――さて、現時点で私が置かれている状況を簡潔ではあるが整理してみよう。
 衣食住全てに困窮した状態にあった私は、セリナ君の紹介で魔界大帝クリシュファルス君及び木龍大聖樹羅夢姫の住み込み食事付き家庭教師の座に収まろうとしていたのだが、天界軍の襲来により、この実に美味しい話は御破算。再び世間の荒波に飲まれる事となった私は、避難の為に腹黒邸から離脱していたセリナ君と遭遇し、継いでセリナ君の友人である西野かすみくんと接触した。
 そのままかすみ君の好意で今夜の宿と食事にありつける事となったのだが、それはクリシュファルス君と樹羅夢姫を脅迫する為に、セリナ君を拉致しようとする罠だったのだ。
 その巻き添えを食った私はセリナ君と共に西野怪物駆除株式会社の地下に監禁されたが、かすみ君の妹であるあすみ君とその使い魔真沙羅君の助けを借りて脱出。こうして社内を警備員から逃げ回っているという状況なのである――が、

「あらあら、こちらの通路も警備員さんで一杯ですね」
「ええとぉ……確かあっちが別の裏口ですぅ」
『……主よ。そこは3回も通りましたぞ』
「あれぇ?そうだったですかぁ?」
「自分の会社で迷わぬようお願いする」
「何だかよくわかりませんが大変ですね」

 ……と、今の我々は大ピンチ状態に陥っていると判断しても支障の無い状況下にある訳だ。うむ。
 かろうじて我々の姿は捕捉されていないものの、全ての通路はこの会社の警備人員数に重大な欠陥があると抗議したくなるくらい、数多くの警備員に見張られてている。こうして給湯室の物陰に隠れていても、見つかるのは時間の問題だと断言できるだろう。
 単純に彼等を蹴散らすのは簡単だが、そうなれば全ての警備員達を引き寄せる結果となるのは目に見えている。私はともかく、セリナ君やあすみ君は逃げられまい。ま、私自身としてはそれでも問題は無いのだが、就職希望先に媚を売る身としては、雇い主を見捨てる冒険に出る選択は排除しなければならぬだろう。うむ。

「はい、お茶が入りましたです」
「わーい、セリナおねぇちゃんありがとうございますぅ」
『…………』
「ふむ、これは玉露かな。中々良い葉を使っている」
「お紅茶なのですが。です」
「う、うーむ、これは良い紅茶だ。エフエムかポーションかな」
「にっとーです」
「う、うむむ」

 うーむ、こんな時給湯室に逃げ込むと便利ではあるな。少なくとも飲み物には困らないし……
 ……って、そんな事している場合ではない。しかし、こんな状況下でも何時の間にかお茶の用意をするセリナ君は、やはり只者では無いと判断する。拷問の後遺症も全く無いし。

「せめて、この会社の社内図と警備配置図があれば良いのだがな」
『主よ、御存知か』
「えへへ……」

 純白の猫又――真沙羅君の問いかけに、あすみ君は明らかな誤魔化し笑いを浮かべて頭を掻いた。聞く所によると、彼女はこの会社の社長令嬢だとか……まぁあてにはならないだろうが。
 ……と、私は推測していたのだが、意外にもこの膠着した状況を打開したのは、あすみ君の一言だったのである。

「――あ、良い考えが思い付きましたぁ」





































――200X年1月7日――





































「……で、俺の所に来たって訳かよ」

 エントロピー係数が極めて高い――有体に表現すれば生活廃棄物が乱雑に散らかった警備員控え室に、見知った顔が頬杖を突いていた。
 怠惰な風体でも隠せない精悍な顔立ちに、体脂肪率6%を切るだろう引き締まった体格。何より特徴的なのは神族特有の巨大な翼。先日、道路工事のアルバイト中に遭遇した神族だ。
 なぜ神族が――それもおそらく戦闘種族である武争神族……そして第一級神族だと推測する――この地で警備員になっているのかは大いに知的好奇心をそそるが、今はそれを詮索する状況では無いだろう。条約違反に関しては私の人の事は言えないし。
 彼は――クルィエ君は、私の姿を見るなり『てめぇは……』と、あまり友好的では無い台詞を友好的では無い表情で言い捨て、同時に私が鬼族である事に気付いたらしく、腹黒邸で私が襲われた事件を再現するかのように、どこからともなく巨大なマチェットを取り出して私に襲いかかろうとしたが――

「あらあら、そんな事してはダメダメさんですよ」

 ――と、再びそのマチェットを背後から抱きかかえるように止めてくれたのは、セリナ君のオットリとした美貌だった。うむ、彼女には借りを作りっぱなしだな。経済的に余裕ができたら返済しよう……今世紀中には無理そうではあるが。
 クルィエ君は何時の間にか背後に回り込んでいたセリナ君に驚愕したようだが、その頬に手を当てて微笑む姿を見て、

「ててて手前ぇは!!なぜここにいやがるんだ!?」

 と、私を見た時以上に驚愕し、まるで鬼族の長『冥王』が眼前にいるかのような反応で身構えた。うむ、どうやら彼はセリナ君に対して多大なる精神的外傷(トラウマ)を抱えているものと推測する。神族の戦士に斯様なトラウマを与えるとは、はたしてセリナ君は何者であろうか……

 ……いや、あらかた推測は出来ているのだが……

 その後、あすみ君のとりなしで矛を収めた我々は、簡潔な自己紹介と共に現状を説明して――

「――というわけで、クルィエちゃんにはあすみ達が逃げる手伝いをして欲しいんですぅ」

 と、あすみ君は散歩に誘うかのような気軽な口調で言ってのけたのだ。
 クルィエ君は苦虫を256匹前後噛み砕いたような表情を浮かべると、

「あのなぁ……なぜ俺がそんな事をしなきゃならないんだ?」

 溜息と返答を同時に吐いて見せた。
 つれない返事ではあるが、それも当然であると判断する。頭上に神族の次元艦隊が浮かんでいる状況では、発見と抹殺がイコールで結ばれている条約違反者は、手助けどころか穴倉に篭りたい心境だろう。
 だが、そんな姿を見て、

「あれれ〜?しゃちょーれーじょーのあすみちゃんにそんな事言っていいのですかぁ〜?」

 あすみ君は世俗で『子悪魔的』と形容されるだろう類の笑みを見せてくれた。クルィエ君の顔がさっと青くなる。自分の死すらも機械的に処理するという武争神族にとっても、雇い主の権威という存在は脅威なのだろう。ああ、何と世知辛い世の中なのであろうか。独善的と称される鬼族である私ですら、涙を禁じえない……心の中で泣くだけならタダであるしな。

「脅迫ってわけかよ」
「違いますよぉ、あすみはそんなヒレツでヒキョーな事はしませんですぅ」

 あすみ君はニンマリと笑った。

「あすみのお願いを聞いてくれたら……じゃじゃーん!!なんと!!お給料を100円アップしてあげますぅ〜♪」

 思わず私の身体が15度ほど傾く。クルィエ君も肩を竦めて首を振った。

「あのな……たかだか100円程度で俺が動くと思って――」
「じゃあ、500円ですぅ」
「承知した。契約成立だな」

 ……シェイクハンドする彼の給与体制が非常に気になる所だが、それを聞くのは止めておこう。悲しくなるだけだ。

「それはそれはステキですね。クルィエさんが味方になっていただけるのなら百億万人力です」

 ぱちぱちと嬉しそうに――訂正する、彼女はいつも嬉しそうだ――手を打ち合わせるセリナ君とは対照的に、真沙羅君はそっぽを向いている。

『ふん……斯様な俗物がどれだけ役に立つというのか』
「少なくとも、そこのニャンコロよりはな」
『なんだと!?』
「――と、言いたい所だが、空(うえ)に天界軍の戦艦が目を光らせているんじゃ、東京の時以上に神族の力を封印しなけりゃならねぇ。過度な期待はしないでくれよ」

 ふむ、それは私も同じ状態にあると断言できない事はありえないが――しかし、武争神族という戦闘のプロフェッショナルがこちらの陣営に存在するというのは、単純な物理的戦力以上に効果的な武器になるといえるだろう。うむ。

「さてと、今の時間の警備配置は――」

 颯爽とした態度で社内地図を広げる第一級武争神族の姿を見て、私はその確信を益々強めた――



※※※※※※※※※※※※※※※



 神経に障る頻度で明滅する非常灯の頼りない明かりの中、我々は必死になって明り取りの窓を潜り抜けようとしていた。
 いや、必死になっていたのは私だけだろうか。4mほどの高さにある薄汚れた窓を、クルィエ君は褐色の翼を広げて、あすみ君はロープ状に姿を変えた真沙羅君に捕まって、そしてセリナ君に至っては何処からともなく取り出したモップで――相変わらずこの現象は謎だ――棒高跳びの要領で軽々と、それぞれの方法で容易に乗り越えていった。しかし、私は軽い跳躍で窓枠には掴まれたものの、窓の大きさが私の体格と比較して小さ過ぎた為、潜り抜けるのに非常な困難を体験する事になったのだ。ああ、肉体労働には役立つ私の巨体が、今現状としては少々恨めしい。もう少し窓を大きく製作してくれなかったのだろうか。だが、その指摘は出入り口として設計された訳ではない窓に対しては、極めて不適格と断言出来るだろう。うむ。
 この薄暗い部屋は、西野怪物駆除株式会社の第4書類倉庫――現在は様々な雑具が死蔵した状態にあり、人などまず足を踏み入れない場所であるらしいが、なぜ我々がそんな所で唯一外に出られる窓を乗り越えようとしているのかというと――

「――この部屋にそった裏路地が、警備網を突破できる唯一の道だな」

 ――と、クルィエ君と私が相談した結果、導かれた回答だからである。
 あの警備員控え室でセリナ君が煎れてくれたお茶を飲みながら、セリナ君とあすみ君が頭上に謎のクエスチョンマークを大量に浮かべて見つめる中、簡単な社内地図とクルィエ君の知る警備配置情報だけで、かすみ君の張ったであろう警備網を、私とクルィエ君はほぼ完璧に把握したのだ。
 そんな事ができるのは、四大種族と呼ばれる我々と人間の知能レベルの差であろう。地球人類と比較すれば、四大種族は言葉通り『神』に等しい英知と判断力、分析力を誇るのである。うむ。こういうのも自画自賛というのだろうか。

『そなたはクルィエの計画に「うむ」と相槌を打っていただけではないか』

 ……真沙羅君、人の思考にツッコミを入れるという非現実的現象をサラリと実行するのは、事象因果律への冒涜行為だから止めてもらいたい。
 それはともかく、このまま路地裏を抜けて大通りに出る事に成功すれば、夜の暗闇と人込みに紛れて易々と逃走する事が可能だろう。その後の潜伏方法は65536通りほど案がある。うむ、我ながら完璧な計画だ――
 ――そんな我々の完璧な計画があっさりと覆ったのは、まさにその路地裏を抜けて大通りに出た瞬間だったのだ。

 カッ――――!!

 四方八方からまばゆいスポットライトの光が浴びせられて、思わず目が眩む中――

「予想通り、網にかかったわね」

 正直に告白すれば、二度と聞きたくなかった声が我々にかけられた。

「お姉ちゃあん!!」
「あらあら、かすみさんですか?」

 あすみ君とセリナ君の叫びを確認するまでもなく、我々の眼前で腕を組み、過剰に不敵な笑みを口元に浮かべた人物は、西野かすみ君に間違いなかった……凶悪なフォルムの地上掃討機動兵器――俗に言う駆逐戦車の砲塔の上から我々を見下ろしながら、数十人の銃口を向ける完全武装の兵士を引き連れて!!

「くそったれ……なぜ俺達の逃走ルートが読まれたんだ!?」

 クルィエ君が路上に唾を吐き捨てながら身構える中、私は現状の様々な疑問点に思いを馳せていた。そこ、現実逃避と言わないように。
 疑問点その1――如何なる方法で我々の逃走ルートを読んだのか?
 単なる偶然か?
 否。
 我々を取り囲む兵士の数が多過ぎる。これは西野怪物駆除株式会社の全警備員数をも上回るだろう。
 更に指揮する立場にあると推測されるかすみ君が陣頭指揮に立っているという状況から判断して、全戦力をピンポイントでこの逃走ルートに配置したのだ。
 疑問点その2――兵士達の装備について。
 我々を追跡していた警備員達だが、ここで周囲を取り囲む者達も含めて兵士と呼称する事を提案する。
 彼等は、それ程の装備を整えているのだ。
 手に持つ重火器や戦闘用ジャケットアーマーの類は、警備員装備の範疇を明らかに逸脱している上、魔導弾や対魔防御装置の姿もちらほら見える。これは軍隊の対魔物用部隊の兵装だ。その人員数の数から判断して、従来の警備員に本物の軍人が合流しているのだろう。
 あまつさえ、かすみ君が搭乗しているのは、キャタピラ部分の駆動系が半球状の浮遊機関に変換された半飛行戦車――200X年式最新型国産魔導戦車『0X式』ではないか。このタイプの戦車は国内でも10台に満たないと記憶しているぞ。うーむ。
 以上の疑問点から推測して、かすみ君の行動の裏には――
 そして、かすみ君のバックには――

「お姉ちゃん!!もうやめてくださいですぅ!!どうしてこんな事するんですかぁ!?」

 真沙羅君の静止を振り切って、あすみ君が必死にかすみ君に呼びかけた……って、あすみ君。今はそんな事を言っても――案の定、かすみ君はあすみ君を見向きもせずに――

「撃て」

 轟音、閃光、爆風、衝撃波――全てが同時に我々を襲った。かすみ君の足元から、戦車の主砲が火を吹いたのだ。狙いは極めて正確だと断言できるだろう。直撃しなかったのは、私がセリナ君を、クルィエ君と真沙羅君があすみ君を抱えて飛び退く事に成功したからに過ぎない。
 そう、かすみ君は絶対的な殺意を持って我々を攻撃したのだ。
 あああ、言わんこっちゃない(実際、発言してないが)。明確な敵対行動を取る相手に、取引材料も無しで交渉しても無意味なのは明白なのに……そんな後発性非生産的言動、俗に言う愚痴をこぼしながら、私はセリナ君と共に10mは吹っ飛ばされて、民家のブロック塀を粉砕しながら停止した。

「佐藤さん、大丈夫ですか?です?」

 セリナ君の心配そうな声に、顔の向きを上方修正する。眼球の内部で爆竹が256個爆発しているような視界の中、セリナ君の肉付きの良い肩越しに、大通りの反対側でクルィエ君達が私と同じような状態にあるのを目撃した。ちなみに、私の視界が上下逆になっているのは、単に私がひっくり返って塀にめり込んでいるからである。うーむ、相当に痛いぞ――と、刹那、セリナ君の乳……もとい、身体を抱きながら横っ飛びする私の身体をかすめて、数十発の弾痕がブロック塀を穿ち、それを一瞬にして粉微塵に粉砕した。我々ピーンチ!!
 そのまま私とセリナ君は商店街へと抜ける路地へ、後でわかった事だが、あすみ君と真沙羅君とクルィエ君は中央公園に通じる路地に追いたてられてしまったのだ。これは明らかに我々を分断して各個撃破する意図が見え見えだが、何せ兵士達の一斉射撃がミリ単位で迫っているのだから、極めて癪であるものの、その意図に乗らざるを得ない。うーむ、流石はプロの仕事だな。それに引き換え、我々は戦闘のプロたるクルィエ君といきなり引き離されてしまった。冷静に考えなくても、極めて大ピンチな状況だと言えるだろう……
 その時――公園の方角で、あすみ君の悲鳴が聞こえたような気がしたが……遺憾ながら、それを気にする余裕は無い。
 銃弾が全ての物体を粉砕する路地を、

「色々大変ですね」

 この期に及んでも呆けた声で微笑むセリナ君と並んで全力疾走しながら――奇妙な事に――私はどこか後ろ髪引かれる心地でいた。
 ――その感情が誰に対してなのか、現状では確信が持てなかったのだが……それが判明するには、実に1週間以上の時を必要としたのである。



※※※※※※※※※※※※※※※



「予定通り、目標を分断しました」
「余計なオマケがくっついているけど……まぁいいわ」

 天球の半分が黒1色で染められた星空の下、『部下』の報告を受けたかすみは、200X年式魔導戦車の砲塔に腰を下ろし、大胆な仕草で脚を組んだ。もう少しでタイトスカートの奥が見えそうだが、そんな俗事を気にする者など1人もいない。
 足元に整列する完全武装の兵士達――内閣特務戦闘部隊・総勢315名は、無機的なまでの直立不動を維持して、臨時司令官『西野 かすみ』の指示を待っていた。

『“セリナを捕縛せよ。それを材料に魔界大帝達と交渉し、神族の軍隊に引き渡せ”』

 それが、神族の要求に対して、IMSOを始めとした国際機関が協議した結論だった。
 直ちに世界中の国家、軍事、退魔組織がセリナを捕らえる為に動き出したのだが、まず先発的に行動を開始したのが、地理的に最も近い国内の最強戦闘退魔組織、内閣特務戦闘部隊なのである。
 だが、そこに1つのトラブルが生じた。
 内閣特務戦闘部隊の指揮は、無論、専門の司令官が取る事になっていたのだが、なぜか偶発的な事故が続発し正式な司令官が次々と脱落、やむをえず国内最大手の民間退魔企業の社長であり、世界最強の戦闘能力者たる“西野 那由”に作戦司令官としての白羽の矢が立ったのである――が、彼女は数ヶ月前の『東京都心結界封鎖事件』の際に負った傷がまだ癒えておらず、また――信じがたい事に――通り魔に片腕を切断された事もあって、前線指揮は難しいと判断された。その後、様々な『偶然』が重なって、その娘である『西野 かすみ』に臨時指揮官としての任務が下されたのである。
 ……もし、この話をアコンカグヤか座導童子が知ったなら、その『偶然』に“ある存在”の介入を見出したかもしれない……
 ともあれ、国内最強の戦闘部隊は、かすみの手足、牙爪となったのだ。

「第一部隊から第七部隊までは、あたしと共に商店街に逃げたセリナの捕縛。それ以外は中央公園に逃げた者を追って。そいつらには『FB−08魔導弾』を使いなさい。効果は保証するわ……あ、0X式戦車と『ソロ』はあたしが使うわよ」
「はっ……中央公園に逃げた者と、セリナと一緒に逃げている大男はどうしますか?」
「殺しなさい」

 その台詞が苦渋に満ちた口調ではなく、機械的に感情を殺したわけでもなく、むしろ面白くてたまらないと笑いまで浮かべて言い放ったので、流石に部隊長の1人が鼻白んだ。

「よろしいのですか?司令官の御姉妹があの中に――」

 その部隊長の話は破砕音と共に中断された。
 ほぼ垂直に跳ね上がったかすみの足先の戦闘用ブーツが、鮮血と唾液と歯を夜空に振り撒いた。下顎を完全に蹴り砕かれた部隊長が、悲鳴も出せずに路上に倒れ伏す。その顔面に派手な音を立てて、かすみが飛び降りた。

「誰が意見しろって言ったのよ三下!!あたしを誰だと思ってるの?お前達犬どもの飼い主なのよ。許可無く勝手に吠えるんじゃないわよ」

 そのままぐりぐりと痙攣する顔面を踏み躙る。流石に兵士達も浮き足立ち始めた。
 命令を絶対のものと強制して、反論も許さないというタイプの上官は珍しくないが、今のはいくらなんでも常軌を逸している。そもそも、あの部隊長は反論ではなく確認を取っただけなのである。
 副司令官を兼ねる部隊長の1人が、血相を変えて叫んだ。

「お止めください司令官!!」
「犬があたしに意見するなって言ってるのがわからないの!?あんたも蹴り殺されたいのかしら?」
「……それ以上私的制裁を加えるならば、副長権限で指揮権を剥奪します!!」

 あらゆる兵士達から向けられる増悪の眼差しを、冷たい笑みが受けとめる。この状況が馴染みでもあるかのように、かすみは平然としていた。

「それじゃ、仕方ないわね……」

 かすみは返り血の付いた頬を指でついと撫で、そのまま胸元からカプセル状の奇妙な機械を取り出した。
 その機械を表現できる言語は地球上には存在しない。如何なる英知の持ち主であっても、その機械が何なのか理解できまい。
 なぜなら、その機械こそが『神』の――

 透明な青紫色の光が大通りに満ち――数瞬後、規則正しい郡靴の音が四方に散っていった。

C:セリナ、座導童子 Side D:あすみ、真沙羅、クルィエ Side
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