――

「今のあたしは機嫌がイイの♪オジさんにも“とっておき”を見せてあげるね♪」

 その天使のような微笑みには――あの殺人鬼以上の狂気の光が!!

 ………………

 …………

 ……

 ――30秒後――

「……相変わらず凄まじい力ですね……」

 ティンはハンカチで滝のような汗をぬぐった。それは恐怖の冷や汗に近い。が、これは黒瀬に追い詰められた時の汗ではない。
 黒瀬は――“刀舞”の二つ名を持つ稀代の殺人鬼は、ティンの足元で床に崩れ落ちていた。
 その目は大きく見開き、口は絶叫の形で裂ける寸前まで開かれている。姿勢は赤子のように縮こまり、その股からは生温かい液体が漏れて――そして、死んでいた。
 そう、『絶対に死なない男が死んでいた』――
 どうやって?如何なる方法で?
 このティンが流した大汗は、目の前で得意げにしている少女――終夜の『能力』を見て流されたものだったのだ。
 不死身の男――黒瀬礼一は、あの少女に“殺された”のである。

「流石は“狂姫(マッドネス)”神宅 終夜(かんやけ ついや)――魔人の称号は伊達ではありませんね」
「その二つ名キライ〜」

 終夜は口を尖らせた。その仕草は人類最強の戦闘能力者――魔人のものとはとても思えない。

「――で、あたしを呼んだのは何の用事?こんな雑魚を始末する為じゃないんでしょ?」
「無論です。あるターゲットを捕らえてもらいたい」
「だーれ?」
「“幸運”のケイ」

 終夜のツヤツヤの頬が、ぴくりと動いた。こめかみをひくひくと震わせる。

「そんなとんでもない事を言う〜!!」
「同じ魔人の銘を持つ貴方なら、必ず捕らえられると思いますが……」
「簡単に言ってくれないで欲しいなー……わかったわよ。そのかわり、オレンジシフォンケーキも付けてもらうわよ!!」
「2個つけますよ」

 ティンはシニカルに笑った。もう、その態度はヒュドラのエージェントとしての不敵さを取り戻している。

「……もう1人、貴方に捕らえて欲しい者がいるんですが」
「3個にしてね。で、誰を殺せばイイの〜?」
「殺すんじゃなくて捕らえるのですが……」

 渡された資料に終夜は素早く目を通した。うつむいたまま、しばらく動かない。
 やがて――

「ふっふっふっふっふ……面白いじゃない♪」

 終夜は歓喜の表情で顔を上げた。楽しくてたまらないといった様子の、そう、面白半分に蝶の羽をむしる子供のような笑みを浮かべて――

「『みらくる☆べるにゃ』か……いいわ、このあたしが相手してあげる」

 びしっとディフォルメした鎌――いや、『魔法のステッキ』を構える終夜。ふりふりの原色を多用した、一昔前のアイドルのような衣装に、とんがり魔女っ子帽子――そう、その姿はまさに!!

「この、魔法少女『まじかる♪つーや』がね♪」




鈴にゃんの冒険
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